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2021年3月21日 (日)

コロナ禍の緊急事態から非常事態に

新型コロナウイルス感染対策として1都3県のみが継続していた緊急事態宣言は解除されます。産経新聞は『緊急事態宣言解除、不安拭えぬまま 既に気の緩み、高齢者ワクチン接種まで20日余り』という見出しで報じていましたが、どのメディアも感染状況が厳しい現状でのリバウンドの懸念を伝えています。

3月18日の基本的対処方針等諮問委員会は解除方針を全員一致で了承しています。懸念が尽きない中、専門家の一人は「心配だからと言って(安易に)私権を制限していい訳ではない」と強調していました。

NEWSポストセブンの記事『緊張感無き「宣言解除」 リバウンド回避には「脱馴化」が必要』を目にし、心理学でいうところの「馴化(じゅんか)」という言葉を知りました。その記事の中では「宣言をこれ以上延長しても効果が薄れるだけ」「ここで解除しなければ、いつまでも解除できない」とする政府関係者の話を伝えています。

このまま宣言を延長したとしても新規感染者数は大幅に減らないという見方に私自身も首肯しています。ちなみに前々回記事「緊急事態宣言が再延長」の中で、政府内の関係者から「小池氏の術中にはまっただけ。本来なら7日に断固解除すべきだった」という声が上がっていたことを紹介しました。

菅総理も当初、7日に解除する方針だったはずです。感染者数の状況を踏まえれば「緊急事態を宣言してから新規感染者数が約8割下がってきている」という理由を2週間前に説明し、解除していたほうが納得感は増していたように思っています。政治的な思惑を優先したシナリオが先にあって、客観的な数字や専門家の意見は後付けの理由にされているような気がしてなりません。

1月8日に緊急事態宣言が再発令された時も政治的な関係性の中から判断していたようです。もともと菅総理は感染対策と経済のバランスを重視し、緊急事態宣言の再発令に懐疑的な立場でした。菅総理は4都県知事の圧力に押され、再発令に追い込まれたことが苦い記憶となっていました。

2週間の再延長を小池知事らの要請を受ける形で方針転換すれば指導力が問われかねないとの懸念から、あえて要請を待たずに表明に踏み切ったと見られていました。改めて菅総理には手柄の奪い合いのような発想を避け、私たち国民にとって本当に望ましい実効ある政策判断を重ねて欲しいものと願っています。

宣言の解除にあたり、菅総理はリバウンド対策の5本柱として①飲食を通じた感染の防止策継続、②変異ウイルスの監視体制の強化、③感染拡大の予兆をつかむための戦略的な検査、④安全・迅速なワクチン接種、⑤次の感染拡大に備えた医療体制の強化を掲げています。それぞれ重要な対策ですが、「今さら」感が拭えないことも確かです。

基本的対処方針等諮問委員会は18日、保健所の体制強化や自費検査機関との連携なども提言しましたが、その内容はこれまでも要望してきた内容と重なっています。尾身茂会長は記者会見で「言葉で言うのは簡単だが、実行されてこなかった」と指摘した上で「国や自治体が今まで以上に汗をかく局面だ」と語っていました。

危機管理下での政治の役割は増しています。平時であれば「やってる感」の政治でも一定の支持は得られていくのかも知れません。コロナ禍という深刻な危機の中では着実な結果が求められ、政治家の資質や判断能力は厳しく問われていきます。世論調査との向き合い方も重要な要素の一つです。

国民の多数の声を受けとめ、政治的な判断を下していくことが民主主義の常道だと言えます。一方で矛盾するようですが、少数の声を無視しないことも民主主義の基盤を支える原則となっています。そのことを政治家の皆さんは常に意識し、世論調査の結果にとらわれ過ぎず、より望ましい政策判断を見出していく役割が求められているはずです。

世論調査では緊急事態宣言の延長を求める声が多数となっています。このような傾向について計量経済学を専門とする田中辰雄さんが『非常事態宣言は再再延長すべきか―自粛の強者、自粛の弱者 』という論評を投稿していました。

社会生活や経済的なダメージを受けているのは首都圏の飲食関係者や学生が中心であり、全国調査の中で数の割合は低いため、ダメージを受けていない多数の方々からの延長を求める声によって比率が高くなっていると分析しています。「なるほど」と思った関係性であり、確かにテレワークを歓迎している方々にとって延長は望ましい判断となります。

