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2021年8月28日 (土)

信頼できる政治の実現に向けて

火曜の夜、パラリンピック東京大会の開会式が行なわれました。車椅子の少女が演じた「片翼の小さな飛行機」の物語の演出は好意的な評価を得ていました。運営統括の担当者は「五輪もパラリンピックもテーマは多様性。五輪は色々なものを出してそれを表現しようとしたが、パラは一つの背骨を作って式典を進めた」と解説しています。

舞台裏を明かせば『パラと五輪、開会式で出た差 「外野の注文少なかった」』という事情があったようです。いつも当ブログを通し、より望ましい「答え」を見出すためには幅広く多様な声に耳を傾けていくことの大切さを訴えています。とは言え、全体を的確に調整できる責任者がいるかどうかによって今回のように明暗は分かれがちとなります。

コロナ禍という未曾有の危機の中、最も的確な調整能力や判断力が求められている菅総理ですが、開会式での手拍子の遅れなど覇気のなさを心配する声が聞こえてきています。東京五輪の開会式では開会宣言の時、起立するタイミングが遅れたことで物議を醸していました。後から大会組織委員会がアナウンスできていなかったことを謝罪し、菅総理をフォローしていました。

ただ週刊文春では次のような顛末も伝えています。「首相は以前に増して、周囲の進言に耳を傾けなくなりました。五輪開会式では天皇陛下の開会宣言の際に起立しなかったことが批判されましたが、この直前、首相は式での陛下の動線をレクしようとした秘書官を『要らない』と一蹴した。そのため陛下のご移動にあわせて即座に起立できなかったのです」と記しています。

このような話が周辺から漏れてくること自体、菅総理に対する求心力や信頼感が薄れている表われなのだろうと思っています。このような傾向を前々回記事「スガノミクスと枝野ビジョン」の中でも伝えていましたが、菅総理は周囲の声に耳を貸さない「裸の王様」であり、自ら「官邸ひとりぼっち」の状況を作り出しているようです。

都道府県ごとの緊急事態宣言は小出しに対象地域が拡大しています。発令する際は総理記者会見が慣例となっているようです。この慣例を破ると逃げているという批判を受けるため水曜の夜も菅総理は苦手としている記者会見に臨んでいました。その会見でも菅総理の「明かりははっきりと見え始めています」という言葉が物議を醸していました。

やはり菅総理に寄せられる情報は偏在しているのかも知れません。「スガノミクスと枝野ビジョン」は「Part2」まで重ねてきましたが、めざすべき総論的な社会像や具体的な施策の優劣を競い合う以前の問題として、トップリーダーの資質や適性という側面から菅政権が続くことの危うさを強く感じるようになっています。

最近、菅総理が信頼を寄せているパソナの竹中会長は「医療ムラ解体しないと日本は良くならない」と語り、医療の逼迫に対して持論を訴え始めています。この訴えに呼応しているのかどうか分かりませんが、『コロナ患者受け入れ拒否なら『病院名公表』に現場は怒りの声も』という報道を目にしていました。

国と東京都が23日、東京都内の全医療機関に新型コロナウイルス患者受け入れを要請すると決めた。従わないと病院名を公表する“踏み絵”の強硬策にSNSを通じて現場からは怒りの声が上がっている。小説家で医師の知念実希人さんは自身のツイッターで「もうなんか、燃え尽きかけてきている医療従事者にとどめを刺しに来ましたね」と指摘。

「いま入院している患者さんを追い出して病床を作ろうが、感染拡大を止めないと焼け石に水なんですよ。1年半、命がけで頑張ってきた医療従事者をスケープゴートにするんですね」と続けた。愛知県医労連も「いま大事なことは医療機関への制裁ではなく支援です。コロナ感染爆発を引き起こした責任を、医療機関に押し付けるのですか。最悪の責任転嫁。許せません」と怒りをぶつけた。

別の医師は「もう限界」とつづり、「専門分野の診療は縮小して…給料は減って…家族との時間も減って…飲み会や会食どころか外食や私用の外出も完璧に自粛して…ただひたすら自宅と病院を往復して…さらにコロナ(患者)を受けろって」と嘆いた。他にも「医療従事者にありがとうと言いながら、後ろで首を絞めてる感じ」などと、批判のコメントが相次いだ。【中日スポーツ2021年8月23日

たいへん驚き、失望しています。以前の記事「もう少し新型コロナについて」の中で、日本国内の医療機関は世界最多水準である160万ほどの病床がありながら病床逼迫に至る事情を綴っていました。このような事情の解決に向けて政治が力を発揮しないまま高圧的な対応をはかる姿勢には非常に残念な思いを強めています。

菅総理は記者会見で「感染拡大を最優先にしながら考えていきたい」という言い間違いもしていました。その記者会見のあった週末には横浜市長選があり、菅総理の全面支援を受けた小此木八郎前国家公安委員長が立憲民主党推薦の山中竹春候補に日曜夜8時の段階で敗れています。横浜市長選の結果は『菅首相「現職総理で史上初の落選」危機! 横浜市長選で地元有権者もソッポ』という衝撃的な見出しにつながっています。

当選した横浜市立大学医学部の教授だった山中新市長にはハラスメント疑惑などを払拭できる横浜市のトップリーダーとしての心機一転した働きぶりを期待しています。もし山中新市長が横浜市民の皆さんからの期待を裏切るようであれば今後の衆院総選挙での野党共闘のあり方に影を落としかねません。

