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2021年5月 9日 (日)

3回目の緊急事態宣言も延長

3回目の緊急事態宣言」「3回目の緊急事態宣言 Part2」と続き、新規記事のタイトルを「Part3」として書き進めることも考えました。とは言え、この記事タイトルをパターン化すると切れ目なく続きそうですので今回は「3回目の緊急事態宣言も延長」というタイトルに落ち着いています。

最初に示された17日間という期限の短さが懸念されていましたが、案の定、3回目の緊急事態宣言も延長されます。東京や大阪など4都府県に発出している新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言について、期限を11日から5月末まで延長し、新たに12日から愛知県と福岡県が加えられます。

1千平方メートル超の大型商業施設に休業要請していましたが、午後8時まで営業を認めるよう緩和します。ただ各知事の判断で休業要請が続けられます。そのため、東京都と大阪府は大型商業施設の休業を引き続き要請することを決めています。

酒類などを提供する飲食店への休業要請は維持し、酒の持ち込みを認めている店も新たに休業要請の対象とします。路上での集団飲酒など感染リスクが高い行動も特措法に基づいて自粛を要請します。原則無観客としていたスポーツなどのイベントの制限は緩和し、入場者を収容人数の50%を上限に最大5千人とし、午後9時までの開催を要請します。

参院議員の音喜多駿さんがブログ『「宣言延長」と「対策緩和」という矛盾。不公平感も高まる、リスクコミュニケーションの失敗』の中で「効果がなかったからやめました」「経済を重視することにします」と言ってくれれば分かりやすいですが、そうではないというので、さらに訳が分かりません、このように記しています。

今回の緊急事態宣言延長は「感染症を徹底的に抑え込むという観点からも、経済を回すという観点からも極めて中途半端な施策内容」であることを強調し、「国と地方の役割分担も相変わらず不明確で、自治体は十分な財源がないままに独自施策に走ることになる」とブログを通して訴えています。

最近、他のサイトの紹介を多用しながら様々な主張や情報を発信しています。必ずしも基本的な立ち位置が私自身と近い方々ではないのかも知れませんが、共感できる興味深い記述については情報拡散という意味合いで紹介しています。そのような意味合いから『橋下徹氏、緊急事態宣言延長方針の政府に「ハチャメチャ。ちぐはぐだらけ…国民付いて来ない」』で目にした橋下さんの言葉も紹介します。

人流抑制なのか感染リスクを抑えるのか。だいたい2つに分けて、きちっと政府は腹をくくらなきゃいけないんです。政府がもし人流抑制と旗振ったんなら、百貨店以外も全部止めないといけない。通勤も。それからオリンピックのテスト大会なんかやっている場合じゃない。

だけど、感染対策なんだと、根拠を持って感染リスクの高いところを止めていくんだっていう考え方、これは僕のもともとの持論なんですけど。そうであれば、根拠のあるところを止める、感染リスクのないところは営業させる、ここ政府がどっちか揺れ動いている。

かつてない厳しい局面が続く中、菅総理や小池都知事らが苦慮されていることを推察しています。たいへん難しい政策判断が求められ、絶対的な正解は見出しづらいことも理解できます。しかし、音喜多さんや橋下さんが問題視しているとおり基本的な軸がぶれ続けていることを非常に憂慮しています。

かさこさんのブログ『「自粛疲れ」や「我慢の限界」ではなく「無意味な感染対策」に気づいた賢い国民たち』では「抑えるべきところを抑えれば別に大丈夫だよね」って話になっているにすぎない、このような記述を目にしています。「外出するなというのはまったくのデタラメにすぎない」とし、「自粛疲れでもなく我慢の限界でもなく気をつけながらできることをしているだけ」と綴られていました。

ここで私自身の考えを改めてお伝えします。前回記事に勤続20年超さんからコメントをお寄せいただき、新型コロナウイルス感染症対策に向けた私自身の立ち位置についてお尋ねがありました。これまで17世紀のロンドンの状況を伝えた『ペスト』をはじめ、マスクも不要と訴える小林よしのりさんの『コロナ論』『コロナ論2』など様々な書籍を手にしてきました。

