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2021年5月29日 (土)

コロナ禍での雑談放談

このブログを長く続けられている理由はコメント欄を含め、管理人である私自身の関わりを土曜と日曜に限っているからです。日常生活に過度な負担をかけないためのメリハリとして定着しています。ただ平日も含め、毎日画面は開いています。お寄せいただくコメントの数は以前に比べて激減していますが、日々閲覧することだけは習慣化しています。

また、土曜と日曜それぞれ日程が詰まっている時などは平日のうちに新規記事の投稿作業に関わっています。このような習慣が週刊化につながり、今年2月には900回という節目を刻むことができています。さらにブログ名のサブタイトルに掲げているとおり「雑談放談」的な内容を気ままに書き込んでいることも長続きしている理由の一つだろうと考えています。

雑談とは「気楽に話すこと、とりとめのない話」であり、放談は「言いたいことを遠慮なく話すこと」という意味です。もちろんインターネット上に不特定多数の方々を意識しながら発信しているため一字一句の重みを感じています。それでも個人の責任によるブログであるため発信する内容の自由度は高く、今回のような「雑談放談」をタイトルに付けた記事を時々手がけています。

さて、東京や大阪など9都道府県に発令している緊急事態宣言が6月20日まで延長されます。緊急事態宣言が続く中、土曜と日曜に入っていた予定は軒並み手帳から消えています。5月末の出納閉鎖を控え、少しでも収納率を上げるため休日に訪問催告を行なっていた時期ですが、そのような出勤もなくなっていました。

したがって、最近の土曜と日曜は両日とも当ブログに集中できるようになっています。両日関われる週末が続く中、このところ日曜の更新が続いています。日曜の予定もなく、明日できると思うと、つい先送りしがちでした。

今週末の土曜の朝は、エンゼルスの大谷投手が先発した試合をNHK BS1で見ながらパソコンに向かっています。このままブログに集中し、久しぶりに土曜のうちに更新できればと考えていました。

コロナ禍でステイホームという言葉が有名になっています。緊急事態宣言について、いろいろ思うことがありますが、予定が消えた後はなるべく外出しないように心がけています。昨年5月の記事「最近、読んだ本」で伝えているとおり外出を自粛しているため手にする書籍の数が増えています。

ステイホームの過ごし方としてテレビの前にいることも多くなっています。先々週の土曜、日本映画専門チャンネルで『姉ちゃんの恋人』全話9回分が放映されました。主人公の有村架純さんらの演じる物語が面白く、見始めたところ最後までテレビの前から離れられませんでした。両親を交通事故で亡くし、3人の弟を養うため大学進学を諦めて働く有村さんの頑張りに目を潤ませる場面が何回かありました。

グリーンチャンネルで中央競馬の全レースを自宅で見ることができます。以前は競馬場に行った気分でパドックを確認しながら1レースからネット投票を楽しむ休日が少なくありませんでした。最近はメインレースのみに集中しているためグリーンチャンネルを見ることが減っていました。先日、久しぶりに1レースから挑みましたが、残念ながらIPATの残高を減らすだけのステイホームでした。

自宅のパソコンを開くと必ず麻雀ソフトで遊んでしまいます。コロナ禍で実戦からは遠ざかっていますが、日々役作りの訓練は怠っていない日常となっています。自宅のパソコンはゴルフゲームも楽しめます。RPGの要素があり、オリジナルキャラクターを成長させ、希少なアイテムを獲得することで350ヤード以上飛ばせるようになっていました。ミドルホールをワンオンできる飛距離は快感です。

せっかく閲覧くださっている皆さんにとって、どうでも良い話が長くなって恐縮です。ここからはコロナ禍の緊急事態宣言に対し、いろいろ思うことを最近読んだ本を紹介しながら書き進めてみます。前回記事「責任者は誰なのか?」の最後のほうで『ノモンハンの夏』を読んだことを伝えていました。

今年1月に亡くなられた半藤一利さんの著書です。面子を重視した対立を繰り返す陸軍参謀本部と関東軍に対し、半藤さんの苛立ちが全編を通して伝わってくる理不尽な戦争の記録でした。たびたび使われている「秀才参謀たちは」という言葉に半藤さんの冷笑や憤りが込められているようでした。

当時のソ連軍の戦力を侮る楽観論、日本が負けることはないという精神論のもとにノモンハンで戦い、たいへん多くの犠牲を強いられていました。その敗戦の総括の不充分さ、責任の所在の曖昧さなども描かれ、重い責任を問われていたはずの関東軍の参謀らが太平洋戦争開戦前、三宅坂上の陸軍参謀本部の要職に栄転していたという驚愕な史実を伝えている著書でした。

このような史実を知り、今の政府や小池都知事らの顔を思い浮かべてしまうことは失礼な連想なのでしょうか。特に東京五輪の開催に向けて最も重い責任や権限を持っている人物は誰なのか、精神論や楽観論が先行していないか、いみじくも半藤さんの著書『ノモンハンの夏』から学び取るべき点が多々あるように感じています。

ステイホームが続く中、前述したとおり読書量は増しています。このブログの題材として取り上げる機会が多くなっているため新型コロナウイルス感染症に関する著書を最近立て続けに読み終えています。適菜収さんの『コロナと無責任な人たち』、峰宗太郎さんと山中浩之さんの対談本『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』、小林よしのりさんの『コロナ論3』、鳥集徹さんの『コロナ自粛の大罪』です。

それぞれの内容を今回の記事では網羅して紹介できませんが、前々回記事「3回目の緊急事態宣言も延長」に寄せられた勤続20年超さんのコメントの内容が『コロナ論3』『コロナ自粛の大罪』を通して詳述されています。インフルエンザより怖くない新型コロナに過剰反応し、社会生活や経済を犠牲にしていることを痛烈に問題提起している著書でした。

個々人の免疫を弱体化させないためにもウイルスとの共生が必要という訴えをはじめ、「コロナ死」だけを特別視することの問題性など「なるほど」と思う内容に多く触れることができています。ただマスク着用や手指の消毒などが不要という主張も見受けられましたが、そのあたりは少し疑問に思っています。

『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』では特効薬やワクチンが普及するまでインフルエンザと峻別した対応の必要性を訴えています。さらに日本人の多くがマスク着用や三密の回避など感染対策に努めているからこそ欧米のような感染爆発に至っていないという見方を示していました。全体を通し、こちらの著書の内容が私自身の考え方に近いようです。

いずれにしてもマスク着用等の対策が100%の安全を保障するものではないことやPCR検査の誤差の多さは各著書それぞれで伝えています。菅総理は東京五輪の開催に向けて「安全安心な大会となるよう取り組みます」と言い続けていますが、開催する限りリスクゼロはあり得ないことを前提に考えなければなりません。

仮に東京五輪の中止を決めた場合、開催に伴う人流はなくなり、東京五輪に関連した感染リスクはゼロとなります。とは言え、もともと過度に社会生活や経済を痛めるロックダウンに近い抑圧策には懐疑的な立場ですので、主催者が納得性の高い説明責任を果たした上で開催を決めるのであればその判断を尊重したいものと考えています。

そのため感染対策を整えて東京五輪の開催を予定するのであれば、感染対策を整えているデパートや映画館などに規制をかけた緊急事態宣言の要請内容の一貫性のなさに違和感を抱いていました。ようやく一部緩和される見通しですが、同様に感染対策に努力してきた居酒屋等に対する規制も今回限りにすべきだろうと思っています。

人流抑制によって感染リスクの確率を下げる意味合いでの効果も認めていますが、人と人との接触を完全に断たない限り、リスクゼロはあり得ないものと考えています。ずっと家に閉じこもっていることは難しく、社会生活を営むため外に出なければなりません。新型コロナを必要以上に恐れず、ある程度の人流を認めた上、持続可能な納得性の高い感染対策に心がけていくことが重要です。

ワクチン接種は希望される方々、全員が必ず受けられるため慌てずに順番を待たなければなりません。そして、国民の半数以上がワクチン接種すれば集団免疫を獲得でき、必ず以前のような日常を取り戻せるはずです。それまで宣言の有無に関わらず、緊急事態であるという認識を持ち続けることが欠かせません。

話題が広がりながら、とりとめのない話が長くなりました。まさしく「コロナ禍での雑談放談」でした。なお、読み終えた著書の中で特に興味深かった新型コロナを2類相当に位置付けている問題などに関しては次回以降、機会を見て触れさせていただくつもりです。

最後に、東京五輪がコロナ禍に重なってしまったことは日本の運の悪さです。招致の成功を国民の多くが歓喜していた訳ですので今さら「外れていれば良かった」というのも禁句だろうと思っています。ただ2年の延長案が主流だったのにも関わらず、安倍前総理が1年延長で押し切ったという話を耳にすると結果責任としての見通しの甘さを指摘したくなります。

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コメント

 OTSUさん、私の不躾な書き込みに丁寧なご対応いただきありがとうございます。先に投稿いたしましたコメント、あたかも、OTSUさんにくって掛かるかの勢いの文脈は恥じ入るばかりです。OTSUさんに対して、私自身は異論、反論をしている趣旨は全くありません。OTSUさんの主張も「飲み込ん」でいるつもりです。人それぞれで立場や環境も違いますし、考え方も十人十色です。そのことは最大に尊重されなければならないと思っています。ただ、私は、あくまで世間のコロナ脳やそれに追従するだけの左翼に対して、落胆し、一言モノ申したいだけなのです。とはいえ、私自身が自称左翼の一人であることには、自分としては、揺るぎはありません。

 さて、OTSUさんもコロナ騒動に関わる書籍をお読みとのことでした。私も、OTSUさんがお読みになった小林よしのりさんの『コロナ論』については①~③まで全て読みました。鳥集徹さんによるコロナ騒動に異論を唱える医師の皆さんによるインタビュー集『コロナ自粛の大罪』には目を見開かされる思いで読みました。最近では、井上正康さんの『本当はこわくない新型コロナウイルス』や、『コロナワクチン幻想を切る』、『新型コロナが本当にこわくなくなる本』(松田学氏との共著)、そして宮沢孝幸さんの『京大おどろきのウイルス学講義』も購入して、読みだしています。

