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2021年5月29日 (土)

コロナ禍での雑談放談

このブログを長く続けられている理由はコメント欄を含め、管理人である私自身の関わりを土曜と日曜に限っているからです。日常生活に過度な負担をかけないためのメリハリとして定着しています。ただ平日も含め、毎日画面は開いています。お寄せいただくコメントの数は以前に比べて激減していますが、日々閲覧することだけは習慣化しています。

また、土曜と日曜それぞれ日程が詰まっている時などは平日のうちに新規記事の投稿作業に関わっています。このような習慣が週刊化につながり、今年2月には900回という節目を刻むことができています。さらにブログ名のサブタイトルに掲げているとおり「雑談放談」的な内容を気ままに書き込んでいることも長続きしている理由の一つだろうと考えています。

雑談とは「気楽に話すこと、とりとめのない話」であり、放談は「言いたいことを遠慮なく話すこと」という意味です。もちろんインターネット上に不特定多数の方々を意識しながら発信しているため一字一句の重みを感じています。それでも個人の責任によるブログであるため発信する内容の自由度は高く、今回のような「雑談放談」をタイトルに付けた記事を時々手がけています。

さて、東京や大阪など9都道府県に発令している緊急事態宣言が6月20日まで延長されます。緊急事態宣言が続く中、土曜と日曜に入っていた予定は軒並み手帳から消えています。5月末の出納閉鎖を控え、少しでも収納率を上げるため休日に訪問催告を行なっていた時期ですが、そのような出勤もなくなっていました。

したがって、最近の土曜と日曜は両日とも当ブログに集中できるようになっています。両日関われる週末が続く中、このところ日曜の更新が続いています。日曜の予定もなく、明日できると思うと、つい先送りしがちでした。

今週末の土曜の朝は、エンゼルスの大谷投手が先発した試合をNHK BS1で見ながらパソコンに向かっています。このままブログに集中し、久しぶりに土曜のうちに更新できればと考えていました。

コロナ禍でステイホームという言葉が有名になっています。緊急事態宣言について、いろいろ思うことがありますが、予定が消えた後はなるべく外出しないように心がけています。昨年5月の記事「最近、読んだ本」で伝えているとおり外出を自粛しているため手にする書籍の数が増えています。

ステイホームの過ごし方としてテレビの前にいることも多くなっています。先々週の土曜、日本映画専門チャンネルで『姉ちゃんの恋人』全話9回分が放映されました。主人公の有村架純さんらの演じる物語が面白く、見始めたところ最後までテレビの前から離れられませんでした。両親を交通事故で亡くし、3人の弟を養うため大学進学を諦めて働く有村さんの頑張りに目を潤ませる場面が何回かありました。

グリーンチャンネルで中央競馬の全レースを自宅で見ることができます。以前は競馬場に行った気分でパドックを確認しながら1レースからネット投票を楽しむ休日が少なくありませんでした。最近はメインレースのみに集中しているためグリーンチャンネルを見ることが減っていました。先日、久しぶりに1レースから挑みましたが、残念ながらIPATの残高を減らすだけのステイホームでした。

自宅のパソコンを開くと必ず麻雀ソフトで遊んでしまいます。コロナ禍で実戦からは遠ざかっていますが、日々役作りの訓練は怠っていない日常となっています。自宅のパソコンはゴルフゲームも楽しめます。RPGの要素があり、オリジナルキャラクターを成長させ、希少なアイテムを獲得することで350ヤード以上飛ばせるようになっていました。ミドルホールをワンオンできる飛距離は快感です。

せっかく閲覧くださっている皆さんにとって、どうでも良い話が長くなって恐縮です。ここからはコロナ禍の緊急事態宣言に対し、いろいろ思うことを最近読んだ本を紹介しながら書き進めてみます。前回記事「責任者は誰なのか?」の最後のほうで『ノモンハンの夏』を読んだことを伝えていました。

今年1月に亡くなられた半藤一利さんの著書です。面子を重視した対立を繰り返す陸軍参謀本部と関東軍に対し、半藤さんの苛立ちが全編を通して伝わってくる理不尽な戦争の記録でした。たびたび使われている「秀才参謀たちは」という言葉に半藤さんの冷笑や憤りが込められているようでした。

当時のソ連軍の戦力を侮る楽観論、日本が負けることはないという精神論のもとにノモンハンで戦い、たいへん多くの犠牲を強いられていました。その敗戦の総括の不充分さ、責任の所在の曖昧さなども描かれ、重い責任を問われていたはずの関東軍の参謀らが太平洋戦争開戦前、三宅坂上の陸軍参謀本部の要職に栄転していたという驚愕な史実を伝えている著書でした。

このような史実を知り、今の政府や小池都知事らの顔を思い浮かべてしまうことは失礼な連想なのでしょうか。特に東京五輪の開催に向けて最も重い責任や権限を持っている人物は誰なのか、精神論や楽観論が先行していないか、いみじくも半藤さんの著書『ノモンハンの夏』から学び取るべき点が多々あるように感じています。

ステイホームが続く中、前述したとおり読書量は増しています。このブログの題材として取り上げる機会が多くなっているため新型コロナウイルス感染症に関する著書を最近立て続けに読み終えています。適菜収さんの『コロナと無責任な人たち』、峰宗太郎さんと山中浩之さんの対談本『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』、小林よしのりさんの『コロナ論3』、鳥集徹さんの『コロナ自粛の大罪』です。

それぞれの内容を今回の記事では網羅して紹介できませんが、前々回記事「3回目の緊急事態宣言も延長」に寄せられた勤続20年超さんのコメントの内容が『コロナ論3』『コロナ自粛の大罪』を通して詳述されています。インフルエンザより怖くない新型コロナに過剰反応し、社会生活や経済を犠牲にしていることを痛烈に問題提起している著書でした。

