コロナ禍での菅総理の言葉
前回の記事は「57年ぶりの東京五輪が開幕」でした。その記事の最後のほうで「やはり日本人選手を中心に応援したいものと考えています」と記したとおりメダルがかかった瞬間をテレビで連日観戦しています。同じカンセンでも新型コロナウイルスの感染は非常に憂慮すべき事態が拡大しています。
東京都の感染者数は3日連続で3千人を超え、ついに土曜日には4千人を超えています。金曜の夜、大阪、埼玉、千葉、神奈川の4府県に対する緊急事態宣言の発令に伴い菅総理の記者会見が開かれました。同席した政府の分科会の尾身会長は「危機感を国民が共有できていないのが最大の問題」と訴えています。この記者会見の模様はリアルタイムで視聴していました。
日頃から菅政権を批判的な立場のメディアであるAERAdot.は 『意味不明のガースーはぐらかし首相会見を徹底検証 記者席からは大きなため息も』という見出しの記事を発信しています。数日前、東京五輪の中止の可能性について尋ねられた際、菅総理は「人流も減っていますし、中止しません」と即答していました。
このことについてフジテレビの記者から「東京オリンピックを中止しない理由として、人流が減っていると述べたが、その認識は変わりないか」「ワクチン接種も進み、人流も減っているのであれば、首都圏でここまで感染が急拡大することはないのではないか、という指摘もありますが、見解は」という質問がありました。
この質問に対し、菅総理は「開催するにあたりIOCに対して18万人くらい、選手や関係者が日本に来る予定でしたが、それを3分の1にお願いさせていただいた」「視聴率は非常に高いようで、ご自宅でご覧になっている方が多分たくさんいらっしゃるのだろう」「それとこの大会を無観客にして開催をさせていただきました。そうした点から私が申し上げたところです」と答えています。
私自身も視聴していましたが、記者の質問に的確に答えていないやり取りが目立っていました。「ワクチンの効果ばかりを発言して国民の危機感の欠如につながっているのではないか」という質問に対しては「ワクチン接種こそが決め手」と改めてワクチンの効果を強調していました。このような噛み合わなさから前述した見出しに至っているようです。
「もし感染の波を止められず、医療崩壊して、救うべき命が救えなかった時、首相を辞職する覚悟はあるか」という問いかけに対し、菅総理は「水際対策をきちっとやっています」と答え、辞職の覚悟については触れませんでした。質問した記者が再び「辞職の覚悟について教えてください」と尋ね、菅総理は「しっかりと対応することが私の責任で、私はできると思っています」と発言しています。
総理大臣の職責の重さを考えれば「救うべき命が救えなかった時は辞職します」と軽々に答えられないのかも知れません。ただ国民に対する強い決意や覚悟を伝える機会として、もう少し違う言葉を発せられなかったのかどうか物足りなさを感じています。
「そうならないように全力を尽くすことが私の責務であり、結果が伴わなかった場合、最も重い責任は私自身が負うべきものと考えています」というような覚悟が前面に出た言葉を示して欲しかったものと思っています。先々の出処進退を縛られるような言質を残したくないという警戒感から曖昧にしたとすれば感染拡大を阻止する自信のなさの表われのようにも見られてしまいます。
大言壮語は似合わない菅総理の実直さの表われなのかも知れませんが、確かに「これでは会見の意味がない」と批判されても仕方のない記者会見だったと言わざるを得ません。しきりにオリンピックを自宅でテレビ観戦することを推奨されていますが、そもそも関係者以外はテレビでしか観れませんので「外出は控えて」という言葉を必ず前に添えなければ感染対策としてのメッセージ性は薄れがちです。
記者会見での「新たな日常を取り戻すよう全力を尽くしてまいります」という言葉も気になりました。記者との質疑応答ではなく、読み上げた冒頭発言の中のものです。「以前のような平穏な日常を取り戻す」ではなく、マスク着用等が欠かせない「新たな日常」であれば残念な目標であり、「取り戻す」という表現も適切ではありません。
