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2021年2月28日 (日)

マスコミの現状と期待したい役割

前回の記事は「『鬼滅の刃』を読み終えて」でした。その最後のほうで、過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」に綴っていたマスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識について紹介していました。

その記事を投稿した当時、まだ国民からの支持が高かった鳩山政権に対し、マスコミが政権批判する論調は抑え気味でした。どうしてもマスコミの活動は多くの人に「見てもらう」「買ってもらう」ことが欠かせない目的となるため、そのような傾向があることを書き添えています。

一方で、世論を作り出す影響力がマスコミにはあるため、世論の潮目が変わった時、一気に鳩山政権は苦境に立たされるのかも知れないという言葉も書き残していました。予想は当たってしまった訳ですが、このような関係性を「卵が先か、鶏が先か?」という話に重ねていました。

安倍政権で加計学園の問題が取り沙汰されていた頃、「マスコミの特性と難点」「マスコミの特性と難点 Part2」という記事を投稿していました。同じ事実を伝える際、例えばコップの中に水が半分ある時、「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのでは読み手の印象が変わります。

つまりマスコミも客観的な事実だけを淡々と伝えている訳ではなく、記者や編集者、コメンテーターらの意見や主観を添えた報道の仕方が主流となっています。マスコミ報道は決して無味乾燥ではなく、そのような特性があるという現状を「Part2」にわたった記事を通して綴っていました。

だからこそ、より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことの大切さを認識しています。このような認識を深める機会として、今回の記事では最近読んだ小説や時事の話題を紹介しながら書き進めてみるつもりです。

つい最近、本城雅人さんの『傍流の記者』を読み終えています。リンク先のサイトでは下記のとおり紹介されています。小説という形を取っていますが、東都新聞は読売新聞を連想させ、実際の出来事を下敷きに描かれているように見受けられます。

「新聞記者とはどんな人間なのか、真の特ダネとは何か、組織の中でどう生きるべきかが描かれている」 大手新聞社の社会部、鎬を削る黄金世代の同期6人。組織の中で熱く闘う男たちを描く痛快企業小説。警視庁の植島、調査報道の名雲、検察の図師、遊軍の城所、人事の土肥、そして社長秘書の北川――。

東都新聞社会部に優秀な記者ばかりがそろった黄金世代の同期6人。トップに立てるのはその中のただ一人。貫くべきは己の正義か、組織の保身か。出世か、家族か、それとも同期の絆か――。中間管理職の苦悩、一発逆転の大スクープ、社会部VS政治部の熾烈な争い……火傷するほど熱い新聞記者たちの闘いを見よ。痛快無比な企業小説。第159回直木賞候補作。

今回の記事タイトルは「『傍流の記者』を読み終えて」ではありませんので、マスコミの現状を生々しく映し出した場面に絞って紹介します。紙面作りにおいて東都新聞の社会部と政治部は、しばしば対立していました。その背景となる象徴的な次の記述が特に印象に残っていました。

新聞社は権力を見張るだけが役割ではない。この国を良くするにはどうすべきか考察し、論を発する役目もある。前者の中心になるのが社会部なら、後者は政治部の仕事だ。政治部にとっては、大塚首相の息子が病院の理事長から資金を受け取ったことや首相が閣議に30分遅れてきたことより、東アジアの国際情勢や外交、消費増税、憲法改正の方がよほど重要なのだ。

この記述の後、「だがその政治部でさえ、今朝は大塚首相を攻撃する側に回った。もう政権は守れないと判断したのだろう」と続きます。つまり小説の中では国民からの支持という潮目の変わるタイミングも描かれていました。

解説は元読売新聞記者の清武英利さんが寄稿していました。解説の冒頭の「新聞や放送記者は熱心であればあるほど、かつ利口であればあるほど真実を書けなくなる。権力に近づきすぎると、しばしば秘密の共有者となるからだ」という言葉も印象深いものでした。

このような特性があることを改めて認識した上で、マスコミからの情報に接していくことが重要です。幸いにもインターネットを利用すれば幅広い情報に素早くアクセスできます。私自身、情報源の一つとしてBLOGOSをブックマークし、頻繁に訪問しています。

