緊急事態宣言が再延長
緊急事態宣言が再延長されました。3月7日までだった東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏1都3県に発令していた緊急事態宣言の2週間延長が3月5日夜、正式に決まりました。菅総理は3月2日の予算委員会で「ギリギリまで見極め解除可能か判断する」と答えていました。
その際、菅総理は「解除について、私が一存でできる話でもない。諮問委員会の意見を充分に踏まえ、総合的に判断させてもらうし、感染状況や医療提供体制の逼迫状況などの基準が決められているので、そこがいちばん、大事なことだ」と説明を加えていました。
しかしながら下記報道のとおり菅総理は3日夜に「私自身が判断したい」とし、5日午前に予定された新型コロナウイルスの基本的対処方針等諮問委員会(尾身茂会長)の議論を待たずに延長を決めたことをアピールしました。
菅首相は3日、緊急事態宣言の2週間程度の「再延長」に言及し、自らの政治決断を演出した。宣言解除に難色を示す東京都の小池百合子知事の機先を制する狙いもあるとみられる。首相は約8分間にわたり、立ったまま記者団の質問に答える「ぶら下がり取材」に応じた。
東京など4都県での延長に触れ、「最終的に私自身が判断したい」と2回、繰り返した。「私自身がそういう日にち(2週間)が必要じゃないかと表明させてもらった」とも述べ、5日の正式決定を待たずに延長を事実上決断したことをアピールした。
首相は当初、7日で宣言を全面解除し、経済活動の再開に道筋を付けたい考えだった。宣言はすでに1か月延長しており、これ以上長引けば、「経済で追い詰められて自殺する人が増える」ことを懸念した。
だが、4都県の感染状況は期待していたほどには改善しなかった。期限直前になって解除を強行すれば、「感染が再拡大した際に全部、政府の責任にされる」(自民党幹部)という恐れがあった。【読売新聞2021年3月3日】
前日までの説明を踏まえれば唐突で違和感が生じる動きでした。政府内の関係者からは「小池氏の術中にはまっただけ。本来なら7日に断固解除すべきだった」との声が上がり、自民党の閣僚経験者も「専門家の意見を聞いていない判断だ」と批判していました。
菅総理には4都県知事の圧力に押され、1月7日の宣言再発令決定に追い込まれたことが苦い記憶となっているようです。今回も小池知事らの要請を受ける形で方針転換すれば指導力が問われかねないとの懸念から、あえて要請を待たずに表明に踏み切ったと見られています。
前回記事「マスコミの現状と期待したい役割」の中でBLOGOSをブックマークし、頻繁に訪問していることを記していました。多面的な情報に接していくことの大切さを受けとめているため、BLOGOSで知った興味深いサイトを当ブログを通して紹介しています。
評論家の近藤駿介さんは『緊急事態宣言延長 ~ 総理は国民に一体何を詫びているのか』の中で「国民が踏ん張っている中で政府が無策だったことを詫びているのだとしたら、どんな策を打てばよかったと考えているのかを明らかにしなければ意味がない。何はともあれ詫びて謙虚な姿勢を見せることで支持率低下を防ごうという魂胆だとしたら、総理の言葉が国民の心に響かないのは当然のこと」と菅総理を批判しています。
一方で、参院議員の音喜多駿さんは『小池百合子知事の耐え難い不誠実さ。公言した目標と「謝罪の言葉」はどこへ行ったのか』と小池知事を手厳しく批判し、元衆院議員の深谷隆司さんも『緊急事態宣言延長』の中で「緊急事態宣言というと、何時もしゃしゃり出て、自分の手柄のような顔をする小池知事の厚顔に、うんざりしていただけに、私は大いに結構と思った」と綴っています。
国民や都民から「どのように見られるか」という判断基準を重視しながら振る舞うことは政治家の習性として、ある程度やむを得ないものと思っています。しかし、かつて経験したことがなかったレベルでの緊急事態において、そのような判断基準が優先されたことで致命的な判断ミスにつながるようであれば深刻な問題です。
緊急事態宣言が再び発令された後、「危機管理下での政治の役割」「東京五輪の行方と都政の現場」「コロナ禍での野党の役割」という記事を投稿してきました。改めて政治家の皆さんへのお願いです。ぜひ、手柄の奪い合いのような発想は避け、政府と自治体は緊密に連携し、国会の場では与野党双方が大局的な見地から実効ある政策判断を重ねて欲しいものと願っています。
もう少し今回の記事は続けさせていただきます。『世界各国へのワクチン普及、G7一致』という報道を目にしました。菅総理はワクチン共同購入の国際的枠組み「COVAX(コバックス)」に日本が2億ドル(約211億円)を拠出する方針を説明し、「保健分野の保護主義」への反対を訴えています。