個々人の免疫を弱体化させないためにもウイルスとの共生が必要という訴えをはじめ、「コロナ死」だけを特別視することの問題性など「なるほど」と思う内容に多く触れることができています。ただマスク着用や手指の消毒などが不要という主張も見受けられましたが、そのあたりは少し疑問に思っています。

『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』では特効薬やワクチンが普及するまでインフルエンザと峻別した対応の必要性を訴えています。さらに日本人の多くがマスク着用や三密の回避など感染対策に努めているからこそ欧米のような感染爆発に至っていないという見方を示していました。全体を通し、こちらの著書の内容が私自身の考え方に近いようです。

いずれにしてもマスク着用等の対策が100%の安全を保障するものではないことやPCR検査の誤差の多さは各著書それぞれで伝えています。菅総理は東京五輪の開催に向けて「安全安心な大会となるよう取り組みます」と言い続けていますが、開催する限りリスクゼロはあり得ないことを前提に考えなければなりません。

仮に東京五輪の中止を決めた場合、開催に伴う人流はなくなり、東京五輪に関連した感染リスクはゼロとなります。とは言え、もともと過度に社会生活や経済を痛めるロックダウンに近い抑圧策には懐疑的な立場ですので、主催者が納得性の高い説明責任を果たした上で開催を決めるのであればその判断を尊重したいものと考えています。

そのため感染対策を整えて東京五輪の開催を予定するのであれば、感染対策を整えているデパートや映画館などに規制をかけた緊急事態宣言の要請内容の一貫性のなさに違和感を抱いていました。ようやく一部緩和される見通しですが、同様に感染対策に努力してきた居酒屋等に対する規制も今回限りにすべきだろうと思っています。

人流抑制によって感染リスクの確率を下げる意味合いでの効果も認めていますが、人と人との接触を完全に断たない限り、リスクゼロはあり得ないものと考えています。ずっと家に閉じこもっていることは難しく、社会生活を営むため外に出なければなりません。新型コロナを必要以上に恐れず、ある程度の人流を認めた上、持続可能な納得性の高い感染対策に心がけていくことが重要です。

ワクチン接種は希望される方々、全員が必ず受けられるため慌てずに順番を待たなければなりません。そして、国民の半数以上がワクチン接種すれば集団免疫を獲得でき、必ず以前のような日常を取り戻せるはずです。それまで宣言の有無に関わらず、緊急事態であるという認識を持ち続けることが欠かせません。

話題が広がりながら、とりとめのない話が長くなりました。まさしく「コロナ禍での雑談放談」でした。なお、読み終えた著書の中で特に興味深かった新型コロナを2類相当に位置付けている問題などに関しては次回以降、機会を見て触れさせていただくつもりです。

最後に、東京五輪がコロナ禍に重なってしまったことは日本の運の悪さです。招致の成功を国民の多くが歓喜していた訳ですので今さら「外れていれば良かった」というのも禁句だろうと思っています。ただ2年の延長案が主流だったのにも関わらず、安倍前総理が1年延長で押し切ったという話を耳にすると結果責任としての見通しの甘さを指摘したくなります。

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2021年5月23日 (日)

責任者は誰なのか?

前回記事「コロナ禍での政治の役割」の最後に「東京五輪開催の是非など、もう少し掘り下げたい内容を書き残しています」と記していました。『IOCコーツ調整委員長、緊急事態宣言下でも五輪開催?「答えはイエス」』という報道なども耳にしているため、今回の記事でも東京五輪について触れるつもりです。

ただ今回の記事タイトルは「責任者は誰なのか?」としています。最近、いったい誰が責任者なのか、権限を持っていたのか、しかるべき責任の取り方など、いろいろ考えを巡らす事例を立て続けに目にしています。

まず『「誰かが嘘をついている」二階幹事長に続き甘利明氏も関与否定した“1億5千万円”の闇』という報道です。参院選広島選挙区の公職選挙法違反事件を巡り、自民党から河井案里陣営に1億5千万円もの多額な資金が提供されていました。

自民党の二階幹事長が「私は関与していない」と話し、会見に同席していた林幹雄幹事長代理は「実質的に当時の選挙対策委員長が広島に関しては担当していた」と説明していました。当時の選挙対策委員長は安倍前総理の盟友である甘利明税調会長でした。

その後、名指しされた甘利税調会長も1億5千万円もの選挙資金について「1ミリも、正確に言えば1ミクロンも関わっていない。関与していない以前に、党から給付された事実を知らない。これがすべてだ」と語っています。

通常の10倍だったと言われる1億5千万円という多額な選挙資金の支出について幹事長や選挙対策委員長が、まったく知らなかったとは考えられません。新聞記事の見出しのとおり「誰かが嘘をついている」と思わざるを得ませんが、本当に二人とも知らなかったとすれば役職上の管理監督責任が問われることになります。

それ以上に現場の責任者である二人に相談や報告もなく、多額な資金が支出されていた場合は組織のあり方を問題視しなければなりません。そもそもオープンにできない資金だったため、専権的な判断のもと限られた役職者のみで対応したのでしょうか。

いずれにしても幹事長と選挙対策委員長が関与できなかった問題に関与できるとしたら当時の自民党総裁、安倍前総理が責任者だったという見方につながります。有罪判決に至った問題に際し、押収品が戻った後、二階幹事長らは率先して全容を明らかにする努力を尽くして欲しいものと願っています。

続いて『署名偽造容疑で田中孝博事務局長ら4人を逮捕、全容解明へ 愛知県知事リコール不正』という報道です。愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡る署名偽造事件で、地方自治法違反(署名偽造)の疑いで元愛知県議でリコール活動団体事務局長の田中孝博容疑者ら男女4人が逮捕されています。

この問題も最も重い責任が問われなければならない「責任者は誰なのか?」という疑問を抱かざるを得ない不可解な事件です。LITERAの記事『愛知リコール不正で逮捕されたのは維新の衆院選候補、共犯も維新支部の会計責任者! 2億円選挙資金が不正の動機の見方も』の中で次のような事実関係を伝えています。