 それと、インターネットでコロナ騒動に関するブログ等もよく閲覧しています。池田正行氏(内科医で元長崎大学医学部教授、ユーモアと脱線の入り混じったHPでコロナ騒動を大批判)、萬田緑平氏(医師として緩和ケア診療所で診療にあたる方。自らの死生観を含めて臨床の現場からコロナ騒動を冷静に分析)、長尾和宏氏(医師で「Dr和の町医者日記」というブログでコロナ治療などの現実を発信)、金城信雄氏(医師で「かねしろクリニック」のHPにて、日々コロナ騒動に言及)です。

 これらのHPやブログに関しては、発信者は皆さん、全て医師です。そして、日々ワイドショーに出てきて、コロナ騒動をあおり続ける「専門家」達とは真逆な発信をしています。私がいつも閲覧し、拝読して参考にしている方々は少なくともメディアでの影響力は限定的な市井の町医者的なお医者さん達です。大事な視点を、こうした方々から得ています。感謝してもしきれない思いでいます。

 大事な視点。このコロナ騒動においては、あまりに異論が封殺されています。ワイドショーや、テレビニュース報道において、新型コロナが「ただの風邪に過ぎない」「ワクチンは信用できない。危ない」という異論は、ほぼ封殺、黙殺されています。しかし、本来いろんな意見や異論があるはずです。社会とは民主主義とはそういうものであるはずです。しかも、各種の公になっているデータ上では、新型コロナ騒動に対する疑問や批判を支持する形になっています。つまり、客観的なデータを無視したインフォデミックと言わざるを得ない事態が、「専門家」なる人物たちが主導する政府の分科会やマスメディアによって、まさに国政を壟断する形で、多くの国民の犠牲(若者、飲食店従業者)の上に今も進行中です。

 いつまで、この異常な全体主義状況を我々は許すのでしょうか?問われているのは、そこだと私は考えています。メディアは「大本営発表」に堕してはいないでしょうか?

 2020年、超過死亡はありません。つまりは、通常なら「亡くなっているべき人」が死にませんでした。それでいいではないか。そう言って、めでたし、めでたしになるのでしょうか?私の感想は、否です。

 何故なら、その一方で非正規労働者や女性、若者や飲食店等に巨大な犠牲を強いています。誰かの犠牲の上に成り立つ「生」。これは、言ってみれば戦争そのものと同じ図式ですね。先の大戦でも若者達は戦地に赴き、犠牲となりました。私は戦争反対です。だから、この誰かを犠牲にして、「延命」を求めるかの状況に反対します。新型コロナではなく、病院の外で失われる命(女性、若者の自殺)を無視するかの風潮に私は反対します。

 私は、このコロナ騒動に対して、自分の物語を対置したいと思います。今回はワクチンです。私は高齢の要介護の母親について、ワクチン接種を止めました。止めました、というのは、元々かかりつけ医に対してワクチン接種を予約していたからです。マスコミでは、集団接種の申し込みに関して混乱している様子が報道されていますね。混乱の責任から、我々地方公務員の仲間も謝罪会見していたりして。大変だな、と。一方、私はかみさんに母の個別接種の予約を頼んだのですが、比較的「待ち」がなく、あっさり予約できたようです。なんか、マスコミで言われている混乱報道に違和感でした。

 いずれにせよ、安易に母のワクチン接種を予約したことに関するご批判は甘んじて受け止めます。母の接種予約をした理由は①高齢であること(新型コロナ騒動において高齢者の死者が多い)、②老人福祉施設を利用している(施設側への「忖度」)の二点です。

 ところが、予約後ワクチン接種の日が近づく中で、週刊現代等のメディアでワクチン 接種後の死者の異常な多さ、即ち季節性インフルエンザの110倍、との報道に接しました。しかも、その後もワクチン接種後の死者は増え続けています。私は迷いました。母親のワクチン接種は既にかかりつけ医に対して予約しています。しかし、死亡報道については予約前には知りませんでした。予約を取り消したほうがいいか、それとも母にはワクチン接種が良いか、それに予約したかかりつけ医にも迷惑がかかるだろうか、とかワクチンが無駄になるのだろうか、とか。

 迷いに迷いましたが、私は母のワクチン接種はキャンセルしました。月曜日に接種予定でしたが、金曜日にインターネット上でキャンセルしました。

 キャンセルした理由は次のとおりです。①人類初の遺伝子ワクチンであること。しかも、開発期間が通常では考えられないスピードで、治験が信用できないこと。アナフィラキシーショックだけでなく、長期的な遺伝子レベルでの問題が不明であること。②そもそも我が家はワクチン接種をするつもりがない。20代未満の陽性者は死者、重症者がゼロ人という中で、ワクチン接種をする理由がないし、①の理由を考慮すれば、どう考えても私の子供たちには接種させたくないです。③母に対する、道義的な理由。もともと我が家(私たち夫婦と子供たちに新型コロナワクチン接種は論外でした)が接種する気がないのに、老人福祉施設を利用しているからといって、ワクチン接種を勧めることに良心が咎めたこと。④これが一番大きいですが、報道によるワクチン接種後の死者の異常な多さ。

 私の思いを言えば、新型コロナに万一感染して亡くなるのは「自然」な死、です。しかし、新型コロナワクチンの接種後、万一母が亡くなるなら、私はその母の死を「不自然な死」として、一生私が母に接種を勧めた責任を重荷として、生きることになるでしょう。どちらを選ぶかは、死生観の問題に過ぎません。人にとやかく言われる類の話ではないでしょう。私は自分の頭で考えて、母に対して新型コロナワクチン接種を止めました。ワクチン全体主義も被さってきつつある今、どうか多くの人に、こういう私の考えを尊重してもらいたいと思います。ワクチン、打ちたければ打てばいい、それだけの話にしてもらいたいです。私はもしかしたらワクチンを無駄にしたかもしれませんから、開き直っているように読めるかもしれませんが、悩んだ末の結論です。

 なお、更に母のワクチン接種に関して言えば、どう考えても、母は一人ではワクチン接種は出来ません。地元自治体から送付されたワクチン接種の通知書の内容が理解出来ない、理解出来ないから予約申請も当然出来ない。そもそも、認知機能の低下した高齢者に、ワクチン接種の是非の判断ができるわけがない。ワクチンについて、危険か否かの判断も出来ない。こういう判断能力に欠けた認知症の高齢者に関して、ワクチン接種をさせることが道義的にいいのか、悪いのか?勿論、事情は知的障害のある方等も同じでしょう。こういう問題、とにかくワクチン、ワクチンなんて言っている皆さん無視ですよね。

 以上は、私の母のワクチン接種問題に引き付けても、この新型コロナ騒動は、多くの人が無責任な思考停止に陥っていると考える所以です。

 私は、私の責任において、母のワクチン接種を予約後ではありましたが、止めました。

投稿: 勤続20年超 | 2021年5月30日 (日) 21時21分

追加です。

 スミマセン。以下は愚痴以上の意味を、コロナ脳の方には持たないだろうということを承知で、言いたいので、言わせて下さい。

 こんなこと言えるのは、OTSUさんのこのブログのおかげです。私は職場では、さすがに言いません。私もそれなりに常識人として世渡りしてきましたから。

 本題です。

 私はオリンピックは開催するべきだと、考えています。

 理由は、①五輪選手はワクチン接種するのが前提です。※私個人のワクチン信頼でなく、世論や、メディアのワクチン信奉はクリアしてますよね?②選手達のオリンピックにかける思い③【箱物】が出来ている④五輪重要を当て込んだ経済活動が既に進んでいる。⑤一方、日本のコロナ陽性者や死者は圧倒的に世界の趨勢を下回っている。⑥夏の高校野球甲子園大会は開催予定らしいが、何故オリンピックは開催してはいけないか?⑦ブロ野球等ブロスポーツは、現在日本においても、一定の条件の元、開催しているのに、何故オリンピックは開催してはいけないのか?

 こうした問に対して、オリンピック開催反対派は答えてはくれていませんね。ならば、夏の甲子園もオリンピックも、皆楽しみましょう、

 私は、だからこそ、根拠薄弱なオリンピック開催否定論に反対します。東京オリンピック反対派の方は、上記の疑問に全て合理的な答えを持った上で、反対なのでしょうかね?

 正直、コロナ脳の方には、客観データ、論理や矛盾を見定める議論が、本当に大事だと思っています。何故なら、私はコロナ脳とは、メディアによる大規模な洗脳だと、受け止めているからです。理由は①遺伝子ワクチンに対する批判がない。②日本のコロナ騒動に関する死者、重症者に関して国際比較が、データとしてあるのに、メディアではほぼ示されない。つまりは、偏向した事実の一面しか、切り取っていないメディアを鵜呑みにしているわけです。

 

 

投稿: 勤続20年超 | 2021年6月 3日 (木) 23時54分

 申し訳ありません。上記に事実誤認を書いてしまいました。訂正させて下さい。

①五輪選手はワクチン接種するのが前提です。

 間違いは上の部分です。「前提」などと、あたかも選手皆さんが接種するかのように書いてしまいました。ワクチン接種は任意ですから、選手全ての方が接種するわけではないでしょう。

 一般的にワクチン接種も行われた形で、開催されるでしょう、というのが私の趣旨でしたが、言葉の選択を間違えました。お詫びして訂正いたします。

投稿: 勤続20年超 | 2021年6月 4日 (金) 06時09分

勤続20年超さん、コメントありがとうございました。

勤続20年超さんがご自身の主張を中心に訴えられ、私に対しての問いかけや反論ではないことを充分理解しています。その上で今週末に投稿する新規記事の中でも新型コロナに関わる話を取り上げるつもりです。

ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いです。また、これからも当ブログのコメント欄はお気軽にご利用ください。多様な視点からのご意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っています。ご無理のない範囲でよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月 5日 (土) 06時47分

勤続20年超殿

私は東京オリンピック開催に反対ですが御指摘の点については以下の様に考えています。

>①五輪選手はワクチン接種するのが前提です。※私個人のワクチン信頼でなく、世論や、メディアのワクチン信奉はクリアしてますよね?