菅総理が省みるべき点は多々あるようです。親交の厚い小此木候補が圧勝すると考えていたのかも知れません。支援した候補者の勝利は自分自身の総裁選や総選挙戦に向けてプラスに働くと計算していた場合、見通しの甘さなどを反省しなければなりません。下記は朝日新聞の社説の一部からの抜粋ですが、これまでIRを推進してきた経緯からの説明責任も求められています。

首相は安倍前政権の官房長官当時からIRの旗振り役を務め、地元横浜市は候補地として有力視されていた。にもかかわらず、今回、(IR反対に転じた)小此木氏支持を打ち出したのは、市民の間に反対が強いとみて、野党系市長の誕生阻止を最優先したのだろう。

IRには、ギャンブル依存症の増加やマネーロンダリング(資金洗浄)、治安の悪化などの懸念がある。推進の林氏の得票率は13%にとどまった。首相はこの機会に、IR政策全体の見直しに踏み込むべきだ。でなければ、小此木氏支援はご都合主義の極みというほかない。

本来であれば、IR誘致をどうするのか、方針を転換するならするで、党内論議を重ね、意思統一をしたうえで有権者に提示するのが、政党としてあるべき姿だろう。自民党のガバナンスもまた問われている。

自民党の大野伴睦元副総裁は「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちれば、ただの人」という言葉を残していました。政治家の皆さんが選挙に有利か不利かという思考を前面に出してしまうことも、ある程度仕方のないことだろうと思っています。しかし、そのことを優先しすぎて長期的には全体の利益を損ねる判断に至っているようであれば大きな問題です。

さらに国民の側から「あの政治家は自分の選挙のために発言しているな」と見透かされるようであれば共感は得られにくくなります。一方で、私心を微塵も感じさせず「本当に私たち国民のために頑張ってもらっている」と思わせるような政治家も少ないため、あくまでも度合いの問題なのかも知れません。

果たして菅総理はどうでしょうか。「57年ぶりの東京五輪が開幕」の最後に紹介した下記のような内容が事実であれば非常に憂慮すべきことだと考えています。信頼できる政治の実現に向けて、最も重い責任と役割を担っている総理大臣には国民の心に響く言葉を発して欲しいものと心から願っています。

「菅首相は選挙しか興味がない」と自民党のベテラン政治家は言う。「会って飯を食っても選挙の話しかしない」と言うのだ。菅首相は、緊急事態宣言を出すかどうか、オリンピックをやるかどうか、無観客にするかどうか、もすべて「選挙に有利に働くかどうか」で決めてきたのかもしれない。

オリンピックとパラリンピックを予定通り開くことと外出自粛を求めることの納得感、飲食店が休業に応じた場合に充分な補償を得られるという安心感、病床逼迫に対する具体的な手立てなど実効ある感染対策の可視感、そして、コロナ禍での様々な要請は私たち国民のために必要なものであるという政治に対する信頼感があれば、これほどまでの感染拡大には至らなかったように思えてなりません。

最後に、水曜と木曜、自治労大会が開かれました。広島市での開催を予定していましたが、新型コロナの感染拡大に伴い、自宅からのWeb参加でした。来賓として連合の神津会長と立憲民主党の枝野代表から挨拶を受けています。次回以降の記事で野党共闘の話などを取り上げる際、この時の挨拶内容にも触れていくつもりです。

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2021年8月21日 (土)

スガノミクスと枝野ビジョン Part2

前回記事「スガノミクスと枝野ビジョン」は予想したとおり長い記事となり、読み終えた書籍『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』に絞った内容で一区切り付けていました。それでも『枝野ビジョン 支え合う日本』という書籍の内容と対比した記事を考えていたため「スガノミクスと枝野ビジョン」というタイトルは変えませんでした。

今回、その記事の続きとして「Part2」を付けて書き進めていきます。今年5月に出版された『枝野ビジョン 支え合う日本』はいつも立ち寄る近所の書店には置いていませんでした。普段出向かない駅ビル内の書店で見つけ、すぐレジに運び、都議選が終わった頃に読み終えていました。手にしたのは第2刷でしたので、出足の売れ行きは好調だったようです。

「保守本流」を自称する立憲民主党の代表が、その真意と、目指す社会の未来像を提示する。明治維新以来の「規格化×大量生産社会」はすでに限界を迎えている。いま必要なのは、互いに「支え合い、分かち合う」社会だ。国民に「自助」を強いることのない、もう一つの選択肢を示す。

上記はリンク先のサイトに掲げられた『枝野ビジョン 支え合う日本』の紹介文です。ビジョンと称しているとおり枝野代表自身がめざす政治のあるべき姿を論じた一冊です。2014年頃から執筆を始め、何回も加筆修正を加えながら7年をかけて上梓しています。

「はじめに」の中で枝野代表は「政権選択選挙=衆議院総選挙までに世の中に示したいと思ってきた」と記しています。この言葉が示すとおりブログの記事タイトル「スガノミクスと枝野ビジョン」にこだわった理由は、やはり今秋までに必ず行なわれる衆議院総選挙を意識しているからでした。

私自身の問題意識として、2か月前の記事「コロナ禍で問われる政治の役割」の冒頭で「判断の誤りが続くようであれば政権の座から下ろされる、このような緊張感ある政治的な構図が欠かせないはずです」と記したとおり野党第1党である立憲民主党が政権批判の受け皿として認知されていくことを期待しています。

そのため、期待したい立憲民主党の代表がどのようなビジョンを描いているのか、しっかり把握した上で当ブログの中で論評を加えることが必要だろうと考えていました。ようやく今回、政権批判の受け皿として期待し続けることが適切なのかどうか判断していく材料の一つとして『枝野ビジョン 支え合う日本』について掘り下げてみます。

