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2021年1月31日 (日)

コロナ禍での野党の役割

緊急事態宣言が再発令され、Zoomでの会議が続いていました。木曜夜に連合地区協議会の幹事会、土曜には自治労都本部春闘討論集会に参加しています。休日に自宅から参加できるスタイルは組合役員の負担の軽減化につながるという利点もあります。

久しぶりのZoomでしたが、ミュートや映像のオンオフには慣れてきました。ただ手を挙げる機能が分からず、討論集会での質疑応答の際は画像から司会の方に気付いていただきました。その後「挙手」はリアクションボタンの中から見つけることができました。

さて、最近の記事では「危機管理下での政治の役割」「東京五輪の行方と都政の現場」というコロナ禍での政治の話題を取り上げてきています。今回は時事の話題を紹介しながら野党の役割に焦点を当てた記事を書き進めてみるつもりです。

菅義偉首相は27日の参院予算委員会で、野党の批判を受けて気色ばむ場面があった。立憲民主党の蓮舫氏から、自宅療養中に亡くなったコロナ患者数が昨年12月以降、全国で27人に上ったことについて問われたが、「大変申し訳ない思いだ」とのみ答弁した。

蓮舫氏は「そんな答弁だから、(国民に首相の)言葉が伝わらない」と迫ると、「少々失礼じゃないでしょうか」と色をなして反論。「緊急事態宣言が『後出しだ』とかいろいろな批判がある。迷いに迷って、悩んで悩んで判断をした。言葉が通じない(ことは)私に要因があるかもしれないが精いっぱい取り組んでいる」と理解を求めた。毎日新聞2021年1月27日

この後、蓮舫さんは「その精一杯は否定しません。ただ伝える努力が足りないと言っているんです」と返していました。いつも感情を表に出さない菅総理が珍しく気色ばんだことで注目を集めた場面でした。この場面をニュースで見た時、菅総理のほうの懸命さが伝わり、蓮舫さんの好感度が下がる質疑だったように思っていました。

やはりMCの坂上忍さんらから「正直、失礼だなと思いました。あの言い方は」という声が上がっていました。蓮舫さんも質疑を終えた後のツイッターに「いつも反省するのですが、想いが強すぎて語気を張ってしまうことを。提案した内容がきちんと皆さんに伝わるよう、引き続き取り組みます」と反省の弁を書き込んでいたようです。

テレビからの国会中継のニュースは注目を集めた場面が繰り返し映されます。要するに前後の場面は切り取られてしまう訳ですが、その瞬間のやり取りが事実であることに間違いありません。このような特性を充分理解し、質疑に立つ皆さんは緊張感を持続しながら一言一句に注意していかなければなりません。

政治家の皆さんは日頃から適切な言葉を繰り出せるように「言葉の反射神経」を磨く努力も必要です。しかし、それ以上に普段から幅広い知識や情報を取り入れながら頭の中で整理していく習慣化が重要です。様々な事象に対する見識を高め、政策に精通し、語彙を増やした質疑の中からこそ実のある国会論戦が生み出せるのではないでしょうか。

実は蓮舫さんが指摘した菅総理の「そんな答弁」の伏線は次のような質疑の中にありました。27日の参院予算委員会で立憲民主党参院議員の石橋通宏さんが蓮舫さんの前に質問の場に立っていました。刺激的な見出しの記事『菅首相の“最終的に生活保護”発言に戦慄の声「政治に殺される」』の中の一文を紹介します。

「政治は誰のためにあると思いますか」という質問から始まった。この問いに、菅首相は「国民のためです」と答弁。続く「社会的に弱い立場の方々のためにあるとお思いになりますか」との質問にも、「そのように思います」と返答した。さらに石橋議員は、新型コロナウィルスの影響を受けた生活困窮者への対策をめぐってこう追求した。

「収入を失って路頭に迷う方々が多数にのぼっています。命を落とされた方が多数にのぼっています。政府の政策は届いているのでしょうか」すると菅首相は、「例えば大事なのは、私は雇用と暮らしだと思っていました。やはり雇用を守り、暮らしをしっかり支えていく」と回答。そして、「政府には最終的には生活保護という仕組みも、そうしたセーフティーネットを作っていくのが大事」と答えたのだ。【女性自身2021年1月28日号一部抜粋】

最終的なセーフティーネットとして生活保護、菅総理の言葉は間違いでありません。しかし、コロナ禍という緊急事態の中で生活保護という選択肢の前に何か対策が必要ではないのか、このような質問の趣旨にかみ合った答えに残念ながら至っていない場面だったと言えます。

単なる言葉や説明が不足した答弁なのか、もしかしたら生活保護制度に精通していないのか、そのような疑念も生じかねません。野党議員の質問から菅総理の姿勢や資質を垣間見ることができる場面でしたが、テレビのニュースで多く取り上げられた映像は蓮舫さんの質問のほうでした。

コロナ禍の中で菅総理が精一杯取り組んでいることは理解しています。ただ一国のトップリーダーとして菅総理には、より望ましい結果を出し続けていく非常に重い責任が課せられています。そのような意味で『「菅さん、あなたに総理はムリだったね」全国民が思っていること』という記事などを目にすると非常に残念な思いを強めざるを得ません。

「小池が、犬と猿と雉を連れて来るんだって?」 2021年の新年は、コロナ禍とともに明けた。もはや隠しようもない。この国の為政者としての、菅による大失敗である。菅は、東京都の小池百合子知事が緊急事態宣言を要請すべく、1月2日に神奈川、埼玉、千葉の知事と共に官邸に乗り込んでくると聞いた際、冒頭のように吐き捨てた。

