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2021年6月 6日 (日)

もう少し新型コロナについて

前回記事「コロナ禍での雑談放談」のコメント欄に勤続20年超さんの切迫した思いが伝わるご意見をお寄せいただいています。私自身への直接的な問いかけや反論ではないことをお断りいただいていますので、今回、そのコメントに沿ったレスとしての内容を書き進めるものではありません。

ステイホームが続く中、新型コロナウイルス感染症に関する著書を最近立て続けに読み終えていたことをお伝えしていました。適菜収さんの『コロナと無責任な人たち』、峰宗太郎さんと山中浩之さんの対談本『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』、小林よしのりさんの『コロナ論3』、鳥集徹さんの『コロナ自粛の大罪』です。

読み終えた著書の中で特に興味深かった新型コロナを2類相当に位置付けている問題などに関し、前回記事の中では触れられませんでした。今週末に投稿する新規記事のタイトルを「もう少し新型コロナについて」とし、これまで深く掘り下げていなかった病床数の問題なども含めて書き進めてみるつもりです。

まず病床数の問題です。日本国内の医療機関には約160万の病床があり、人口千人当たり13床は世界最多の水準です。さらに日本の新型コロナウイルスの感染者数は欧米各国に比べて桁違いに少ないのにも関わらず、病床の逼迫が常に問題視されています。緊急事態宣言も病床の逼迫を防ぐためという理由が真っ先に上げられます。

新型コロナの重症者を受け入れる病床数さえ充分確保できていれば、これほどまで社会生活や経済に影響を及ぼさずに済んでいたのかも知れません。このような事態に至っている背景として、病床の数に比べて医師など医療スタッフの数が少ないことや、感染症対策の設備が整わない規模の小さい病院の多さなどが指摘されています。

特に注目した現況として『コロナ自粛の大罪』の中に次のような事情が説明されていました。日本の医療機関は民間が8割で、公的医療機関は2割にとどまっています。民間の医療機関には国や自治体の指揮命令系統が及ばず、容易に転換できないという現状が説明され、南日本ヘルスリサーチラボ代表の森田洋之医師は次のように補足しています。

医療を競争原理に任せて運営してきたために、医療機関同士がライバルになってしまっている。平時では、それが医療の質やサービスの向上につながるけれど、有事になるとうまく連携がとれない。そうしたことを放置してきたツケが、コロナ禍になって回ってきたのだと思うのです。

日本医師会をはじめ、民間の医療機関側から新型コロナ重症者を簡単に受け入れられない理由として「院内感染が起こり、クラスターが発生すると、病院を閉鎖せざるを得ず、経営が立ち行かなくなる」という声が上げられています。倒産リスクの心配も公的医療機関であれば、ひとまず考える必要はありません。

このあたりの関係性は行政のアウトソーシング最適なあり方として別な機会に改めて掘り下げてみたいものです。今回の記事では新型コロナの問題に絞り、続いて感染症の分類の問題について考えてみます。1999年4月1日から「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」に基づき感染症は下記のとおり分類されています。

  • 1類感染症 ~ 感染力や罹患した場合の重篤性など総合的な観点から危険性が極めて高く、原則的に感染症指定医療機関に入院が必要な感染症です。全例届出が必要とされています。エボラ出血熱、クリミア・コンゴ熱、痘瘡、南米出血熱、ペスト、マールブルグ病、ラッサ熱の7疾患が該当します。
  • 2類感染症 ~ 感染力や罹患した場合の重篤性など総合的な観点から危険性が高く、状況に応じて入院が必要な感染症です。全例届出が必要とされています。ポリオ、結核、ジフテリア、SARS、MERS、鳥インフルエンザの6疾患が該当します。
  • 3類感染症 ~ 総合的な観点から危険性は高くありませんが、特定の職業への就業によって感染症の集団発生を起こす可能性があるため、特定職種への就業制限が必要な感染症です。全例届け出が必要とされています。コレラ、細菌性赤痢、腸管出血性大腸菌感染症、腸チフス、パラチフスの5疾患が該当します。
  • 4類感染症 ~  蚊や脊椎動物、飲食物を介して伝播する感染症のうち人から人への伝播が比較的少なく、動物や飲食物の消毒や廃棄、移動制限などの処置が蔓延防止上有効である感染症が該当します。全例がサーベイランス報告の対象となります。A型肝炎、E型肝炎、ウエストナイル熱、オウム病、Q熱、狂犬病、鳥インフルエンザの一部、サル痘、炭疽、デング熱、ジカウイルス感染症、日本脳炎など全部で44疾患が該当します。
  • 5類感染症 ~  国が発生動向調査を行ない、必要な情報を提供・公開していくことによって発生・拡大を防止すべき感染症です。5類感染症には重症度、感染経路や感染力の強さ、発生頻度において様々なものが混在していますが、22種類の全数把握(全数届出)感染症と26種類の定点把握(定点届出)感染症の2つに大別されています。基本的に発生頻度の低い感染症を全数把握し、頻度の高い季節性インフルエンザなどは定点把握に分類しています。