オリンピックで来日するのは選手だけではありません。オリンピックで来日する選手は約1万5千人ですが選手以外の関係者は約7万人だそうです。また選手は選手村に隔離されますが関係者は一般のホテル等に宿泊します。選手村にいる選手は厳密に管理できても、広範囲に散らばって選手の何倍も多い関係者をきちんと管理できるとは思えません。
オリンピックとは無関係ですが、昨年に入国時の規則(自宅待機)を守らずパーティーに参加し他の参加者に変異株を感染させた外国人記者がいたそうです。何万人もいる大会関係者にはこの記者のような人がいても不思議ではないと思います。既にオリンピック関係者で日本で自由に活動している人もいるようです。
https://blogos.com/article/541041/
インド人のオリンピック放送スタッフ 自由に外食、夜は歌舞伎町に
尾身会長はオリンピック開催の問題点として(選手や関係者ではなく)日本人の人流が増える事を挙げています。
選手や大会関係者が完全に隔離されたとしても、(パブリックビューイング等で)日本人が集まって盛り上がれば感染の機会が増えます。
また何万人もいるボランティアの方には(感染者が少ない)地方の方もいると思います。そのような方が(感染者の多い)東京に来て感染し、地元に帰れば地元に感染を拡げる事になります。


>②選手達のオリンピックにかける思い

仰るようにオリンピックが開催できなければ、それを目標としていた選手は無念だと思います。しかしオリンピックを開催して感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。


>③【箱物】が出来ている

【箱物】とは競技場の事でしょうか?そうであればオリンピックを中止しても【箱物】は残ります。もともと【箱物】は今大会の”レガシー”として大会終了後も末永く使用できるように建設されました。ですからオリンピックを中止しても開催できなかった大会の”レガシー”として【箱物】は末永く使用できます。


>④五輪重要を当て込んだ経済活動が既に進んでいる。

これは、オリンピックを中止したらオリンピック開催を前提として既に使ったお金が無駄になる という事でしょうか?しかし今後の事を判断するのに既に使ったお金(サンクコスト)は判断材料にすべきではないと言われています。ギャンブルで破滅する一般的なパターンは、
  既にこれだけお金を使った(損をした)から、せめてその分は取り返したい
と考えてギャンブルを続けてしまう事だそうです。


>⑤一方、日本のコロナ陽性者や死者は圧倒的に世界の趨勢を下回っている。

世界の感染者数のグラフを示して日本の状況を”さざ波”と評価しオリンピック開催反対派を批判した政府関係者がいましたが、私はその関係者が示したグラフ自体は正しくても、それをオリンピック開催の判断材料とするのは次の2点から不適当だと思います。
 1点目は、オリンピック開催の判断となるのは過去の感染者数ではなく現在および将来の感染者数だという事です。
例えばイギリスは過去には日本よりはるかに多くの感染者が発生しましたが、現在はワクチンの広範囲の接種により感染者数は大幅に低下し日本とあまり変わりません。またイギリスは今後もワクチン接種を行うので感染者数の減少が見込まれます。これに対して日本は感染者数はあまり減っていません。ワクチン接種も行われていますが、接種スピードは人口比ではイギリスに及ばず、また接種は高齢者中心で感染者の大多数を占める若年層には(医療従事者以外は)ほとんど接種されていないので今後も感染者はあまり減らないと思います。この状況はイギリスではなくアメリカやフランス、ドイツ等と比べても同様だと思います。
 2点目は、オリンピック開催の判断となるのは日本全体の感染者数ではなく競技が行われる都市の感染者数だという事です。
例えばマラソンが行われる札幌市の(人口当たりの)感染者数は日本全体の(人口当たりの)感染者数よりずっと多いです。また競技の中心である東京の(人口当たりの)感染者数も日本全体の(人口当たりの)感染者数より多いです。


>⑥夏の高校野球甲子園大会は開催予定らしいが、何故オリンピックは開催してはいけないか?

夏の高校野球甲子園大会を開催するかどうかは今後の感染状況によると思います。夏の大会はオリンピックの後なので、開催するかをオリンピックを開催するかの決定よりも後に決定できます。また昨年は夏の高校野球甲子園大会は中止だったので、今年も中止にしても(前例があるので)問題は少ないと思います。


>⑦ブロ野球等ブロスポーツは、現在日本においても、一定の条件の元、開催しているのに、何故オリンピックは開催してはいけないのか?

ブロスポーツとオリンピックでは参加者の規模が大きく違うので人流への影響も大きく異なり、同じレベルでは判断できないと思います。
またブロスポーツも最初から現在の条件だったわけではなく最初はもっと厳しい条件(無観客等)でした。特にプロ野球では、従来は遅い時間に試合が終わる事が多かったので、開始時間を早くしたり延長戦をなくしたりして試合を早い時間に終わらせる事により、試合終了後の遅い時間に人流が発生する事を減らすようにしています。オリンピックでは開催に際して、このような配慮がされているのでしょうか?

投稿: Alberich | 2021年6月 8日 (火) 21時26分

Alberichさん、コメントありがとうございました。

今週末に投稿する新規記事は少し角度を変えたタイトルを予定しています。それでも東京五輪について触れていくものと考えています。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いです。

また、幅広い視点からご意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、このコメント欄をご利用いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月12日 (土) 06時21分

>Alberichさんから勤続20年超さんへのご質問が寄せられています。

 Alberichさんからのコメントは拝読しておりました。とはいえ、ここはOTSUさんのブログですから、ただでさえ勝手に私の見解を開陳していることに正直後ろめたさがありました。まして、質問に対する答えとか、反論とか、そんなギクシャクしたやりとりになることを恐れておりました。結局、自分の主張を繰り返すだけになることにも気兼ねや遠慮もありました。
 ですが、OTSUさんのお言葉に甘えさせていただいて、Alberichさんには、見解の相違を受け止めつつ、私の見解を再度述べさせていただきます。

>オリンピックで来日するのは選手だけではありません。オリンピックで来日する選手は約1万5千人ですが選手以外の関係者は約7万人だそうです。

令和2年4月から令和3年2月まで、日本に入国した外国人は約30万人だそうです。日本人の帰国者も約30万人です。このことによって、新型コロナがまん延したという話は寡聞にして聞きません。外国人の入国が心配なら、日本人の帰国も制限しないと、辻褄が合わないのでは、と私は考えてしまいます。しかも、新型コロナ騒動下においては、さすがに一定の感染対策も当然セットで入国をしてもらう形でしょう。なぜ、オリンピック選手や関係者を、あたかも新型コロナウイルス感染者のような扱いで拒絶するのか。それは差別みたいなカンジにはなりませんか?

>また選手は選手村に隔離されますが関係者は一般のホテル等に宿泊します。選手村にいる選手は厳密に管理できても、広範囲に散らばって選手の何倍も多い関係者をきちんと管理できるとは思えません。

この新型コロナ騒動において、不必要に怯える世論を忖度するなら オリンピック選手や関係者を一定の管理下におくことはやむを得ないかもしれません。しかし、昨年4月以降において外国人から感染が広がったという事実は、これも私は寡聞にして知りません。

>しかしオリンピックを開催して感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。

1998年の長野オリンピックでは、インフルエンザ患者数は49万以上だったそうです。この時は子供も16人亡くなったそうです。因みに、今回の新型コロナ騒動において、20歳未満の若年層の死者、重症者はゼロです。新型コロナ騒動下においても、2020年の国内死亡者数は9000人減少しています。当然、超過死亡もありません。この事実は大事だと思います。「感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。」というのは、感傷に過ぎないとは思いませんか?何故なら、日本人は新型コロナ以外の多数の死因により、毎日沢山の方が亡くなっているからです。
 にもかかわらず、傍観者(即ち我々)の一時の感傷に過ぎないことによって、真剣に、選手生命もかけて闘って、自らを追い込んで取り組んできたオリンピック選手達に、開催中止を勧告する、そんな姿勢は私には絶対に出来ません。

>ですからオリンピックを中止しても開催できなかった大会の”レガシー”として【箱物】は末永く使用できます。

 オリンピックのために、またオリンピックが開催されるからこそ、建築されたものもあるでしょう。オリンピックが開催されないなら、それこそ、文字通りの税金の無駄遣いです。

>ギャンブルで破滅する一般的なパターンは、既にこれだけお金を使った(損をした)から、せめてその分は取り返したいと考えてギャンブルを続けてしまう事だそうです。

 オリンピックはギャンブルではありませんし、経済波及効果は1兆8000億円と試算されています。中止となれば、それがまるまる失われるわけですし、市井の人々に少なからぬ影響があるでしょう。私は、そのような経済効果を無視する議論には与できません。

>オリンピック開催の判断となるのは過去の感染者数ではなく現在および将来の感染者数だという事です。

 日本において、感染者も死者も欧米と比べれば「さざ波」であることは事実です。先ずは、その事実から私は論理を組み立てています。この一年で、新型コロナというものが、データにより、ハッキリ見えてきています。にもかかわらず、今後「42万人死亡する」かの議論をするなら、およそ論外でしょう。未だに、間違った見解を示した「専門家」が、堂々とメディアで発言の機会を与えられていることは、驚きです。そして、陽性と感染は異なります。今、日本で「感染者」と言われている方は、「陽性者」に過ぎません。陽性者はイコール感染者ではありません。

>例えばイギリスは過去には日本よりはるかに多くの感染者が発生しましたが、現在はワクチンの広範囲の接種により感染者数は大幅に低下し日本とあまり変わりません。またイギリスは今後もワクチン接種を行うので感染者数の減少が見込まれます。

 イギリスについては、「ワクチン先進国」にも関わらず、少なくとも現状では死者、感染者が増えています。札幌医科大学のコロナに関するHPによると、そう言えます。

>これに対して日本は感染者数はあまり減っていません。

これは比較論として言えば、事実誤認ではないですか?欧米に比較してもともと日本は陽性者、死者は圧倒的に少ないのですから。

>ワクチン接種も行われていますが、接種スピードは人口比ではイギリスに及ばず、

 ワクチンについて言えば、日本ではすでに197人の方が接種後に亡くなっていますね。ワクチンが新たなコロナ禍にならないことを祈るばかりです。

>また接種は高齢者中心で感染者の大多数を占める若年層には(医療従事者以外は)ほとんど接種されていないので今後も感染者はあまり減らないと思います。

 そもそも、20代までで陽性者は約25万人いますが、死者は20代で7人だけ。重症者はゼロです。これが20代未満になると、死者・重症者もゼロ。つまり、若者達にとって、コロナは「風邪に過ぎません」。この事実からすれば、若者達に新型コロナワクチンを接種させること自体が不要だと考えます。しかも、すでに197人の方が、新型コロナワクチン接種後亡くなっていることは既に述べました。リスクとベネフィットを比較して、若者達にワクチン接種を勧めることは不適切ではないでしょうか?

