東京五輪の行方と都政の現場
「人の良い村役場か町役場の助役さんという感じ」、森元総理が菅総理を称した言葉です。1月3日の読売新聞朝刊に掲げられていたインタビュー記事の中で目に留まった言葉でした。「菅さんという人は本当にぼくとつな人ですね。あんなに真面目な人はいないですよ」という言葉の後に続く例えで、親しみをこめた文脈でした。
森元総理が菅総理を好意的に見ていることは分かります。ただ最近、よく耳にするマウントをとった語感が伝わり、菅総理が目にしても、助役さんたちが目にしても、あまり愉快な印象を抱かないのではないでしょうか。あえて例えなくても充分意図は伝わるため、要するに余計な一言だったように思っていました。
総選挙前の「無党派層は寝ててくれ」など森元総理の失言の話は数多くあります。本音をそのまま言葉にしてしまう正直な性格なのかも知れませんが、ご自身の発する言葉の重さや影響力に無頓着な政治家の代表格だったと言えます。その森元総理が東京五輪組織委員会の会長を務めています。
ちなみに「五輪」とはオリンピックのみを指す言葉で、パラリンピックを含めていません。メディアの多くがパラリンピックも含めた意味合いとして「東京五輪」と表記しています。本来、東京オリンピック・パラリンピックと記すべきなのかも知れませんが、このブログでも同様な意味合いで表記していくことをご容赦ください。
新型コロナウイルスの感染拡大によって緊急事態宣言の再発令が決まった1月7日、東京五輪の開催の可否について問われた際、森元総理は「不安?まったくありません」と語っていました。さらに「今の時点で何でやるやらないって議論するの。やるのは7月でしょ。今、オリンピックの準備は、ほとんど全部できている」と付け加えていました。
確かに「やるのは7月」ですが、入国制限の緩和時期の問題などが直面しています。7月までにワクチンの効果で日本国内では収束に向かっていたとしても世界中の国や地域で同じように足並みを揃えられているのかどうか分かりません。このあたりの事情を把握していないとは考えられないため、森元総理としては本音を隠した発言だったようです。
プチ鹿島さんの記事『菅首相が五輪開催をしたい本当の理由は… “強行開催”唯一の解決策は「森漫談」の中にあった?』の中で、森元総理の「私の立場では、今年難しいとは口が裂けても言えない」という言葉が紹介されています。結局、このような本音を示唆した言葉を漏らしてしまっては1月7日の発言が建前に過ぎなかったことになります。
坂井学官房副長官は22日の記者会見で、日本政府が東京五輪・パラリンピックの中止を結論づけたとする英紙タイムズの報道を否定した。「そのような事実はないときっちり否定したい」と述べた。同じ報道を巡り、2032年の開催を目指すとした内容についても否定した。
英紙タイムズは日本政府が非公式ながら東京五輪を中止せざるを得ないと結論づけたと報じた。与党幹部の「総意は(開催が)難しすぎるということ」との発言を紹介した。
坂井氏は新型コロナの感染拡大で東京五輪の開催が危ぶまれているとの指摘に「今年夏からの大会の成功に向けて政府として一丸となって準備に取り組んでいる」と強調した。一方で「当然、海外の状況等もあるし、どこかの段階で実際に開催するかの判断を行う」と発言した。
内閣官房は22日、「東京大会にかかる本日の報道について」と題した文書を公表した。「日本政府が東京大会の中止を非公式に結論付けたとの旨の報道がございましたが、そのような事実は全くございません」と記した。【日本経済新聞2021年1月22日】
上記の報道から読み取れることとして、違約金の問題などがあり、日本側から中止や延期を言い出せない事情があるのかも知れません。しかし、決断が遅れれば遅れるほど避けられる出費や混乱が増していくはずです。そして、何よりも感染症対策の観点から東京五輪開催の可否を判断すべきではないでしょうか。