このような点も踏まえ、より望ましい感染対策を考えていかなければなりません。「アクセルとブレーキを同時に踏むこともある」という菅総理の言葉には驚きましたが、GoToというアクセルを踏み込み過ぎた結果、第1波と第2波の時を上回る感染者数を招いてしまったものと見ています。

GoToそのものが直接的な原因ではないという見方もありますが、人と人との接触拡大とともに緩みを生じさせたことは確かだろうと思っています。1月初めの記事「緊急事態宣言、再び」の中で、再発令は改めて個々人の対策に向けたマインドを高める機会につなげることを意識した判断なのだろうと記していました。

さらに「全面的な休業を求めない理由が財源的な問題だとしたら極めて中途半端で不誠実な政治判断だと言わざるを得ません」と書き残していました。昨年4月の緊急事態宣言とは大きく様変わりし、休業要請は飲食店における午後8時までという営業時間の短縮にとどめていました。

経済を過度に停滞させないという配慮が働いた結果だったのかも知れませんが、それにも関わらず「全日、最大限外出は控えて」という要請には前述したとおり違和感を抱いていました。いろいろな意味で問題を内包した緊急事態宣言の再発令でしたが、日々の新規感染者数を8割ほど減らしたことも確かです。

政権運営の問題点を厳しく追及する野党の役割を期待しています。ただ『緊急事態宣言「解除は時期尚早」 野党側が解除に反対』という報道を目にすると政局的な意味合いを感じてしまいます。機会を見て感染対策に向けた私自身の考え方を改めてまとめてみたいものと考えていますが、これまで「エンジンブレーキ」という言葉を多用してきています。

終息まで年月を要することを覚悟し、慌てず、持続可能な対策を心がけていくことの必要性を訴え続けています。このまま緊急事態宣言を継続することが持続可能な対策だったのかどうか疑問視しています。アクセルは踏まず、静かに経済を回しながら「新たな日常」のもとに持続可能な実効ある対策に留意していく局面ではないでしょうか。

実は今回の記事タイトルは最初「言葉の使い方、緊急事態から非常事態に」でした。憂慮している「言葉の使い方」につなげる記事内容を考えていましたが、緊急事態宣言の話だけで相当な長さとなっているため途中から記事タイトルを「コロナ禍の緊急事態から非常事態に」と変えていました。

緊急事態宣言が解除されたことでGoToの時と同様、個々人の緩みからのリバウンドが危惧されています。そのため、言葉の使い方として次のように考えています。馴化されてしまった「緊急事態」という期間が終わっても、引き続き平時ではない非日常が続くという意識を持ち続けるために「非常事態」であることを強調すべき局面ではないかと考えています。

辞書で調べれば「緊急事態」と「非常事態」に大きな意味の違いはありません。日本の場合、法律が「緊急事態」と呼称されているため、法的な面での使い分けは必要です。ただ個々人に求める「新たな日常」に対して同様な継続性が欠かせないのであれば、コロナ禍が終息するまで「非常事態」であることを宣言すべきではないでしょうか。

最後に、たいへん興味深い『今季のインフル患者わずか1万4000人、昨季の500分の1未満に』というニュースを紹介します。新型コロナウイルスに対する個々人の対策や努力が効果を発揮している証しであり、もっと大きなニュースとして扱われることで一人一人の今後の励みになるのではないかと思っています。

厚生労働省は、インフルエンザで医療機関を受診した患者が昨年秋から今月7日までの今季、推計約1万4000人だったと発表した。インフルエンザの患者数は現在の調査手法となった1999年以降では最も少なかったとみられる。患者が比較的少なかった昨季は、推計約728万5000人だった。

今季は、新型コロナウイルスとの同時流行も危惧されていた。だが、手洗いや手指消毒、マスク着用の徹底が呼びかけられたことや、海外との人の往来が激減したことなどが影響し、インフルエンザの患者は大幅に減ったとみられている。

インフルエンザの患者数は毎週、全国約5000の医療機関から報告され、この数値をもとに、全国の患者数が推計されている。今季最後の発表となった7日までの1週間の報告は26人だった。【読売新聞2021年3月15日

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