インターネット上からも意識的に幅広い考え方や情報に触れるように努めています。その結果、次のような考えに至っています。新型コロナウイルス対策は長丁場の取り組みが欠かせないことを覚悟しています。ワクチン接種が普及し、集団免疫ができ、パンデミックの終息が宣言されるまで一定の対策が必要だろうと考えています。

ウイルスがゼロになることはないため「ゼロコロナ」という言葉や発想に懐疑的な立場です。「ウィズコロナ」という言葉にも違和感がありますが、短期間で終息できないため必要な感染対策に留意した「新たな日常」が当分続くことを前提に考えています。不幸中の幸いにも他国に類する感染爆発に至っていない日本は社会生活や経済を大きく停滞させるロックダウンに近い措置は極力避けるべきという考えです。

長期戦を覚悟するからこそ持続可能な対策を心がけていくべきであり、例えればアクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想です。このあたりの考え方については「緊急事態宣言が再延長」という記事などに書き残してきています。

具体的なイメージとして社会的な制約は2回目の緊急事態宣言レベルにとどめるべきものと考えています。その上で路上での集団飲酒の問題など改めるべき点があれば補強していきながら対処していく必要性を感じていました。人の流れを止めることの効果も認めていますが、人との接触を完全に断たない限り、他の感染対策はすべて確率の問題だと考えています。

そのため「屋外でマスクを付けていても感染が確認される」という西村経済再生担当相の発言や『「3密」でなくても集団感染の恐れ』という報道を耳にしても特に驚くことはありません。密閉、密集、密接を避ける「3密」の話で言えば、もともと「1密」でも感染するリスクを高めるのだろうと思っていました。

前回記事の中でインドを「他山の石」と記しています。インドの切迫した現況は変異株だけが主な原因でなく、やはり必要な感染対策を疎かにすると感染拡大するという趣旨です。1年間のインフルエンザの患者数を500分の1にしたという結果は私たち一人一人が「新たな日常」を心がけた成果であることに間違いありません。

同時に心がけるべき感染対策を緩めれば日本でも感染爆発の可能性があることを警戒しなければなりません。今回の緊急事態宣言の延長は大型商業施設の休業要請を緩和します。菅総理は「大型連休という特別の時期には、人流を抑える強い措置が必要と考え、幅広い要請を行ないました」と説明しています。

一理ある説明かも知れませんが、後付けのような迷走ぶりを感じています。前述したとおりメッセージの伝わり方としても分かりづらく、一部の緩和策が一人一人の心の「緩み」につながらないように願っています。政治の役割や東京五輪の開催の是非など書き足したい内容もありますが、次回以降に委ね、今回はここで区切りを付けさせていただきます。

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コメント

▷「幅広い立場からご意見を伺えることの貴重さを感じているため、勤続20年超さんから今回のようなコメントをいただき、たいへん感謝しています。」

 こちらこそ、お答えいただきにくい質問にご回答いただきありがとうございます。OSTUさんの変わらない物腰、丁寧で誠実な語り口に改めて接し、自らの襟を正す思いで、拝読いたしました。ただ、やはりこのコロナ騒動にあって、左派或いは左翼陣営の無責任な姿勢には、労働組合の役員を長年務め、反差別人権を叫んできた左翼の一人として、残念無念な思いで一杯です。

 ここで、私は、私をして何が、左派或いは左翼陣営の無責任と言わしめているのか、明示しておきたいと思います。①精度の悪いPCR検査により無症状陽性者(ほぼ他者に感染させない)の洗い出しと隔離という無意味な人権侵害に対して、なんの反対の声もあげないこと。②こうした人権侵害が憲法違反の疑いがあるにも関わらず、護憲と人権擁護を錦の御旗にしてきた左派から、何の反対の論陣も張られていないこと。③一般に左派は、命が大事、安全安心の食生活や環境保護を説いておきながら、通常ならありえない異例のスピードで、しかも遺伝子技術により合成された遺伝子ワクチンを唯々諾々と子供たちの体内に入れようとすることになんの疑問ももっていないかのような姿勢。短期的なアナフィラキシーショックはともかく、長期的な副作用は誰も明らかには出来てはいません。こんなワクチンを子供たちに投与することを当然視するなら、無責任と言わずして、どう表現したら良いのでしょうか?