田中事務局長は逮捕前の4月21日に会見を開いているが、そのなかで、昨年10月中旬に河村氏に「署名が思うように集まらない」ことを相談したところ、河村市長から「約10年前の市議会リコールでも多数の不正、無効署名があった」と聞かされ、それを受けて今回も「白紙以外のすべての署名を提出した」と語っている。

木曜の読売新聞の夕刊には『愛知リコール、逮捕の事務局長「必要数届かなくても一定数の署名を」…実績作りか』という記事が掲載されていました。田中容疑者は「必要数集まらなければ署名簿は調べられない。選挙管理委員会は数を数えるだけだ」と話し、制度上、リコールが成立しなければ署名簿は精査されないため、「水増し」は発覚しないと考えた可能性があることを報じていました。

逮捕前に田中容疑者は「署名が順調に集まらず、高須先生に恥をかかせられないと思った」と語っていました。つまり違法性を認めながら発覚しないから「心配ない」という極めて甘い見通しで署名活動を取り仕切っていたようです。たいへん気になるのはLITERAの記事が伝える河村市長の助言の真意です。

もし田中容疑者の甘さを誘導しているような発言だった場合、河村市長の責任は非常に重いように感じています。リコール活動に費やした6千万円のうちクラウドファンディングや寄附では足りなかった分を活動団体の会長である美容外科の高須克弥医師が立て替えていました。

距離を取ろうとする発言の目立つ河村市長とは異なり、高須医師は「最終的な責任は会長である僕にあります」という発言を繰り返しています。しかしながら不正についての関与は否定し、これほど多くの「水増し」署名があったことも知らなかったという釈明に終始しています。

弁護士の澤藤統一郎さんは『高須克弥よ、大村知事リコール運動代表としての責任をどう考えているのか。』の中で「高須のいう責任とはいったい何に対するどのようなものなのか。そして、具体的にどのように責任をとろうというのか。そもそも、責任をとることが可能なのか、それを問い質したい」と厳しい口調で問いかけています。

東京五輪の話に入る前に相当な長さの記事となっていますが、もう少し続けさせていただきます。冒頭で紹介したIOCのコーツ調整委員長の緊急事態宣言下でも開催するという発言に反発する声が上がっています。コーツ調整委員長は緊急事態宣言下で5競技のテスト大会が行なわれたことを例にあげて「イエス」という答えに至っています。

NPO法人「食の安全と安心を科学する会」理事長の山崎毅さんは『東京オリパラのリスクを誰が評価したのか?~感染原因はイベント自体にあらず、感染対策の甘さにあり~』の中で楽天の三木谷会長の「開催は自殺行為だ」という批判に対し、次のように主張しています。

このニュースをみた筆者が一番疑問に思ったことは、三木谷氏がどんな手法でリスク評価をされたうえで、東京五輪のリスクがそんなに大きいと判断されたのか?ということだ。いまのところ、日本国内の都市部を中心に各種スポーツイベントが開催されており、箱根駅伝・春の甲子園大会・国際体操・バレーボール国際マッチ・国際陸上大会・ゴルフなど開催されているが、最近大きなクラスターが発生したとは聞かない。

三木谷氏がオーナーである東北楽天ゴールデンイーグルスもヴィッセル神戸も、観客をいれて試合を実施しているではないか。ソフトバンクの孫さんも東京五輪のリスクを懸念しているというが、自分たちの運営するプロスポーツの観客をいれた開催はリスクが小さく安全で、東京五輪はリスクが許容できないくらい大きいという科学的根拠は、どこにあるのだろうか?

新型コロナの感染リスク低減策がしっかりできていればイベント開催は十分可能・・とリスク評価したから、国内のプロスポーツ開催は許容したのではないのか? だとしたら、東京オリパラも、いま東京五輪組織委員会が綿密にリスク評価をしたうえで、最善のリスク感染対策を施して、安全・安心な大会の運営を目指しているのを、日本の経済界のTOPがなぜ応援しないのか・・不思議だ。

山崎さんは「帰省して兄弟から新型コロナをうつされた、という場合に、帰省や旅行が原因だ・・というメディア報道にもあきれる。兄弟が隣に住んでいても感染予防が甘いとうつされるわけで、感染原因は旅行ではない」という見方も示しています。

私自身、過度に社会生活や経済を痛める抑圧策には懐疑的な立場です。そのため、山崎さんの考え方には賛同できる点が多々あり、感染リスク低減策自体を重要視しなければならないものと理解しています。一方で、人と人との接触の機会を減らすことが最も望ましい効果的な感染対策であることも確かだろうと考えています。

感染対策に留意した「新たな日常」のもとに経済を静かに回す、例えればアクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していくという「エンジンブレーキ」という発想を重視しています。そのような発想に照らした時、3回目の緊急事態宣言の目的と要請内容の中途半端さが気になっています。

野球やサッカーなどは多くの外国人選手が来日してプレーしているのにも関わらず、東京五輪中止という声が高まる理由は「嘘ばかりで信用できず、国民のほうを向いていない政府が主導しているからだ」という意見を目にしました。科学的根拠や客観性からは程遠く、感情的な意見だと言えますが、世論調査の結果を説明する見方としては的を射ているのかも知れません。

いずれにしても東京五輪の「責任者は誰なのか?」など不明確な点が多すぎます。東京五輪を「アクセル」の一つと見なすのであれば、ただちに中止を判断することが「不要不急の外出自粛」などの感染対策に大きく寄与するはずです。それでもプロ野球や大相撲などと同様、感染対策に留意しながら開催できると責任者が判断するのであれば、その結論は尊重したいと思っています。

しかしながら開催できるという説明が不充分なままであれば、ますます国民の多くから不信感は高まっていくのではないでしょうか。IOCのバッハ会長は「日本人が粘り強さや、へこたれない精神を持っていることは歴史が証明している。これまで逆境を乗り越えてきたように、五輪だって厳しい状況でも乗り越えられる」と発言し、批判を受けています。

