3回目の緊急事態宣言 Part2
前回記事のタイトルは「3回目の緊急事態宣言」でした。最初「3度目の緊急事態宣言」としていました。緊急事態宣言の発令は「3度目の正直であって欲しい」という思いがあり、そのことを記事本文の中で触れるつもりだったからです。
書き進めるうちに本文中で1回目、2回目、3回目と表記していたため、途中でタイトルも3度目から3回目に改めていました。意味の違いはまったくありませんが、メディアによって3回目と3度目、表記の仕方は異なっています。
変異株も変異型と表記するメディアがありますが、変異種という表記は誤りとなります。変異種ではまったく違ったウイルスという意味になってしまうようです。ウイルスは感染していく中で何度も増殖し、⼀部の性質が変化していきますが、ウイルスの種類自体が変わるものではありません。
インフルエンザウイルスも同様です。頻繁に変異を繰り返し、まれにフルモデルチェンジの変異を起こします。新型インフルエンザウイルスと呼ばれ、パンデミックが起こります。ワクチンや特効薬が開発され、人々に免疫力もつくことで季節性のインフルエンザと同程度の脅威に抑え込めるようになります。
新型コロナウイルスもそのように抑え込める日が必ず訪れるはずです。その日までいかにダメージを緩和していけるかどうかが大きな鍵であり、少しでも感染を防ぐための正念場が続きます。インドでは1日の新規感染者が40万人を超え、極めて深刻な事態に至っています。
一度感染を抑制したインドが再び危機的な状況に陥っている理由の一つは変異株の出現です。加えてロックダウン解除後の緩みが指摘されています。マスク着用や社会的距離の維持を怠るようになり、宗教祭やスポーツイベント、選挙などが感染防止対策を講じずに行なわれていたようです。
インドの現状を「対岸の火事」に決してできません。感染症の問題は国境を超えて力を出し合っていく必要があります。その一方で「他山の石」として日本の現状や足元を見つめ直す機会にすべきだろうと考えています。3回目の緊急事態宣言の発令を受け、今回もネット上で見聞した情報の紹介を中心に書き進めてみます。
まず自民党内からも次のような声が示されていることに安堵しています。前回記事では石破茂さんのブログを紹介しましたが、今回、自民党の衆院議員である小倉まさのぶさんのブログ『緊急事態宣言を受けた本日の党会合での議論』から私自身の見方に近い箇所を紹介します。
今回の措置がそもそもエビデンスに十分基づいていないのではないか。一年超に及ぶコロナとの闘いの中で、今回対象の施設やその団体は感染対策を工夫してクラスターの発生を防いできた。しかし、そうした施設も今回は一律の休業要請となってしまい、これまでの努力を蔑ろにされたような無力感に襲われてしまっている。
エビデンス・ベースだけでなく、エモーション・ベースでも対応を誤っている。政府資料では、テーマパーク・遊園地に対して無観客での開催・運営を求めているように記載されているが、テーマパーク・遊園地に対して無観客での営業を認めるというのは全く現実的でない。
さらに、但し書きでは「社会生活の維持に必要なものを除く」とされていますが、名指しされている施設は「社会生活の維持に必要でない」と政府に言われているように捉えてしまうし、反対に「社会生活の維持に必要だ」と解釈して休業要請に従わないケースも出ている。なぜこのような大変苦しんでいる事業者の神経を逆撫でするような表現になってしまうのか。
国際政治学者の三浦瑠麗さんは『朝まで生テレビ!』の中で、菅総理は「緊急事態宣言延長すればするほど人気が出ると分かっちゃった」と語っています。三浦さんは各情報番組で「3度目の緊急事態宣言は政治家のアリバイ作り」とも主張しているようです。
元経産省官僚の宇佐美典也さんは『私が二階幹事長と公明党が日本のコロナ対策を誤らせたと思っている理由』の中でGoToキャンペーンという「アクセル」の拙速さを問題視していました。1回目の緊急事態宣言を解除した後、菅総理をはじめ、政府与党内で経済との両立に固執していたことは確かです。
