コロナ禍での野党の役割
緊急事態宣言が再発令され、Zoomでの会議が続いていました。木曜夜に連合地区協議会の幹事会、土曜には自治労都本部春闘討論集会に参加しています。休日に自宅から参加できるスタイルは組合役員の負担の軽減化につながるという利点もあります。
久しぶりのZoomでしたが、ミュートや映像のオンオフには慣れてきました。ただ手を挙げる機能が分からず、討論集会での質疑応答の際は画像から司会の方に気付いていただきました。その後「挙手」はリアクションボタンの中から見つけることができました。
さて、最近の記事では「危機管理下での政治の役割」「東京五輪の行方と都政の現場」というコロナ禍での政治の話題を取り上げてきています。今回は時事の話題を紹介しながら野党の役割に焦点を当てた記事を書き進めてみるつもりです。
菅義偉首相は27日の参院予算委員会で、野党の批判を受けて気色ばむ場面があった。立憲民主党の蓮舫氏から、自宅療養中に亡くなったコロナ患者数が昨年12月以降、全国で27人に上ったことについて問われたが、「大変申し訳ない思いだ」とのみ答弁した。
蓮舫氏は「そんな答弁だから、(国民に首相の)言葉が伝わらない」と迫ると、「少々失礼じゃないでしょうか」と色をなして反論。「緊急事態宣言が『後出しだ』とかいろいろな批判がある。迷いに迷って、悩んで悩んで判断をした。言葉が通じない(ことは)私に要因があるかもしれないが精いっぱい取り組んでいる」と理解を求めた。【毎日新聞2021年1月27日】
この後、蓮舫さんは「その精一杯は否定しません。ただ伝える努力が足りないと言っているんです」と返していました。いつも感情を表に出さない菅総理が珍しく気色ばんだことで注目を集めた場面でした。この場面をニュースで見た時、菅総理のほうの懸命さが伝わり、蓮舫さんの好感度が下がる質疑だったように思っていました。
やはりMCの坂上忍さんらから「正直、失礼だなと思いました。あの言い方は」という声が上がっていました。蓮舫さんも質疑を終えた後のツイッターに「いつも反省するのですが、想いが強すぎて語気を張ってしまうことを。提案した内容がきちんと皆さんに伝わるよう、引き続き取り組みます」と反省の弁を書き込んでいたようです。
テレビからの国会中継のニュースは注目を集めた場面が繰り返し映されます。要するに前後の場面は切り取られてしまう訳ですが、その瞬間のやり取りが事実であることに間違いありません。このような特性を充分理解し、質疑に立つ皆さんは緊張感を持続しながら一言一句に注意していかなければなりません。
政治家の皆さんは日頃から適切な言葉を繰り出せるように「言葉の反射神経」を磨く努力も必要です。しかし、それ以上に普段から幅広い知識や情報を取り入れながら頭の中で整理していく習慣化が重要です。様々な事象に対する見識を高め、政策に精通し、語彙を増やした質疑の中からこそ実のある国会論戦が生み出せるのではないでしょうか。
実は蓮舫さんが指摘した菅総理の「そんな答弁」の伏線は次のような質疑の中にありました。27日の参院予算委員会で立憲民主党参院議員の石橋通宏さんが蓮舫さんの前に質問の場に立っていました。刺激的な見出しの記事『菅首相の“最終的に生活保護”発言に戦慄の声「政治に殺される」』の中の一文を紹介します。
「政治は誰のためにあると思いますか」という質問から始まった。この問いに、菅首相は「国民のためです」と答弁。続く「社会的に弱い立場の方々のためにあるとお思いになりますか」との質問にも、「そのように思います」と返答した。さらに石橋議員は、新型コロナウィルスの影響を受けた生活困窮者への対策をめぐってこう追求した。
「収入を失って路頭に迷う方々が多数にのぼっています。命を落とされた方が多数にのぼっています。政府の政策は届いているのでしょうか」すると菅首相は、「例えば大事なのは、私は雇用と暮らしだと思っていました。やはり雇用を守り、暮らしをしっかり支えていく」と回答。そして、「政府には最終的には生活保護という仕組みも、そうしたセーフティーネットを作っていくのが大事」と答えたのだ。【女性自身2021年1月28日号一部抜粋】