>オリンピック開催の判断となるのは日本全体の感染者数ではなく競技が行われる都市の感染者数だという事です。例えばマラソンが行われる札幌市の(人口当たりの)感染者数は日本全体の(人口当たりの)感染者数よりずっと多いです。また競技の中心である東京の(人口当たりの)感染者数も日本全体の(人口当たりの)感染者数より多いです。

さざ波ですから、日本は世界と比較しても、感染者や死者が少ないのは事実ですので、そこを踏まえて考えることが必要ではないでしょうか?日本では、未だにパンデミックは発生していないのではないでしょうか?

>また昨年は夏の高校野球甲子園大会は中止だったので、今年も中止にしても(前例があるので)問題は少ないと思います。

 高校球児達や保護者、関係者、地元の応援団、高校野球ファンにとっては、大問題でしょう。それを思うと、私は開催させてあげたいです。

>プロスポーツとオリンピックでは参加者の規模が大きく違うので人流への影響も大きく異なり、同じレベルでは判断できないと思います。

 中継を見る限り、野球には結構な観客が見えます。入場者数は6月11日現在で、約320万人だそうです。私は、何も問題ないと考えていますし、野球がこれだけ観客動員しているのに、オリンピックが開催できない、というなら、私としては辻褄の合わない議論だとしか思えません。

投稿: 勤続20年超 | 2021年6月13日 (日) 12時04分

勤続20年超さん、コメントありがとうございました。

私へのお気遣いだったと伺い恐縮しています。最近はお寄せいただくコメントそのものが少なくなっていますが、以前はコメント投稿者同士の議論が活発でした。

そこで交わされる内容に私自身も一閲覧者として注目し、たいへん興味深く拝見していました。Alberichさんや勤続20年超さんのように見解の相違を認め合った上、相手方に「なるほど」と思わせるような言葉の競い合いだった場合、幅広い考え方に触れられる貴重な場になっていたためいつも感謝していました。

このように考えていますので勤続20年超さんのご判断で遠慮せず、これからも当ブログのコメント欄をご利用ください。ただ管理人である私自身のレスが土日に限られることだけご理解ご容赦くださるようお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月13日 (日) 18時05分

>Alberichさんから勤続20年超さんへのご質問が寄せられています。

申し訳ありません。私が申し上げたのは勤続20年超殿への質問ではありません。
勤続20年超殿が
>東京オリンピック反対派の方は、上記の疑問に全て合理的な答えを持った上で、反対なのでしょうかね?
と仰ったので、一人の東京オリンピック反対派として勤続20年超殿の疑問に対して個人的な意見を申し上げました。


>>オリンピックで来日するのは選手だけではありません。オリンピックで来日する選手は約1万5千人ですが選手以外の関係者は約7万人だそうです。
>令和2年4月から令和3年2月まで、日本に入国した外国人は約30万人だそうです。日本人の帰国者も約30万人です。このことによって、新型コロナがまん延したという話は寡聞にして聞きません。

感染研によると、コロナウィルスのゲノム解析により、昨年蔓延したウィルスは中国ではなく欧米で蔓延したウィルスであり、欧米からの入国者(帰国者)が持ち込んだとみられるそうです。
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20200430_01/
国内で感染拡大の新型コロナは欧米から 「現在は第2波」と感染研がゲノム解析で見解
また前回申し上げましたが、英国から日本に入国した外国人の記者が日本人にα株(英国で発生した変異株)を感染させた例があります。
勤続20年超殿は、入国者や帰国者が日本で持ち込んだのでなければ、去年の流行や今年のα株の流行は何が原因だったとお考えですか?


>外国人の入国が心配なら、日本人の帰国も制限しないと、辻褄が合わないのでは、と私は考えてしまいます。

この点は私も同意見です。


>なぜ、オリンピック選手や関係者を、あたかも新型コロナウイルス感染者のような扱いで拒絶するのか。それは差別みたいなカンジにはなりませんか?

オリンピック選手や関係者を、あたかも新型コロナウイルス感染者のように扱うのは差別をしているのではありません。本来は入国者(帰国者)全員を、新型コロナウイルスに感染していると考えて対応(14日間の隔離 等)すべきです。日本はその対応がゆるく不十分だったためウィルスを水際で阻止できず国内で蔓延しました。オリンピック選手や関係者に対しては、色々と理由をつけて本来の対応(隔離)よりゆるくするようです。私は過去の例から考えて、今回だけはゆるゆる対応でも国内にウィルスが持ち込まれないとは思えません。


>>また選手は選手村に隔離されますが関係者は一般のホテル等に宿泊します。選手村にいる選手は厳密に管理できても、広範囲に散らばって選手の何倍も多い関係者をきちんと管理できるとは思えません。
>この新型コロナ騒動において、不必要に怯える世論を忖度するなら オリンピック選手や関係者を一定の管理下におくことはやむを得ないかもしれません。

オリンピック選手や関係者を一定の管理下におくことは、この新型コロナ騒動において、不必要に怯える世論を忖度しているからでしょうか?
私の知る範囲では世界のほとんどの国は外国からの入国者(帰国者)を一定の管理下(一定期間の隔離)に置いていますが、これは世界のほとんどの国でも、この新型コロナ騒動において、不必要に怯える世論を忖度しているからでしょうか?


>>しかしオリンピックを開催して感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。
>新型コロナ騒動下においても、2020年の国内死亡者数は9000人減少しています。当然、超過死亡もありません。この事実は大事だと思います。

私は、国内死亡者数が減少しているという事実は重要だと思いますがコロナによる死者が増加しているという事実も同様に重要だと思います。


>「感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。」というのは、感傷に過ぎないとは思いませんか?何故なら、日本人は新型コロナ以外の多数の死因により、毎日沢山の方が亡くなっているからです。にもかかわらず、傍観者(即ち我々)の一時の感傷に過ぎないことによって、真剣に、選手生命もかけて闘って、自らを追い込んで取り組んできたオリンピック選手達に、開催中止を勧告する、そんな姿勢は私には絶対に出来ません。

私は、国内死亡者数が減少したから一部で死者ば増えた事を問題にするのは感傷に過ぎない とは思いません。コロナ対策に対して 「コロナ対策により失業者が増え、それによる自殺者が増えた」 という批判があります。
勤続20年超殿は、
  日本人は新型コロナ以外の多数の死因により、毎日沢山の方が亡くなっているから
  「コロナ対策により失業し、それによって自殺された方やその関係者も無念だと思います。」
  という意見も感傷に過ぎない
と思われますか?
なぜ「感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。」というのは感傷に過ぎず、「真剣に、選手生命もかけて闘って、自らを追い込んで取り組んできたオリンピック選手達のためにオリンピック開催を主張する」事は感傷ではないのでしょうか?私は前者の主張が感傷だとすれば後者の主張も感傷だと思います。しかも前者が問題にしているのは患者の生命ですが、後者が問題としているのは選手の(生命ではなく)選手生命です。
傍観者(即ち我々)の一時の感傷に過ぎないことによって、感染による死者や失業による自殺者を増やす可能性の高いオリンピック開催を支持する そんな姿勢は私には絶対に出来ません。


>>ですからオリンピックを中止しても開催できなかった大会の”レガシー”として【箱物】は末永く使用できます。
> オリンピックのために、またオリンピックが開催されるからこそ、建築されたものもあるでしょう。オリンピックが開催されないなら、それこそ、文字通りの税金の無駄遣いです。

仰るように、これらの箱物はオリンピックが開催されるからこそ(レガシーとして)建築されたと思います。しかしこれらの箱物はオリンピックが開催されなくても末永く使用できるので、箱物を建設したからオリンピックを開催すべきだ とは思いません。


>>ギャンブルで破滅する一般的なパターンは、既にこれだけお金を使った(損をした)から、せめてその分は取り返したいと考えてギャンブルを続けてしまう事だそうです。
> オリンピックはギャンブルではありませんし、

 既に使ってしまった(取り返せない)費用を考慮すると、今後の行動に関する正しい判断ができない
という点では、ギャンブルもオリンピック開催も同じだと思います


>経済波及効果は1兆8000億円と試算されています。中止となれば、それがまるまる失われるわけですし、市井の人々に少なからぬ影響があるでしょう。

その1兆8000億円の大部分は大会経費だそうです。オリンピックが中止になると経費が使われないので経済波及効果がなくなるという主張ですが違和感があります。例えば大会経費にはコロナ対策費約1000億円が含まれています。オリンピックが中止になるとコロナ対策の必要がなくなるので約1000億円は使われなくなるなりますが、これは約1000億円の経済波及効果が失われたと判断すべきでしょうか?


>私は、そのような経済効果を無視する議論には与できません。

オリンピックが開催され感染者が増加すればコロナ対策を強化する必要がありますが、それによる経済損失が発生すると思います。勤続20年超殿はそのような(負の)経済効果をどのように評価されますか?


>>オリンピック開催の判断となるのは過去の感染者数ではなく現在および将来の感染者数だという事です。
> 日本において、感染者も死者も欧米と比べれば「さざ波」であることは事実です。先ずは、その事実から私は論理を組み立てています。

勤続20年超殿は、どのような論理を組み立てられるのでしょうか?
私は事実といえるのは、
  日本において、感染者も死者も欧米と比べれば「さざ波」であった時期があった
という事だと思います。
政府関係者が ”日本の状況は「さざ波」である”という記事を投稿した5月9日時点での、イギリス、日本、東京 の100万人当たりの新規感染者数の7日間平均は、それぞれ 33人 41人 55人 です。5月9日時点では日本の感染者はイギリスに比べて 「さざ波」とは言えないと思います。1週間前の5月2日時点での値は 33人 41人 59人 で9日とそれほど変わりません。


>この一年で、新型コロナというものが、データにより、ハッキリ見えてきています。

どのようなデータにより、どのような事が ハッキリ見えてきて いるのでしょうか?