バッハ会長の発言から最近読み終えた『ノモンハンの夏』の話につなげることも考えましたが、たいへん長い記事になっていますので機会を見て次回以降触れさせていただきます。最後に、東京五輪の責任者は誰なのか、横並びなのかも知れませんが、精神論や楽観論を排した議論のもとに開催の是非を改めて判断して欲しいものと願っています。

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2021年5月16日 (日)

コロナ禍での政治の役割

このブログをご覧になっている組合員から「レースの場合はアクセルとブレーキを同時に踏むことがありますよ」と教えていただきました。カーブを曲がった後、すぐトップスピードに戻すため、カーブを曲がる時、アクセルを踏んだままブレーキも踏み込むようです。

コロナ禍で感染対策と経済の両立の必要性を訴えた「アクセルとブレーキを同時に踏むこともある」という菅総理の言葉が実際にはあり得るという指摘でした。そのような事例を菅総理が思い浮かべた発言だったのかどうか分かりませんが、「アクセルとブレーキを同時に踏む」という表現そのものは頭から否定できないようです。

このような事例をはじめ、分かりやすく説明するために使ったはずの比喩が、かえって混乱や誤解を招くケースは少なくありません。最近では内閣官房参与である高橋洋一さんの「さざ波」という言葉が批判の対象となっていました。もともとは厚労省医系技官だった木村盛世さんが使っている言葉です。

インドや欧米各国と日本の新型コロナウイルス感染状況を比較したグラフから「大波」に対して「さざ波」と表現していたようです。文尾の「笑笑」の使い方など全体を通した書き方に注意していれば客観的なデータ上の事実関係を比喩した「さざ波」という言葉自体、それほど批判を浴びなかったのかも知れません。

このブログではパラリンピックの開催も含めて東京五輪と記しています。前回記事「3回目の緊急事態宣言も延長」に対するコメントの中で、勤続20年超さんは「東京五輪を開催するべきだと考えています」と言い切られています。世論調査では中止を求める声が多数を占めていますが、私の周囲の方々からも東京五輪の開催を当然視する声を耳にしています。

つまり東京五輪の中止はあり得ないと訴える高橋さんの意見そのものは尊重されなければなりません。ツイートの仕方の軽率さなど批判を受ける点があったとしても内閣官房参与を辞職するほどの資質を問う失態だったのかどうか疑問視しています。さらに無報酬で務めているため「国税を使って任命している」という批判も的外れとなります。

ここで最も問題視すべき点は次のような関係性ではないでしょうか。内閣官房参与は総理に直接会って助言でき、質問を受けたことに答える立場です。したがって、菅総理が東京五輪の開催に向け、高橋さんの考え方に大きく影響を受けているものと推測しています。より望ましい政治的な判断を下す際、幅広く多様な情報に触れていくことが重要です。

菅総理が高橋さんの声に耳を傾けることも重要な試みの一つです。しかし、菅総理は東京五輪の開催を懸念する声にも同じように耳を傾けていなければならず、開催した場合のリスクや感染対策に向けた準備状況を詳細に把握していなかった場合、より望ましい政治的な判断に近付けない恐れがあります。

菅総理は「専門家の意見を伺った上で判断したい」という言葉を頻繁に使っています。先週金曜、新型コロナウイルス感染症対策本部で、北海道、岡山、広島の3道県にも緊急事態宣言を発令することを決めました。『緊急事態へ、10分で方針変えた官邸 首相「専門家の結論なんだろ」』という報道のとおり政府の方針が一転した異例な事態でした。

専門家の意見が通った初めての事例であり、菅総理の多用していた言葉と裏腹にそれまで専門家の意見はあまり尊重されていなかったことが浮き彫りになったと言えます。経済との両立を意識した場合、専門家の意見をそのまま受け入れられない政治的な判断が求められていることも理解しています。

ただ政府の結論を追認するだけの専門家との会議であれば開催する意義が問われかねません。コロナ禍での政治の役割として、感染対策を重視する専門家の意見を真摯に受けとめながら持続可能な社会生活と経済とのバランスの度合いを見定めていく必要があります。勤続20年超さんのように感染対策による様々な副作用を憂慮されている方も決して少数派ではないはずです。

正解を見出しづらい緊急事態であることもよく分かっています。その上で、せめて私たち国民が納得し、信頼を寄せられる政策判断や説明責任を重ねていって欲しいものと願っています。土曜の読売新聞の社説で「感染対策は重要だが、対応がちぐはぐでは理解を得られまい。政府は、判断の根拠や対策の目的を国民にわかりやすく説明して、協力を求めるべきである」と記しています。

政府と自治体との連携不足にも触れて「都は、遊園地やテーマパークの営業は認めている。これに対し、静かに鑑賞する美術館や博物館、映画館には、感染対策を講じているにもかかわらず休業を要請している。線引きが不明確で、現場からは不満の声が上がっている」と続けていました。

1年間のインフルエンザの患者数を500分の1にしたという結果は私たち一人一人が「新たな日常」を心がけた成果であることに間違いありません、このように前回記事の中で記していました。勤続20年超さんから異なる説があることの指摘を受け、断定調な書き方は控えるべきだったものと反省しています。

ただ新型コロナとインフルエンザの感染経路は同一視されているため、患者数を減らせたという見方につながっています。そのため、私たち国民が新型コロナに対して留意すべき感染対策に努め、ある程度の結果を出している一方、昨春からの政治の役割の不充分さを対比した文脈で使っていました。

勤続20年超さんから「全国保健所長会は昨年12月に指定感染症2類相当の緩和を厚労大臣宛てに要望しています」という話も寄せられています。週刊新潮12月24日号の記事『保健所が厚労省に「2類指定を外して」 体制の見直しで医療逼迫は一気に解消へ』の中で、東京大学名誉教授で食の安全・安心財団の唐木英明理事長の次のような意見を紹介しています。