「菅さんは『小池のパフォーマンスにやられた』と地団太を踏んだ。ただ、その後の世論調査でも『緊急事態宣言が遅すぎる』という声が圧倒的多数を占めているように、先手を打てなかった総理の判断ミス。これまでのコロナ対応はすべて裏目に出ていて、焦る菅さんは官邸で怒鳴り散らしています」(官邸関係者)

菅は普段、小池のことを「おてもやん」と呼んで揶揄している。おてもやんとは熊本民謡などに登場する、白塗り厚化粧で頬に丸い紅という、滑稽で奇妙な容貌をイメージさせる女性像だ。「おかめさん」のような女性と言えば分かりやすい。

小池のことをその「おてもやん」に喩えて笑っているという話は、菅の周辺では有名な話だが、こんなことが小池の耳に入ったら、ただでさえ軋轢が噂される両者の関係が、ますます険悪になってしまうことは確実だ。【現代ビジネス2021年1月28日一部抜粋】

この後、政権の中枢を知る政府関係者の言葉が紹介されていきます。「官邸がまったく、機能していない」「菅総理に直接、進言をする人間が誰もいない。総理が話すのは、側近の和泉洋人補佐官だけ。菅さんは、自分の意に反する意見を聞くとキレて激怒してしまうから、誰も何も言えなくなった」

「田村厚労相が『コロナの感染状況が危機的だ』という報告をしたら逆鱗に触れ、同席した官僚が渡したペーパーを机の上に投げ捨てられたほど。田村大臣は精神的にかなり追い詰められ、心身ともに参っています」と続きます。このような生々しい話が漏れてくること自体、菅総理が周囲からの信頼を失っている表われだろうと思っています。

菅本人が宣言した通り、現在は緊急事態、日本にとっての国難だ。コロナの感染拡大は止めなければならない。だが、経済を崩壊させるわけにはいかず、同時に国民の生活を守らなければならない―。そこに明確な「正解」はない。そんなことは誰もが分かっている。だからこそ、国のトップは多種多様な意見に耳を傾け最善策を探り、その中で決断を下し、結果には責任を負うという、強い覚悟を示す必要がある。

だが、菅にはそれができない。「Go Toキャンペーンは感染拡大と関係ない」と強行しながら、批判を浴びると折れて中断する。「緊急事態宣言は必要ない」と言っていたのに、知事や世論の突き上げを食らうと、緊急事態を宣言する。「柔軟」なのではない。菅の場合、支持率の急落(1月9~10日、共同通信社調査で前月比9ポイント下落の41・3%など)といった「世間の顔色」を窺い、その場しのぎで泥縄式に対応をコロコロ変えているだけだ。【現代ビジネス2021年1月28日一部抜粋】

『現代ビジネス』の記事は上記のとおり手厳しい批判を加えています。菅総理の率いる政権与党の示す方向性に問題がある場合、より望ましい「答え」に軌道修正させる役割が野党に求められています。コロナ禍の中、よりいっそう国会の場で健全なチェック機能を果たせる野党の存在が欠かせないはずです。

ライターの石戸諭さんが『罰則規定なぜ求める?新型コロナとポピュリス』の中で問題提起しているとおり新型コロナ対策において罰則を強めることが有効なのかどうか疑問視する声は数多くあります。そのため、与野党の協議のもとに新型インフルエンザ特措法と感染症法の改正案が修正され、刑事罰を撤回したことなどは望ましい対応だったと思っています。

そもそも『菅政権がコロナ専門部会の議事録を隠蔽 刑事罰反対が大多数だったのに「専門家も賛成」と嘘! 菅の官房長官時代からの隠蔽改ざん体質』というLITEAの記事のとおり専門家の多数も反対だったのにも関わらず、偽りながら押し通そうとした政府の姿勢には驚いています。さらに罰則規定の必要性を要望した知事会側も刑事罰まで明確には求めていなかったようです。

本来、政権に対する信頼が低下し、内閣支持率が下降線をたどるような場合、対抗する野党側の支持率が上昇傾向に転じて然るべきです。残念ながら現状はそのような構図になり得ていません。消去法の選択肢として自民党が勝ち続けるようであれば政権運営に対する緊張感を高めることは望めません。

昨年9月の記事「新しい立憲民主党に期待したいこと」に託したとおり最大野党の立憲民主党には多くの国民から幅広い支持を得られるような奮起を願っています。先日、頻繁に訪問しているBLOGOSの中で、そのような願いに答えていただけるような兆しを感じた記事を目にしていました。

立憲民主党衆院議員の山内康一さんの『自民党に政権担当能力があるのか?【前編:安倍・菅政権のコロナ対応】』『自民党に政権担当能力があるのか? 【後編:立憲民主党は?】』という記事です。コロナ禍の中、野党として果たしてきた役割を伝えながら民主党政権時代の反省点を率直に綴られています。最後に、その記事の中で最も注目した山内さんの言葉を紹介させていただきます。

民主党政権の反省としては、初めての政権運営ということもあって、いわば「幼児的万能感」に包まれたスタートを切り、大人の対応ができなかったことがあげられます。たとえば、霞が関の官僚機構は、敵ではなく、それぞれの分野の専門家集団であり、協働作業をすすめるパートナーです。官僚主導の弊害が現れたり、役所の既得権化した事業が継続していたりといったことがあれば、それを正すのは政治の役割です。