最終的なセーフティーネットとして生活保護、菅総理の言葉は間違いでありません。しかし、コロナ禍という緊急事態の中で生活保護という選択肢の前に何か対策が必要ではないのか、このような質問の趣旨にかみ合った答えに残念ながら至っていない場面だったと言えます。
単なる言葉や説明が不足した答弁なのか、もしかしたら生活保護制度に精通していないのか、そのような疑念も生じかねません。野党議員の質問から菅総理の姿勢や資質を垣間見ることができる場面でしたが、テレビのニュースで多く取り上げられた映像は蓮舫さんの質問のほうでした。
コロナ禍の中で菅総理が精一杯取り組んでいることは理解しています。ただ一国のトップリーダーとして菅総理には、より望ましい結果を出し続けていく非常に重い責任が課せられています。そのような意味で『「菅さん、あなたに総理はムリだったね」全国民が思っていること』という記事などを目にすると非常に残念な思いを強めざるを得ません。
「小池が、犬と猿と雉を連れて来るんだって?」 2021年の新年は、コロナ禍とともに明けた。もはや隠しようもない。この国の為政者としての、菅による大失敗である。菅は、東京都の小池百合子知事が緊急事態宣言を要請すべく、1月2日に神奈川、埼玉、千葉の知事と共に官邸に乗り込んでくると聞いた際、冒頭のように吐き捨てた。
「菅さんは『小池のパフォーマンスにやられた』と地団太を踏んだ。ただ、その後の世論調査でも『緊急事態宣言が遅すぎる』という声が圧倒的多数を占めているように、先手を打てなかった総理の判断ミス。これまでのコロナ対応はすべて裏目に出ていて、焦る菅さんは官邸で怒鳴り散らしています」(官邸関係者)
菅は普段、小池のことを「おてもやん」と呼んで揶揄している。おてもやんとは熊本民謡などに登場する、白塗り厚化粧で頬に丸い紅という、滑稽で奇妙な容貌をイメージさせる女性像だ。「おかめさん」のような女性と言えば分かりやすい。
小池のことをその「おてもやん」に喩えて笑っているという話は、菅の周辺では有名な話だが、こんなことが小池の耳に入ったら、ただでさえ軋轢が噂される両者の関係が、ますます険悪になってしまうことは確実だ。【現代ビジネス2021年1月28日一部抜粋】
この後、政権の中枢を知る政府関係者の言葉が紹介されていきます。「官邸がまったく、機能していない」「菅総理に直接、進言をする人間が誰もいない。総理が話すのは、側近の和泉洋人補佐官だけ。菅さんは、自分の意に反する意見を聞くとキレて激怒してしまうから、誰も何も言えなくなった」
「田村厚労相が『コロナの感染状況が危機的だ』という報告をしたら逆鱗に触れ、同席した官僚が渡したペーパーを机の上に投げ捨てられたほど。田村大臣は精神的にかなり追い詰められ、心身ともに参っています」と続きます。このような生々しい話が漏れてくること自体、菅総理が周囲からの信頼を失っている表われだろうと思っています。
菅本人が宣言した通り、現在は緊急事態、日本にとっての国難だ。コロナの感染拡大は止めなければならない。だが、経済を崩壊させるわけにはいかず、同時に国民の生活を守らなければならない―。そこに明確な「正解」はない。そんなことは誰もが分かっている。だからこそ、国のトップは多種多様な意見に耳を傾け最善策を探り、その中で決断を下し、結果には責任を負うという、強い覚悟を示す必要がある。
だが、菅にはそれができない。「Go Toキャンペーンは感染拡大と関係ない」と強行しながら、批判を浴びると折れて中断する。「緊急事態宣言は必要ない」と言っていたのに、知事や世論の突き上げを食らうと、緊急事態を宣言する。「柔軟」なのではない。菅の場合、支持率の急落(1月9~10日、共同通信社調査で前月比9ポイント下落の41・3%など)といった「世間の顔色」を窺い、その場しのぎで泥縄式に対応をコロコロ変えているだけだ。【現代ビジネス2021年1月28日一部抜粋】