>>例えばイギリスは過去には日本よりはるかに多くの感染者が発生しましたが、現在はワクチンの広範囲の接種により感染者数は大幅に低下し日本とあまり変わりません。またイギリスは今後もワクチン接種を行うので感染者数の減少が見込まれます。
> イギリスについては、「ワクチン先進国」にも関わらず、少なくとも現状では死者、感染者が増えています。札幌医科大学のコロナに関するHPによると、そう言えます。

仰るように、現状でのイギリスの感染者は5月初めよりも増えていて日本より多くなっています(死者はまだ日本のほうが多いようですが)。これは感染力の強いδ株(インドで発生した変異株)の蔓延が原因だと言われています。日本でも既にδ株の感染者が確認され、中学校や療養施設の職員等これまでクラスタが発生しなかった場所でクラスタが発生しています。イギリスの現在の状況が日本の1ヶ月後の状況でない事を願っています。


>>オリンピック開催の判断となるのは日本全体の感染者数ではなく競技が行われる都市の感染者数だという事です。例えばマラソンが行われる札幌市の(人口当たりの)感染者数は日本全体の(人口当たりの)感染者数よりずっと多いです。また競技の中心である東京の(人口当たりの)感染者数も日本全体の(人口当たりの)感染者数より多いです。
>さざ波ですから、日本は世界と比較しても、感染者や死者が少ないのは事実ですので、そこを踏まえて考えることが必要ではないでしょうか?

日本が(世界ではなく)欧米と比べて感染者や死者が大幅に少なかったのは過去の一時期です。また(世界の中の)東アジアの国と比べると感染者や死者はそれほど少なくありません。台湾、NZ、ベトナム等と比べると日本の感染者や死者は「さざ波」ではなく「大波」です。


>日本では、未だにパンデミックは発生していないのではないでしょうか?

少し前まで大阪圏では、入院が必要な患者の一部しか入院できず自宅で治療を受けられずに亡くなる感染者が続出しました。勤続20年超殿は、このような状況はパンデミックと思われますか?それとも「さざ波」と思われますか?また大坂圏では新型コロナ以外の多数の死因により、毎日沢山の方が亡くなっているから、このような状況を問題にするのは感傷に過ぎない とお考えですか?


>プロスポーツとオリンピックでは参加者の規模が大きく違うので人流への影響も大きく異なり、同じレベルでは判断できないと思います。
>中継を見る限り、野球には結構な観客が見えます。入場者数は6月11日現在で、約320万人だそうです。

プロ野球では緊急事態が発令されている地域の試合の観客数は5000人に制限されていたと思います(ソフトバンクではホーム球場のある福岡県に緊急事態宣言が発令されている期間はホーム球場は無観客にしています)。320万人というのは4月に開幕してからこれまで12球団が行った試合の入場者の合計だと思います。


>私は、何も問題ないと考えていますし、

勤続20年超殿のように何も問題ないと考えておられる方もいらっしゃいますが、問題があると考えておられる方もいらっしゃいます。例えば政府の分科会の尾身会長は、オリンピックは規模や社会的な注目度が他のスポーツイベントとは別格なので無観客での開催が望ましいが、観客を入れるのであれば、現行の大規模イベントの開催基準より厳しい基準を採用すべきだと述べています。


>野球がこれだけ観客動員しているのに、オリンピックが開催できない、というなら、私としては辻褄の合わない議論だとしか思えません。

プロ野球ではいきなりこれだけの観客を動員したのではありません。無観客試合から始まり、対応を改善しながら少しずつ観客を増やしてきました。また夜遅くなってからの人流を減らすために開始時間を早めたり延長をやめ9回で終了する等の終了時刻を早める対応をとっています。これだけの対応をしているプロ野球に対して観客動員数だけを考慮して、
  野球がこれだけ観客動員しているのに、オリンピックが開催できない、というのは辻褄合わない議論だ 
というのはおかしいと思います。

投稿: Alberich | 2021年6月19日 (土) 21時46分

Alberichさん、コメントありがとうございました。

少し勇み足だったかも知れず、たいへん失礼致しました。もともと当ブログのコメント欄は自由度を高くして掲示板のような利用を歓迎しています。

そのことによって幅広い視点からご意見を伺える機会につながり、たいへん貴重なことだと感謝しています。そのため、ぜひ、これからもお時間等が許される際、このコメント欄をご利用いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月20日 (日) 06時25分

 Alberich様、貴重なご指摘ありがとうございます。おかげさまで、私自身の考えをまとめたり、整理することができました。新型コロナ騒動に関しては、私の考えはAlberichさんとは異なりますが、率直な意見交換は日常の生活ではなかなか出来るものではありません。その意味では、私自身の考えを開陳する契機を作っていただいたことに感謝いたします。ご質問の形式でコメントいただきましたので、僭越ながら以下に再度応答をさせていただいた形ですが、「掲示板」的意見交換は延々と続けてはならない、と私なりに学習してきました。従いまして、言いっぱなしをご容赦下さい。

>感染研によると、コロナウィルスのゲノム解析により、昨年蔓延したウィルスは中国ではなく欧米で蔓延したウィルスであり、欧米からの入国者(帰国者)が持ち込んだとみられるそうです。勤続20年超殿は、入国者や帰国者が日本で持ち込んだのでなければ、去年の流行や今年のα株の流行は何が原因だったとお考えですか?

 グローバリゼーションの時代ですから、国を越えた人・モノの往来に伴い、好ましからざる輸入がありうるとは、私も認めます。ただし、私が言いたかったことは、あくまでも昨年4月以降の海外移動に関する状況を前提としています。Alberichさんからのご指摘に対して、「令和2年4月から令和3年2月まで、日本に入国した外国人は約30万人だそうです。」と私がお答えしたのは、そのような理由です。つまり、令和2年4月以降ならば、さすがに本邦入国にあたって、水際対策とか入国管理の厳格化、強化が進められたはずではないか、という趣旨です。ご指摘のHPを読ませていただきましたが。「武漢から発したウイルスは変異して欧州や北米で感染爆発を起こし、その変異ウイルスが3月中旬までに海外からの帰国者により持ち込まれて国内に流入。」とあります。3月中旬までに流入とありますから、変異株に関して言えば、私の主張とは、時期の問題として矛盾はありません。私はあくまで、昨年4月以降の日本への入国者に対する水際対策や入国管理の徹底を踏まえた状況、つまり、一定の対策をとり、一定のコントロールの下であるならば、東京五輪を開催することになんら問題はない、という認識を主張しています。
 それと、多くの方が誤った認識をしているようですが、変異株は、海外から風に乗って飛んでくるとかは論外ですが、外国人が持ち込むとか、そのようなことだけで、国内においてまん延するわけではありません。よく国名と変異株が結び付けて呼ばれています。だから、誤解する向きが多いのでしょうが、ウイルスは変異することで、自らを延命させているのであり、日本国内でも変異が繰り返されている可能性は当然あります。どこそこの国で初めて確認された、というのは、日本国内においても、同じ変異が起こる可能性があるということで、国名と変異株を結びつけることは偏見の種になりかねません。即ち変異株とは、どこそこの国で初めて「確認された」だけであり、その国から世界中にバラまかれていった、というような意味ではないのです。それに、渡航歴のない人にも、日本国内において変異株が観察されているのは、国内において、変異した可能性を示唆しているのではないでしょうか?

>私の知る範囲では世界のほとんどの国は外国からの入国者(帰国者)を一定の管理下(一定期間の隔離)に置いていますが、これは世界のほとんどの国でも、この新型コロナ騒動において、不必要に怯える世論を忖度しているからでしょうか?

 少なくとも日本に関して言えば、日本の陽性者や死者、重症者は諸外国と比較するなら、「さざ波」です。否、「凪」かもしれません。この事実を前提とするなら、日本においてはマスメディアによって必要以上に恐怖を植え付けられたインフォデミック下における、世論への忖度ということは否めないと思われます。その上で、どこの国も完全に完全なる鎖国状態にあるのではなく、一定の水際対策や入国管理の下に、外国人の入国は受け入れていることでしょう。このグローバリゼーションの中で、完全なる鎖国など非現実的だと思います。

>私は、国内死亡者数が減少しているという事実は重要だと思いますがコロナによる死者が増加しているという事実も同様に重要だと思います。
>私は、国内死亡者数が減少したから一部で死者ば増えた事を問題にするのは感傷に過ぎない とは思いません。

 辻褄の合わない合わないことがあります。昨今のように新型コロナ死を過剰に悼むのなら、なぜ日本人は毎年多数の人がインフルエンザウイルスによって亡くなってきたことは傍観してきたのでしょうか?インフルエンザでは、2019年から2020年までの一年間で、直接間接の死者は約10,000人ですが、新型コロナ死は2020年から2021年にかけて約4000人です。死者は明らかにインフルエンザ罹患者のほうが多いのに、2019年までは感染防止を理由とした自粛はなく、飲食店等への営業制限もなく、失業も廃業もなく、誰もが平穏に暮らしていました。
 私は新型コロナを過剰にこわがる人に対して、この点に関してお聞きしたいと、常々考えてきました。各種メディアにおいて、私の知る限り、正面から答えているものはありません。私は、インフルエンザは傍観して対策を求めずにいて、新型コロナ死だけを過剰に意味づけして感情移入する姿勢ならば、それに対しては「感傷」という言葉以外には、表現が見当たりません。

>「コロナ対策により失業し、それによって自殺された方やその関係者も無念だと思います。」という意見も感傷に過ぎないと思われますか?