菅総理は「感染拡大とオリンピックとの関連性はない」と言い切られています。この発言も説明が不足し、国民の多くから共感を得られるような言葉ではありません。入国にあたっての水際対策をはじめ、選手や関係者をバブル方式で行動制限するなど対策を講じているため、感染拡大の直接的な原因にはなっていないという説明であることを理解しています。
しかし、それらの対策が万全だったのかどうか問われています。さらに少し前の記事「責任者は誰なのか?」「コロナ禍での雑談放談」「もう少し新型コロナについて」の中で訴え続けてきたことですが、開催する限りリスクゼロはあり得ません。一方で東京五輪の中止を決めた場合、開催に伴う人流はなくなり、東京五輪に関連した感染リスクはゼロとなります。
このような点を踏まえれば「関連性はない」と言い切ることに違和感が生じてしまいます。少し前の記事の中では「もともと過度に社会生活や経済を痛めるロックダウンに近い抑圧策には懐疑的な立場ですので、主催者が納得性の高い説明責任を果たした上で開催を決めるのであればその判断を尊重したいものと考えています」と記しています。
あわせて感染対策を整えて東京五輪の開催を予定するのであれば、感染対策を整えているデパートや映画館などに対する規制を緩和しなければ一貫性がなくなることも指摘していました。同様に感染対策に努力してきた居酒屋等に対する規制も緩和すべきものと考えていました。もちろんマスク着用など必要な感染対策は緩めず、コロナ禍が収束するまで緊急事態であるという認識を持ち続けることの重要性も訴えています。
しかしながら驚きの4回目の緊急事態宣言が発令される事態に至っていました。東京五輪は予定通り開催しながら緊急事態宣言を発令するという支離滅裂な動きでした。残念ながら緊急事態という政府や自治体からのメッセージは色あせ、その効果が期待できなくなっています。「五輪をやっていることが、外出自粛とは逆のメッセージに受け取られている」という指摘のとおりの事態だと言えます。
感染拡大と東京五輪との直接的な関連性は確かに薄いのかも知れません。しかし、東京五輪の開催が国民の意識の変化に影響を与え、個々人の感染対策の緩みをもたらしていることも確度の高い見方だろうと思っています。したがって、菅総理の「感染拡大とオリンピックとの関連性はない」という言葉は勇み足な印象を抱いていました。
「中止はあり得ない」という考え方に固まっているため、東京五輪の質問に限ってはとっさに断定調に答えてしまうのかも知れません。菅総理の心の奥底には日本の感染状況が海外に比べれば「さざ波」に過ぎないというとらえ方を秘めているのだろうと推測しています。実は今回も「スガノミクスと枝野ビジョン」という記事タイトルは早々に差し替えています。
このブログの中で取り上げる予定の『スガノミクス 菅政権が確実に変える日本国のかたち』という書籍の著者の一人は内閣官房参与だった高橋洋一さんです。今年5月、高橋さんはツイッターでの「さざ波」が批判を受け、内閣官房参与を辞職しています。菅総理が高橋さんと同じような見方を強めていれば東京五輪を中止するという選択肢はあり得ないのだろうと想像できます。
ここまで感染者数が増えてしまうと強いブレーキも必要なのかも知れません。今さらながら2回目の緊急事態宣言を解除した頃の対応が岐路だったように思っています。東京五輪は感染対策に万全を尽くしながら開催することを宣言し、社会生活や経済に過度な痛手を生じさせる人流抑制策を緩和しながら必要な感染対策の継続を訴え続けたほうが、現状のような急激な感染拡大は防げたように思えてなりません。
菅総理が懸命に動いていることも承知しています。このブログは菅総理を支持している方々もご覧になっていることを念頭に置きながら書き進めています。安倍前総理のことを取り上げる時も意識していたことですが、誹謗中傷に近い個人攻撃や「批判ありき」の記述は避けるように努めています。
私自身の責任で綴る文章であれば「何が問題なのか」、なるべく具体的な事例を示しながら「だから、このようにして欲しい」という懇願的な内容を投稿してきています。今回の記事内容も菅総理に対して僭越で、辛口な論評だったはずです。より望ましい政治の実現を期待するからこそのお願いであり、次回以降「スガノミクス」を改めて紹介しながら、よりいっそう深掘りできればと考えています。
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