BLOGOSで知った興味深いサイトなどを当ブログで紹介することも少なくありません。多くの方々が多面的な情報に接して欲しいものと願っているからでした。その際、なるべく筆者のサイトにリンクをはるように努めています。

今回、ジャーナリストの安倍宏行さんの『霞ヶ関高級官僚接待の系譜』、経産省の官僚だった古賀茂明さんの『菅総理長男の接待官僚の行く末』、政治団体代表の鈴木しんじさんのブログ『首相長男の接待は政権を揺るがす大問題に発展』、ジャーナリストの元木昌彦さんの『「またも看板キャスターが降板」 NHKは"忖度人事"をいつまで続けるのか』を紹介します。

それぞれの記事にあるとおり総務省の官僚が東北新社から接待を受けていた問題は、まったく信じられないレベルの異様な話だと思っています。しかしながらマスコミからの情報に限った場合、なぜ、東北新社に限って接待を受け続けたのか、このような理由を垣間見ることも難しい現状です。

特に読売新聞は「首相長男接待 総務省11人懲戒・訓告 山田広報官 給与返納」という見出しを1面で報じた時、トップに位置する見出しは「高齢者接種4月12日開始 コロナワクチン 下旬に本格化」のほうでした。『傍流の記者』に書かれているとおり政治部の記者が主導した結果なのだろうと想像しています。

ワクチン接種に関する見出しの付け方も前述したコップの中の水を「半分しかない」と書くのか、「半分も残っている」と書くのかと同様な恣意的なものを感じています。4月にスタートし、6月までに完了する見通しだった高齢者への接種計画が大幅に遅れることを報じた内容の見出しとして適切だったのかどうか疑問です。

読売新聞側の意図がにじみ出た紙面でしたが、事実関係の概要は伝えていたものと受けとめています。しかしながら一連の報道を通し、事実関係のすべてを正確に伝えていたのかどうかで言えば、紹介したブログ記事の内容と比べた場合、あえて書いていない事実関係があるように見受けられます。参考までに鈴木しんじさんのブログから一部を抜粋して紹介します。

正剛氏は父が総務相在任中に大臣秘書官を務め、父の威光によって同省に顔が利くことから、総務省への交渉担当として東北新社の中で重用されてきたようです。接待は2016年7月から少なくとも13人が延べ39回に渡って行われてきたとのことですが、東北新社が放送事業の認可を融通してもらうために、総務省幹部に接待攻勢を行っていたことが窺われます。

2016年12月14日に、当時大臣官房審議官だった吉田眞人氏が東北新社側と会食をおこなっていたことが明らかになっていますが、2017年1月24日に総務省は同社を4K放送の事業者に認定しています。週刊文春の報道で接待現場を押さえられた昨年12月は、東北新社の子会社が手掛けるBS放送「スターチャンネル」が5年に1回の認定の更新を受ける直前です。

また、2018年4月に総務省は東北新社の子会社「囲碁・将棋チャンネル」のCS放送業務を認定しましたが、同年にCS放送業務として認定された12社16番組のうち、ハイビジョン未対応で認定されたのは「囲碁・将棋チャンネル」だけだった一方で、ハイビジョンに対応していても落選した番組もあったとのことで、明らかに不自然な取り扱いだったと言われています。

ここで、当時、認定判断の最高責任者たる総務省情報流通行政局長だったのが、NHK「ニュースウオッチ9」の有馬嘉男キャスターの菅首相へのインタヴュー内容に関して圧力をかけたと言われている山田真貴子現内閣広報官でした。なお、山田氏が総務審議官だった2019年11月6日、飲食代だけで7万4203円になる高額接待を東北新社から受けていました。

最後に、スクープ報道という点では『週刊文春』など週刊誌が際立った役割を発揮しています。ただマスコミによる後追い報道がない限り、世論への影響は限定的です。インターネットが普及していても、まだまだ大手の新聞やテレビからの情報の影響力が大きいものと思っています。

マスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識に戻りますが、マスコミの情報が世論を左右していくことは間違いありません。国民一人一人が政権に対し、公正な評価を下せる関係性を築くためにも、マスコミ関係者の皆さんが政権との距離感を適切に保ちながら事実関係のすべてを正確に伝える役割を発揮されることを期待したいものです。

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2021年2月20日 (土)

『鬼滅の刃』を読み終えて

昨年末に『千と千尋の神隠し』の記録を抜き、公開から73日間で324億円に達した映画『鬼滅の刃』が興行収入歴代1位となっています。コロナ禍の中、昨年1年間の興行収入は前年から半減し、1400億円ほどにとどまっていましたが、『鬼滅の刃』だけで全体の2割以上を占めていました。

人気漫画『鬼滅の刃』を原作にした劇場版「無限列車編」は大正時代の日本を舞台に主人公の少年が敵の鬼たちと戦いを繰り広げる物語で、前年に放送されたテレビアニメの続きが描かれています。

作品自体の面白さやアニメーションのクオリティーの高さなどに加え、「正義が貫かれるという前向きな物語が、コロナ禍で沈んだ気持ちの中で非常に受け入れやすかったのではないか」と評する声もあります。

「鬼滅の刃」ブームはどのように広がっていったのか?ツイートから分析』という記事に『少年ジャンプ』で連載の始まった2016年当時から人気があり、他の作品よりもツイートの数は多かったことが記されています。2019年のテレビアニメ化によってツイート数は伸び続け、2020年10月の映画公開が「大きな話題の山を生み出した」と分析しています。

ある一定のラインを超えるとマスコミが連日大きく取り上げるようになり、多くの人たちが話題にし、よりいっそうSNSや口コミで広がっていきます。『ダルビッシュ有が「鬼滅の刃」にドはまり、あっという間に全巻読破』という話などを耳にすると、まったく関心のなかった人たちも興味を示すようになります。

そのうちの一人が私です。ただ昨年の11月頃、店頭で手に入れることは難しく、注文しても「いつ入荷できるか分かりません」と告げられていました。手に入れることをあきらめかけていた時、通勤帰りに立ち寄った書店に全巻並んでいました。迷わず1巻から22巻まで「大人買い」しています。

12月1日、火曜の夜でした。平日に読み始めるとダルビッシュ投手のように寝不足になる心配もありました。最終巻の23巻が12月4日金曜に発売されるため、ぐっとこらえて週末まで待ち、全巻を揃えてから一気に読み進めようと考えました。

金曜の朝、すぐ売れ切れることも予想されたため、通勤途中の早い時間に近所のコンビニに寄りました。幸運にも1冊だけあり、すぐレジに運んでいます。やはり賢明な判断だったようであり、その日のうちに売り切れた書店が多かったことを夕方のニュースで伝えていました。

と言う訳で昨年12月、多くの人の関心を集めていた『鬼滅の刃』全巻を一気に読み終えていました。確かにストーリーは面白く、個性的な登場人物が多い中、ギャグ漫画の風味もあり、人気の高さをうかがい知ることができました。実は昨年末の記事「コロナ禍の2020年末」の最後に次のように記していました。

2020年末、『週刊金曜日』最新号の特集記事は「『鬼滅の刃』メガヒットの理由」でした。硬派な週刊誌の表紙に意外な見出しを目にして少し驚いていました。その内容についても触れてみるつもりでしたが、いつものことながらたいへん長い記事となっています。年明け、機会を見て「『鬼滅の刃』を読み終えて」という記事を投稿させていただくかも知れません。

『週刊金曜日』の特集記事に触発され、このブログでも「『鬼滅の刃』を読み終えて」という記事を投稿するつもりで下書きに取りかかっていました。それが年明け、緊急事態宣言が再発令されたため、コロナ禍に関わる話を先に取り上げてきました。

前回が「コロナ禍で迎えた節目の900回」となり、ようやく今回、『鬼滅の刃』を話題にした新規記事の投稿に至っています。前置きのような話が長くなりましたが、『週刊金曜日』のサイトでは特集記事を次のように紹介しています。