『現代ビジネス』の記事は上記のとおり手厳しい批判を加えています。菅総理の率いる政権与党の示す方向性に問題がある場合、より望ましい「答え」に軌道修正させる役割が野党に求められています。コロナ禍の中、よりいっそう国会の場で健全なチェック機能を果たせる野党の存在が欠かせないはずです。
ライターの石戸諭さんが『罰則規定なぜ求める?新型コロナとポピュリス』の中で問題提起しているとおり新型コロナ対策において罰則を強めることが有効なのかどうか疑問視する声は数多くあります。そのため、与野党の協議のもとに新型インフルエンザ特措法と感染症法の改正案が修正され、刑事罰を撤回したことなどは望ましい対応だったと思っています。
そもそも『菅政権がコロナ専門部会の議事録を隠蔽 刑事罰反対が大多数だったのに「専門家も賛成」と嘘! 菅の官房長官時代からの隠蔽改ざん体質』というLITEAの記事のとおり専門家の多数も反対だったのにも関わらず、偽りながら押し通そうとした政府の姿勢には驚いています。さらに罰則規定の必要性を要望した知事会側も刑事罰まで明確には求めていなかったようです。
本来、政権に対する信頼が低下し、内閣支持率が下降線をたどるような場合、対抗する野党側の支持率が上昇傾向に転じて然るべきです。残念ながら現状はそのような構図になり得ていません。消去法の選択肢として自民党が勝ち続けるようであれば政権運営に対する緊張感を高めることは望めません。
昨年9月の記事「新しい立憲民主党に期待したいこと」に託したとおり最大野党の立憲民主党には多くの国民から幅広い支持を得られるような奮起を願っています。先日、頻繁に訪問しているBLOGOSの中で、そのような願いに答えていただけるような兆しを感じた記事を目にしていました。
立憲民主党衆院議員の山内康一さんの『自民党に政権担当能力があるのか?【前編:安倍・菅政権のコロナ対応】』『自民党に政権担当能力があるのか? 【後編:立憲民主党は?】』という記事です。コロナ禍の中、野党として果たしてきた役割を伝えながら民主党政権時代の反省点を率直に綴られています。最後に、その記事の中で最も注目した山内さんの言葉を紹介させていただきます。
民主党政権の反省としては、初めての政権運営ということもあって、いわば「幼児的万能感」に包まれたスタートを切り、大人の対応ができなかったことがあげられます。たとえば、霞が関の官僚機構は、敵ではなく、それぞれの分野の専門家集団であり、協働作業をすすめるパートナーです。官僚主導の弊害が現れたり、役所の既得権化した事業が継続していたりといったことがあれば、それを正すのは政治の役割です。
しかし、そういう事例ばかりではなく、国家公務員を「悪らつな既得権集団」と見なすべきではありません。政治家と行政官は政策課題を解決するためのパートナーです。大臣や副大臣になった政治家は、緊張感をもって行政を監視しつつ、行政官を指揮監督するのが役割です。官僚を敵視していては、チームプレーができるはずがありません。
民主党政権でも官僚機構と適切な距離感をもって仕事をしていた大臣もいましたが、そうでない大臣がクローズアップされて目立っていました。菅総理のように官僚機構を人事権で強権的に支配するのも問題だし、官僚機構を敵視するのも問題です。
「政と官」の適切な距離感と関係性は政治学や行政学でも重要なテーマですが、その点で優れていたのは片山善博総務大臣だったとと思います。私は、民主党政権では片山大臣が「ベスト大臣」だったと思います。片山大臣のような仕事のやり方をモデルにして政権運営できれば、立憲民主党政権はいまの菅政権以上に機能すると思います。
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