経済ジャーナリストの磯山友幸さんは『「中国やベトナムの出稼ぎを受け入れたい」菅政権が緊急事態宣言を渋った本当の理由』を通し、菅総理の第4波に対する状況認識の甘さや危機意識の乏しさを指摘しています。「国民が危機感を抱かない背景には、政府の新型コロナ対策への不信感があるのだろう」という言葉で記事を結んでいます。
1回目に比べて人の流れが減らない理由として「コロナ疲れ」や「自粛慣れ」という国民側に責任転嫁する言葉を耳にします。特に最近の小池都知事は「自宅で過ごして」「東京に来ないで」と命令調の言葉が頻繁に発せられています。しかし、これまで感染対策に努めていれば、ある程度外出は許されるというメッセージが政府から示されてきたと理解しています。
加えて3回目の緊急事態宣言は全面的な休業要請に至っていません。営業を続けている店舗等に誰も足を運ばなくなれば休業補償もなく、経営を圧迫させることになります。このような経緯や感染対策の向上を踏まえれば、街の風景が1回目と違うことも必然なのだろうと思っています。
はてな匿名ダイアリーに投稿された内容を加筆修正された記事『自粛疲れは甘え?緊急事態宣言に慣れた?→(政府に)呆れ果てただけだよ』に掲げられているような声に菅総理や小池都知事らは真摯に耳を傾けなければならないはずです。その上で国民が納得し、信頼を寄せられる言葉で訴えかけて欲しいものと願っています。
プチ鹿島さんは『「欲しがりません五輪開催までは」 唐突な緊急事態宣言に感じる“リーダーの説明不足”』で厳しく政治家の姿勢を批判しています。前回記事の最後のほうで東京オリンピック・パラリンピックの開催中止を決める判断を下した場合、一人一人の感染対策に向けた危機意識が一気に向上するのではないでしょうか、そのように記していました。
1回目の緊急事態宣言時との決定的な違いは東京五輪との向き合い方です。昨年は中止を決めた直後の緊急事態宣言でした。今回は開催を予定したまま各地で聖火リレーも取り組まれています。このような違いが個々人の「不要不急」を判断する幅を広げているようにも見ています。
『膳場貴子アナ、緊急事態宣言や東京五輪に向けた政府の対応をバッサリ。「全て代弁してくれた」と話題に』や『都に苦言の丸川五輪相 開会式迫るも「当事者意識0」の声』では東京都、組織委員会、政府の間で責任を擦り付け合っている現状を伝えています。アスリートや関係者の皆さんには申し訳ありませんが、本当に開催できるのか、このまま開催して良いのかどうか疑問視しています。
たいへん長い記事になっていますが、もう少し続けます。ワクチン接種の問題です。明石市の泉房穂市長が自治体へのワクチン供給の問題を厳しい言葉で訴えています。少し激しすぎるのかも知れませんが、『明石市長激白!吉村知事批判の真意とワクチン供給の問題点』に掲げられた泉市長の次のような言葉は多くの自治体の首長や担当者の声の代弁だろうと思っています。
訪米してアメリカに媚を売っとる暇があったら、ちょっとぐらいワクチンもらってこいっていう話です。ワクチンは全然、現場には届いていないわけですよ。明石市だって医療従事者の半分ぐらいしか打ててない。高齢者の分も来ていない。ワクチンは国の責任なのに、やるべきことをやってなくて、ムチャクチャ遅いわけですよ。
にもかかわらず「やったフリ」をしたいから、市に段ボール1箱だけ送ってきた。段ボール1箱だけ送ってこられたって、200人、300人が接種したところで何の意味もない。それって現場に混乱をもたらすだけなんですよ。国が「皆さん始まりますよ」って言っちゃうから、各自治体はとりあえず200人でも500人でもって、高齢者の予約を取ろうとするから混乱が起こる。
それで「あとは地方の問題です」って現場の責任にするわけですよ。1箱だけ送られてきたって、どないせえっていう話です。あえて混乱をもたらすような情報発信をしている。それって、国はちゃんとしてますよっていう「アリバイづくり」なんです。もっとマジメに政治をやれと。こんな国難の状況の中で、いつまで自分の保身とアリバイづくりに走ってんねんと。
菅総理が訪米しながらファイザー社のCEOとは電話会談にとどまりました。やはり『菅義偉首相が外務官僚に怒号…?ワクチン外交「失敗」の裏側』で伝えているとおり「やってる感」を重視していたようです。最後に『菅総理”乱心”でワクチン1万人接種センターぶち上げ クラスター、人手不足など問題山積み』という記事を紹介しますが、「苦肉の策」が吉と出ることを願わざるを得ません。