『鬼滅の刃』メガヒットの理由 公開中の『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の興行収入が300億円を突破し、コミックのシリーズ累計発行部数も1億2000万部を超えるなど、まさに社会現象となっている『鬼滅の刃』。映画産業の危機や出版不況が叫ばれる昨今、なぜここまで爆発的な人気を得ることができたのか、その要因を探る。

●「『鬼滅の刃』を、私はこう読む 現代人が求めている生き方の教科書」井島由佳 漫画は生き方や考え方の参考となり、生き方の教科書になると考える。すべての漫画がそうであるとは言えないが、『鬼滅の刃』はその一つとなり得る作品である。この物語は復讐劇でも単なる勧善懲悪でもない。

井島さんの他に渡辺水央さんの「時代の気分との符合」、内田樹さんの「街場の『鬼滅の刃』論」という記事も掲げられています。『週刊金曜日』本誌も手にし、それぞれの記事に目を通しています。執筆者の皆さんは『鬼滅の刃』をしっかり読み込んだ上で論評していることが分かります。

『週刊金曜日』の特集記事の中から興味深い記述を紹介していくと、ますます長い新規記事になってしまいます。そのため、ここからは私自身が『鬼滅の刃』を読み終えて、いろいろ感じたことを「全集中の呼吸」で書き進めていきます。 

まず作者の呉峠 呼世晴さんのことです。「ごとうげ こよはる」と読み、男性だと思われていましたが、昨年春に女性であることが公表されています。『鬼滅の刃』が初めての連載作であり、作者自身、ここまでのメガヒットをまったく想像されていなかったようです。

第1巻のカバーのそでには「本を出していただきました。ありがとうございます」と作者からの率直な感謝の言葉が添えられています。巻が進むたびに同様な感謝の言葉があり、4巻には「夢のようです。もう腹痛です」とも書かれています。

2月7日の読売新聞の社説にも『鬼滅の刃』のことが取り上げられていました。『メガヒットをどう生み出すか』という見出しのもと「漫画界の特色は、若い才能の発揮に力を入れてきたことだ」「他の分野でも、新しい世代を育てる姿勢は大切にしてほしい。長期的に見れば、文化産業の発展につながるはずだ」と綴っています。

特に『少年ジャンプ』編集部は昔から新人を育て、メガヒット作品を世に送り出してきていることを思い出しています。昨年末に『鬼滅の刃』を手にし、新しい巻が出るたびに添えられている呉峠さんの初々しい感想と社会現象と呼べるほどの熱狂的な支持を得ている現状とのギャップを興味深く感じていました。

続いて「コロナ禍だからこそ、よりいっそう人気が高まった」という見方についてです。本作の舞台だった大正時代、スペイン風邪が全世界で猛威をふるっていました。ウイルスと鬼を重ね合わせ、時代の気分とマッチしたタイミングだったため、ヒットしたという論評を目にしています。

そのような見方を一概に否定しませんが、あまり難しく考えず、たいへん面白い物語だったものと思っています。例えればドラクエのようなロールプレイングゲームと同じ面白さを感じていました。最初、まったく歯が立たなかった相手だったとしても、主人公が経験値を積むことで撃破していける爽快感や成長の物語に面白さを見出しています。

このように個人的な感想を記していくと際限なく続きそうですので、次に最も訴えたかった特徴点に触れていきます。作品全編を通し、主人公である竈門炭次郎の優しさや正義感が伝わってきます。仲間や鬼となった妹に対しても、ひたすら信じ続けていく姿勢を崩しません。

敵である鬼を倒した後に「鬼であることに苦しみ、自らの行ないを悔いている者を踏みつけにはしない、鬼は人間だったんだから、俺と同じ人間だったんだから」という言葉を炭次郎は訴えます。人間を喰らいながら生き続ける鬼に対し、鬼になった事情や背景があることを作者の呉峠さんは丁寧に描いています。

炭次郎の言葉の奥深さが示すとおり短絡的な勧善懲悪ではない物語であり、そのような関係性に感情移入できるため、多くの人が『鬼滅の刃』に魅力を感じているのではないでしょうか。このような関係性について現実の問題に照らしながら語ることもできますが、話が広がりそうですので別な機会に譲らせていただきます。