しかし、そういう事例ばかりではなく、国家公務員を「悪らつな既得権集団」と見なすべきではありません。政治家と行政官は政策課題を解決するためのパートナーです。大臣や副大臣になった政治家は、緊張感をもって行政を監視しつつ、行政官を指揮監督するのが役割です。官僚を敵視していては、チームプレーができるはずがありません。

民主党政権でも官僚機構と適切な距離感をもって仕事をしていた大臣もいましたが、そうでない大臣がクローズアップされて目立っていました。菅総理のように官僚機構を人事権で強権的に支配するのも問題だし、官僚機構を敵視するのも問題です。

「政と官」の適切な距離感と関係性は政治学や行政学でも重要なテーマですが、その点で優れていたのは片山善博総務大臣だったとと思います。私は、民主党政権では片山大臣が「ベスト大臣」だったと思います。片山大臣のような仕事のやり方をモデルにして政権運営できれば、立憲民主党政権はいまの菅政権以上に機能すると思います。

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2021年1月23日 (土)

東京五輪の行方と都政の現場

「人の良い村役場か町役場の助役さんという感じ」、森元総理が菅総理を称した言葉です。1月3日の読売新聞朝刊に掲げられていたインタビュー記事の中で目に留まった言葉でした。「菅さんという人は本当にぼくとつな人ですね。あんなに真面目な人はいないですよ」という言葉の後に続く例えで、親しみをこめた文脈でした。

森元総理が菅総理を好意的に見ていることは分かります。ただ最近、よく耳にするマウントをとった語感が伝わり、菅総理が目にしても、助役さんたちが目にしても、あまり愉快な印象を抱かないのではないでしょうか。あえて例えなくても充分意図は伝わるため、要するに余計な一言だったように思っていました。

総選挙前の「無党派層は寝ててくれ」など森元総理の失言の話は数多くあります。本音をそのまま言葉にしてしまう正直な性格なのかも知れませんが、ご自身の発する言葉の重さや影響力に無頓着な政治家の代表格だったと言えます。その森元総理が東京五輪組織委員会の会長を務めています。

ちなみに「五輪」とはオリンピックのみを指す言葉で、パラリンピックを含めていません。メディアの多くがパラリンピックも含めた意味合いとして「東京五輪」と表記しています。本来、東京オリンピック・パラリンピックと記すべきなのかも知れませんが、このブログでも同様な意味合いで表記していくことをご容赦ください。

新型コロナウイルスの感染拡大によって緊急事態宣言の再発令が決まった1月7日、東京五輪の開催の可否について問われた際、森元総理は「不安?まったくありません」と語っていました。さらに「今の時点で何でやるやらないって議論するの。やるのは7月でしょ。今、オリンピックの準備は、ほとんど全部できている」と付け加えていました。

確かに「やるのは7月」ですが、入国制限の緩和時期の問題などが直面しています。7月までにワクチンの効果で日本国内では収束に向かっていたとしても世界中の国や地域で同じように足並みを揃えられているのかどうか分かりません。このあたりの事情を把握していないとは考えられないため、森元総理としては本音を隠した発言だったようです。

プチ鹿島さんの記事『菅首相が五輪開催をしたい本当の理由は… “強行開催”唯一の解決策は「森漫談」の中にあった?』の中で、森元総理の「私の立場では、今年難しいとは口が裂けても言えない」という言葉が紹介されています。結局、このような本音を示唆した言葉を漏らしてしまっては1月7日の発言が建前に過ぎなかったことになります。

坂井学官房副長官は22日の記者会見で、日本政府が東京五輪・パラリンピックの中止を結論づけたとする英紙タイムズの報道を否定した。「そのような事実はないときっちり否定したい」と述べた。同じ報道を巡り、2032年の開催を目指すとした内容についても否定した。

英紙タイムズは日本政府が非公式ながら東京五輪を中止せざるを得ないと結論づけたと報じた。与党幹部の「総意は(開催が)難しすぎるということ」との発言を紹介した。

坂井氏は新型コロナの感染拡大で東京五輪の開催が危ぶまれているとの指摘に「今年夏からの大会の成功に向けて政府として一丸となって準備に取り組んでいる」と強調した。一方で「当然、海外の状況等もあるし、どこかの段階で実際に開催するかの判断を行う」と発言した。

内閣官房は22日、「東京大会にかかる本日の報道について」と題した文書を公表した。「日本政府が東京大会の中止を非公式に結論付けたとの旨の報道がございましたが、そのような事実は全くございません」と記した。【日本経済新聞2021年1月22日

上記の報道から読み取れることとして、違約金の問題などがあり、日本側から中止や延期を言い出せない事情があるのかも知れません。しかし、決断が遅れれば遅れるほど避けられる出費や混乱が増していくはずです。そして、何よりも感染症対策の観点から東京五輪開催の可否を判断すべきではないでしょうか。

英紙タイムズの報道を受け、小池都知事は「私は一切聞いておりません。抗議を出すべきではないだろうか、このように思っています」と語っていました。この言葉を耳にした時、開催地の知事にも関わらず、蚊帳の外に置かれがちな現状に対する苛立ちを感じ取っています。

さらに森元総理と同様、本音と建前を使い分けなければならない立場だろうと斟酌しています。ただ昨年、開催延期が決まった以降、一転して新型コロナウイルス感染拡大の脅威を訴え始めた小池都知事の変わり身の早さを思い出し、「抗議を出すべき」という言葉の空虚さも感じています。