3度目の緊急事態宣言下の4月29日、東京と大阪で新型コロナウイルスの新規感染者が1000人超えとなった。遅々として進まない高齢者(約3600万人)のワクチン接種に業を煮やした菅義偉総理は1万人が接種できる大規模接種センターを東京都などに設置するよう指示した。期間は5月24日から3カ月間だという。28日には東京都千代田区大手町の合同庁舎に設けられた接種センターのガランとした映像がマスコミに公開された。
「菅総理は国政選挙で3連敗して以降、乱心気味です。人気挽回策として側近の官邸官僚・和泉洋人総理補佐官と北村滋国家安全保障局長のトップダウンで大規模接種センター案が唐突に決まりました。厚生労働省の田村憲久大臣は蚊帳の外。関係省庁との調整は全くなされていない状態でマスコミにリークされ、話が進んでいます。全国的なコロナ蔓延で東京五輪開催に対し、国民の風当たりが強い。ワクチン接種にしか支持率回復の望みを持てない菅政権の焦りのあらわれです」(厚生省関係者)
大阪、兵庫、京都などにも65歳以上の高齢者を中心に1日約5000人が接種できる大規模センターを政府が設置するという。そもそもワクチン接種は「予防接種法」で住民票のある市区町村で受けるのが原則だ。実施主体は市町村とされており、各自治体でようやく接種予約が始まったばかり。政府が接種に乗り出すというのは極めて異例の判断だ。
「政府が直営で1日1万人規模の接種を行うとぶち上げましたが、接種する人員をどう確保するか。自衛隊の医師を活用するというが、全国で約1000人しかいません。新型コロナの患者を受け入れている病院の通常の任務もあるのに、強引な要請です。防衛省と厚労省など関係省庁の調整も進んでいません。そして1日1万人分のワクチンをどうやって確保するのか。ファイザー製は在庫がないので、国内未承認のモデルナ製を使うという話ですが、5月24日設置に間に合わせるなんて性急過ぎます」(政府関係者)
各自治体は苦心をしつつ様々な接種会場を確保し、人流の分散にも努めているが、今回のような1万人規模の接種会場となれば、クラスター発生のリスクが高まるという懸念もある。
「一か所に集めれば接種が進むだろうというのは、机上の思い付きに過ぎません。都内の高齢者を1日1万人単位で大手町に集めるというのは、外出抑制を促す政府の方針とも矛盾し、高齢者を感染リスクに晒すことになります。5月24日から始めるとぶち上げたが、準備期間がなさすぎる。ワクチン接種体制の確保といっても、注射ができる医療スタッフだけいればよいという問題ではない。会場整理の人員はもちろん、受付方法や動線の設定、ワクチンの配送・保管などロジの詰めも不可欠です。しかし、それらを誰が担うのか、人員をどう確保するのか。政府にはワクチン接種会場整備のノウハウが全くありません」(前出の厚労省関係者)
菅官邸トップダウンの珍プランに防衛省、厚労省、内閣官房など関係省庁は頭を抱えているという。「自治体から受け取った接種券を会場に持参すれば、いつでも予約なく接種できるようにすると耳障りのよいことを言っているが、見込み数を把握しないでどうやってワクチンを準備するのかすら検討されていません。ワクチンを大量に用意しても、実際に打つ人がわずかしか来なかったら大量の廃棄が生じてしまうだけ。逆に希望者が殺到してしまったらどうするのか。政府に何らノウハウもありません」(同前)
菅政権の命運は「東京五輪」「ワクチン頼み」であるものの、ワクチン確保に失敗し、接種率が世界的にも大きく立ち遅れている惨状が明らかになりつつある。菅官邸が思い付きで打ち出した「苦肉の策」は吉と出るのか、それとも……。(AERAdot.取材班)
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コメント
今まではマスクをしていて換気もしていればコロナウイルスに感染しないと言われていました。今日になって大臣が屋外でマスクをしていても感染すると発言との報道。今までの感染者や濃厚接触者の定義を見直さなければならないのではないでしょうか?