最後に、前述した「ある一定のラインを超えると」というキーワードに改めて着目してみます。どのように素晴らしいコンテンツだったとしても、広く認知されなければ人気は出ません。マスコミが注目し、SNSや口コミでの話題が広がり出した時、『鬼滅の刃』のようなメガヒットが生まれるものと思っています。

一方で、バッシングも同様です。マスコミで取り上げられ、SNSや口コミでの話題が広がり出した時、より強い批判の嵐にさらされることになります。過去の記事「卵が先か、鶏が先か?」に記したマスコミが世論を決めるのか、世論がマスコミの論調を決めるのかという問題意識にもつながります。

さらに選挙戦の最終盤におけるバンドワゴン効果という言葉も頭に浮かんでいます。バンドワゴンとは行列の先頭の楽隊車のことであり、先行者に同調する傾向が強まる効果を指します。勝ち馬に乗るという言葉と同じ意味合いとなります。『鬼滅の刃』を読み終えて、政治の場面をはじめ、様々な事象において生じがちな傾向を感じているところです。

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2021年2月13日 (土)

コロナ禍で迎えた節目の900回

このところタイトルの先頭に「コロナ禍」を付けた記事の投稿が続いています。記事タイトルに掲げたとおり今回、節目の900回を迎えました。新型コロナウイルス感染症拡大による緊急事態宣言の期間中というタイミングでの節目の記事となります。

このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新が定着し、現在に至っています。

実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから「週刊」を習慣化できていました。元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。

来月11日、東日本大震災の発生から10年が過ぎます。発生直後の週末も、ためらいながら「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。

そのようにつながってきましたが、2年前の3月1日に母が亡くなり、一度だけ新規記事の投稿を見合わせていました。母が亡くなった直後、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、そのような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。

再開した際の記事「母との別れ」は自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点とし、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも初めて私的な内容を前面に出した記事でした。

普段の色合いからは離れた私的な内容が中心となった記事もその一度きりです。これまで100回という節目で記事を投稿する際、次のような言葉を添えていました。

もし定期的な更新間隔を定めていなければ、日々の多忙さに流され、いわゆる「開店休業」状態が続いていたかも知れません。それでも年月は過ぎていくことになります。一方で、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。

800回の時、不慮の事態に遭遇しても数字は滞ることを付け加えていました。健康上の問題、大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。

そのような意味で、改めて記事の回数が100を刻んだ時のメモリアルさをかみしめています。いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも多くの皆さんが訪れてくださるからであり、いつも感謝しています。これまで100回を節目とし、次のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。

そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。

訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知しています。それでも節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。

以前の記事「このブログを始めたイキサツ」に記したとおり真実は一つでも、情報の接し方によって善悪の印象がガラリと変わります。ちょうど世の中は大阪市役所の厚遇問題などで、公務員への厳しい視線や声が強まっていた頃でした。当然、公務員やその組合側も改めるべき点は即座に改める必要があります。

ただ主張すべきことは主張する必要性を強く感じていた時、誰でも簡単にインターネット上で意見を発信できるブログと出会い、これまで900回の記事を積み重ねてきました。あくまでも個人の責任によるブログですが、私どもの組合員の皆さんに向け、時々、このブログのことを組合機関誌等を通して宣伝しています。

不特定多数の方々へ公務員組合側の言い分を発信するとともに、一人でも多くの組合員の皆さんにも読んでもらいたいと思いながら投稿しています。つまり組合活動を身近に感じてもらうための一つのツールとしても位置付けています。二兎を追うブログだとも言えますが、これまで自分自身としては難しく思わず運営してきています。

その中で一貫して注意している点は、不特定多数の方々に見られることを常に意識した記事内容の投稿に努めるという心構えです。不確かな情報や知識での断定した書き方はもちろん、賛否が分かれる問題についても結論を押し付けるような書き方は極力避けるように努めています。

誰もが閲覧できるブログでの発言の重さをいつも念頭に置きながらパソコンに向き合っています。 このような意味合いから週に1回の定期更新は自己啓発の機会であり、自分自身の主張を広く発信できる自分なりの一つの運動として位置付けています。