ただ立憲民主党の個別政策や総選挙に向けた選挙政策を記したものではなく、自民党に対抗しうるもう一つの選択肢として認められる上で重要な理念や哲学を示していると注釈されています。考え方を説明するのに必要な範囲で各論の記述があると枝野代表は説明しています。そのような位置付けを理解した上で、目に留まった箇所を中心に紹介していきます。

枝野代表は2017年の衆院選で「右でも左でもなく、前へ!」と訴え、ご自身の立場を「保守であり、リベラルだ」と説明してきています。有権者の皆さんから強い共感を得る一方、「何を言っているのか分からない」という批判も受けていたことを明かしています。

55年体制当時から与野党の対立を「右」と「左」、「保守」と「リベラル」という対立概念で表現されています。その「常識」に異を唱えるべく、あえてこうした言葉遣いをしていることを枝野代表は説明しています。このような考え方には強く共感しています。このブログでも二項対立の図式の問題性を以前から提起しています。

自らの考え方と相反する人たちを「敵」と見なして属人的な批判を強めることよりも、相手側の考え方や振る舞いの中で何が問題なのか、具体的に指摘していくことの大切さを意識するようになっています。「右」や「左」という立場性に関わらず、異質な考え方を尊重するという寛容さは常に求められているように感じています。

自分と異なる価値観を一刀両断で否定する姿勢は、合意形成を重視してきた日本の歴史や伝統とは異なる。自分が独善的に「正しい」と信じる社会を思い描き、あらゆる異論を排して、「この道しかない」とまっしぐらに進もうとする姿勢は、本来の「保守」主義が嫌う姿勢であり、それはむしろ「革新」に近い。

上記は著書に綴られた枝野代表の問題意識です。この前段に2001年に発足した小泉政権以降、新自由主義的な経済政策を軸に置いてきた自民党の路線を批判しています。この路線の是非については菅政権との対立軸として、総選挙戦で問われていくのだろうと思っています。ただ弱肉強食的な新自由主義という短絡的な批判にとどまるようであれば二項対立の図式に過ぎません。

選挙戦に勝利するためには明快な選択肢を示すことが欠かせず、ある面では相手方にマイナスのイメージを与える「レッテル」も必要なのかも知れません。しかし、著書の中で語っているとおり枝野代表には独善的な「正しさ」から異論を排するような姿勢に陥らないように願っています。小泉元総理や菅総理らも「国民のため」を目的にした政治に向かい合っているはずです。

その手法として新自由主義的な路線を重視してきたという見方を前提に対峙すべきなのだろうと考えています。強いものをより強くする、つまり大企業や資産家にはより稼いでもらい、多額な税金を納めてもらう、経済を活性化することで雇用を拡大する、トリクルダウンによって国民全体を豊かにするという理論の是非を問わなければなりません。

枝野代表はこれまでの路線が「効率性に偏重した経済」を生み「過度な自己責任社会」を誘発し、「小さすぎる行政」は国民を守る力を失ったと省みています。そのことが今回のコロナ対応で明らかになったとも見ています。さらに「公務員を減らせば改革だ」などという30年以上前からの発想は、もはや時代遅れとなっていることに気付かなければならないと語っています。

このような反省の上に立ち、枝野代表は著書の中で様々な考え方を提起しています。まず「支え合い、分かち合う社会」とは弱者保護を強調する社会ではないことを説明されています。病気や介護、子育てのサポートなど誰の人生にも起こりうるリスクに対し、「弱者だから」ではなく、「必要だから」サポートするという発想に改めることを提起しています。

いつか自分が同じように障がいを持ったり病気になったりすれば同様のサポートを受けられる、その安心感があるからこそ他者をサポートすることに寛容でいられる「お互い様に支え合う」リスクとコストを分かち合う社会を枝野代表は理想視されています。民主党政権で進めようとした所得制限のない子ども手当は、このような「普遍主義」の理念に基づいたものだったことも補足されていました。

老後や失業の不安、格差拡大の中で貧困に陥る不安などがなくなり、安心して子どもを産み育てることができるようになれば社会全体の安心感が高まり、消費が拡大し、少子高齢化や低経済成長という「近代化の壁」を乗り越えられると著書の中で綴っています。一見「支え合い」の直接の恩恵を受けていないように見える人にとっても明らかにメリットがあると語っています。

「安心できる支え合いの社会」を作るためには財源問題に目をつぶれないとし、再分配の財源確保のために直接税と間接税との比率や社会保険料を含めた累進性の見直しを枝野代表は例示しています。時限的な消費税の減税については「緊急時の時限的な対応」という条件を前提に全否定するものではないと記しています。

『枝野ビジョン 支え合う日本』の内容についてJ-CASTの単独インタビュ-『「皆が弱者なのだから皆で支え合うしかない」 枝野幸男・立憲民主党代表に聞く「日本の現実」』を通し、枝野代表は様々な質問に答えています。参考までにデイリー新潮取材班がまとめた記事「『枝野ビジョン』は枝野代表の政権奪取宣言かブーメランの宝庫か」も紹介します。

前回記事の中で伝えたとおりスガノミクスは成長戦略を最重視し、菅総理は新自由主義的な路線を推奨するブレーンとの親和性を高めています。めざすべき総論的な社会像としてスガノミクスと枝野ビジョンは明快な対立軸として、総選挙戦での選択肢になり得ていくものと考えています。