昨年7月の記事「都政の現場、新知事へのお願い」の中で、石井妙子さんの著書『女帝 小池百合子』について触れていました。コロナ禍の局面でも小池都知事は記者会見とテレビ出演を重ねて危機管理に「強いリーダー」を演じていると石井さんが指摘していたことを紹介しました。

都民に危機意識を広め、結果が伴っていけば批判されるものではありません。しかしながら小池都知事の場合、「自分がどう見られるか」を重視しがちとなり、本当に「都民ファースト」なのか疑問に思う時があります。『小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由』という記事などを目にすると本当に残念なことです。

前回の記事「危機管理下での政治の役割」を通し、より望ましい政治の役割を発揮するためには部下が直言しやすい懐深さを示し、多様な声に耳を傾ける姿勢を菅総理に要望していました。都政の現場においては、よりいっそう小池都知事に対して要望すべき点であるようです。

小池知事の指示に振り回され… 東京都「コロナ対応部局」で大量退職』という記事を紹介していましたが、週2回発行されている都政新報』からは様々な具体例に触れる機会を得ています。これまで目に留まっていた象徴的な事例の記事内容をいくつか紹介させていただきます。

小池都政では新しい取り組みを先に公表し、内容を詰めていく傾向があります。事業局の部長が公表方法について「おかしい」と問題視しても小池都知事に面と向かって苦言を呈することは難しく、耳に痛い忠告をすれば逆鱗に触れて人事異動の際に飛ばされてしまう懲罰的な人事が警戒されているそうです。

「知事を怒らせないように短期間で検討し、一定の成果を出すしかない」と嘆き、担当職員は多忙を極め、体調を崩すケースも出ています。『都政新報』の記者は「職員が疲弊して仕事の生産性が著しく下がれば、都民サービスの改善や向上も遅れてしまうことを知事は肝に銘じるべきだ」と指摘しています。

コロナ禍に見舞われた昨年、本庁部長の一人は「マシンのようだった」と振り返っていました。「トップダウンがここまできつかった都政は過去にない」「指令が突然降ってきて、都民の役に立つ感じがないまま仕事をさせられる」と語っています。現にやりがいやモチベーションを理由に退職する職員が続いています。

モチベーションの維持が難しいようでは良質な仕事につながらず、指令に従うだけの「思考停止」に対しては組織にもたらす長期的な悪影響を心配する声が上がっています。職員の声を「ごく少数の声」「アンチ」と切り捨てて耳を傾けないようでは、組織を改善に導くチャンスを失うことが『都政新報』の紙面を通して訴えられていました。

東京五輪の行方について、東京都だけで決められる問題ではありません。同様に新型コロナウイルス対策も東京都だけで進められるものではなく、国との連携を強めていく必要があります。ぜひ、政治的な思惑は横に置き、職員の力を適切に引き出しながら「都民ファースト」の都政の実現に向けて小池都知事には奮起して欲しいものと願っています。

年頭の記事の中で「コロナ禍から平穏な日常が戻り、世界中が歓喜に沸く夏になることを願っています。その一方で、専門家が五輪は無理と見通した場合、早めに決断することも賢明なことだろうと思っています」と書き添えていました。今回の記事を書き進めながら、ますますそのような思いを強めています。

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2021年1月17日 (日)

危機管理下での政治の役割

昨年6月末に「政治の現場での危機管理」、7月初めに「都政の現場、新知事へのお願い」という記事を投稿し、新型コロナウイルス感染症に対する国政と都政の現場での危機管理の現状について取り上げていました。今回、当時より深刻化しているコロナ禍での政治の現状について思うことを書き進めてみます。

前回記事「緊急事態宣言、再び」のコメント欄では、ぱわさんから交代制勤務を望む問いかけがあり、私から次のようにお答えしていました。このブログを訪れている方が必ずしもコメント欄までご覧になっていないものと思っていますので内容の全文を紹介させていただきます。

労使で考え方が異なり、真っ正面から論戦する課題も多くあります。その中で緊急事態宣言の再発令に伴い、交代制勤務を必須としない判断は対立案件となっていません。

ぱわさんの訴えに対応できず申し訳ありません。今回の記事本文に記したとおり人と接触しないことが最も効果的な感染対策であることは間違いありません。したがって、自宅から一歩も外に出ず、誰とも接触しなければ移すことも移されることもありません。

しかし、行政の仕事の大半はテレワークになじまず、エッセンシャルワーカー的な立場などがあります。完全な在宅勤務が難しい中、交代制勤務は感染確率を下げる次善の策だと理解しています。

4月に発令された頃は、一人でも感染者が出た場合、庁舎の広範囲で閉鎖しなければならない事態を危惧していました。そのため、交代制勤務は感染者が出た場合の業務継続のための対策にも位置付けていました。

その後、感染した職員が出た後の保健所の指示は次のとおりでした。マスクを付けている時間のみの接触であれば感染者と席を隣接していた職員は濃厚接触者に当たらないというものでした。

感染確率を下げる対策を軽視している訳ではありませんが、それ以上にマスク着用や消毒等による対策を徹底化することに重きを置いています。業務が多忙な時期だから交代制勤務は行なわないという発想だった場合、職員の安全や健康を二の次にした考え方だと見られかねません。