投稿: ぱわ | 2021年5月 2日 (日) 20時14分
ぱわさん、コメントありがとうございました。
西村経済再生担当相が今日の記者会見で、変異ウイルスの感染力の強さに注意を促し、「屋外でマスクを付けていても感染が確認される事例の報告が相次いでいる」と警戒を呼び掛けたという時事通信が配信したニュースを私も目にしています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/66f8de3a5343710aae6cfd7cc7883dd49d8a1284
変異型による感染力や重症化のリスクが高まっていることは事実であるようです。また、これまでもマスク着用によって感染を100%防げていた訳でもありません。人と人との接触を完全に断たない限り100%防ぐ手立てはないものと理解しています。西村担当相は連休中も不要不急の外出や移動を控えるよう重ねて協力を求めた中で、そのような話も強調されたのではないでしょうか。
ただ今後、変異型の感染拡大を受け、対策のあり方や濃厚接触者の定義を見直すこともあり得ます。そのような動きがあった場合、組合としても迅速に対応していければと考えています。
投稿: OTSU | 2021年5月 2日 (日) 21時12分
基礎疾患を持っている身としてはとても気になる大臣の発言です。基礎疾患がある人は勤務形態を変更することも可能と通知ではありましたが実際には勤務形態の変更は難しいと感じています。不安感でいっぱいです。
投稿: ぱわ | 2021年5月 3日 (月) 21時53分
OTSU様 大変ご無沙汰しております。お忘れとは存じますが、【勤続20年超】です。2015年頃、「戦争法」論議の際にはかつてここをたびたび訪問させていただいて、それこそ「荒らし」まくって(私はOTSUさんの論の自称支持者で、反対者の方々とここで対立していました)、自分としては出禁ではないか、と思い訪問を控えておりました。
でも、このコロナ騒動にあって私自身思うところあり、もう一度こちらでどんなカンジの論議がされているのか覗いてみたい衝動があり、再び訪れた次第です。
まずは、変わらずに重厚かつ丁寧な論を展開されているOTSUさんに驚きを含めた敬意を表します。お元気でなによりです。
とはいえ、結論から言えば、私は戦争法論議の時とは異なり、OTSUさんとは異なる見解をもっています。というより、所謂「左派」の多数意見に違和感を禁じ得ないので、そのことも含めて、この場をかりて、自称左派の一人である私として異議申し立てをしたいと考えました。これは、所謂左派やリベラル勢力多数派へのささやかな問題提起と考えていただけると幸いです。
その上で、失礼ながら、この書き込みは基本的に私の今回のコロナ騒動に関する見解を含みつつの質問の形式をとりたいと思います。勿論、回答はなくてもかまいません。この場所をお貸しいただいて、私自身の思いのたけを語るわけですから、立場はわきまえています。また、小林よしのりさんの著作をOTSUさんもお読みとのこと。私も小林氏の新型コロナに関する著作は読んでおります。小林氏の論考には多くの共感を持っています。とはいえ、OTSUさんのお立場も理解しているつもりです。その意味では、以下は聞き流されて当然のことです。しかし、現下の新型コロナ騒動において、左派はあまりに無力で、無責任で、全体主義的自粛追認に堕している、そんな義憤に私自身は駆られています。そのような自称左派の叫びをお許しいただきたいのです。
さて、では意見と質問を始めます。
「少しでも感染を防ぐための正念場が続きます。インドでは1日の新規感染者が40万人を超え、極めて深刻な事態に至っています。」「インドの現状を「対岸の火事」に決してできません。」
①インドは4月21日時点で感染者総数21,077,410人。一方日本は542,049人です。インドの僅か2.5%に過ぎません。1日の感染者数も、現在インドが41万人超に比べて、日本は5000人前後です。インドと比べる必要がありますか?