「コロナ対策により失業し、それによって自殺された方」について、私は不合理で辻褄のあわない感傷という名の黙殺による被害者であり、犠牲者であると考えています。一方、私は、コロナ死については、超過死亡がない以上、インフルエンザによる死亡と同様に通常の病死であり、寿命であると考えています。従って、自殺増加という社会問題よりは、その対策という点において、優先度の低い現象だと考えております。

>なぜ「感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。」というのは感傷に過ぎず、「真剣に、選手生命もかけて闘って、自らを追い込んで取り組んできたオリンピック選手達のためにオリンピック開催を主張する」事は感傷ではないのでしょうか?私は前者の主張が感傷だとすれば後者の主張も感傷だと思います。

 私は日本社会においてのインフルエンザウイルスへの対応と、今回の新型コロナに対する対応に一貫性のなさ、辻褄のあわない問題点を見出しています。即ち、インフルエンザへの対応との比較において新型コロナウイルスへの日本社会の対応は非論理的であり、矛盾していると考えています。そのような、非理性的な不合理な対応対策の結果、自殺者が増え、オリンピック選手だけでなく人生をかけて真剣に取り組んできた人々に理不尽な仕打ちが打ち下ろされるなら、そのことに対して問題提起をするのは当然だと考えます。従って、これは感傷ではなく、辻褄の合わない不合理な社会問題への意見表明です。


>オリンピックが開催され感染者が増加すればコロナ対策を強化する必要がありますが、それによる経済損失が発生すると思います。勤続20年超殿はそのような(負の)経済効果をどのように評価されますか?

 そうした問題は或いは発生するかもしれません。しかし、それを言うなら、一刻も早いこのコロナ禍における自粛や緊急事態宣言とか、まん延防止措置の不合理を考えるべきだというのが私の考えです。私の考えでは、不必要な過剰対策により、経済的損失を既に発生させ、自分で自分の首を絞めてきたのが、日本社会の姿だと考えています。

>日本において、感染者も死者も欧米と比べれば「さざ波」であった時期があったという事だと思います。

 日本において、新型コロナは変わらずに「さざ波」です。しかも、この間は一貫して陽性者は右下がりに下降しています。死者、重症者も間違いなく減少傾向です。札幌医科大学の新型コロナの「人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移【世界・国別】」によると、日本は「7日間の新規感染者数(人口100万人あたり)2021/06/20現在」は、79.7人で先週比79.7%。一方、ご指摘のイギリスですが、947人で同131.3%です。イギリスはワクチン接種「先進国」として知られていますね。ワクチンは発症予防効果しかないようですから、感染は抑えられないのですかね?それにしても、ワクチン接種の「効果」に疑問符が付きはしないでしょうか?また、「7日間の新規死者数(人口100万人あたり)2021/06/20現在」では、日本は2.8人で先週比71.1%。イギリスは1.1人で、同110.8%。ただし、イギリスについては、死者1.1人だから、さすが日本よりワクチン接種「先進国」との誤解なきように記載しますが、そもそもイギリスの死者は、人口100万人あたり死者数で1889人です。一方、日本は人口100万人あたり死者数で113人です。イギリスは100万人あたり死者数において、日本の約17倍です。これでは、日本とイギリスを比較しても、日本は「凪」だという受け止め方のほうが、信ぴょう性が高いと考えるのは、私だけなのでしょうか?

>どのようなデータにより、どのような事が ハッキリ見えてきて いるのでしょうか?

 東洋経済の『新型コロナウイルス国内の感染状況』は、私は毎日閲覧しています。また上記の札幌医科大学のHPも毎日閲覧しています。それにより、日本の新型コロナに関する現状は、「さざ波」だと認識しました。

> これは感染力の強いδ株(インドで発生した変異株)の蔓延が原因だと言われています。日本でも既にδ株の感染者が確認され、中学校や療養施設の職員等これまでクラスタが発生しなかった場所でクラスタが発生しています。

 本来、感染者(正しくは陽性者だと考えますが)より、死者や重症者の数により、変異株の問題を評価するべきです。変異株により、死者、重症者が増えたという情報は寡聞にして聞いておりません。少なくとも、子供には重症者が増えたというデータは無いようです。感染力が高いらしい、という情報は私も聞きました。しかし、死者、重症者に影響がないなら、特別な対応策の必要はないのでは?と考えてしまいます。

>また(世界の中の)東アジアの国と比べると感染者や死者はそれほど少なくありません。台湾、NZ、ベトナム等と比べると日本の感染者や死者は「さざ波」ではなく「大波」です。

 確かに、日本は例えば韓国、中国と比較して死者等が多いです。ですが、それは高齢化率が日本は高いからではないでしょうか?高齢者が長生きすれば、新型コロナ罹患により亡くなる人も多いということではないでしょうか?ですから、「大波」という表現はどう考えても誇大だと思います。そもそも、日本を含む東アジア諸国は、何故欧米より陽性者や死者、重症者が少ないのか、そのファクターXへの注目と、日本独自の新型コロナ対策を行うべきです。明らかに欧米と異なる新型コロナの影響の一方で、欧米の新型コロナ対策の模倣に終始するから、無用な混乱と社会の疲弊を招いている、というのが私の認識です。

>少し前まで大阪圏では、入院が必要な患者の一部しか入院できず自宅で治療を受けられずに亡くなる感染者が続出しました。勤続20年超殿は、このような状況はパンデミックと思われますか?それとも「さざ波」と思われますか?また大坂圏では新型コロナ以外の多数の死因により、毎日沢山の方が亡くなっているから、このような状況を問題にするのは感傷に過ぎない とお考えですか?

大阪圏での死者の増大は、日本の医療資源の無駄遣いが背景にあると考えています。病床数世界一で、優秀な医療従事者や医療設備をもってして、何故「医療崩壊」だの「医療逼迫」などと言われるのか、その根本問題に目を向けるべきです。単に医療者に感謝し続けるだけでは済まないと思います。つまり、国公立病院の一部の大病院や大学病院しか新型コロナ重症者等を受け入れない。軽症中等症患者は町医者では診ないという日本の医療システムの問題を背景に発生したと考えています。それは、指定感染症2類という新型コロナに対する制度的縛りの問題です。ですから、「さざ波」なのに、制度の壁で死を強いられた人災の要素が強いと考えています。まことにいたましいことです。従って、単に亡くなった方を悼むという感傷を越えて、日本医師会の在り方や、指定感染症2類という現在の態様が正しいのかどうか、という観点、即ち社会問題として捉えることが大事だと考えます。それは、私としては感傷とは違う受け止め方です。

>政府の分科会の尾身会長は、オリンピックは規模や社会的な注目度が他のスポーツイベントとは別格なので無観客での開催が望ましい

世界的なスポーツイベントは既に沢山開催されています。F1レースとか、全豪オープンテニスとか、マスターズゴルフとか、欧州サッカー大会とか。そうした開催事例から、感染対策や水際対策、入国管理等を、ノウハウとして学べばよいだけではないでしょうか?それに、オリンピック以外にも今後多数のスポーツ世界大会は、各国を舞台に開催されます。日本でも、これから高校野球が開催されますね。日本のプロ野球も多数の観客動員を得ながら、日常を取り戻すためにも、どんどん続けてもらいたいものです。尾身会長ら「専門家」からは、市井の人々の日常を取り戻すための視点が感じられないことは残念です。尾身会長らは「ハンマーアンドダンス」を繰り返すだけで、新型コロナ騒動を延々と未来永劫続けるつもりでしょうか?風邪はゼロには出来ません。「出口」を見据えない専門家達は社会を破壊し続けるだけではないか、と危惧しております。

投稿: 勤続20年超 | 2021年6月21日 (月) 22時33分

勤続20年超さん、コメントありがとうございました。

今回の問題に限らず、より望ましい「答え」を見出すためには多面的な情報や考え方に触れ合っていくことが重要です。ぜひ、これからもお時間等が許される際、勤続20年超さんから貴重なご意見がお寄せいただければ有難いことですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月26日 (土) 07時27分

>つまり、令和2年4月以降ならば、さすがに本邦入国にあたって、水際対策とか入国管理の厳格化、強化が進められたはずではないか、という趣旨です。
>私はあくまで、昨年4月以降の日本への入国者に対する水際対策や入国管理の徹底を踏まえた状況、つまり、一定の対策をとり、一定のコントロールの下であるならば、東京五輪を開催することになんら問題はない、という認識を主張しています。

仰るように4月以降に水際対策や入国管理は厳格化、強化されました。しかし問題なのは、それらが東京五輪を開催することになんら問題はない程度つまり国外からのウィルスが国内で蔓延するのを防ぐ程度まで厳格化、強化されたかという点です。前に申し上げたように、厳格化、強化された水際対策や入国管理ではイギリスからの入国者が国内でα株(イギリス由来の変異株)の患者を発生させる事を防げませんでした。インドからのδ株についても同様です。


>ウイルスは変異することで、自らを延命させているのであり、日本国内でも変異が繰り返されている可能性は当然あります。どこそこの国で初めて確認された、というのは、日本国内においても、同じ変異が起こる可能性があるということで、国名と変異株を結びつけることは偏見の種になりかねません。

仰るように世界と同じように日本でもコロナウィルスのゲノムは変異しています。しかし日本を含め世界で起きているコロナウィルスのゲノムの変異は小規模なものです。様々なコロナウィルスのゲノムの小規模な変異を解析する事により、それらのウィルス間の系統関係が解析できます。前回提示した資料にあるウィルス間の系統図や日本で流行したウィルスは欧米由来であるという分析は、この変異の解析に基づくものです。勤続20年超殿が仰るような 日本で外国株と関係ないウィルスのゲノムがたまたま外国株と同じゲノムに変異する という事は、瓜の蔓に茄子が生る(瓜のゲノムがたまたま茄子と同じゲノムに変異する)事がありえないのと同じ様にありえないと思います。


>それに、渡航歴のない人にも、日本国内において変異株が観察されているのは、国内において、変異した可能性を示唆しているのではないでしょうか?