英紙タイムズの報道を受け、小池都知事は「私は一切聞いておりません。抗議を出すべきではないだろうか、このように思っています」と語っていました。この言葉を耳にした時、開催地の知事にも関わらず、蚊帳の外に置かれがちな現状に対する苛立ちを感じ取っています。
さらに森元総理と同様、本音と建前を使い分けなければならない立場だろうと斟酌しています。ただ昨年、開催延期が決まった以降、一転して新型コロナウイルス感染拡大の脅威を訴え始めた小池都知事の変わり身の早さを思い出し、「抗議を出すべき」という言葉の空虚さも感じています。
昨年7月の記事「都政の現場、新知事へのお願い」の中で、石井妙子さんの著書『女帝 小池百合子』について触れていました。コロナ禍の局面でも小池都知事は記者会見とテレビ出演を重ねて危機管理に「強いリーダー」を演じていると石井さんが指摘していたことを紹介しました。
都民に危機意識を広め、結果が伴っていけば批判されるものではありません。しかしながら小池都知事の場合、「自分がどう見られるか」を重視しがちとなり、本当に「都民ファースト」なのか疑問に思う時があります。『小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由』という記事などを目にすると本当に残念なことです。
前回の記事「危機管理下での政治の役割」を通し、より望ましい政治の役割を発揮するためには部下が直言しやすい懐深さを示し、多様な声に耳を傾ける姿勢を菅総理に要望していました。都政の現場においては、よりいっそう小池都知事に対して要望すべき点であるようです。
『小池知事の指示に振り回され… 東京都「コロナ対応部局」で大量退職』という記事を紹介していましたが、週2回発行されている『都政新報』からは様々な具体例に触れる機会を得ています。これまで目に留まっていた象徴的な事例の記事内容をいくつか紹介させていただきます。
小池都政では新しい取り組みを先に公表し、内容を詰めていく傾向があります。事業局の部長が公表方法について「おかしい」と問題視しても小池都知事に面と向かって苦言を呈することは難しく、耳に痛い忠告をすれば逆鱗に触れて人事異動の際に飛ばされてしまう懲罰的な人事が警戒されているそうです。
「知事を怒らせないように短期間で検討し、一定の成果を出すしかない」と嘆き、担当職員は多忙を極め、体調を崩すケースも出ています。『都政新報』の記者は「職員が疲弊して仕事の生産性が著しく下がれば、都民サービスの改善や向上も遅れてしまうことを知事は肝に銘じるべきだ」と指摘しています。
コロナ禍に見舞われた昨年、本庁部長の一人は「マシンのようだった」と振り返っていました。「トップダウンがここまできつかった都政は過去にない」「指令が突然降ってきて、都民の役に立つ感じがないまま仕事をさせられる」と語っています。現にやりがいやモチベーションを理由に退職する職員が続いています。
モチベーションの維持が難しいようでは良質な仕事につながらず、指令に従うだけの「思考停止」に対しては組織にもたらす長期的な悪影響を心配する声が上がっています。職員の声を「ごく少数の声」「アンチ」と切り捨てて耳を傾けないようでは、組織を改善に導くチャンスを失うことが『都政新報』の紙面を通して訴えられていました。
東京五輪の行方について、東京都だけで決められる問題ではありません。同様に新型コロナウイルス対策も東京都だけで進められるものではなく、国との連携を強めていく必要があります。ぜひ、政治的な思惑は横に置き、職員の力を適切に引き出しながら「都民ファースト」の都政の実現に向けて小池都知事には奮起して欲しいものと願っています。
年頭の記事の中で「コロナ禍から平穏な日常が戻り、世界中が歓喜に沸く夏になることを願っています。その一方で、専門家が五輪は無理と見通した場合、早めに決断することも賢明なことだろうと思っています」と書き添えていました。今回の記事を書き進めながら、ますますそのような思いを強めています。
| 固定リンク
コメント