コロナ禍での雑談放談
このブログを長く続けられている理由はコメント欄を含め、管理人である私自身の関わりを土曜と日曜に限っているからです。日常生活に過度な負担をかけないためのメリハリとして定着しています。ただ平日も含め、毎日画面は開いています。お寄せいただくコメントの数は以前に比べて激減していますが、日々閲覧することだけは習慣化しています。
また、土曜と日曜それぞれ日程が詰まっている時などは平日のうちに新規記事の投稿作業に関わっています。このような習慣が週刊化につながり、今年2月には900回という節目を刻むことができています。さらにブログ名のサブタイトルに掲げているとおり「雑談放談」的な内容を気ままに書き込んでいることも長続きしている理由の一つだろうと考えています。
雑談とは「気楽に話すこと、とりとめのない話」であり、放談は「言いたいことを遠慮なく話すこと」という意味です。もちろんインターネット上に不特定多数の方々を意識しながら発信しているため一字一句の重みを感じています。それでも個人の責任によるブログであるため発信する内容の自由度は高く、今回のような「雑談放談」をタイトルに付けた記事を時々手がけています。
さて、東京や大阪など9都道府県に発令している緊急事態宣言が6月20日まで延長されます。緊急事態宣言が続く中、土曜と日曜に入っていた予定は軒並み手帳から消えています。5月末の出納閉鎖を控え、少しでも収納率を上げるため休日に訪問催告を行なっていた時期ですが、そのような出勤もなくなっていました。
したがって、最近の土曜と日曜は両日とも当ブログに集中できるようになっています。両日関われる週末が続く中、このところ日曜の更新が続いています。日曜の予定もなく、明日できると思うと、つい先送りしがちでした。
今週末の土曜の朝は、エンゼルスの大谷投手が先発した試合をNHK BS1で見ながらパソコンに向かっています。このままブログに集中し、久しぶりに土曜のうちに更新できればと考えていました。
コロナ禍でステイホームという言葉が有名になっています。緊急事態宣言について、いろいろ思うことがありますが、予定が消えた後はなるべく外出しないように心がけています。昨年5月の記事「最近、読んだ本」で伝えているとおり外出を自粛しているため手にする書籍の数が増えています。
ステイホームの過ごし方としてテレビの前にいることも多くなっています。先々週の土曜、日本映画専門チャンネルで『姉ちゃんの恋人』全話9回分が放映されました。主人公の有村架純さんらの演じる物語が面白く、見始めたところ最後までテレビの前から離れられませんでした。両親を交通事故で亡くし、3人の弟を養うため大学進学を諦めて働く有村さんの頑張りに目を潤ませる場面が何回かありました。
グリーンチャンネルで中央競馬の全レースを自宅で見ることができます。以前は競馬場に行った気分でパドックを確認しながら1レースからネット投票を楽しむ休日が少なくありませんでした。最近はメインレースのみに集中しているためグリーンチャンネルを見ることが減っていました。先日、久しぶりに1レースから挑みましたが、残念ながらIPATの残高を減らすだけのステイホームでした。
自宅のパソコンを開くと必ず麻雀ソフトで遊んでしまいます。コロナ禍で実戦からは遠ざかっていますが、日々役作りの訓練は怠っていない日常となっています。自宅のパソコンはゴルフゲームも楽しめます。RPGの要素があり、オリジナルキャラクターを成長させ、希少なアイテムを獲得することで350ヤード以上飛ばせるようになっていました。ミドルホールをワンオンできる飛距離は快感です。
せっかく閲覧くださっている皆さんにとって、どうでも良い話が長くなって恐縮です。ここからはコロナ禍の緊急事態宣言に対し、いろいろ思うことを最近読んだ本を紹介しながら書き進めてみます。前回記事「責任者は誰なのか?」の最後のほうで『ノモンハンの夏』を読んだことを伝えていました。
今年1月に亡くなられた半藤一利さんの著書です。面子を重視した対立を繰り返す陸軍参謀本部と関東軍に対し、半藤さんの苛立ちが全編を通して伝わってくる理不尽な戦争の記録でした。たびたび使われている「秀才参謀たちは」という言葉に半藤さんの冷笑や憤りが込められているようでした。
当時のソ連軍の戦力を侮る楽観論、日本が負けることはないという精神論のもとにノモンハンで戦い、たいへん多くの犠牲を強いられていました。その敗戦の総括の不充分さ、責任の所在の曖昧さなども描かれ、重い責任を問われていたはずの関東軍の参謀らが太平洋戦争開戦前、三宅坂上の陸軍参謀本部の要職に栄転していたという驚愕な史実を伝えている著書でした。