新型コロナは国内での感染者が確認され始めた昨年1月、指定感染症に指定されました。当初、特徴や危険度、感染状況が見通せなかったため、既存の分類にせず、原則1年、最長2年を限度とする2類相当の指定感染症に暫定的に位置付けていました。法律上、再延長できないため、数年単位にわたる対応を想定し、年内には正式な分類を決めることになります。

2類相当に位置付けられている新型コロナが院内感染した場合、診療の2週間停止命令を受けます。ブログ『Dr.和の町医者日記』で有名な長尾和宏医師は「なんで民間病院でコロナ診ないの?」「開業医は逃げているの?」などという問いかけに対し、下記のような事情や問題意識を訴えています。

開業医の2週間停止というのは、一般労働者がコロナになったから2週間家で寝ておきなさいというのと、まったく違うんです。僕らをかかりつけにしている患者さんが何千人っているんです。さらに、うちの場合は在宅の患者600人の命を放棄することになる。停止命令を下されることは死刑宣告なんです。なぜそういうことが起こるのか。コロナが2類相当だからです。

コロナで保健所が介入して、いいことなんかありません。保健所だって2類相当だから対応している。人手が足りなくて大変なんだったら、地域の医療機関に権限を委譲したらいいじゃないですか。インフルエンザと同じように現場の医師の裁量権を認めて、週に何人コロナの患者が出たか報告させる。保健所は定点観測で感染動向だけ把握したらいいんです。毎日毎日、陽性者数を報告させて、一喜一憂する必要なんかありません。

新型コロナが2類相当であるため、厳重な感染防御が欠かせず、呼吸管理に通常の4倍程度の人手が必要とされています。季節性インフルエンザと同じ5類感染症に位置付ければマンパワー不足をはじめ、病床逼迫の問題は劇的に解決していくという主張が『コロナ自粛の大罪』の中で随所に展開されています。

そのような主張に至る大前提として新型コロナの脅威はインフルエンザ並み、もしくはインフルエンザよりも怖くないという認識があるからです。複数の専門家が科学的なデータ等をもとに断言されているのですから、ほぼ間違いのない認識なのだろうと思っています。すでに日本人は集団免疫を獲得している、このような見方も事実なのかも知れません。

ただ感染対策を緩めてはならない局面が続いていることも確かだろうと考えています。マスク着用など感染対策に努めているからこそ日本は「さざ波」にとどめられ、もし対策を一気に緩めた場合、インドのような感染爆発につながることが決して「対岸の火事」ではないものと認識しています。

そのため、2類相当をインフルエンザと同様な5類に変えることで一人一人の感染対策に向けた意識が低下することを危惧しています。現在、出遅れていたワクチン接種が加速しています。国民の半数以上がワクチン接種を受ければ集団免疫を獲得できると言われています。そのような時期を見据えながら2類相当を見直すタイミングは急がないことが適切であるように思っています。

勤続20年超さんがワクチン接種に対する危険性を強く訴えられています。ワクチン接種後の死亡例が報道され、その中には基礎疾患のない26歳の看護師の方が含まれていました。因果関係や死亡率の評価は定まっていませんが、リスクよりも接種することのメリットが推奨されています。

しかし、これまで人類が接種したことのない新しいタイプのワクチンであり、今後、どのようなリスクがあるのかどうか分からないという現状であることも確かです。したがって、ワクチン接種を拒む方々は一定の割合で増えていくはずです。その際、拒む方々が不当な差別を受け、同調圧力で接種を強要されていくような事態は避けなければなりません。