都政新報』にH市の労務課職員の「4月の時はコロナの全貌が全く分からない状況で感染抑止する必要があったため、全庁的な勤務体制をとったが、この1年間で職場での感染防止のノウハウがある程度ついてきた」という見解が掲げられていました。

このような経緯や考え方を踏まえ、組合としても交代制勤務を必須としない判断を受け入れています。私自身の思いは年末から年始にかけて投稿しているブログ記事に託しているとおりです。

一日も早く平穏な日常が戻ることを願っていますが、一方で長丁場の闘いになることも覚悟しています。だからこそ持続可能な対策の必要性を認識しています。今後、ロックダウンに近い緊急事態宣言に切り替わる場合などもあるのかも知れませんが、現時点での考え方を改めて説明させていただきました。

前回の緊急事態宣言直後に比べて人出の減らないことがしきりに報道されています。「午後8時以降、不要不急の外出自粛」という要請内容だったため、菅総理が主導した政府の狙い通りの行動変容の結果だろうと思っていました。

上記で紹介したH市の労務課職員の見解にある「感染防止のノウハウがある程度ついてきた」という経緯のもとにメリハリを持たせ、前回の緊急事態宣言とは一線を画した政治的な判断を下したものと見ていました。

しかし、当初から政府全体の意思としては「全日、最大限外出は控えて」というものであり、「特に午後8時以降は」という宣言内容だったようです。国民に誤解を与えたというレベルではなく、ジャーナリストの尾中香尚里さんの『これは本当に緊急事態宣言なのか「最後の切り札」無力化した菅政権の責任』という論評にうなづくばかりです。

そもそも「GoToイート」なる経済振興策を打ち出して、国民に会食するようあおってきたのは、当の菅首相自身である。その人がいきなり、つい先日まで訴えてきたのと正反対のことを、何の総括もなくいきなり打ち出す。菅首相はこれで本当に「国民はついてくる」と考えているのだろうか。

上記は尾中さんの嘆きですが、菅総理には国民の心に響くような発信力どころか、最低限の説明能力にも問題が多々見受けられています。『迷走の菅首相 言い間違え、質問に答えず…西村、尾身両氏がフォロー』という報道記事にあるとおり重要な場面で「福岡県」を「静岡県」と言い間違えています。

記者会見で国民皆保険の見直しを示唆するような答えに至っては記者の質問内容を正確に理解できず、『<新型コロナ>病床は世界最多、感染は欧米より少ないのに…なぜ医療逼迫?』という現状を的確に把握していない証しだと言われても仕方のない場面でした。弁護士の郷原信郎さんは『緊急事態宣言拡大、菅首相発言が「絶対にアカン」理由』と手厳しく批判しています。

菅総理には私たち国民の命と暮らしを守るため、最も重い責任と役割の発揮が求められています。そのため、至らない点があれば厳しい言葉を浴びせられる局面が続くことも覚悟願わなければなりません。感染の再拡大がなく、GoToの推進によって経済が立ち直っていれば菅総理の評価は高まるばかりだったはずです。

新型コロナという未知の問題について結果論で批判するのはフェアでなく、「これ以上うまくできる政治家が誰かいるかって考えると見当たらない」と菅総理を擁護する声もあるようです。しかし、危機管理下での政治の役割として、残念ながら結果が出せなければ国民の命と暮らしを守ることはできません。

平時であれば「やってる感」の政治でも一定の支持は得られていたのかも知れません。コロナ禍という深刻な危機の中、一国のトップリーダーとして菅総理には、より望ましい結果を出し続けていく非常に重い責任が課せられています。決して結果論からの要望ではなく、菅総理とその周囲の皆さんに奮起して欲しい点があります。

昨年10月の記事「菅総理へのお願い」の最後に「ぜひ、国民のためにも多様な声に耳を傾ける姿勢を強め、官僚や有識者が手厳しい話を萎縮せずに訴えられる懐の深さを示されるよう切に願っています」と記していました。ここ数か月、そのような思いがますます強まっています。

「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由』『頑なにコロナ対策の失敗を認めない菅首相 ブレーンの心も折れたか』という記事に示されているとおり菅総理が謙虚に専門家の意見に耳を傾けてきていたのかどうか甚だ疑問です。

朝日新聞の記事『コロナ対策迷走、強すぎた官邸 元次官「知恵集められず」』の中では人事権を掌握した「強すぎる官邸」を前に官僚たちは直言や意見することを控えるようになっていたことを伝えています。「官邸に行きたいが、菅さんの機嫌が悪いようだ」という言葉が交わされるほど官僚たちは官邸を恐れ、萎縮している現状と元事務次官の下記のような言葉も紹介しています。

官邸を恐れて遠ざかる官僚。そして知恵を出さない官僚たちを信頼できず、トップダウンで指示を出す官邸官僚。布マスクの全戸配布などの迷走したコロナ対策は、官邸主導の負の側面が凝縮したかのようだった。元事務次官の一人はこう残念がる。「新型コロナの対策は未知のことばかり。こんな時こそ、霞が関の知恵を結集させるべきだが、それができていない」

今、緊急事態宣言は迷走しています。前回記事に「全面的な休業を求めない理由が財源的な問題だとしたら極めて中途半端で不誠実な政治判断だと言わざるを得ません」と記しました。このように休業補償の問題が不充分なまま罰則のみ強化されていくのであれば、それはそれで極めて不信感の高まる政治の動きです。