▷「ただ飛沫感染防止のためにマスク着用など一定の感染対策も欠かせないという認識を持っています。」

 私自身も職場、通勤、スーパー等店舗での買い物といった不特定多数の人が交錯する場面では、マスクを着用しています。しかし、私は散歩や人気のない往来においてはマスクをつける必要性はないので、マスクは外しています。これは個人的にはマスク全体主義へのささやかな抵抗です。

▷「東京五輪に関する記述は政府の立場の迷走ぶりから問題提起しています。人流まで抑制するような強い感染対策を必要視するのであれば中止すべきだと思っています。」

 そもそも五輪は世界的なイベントです。このグローバルなコロナ禍にあって、世界的なレベルで開催へのコンセンサスであるとか、世界中の選手達が東京に集まっていただけるのかとか、そうした課題をクリアしなければ、現実的に開催出来ないもの、と私も認識はしています。
 それでも、私は東京五輪を開催するべきだと考えています。ただし、私は石原都政におけるオリンピック誘致には断固反対でした。五輪は行政のやるべきこととして、優先順位は低いという認識でした。リーマンショックや派遣切り、貧困、母子家庭等低所得世帯への支援、医療、福祉・・・、地方自治体の役割はこうした社会問題への対応だと、元来私は考えています。

 しかし、五輪開催は決定し、予算もつき、「箱物」の建設がなされました。なにより選手たちはそのオリンピックでの栄光を目指して走り出しています。その「既成事実」を無視する「無責任」が私には理解出来ません。莫大な人々の情熱、選手たちの熱い思い、莫大な予算、経済波及効果、そうした人々の願いや思いを、私はどうしても個人として無視は出来ない。そう考えています。東京五輪開催を望んだのは都民、さらには日本人の多数だった筈です。それをいまさら東京五輪中止、などというのは「無責任」ではないのでしょうか?私はこのような石原都政を支持した有権者、東京五輪開催を支持した大多数の日本人が、いまさら東京五輪について反対することが理解出来ません。東京五輪は既に社会経済の重要なエンジンとして機能しています。その「既成事実」を掌返しに無視する無責任に違和感を禁じえません。

 そもそもで言えば、おそらく東京都等(小池知事ら)の過剰対策は、東京五輪の開催を念頭においての戦略だと私は見ています。東京五輪を見据えるからこそ、ゼロコロナを目指すかのような過剰対策が世界にむけて安全安心の開催をアピールする意味を成す、そんなことではないか、と私は認識しています(だからといって、私は支持はしませんが)。しかし、その解釈が正しいなら、OTSUさんのように、東京五輪の中止を求めるのならば、今般の新型コロナ騒動に対する社会経済全般の過剰対策などなんの意味もありません。それは、他国と日本の感染状況を比べるのなら、一目瞭然だからです。日本社会において、新型コロナは単なる「風邪」です。その意味では、東京五輪中止論は、この日本におけるコロナ過剰対策の即刻中止、緩和策への転換という論理と並立していないと、論理的整合性はない、と私は考えています。

上記の観点については、私は左派を自認する人に是非聞いてみたいと常々考えています。

▷「インフルエンザの患者数500分の1という報道等から承知している傾向です。なお、私自身は必要な感染対策に留意する「新たな日常」をパンデミックが終息するまで心がけるべきものと考えている立場です。」

 結局のところ、東京五輪に関して、一般論として中止云々の判断をする材料の根本は今回の新型コロナという感染症の評価に負うところでしょう。OTSUさんは私の質問の①②③をご存じとのことでした。それだけでも、マスコミで言われている新型コロナの実像を疑うには十分だと思います。なぜ日本における新型コロナを「ただの風邪」と認めないのでしょうか?日本においては「ただの風邪」なのに、「風邪」の感染拡大を恐れて、東京五輪を潰すのでしょうか?