このような問題意識があるため、前回記事の中でも「ワクチン接種は希望される方々」という言葉を使っていました。このあたりはマスク着用と切り分けた考えを持っています。マスクは飛沫感染を防ぐ効果を期待しているため、人に移さないためのマナーとしても会話する時などは必ず着用して欲しいものと思っています。

最後に、今回も東京五輪について触れさせていただきます。尾身会長の「今の感染状況で開催は普通はない」という衆院厚労委員会での発言が波紋を広げています。私自身、前回記事の中で「主催者が納得性の高い説明責任を果たした上で開催を決めるのであればその判断を尊重したいものと考えています」と記しています。

尾身会長の端的な言葉が注目を集めていますが、発言の趣旨は私自身の思いと同様に説明責任の不充分さを指摘されているようです。線引きが曖昧だった人流抑制、感染対策に力を注いだ居酒屋等に対する休業要請などの対比から政府や東京都の対応が分かりづらくなっています。ある面で強い措置を課しながら東京五輪だけは「開催ありき」の姿勢が、ますます分かりづらくしていました。

どのような対策を講じても開催する限り感染リスクはゼロにならないことを率直に示した上で、最大限低減する対策を具体的に提示しながら開催することの意義等を説明していくことが必要なのではないでしょうか。このような考え方のもとに制約している要請内容を見直していく、つまり感染対策を講じることを最重視しながら経済活動の範囲を広げていくことが求められているように思っています。

東京五輪の開催にあたって注意しなければならない点として、2類相当の見直しの問題と同様、一人一人の感染対策に向けた意識の変化です。宣言が解除された後も宣言の有無に関わらず、コロナ禍が収束するまで緊急事態であるという認識を持ち続けなければなりません。東京五輪を楽しみ、必要な外出や会食の機会が増えても、マスク着用など感染対策を緩めないことが重要です。

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コメント

 OTSUさん、実は今日ZOOMで、所謂オンライン飲み会をしました。

 飲み会をした相手は、かつての労組役員の大先輩。皆、定年退職して悠々自適な先輩です。

 で、新コロの話になりました。

 驚くことに、先輩達は皆、20歳未満の若者達に死者、重症者がゼロであることを知りませんでした。

 というか、東洋経済のコロナ関連の統計データのHPも、札幌医科大の世界規模のデータを集めたHPも知りませんでした。

 一年以上も経ち、一般的に国民の社会生活に多大な、深刻な、甚大な影響を及ぼした新型コロナ自粛生活ですよ。失業や廃業、非正規の解雇等、働く者に悲惨な被害が生じています。

 なのに、客観的な、公表された、新型コロナに関するデータすら見てもいないのです!新型コロナによる人権侵害の有無など、一顧だにしない左派の残念な実像を見せつけられた思い。落胆です。  

 いや、彼らは現役時代、敬愛する先輩達でしたよ。

 しかし、時を経て、二十歳未満の若者達に新型コロナの死者や重症者がいないことすら知らない彼らはただのコロナ脳でした。それが、彼らの本質なのでしょうか?一年以上この新型コロナ騒動が続き、女性や若者の自殺が明確に増えたのに、新型コロナに関する客観的データすらキチンと把握していない。彼らは超過死亡のデータも知りませんでした。この1年間で日本の死者が減っていることも知りませんでした。「大本営発表」に何の本質的批判も出来なかった左翼、その歴史的過ちを今また繰り返しているのでしょう。

 いずれにせよ、左翼はいつからこんなにも弱者に冷淡になったのでしょうね?やはり、正規の公務員の労組役員なんて労働貴族でしかないのですかね?