「出勤者7割減をめざし、テレワークを推進」という要請内容も結局のところ国が直接補償しなくて済むため、安易に打ち出しているように見受けられます。出勤者の抑制もビジネス街の飲食店等の経営を圧迫しています。経済に打撃を与えながら感染を抑制できなかった場合、虻蜂取らず、このような言葉が思い浮かびます。

たいへん長い記事となっています。都政の現場についても書き進めるつもりでしたが、機会があれば次回以降の記事で取り上げてみようと考えています。その上で最後に、文春オンラインの記事『小池百合子都知事が緊急事態宣言前に放った“悪手”…東京都の感染者が減らない本当の理由』も紹介させていただきます。

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2021年1月10日 (日)

緊急事態宣言、再び

新年早々の前回記事は「平穏な日常に戻れる2021年に」でした。昨年末には「迷走するGoTo」「コロナ禍の2020年末」という新型コロナウイルス感染症に関する記事を立て続けに投稿しています。

そろそろコロナ禍の話題から離れた内容の投稿も考えていましたが、今週末、やはり新型コロナウイルスに絡む時事の話題を取り上げることになりました。1月8日から2月7日までの1か月間、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京、埼玉、千葉、神奈川の1都3県を対象に緊急事態宣言が再び発令されました。

前回の宣言時と同様、行政の文書では「発出」とし、メディアは「発令」という表記が多いようです。国民に対する要請が中心であり、命令するという意味合いではないという理由をはじめ、宣言自体が国から下部行政組織への通達の範疇であり、正式な行政文書は「発出」とされています。

これまで当ブログでは表記を特に統一していませんでした。今回の記事タイトルは「再び」とし、本文中は「発令」と記していくつもりです。今回、法的な位置付けは昨年4月に発令された宣言と同じですが、要請内容と国民側の受けとめ方に大きな変化が見られています。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が再発令されて初の土曜日となった東京、埼玉、千葉、神奈川の9日正午時点の人出は、前回の緊急事態宣言直後の土曜日(昨年4月11日)より多かったことが、スマートフォンなどの位置情報から滞在人口を推計するNTTドコモの「モバイル空間統計」のデータでわかった。今回の宣言でも「不要不急の外出自粛」が呼びかけられているが、前回より効果は限定的となっている。

東京都内の新宿、銀座、渋谷センター街や、周辺3県の主要駅(横浜、千葉、大宮)周辺の正午時点の人出について、感染拡大前の土曜日(昨年1月11日)と比較した。銀座、渋谷、新宿では、前回宣言時はいずれも感染拡大前より人出が7割前後減少していたが、9日は3割台の減少にとどまった。横浜、千葉、大宮各駅でも、前回の減少幅は6~7割に上ったのに、9日は1~3割しか減らなかった。

一方、スマホの位置情報を利用するソフトバンク系のIT企業「アグープ」のデータを分析すると、宣言初日の8日、午後8時以降の人出は、前日の7日と比べて渋谷センター街で2~3割、新宿・歌舞伎町でも1~2割減っていた。ただ、昨年4月の宣言後の平日と比べれば、いずれの場所も人出は増えていた。【読売新聞2021年1月9日

前回の宣言直後よりも人出が多く、感染拡大前の土曜日よりも減っている、このように報道されています。今回の要請内容に沿えば当然の結果だろうと思っています。「午後8時以降、不要不急の外出自粛」とされているため、土曜の昼間、必要な買い物等で外出する方々が多いことについて特段驚きません。

逆に昼間の営業を認めていながら繁華街から人出が消えてしまうような事態に至った場合、店を開けている事業者の売り上げは皆無となります。万が一、全面的な休業を求めない理由が財源的な問題だとしたら極めて中途半端で不誠実な政治判断だと言わざるを得ません。

宿敵・菅首相が自滅…緊急事態宣言発出で“不戦勝”小池都知事は高笑い』という記事にあるとおり今回の宣言は小池知事に菅総理が押し切られて発令したように見られています。もともと菅総理は移動そのもので感染は拡大しないと考え、マスクを外さなければならない会食時が最も注意すべき場面だと訴えてきています。

とりわけ酔いすぎると注意を怠りがちとなるため、午後8時までという営業時間の短縮が効果的な対策の一つだと考えられていたようです。緊急事態宣言の再発令を求める国民からの声が高まる中、感染者数の急激な拡大を受け、菅総理は経済への影響を憂慮しながら宣言に踏み切ったものと見ています。

菅総理は「アクセルとブレーキを踏みながらやっている」という言葉を多用していました。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるように映っていることを懸念していましたが、菅総理自身、元旦に放送されたテレビ神奈川の番組で「アクセルとブレーキを同時に踏むこともある」と語っていました。

この話を知って「えっ!」と驚きました。ネット上の掲示板等でも「あり得ない例え」と指摘されているとおり言葉の使い方としても、総理大臣の国民に向けた発信の仕方としても非常に不可解なメッセージだと思っています。

当初、緊急事態宣言が再発令される動きを耳にした時、飲食店に午後8時までの時短営業を要請するための法的根拠として発令するのだろうと推測していました。加えて、感染拡大する中、改めて個々人の対策に向けたマインドを高める機会につなげることも意識した判断なのだろうと考えていました。

つまり小池知事らの要請を受けた判断だったとしても、菅総理自身の「経済を急激に止めない」という軸足は大きくずらさない宣言内容が中心になるものと見ていました。そのような意味合いで見た時、1都3県の知事の「全日、最大限外出は控えて」という言葉と「午後8時以降、不要不急の外出自粛」という要請内容とのギャップに戸惑いを覚えています。