▷「長丁場の取り組みを覚悟しているため、過度に社会生活や経済を痛める対策には懐疑的な立場です。」

 私は、長丁場はご免こうむりたい、一刻もはやく、この異常な自粛全体主義から脱却しなければならない、という立場です。そのためには、ワイドショーで言われている一面的な新型コロナ報道ではなく、日本における新型コロナの死者、重症者、感染者の数を冷静に分析することが大事です。一年経ったのです。データは客観的に出ています。2019年と2020年を比べて、超過死亡がないこと、日本国内において死者が減っていることが全てです。

 人はいつか必ず死にます。コロナ死を恐れて、「生きること」を自粛するかのような、今の風潮には全く賛成出来ません。しかも死因は三大疾病のほうがよほど多いでしょう。それに、餅を喉に詰まらすから、餅を食べるな、浴室で死ぬケースが多いから、風呂に入るな、こういう人がいたら、多くの方々は全く同意しないでしょう。しかし、新型コロナに関してはマスコミによって一方的な報道が続く中で、死者数から言って、日本において特別な死因でないにも関わらず、多くの人々が新型コロナ恐怖に「洗脳」されていると考えられませんか?

▷「実は私自身も問題意識として以前から抱えている論点です。ただ判断する時期なのかどうか迷ったままであることも正直なところです。」

 新型コロナに関する指定感染症の類型引き下げは、新型コロナによる社会経済の混乱にあたって最も効果的な対策と、私は確信しています。

 社会経済の混乱、といいましたが、実際を言えば、私は長年公務員として勤めていることから、この「社会経済の混乱」の波を被らずに生きてくることができました。勿論、新型コロナ対策に従事している仲間もたくさんおり、その意味では、今般の社会経済の混乱の最前線において、公務員として日々業務上の対応や困難に直面し奮闘している仲間もいることは、当然知っています。しかし、私自身や私の職場は、新型コロナの影響に左右されない部署です。そのため、一部の公務員を除けば、この新型コロナが「他人事」のような印象でやりすごしてはいないか、そんな心配さえ、私はしています。
 否、それは公務員に限らず、多くの多数日本人にとって新型コロナは、皆が怖がっているから、怖がらないといけない、みたいな他人事のような問題なのではないか、と危惧しています。
 そのような同調圧力によって、日本における新型コロナの実像を冷静に見ることなく、皆が怖がっているから、とりあえずオレもワタシも怖がっておこう、などという態度なら、なんと罪深いことではないでしょうか?そんな自分の頭で考えない、他人事思考によって、確実に新型コロナ無症状の女性、若者、こどもたち、母子家庭等の弱者世帯、そして非正規労働者らが、「病院の外」において自らの死を選択せざるを得ない状況に追い込まれているかもしれないなら・・・。そんな想像力は左派や左翼陣営、労働組合にはないのでしょうか?

 「病院の外」でと書きましたが、日本医師会は病院の外の社会は全く見ていないかのように思えてなりません。新型コロナ騒動から一年以上経つのに、一部の大病院にコロナ重症者の治療を押し付けて、病院間や医師、医療従事者間の連携を模索せず、病床数世界一であるはずの日本の医療資源の無駄な浪費の改善も全くやる気がない、これが医師会の姿ではないでしょうか?医師会は医療制度の機能不全になんの責任もとらず、ただひたすら、市井の名もなき弱者、飲食業界や非正規労働者、低所得世帯に自粛によるツケを回している、そのようにしか私には見えません。私たちの「仲間」である全国保健所長会は昨年12月に指定感染症2類相当の緩和を厚労大臣宛てに要望しています。これは、我々の仲間である保健所職員の切なる要望を汲んでのことではないでしょうか?

 飲食店業界等は既に新型コロナ感染源の中心ではなくなっています。しかし、それでも営業時間の短縮や酒類の提供自粛を強要されている。客観的な根拠などないにも関わらず、です。なぜこのような無法状態を我々左派は許容出来るのでしょうか?こうした無法の人権侵害圧力は全体主義ではないのですか?