感染者が欧米の数十分の1なのに、日本で医療逼迫が起きているのは、ひとえに新型コロナを指定感染症の2類相当として扱っているからです。感染者数がピークでも1日2千~3千人で済んでいる日本は、5万~20万人の欧米から見れば感染対策に成功している。欧米の状況と比較するのは重要で、多くの政治判断は相対的な基準を拠り所に行われるからです。

たとえば10万人当たりの感染者数をくらべれば、2類扱いを維持すべきかどうかは明らか。2類扱いだから医療が逼迫し、指定病院は一般患者が遠のいて赤字になり、医療関係者や保健所はオーバーワークを強いられ、その家族まで風評被害を受ける。インフル同様5類にすれば受け入れ可能な病院も増えるのに、それができないのは、新型コロナは“死ぬ病気だ”という意識を国民に植えつけた専門家、テレビ、新聞のせいです。

私自身も問題意識として以前から抱えている論点です。ただ判断する時期なのかどうか迷ったままであることも正直なところです。『事実を整える』というブログを拝見すると新潮の記事によって保健所長会の要望が誤解されていることをはじめ、5類にすると公費負担や疫学調査ができなくなるという問題点などを解説しています。

いずれにしても上記は政治が判断すべき法改正を伴う問題ですが、保健所長会の要望に対し、どのような議論がされているのか、あまり伝わってきません。2類指定が病床確保の問題につながっていることも確かですが、現行制度の中で最善を尽くす責務が政治家には求められています。

大阪府の吉村知事は2回目の緊急事態宣言が2月末で解除された際、重症病床を220床程度から150床程度まで段階的に減らすことを決めました。そのまま収束に向かっていれば迅速さが評価されたのかも知れませんが、宣言の前倒し要請とともに見通しの甘さが厳しく問われる政治的な判断となっていました。

ワクチン確保の問題も政治の役割です。菅総理から「先頭に立つ」という言葉をよく耳にします。くれぐれも「先頭に立つ」という気構えが空回りして、かえって現場を混乱させる事態に至らないことを願っています。しかしながら85.6%の自治体が高齢者接種を7月末までに完了させるという話は、菅総理の決意が先走り、周囲が懸命になって辻褄を合わせている迷走ぶりを示しています。

さらに菅総理には正確な情報を伝えていない官邸内の様子がうかがえます。公明党の石井啓一幹事長らが菅総理と会談した際、公明党の地方議員らの情報として「9月、10月までかかる自治体がある」と伝えると「え、そんなに遅れる所あるの」と驚かれたそうです。大規模接種センターもトップダウンで突如発案され、各省庁に混乱や困惑を生じさせています。

大規模接種センターが自治体への有効な支援につながるようであれば結果オーライと言えるのですが、実際の運用や予約方法など不安要素が多々見受けられています。ワクチンを担当する河野大臣も振り回されている側なのかも知れませんが、「1日1万人接種は自衛隊次第」という発言などは防衛省関係者を困惑させています。

ワクチンの接種予約の申込が殺到し、他の用件でかけた電話もつながりにくくなるなど自治体の現場も混乱しています。河野大臣は「完全に僕の失敗です」と陳謝し、自治体の裁量に委ねたことを反省していました。その潔さを評価する声もあるようですが、供給計画の不明瞭さが招いた事態だと言える中、自治体の対応力の不足を非難している姿勢が気になっています。

河野太郎行政改革担当相は12日夜のTBS番組で、新型コロナウイルスワクチンの高齢者接種予約が殺到している事態について「効率性より住民の平等性を重んじる自治体が多かった。これは完全に僕の失敗だ」と陳謝した。国によるワクチンの承認手順にも言及。「平時と同じルールで承認しており、非常事態に弱い。行政も変わらないといけない」と述べ、緊急時に柔軟対応する姿勢の重要性を強調した。【共同通信2021年5月13日

今回もたいへん長い記事になっています。それでも東京五輪開催の是非など、もう少し掘り下げたい内容を書き残しています。自治体の首長らのワクチン接種についても触れるべき時事の話題だったかも知れません。次回以降の記事ではコロナ禍での私どもの組合の動きも取り上げながら投稿できればと考えています。

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2021年5月 9日 (日)

3回目の緊急事態宣言も延長

3回目の緊急事態宣言」「3回目の緊急事態宣言 Part2」と続き、新規記事のタイトルを「Part3」として書き進めることも考えました。とは言え、この記事タイトルをパターン化すると切れ目なく続きそうですので今回は「3回目の緊急事態宣言も延長」というタイトルに落ち着いています。

最初に示された17日間という期限の短さが懸念されていましたが、案の定、3回目の緊急事態宣言も延長されます。東京や大阪など4都府県に発出している新型コロナウイルス対応の特別措置法に基づく緊急事態宣言について、期限を11日から5月末まで延長し、新たに12日から愛知県と福岡県が加えられます。

1千平方メートル超の大型商業施設に休業要請していましたが、午後8時まで営業を認めるよう緩和します。ただ各知事の判断で休業要請が続けられます。そのため、東京都と大阪府は大型商業施設の休業を引き続き要請することを決めています。

酒類などを提供する飲食店への休業要請は維持し、酒の持ち込みを認めている店も新たに休業要請の対象とします。路上での集団飲酒など感染リスクが高い行動も特措法に基づいて自粛を要請します。原則無観客としていたスポーツなどのイベントの制限は緩和し、入場者を収容人数の50%を上限に最大5千人とし、午後9時までの開催を要請します。

参院議員の音喜多駿さんがブログ『「宣言延長」と「対策緩和」という矛盾。不公平感も高まる、リスクコミュニケーションの失敗』の中で「効果がなかったからやめました」「経済を重視することにします」と言ってくれれば分かりやすいですが、そうではないというので、さらに訳が分かりません、このように記しています。