さらに「出勤者7割減をめざし、テレワークを推進」という要請内容も非常に悩ましい思いを強めています。人と接触しないことが最も効果的な感染対策であることは間違いありません。しかし、業態としてテレワークになじまない、もしくは対応できない事業所等がどれだけあるのか把握した上での要請なのか疑問です。

特に私ども自治体の業務は個人情報の問題、エッセンシャルワーカー的な立場などがあり、7割減は到底難しい数値目標です。官公庁は直接的な対象となっていませんが、今後「率先垂範」という考え方のもとに交代制勤務等を取り入れる可能性もあり得ます。

ぱわさんから前回記事「平穏な日常に戻れる2021年に」に切実な訴えのコメントが寄せられていました。昨日の朝、そのような訴えに直接応える判断を下していない組合執行部としての悩ましさをお答えさせていただいています。

話が広がりがちで恐縮です。もう少し続けますが「国や医師会に憤りを感じる。このままでは医療崩壊だけでなく“居酒屋崩壊”だ」緊急事態宣言の再発出を前に、厚労省の元医系技官が訴え』『元厚労省医系技官 コロナ対策で経済止めれば医療ではなく社会が崩壊』という専門家らの声もあります。

新型コロナウイルス感染症の向き合い方として絶対的な正解を絞りきれない現況です。政治家が戸惑い、迷いがちな局面が続くことも仕方ないのかも知れません。それでも政治家のリーダーシップで望ましい結果を出している国もあります。昨日『報道特集』でも新型コロナ対策の成功国としての台湾を取り上げていました。

再び、発令された緊急事態宣言によって感染拡大が減少傾向に向かうことを誰もが願っています。宣言の延長の可能性を問われた際、菅総理は「仮定のことについて私からは答えは控えたい。とにかく1か月で何としても感染拡大防止をしたいという思いで取り組んでいきたい」と述べていました。

菅総理には結果を出さなければならない重い責任が課せられているため、このような言葉の不充分さを感じています。思いや決意表明だけでは国民に安心感を与えることはできず、1か月で効果が上がらなかった場合の答え方にも頼りなさを感じさせています。

確かに発信力では菅総理よりも小池知事のほうが上かも知れません。その小池知事も「都政の現場、新知事へのお願い」に記したとおり残念な点が多々見受けられ小池知事の指示に振り回され… 東京都「コロナ対応部局」で大量退職』という現状です。最後に、コロナ禍の中で奮闘しているリーダーや自治体の事例があることも紹介させていただきます。

「歌舞伎町のホストクラブが危ない」と極めて局所的な話をしていた頃が遠い昔のようだ──。いまや全国津々浦々、あらゆる場所が新型コロナウイルスの「感染拡大地域」となっている。

しかし、地域によって、死亡者数や重症者数に大きな差があるのも事実。その背景には、自治体ごとの「対策」に差があるとも言われている。血液内科医の中村幸嗣さんはいう。

「日本は感染症の流行が少なく、感染症対応の経験がある医療従事者も少ないため、病院単独での準備は難しい面もある。それでもこの冬までに地域としてどういう対策をしてきたかが“結果”に表れています」

鳥取は平井伸治知事のリーダーシップのもとで「疑わしきは検査する」との方針を貫き、PCR検査が可能な数を人口当たり全国最多水準の1日約4800検体まで増やし、感染者全員がすぐ入院できるようにした。その対策により、中国5県で最も医療態勢が脆弱とされて高齢者も多い県ながら、死者ゼロを維持している(1月2日現在)。

鳥取と同じく死者ゼロの島根の取り組みも功を奏した。国際医療福祉大学病院内科学予防医学センター教授の一石英一郎さんはいう。「島根では高齢者施設でクラスターが発生しておらず、在宅療養者を出さない早めの対策が奏功していると考えられます。今後に向けての対策も進めており、今年7月には無症状者や軽症者を受け入れる宿泊療養のプレハブ施設を松江市内に建設する予定です」

中村さんは島根の“隔離政策”に着目する。「島根大学の職員が仕事で東京に行って戻ってきたら、大学から14日間の隔離を命じられたそうです。過剰な反応ではありますが、ウイルスを持ち込ませない、感染させないために最も強力な対策は隔離なので、感染拡大地域を往来した人を隔離することは理にかなっています」

死者4人(1月2日現在)と健闘する長崎はどうか。「感染初期に長崎大学熱帯医学研究所がクルーズ船『コスタ・アトランチカ』に対応し、その後も大学と自治体が同じ方向を向くことで感染拡大を抑え込んでいます。地方のため人口過密地域が小さいなど有利な面もありますが、大学と自治体がうまく連携すれば感染を抑えられるという好例です」(中村さん)

一石さんが注目するのは、栃木県の那須塩原市だ。「近いうちに、希望する市民がPCR検査を1000円で受けられる事業を実施すると報じられました。原資となるのは、昨年12月に引き上げた入湯税の一部というユニークな取り組みです」

住民の命を守るリーダーが何をしているかに目を凝らす必要がありそうだ。【女性セブン2021年1月21日号

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2021年1月 1日 (金)

平穏な日常に戻れる2021年に

あけましておめでとうございます。  Usi_2

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、せめてお正月ぐらいはイラストなどを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。

2005年8月に「公務員のためいき」を開設してから894タイトル目となります。必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿していました。一時期に比べ、お寄せいただくコメントの数が減っているため、1日あたりのアクセス数は減っています。

