コロナ禍で迎えた節目の900回
このところタイトルの先頭に「コロナ禍」を付けた記事の投稿が続いています。記事タイトルに掲げたとおり今回、節目の900回を迎えました。新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言の期間中というタイミングでの節目の記事となります。
このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新が定着し、現在に至っています。
実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから「週刊」を習慣化できていました。元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。
来月11日、東日本大震災の発生から10年が過ぎます。発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。
そのようにつながってきましたが、2年前の3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。
再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事でした。
普段の色合いからは離れた私的な内容が中心となった記事もその一度きりです。これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えていました。
もし定期的な更新間隔を定めていなければ、日々の多忙さに流され、いわゆる「開店休業」状態が続いていたかも知れません。それでも年月は過ぎていくことになります。一方で、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。
800回の時、不慮の事態に遭遇しても数字は滞ることを付け加えていました。健康上の問題、大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。
そのような意味で、改めて記事の回数が100を刻んだ時のメモリアルさをかみしめています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも感謝しています。これまで100回を節目とし、次のような記事を投稿してきました。
- 2006年3月19日 多くの方に支えられながら101回
- 2007年9月 2日 逆風を謙虚に受けとめながら200回
- 2009年8月 2日 5年目の夏、そして300回
- 2011年7月 3日 400回、改めて当ブログについて
- 2013年6月 2日 500回という大きな節目
- 2015年5月 2日 2015年初夏、節目の600回
- 2017年4月 2日 節目の700回、今、思うこと
- 2019年3月16日 節目の800回を迎えて
100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。
そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。
訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知しています。それでも節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。
以前の記事「このブログを始めたイキサツ」に記したとおり真実は一つでも、情報の接し方によって善悪の印象がガラリと変わります。ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。
ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会い、これまで900回の記事を積み重ねてきました。あくまでも個人の責任によるブログですが、私どもの組合員の皆さんに向け、時々、このブログのことを組合機関誌等を通して宣伝しています。
不特定多数の方々へ公務員組合側の言い分を発信するとともに、一人でも多くの組合員の皆さんにも読んでもらいたいと思いながら投稿しています。つまり組合活動を身近に感じてもらうための一つのツールとしても位置付けています。二兎を追うブログだとも言えますが、これまで自分自身としては難しく思わず運営してきています。
その中で一貫して注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。
誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。 このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、自分自身の主張を広く発信できる自分なりの一つの運動として位置付けています。
そして、何よりもブログを始めて良かったと思うことは本当に幅広く多様な考え方や意見に触れられたという経験です。コメント欄には辛辣な批判意見が数多く寄せられてきましたが、インターネットを介した匿名の場だからこそ触れることができた飾らない声の一つ一つだったものと考えています。
これまで多様な声があることを受けとめ、日常の職務や組合活動に臨める意義深さを感じ取ってきています。ネット上で不特定多数の方々に発信している当ブログの内容は誰が目にしても説明責任を果たせる前提で投稿していますが、組合の方針や私自身の考え方に誤りがあれば再考しなければなりません。
さらに基本的な立場や考え方の違いから批判を受ける場合もありますが、そのことも含めて貴重な機会だととらえています。どのような点が批判されるのか、どのように説明していけばご理解いただけるのか、いろいろな意味で「気付き」の機会につながっているからです。
少し前の『都政新報』の紙面で人事院公務員研修所客員教授の高嶋直人さんの次のような言葉が目に留まりました。高嶋さんは新人研修で「公務員だけでつるんではいけない」と指導し、「公務員組織は本来的に同質性の高い集団であり、いくら交流を重ねても視野を広げるには限界がある」という点を伝えているそうです。
その後に続く「公務員に限定せず、自分と属性が全く異なる人々にもネットワークを広げる努力が必要です」という言葉を特に注目していました。そのような意味で当ブログのコメント欄は公務員以外の方々の率直な声を伺える非常に貴重な場だったと言えます。
視野が広がったかどうかは自己評価しづらいところもありますが、多様な「答え」があるという基本的な認識や立場を培われたものと思っています。自分自身が正しいと信じている「答え」に対し、異なる「答え」があることを受け入れ、なぜ、そのような「答え」に至っているのか思考を巡らせるようになっています。
事案によって絶対的な「正解」は容易に見出せません。そのような場合、幅広い視点からの多様な「答え」を突き合せることで、より望ましい「答え」を見出していく努力が重要なことだと考えるようになっていました。
平和の課題を一例とすれば「平和の築き方、それぞれの思い」という記事があり、「平和への思い、自分史」「平和への思い、自分史 Part2」を通して自分自身の問題意識の変遷を綴っていました。
ただ私自身の立ち位置や正しいと信じている「答え」が基本的に変わらないため、批判的なコメントを寄せられる方々に対し、徒労感や失望感を与えがちだったようです。
このような点が直接的な理由ではなく、単に関心を失われてしまわれたのか、もしくは別な事情がお有りなのかも知れませんが、nagiさんをはじめ、コメント欄の常連だった皆さんがご無沙汰になっている昨今を寂しく思っています。
500回目の頃と比べ、コメント欄の雰囲気が大きく様変わりしています。500回目の記事の中に「普段のアクセス数は千件から2千件ぐらいの幅で推移し、コメント数が100を超えた記事も数多くありました」と書かれています。
現在、コメントが1件も寄せられない記事の数も多くなっています。記事本文の更新が週1回で、コメント欄での動きが少なくなっているため、日々のアクセス数も当時に比べれば大きく減っています。そもそもスマホが主流となり、多種多様なSNSが普及している中、文字ばかりの長文ブログはガラパゴス化しつつあるのかも知れません。
それでも組合員の皆さんをはじめ、このブログをご注目くださっている方々は決して少なくありません。このような手応えがある限り、たいへん大きな節目である1000回をめざしていくことができます。ぜひ、出入り自由な場として、これからも少しでも興味を持たれた時にご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
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