今回の緊急事態宣言延長は「感染症を徹底的に抑え込むという観点からも、経済を回すという観点からも極めて中途半端な施策内容」であることを強調し、「国と地方の役割分担も相変わらず不明確で、自治体は十分な財源がないままに独自施策に走ることになる」とブログを通して訴えています。

最近、他のサイトの紹介を多用しながら様々な主張や情報を発信しています。必ずしも基本的な立ち位置が私自身と近い方々ではないのかも知れませんが、共感できる興味深い記述については情報拡散という意味合いで紹介しています。そのような意味合いから『橋下徹氏、緊急事態宣言延長方針の政府に「ハチャメチャ。ちぐはぐだらけ…国民付いて来ない」』で目にした橋下さんの言葉も紹介します。

人流抑制なのか感染リスクを抑えるのか。だいたい2つに分けて、きちっと政府は腹をくくらなきゃいけないんです。政府がもし人流抑制と旗振ったんなら、百貨店以外も全部止めないといけない。通勤も。それからオリンピックのテスト大会なんかやっている場合じゃない。

だけど、感染対策なんだと、根拠を持って感染リスクの高いところを止めていくんだっていう考え方、これは僕のもともとの持論なんですけど。そうであれば、根拠のあるところを止める、感染リスクのないところは営業させる、ここ政府がどっちか揺れ動いている。

かつてない厳しい局面が続く中、菅総理や小池都知事らが苦慮されていることを推察しています。たいへん難しい政策判断が求められ、絶対的な正解は見出しづらいことも理解できます。しかし、音喜多さんや橋下さんが問題視しているとおり基本的な軸がぶれ続けていることを非常に憂慮しています。

かさこさんのブログ『「自粛疲れ」や「我慢の限界」ではなく「無意味な感染対策」に気づいた賢い国民たち』では「抑えるべきところを抑えれば別に大丈夫だよね」って話になっているにすぎない、このような記述を目にしています。「外出するなというのはまったくのデタラメにすぎない」とし、「自粛疲れでもなく我慢の限界でもなく気をつけながらできることをしているだけ」と綴られていました。

ここで私自身の考えを改めてお伝えします。前回記事に勤続20年超さんからコメントをお寄せいただき、新型コロナウイルス感染症対策に向けた私自身の立ち位置についてお尋ねがありました。これまで17世紀のロンドンの状況を伝えた『ペスト』をはじめ、マスクも不要と訴える小林よしのりさんの『コロナ論』『コロナ論2』など様々な書籍を手にしてきました。

インターネット上からも意識的に幅広い考え方や情報に触れるように努めています。その結果、次のような考えに至っています。新型コロナウイルス対策は長丁場の取り組みが欠かせないことを覚悟しています。ワクチン接種が普及し、集団免疫ができ、パンデミックの終息が宣言されるまで一定の対策が必要だろうと考えています。

ウイルスがゼロになることはないため「ゼロコロナ」という言葉や発想に懐疑的な立場です。「ウィズコロナ」という言葉にも違和感がありますが、短期間で終息できないため必要な感染対策に留意した「新たな日常」が当分続くことを前提に考えています。不幸中の幸いにも他国に類する感染爆発に至っていない日本は社会生活や経済を大きく停滞させるロックダウンに近い措置は極力避けるべきという考えです。

長期戦を覚悟するからこそ持続可能な対策を心がけていくべきであり、例えればアクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想です。このあたりの考え方については「緊急事態宣言が再延長」という記事などに書き残してきています。

具体的なイメージとして社会的な制約は2回目の緊急事態宣言レベルにとどめるべきものと考えています。その上で路上での集団飲酒の問題など改めるべき点があれば補強していきながら対処していく必要性を感じていました。人の流れを止めることの効果も認めていますが、人との接触を完全に断たない限り、他の感染対策はすべて確率の問題だと考えています。

そのため「屋外でマスクを付けていても感染が確認される」という西村経済再生担当相の発言や『「3密」でなくても集団感染の恐れ』という報道を耳にしても特に驚くことはありません。密閉、密集、密接を避ける「3密」の話で言えば、もともと「1密」でも感染するリスクを高めるのだろうと思っていました。

前回記事の中でインドを「他山の石」と記しています。インドの切迫した現況は変異株だけが主な原因でなく、やはり必要な感染対策を疎かにすると感染拡大するという趣旨です。1年間のインフルエンザの患者数を500分の1にしたという結果は私たち一人一人が「新たな日常」を心がけた成果であることに間違いありません。

同時に心がけるべき感染対策を緩めれば日本でも感染爆発の可能性があることを警戒しなければなりません。今回の緊急事態宣言の延長は大型商業施設の休業要請を緩和します。菅総理は「大型連休という特別の時期には、人流を抑える強い措置が必要と考え、幅広い要請を行ないました」と説明しています。

一理ある説明かも知れませんが、後付けのような迷走ぶりを感じています。前述したとおりメッセージの伝わり方としても分かりづらく、一部の緩和策が一人一人の心の「緩み」につながらないように願っています。政治の役割や東京五輪の開催の是非など書き足したい内容もありますが、次回以降に委ね、今回はここで区切りを付けさせていただきます。

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2021年5月 1日 (土)

3回目の緊急事態宣言 Part2

前回記事のタイトルは「3回目の緊急事態宣言」でした。最初「3度目の緊急事態宣言」としていました。緊急事態宣言の発令は「3度目の正直であって欲しい」という思いがあり、そのことを記事本文の中で触れるつもりだったからです。

書き進めるうちに本文中で1回目、2回目、3回目と表記していたため、途中でタイトルも3度目から3回目に改めていました。意味の違いはまったくありませんが、メディアによって3回目と3度目、表記の仕方は異なっています。