 さて、少しだけ「新型コロナと私」、というより、私のこのコロナ騒動による個人的被害について、言及させて下さい。我が家は高齢の一人暮らしである母親の介護真っ最中です。そして新型コロナ騒動も影響して、家に「閉じこもる」母親に手を焼いています。介護保険制度や私たち夫婦のサポートにより、どうにかこうにか一人暮らしを維持しています。しかし、新型コロナ騒動により、感染を恐れるあまり、家から出るな、みたいな空気感には本当に困りました。それに高齢者がリスクが高い、感染させないよう、接触を避けましょう、みたいな。冗談ではありません。一人暮らしの高齢者を、感染リスクを避けるために、接触しないようにする?それはソフトな老人虐待と言わずして、何なのでしょうか?また、それによる「閉じこもり」は認知機能の更なる低下、外に出ないことによる足腰の筋力低下です。私は、新型コロナ騒動の自粛論を、上記の理由から、非現実的な空論としか考えていません。このような状態に高齢者を追い込みかねないコロナ恐怖の「洗脳」や「自粛」圧力を苦々しく思うばかりです。

 そしてもう一つ、我が家には大学2年生の息子と高校1年の娘がいます。昨年入学した息子はほぼキャンパスに通えていません。小池都政の直接的影響下にある都内の大学に通っていることも大きな要因だと受け止めています。娘も都内の高校に通っています。大学はオンライン授業が主流、高校でも緊急事態だの、どーの、こーの理由をつけて、オンライン授業は頻繁にあります。私は親として通常のあるべき教育や出会いの機会を奪われている息子・娘に申し訳ない気持ちで一杯です。友達との交流、多様な人々からの学びの機会を奪われています。しかも、20歳未満についていえば、この新型コロナによる影響は死者、重症者ゼロです。若者達を犠牲にして、私たちの社会は誰を守るのでしょうか?不老不死でも目指しているのでしょうか?
 
 私は、この新型コロナ騒動が壮大なマクロの「他人事の物語」であり、「同調圧力の物語」であると受け止めています。しかし、ミクロの個別の人生の被害や、場合によっては取り返しのつかない悲劇に対して、もっと人々が目を向ける必要があると考えています。

▷「1年間のインフルエンザの患者数を500分の1にしたという結果は私たち一人一人が「新たな日常」を心がけた成果であることに間違いありません。」

 しかし、インフルエンザの患者数の激減は、ウイルス干渉ではないか、という説もあります。「新たな日常」を心がけた成果であることに間違いありません。」と決めつけるのは、いささか早計ではないでしょうか?そもそも、インフルエンザでは「ロックダウン」も自粛も議論にすらなりませんでした。その意味ては、毎年のように「パンデミック」していたではないですか?なぜ、今回の新型コロナに対して既存のインフルエンザと同じ対処法で臨むことができないのか、そこをキチンと社会的に掘り下げるべきです。

 最後に、私はOTSUさんに宛てて恨みつらみを言っているわけではありません。私は、ただ誰にこの叫び、というより「論理」を伝えてよいのか、わからなくなっています。私の居住地を地盤にする立憲民主党の衆議院議員が先日宣伝カーで街宣していました。遠くから、「この○○県も緊急事態宣言を出すべきです!」と聞こえてきました。ふざけるな!私の怒りと脱力(否、絶望でしょうか?)。頼るべき政治家はコロナ脳でした。

 誰に相談し、誰に訴えたらいいのですかね?勿論、新聞への投書や、東京都教育委員会へのe-mailは既に試みてみました。

投稿: 勤続20年超 | 2021年5月10日 (月) 20時02分

勤続20年超さん、コメントありがとうございました。

たいへん詳しく説明いただき、勤続20年超さんの問題意識や切実感がヒシヒシと伝わってきています。前回の記事で触れられなかった私自身の考えを新規記事で取り上げる予定です。

今回いただいたコメントに沿った内容につながらないかも知れませんが、ぜひ、引き続きご注目願えれば幸いです。また、お時間等が許される際、これからもコメント欄で勤続20年超さんのご意見等を伺えれば貴重なことですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年5月15日 (土) 07時52分

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