日本国内において渡航歴のない人にも海外で発生したのと同じ変異株が観察されているのは、国内において海外とは独立に同じ変異株に変異したと考えるより、入国(帰国)した人が海外から持ち込んだ変異株に感染した と考えるほうが合理的だと思います。


>>私の知る範囲では世界のほとんどの国は外国からの入国者(帰国者)を一定の管理下(一定期間の隔離)に置いていますが、これは世界のほとんどの国でも、この新型コロナ騒動において、不必要に怯える世論を忖度しているからでしょうか?
>少なくとも日本に関して言えば、日本の陽性者や死者、重症者は諸外国と比較するなら、「さざ波」です。否、「凪」かもしれません。この事実を前提とするなら、日本においてはマスメディアによって必要以上に恐怖を植え付けられたインフォデミック下における、世論への忖度ということは否めないと思われます。

台湾では国内で感染者が発生しない状況が1年以上続きました。私はこのような状況を「凪」というべきだと思います。この「凪」状況は入国(帰国)者の厳格な管理によって達成されました。この事実を前提とするなら、日本に比べて「凪」状況の台湾が入国(帰国)者の厳格な管理を行ったのは、マスメディアによって必要以上に恐怖を植え付けられたインフォデミック下における、世論への忖度によるものだとは思えません。


>どこの国も完全に完全なる鎖国状態にあるのではなく、一定の水際対策や入国管理の下に、外国人の入国は受け入れていることでしょう。このグローバリゼーションの中で、完全なる鎖国など非現実的だと思います。

私はコロナ対策として完全なる鎖国状態を要求している国を寡聞にして知りません。私が申し上げているのは、入国者(帰国者)に対してちゃんとした管理(全員を一定期間隔離)をすべきだという事です。日本では残念ながら管理がゆるゆるだったので変異株が管理をすり抜けて国内に変異株による感染が蔓延しました。


>>私は、国内死亡者数が減少しているという事実は重要だと思いますがコロナによる死者が増加しているという事実も同様に重要だと思います。
>>私は、国内死亡者数が減少したから一部で死者ば増えた事を問題にするのは感傷に過ぎない とは思いません。
>辻褄の合わない合わないことがあります。昨今のように新型コロナ死を過剰に悼むのなら、なぜ日本人は毎年多数の人がインフルエンザウイルスによって亡くなってきたことは傍観してきたのでしょうか?インフルエンザでは、2019年から2020年までの一年間で、直接間接の死者は約10,000人ですが、新型コロナ死は2020年から2021年にかけて約4000人です。死者は明らかにインフルエンザ罹患者のほうが多いのに、2019年までは感染防止を理由とした自粛はなく、飲食店等への営業制限もなく、失業も廃業もなく、誰もが平穏に暮らしていました。
>私は新型コロナを過剰にこわがる人に対して、この点に関してお聞きしたいと、常々考えてきました。各種メディアにおいて、私の知る限り、正面から答えているものはありません。私は、インフルエンザは傍観して対策を求めずにいて、新型コロナ死だけを過剰に意味づけして感情移入する姿勢ならば、それに対しては「感傷」という言葉以外には、表現が見当たりません。

昨年、東京の病院でクラスタが発生し入院患者を中心に多数の高齢者が亡くなりました。クラスタが発生し高齢者が亡くなった介護施設もありました。これらの病院や施設は高齢者が多かったのでインフルエンザ対策よりずっと厳重なコロナ対策を行っていました。従来のインフルエンザ対策程度の対応ではもっと多くの方が亡くなったと思います。また大部分の病院や施設ではコロナ対策によって亡くなった方はいらっしゃいませんでしたが、それらの病院や施設でも従来程度の対策では亡くなった方も多かったと思います。つまりコロナの死者が約4000人というのは、従来のインフルエンザ対策よりもずっと厳重な対策をとったにもかかわらず、それだけの方が亡くなったという事であり、従来のインフルエンザ対策での死者の数と単純に比較するのは不適当だと思います。
また勤続20年超殿は2019年から2020年までのインフルエンザウイルスによって亡くなった方の数を挙げておられますが、直近の2020年から2021年のインフルエンザの患者数は前年より激減しているので亡くなった方の数も激減してコロナによって亡くなった数を下回っている可能性もあります。


>>「コロナ対策により失業し、それによって自殺された方やその関係者も無念だと思います。」という意見も感傷に過ぎないと思われますか?
>「コロナ対策により失業し、それによって自殺された方」について、私は不合理で辻褄のあわない感傷という名の黙殺による被害者であり、犠牲者であると考えています。一方、私は、コロナ死については、超過死亡がない以上、インフルエンザによる死亡と同様に通常の病死であり、寿命であると考えています。従って、自殺増加という社会問題よりは、その対策という点において、優先度の低い現象だと考えております。

私は、対応手段がある病気に対して寿命であるという理由で対応手段の優先順位を下げるのは良くないと思います。そもそもコロナによる死者の増加と自殺者の増加という問題は優先順位をつけるべきではなく両立して解決すべきだと思います。


>>なぜ「感染が拡大すれば、それによって亡くなる方やその関係者も無念だと思います。」というのは感傷に過ぎず、「真剣に、選手生命もかけて闘って、自らを追い込んで取り組んできたオリンピック選手達のためにオリンピック開催を主張する」事は感傷ではないのでしょうか?私は前者の主張が感傷だとすれば後者の主張も感傷だと思います。
>私は日本社会においてのインフルエンザウイルスへの対応と、今回の新型コロナに対する対応に一貫性のなさ、辻褄のあわない問題点を見出しています。即ち、インフルエンザへの対応との比較において新型コロナウイルスへの日本社会の対応は非論理的であり、矛盾していると考えています。そのような、非理性的な不合理な対応対策の結果、自殺者が増え、オリンピック選手だけでなく人生をかけて真剣に取り組んできた人々に理不尽な仕打ちが打ち下ろされるなら、そのことに対して問題提起をするのは当然だと考えます。従って、これは感傷ではなく、辻褄の合わない不合理な社会問題への意見表明です。

コロナ対策をインフルエンザ対策と同じレベルで済ませるという非理性的な不合理な対応対策の結果、本来感染しなくてすんだ人が感染するという理不尽な仕打ちが打ち下ろされるなら、そのことに対して問題提起をするのは当然だと考えます。


>>オリンピックが開催され感染者が増加すればコロナ対策を強化する必要がありますが、それによる経済損失が発生すると思います。勤続20年超殿はそのような(負の)経済効果をどのように評価されますか?
>そうした問題は或いは発生するかもしれません。しかし、それを言うなら、一刻も早いこのコロナ禍における自粛や緊急事態宣言とか、まん延防止措置の不合理を考えるべきだというのが私の考えです。私の考えでは、不必要な過剰対策により、経済的損失を既に発生させ、自分で自分の首を絞めてきたのが、日本社会の姿だと考えています。

日本で経済的損失が発生したのは対策が過剰だからではなく対策が不十分だからだというのが私の考えです。台湾では入国管理と国内での感染者の管理をきちんと行う事により国内で感染者が発生しない期間が1年以上続き、経済もプラス成長でした。厳しい対策でも短期間で目標を達成できれば経済損失は小さく目標達成後の経済活動で損失はカバーできると思います。日本の経済損失が大きくなったのは、対策が不十分で目標を達成できず対策がずるずると長引いたからだと思います。私の考えでは、近くに台湾という成功例があるのに参考にせず、欧米と比べて感染者が少ない事で自国を「さざ波」とうぬぼれて対策をきちんと取らず、経済損失を発生させてきたのが、日本社会の姿だと考えています。

投稿: Alberich | 2021年6月26日 (土) 22時40分

>>日本において、感染者も死者も欧米と比べれば「さざ波」であった時期があったという事だと思います。
>日本において、新型コロナは変わらずに「さざ波」です。しかも、この間は一貫して陽性者は右下がりに下降しています。死者、重症者も間違いなく減少傾向です。札幌医科大学の新型コロナの「人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移【世界・国別】」によると、日本は「7日間の新規感染者数(人口100万人あたり)2021/06/20現在」は、79.7人で先週比79.7%。一方、ご指摘のイギリスですが、947人で同131.3%です。

仰るように6月の感染者は5月に比べてイギリスは増えて日本は減っています。これは両国の流行のフェーズの違いだと思います。5月時点ではイギリスはワクチン効果により感染が抑えられていましたが、日本は緊急事態宣言が出て流行の最中でした。6月になるとイギリスはδ株による感染が拡大し、日本は緊急事態宣言の効果で流行が収まりました。今後はイギリスはワクチン接種の進展によりδ株の感染は下火になると思います。日本は東京では既に感染者数が増加しています。人流の増加やδ株の拡大により東京の感染者は今後も増えると思います。過去の例では東京の感染者が増えると、しばらくして日本全体の感染者も増えるので、今後は日本の感染者は増えると思います。


>イギリスはワクチン接種「先進国」として知られていますね。ワクチンは発症予防効果しかないようですから、感染は抑えられないのですかね?それにしても、ワクチン接種の「効果」に疑問符が付きはしないでしょうか?

イギリスでワクチン接種の進展にもかかわらず感染者が増加したのはδ株の特性によるそうです。従来株やα株では1回の接種で大きな効果がありました。そこでイギリス政府は2回目の接種より1回目の接種を優先して1回でも接種を受けた人を増やす方針をとりました。しかしδ株は1回の接種では効果が小さいそうです(δ株に感染した人の大部分は接種していない人か1回しか接種していない人だそうです) つまり政府の方針が裏目に出た形でδ株の感染者が増加したそうです。今後はワクチン接種の進展に伴い2回接種した人が増えるので、δ株の感染者は減少すると思います。


>そもそもイギリスの死者は、人口100万人あたり死者数で1889人です。一方、日本は人口100万人あたり死者数で113人です。イギリスは100万人あたり死者数において、日本の約17倍です。これでは、日本とイギリスを比較しても、日本は「凪」だという受け止め方のほうが、信ぴょう性が高いと考えるのは、私だけなのでしょうか?