変異株も変異型と表記するメディアがありますが、変異種という表記は誤りとなります。変異種ではまったく違ったウイルスという意味になってしまうようです。ウイルスは感染していく中で何度も増殖し、⼀部の性質が変化していきますが、ウイルスの種類自体が変わるものではありません。

インフルエンザウイルスも同様です。頻繁に変異を繰り返し、まれにフルモデルチェンジの変異を起こします。新型インフルエンザウイルスと呼ばれ、パンデミックが起こります。ワクチンや特効薬が開発され、人々に免疫力もつくことで季節性のインフルエンザと同程度の脅威に抑え込めるようになります。

新型コロナウイルスもそのように抑え込める日が必ず訪れるはずです。その日までいかにダメージを緩和していけるかどうかが大きな鍵であり、少しでも感染を防ぐための正念場が続きます。インドでは1日の新規感染者が40万人を超え、極めて深刻な事態に至っています。

一度感染を抑制したインドが再び危機的な状況に陥っている理由の一つは変異株の出現です。加えてロックダウン解除後の緩みが指摘されています。マスク着用や社会的距離の維持を怠るようになり、宗教祭やスポーツイベント、選挙などが感染防止対策を講じずに行なわれていたようです。

インドの現状を「対岸の火事」に決してできません。感染症の問題は国境を超えて力を出し合っていく必要があります。その一方で「他山の石」として日本の現状や足元を見つめ直す機会にすべきだろうと考えています。3回目の緊急事態宣言の発令を受け、今回もネット上で見聞した情報の紹介を中心に書き進めてみます。

まず自民党内からも次のような声が示されていることに安堵しています。前回記事では石破茂さんのブログを紹介しましたが、今回、自民党の衆院議員である小倉まさのぶさんのブログ『緊急事態宣言を受けた本日の党会合での議論』から私自身の見方に近い箇所を紹介します。

今回の措置がそもそもエビデンスに十分基づいていないのではないか。一年超に及ぶコロナとの闘いの中で、今回対象の施設やその団体は感染対策を工夫してクラスターの発生を防いできた。しかし、そうした施設も今回は一律の休業要請となってしまい、これまでの努力を蔑ろにされたような無力感に襲われてしまっている。

エビデンス・ベースだけでなく、エモーション・ベースでも対応を誤っている。政府資料では、テーマパーク・遊園地に対して無観客での開催・運営を求めているように記載されているが、テーマパーク・遊園地に対して無観客での営業を認めるというのは全く現実的でない。

さらに、但し書きでは「社会生活の維持に必要なものを除く」とされていますが、名指しされている施設は「社会生活の維持に必要でない」と政府に言われているように捉えてしまうし、反対に「社会生活の維持に必要だ」と解釈して休業要請に従わないケースも出ている。なぜこのような大変苦しんでいる事業者の神経を逆撫でするような表現になってしまうのか。

国際政治学者の三浦瑠麗さんは『朝まで生テレビ!』の中で、菅総理は「緊急事態宣言延長すればするほど人気が出ると分かっちゃった」と語っています。三浦さんは各情報番組で「3度目の緊急事態宣言は政治家のアリバイ作り」とも主張しているようです。

元経産省官僚の宇佐美典也さんは『私が二階幹事長と公明党が日本のコロナ対策を誤らせたと思っている理由』の中でGoToキャンペーンという「アクセル」の拙速さを問題視していました。1回目の緊急事態宣言を解除した後、菅総理をはじめ、政府与党内で経済との両立に固執していたことは確かです。

経済ジャーナリストの磯山友幸さんは『「中国やベトナムの出稼ぎを受け入れたい」菅政権が緊急事態宣言を渋った本当の理由』を通し、菅総理の第4波に対する状況認識の甘さや危機意識の乏しさを指摘しています。「国民が危機感を抱かない背景には、政府の新型コロナ対策への不信感があるのだろう」という言葉で記事を結んでいます。

1回目に比べて人の流れが減らない理由として「コロナ疲れ」や「自粛慣れ」という国民側に責任転嫁する言葉を耳にします。特に最近の小池都知事は「自宅で過ごして」「東京に来ないで」と命令調の言葉が頻繁に発せられています。しかし、これまで感染対策に努めていれば、ある程度外出は許されるというメッセージが政府から示されてきたと理解しています。

加えて3回目の緊急事態宣言は全面的な休業要請に至っていません。営業を続けている店舗等に誰も足を運ばなくなれば休業補償もなく、経営を圧迫させることになります。このような経緯や感染対策の向上を踏まえれば、街の風景が1回目と違うことも必然なのだろうと思っています。

はてな匿名ダイアリーに投稿された内容を加筆修正された記事『自粛疲れは甘え?緊急事態宣言に慣れた?→(政府に)呆れ果てただけだよ』に掲げられているような声に菅総理や小池都知事らは真摯に耳を傾けなければならないはずです。その上で国民が納得し、信頼を寄せられる言葉で訴えかけて欲しいものと願っています。

プチ鹿島さんは『「欲しがりません五輪開催までは」 唐突な緊急事態宣言に感じる“リーダーの説明不足”』で厳しく政治家の姿勢を批判しています。前回記事の最後のほうで東京オリンピック・パラリンピックの開催中止を決める判断を下した場合、一人一人の感染対策に向けた危機意識が一気に向上するのではないでしょうか、そのように記していました。

1回目の緊急事態宣言時との決定的な違いは東京五輪との向き合い方です。昨年は中止を決めた直後の緊急事態宣言でした。今回は開催を予定したまま各地で聖火リレーも取り組まれています。このような違いが個々人の「不要不急」を判断する幅を広げているようにも見ています。

膳場貴子アナ、緊急事態宣言や東京五輪に向けた政府の対応をバッサリ。「全て代弁してくれた」と話題に』や『都に苦言の丸川五輪相 開会式迫るも「当事者意識0」の声』では東京都、組織委員会、政府の間で責任を擦り付け合っている現状を伝えています。アスリートや関係者の皆さんには申し訳ありませんが、本当に開催できるのか、このまま開催して良いのかどうか疑問視しています。