②因みに、日本では多くのメディアにおいて感染者と陽性者を同一視していますが、感染者と陽性者が異なることはご存じですか?
③とりわけ、欧米諸国と比べて、日本は感染者数、死者、重症者数が圧倒的に少ないことはご存じですか?
④「今回は開催を予定したまま各地で聖火リレーも取り組まれています。このような違いが個々人の「不要不急」を判断する幅を広げているようにも見ています。」
上記発言をされるOTSUさんは自粛を推奨される立場でしょうか?しかし、自粛によって廃業、解雇、自殺が増えている状況をどうお考えですか?左派、リベラル派は労働者の苦境に対して鋭敏な感性と行動力によって、実質的なセーフティネットとなり、そうした役割を果たしていくことが問われています。この点とOTSUさんの自粛推奨のような発言は両立しますか?
左派や労働組合は、労働貴族然として、コロナ騒動の禍いを直接的に受け、生きるか死ぬかの苦境に立つ非正規労働者を見殺しにしても良いのですか?
「自粛派」の方々は、自らの実質的に無意味で冷酷な論理を覆う「イチジクの葉」のように、「補償すれば良い」「補償しない政府が悪い」と言います。しかし、それは実質的に無意味且つ無責任な他人事論に堕してはいませんか?今日明日の生活に困窮する非正規労働者に対して、評論家とは違う観点から、何を左派やリベラル派が語るべきなのか?そんな問いは必要ないのでしょうか?
⑤日本では超過死亡(例年の死者数の比較による死者が多いか少ないかという概念)が無く、それどころか2020年では2019年と比較して、1万人近く減っていることをご存じですか?
それなのに、若者たちに自粛を強いるこの日本の「空気」をおかしいとは考えませんか?居酒屋に行かないことは、本当に日本社会のためになっているのですか?
20歳未満に限って言えば、現時点で死者・重症者ゼロです。この事実をご存じですか?20歳以上30歳未満でも、陽性者数と比較すれば、ほぼゼロといって良いでしょう。
そもそもPCR検査は偽陽性、偽陰性が多い、当てにならない検査であることは既に様々なエビデンスにより示されています。
それなのに、PCR検査陽性の無症状「感染者」まで隔離することは、人権の守護神であるべき左派のとるべき立場ですか?若者たちにはほとんど影響のない新型コロナに関して、若者達に対して自粛という名の犠牲を強いて、だれを救うのですか? 繰り返します。2020年日本では超過死亡はありませんでしたし、しかも死者は減りました。どこがパンデミックなのですか? 自粛とは、例年ならお亡くなりになっている方々を救うために、未来ある若者たちを犠牲にし、非正規労働者を苦境に陥れ、女性や子供たちを自殺に追い込んでいるだけだと認められないのですか?