そして、何よりもブログを始めて良かったと思うことは本当に幅広く多様な考え方や意見に触れられたという経験です。コメント欄には辛辣な批判意見が数多く寄せられてきましたが、インターネットを介した匿名の場だからこそ触れることができた飾らない声の一つ一つだったものと考えています。

これまで多様な声があることを受けとめ、日常の職務や組合活動に臨める意義深さを感じ取ってきています。ネット上で不特定多数の方々に発信している当ブログの内容は誰が目にしても説明責任を果たせる前提で投稿していますが、組合の方針や私自身の考え方に誤りがあれば再考しなければなりません。

さらに基本的な立場や考え方の違いから批判を受ける場合もありますが、そのことも含めて貴重な機会だととらえています。どのような点が批判されるのか、どのように説明していけばご理解いただけるのか、いろいろな意味で「気付き」の機会につながっているからです。

少し前の都政新報』の紙面で人事院公務員研修所客員教授の高嶋直人さんの次のような言葉が目に留まりました。高嶋さんは新人研修で「公務員だけでつるんではいけない」と指導し、「公務員組織は本来的に同質性の高い集団であり、いくら交流を重ねても視野を広げるには限界がある」という点を伝えているそうです。

その後に続く「公務員に限定せず、自分と属性が全く異なる人々にもネットワークを広げる努力が必要です」という言葉を特に注目していました。そのような意味で当ブログのコメント欄は公務員以外の方々の率直な声を伺える非常に貴重な場だったと言えます。

視野が広がったかどうかは自己評価しづらいところもありますが、多様な「答え」があるという基本的な認識や立場を培われたものと思っています。自分自身が正しいと信じている「答え」に対し、異なる「答え」があることを受け入れ、なぜ、そのような「答え」に至っているのか思考を巡らせるようになっています。

事案によって絶対的な「正解」は容易に見出せません。そのような場合、幅広い視点からの多様な「答え」を突き合せることで、より望ましい「答え」を見出していく努力が重要なことだと考えるようになっていました。

平和の課題を一例とすれば「平和の築き方、それぞれの思い」という記事があり、「平和への思い、自分史」「平和への思い、自分史 Part2」を通して自分自身の問題意識の変遷を綴っていました。

ただ私自身の立ち位置や正しいと信じている「答え」が基本的に変わらないため、批判的なコメントを寄せられる方々に対し、徒労感や失望感を与えがちだったようです。

このような点が直接的な理由ではなく、単に関心を失われてしまわれたのか、もしくは別な事情がお有りなのかも知れませんが、nagiさんをはじめ、コメント欄の常連だった皆さんがご無沙汰になっている昨今を寂しく思っています。

500回目の頃と比べ、コメント欄の雰囲気が大きく様変わりしています。500回目の記事の中に「普段のアクセス数は千件から2千件ぐらいの幅で推移し、コメント数が100を超えた記事も数多くありました」と書かれています。

現在、コメントが1件も寄せられない記事の数も多くなっています。記事本文の更新が週1回で、コメント欄での動きが少なくなっているため、日々のアクセス数も当時に比べれば大きく減っています。そもそもスマホが主流となり、多種多様なSNSが普及している中、文字ばかりの長文ブログはガラパゴス化しつつあるのかも知れません。

それでも組合員の皆さんをはじめ、このブログをご注目くださっている方々は決して少なくありません。このような手応えがある限り、たいへん大きな節目である1000回をめざしていくことができます。ぜひ、出入り自由な場として、これからも少しでも興味を持たれた時にご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2021年2月 6日 (土)

コロナ禍の中、労使協議は推進

前々回の記事「東京五輪の行方と都政の現場」の冒頭で、森元総理が本音をそのまま言葉にしてしまう正直な性格であり、ご自身の発する言葉の重さや影響力に無頓着な政治家の代表格だったという見方を記していました。そのように記した矢先の失言、東京五輪組織委員会の会長という立場での女性を蔑視したような発言の波紋は日を追って大きくなっています。

謝罪会見での記者とのやり取りも火に油を注ぐ結果となっています。なぜ、問題視されているのか、ご自身が充分理解されていないまま大事な会見に臨んでいるように見受けられました。『IOC「この問題は終了」発言に疑問の声「五輪憲章って何?」』という内外からの声と乖離した対応にとどまるようであれば組織的な体質や土壌の問題性も問われかねません。

