危機管理下での政治の役割
昨年6月末に「政治の現場での危機管理」、7月初めに「都政の現場、新知事へのお願い」という記事を投稿し、新型コロナウイルス感染症に対する国政と都政の現場での危機管理の現状について取り上げていました。今回、当時より深刻化しているコロナ禍での政治の現状について思うことを書き進めてみます。
前回記事「緊急事態宣言、再び」のコメント欄では、ぱわさんから交代制勤務を望む問いかけがあり、私から次のようにお答えしていました。このブログを訪れている方が必ずしもコメント欄までご覧になっていないものと思っていますので内容の全文を紹介させていただきます。
労使で考え方が異なり、真っ正面から論戦する課題も多くあります。その中で緊急事態宣言の再発令に伴い、交代制勤務を必須としない判断は対立案件となっていません。
ぱわさんの訴えに対応できず申し訳ありません。今回の記事本文に記したとおり人と接触しないことが最も効果的な感染対策であることは間違いありません。したがって、自宅から一歩も外に出ず、誰とも接触しなければ移すことも移されることもありません。
しかし、行政の仕事の大半はテレワークになじまず、エッセンシャルワーカー的な立場などがあります。完全な在宅勤務が難しい中、交代制勤務は感染確率を下げる次善の策だと理解しています。
4月に発令された頃は、一人でも感染者が出た場合、庁舎の広範囲で閉鎖しなければならない事態を危惧していました。そのため、交代制勤務は感染者が出た場合の業務継続のための対策にも位置付けていました。
その後、感染した職員が出た後の保健所の指示は次のとおりでした。マスクを付けている時間のみの接触であれば感染者と席を隣接していた職員は濃厚接触者に当たらないというものでした。
感染確率を下げる対策を軽視している訳ではありませんが、それ以上にマスク着用や消毒等による対策を徹底化することに重きを置いています。業務が多忙な時期だから交代制勤務は行なわないという発想だった場合、職員の安全や健康を二の次にした考え方だと見られかねません。
『都政新報』にH市の労務課職員の「4月の時はコロナの全貌が全く分からない状況で感染抑止する必要があったため、全庁的な勤務体制をとったが、この1年間で職場での感染防止のノウハウがある程度ついてきた」という見解が掲げられていました。
このような経緯や考え方を踏まえ、組合としても交代制勤務を必須としない判断を受け入れています。私自身の思いは年末から年始にかけて投稿しているブログ記事に託しているとおりです。
一日も早く平穏な日常が戻ることを願っていますが、一方で長丁場の闘いになることも覚悟しています。だからこそ持続可能な対策の必要性を認識しています。今後、ロックダウンに近い緊急事態宣言に切り替わる場合などもあるのかも知れませんが、現時点での考え方を改めて説明させていただきました。
前回の緊急事態宣言直後に比べて人出の減らないことがしきりに報道されています。「午後8時以降、不要不急の外出自粛」という要請内容だったため、菅総理が主導した政府の狙い通りの行動変容の結果だろうと思っていました。
上記で紹介したH市の労務課職員の見解にある「感染防止のノウハウがある程度ついてきた」という経緯のもとにメリハリを持たせ、前回の緊急事態宣言とは一線を画した政治的な判断を下したものと見ていました。
しかし、当初から政府全体の意思としては「全日、最大限外出は控えて」というものであり、「特に午後8時以降は」という宣言内容だったようです。国民に誤解を与えたというレベルではなく、ジャーナリストの尾中香尚里さんの『これは本当に緊急事態宣言なのか「最後の切り札」無力化した菅政権の責任』という論評にうなづくばかりです。
そもそも「GoToイート」なる経済振興策を打ち出して、国民に会食するようあおってきたのは、当の菅首相自身である。その人がいきなり、つい先日まで訴えてきたのと正反対のことを、何の総括もなくいきなり打ち出す。菅首相はこれで本当に「国民はついてくる」と考えているのだろうか。
上記は尾中さんの嘆きですが、菅総理には国民の心に響くような発信力どころか、最低限の説明能力にも問題が多々見受けられています。『迷走の菅首相 言い間違え、質問に答えず…西村、尾身両氏がフォロー』という報道記事にあるとおり重要な場面で「福岡県」を「静岡県」と言い間違えています。
記者会見で国民皆保険の見直しを示唆するような答えに至っては記者の質問内容を正確に理解できず、『<新型コロナ>病床は世界最多、感染は欧米より少ないのに…なぜ医療逼迫?』という現状を的確に把握していない証しだと言われても仕方のない場面でした。弁護士の郷原信郎さんは『緊急事態宣言拡大、菅首相発言が「絶対にアカン」理由』と手厳しく批判しています。