私自身にとって枝野ビジョンは全体を通して共感した点が多く、立憲民主党を今後も期待していくことができます。さらに立憲民主党と支持協力関係を強めている自治労に所属する組合の役員の立場からは、よりいっそう立憲民主党が政権の受け皿として広く認知されていくことを願っています。

しかし、期待している政党だから問題点を批判しない、そのように見られてしまっては当ブログを通して発信している言葉の重みが問われてしまいます。現実感を持って政権を担える政党になって欲しいという願いを込め、立憲民主党の国会議員の言動や党内ガバナンスの問題についても触れていかなければなりません。

57年ぶりの東京五輪が開幕」のコメント欄で、あっしまった!さんから立憲民主党政調会長代行の川内博史衆院議員のツイッターでの発言内容の問題性を厳しく批判するコメントが寄せられました。「陛下が開会式で『大会の中止』を宣言されるしか、最早止める手立てはない」とし、「天皇の政治利用」と疑われかねない発言の問題でした。

「川内氏の発信内容は(党の綱領にある)立憲主義に反するのではないか」という記者からの質問に対し、福山幹事長は「本人はツイートを削除し、お詫びも含めて本人の意思を発したと認識している。それ以上でも、それ以下でもない。処分などは今のところ、考えていない」と答えていました。

あっしまった!さんからのコメントを受け、私からは取り急ぎ「非常に軽率だったものと思っています。政治家としての資質や見識が問われる失態です」とお答えしていました。あわせて不適切発言で辞職した本多平直衆院議員のことも触れていました。立憲民主党ワーキングチームの会合で、本多議員は「50代の私と14歳の子とが恋愛した上での同意があった場合に罰せられるのはおかしい」と発言し、大きな問題になっていました。

問題発言だったことは間違いありませんが、発言した場面などを酌量した際、議員を辞めるところまで追い込むことが適切だったのかどうか分かりません。今回、その問題発言の時と異なり、大きく取沙汰されていません。取り上げづらい天皇制に関わる問題という性格をはじめ、あっしまった!さんが憤られているような重要な論点も一般的には理解しづらいのだろうと見ています。

波紋を広げていないことを幸いにし、ご指摘のような立憲民主党の危機感の乏しさがあるようであればそれも問題です。緊張感ある政治的な構図の必要性のために立憲民主党の奮起を期待する立場の一人として、今回のような問題についても今後記事本文で取り上げていくつもりです。

上記はその時のコメント欄に記した私自身の問題意識です。本多議員の場合、最初は口頭の厳重注意でした。当初の判断も甘かったのかも知れませんが、党内外からの批判を受けて「党員資格停止1年」という厳しい処分に変わり、最終的に議員辞職に至っています。

政治評論家の伊藤達美さんが「過剰反応は自由闊達な論議失われる」と語っていますが、そのような点についても気になった問題だったと言えます。加えて、本多議員の処分内容に比べ、川内議員が厳重注意の対象にもならなかったことに違和感を覚えていました。このあたりの判断基準の曖昧さは党内カバナンスに影響を与える問題として、しっかり総括して欲しいものと思っています。

本多発言の経緯や東京五輪の中止を求める声の迷走ぶりなどをライターの松田明さんが『立憲民主党の憂鬱――成熟しない野党第一党』という記事にまとめています。立憲民主党に期待したい立場であり、ネガティブな記事内容の紹介は残念なことですが、目に留まった最近の記事を2つ紹介します。

「動画さらすぞ」立憲民主党・石川大我参院議員が「コロナ救急搬送」強要の疑い』と『横浜市長選、山中候補の説明責任「無視」の立憲民主党に、安倍・菅政権を批判する資格があるのか』ですが、以前の記事の中に記した「政党を問わず、候補者が掲げる政策を吟味し、信頼を寄せられる候補者かどうか、個々人の見識や資質を見極めていけることが理想です」という言葉を思い浮かべています。

たいへん長い記事になりました。実は「スガノミクスと枝野ビジョン」という記事を通し、もう少し話を広げるつもりでした。『もう一隻の船を出すために 第1回/野党共闘 神津里季生・連合会長に聞く』という特集を掲げた週刊金曜日も手元に置いていました。「Part3」は考えていませんので、野党共闘の話などは機会を見て秋までに取り上げていくつもりです。

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2021年8月14日 (土)

スガノミクスと枝野ビジョン

新型コロナウイルスの感染拡大、猛暑、最終盤はトリプル台風という悪条件が懸念された中、ひとまず東京五輪は幕を下ろすことができました。直後の世論調査の結果は「開催されて良かった」が多数となっています。これから年月を重ねた後、本当に開催して良かったのかどうか歴史的な評価が定まっていくのだろうと思っています。

続いて8月24日に開幕するパラリンピックに向け、観客の取扱いから開催できるのかどうかの判断が求められています。中止した場合に「障害者を軽んじているという見方は出てくる」という声もあるようですが、リンク先のサイトで作家の乙武洋匡さんは「オリ・パラを分ける必要はない」というアイデアも添えながらパラ中止論について語っています。

さて、金曜日に全国の新規感染者数が2万人を超えました。東京五輪の閉幕後、政府や小池都知事は人流抑制を強く要請しています。一方でIOCのバッハ会長の銀座散策に対し、丸川五輪担当相は「不要不急であるかはご本人が判断すべきもの」と発言したためネット上では「外出も帰省もすべて自己判断でいいんですね」などと不満の声が高まっていました。

さらに内閣官房参与だった高橋洋一さんは「不要不急というのはもともと本人判断でしょ。何を今更。日本で外出禁止というほどの私権制限は憲法改正しない以上ないのだから」と指摘していました。高橋さんは今年5月、ツイッターでの「さざ波」が批判を受け、内閣官房参与を辞職しています。