100万人当たりの死者は過去の累計なので、勤続20年超殿が挙げられた両国の数字を比較しても
 過去には日本はイギリスに比べて「凪」だと言える時期があった
という事に過ぎず、現状が「凪」とは判断できないと思います。上で申し上げたようにイギリスと日本では流行のフェーズが異なるので、今後も感染者数はイギリスが多い時期と日本が多い時期があると思います。しかしイギリスはワクチン接種によって過去の流行の規模をここまで抑え込みました。今後もワクチン接種が進む事を考慮するとイギリスの流行の規模が日本を大きく上回る事は考えにくいです。むしろワクチン接種が遅れている日本のほうがイギリスに追いつくまでは流行の規模がイギリスより大きくなる可能性があります。


>>どのようなデータにより、どのような事が ハッキリ見えてきて いるのでしょうか?
>東洋経済の『新型コロナウイルス国内の感染状況』は、私は毎日閲覧しています。また上記の札幌医科大学のHPも毎日閲覧しています。それにより、日本の新型コロナに関する現状は、「さざ波」だと認識しました。

アメリカ, イギリス, ドイツ, フランス, 日本, 東京 の5月9日, 6月13日, 6月22日のそれぞれの人口100万人当たりの新規感染者の7日間平均は以下の通りです。
 米:124→35→34 英:31→104→152 独:169→24→10
 仏:266→58→32 日:41→ 14→ 11 東: 55→27→29
これらの値から判断すると、アメリカ、ドイツ、フランスに比べて5月9日の時点では仰るように日本は「さざ波」だったかもしれません。しかしこれらの国の値は急速に下がっていて6月22日の時点では日本(特に東京)とそれほど違いがあると思えません。なお東京の直近の値はさらに上昇して32だそうです。


>> これは感染力の強いδ株(インドで発生した変異株)の蔓延が原因だと言われています。日本でも既にδ株の感染者が確認され、中学校や療養施設の職員等これまでクラスタが発生しなかった場所でクラスタが発生しています。
>本来、感染者(正しくは陽性者だと考えますが)より、死者や重症者の数により、変異株の問題を評価するべきです。

申し訳ありません。仰る事がよく理解できません。


>変異株により、死者、重症者が増えたという情報は寡聞にして聞いておりません。少なくとも、子供には重症者が増えたというデータは無いようです。感染力が高いらしい、という情報は私も聞きました。しかし、死者、重症者に影響がないなら、特別な対応策の必要はないのでは?と考えてしまいます。

δ株に関しては、死者、重症者が増えたという情報も減ったという情報も寡聞にして聞いておりません。しかし今年大坂圏で流行したα株に関しては、従来株より重症化しやすい という報道がありました。


>>また(世界の中の)東アジアの国と比べると感染者や死者はそれほど少なくありません。台湾、NZ、ベトナム等と比べると日本の感染者や死者は「さざ波」ではなく「大波」です。
>確かに、日本は例えば韓国、中国と比較して死者等が多いです。ですが、それは高齢化率が日本は高いからではないでしょうか?高齢者が長生きすれば、新型コロナ罹患により亡くなる人も多いということではないでしょうか?

日本では東アジアの国に比べて死者の数だけでなく感染者の数も多いです。日本では死者は高齢者が多いですが感染者は若年者が多いです。他国でも同様だとすると、日本より高齢化率が低い(若年者が多い)他国では日本より感染者数が多くなると思います。しかし感染者数も日本のほうが多いので、日本の状況は高齢化率が主な原因ではないと思います。


>ですから、「大波」という表現はどう考えても誇大だと思います。

台湾では国内の感染者が発生しない期間が1年以上続きました。このような状況こそ「さざ波」とか「凪」という表現がふさわしいと思います。台湾と比べると緊急事態が何回も発令され、感染者が多くて入院できず自宅で亡くなる人が続出した日本の状況には「大波」という表現がふさわしいと思います。私は「北斎の波」と表現したいです。


>そもそも、日本を含む東アジア諸国は、何故欧米より陽性者や死者、重症者が少ないのか、そのファクターXへの注目と、日本独自の新型コロナ対策を行うべきです。明らかに欧米と異なる新型コロナの影響の一方で、欧米の新型コロナ対策の模倣に終始するから、無用な混乱と社会の疲弊を招いている、というのが私の認識です。

日本の状況は東アジアの中では良いほうではありません。台湾やNZのように国内での感染者(死者, 重傷者)が長期間発生しなかった国もあります。これらの国の成功の原因は独自の新型コロナ対策を行ったからではなく入国管理や国内感染者の管理等の欧米の新型コロナ対策の模倣をきちんと行ったからだと思います。日本はこれらの世界共通の対策をきちんと行わなかったにもかかわらずそれなりの感染者数に収まったのは、ある意味ではすごい事かもしれません。しかしそれはきちんと勉強して好成績を上げた学生に対して、ろくに勉強せずそれなりの成績をとった学生のようで、あまり自慢できる事とは思いません。

投稿: Alberich | 2021年6月26日 (土) 22時43分

>>少し前まで大阪圏では、入院が必要な患者の一部しか入院できず自宅で治療を受けられずに亡くなる感染者が続出しました。勤続20年超殿は、このような状況はパンデミックと思われますか?それとも「さざ波」と思われますか?また大坂圏では新型コロナ以外の多数の死因により、毎日沢山の方が亡くなっているから、このような状況を問題にするのは感傷に過ぎない とお考えですか?
>大阪圏での死者の増大は、日本の医療資源の無駄遣いが背景にあると考えています。病床数世界一で、優秀な医療従事者や医療設備をもってして、何故「医療崩壊」だの「医療逼迫」などと言われるのか、その根本問題に目を向けるべきです。単に医療者に感謝し続けるだけでは済まないと思います。つまり、国公立病院の一部の大病院や大学病院しか新型コロナ重症者等を受け入れない。軽症中等症患者は町医者では診ないという日本の医療システムの問題を背景に発生したと考えています。それは、指定感染症2類という新型コロナに対する制度的縛りの問題です。ですから、「さざ波」なのに、制度の壁で死を強いられた人災の要素が強いと考えています。まことにいたましいことです。従って、単に亡くなった方を悼むという感傷を越えて、日本医師会の在り方や、指定感染症2類という現在の態様が正しいのかどうか、という観点、即ち社会問題として捉えることが大事だと考えます。それは、私としては感傷とは違う受け止め方です。

大阪圏で亡くなった方の多くは高齢者だったそうです。大阪圏で今年は超過死亡がないかは確認できませんが、少なくともこの時期のコロナによる死者の大部分は(入院できずに自宅で亡くなった方も含めて)
  インフルエンザによる死亡と同様に通常の病死であり、寿命である
という条件にあてはまると思います。このため勤続20年超殿のお考えでは、大阪圏の死者の増加も
自殺増加という社会問題よりは、その対策という点において優先度の低い現象
に該当すると思いますが、なぜこの件だけは特別に(自殺増加という社会問題とその対策という点において同様の優先度の?)社会問題として捉えることが大事なのかよく理解出来ません。
私はコロナを含め感染症の対策としては感染者の発生を抑える事が重要で病床の拡充は補助的な手段だと思います。一般に感染症では患者数が増加する時は増加数はその時点の患者数に比例します。つまり増加する場合は指数関数(福利, ねずみ算)的に増加します。このため例えば感染者数が1週間で2倍になる状況(大坂では一時期そのような状況になりました)が続くと、病床数を4倍や8倍に拡充しても医療の対応期間を2週間とか3週間延ばせるだけです。それよりは(日常生活を制限してでも)感染者の発生を抑える事を重視すべきだと思います。


>>政府の分科会の尾身会長は、オリンピックは規模や社会的な注目度が他のスポーツイベントとは別格なので無観客での開催が望ましい
>世界的なスポーツイベントは既に沢山開催されています。F1レースとか、全豪オープンテニスとか、マスターズゴルフとか、欧州サッカー大会とか。そうした開催事例から、感染対策や水際対策、入国管理等を、ノウハウとして学べばよいだけではないでしょうか?

F1レースについては知識がありませんが、全豪オープンテニスではオリンピックで予定している管理よりはるかに厳重な管理が行われました。マスターズゴルフとか、欧州サッカー大会はワクチン接種が進んだ国で行われているので参考にならないと思います。同じサッカー大会でも接種があまり進んでいないブラジルで行なわれた南米選手権では多くの感染者が発生しました。オリンピック(日本)の状況はこちらに近いと思います。


>尾身会長ら「専門家」からは、市井の人々の日常を取り戻すための視点が感じられないことは残念です。

市井の人々の日常を取り戻すためには、コロナの流行を抑える事が前提です。「専門家」はその前提を実現するための提案をするのが仕事です。


>尾身会長らは「ハンマーアンドダンス」を繰り返すだけで、新型コロナ騒動を延々と未来永劫続けるつもりでしょうか?風邪はゼロには出来ません。「出口」を見据えない専門家達は社会を破壊し続けるだけではないか、と危惧しております。

風邪はゼロには出来ないかもしれませんが、コロナでは台湾やNZのように国内感染者の発生を長期間ゼロにした実例があります。そのような”ゼロコロナ”を目指さないのであれば、”withコロナ(コロナと共存する)”を目指す事になりますが、そうであればコロナがある程度以上流行した場合は、”市井の人々の日常”を制限してでも流行を抑える「ハンマーアンドダンス」は必須です。ハンマーを躊躇してダンスを続ければ、コロナはさらに蔓延して社会をさらに破壊してしまいます。今年の初めの緊急事態宣言の際に、大阪府知事は”市井の人々の日常”を少しでも早く取り戻したいという理由で緊急事態宣言を早く解除し市井の人々の日常も早く戻りましたが、それによって変異株が蔓延し春の惨状になりました。今回の緊急事態宣言では大阪府知事は宣言解除後も蔓延防止措置により市井の人々の日常を制限する事を求めています。
”ゼロコロナ”は感染者の国内発生を0にする という「出口」がありますが、”withコロナ(コロナと共存する)”は風邪と同様に感染者の発生自体は許容するので「出口」は存在せず、(ワクチン等の効果が出るまで)「ハンマーアンドダンス」を延々と未来永劫繰り返す事になります。

投稿: Alberich | 2021年6月26日 (土) 22時50分

Alberichさん、コメントありがとうございました。

他者の考え方を気遣いながらの丁寧なお二人のやり取りに敬服しています。また、内容に関してもたいへん参考になる点を多く感じ取っています。

出入り自由な場として、ぜひ、これからもお時間等が許される際、Alberichさんの貴重なご意見をお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2021年6月27日 (日) 19時14分

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