自粛だ、感染するな、感染させるな、とか道徳的人道的に押し付けられていますが、それによって現実に生じている結果・事態は真逆だと私は考えています。
私は左派を自認しています。政治姿勢や投票行動も信念に基づいて選択してきましたし、これからもそのようにする決意です。保守政治とは一線を画してきたつもりです。しかし、今回のコロナ騒動ほど自らの依拠してきた左派の思想的浅薄さ、無責任ぶりを思い知らされたことはありませんでした。私の人脈は当然左派の系譜ですが、どの人も今回の新型コロナ騒動において日々生起している事象、「自粛」「隔離」「緊急事態」といった人権侵害に批判を唱える向きがありません。人権侵害どころか、人々の自由をなんの根拠もなく奪うなら、憲法違反ではありませんか?左派はこれほどまでに、人権感覚が鈍磨しているのか、私は愕然としているのです。
日本における新型コロナ騒動も一年経過し、新型コロナに関する事実は既に明らかになっています。もはや、「自粛」「隔離」「緊急事態」といった方法論が有害無益になったことは、エビデンスから明らかだとは思いませんか?
⑥新型コロナに対して、医療機関に過度な負担を強いる2類相当から5類へと指定感染症の類型を引き下げるだけでも、沢山の名もなき人が救われるはずです。OTSUさんはこの点どのようにお考えですか?
投稿: 勤続20年超 | 2021年5月 8日 (土) 02時01分
ぱわさん、勤続20年超さん、コメントありがとうございました。
ぱわさんのような不安を抱えながら職務にあたっている方が少なくないことを改めて受けとめさせていただいています。基礎疾患をお持ちの方に対し、ワクチン接種の優先順位等、何か具体的な手立てが見出せないか検討していければと考えています。
勤続20年超さんの数年ぶりのご訪問、たいへん嬉しく思っています。その当時と比べ、コメント投稿数が少なくなっていることに驚かれたのではないでしょうか。幅広い立場からご意見を伺えることの貴重さを感じているため、勤続20年超さんから今回のようなコメントをいただき、たいへん感謝しています。
ご質問に対して、いくつか取り急ぎお答えさせていただきます。①から③は承知しています。インドを「他山の石」と記したのは、やはり必要な感染対策を疎かにすると感染拡大するという趣旨です。小林よしのりさんの主張の一部に私自身も共感しているところがあります。ただ飛沫感染防止のためにマスク着用など一定の感染対策も欠かせないという認識を持っています。
④の東京五輪に関する記述は政府の立場の迷走ぶりから問題提起しています。人流まで抑制するような強い感染対策を必要視するのであれば中止すべきだと思っています。このあたりは今週末に投稿する新規記事の中で補足させていただくつもりです。
⑤について正確な数字は把握していませんでしたが、インフルエンザの患者数500分の1という報道等から承知している傾向です。なお、私自身は必要な感染対策に留意する「新たな日常」をパンデミックが終息するまで心がけるべきものと考えている立場です。
その上で長丁場の取り組みを覚悟しているため、過度に社会生活や経済を痛める対策には懐疑的な立場です。このような考えのもとに以前の記事に次のような記述を残しています。
2021年3月7日 緊急事態宣言が再延長
もともと「ウィズコロナ」という言葉には違和感がありましたが、立憲民主党が提唱した「ゼロコロナ」という言葉や発想にも懐疑的な立場です。新年早々の記事「平穏な日常に戻れる2021年に」の中に掲げた通り「すぐに終息しないことを覚悟し、長丁場の闘いとして持続可能な対策を心がけていくことが欠かせないのだろう」と考えています。例えればアクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想です。
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2021/03/post-27279f.html
最後の⑥ですが、実は私自身も問題意識として以前から抱えている論点です。ただ判断する時期なのかどうか迷ったままであることも正直なところです。
いずれにしても先ほど記したとおり新規記事の題材もコロナ禍に関わる内容を予定しています。ぜひ、これからもご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2021年5月 8日 (土) 07時02分