今回の発言も現政権を擁護している立場からの率直な感想なのだろうと思われますが、大幅な人流抑制が重要な局面だと認識している政府の足を引っ張る形となっています。もちろん個々人の言論の自由は保障されなければなりません。ただ高橋さんの考え方は菅総理に大きな影響を与えていたはずであり、『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』という書籍の著者の一人が高橋さんでした。

前回記事「コロナ禍での菅総理の言葉 Part2」の冒頭で伝えたとおり1か月半前に投稿した「政治家の皆さんに願うこと」の中で、その書籍のことを紹介していました。 このブログで菅政権のことを批評するのであれば菅総理を支える方々の考え方にも触れるべきだろうと思い、高橋さんらが執筆した書籍を読み終えていました。

その後『枝野ビジョン 支え合う日本』も読み終えたため「スガノミクスと枝野ビジョン」というタイトルの新規記事を投稿しようと考えてきました。1か月前の記事「菅内閣の支持率低迷、されど野党も」に託した問題意識のもとスガノミクスとの対比として枝野ビジョンを取り上げるつもりだったからです。

毎年、この時期は戦争を題材にした記事を投稿しています。昨年は2週にわたって「平和を考える夏、いろいろ思うこと」「平和を考える夏、いろいろ思うこと Part2」という記事を投稿していました。このような流れから外れますが、今回、ようやく「スガノミクスと枝野ビジョン」というタイトルを差し替えずに書き進めています。

2020年秋の「大阪都構想」では、新聞・市職員・共産党などがコスト増の数字を捏造し、住民の正常な判断を妨害した。こうした既得権を守って甘い汁を吸おうとする人たちを白日の下に晒すのが「スガノミクス」だ。本書は、著者2人が財務省と経済産業省の役人として得た知見をもとに、そして内閣官房参与として政権の内部から、菅首相が推し進める改革の中身を、国民の前に全て示していく。

上記はリンク先のサイトに掲げられた『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』の紹介文です。もう一人の著者は通産官僚だった政策工房社長の原英史さんで、高橋さんと各章を分担しながら執筆しています。スガノミクスという言葉は広まっていませんが、その書籍の「まえがき」の中で次のように説明しています。

既得権の打破のもと経済関係の施策に限定せず、長期政権を予想した菅政権が行なう九つの具体的な改革をスガノミクスと称したいと記されています。安倍政権は金融緩和政策、積極的財政政策、成長戦略の三つの柱をアベノミクスと称していました。

それに対し、スガノミクスは電波域帯の開放、デジタル教育、オンライン診療、オンライン行政、地方銀行の再編など個別の施策を総称したものとなっています。安倍政権を引き継いでいるため、アベノミクスの三つの柱を維持した上で菅政権は特に成長戦略を最重視しています。

コロナ禍での財政出動が欠かせない中、国債発行に躊躇する必要のない後押しとなる考え方もその書籍には書かれています。高橋さんは日銀と政府をまとめて「広い意味の政府」として連結対象のバランスシートを想定すべきと述べています。

統合政府ベースで見た時、1400兆円程度の資産のうち土地や建物など有形固定資産は300兆円弱であり、国の資産の多くが「売却可能な資産」になると説明しています。これほど多くの資産を温存しながら国民に増税を訴え、国の借金を返済しようとするのは無理筋であると主張しています。

増税に対する忌避感からも「金持ちをより金持ちにすることが社会全体の利益につながる」という新自由主義政策を推し進める立場の著者であることが分かります。新自由主義と言えば「『政商 内閣裏官房』を読み終えて』で取り上げたパソナの竹中平蔵会長が思い浮かび、やはり菅総理の有力なブレーンであり、高橋さんと同様に日本のコロナ禍を「さざ波」だと見られているようです。

成長戦略のためには九つの改革が必要であり、成長を阻害する岩盤規制の緩和が欠かせないという論調で綴られています。岩盤の中に縦割りの官僚機構の問題や既存メディアの既得権などがあり、著書の紹介文にあるとおり市職員や共産党なども「既得権を守って甘い汁を吸おうとする人たち」という2項対立の図式で描かれています。

めざすべき総論的な社会像をはじめ、個々の具体的な施策の方向性についても必ず評価すべき点と懸念すべき点が内在しているはずです。この場で逐次紹介しながら論評しませんが、『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』の中で掲げられていた個別の課題に対しても同様だろうと思っています。

その上で、より望ましい「答え」を見出すための作法として非常に気になった点について指摘しなければなりません。自分たちの考えが絶対正しく、その考え方に沿って進めようとする改革に反対する勢力は「既得権を守って甘い汁を吸おうとする人たち」と決め付けて敵対視する姿勢に危うさを感じていました。

幸いにも菅総理からそのような過激な言葉は発せられていないようですが、自分が正しいと信じた「答え」に固執し、異なる意見を進言する人たちを遠ざけがちな点が見受けられています。方針決定後には従うという大前提が守られている限り、原さんは著書の中で「異論を唱えたら左遷」などということがあってはならないと記しています。

しかし、残念ながら菅総理にその言葉は届いていないようです。芥川賞の2作品が掲載されていた『文藝春秋』を久しぶりに購入しました。特集記事『「裸の王様」につけるクスリ』の中で、側近が「総理、それをやってはいけません」「この人と会わない方がいいです」と苦言を呈すると遠ざけられるという話を掲げていました。

その結果、冷遇されることを恐れ、取り巻きはイエスマンばかりが増えています。親身にアドバイスする側近はいなくなり、菅総理のそばにいるのは「知人と部下だけ」と言われながら「裸の王様」になっていることに菅総理自身は気付いていないと書かれています。