このような動きは強く支持すべきものです。パンデミツクの完全な終息は自国優先主義では解決できず、何よりも国際協調が欠かせません。菅総理の「途上国も含め公平なアクセスを確保することが不可欠だ」という言葉もまったくその通りです。
しかし、その言葉は日本国内のワクチン接種が計画通り進まない可能性も覚悟したものでなければ重みを伴いません。東京五輪を間近に控えた日本は早期に大量なワクチンを購入しても然るべきだと考えていた場合、保護主義に反対したとしても「途上国も含め」という言葉が必要だったのかどうか疑問です。
同日のG7での意見交換の際、菅総理は東京五輪について「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証し」として開催するという決意を表明していました。これまで多用してきた同じ言葉を繰り返している訳ですが、ワクチンの供給体制一つ取っても今年の夏までに打ち勝てるとは考えられない時期に差しかかっているはずです。
開催に向けた決意を示すとしても、せめて「新型コロナウイルスに負けずに」という言葉程度が妥当だったのではないでしょうか。「アクセルとブレーキを同時に踏むこともある」という言葉にも驚いていましたが、菅総理の言葉の使い方に疑問を持つ時が多々あります。きっと誰からも一切指摘を受けない現状なのだろうと推察しています。
『日刊ゲンダイ』の記事『菅政権またも後手後手 山田広報官“ゴチ”辞職で崩壊へ一気』の中で「最近の総理はいつもイライラしていて怒鳴り散らすので、誰も近づきたがりません。官邸内もイエスマンばかりで、総理に厳しい意見を言う人が周囲にいないことが、後手対応を招いている一因でしょう」という官邸関係者の話が紹介されています。
ささいなことかも知れませんが、本来、言葉の使い方一つから指摘を受けることで、より望ましい言葉に改まっていくことのほうが菅総理にとっても有益なはずです。それどころか国民の命や暮らしに直結するような重大な政策判断を下す際も、幅広い情報は届かずに菅総理が決めているとしたら官邸の機能として非常に危うい現状だと言えます。
危機管理血液内科医の中村ゆきつぐさんは『ワクチンの供給 まあ慌てても仕方ないし、日本はそこまで心配しなくていい』の中で「ワクチンがまだ投与されていない今の日本でもしっかり急所を抑えればPCR陽性者数が今しっかり減っている」とし、「しつこいですが油断はいけません。でも節度をもって急所を抑えることでさまざまなことが今後できるはずです。1年前とは違います」と記しています。
1都3県の緊急事態宣言が2週間延長されましたが、私自身の問題意識も中村さんの考え方に近いものがあります。もともと「ウィズコロナ」という言葉には違和感がありましたが、立憲民主党が提唱した「ゼロコロナ」という言葉や発想にも懐疑的な立場です。
新年早々の記事「平穏な日常に戻れる2021年に」の中に掲げた通り「すぐに終息しないことを覚悟し、長丁場の闘いとして持続可能な対策を心がけていくことが欠かせないのだろう」と考えています。例えればアクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想です。
ワクチン接種に関しては慌てず、自国優先主義に陥らないよう菅総理の言葉通り「途上国も含め公正なアクセス」のもとに確保していくことが重要です。いずれにしても決意や願望を排した正確な情報提供が求められています。何よりも準備を進めている自治体職員にとって切実な要望だと言えます。
東京五輪は「海外からの観客なし」で調整されていくようですが、緊急事態宣言を再延長せざるを得ないような現況で予定通り開催することが本当に「国民のため」なのでしょうか。残念ながら「開催ありき」という方針は国民側のマインドとして感染対策上「アクセル」の役割を果たしているように思えてなりません。
最後に、枝野代表は「ゼロコロナ」という言葉を政府との違いを際立たせる対立軸として打ち出したようですが、党内から「感染者ゼロが独り歩きして誤解を招かないか」と懸念する声が示されていました。「まずは感染を徹底的に抑え込み、経済活動の再開はその後にする」という考え方に対し、与党は「そこまで待てば日本経済は死ぬ」と見ています。
このように評価が分かれる方向性を見出す際、立憲民主党内で丁寧な議論が積み重ねられなかったようです。党中堅の参院議員の「立民は下から議論を積み上げる政党ではなく、上から方針が下りてくる政党だ」という言葉が漏れ聞こえていました。ぜひ、枝野代表には官邸機能の問題を反面教師とし、 このような声が党内から示されていることを重く受けとめて欲しいものと思っています。
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