 非正規の女性や若者が、いくら新型コロナ騒動により、悲惨な状況や生死を彷徨うとも、単に「いのちと暮らしが大事」みたいな、無意味な呪文を唱えれば、左翼は免罪されるのでしょう。

 

投稿: 勤続20年超 | 2021年6月 9日 (水) 23時38分

勤続20年超さん、いつもコメントありがとうございます。

今週末に投稿する新規記事は少し角度を変えたタイトルを予定しています。それでも東京五輪について触れていくものと考えています。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いです。

なお、もしかしたらお気付きでないのかも知れませんので一言添えさせていただきます。前回記事のコメント欄にAlberichさんから勤続20年超さんへのご質問が寄せられています。すでにお気付きだった場合は余計な一言であり、たいへん申し訳ありません。

投稿: OTSU | 2021年6月12日 (土) 06時27分

COVID-19の厄介なところは、中等症以上を見ている病棟の現場の医療従事者と、初期対応や軽症者の対応に当る医療従事者の間で、「おそらくは見えている景色が違う」というところです。

COVID-19の死亡率は、甘く見ても季節性インフルエンザの十倍を超えます。死者の絶対数が少ないのは、感染者の絶対数が少ないからです。

私が思うに、季節性インフルエンザとのフィットギャップが一つでも解消されない限りは、五類相当にするのは危険です。二類と比して無防備に患者を受け入れた医療機関を起点に、重症患者を量産することになりかねない危うさがあります。

ただし、中等症以上に対応する関係者も「季節性インフルエンザとのフィットギャップが一つでも解消されたら、その時は五類でいけるだろう」というスタンスの方が相応に居られます。

==== それはさておき、

日本の医療体制の「質的な貧弱さ」というのは、病棟の現場にいれば明々白々な話で。

病床一つ当りの看護スタッフの数はアメリカの三分の一以下で、先進国中ダントツの最底辺。
純粋なICUの数は、アメリカの14分の1です。

COVID-19の重症者となると、普通の状況の二倍から三倍の看護スタッフが必要です。
COVID-19の中等症以上の患者さんを一人受け入れたら、他の疾患の入院患者三人に病棟から退去して貰うことになります。それは中等症以上のCOVID0-19患者に対応するためにスタッフを集中させた結果、担当するスタッフがいなくなるからです。

結果として、見た目の総病床数に占める稼働病床の割合は、COVID-19に対応すればするほど低下します。
担当するスタッフをCOVID-19対応に吸い上げて、担当するスタッフがいなくなれば病床の利用を放棄するしかありませんので。

元々「パンデミックにマトモに対応できるような体制として構築されていない」のですよ。
それは、新型インフルエンザの頃から現場では警鐘を挙げていて、
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「新興感染症の流行によって、ホントの意味でのパンデミックが起きたら、医療体制は無力」だから、「国民各層に負担(金銭的とは限らない)を受け入れて貰って、年単位の時間をかけて”構造の転換をするしかない”」し、そうでなければパンデミックが起きたらあっさり破綻する。
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といっては、誹謗中傷や罵詈雑言を受けてきたわけですよ。
それこそ、「医療関係者が利権を大きくしようと必死だ」とか、「公務員が甘い汁を吸い続けるために公立病院の維持に必死だ」とかね。
当時は医師会も今とは正反対の文脈で批判されてきたのです。

おかげで、今では国公立病院の殆どは「非公務員型の独立行政法人」ですので、「要請は出来ても命令による動員は出来ない」わけでしてね。

警鐘を鳴らして誹謗中傷を浴びてきた立場としては、「今更医療体制の質的な脆弱さを批判されても困る」わけです。はい。
今も昔も、みなさん「見た目の量(数)」でしか計ってませんからねぇ。

投稿: あっしまった! | 2021年6月19日 (土) 20時19分

感染症法に基づく「感染症分類」というのは、[所詮は人間が便宜上貼り付けたラベル]でしかありません。

例えば、[五類に指定したとしても(五類というラベルに張り替えたとしても)、疾患の性質そのものは何も変わらない]のです。

今、中等症以上とりわけ重症以上の患者対応に当っている現場が疲労困憊している(看護スタッフの不足に喘いでいる)のは、[指定感染症というラベルを貼り付けているからではありません]で、[ラベルの問題ではなく、疾患の態様がそれだけ厄介だから]です。

この辺り、一言で医療従事者と言っても、ホントに[見えている景色が違う]と傍目に感じ取れるような断絶があるように思います。

投稿: あっしまった! | 2021年6月19日 (土) 20時47分

あっしまった!さん、お久しぶりです。コメントありがとうございました。

このように詳しく解説いただき、本当に有難く感謝しています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、貴重な情報やご意見をお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月20日 (日) 06時19分

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