別な頁の記事には具体的な人物名も明かし、生々しい最近の出来事を伝えています。官房長官時代から連続8年半という異例の長期にわたって菅総理を支えてきた政務秘書官の門松貢さんが6月下旬、出身の経産省に戻されました。

その交代は経済政策などを巡って珍しく菅総理に意見したところ不興を買ったことが切っかけだと記されています。さらに門松さんが経産省に戻った後、親しい官僚仲間に「首相には国家観もなければ、経済に関する知見もセンスもない」と強烈な批判をぶちまけていたことも伝えていました。

菅総理は8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に1分遅刻し、「少し前に会場に着いていたが、結果的に時間管理上の問題で遅刻してしまった。心からお詫び申し上げたい」と陳謝していました。その後、政府関係者はトイレに立ち寄ったのが理由だと明かしています。菅総理と支える周辺の関係者との連携不足を危惧する事例の一つなのかも知れません。 

月刊誌『Hanada』9月号の中で、菅総理は「いまは、ただやるべきことをやるだけです。自分がやっていることは間違っていないという自負がありますから。そこは何があってもブレません」と語っています。本当に正しい判断であれば何よりなことですが、かつてない危機の中、ぜひ、異なる意見にも率直に耳を傾け、より望ましい「答え」を見出す器量を備えて欲しいものと願っています。

予想していましたが、たいへん長い記事になっています。『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』に絞った記事タイトルにすべきところですが、冒頭に記したとおり『枝野ビジョン 支え合う日本』と対比した一連の記事内容を考えています。そのため、ここで今回の記事は一区切り付け、次回の記事を「スガノミクスと枝野ビジョン Part2」として続けさせていただくことをご理解ご容赦ください。

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2021年8月 7日 (土)

コロナ禍での菅総理の言葉 Part2

スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』という書籍を読み終えたことを紹介した記事は1か月前に投稿した「政治家の皆さんに願うこと」でした。その後『枝野ビジョン 支え合う日本』も読み終えたため「スガノミクスと枝野ビジョン」というタイトルの新規記事を投稿しようと考えてきました。

新規記事の冒頭に時事の話題を触れ始めるとその内容だけで話は広がり、途中で記事タイトルを差し替えることが続いていました。このところ新型コロナや東京五輪のことなど触れたい内容がいつもわき上がってくるからです。今回も同様なパターンになりそうですが、欲張らずに後段で「スガノミクス」だけは触れてみるつもりです。

放送プロデューサーでタレントのデーブ・スペクター氏が5日、自身の公式ツイッターで、名古屋市の河村たかし市長が、東京五輪女子ソフトボール代表の後藤希友投手(20)の金メダルにかみついた行為による謝罪会見についてつづった。

河村市長は4日に後藤の表敬訪問を受けた際、後藤の金メダルを首から提げ、いきなりかみ付く行為を行い、SNSなどで批判の的になった。河村市長は5日に謝罪会見を行ったが、紙で用意した謝罪文は棒読みだった上に、言葉まで“かんで”しまう始末だった。

この会見についてデーブ氏は、たびたび棒読みぶりが指摘される菅義偉首相の会見とかけ、「河村たかし市長の棒読みと比べて菅総理がまだアドリブに聞こえる」とツイート。2人を一気にいじり、皮肉った。

このツイートに、フォロワーからは「菅総理の方が『うまい棒』なのか」、「作文、読み慣れてるから」、「えー、棒読みの上手がいたんですね→総理がホッとしている?」と、大喜利めいたコメントが寄せられている。【Sponichi Annex 2021年8月5日

河村市長の非常識な行為は強い批判を浴び、謝罪会見の模様も上記のとおり皮肉られていました。デーブ・スペクターさんから「河村たかし市長の棒読みと比べて菅総理がまだアドリブに聞こえる」と評された菅総理はその原稿読みで信じられないレベルの大失態を犯しています。

菅義偉首相が広島市の平和記念式典で行ったあいさつの際、事前に用意した原稿の一部を読み飛ばし、野党からは6日、「非礼だ」などと批判する声が上がった。昨年9月に就任した首相にとって初めての原爆忌だったが、その後、謝罪する失態となった。

首相が読み忘れたのは「わが国は、核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力を着実に積み重ねていく」などのくだり。この後の記者会見の冒頭で、首相は「あいさつの一部を読み飛ばしてしまい、この場を借りておわびする」と陳謝した。

首相周辺は「(原稿の)紙がのりでくっついていた」と釈明するが、首相は読み飛ばしの結果、前後のつながりが不自然だったにもかかわらず、そのままあいさつを続けていた。

共産党の志位和夫委員長はツイッターで「まさか読み飛ばしとは。原爆死没者、被爆者に対して礼を失している」と非難。立憲民主党幹部も「論評以前の問題。首相は心ここにあらずなのだろう」と語った。政府関係者は「準備不足だ。政治のメッセージを軽視している」と肩を落とした。

一方、自民党のベテラン議員は「言い間違いは誰にでもある。魔が差したのだろう」と首相を擁護。首相は昨年の臨時国会などでも用意された原稿の読み間違いが相次ぎ、周囲が休養を勧めたことがあった。同党幹部は「相当疲れている。ずっと休んでいないので、1日ゆっくりしたほうがいい」と語った。【JIJI.COM 2021年8月6日】 