たいへん長い記事になっていますが、もう少し続けます。ワクチン接種の問題です。明石市の泉房穂市長が自治体へのワクチン供給の問題を厳しい言葉で訴えています。少し激しすぎるのかも知れませんが、『明石市長激白!吉村知事批判の真意とワクチン供給の問題点』に掲げられた泉市長の次のような言葉は多くの自治体の首長や担当者の声の代弁だろうと思っています。

訪米してアメリカに媚を売っとる暇があったら、ちょっとぐらいワクチンもらってこいっていう話です。ワクチンは全然、現場には届いていないわけですよ。明石市だって医療従事者の半分ぐらいしか打ててない。高齢者の分も来ていない。ワクチンは国の責任なのに、やるべきことをやってなくて、ムチャクチャ遅いわけですよ。

にもかかわらず「やったフリ」をしたいから、市に段ボール1箱だけ送ってきた。段ボール1箱だけ送ってこられたって、200人、300人が接種したところで何の意味もない。それって現場に混乱をもたらすだけなんですよ。国が「皆さん始まりますよ」って言っちゃうから、各自治体はとりあえず200人でも500人でもって、高齢者の予約を取ろうとするから混乱が起こる。

それで「あとは地方の問題です」って現場の責任にするわけですよ。1箱だけ送られてきたって、どないせえっていう話です。あえて混乱をもたらすような情報発信をしている。それって、国はちゃんとしてますよっていう「アリバイづくり」なんです。もっとマジメに政治をやれと。こんな国難の状況の中で、いつまで自分の保身とアリバイづくりに走ってんねんと。

菅総理が訪米しながらファイザー社のCEOとは電話会談にとどまりました。やはり『菅義偉首相が外務官僚に怒号…?ワクチン外交「失敗」の裏側』で伝えているとおり「やってる感」を重視していたようです。最後に『菅総理”乱心”でワクチン1万人接種センターぶち上げ クラスター、人手不足など問題山積み』という記事を紹介しますが、「苦肉の策」が吉と出ることを願わざるを得ません。

3度目の緊急事態宣言下の4月29日、東京と大阪で新型コロナウイルスの新規感染者が1000人超えとなった。遅々として進まない高齢者(約3600万人)のワクチン接種に業を煮やした菅義偉総理は1万人が接種できる大規模接種センターを東京都などに設置するよう指示した。期間は5月24日から3カ月間だという。28日には東京都千代田区大手町の合同庁舎に設けられた接種センターのガランとした映像がマスコミに公開された。

「菅総理は国政選挙で3連敗して以降、乱心気味です。人気挽回策として側近の官邸官僚・和泉洋人総理補佐官と北村滋国家安全保障局長のトップダウンで大規模接種センター案が唐突に決まりました。厚生労働省の田村憲久大臣は蚊帳の外。関係省庁との調整は全くなされていない状態でマスコミにリークされ、話が進んでいます。全国的なコロナ蔓延で東京五輪開催に対し、国民の風当たりが強い。ワクチン接種にしか支持率回復の望みを持てない菅政権の焦りのあらわれです」(厚生省関係者)

大阪、兵庫、京都などにも65歳以上の高齢者を中心に1日約5000人が接種できる大規模センターを政府が設置するという。そもそもワクチン接種は「予防接種法」で住民票のある市区町村で受けるのが原則だ。実施主体は市町村とされており、各自治体でようやく接種予約が始まったばかり。政府が接種に乗り出すというのは極めて異例の判断だ。

「政府が直営で1日1万人規模の接種を行うとぶち上げましたが、接種する人員をどう確保するか。自衛隊の医師を活用するというが、全国で約1000人しかいません。新型コロナの患者を受け入れている病院の通常の任務もあるのに、強引な要請です。防衛省と厚労省など関係省庁の調整も進んでいません。そして1日1万人分のワクチンをどうやって確保するのか。ファイザー製は在庫がないので、国内未承認のモデルナ製を使うという話ですが、5月24日設置に間に合わせるなんて性急過ぎます」(政府関係者)

各自治体は苦心をしつつ様々な接種会場を確保し、人流の分散にも努めているが、今回のような1万人規模の接種会場となれば、クラスター発生のリスクが高まるという懸念もある。

「一か所に集めれば接種が進むだろうというのは、机上の思い付きに過ぎません。都内の高齢者を1日1万人単位で大手町に集めるというのは、外出抑制を促す政府の方針とも矛盾し、高齢者を感染リスクに晒すことになります。5月24日から始めるとぶち上げたが、準備期間がなさすぎる。ワクチン接種体制の確保といっても、注射ができる医療スタッフだけいればよいという問題ではない。会場整理の人員はもちろん、受付方法や動線の設定、ワクチンの配送・保管などロジの詰めも不可欠です。しかし、それらを誰が担うのか、人員をどう確保するのか。政府にはワクチン接種会場整備のノウハウが全くありません」(前出の厚労省関係者)

菅官邸トップダウンの珍プランに防衛省、厚労省、内閣官房など関係省庁は頭を抱えているという。「自治体から受け取った接種券を会場に持参すれば、いつでも予約なく接種できるようにすると耳障りのよいことを言っているが、見込み数を把握しないでどうやってワクチンを準備するのかすら検討されていません。ワクチンを大量に用意しても、実際に打つ人がわずかしか来なかったら大量の廃棄が生じてしまうだけ。逆に希望者が殺到してしまったらどうするのか。政府に何らノウハウもありません」(同前)

菅政権の命運は「東京五輪」「ワクチン頼み」であるものの、ワクチン確保に失敗し、接種率が世界的にも大きく立ち遅れている惨状が明らかになりつつある。菅官邸が思い付きで打ち出した「苦肉の策」は吉と出るのか、それとも……。(AERAdot.取材班)

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