以前、Yahoo!のトップページに掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録です。その頃に比べると2桁違う数で推移しています。ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり一人でも多くの人たちにご訪問いただけることを願っています。

特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。そのため、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることがブログを続けていく大きな励みとなっています。

2012年の春頃からは背伸びしないペースとして、コメント欄も含め、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わるようにしています。そのことだけが理由ではないようですが、前述したとおりお寄せいただくコメントの数は減っていました。それでも記事内容によっては貴重なコメントをお寄せいただけているため、このブログをご注目くださっている皆さんにいつも感謝しています。

さて、今年は丑(うし)年です。年賀状には【「牛も千里、馬も千里」という諺があります。早くても遅くても、上手でも下手でも行き着く結果は同じだから慌てるなという意味です。2021年、慌てず、コロナ禍から必ず平穏な日常に戻れる日が来ることを待ち望んでいます。と書き添えていました。

昨年末、「迷走するGoTo」「コロナ禍の2020年末」という記事を投稿していました。新型コロナウイルス感染症によって、これまで経験したことがなかった日常を強いられています。年頭の記事でも避けることのできない話題として取り上げなければなりません。

12月27日、立憲民主党の羽田雄一郎参院幹事長が53歳という若さで急逝されたニュースに接しました。死因は新型コロナウイルス感染症でした。24日深夜に発熱し、そのわずか3日後に容態が急変し、お亡くなりになっています。大晦日、東京では新規感染者数が1,300人を超えています。

新型コロナウイルス感染症によって亡くなられた方々に衷心よりお悔やみ申し上げます。また、この瞬間に感染症と闘われている方々のご回復をお祈りしながら、ともに闘われている医療従事者の皆さんのご努力に心から感謝申し上げます。

これ以上、医療従事者の皆さんの負担を増やさないためにも、感染しない、感染させないという一人一人の心構えが重要です。「自分は大丈夫」という過信は禁物であることを改めて心に刻まなければなりません。

感染者がいなければ密閉されていても、密集、密接していても、新型コロナウイルスに移されることはありません。マスクをせず、大声で語り合っても問題ありません。消毒も不要です。しかし、無症状の感染者が一人でもいた場合、たいへんな事態になります。

マスクの着用や三密などの感染症対策は自分自身の予防という側面もありますが、人に移さないための守るべきマナーという側面が濃くなっています。ワクチンや特効薬が普及し、集団免疫が確認できるまで、もしかしたら感染しているかも知れないという意識のもとに行動していく必要があります。

2か月前の記事「グローバルな話題に一言二言」の中で「人類の誕生とともに感染症との闘いの歴史が始まっています」と記していました。ウイルスに完全敗北を喫することはなく、これまで感染症との闘いから人類は立ち直ってきています。世界中で5億人以上が感染した 「スペイン風邪」は1918年から流行し、翌年に終息しています。

年賀状に一言添えたとおりコロナ禍から必ず平穏な日常に戻れる日が来るはずです。その日が早く訪れることを切望していますが、慌てないことも肝要です。すぐに終息しないことを覚悟し、長丁場の闘いとして持続可能な対策を心がけていくことが欠かせないのだろうと考えています。

各種世論調査で緊急事態宣言の再発令を求める声が半数を超えているようです。『コロナ論』の中で訴えている小林よしのりさんの「経済のほうが命より重い」という言葉は肯定できませんが、私自身、再度の緊急事態宣言は可能な限り避けられればと考えています。

人と人との接触機会を減らせば感染する機会が減るため、緊急事態宣言が感染拡大を防ぐ手段として有効であることは確かです。一方で、欧米の現状と日本の違い、ファクターXがあることも間違いないようです。そのため、新型コロナ対策の成功国としての台湾を心強い手本にすべきものと考えていました。

ただパンデミックの終息が宣言されるまでGoToというアクセルは「慌てすぎ」だったものと思っています。アクセルは踏まず、車を止めないけれども、ゆっくり走行していく「エンジンブレーキ」という発想が望ましかったのではないでしょうか。

残念ながら感染者が日々拡大している日本の現状において、台湾を手本にできるような局面ではないのかも知れません。それでも間に合うのであれば経済や財政に大きな負荷をかける緊急事態宣言というブレーキは避け、アクセルは踏まないまま車を止めず、平穏な日常に戻れる日が来ることを待ち望んでいます。

そして、いかに犠牲者を少なくするかが最も大事なことです。そのためにも医療崩壊は防がなければならず、前述したような個々人の心構えの大切さとともに財政的な支援を集中すべき領域だと言えます。それこそ政治の出番ですが、第2波の後、第3波に備えた医療資源に対する支援策は手薄だったように感じていました。

2021年、昨年開催されるはずだった東京オリンピックとパラリンピックが予定されています。コロナ禍から平穏な日常が戻り、世界中が歓喜に沸く夏になることを願っています。その一方で、専門家が「五輪は無理」と見通した場合、早めに決断することも賢明なことだろうと思っています。

新年早々の記事が新型コロナウイルスの話のみで終わることになります。今年も当ブログは実生活に過度な負担をかけないよう留意しながら週に1回、引き続き土曜か日曜に更新していきます。その際、意外な話題を取り上げる時もあろうかと思います。ぜひ、これからもご注目いただければ幸いです。

最後に、いつもお正月のみ少し変則な日程となっています。次回は来週末に更新する予定です。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

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