このような史実を知り、今の政府や小池都知事らの顔を思い浮かべてしまうことは失礼な連想なのでしょうか。特に東京五輪の開催に向けて最も重い責任や権限を持っている人物は誰なのか、精神論や楽観論が先行していないか、いみじくも半藤さんの著書『ノモンハンの夏』から学び取るべき点が多々あるように感じています。
ステイホームが続く中、前述したとおり読書量は増しています。このブログの題材として取り上げる機会が多くなっているため新型コロナウイルス感染症に関する著書を最近立て続けに読み終えています。適菜収さんの『コロナと無責任な人たち』、峰宗太郎さんと山中浩之さんの対談本『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』、小林よしのりさんの『コロナ論3』、鳥集徹さんの『コロナ自粛の大罪』です。
それぞれの内容を今回の記事では網羅して紹介できませんが、前々回記事「3回目の緊急事態宣言も延長」に寄せられた勤続20年超さんのコメントの内容が『コロナ論3』『コロナ自粛の大罪』を通して詳述されています。インフルエンザより怖くない新型コロナに過剰反応し、社会生活や経済を犠牲にしていることを痛烈に問題提起している著書でした。
個々人の免疫を弱体化させないためにもウイルスとの共生が必要という訴えをはじめ、「コロナ死」だけを特別視することの問題性など「なるほど」と思う内容に多く触れることができています。ただマスク着用や手指の消毒などが不要という主張も見受けられましたが、そのあたりは少し疑問に思っています。
『新型コロナとワクチン 知らないと不都合な真実』では特効薬やワクチンが普及するまでインフルエンザと峻別した対応の必要性を訴えています。さらに日本人の多くがマスク着用や三密の回避など感染対策に努めているからこそ欧米のような感染爆発に至っていないという見方を示していました。全体を通し、こちらの著書の内容が私自身の考え方に近いようです。
いずれにしてもマスク着用等の対策が100%の安全を保障するものではないことやPCR検査の誤差の多さは各著書それぞれで伝えています。菅総理は東京五輪の開催に向けて「安全安心な大会となるよう取り組みます」と言い続けていますが、開催する限りリスクゼロはあり得ないことを前提に考えなければなりません。
仮に東京五輪の中止を決めた場合、開催に伴う人流はなくなり、東京五輪に関連した感染リスクはゼロとなります。とは言え、もともと過度に社会生活や経済を痛めるロックダウンに近い抑圧策には懐疑的な立場ですので、主催者が納得性の高い説明責任を果たした上で開催を決めるのであればその判断を尊重したいものと考えています。
そのため感染対策を整えて東京五輪の開催を予定するのであれば、感染対策を整えているデパートや映画館などに規制をかけた緊急事態宣言の要請内容の一貫性のなさに違和感を抱いていました。ようやく一部緩和される見通しですが、同様に感染対策に努力してきた居酒屋等に対する規制も今回限りにすべきだろうと思っています。
人流抑制によって感染リスクの確率を下げる意味合いでの効果も認めていますが、人と人との接触を完全に断たない限り、リスクゼロはあり得ないものと考えています。ずっと家に閉じこもっていることは難しく、社会生活を営むため外に出なければなりません。新型コロナを必要以上に恐れず、ある程度の人流を認めた上、持続可能な納得性の高い感染対策に心がけていくことが重要です。
ワクチン接種は希望される方々、全員が必ず受けられるため慌てずに順番を待たなければなりません。そして、国民の半数以上がワクチン接種すれば集団免疫を獲得でき、必ず以前のような日常を取り戻せるはずです。それまで宣言の有無に関わらず、緊急事態であるという認識を持ち続けることが欠かせません。
話題が広がりながら、とりとめのない話が長くなりました。まさしく「コロナ禍での雑談放談」でした。なお、読み終えた著書の中で特に興味深かった新型コロナを2類相当に位置付けている問題などに関しては次回以降、機会を見て触れさせていただくつもりです。
最後に、東京五輪がコロナ禍に重なってしまったことは日本の運の悪さです。招致の成功を国民の多くが歓喜していた訳ですので今さら「外れていれば良かった」というのも禁句だろうと思っています。ただ2年の延長案が主流だったのにも関わらず、安倍前総理が1年延長で押し切ったという話を耳にすると結果責任としての見通しの甘さを指摘したくなります。
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