菅総理には私たち国民の命と暮らしを守るため、最も重い責任と役割の発揮が求められています。そのため、至らない点があれば厳しい言葉を浴びせられる局面が続くことも覚悟願わなければなりません。感染の再拡大がなく、GoToの推進によって経済が立ち直っていれば菅総理の評価は高まるばかりだったはずです。
新型コロナという未知の問題について結果論で批判するのはフェアでなく、「これ以上うまくできる政治家が誰かいるかって考えると見当たらない」と菅総理を擁護する声もあるようです。しかし、危機管理下での政治の役割として、残念ながら結果が出せなければ国民の命と暮らしを守ることはできません。
平時であれば「やってる感」の政治でも一定の支持は得られていたのかも知れません。コロナ禍という深刻な危機の中、一国のトップリーダーとして菅総理には、より望ましい結果を出し続けていく非常に重い責任が課せられています。決して結果論からの要望ではなく、菅総理とその周囲の皆さんに奮起して欲しい点があります。
昨年10月の記事「菅総理へのお願い」の最後に「ぜひ、国民のためにも多様な声に耳を傾ける姿勢を強め、官僚や有識者が手厳しい話を萎縮せずに訴えられる懐の深さを示されるよう切に願っています」と記していました。ここ数か月、そのような思いがますます強まっています。
『「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由』『頑なにコロナ対策の失敗を認めない菅首相 ブレーンの心も折れたか』という記事に示されているとおり菅総理が謙虚に専門家の意見に耳を傾けてきていたのかどうか甚だ疑問です。
朝日新聞の記事『コロナ対策迷走、強すぎた官邸 元次官「知恵集められず」』の中では人事権を掌握した「強すぎる官邸」を前に官僚たちは直言や意見することを控えるようになっていたことを伝えています。「官邸に行きたいが、菅さんの機嫌が悪いようだ」という言葉が交わされるほど官僚たちは官邸を恐れ、萎縮している現状と元事務次官の下記のような言葉も紹介しています。
官邸を恐れて遠ざかる官僚。そして知恵を出さない官僚たちを信頼できず、トップダウンで指示を出す官邸官僚。布マスクの全戸配布などの迷走したコロナ対策は、官邸主導の負の側面が凝縮したかのようだった。元事務次官の一人はこう残念がる。「新型コロナの対策は未知のことばかり。こんな時こそ、霞が関の知恵を結集させるべきだが、それができていない」
今、緊急事態宣言は迷走しています。前回記事に「全面的な休業を求めない理由が財源的な問題だとしたら極めて中途半端で不誠実な政治判断だと言わざるを得ません」と記しました。このように休業補償の問題が不充分なまま罰則のみ強化されていくのであれば、それはそれで極めて不信感の高まる政治の動きです。
「出勤者7割減をめざし、テレワークを推進」という要請内容も結局のところ国が直接補償しなくて済むため、安易に打ち出しているように見受けられます。出勤者の抑制もビジネス街の飲食店等の経営を圧迫しています。経済に打撃を与えながら感染を抑制できなかった場合、虻蜂取らず、このような言葉が思い浮かびます。
たいへん長い記事となっています。都政の現場についても書き進めるつもりでしたが、機会があれば次回以降の記事で取り上げてみようと考えています。その上で最後に、文春オンラインの記事『小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由』も紹介させていただきます。
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コメント
経団連と一体化して非正規労働者を搾取する連合の構成員に言われてもなー
投稿: | 2021年2月 3日 (水) 19時40分
2021年2月3日(水)19時40分に投稿された方、コメントありがとうございました。
私どもの組合が連合に結集していることは確かですが、一体化云々の認識は到底理解できません。お時間等が許される際、どのような現状からそのようなコメントにつながっているのか改めて教えていただければ幸いです。
その際、名前欄の記載についてはご協力ください。なお、たいへん恐縮ですが、私自身のレスは週末になることをご理解ご容赦ください。
投稿: OTSU | 2021年2月 6日 (土) 06時36分