適切なリスクマネジメントは一国のトップリーダーである菅総理に最も求められています。国会の場で森元総理の発言問題を問われた際、菅総理は最初「詳細は承知していない」と答えていました。最後のほうで「あってはならない発言」と答えていたようですが、この問題が間違いなく質問されることを見通した場面の臨み方として適切だったのか甚だ疑問です。

それ以上に菅総理の長男が総務省幹部4人を接待した問題を問われた際、「週刊誌報道写真見ても長男かどうかわからない」「(長男とは)普段ほとんど会っていない。完全に別人格だ。そこはご理解いただきたい」というような答えが続いていることに強い違和感を抱かざるを得ません。菅総理の長男でなければ会食自体あり得なかったはずであり、リスクマネジメントとしていかがなものかと思っています。

さて、今週末に投稿する内容は記事タイトルに掲げたとおり労使協議に関わる話を考えています。一言二言、触れるつもりの時事の話題が思ったよりも長くなりました。そのまま記事タイトルを差し替えることも頭をかすめましたが、やはり予定通り久しぶりに労使課題を中心に取り上げさせていただきます。

緊急事態宣言が再発令され、引き続き職場委員会の開催は見合わせています。そのため、来週発行する組合ニュースとあわせて職場委員会(延期)参考資料も職場回覧します。今回のブログ記事はその資料等に掲げた内容から課題をいくつか絞って書き進めてみます。

昨年9月の記事「コロナ禍での組合活動、2020年秋」を通し、コロナ禍の中、日帰りバス旅行や職員家族クリスマスパーティーなどを取りやめた一方、組合予算の還元策も別途工夫していることを伝えています。さらにコロナ禍の中でも多岐にわたる職場課題の解決に向け、労使協議は推進していることを伝えていました。

昨年11月11日の団体交渉で、年間一時金を0.1月引き下げて4.55月分とし、再任用職員は0.05月引き下げて年間2.4月分とする都人勧の内容を労使合意しました。一時金を先行して決着した後、12月18日に東京都人事委員会は月例給の水準を据え置く報告を示していました。その報告を受け、私どもの市職員の月例給も改定しないことを1月26日に確認し、今年度の賃金交渉を最終合意しています。

当面する労使課題について」「継続中の賃金・一時金交渉」の中で触れていたとおり賃金交渉の中で最も厳しい判断を迫られたのは会計年度任用職員の期末手当0.1月分引き下げの問題でした。会計年度任用職員の場合、東京都人事委員会の勧告内容(都人勧)の反映は翌年度とすることを確認しています。

都人勧は年間一時金を0.1月分引き下げる内容ですが、期末手当部分に限る引き下げ勧告でした。勤勉手当が支給されない会計年度任用職員にとって削減率は常勤職員の倍に相当します。そのため、自治労都本部統一闘争の指標として会計年度任用職員のマイナス改定の阻止を掲げていました。しかしながら都内の自治体は軒並み今年度から0.1月分削減を受け入れています。

このような情勢の中、たいへん残念ながら来年度の期末手当について0.1月分削減することを合意せざるを得ませんでした。そもそも期末手当に限る支給自体「同一労働同一賃金」の考え方に反していることであり、今後、自治労全体の取り組みとして法改正等が必要な勤勉手当や生活関連手当(扶養手当や住居手当等)の支給をめざしていかなければなりません。この点について、もう少し補足します。

以前の記事「働き方改革への労組の対応」の中で2018年6月1日に示されたハマキョウレックス事件と長澤運輸事件の最高裁判決について触れていました。ハマキョウレックス事件は正社員と有期雇用労働者の待遇の格差について、長澤運輸事件は正社員と定年後再雇用された嘱託社員(有期雇用)の待遇の格差について争われた事件でした。