確かに激務が続き、疲れもたまっているのだろうと思われます。しかし、首相周辺の「紙がのりでくっついていた」という釈明などは論外であり、ご自身の式典に臨む重要な立場を考え、被爆者の皆さんの辛苦に少しでも思いを寄せているのであれば絶対あり得ない失態だったと言わざるを得ません。

国民の命と生活を守るため最も重い責任と役割を負っている総理大臣は、どれほど疲労していたとしても常に最適な判断を下し続けなければなりません。仮にそのような激務が耐えられない健康状態であれば身を引くことも決断しなければならないほどの重責だろうと思っています。

たいへん残念ながら前回記事「コロナ禍での菅総理の言葉」に示したとおり菅総理の言葉は国民の心に響かなくなっています。言い間違いや読み飛ばしという問題にとどまらず、その政策判断に至った理由や真意を的確に発信できないため無用な混乱を生じさせ、本質論から外れた批判を受けがちです。

新型コロナウイルス感染者の入院を制限し、軽症なら自宅療養を基本とする政府の方針転換について、加藤勝信官房長官は3日の記者会見で「若い世代での感染が急拡大している」と危機感を示し、「重症患者が確実に入院できるようベッドを確保する」と述べた。

政府は今回の方針転換を2日の関係閣僚会議で決めた。これまで入院とされていた軽症患者らは原則として自宅療養とし、感染急増地域での入院は重症患者を基本とするよう都道府県に求める。ただ、軽症でも症状が急変するケースもあるなど、政府方針への懸念がすでに浮上している。

加藤氏は今回の方針転換について「感染者が増えており、新しい考え方を打ち出した」と説明。「すぐに入院できず自宅療養の方も増えている」として重症者向けの病床確保を急ぐ必要があると強調し、「今後は入院患者以外は自宅療養を基本とし、家庭内感染などの事情がある方には宿泊療養を活用する」と述べた。【朝日新聞2021年8月3日

上記の方針転換に関する発表に際しても物議を醸し、メディアの大半が批判的な論調で伝えています。日頃から菅政権を批判的な日刊ゲンダイは『菅政権「自宅待機」はご都合主義の極み “入院拒否なら牢屋行き”から一転の無為無策』『「入院制限」は誰の発案なのか “独断会議”の出席者は5人、与党内からも突き上げの嵐』という見出しを付けて報道しています。

政府対策分科会の尾身会長にも知らせず、与党に対する根回しもなく、唐突な方針転換でした。そのため公明党とともに自民党内からも見直しを求められ、当初の方針案の内容は一部手直しされています。今回、菅総理は「撤回しません。引き続き丁寧に説明していく」と答え続けています。

その説明の内容は「重症患者や重症化リスクの特に高い方には確実に入院していただけるよう必要な病床を確保します。それ以外の方は自宅での療養を基本とし、症状が悪くなれば、すぐに入院できる体制を整備します」とし、「感染が拡大している地域では、中等症でも症状によっては自宅療養とすることを決めました」というものです。

必要な病床を確保と言いながら絶対数を増やした訳ではありません。さらに感染拡大の地域に限るということは本来であれば受け入れたくなかった方針転換だったという説明を加えていることになります。このような説明で感染拡大地域の方々の不安が取り除かれるものと本当に考えられているのでしょうか。

このブログを長く続けている中で多面的な情報をもとに判断していくことの大切さを強く意識するようになっています。夕刊フジは『深刻、菅政権の“説得力” 自宅療養方針に与野党から反論噴出 八幡氏「広報力強化を」 木村盛世氏「極めて妥当な措置」』という少し視点を変えた記事を掲げています。

政府が新型コロナウイルスの感染拡大に伴う病床の逼迫に対応しようと、重症者や重症化のリスクが高い患者以外は基本的に「自宅療養」とする新たな方針を打ち出した。これに対し、与野党から異論・反論が噴出し、4日の国会は紛糾した。政府から与党への根回し不足は否めず、国民への説明不足もあらわになった。コロナ禍で、菅義偉政権の「説得力不足」は深刻だ。

「酸素吸入が必要な中等症の患者を自宅でみることはあり得ない。政府方針の撤回も含め、検討し直してほしい」4日の衆院厚労委員会で、公明党の高木美智代政調会長代理は、こう政府をただした。自民党のコロナ対策に関する会議でも同日、「聞いていない!」と撤回を求め、突き上げる声が上がった。

突然の入院基準の転換に、国民の間には「単身の場合、療養中に容体が急変すれば、誰がどう入院のタイミングを計るのか」「家族がいれば家庭内感染を広げかねないのでは」などと不安が広がっている。

これに対し、田村憲久厚労相は前出の衆院厚労委員会で、「一定程度、ベッドに余裕がないと急遽、搬送ができない。重症化リスクが低い人は在宅でということを先手先手で打ち出した」と理解を求めた。

菅首相も4日夜、「必要な医療を受けられるようにするためだ。丁寧に説明して理解してもらう」と、官邸で記者団に撤回しない意向を示した。対象地域も「東京など爆発的感染拡大が生じている地域で、全国一律ではない」と説明した。

医療行政の専門家はどう見るか。元厚労省医系技官の木村盛世氏は「これまで軽症・無症状でも入院させてきたことが問題だ。いまや高齢者へのワクチン接種も進み、重症化率は下がっている。今回の措置は極めて妥当であり、医療体制も改善される。むしろ、遅すぎたくらいだ。病院に行かなければ酸素吸入ができないというのは誤解だ。在宅医療もかなり進み、実施可能だ。あとは医師会が頑張れば問題はない」と語った。