ハマキョウレックス事件は労働者側が勝ち、長澤運輸事件は会社側が勝つという結果に分かれていました。ハマキョウレックス事件では有期雇用労働者と正社員との間に職務内容に差がないのにも関わらず、待遇に差があったことは労働契約法20条に違反すると判断されました。一方で、長澤運輸事件の有期雇用労働者は定年後に再雇用された高齢の労働者だったため、待遇差が不合理ではないと判断されたようです。

2020年10月にも非正規雇用の「同一労働同一賃金」を争点にした最高裁判決が立て続けに出されていました。大阪医科薬科大学事件とメトロコマース事件は原告側の敗訴、その2日後に出された日本郵便の契約社員に対する判決は原告側の勝訴と明暗が分かれました。

厚労省が「同一労働同一賃金」の具体的なルールを示す指針(ガイドライン)を示していましたが、 このように裁判で争われる事件が続いています。判決の明暗が分かれた傾向として、手当支給に関しては待遇差の不合理性が認められつつあります。一方で、賞与・退職金については、いわゆる有為人材確保論が大きく考慮され、使用者の広い裁量が認められ、待遇差の不合理性を否定する傾向があるようです。

不充分な点も見受けられていますが、民間の非正規労働においては「同一労働同一賃金」に近付けようとする動きが目立っています。しかし、公務員はパートタイム労働法の適用除外とされ、パートタイム会計年度任用職員の場合、地方自治法の改正によって期末手当以外の支給は法律上難しくなっています。

会計年度任用職員制度が施行される前は地方公務員法との解釈面から救済される裁判例もあったという話を耳にします。たいへん残念な現状として、勤勉手当や生活関連手当(扶養手当や住居手当等)を支給させるためには法改正が必要とされています。一単組の力で解決できる問題ではなく、自治労全体の運動として位置付けていくことになります。

会計年度任用職員制度の課題は多岐にわたり、雇用継続のあり方などが論点化されています。組合は人事評価制度において評価3段階の見直しを求めています。見直し自体は難しいままですが、任用不可となるC評価が極めて例外であることの周知徹底を各評価者(所属長)に対し、しっかり行なっていることを改めて確認しています。

仮にC評価のまま報告された場合、当該の評価者に対して人事課から改めてその理由等について確認した上で決定するという説明も付け加えられています。時間外勤務の割増が原則となる会計年度任用職員の代休制度についても、直近の労使協議を通し、前向きな回答を引き出しています。

これまで必要な職場には予算が確保されてきています。今後、同じように必要性が認められる場合、主管課で予算要求して欲しいとの回答です。予算がないから振替を強いるという回答ではなく、代休の必要がある勤務形態であると認められれば予算を付けるという回答です。なお、主管課で予算措置がされていない年度においても、必要であれば人事課の予算での対応を検討することも確認しています。

今年も自治労都本部統一の春闘要求書を市当局に提出します。3月19日を全国統一行動日とし、諸課題の解決をめざしていきます。この春闘期、私どもの組合の重点課題は新年度に向けた人員体制の確立です。他にも新学校給食調理場の課題、住居手当見直し提案などに対し、精力的に労使協議を進めます。

来週発行する組合ニュースを通し、いくつか労使協議の成果を報告します。不妊症・不育症に係る休暇の新設、新型コロナウイルス感染症に係る特例として結婚休暇とリフレッシュ休暇の取得期限の延長などを労使合意しています。さらに組合が長年要求してきた昼食時の私物ゴミ処理の問題が解決します。これまで組合は私物ゴミの持ち帰りの中で衛生面等を考慮した見直しを求めてきました。

ゴミを減らすという方向性や分別廃棄の徹底を大前提とし、水分を含むゴミ等を峻別すべきではないかと訴えてきています。組合側の要請を受けた検討結果が示され、職員の昼食時等のごみの処理ルールを個人による処理から市に変更する方向性が確認され、事業系廃棄物として処理する費用が予算化される予定という報告を受けています。

「その程度のことが成果?」と思われる方も多いのかも知れませんが、組合が要求したことで変化を見出せる、このような結果を重ねていくことが組合の役割を組合員の皆さんにアピールできる機会につながるものと思っています。ローカルな労使協議の話が長くなりましたが、最後までご覧になっていただき、たいへん感謝しています。ありがとうございました。

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