ならば、これは政府の「説明不足」「説得力不足」ではないのか。評論家の八幡和郎氏は「政府の対応が、狙いとは反対の意味で国民に取られ、誤解が生じることがある。今回は『あくまで訪問看護の充実を目指すものなのだ』と強調すべきだ。菅政権には、コピーライター的な才能を持つスタッフがいない。急いでそろえ、広報・発信機能を強化すべきだ」と語っている。【ZAKZAK2021年8月5日

参考にしたサイトの内容をそのまま掲げていくと、それだけで相当な長さの新規記事となります。今回も「スガノミクス」に触れることは避け、途中で記事タイトルを前回の内容から連なる「コロナ禍での菅総理の言葉 Part2」に変えています。いつも余計な話を差し込み、たいへん恐縮です。もう少し続けます。

木村元技官の問題意識を踏まえた措置であれば「もう少し新型コロナについて」の中で示した感染症の分類見直しの問題につながることになります。そうであれば法的な改正論議が必要とされ、全国一律に適用されていく見直しの問題です。このような背景を菅総理らは理解した上で方針転換をはかったのか、単なる急場しのぎの苦肉の策なのかどうか分かりません。

そもそも今回の政治的な判断の方向性が望ましいものだったのかどうか分かりません。いずれにしても救える命が救えなくなるような医療崩壊は何としても防いで欲しいものと願っています。最後に、今回の問題で「なるほど」と思えたサイトの記事を紹介させていただきます。『Dr.和の町医者日記』で有名な長尾和宏医師の「自宅療養者にも在宅主治医と必要な薬を」です。

国は180度方針転換したが、説明不足なので国民の反発と不安を煽る恰好になっている。3つの前提条件をちゃんと説明するべきだ。たとえば坂上忍さんは、こう発言している。「政府が医療逼迫を認めたに等しい」と。 →こちら

在宅療養に対して洪水のような疑問や反論が出ているが政府の説明不足であり、今からすぐに追加説明すべきだ。政府の代わりに僕が、医療タイムスの8月6日号に書いた。

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医療タイムス2021年8月6日号  在宅療養者全員に主治医と薬を   長尾和宏

8月2日、BSフジのプライイムニュースに2時間生出演した。「開業医による早期診断と早期治療」、「抗体カクテル療法を施設や在宅でも使えるように」、「軽症者の自宅管理は保健所ではなく在宅医が担う」、「五輪後は五類感染症に」など、多くの提案をした。

翌8月3日、さっそく菅総理と田村厚労大臣は「軽症者は自宅療養が基本」と記者会見し、日医の中川会長も同調した。これまでの病院を柱にしたコロナ政策が180度転換されたわけだが、基本的な説明が抜けているために各界から大きな反発が起きている。  政府が早急に国民に説明すべきは以下の3点かと思われる。

1) すべての自宅療養者に地域の在宅主治医をつける。24時間の連絡体制を構築したうえで毎日のオンライン診療を必須とし、必要なら医師の往診や訪問看護を提供する。

2) 軽症ないし中等症Ⅰの患者さんにも必要な医療を提供する。対症療法だけでなく、保険請求できるイベルメクチンや少量のステロイドも使用する。また、感染予防体制などの施設基準を満たした診療所には厚労省が直接、抗体カクテル(商品名ロナプリーブ)を送り在宅で点滴できる体制を整える。対象は50歳以上の基礎疾患を有する軽症患者である。肥満や喫煙などハイリスク者の認定は在宅医が行う。

3) 保健所の指示がなくても開業医がコロナ医療を提供できる。また重症化しそうであれば開業医が直接病院と交渉するなど通常の病診連携をできる体制を整える。そのためには、COVID19の位置づけを現在の「新型インフル等感染症」から「5類感染症」に早急に移行させるため国会審議が必要がある。強制入院の1類相当と整合性が失われるので当然だ。

以上の3点が、「在宅療養を基本とする」の前提条件となる。しかしそのような説明が無いので野党の反発や市民の不安を煽っている。厚労省は自宅療養者への往診に加算を設けた。しかしこれも肝心の前提条件が抜けている。ただただお金で開業医を誘導しようとしても前提条件が整わないと机上の空論になる。在宅療養者全員に在宅主治医と必要な薬を提供することが、在宅療養の大前提である。

さて、今後の開業医はこうした政策転換に乗るのか乗らないのかに迫られる。ただ第四波と第五波の大きな違いは、医療従事者が既にワクチンを打ち終えていることである。それでも感染する可能性はあるが、もし感染した場合は労災適応とともにその日のうちに抗体カクテル療法を提供することを確約すれば新たにコロナ診療に取り組む開業医が増えるのではないか。

内科系開業医の半数以上がコロナ診療に取り組めば感染者が増えても対応できるはずだ。毎日発表される新規感染者数にみな驚くが冷静に考えて欲しい。重症者数や死亡者数はそれほどではない。インフル蔓延時はもっと大きな数字になる。しかも5類ならば定点観測だけで充分だ。また開業医で診断・治療できるので、感染者が増加しても医療崩壊に至らないことを思い出して欲しい。インフルと同様な対応をすることで、「コロナ=死ぬかもしれない怖い病気」という市民の洗脳を解くことができる。また開業医もクラスターや風評被害を心配しなくてもよくなる。

大きな第五波こそ5類への移行のチャンスだと思う。できれば五輪後すぐにやって欲しい。「5輪後は第5波を克服するために5類へ」と、「3つの5」をテレビで提案したが、まずは賛同してくれる医師が増えることを期待する。

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朝からいくつかのメデイアから問い合わせが殺到している。今週、またテレビなどで以上のような説明をすることになりそうだ。

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