憲法論議に願うこと
前回の記事は「『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて」でした。日本国憲法がGHQから押し付けられたことは確かであり、改めて制定過程の内幕を詳しく知る機会となっていました。このような経緯に強い問題意識を持たれている方々にとって改憲そのものが目的化されがちなことの理解も深まっています。
その上で私自身、小説の最後のほうで登場人物の一人が語った言葉と同じような思いを抱いています。登場人物の名前は白洲次郎さんです。吉田茂元総理の側近で、主人公の内閣法制局の佐藤達夫さんとともにGHQとの難しい折衝役を務めた方です。その言葉を改めて紹介します。
あの憲法は、押し付け以外の何ものでもない。だがね、あの憲法は筋道が通ったものだとは思う。いまの憲法を改正するにしても、あのまま守っていくにしてもだ、日本人はしっかりとした、筋の通った物の考え方をして、地に足のついた国家観のようなものを定めなければならないはずだ。それが、本当の『ゴー・ホーム・クイックリー 』への道じゃないかな。
きっと著者の中路啓太さんも小説を通して最も訴えたかった点だったのではないでしょうか。確かに「戦勝国」それぞれの思惑が絡みながら誕生した憲法なのかも知れません。しかしながら「国際社会は、こうありたい」という理想を託した憲法であることも間違いないはずです。
1945年6月26日に採択された国連憲章の前文も日本国憲法と同様に「二度と戦争は起こさない」という誓いがにじみ出ています。したがって、決して絵空事を並べたのではなく、このような国際的な潮流のもとに日本国憲法は生み出されたものと理解しています。白洲さんの「筋道が通ったもの」という言葉はこのような点を指していたはずです。
「憲法を改正するにしても、あのまま守っていくにしてもだ、日本人はしっかりとした、筋の通った物の考え方をして、地に足のついた国家観のようなものを定めなければならないはずだ」という白洲さんの言葉、まさしく「憲法9条の論点について」の最後に記した「国民一人一人の共通理解と覚悟のもとに日本の進むべき道が決められる国民投票であることを願っています」という思いにつながっています。
憲法論議の中心は9条が焦点化されます。これまで当ブログを通して提起してきた9条に対する私自身の問題意識を改めて書き進めてみます。大前提として護憲派は平和主義者で、改憲派は戦争を肯定しているというような短絡的な二項対立の構図を問題視しています。
戦争を防ぐため、平和を築くためにどのような憲法や安全保障のあり方が望ましいのか、その方策として改憲すべきなのかどうかという論点を重視しています。仮に憲法9条を改め、いざという時に国際社会の中で認められた「普通に戦争ができる国」に近付けることで、より望ましい平和が築けるのであれば改憲の動きを積極的に支持したいものと考えています。
しかしながら軍事的な抑止力、いわわる「狭義の国防」やハードパワーを強める方向性よりも、外交関係や経済交流を活発化させるソフトパワーを強める道こそ、より望ましい選択肢だと考えています。攻められたら反撃しても、攻められない限り戦争はしないという専守防衛の原則こそ「安心供与」という「広義の国防」につながっているものと理解しています。
かつて仮想敵国だったソ連、現在のロシアとは友好的な関係を築いています。北方領土の問題は無人島である尖閣諸島とは比べられないほどの主権や元島民の皆さんの強い思いがありながらも、対話を土台にした外交関係を築いています。その結果、ロシアの核ミサイルの射程範囲に日本も入っているはずですが、北朝鮮に対するような脅威が煽られることはありません。
Jアラートが頻繁に鳴らされていましたが、2018年6月の米朝首脳会談の後、北朝鮮からのミサイルに対する警戒度は以前と比べれば下がっています。75年前まで戦争していたアメリカとは現在「同盟関係」と呼ばれるようになっています。尖閣諸島の問題を抱えていますが、中国とも外交交渉を重ねられる関係性を築いています。
防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まると説いています。北朝鮮情勢が緊迫化していた最中、日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ために米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが重要だったと語っていました。
5兆円を超えている防衛予算は年々増加しています。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入費用は2基で総額6千億円以上とという試算が示されていました。今年6月15日、河野太郎防衛相(当時)は秋田県と山口県内が候補地だった「イージス・アショア」基地建設計画の停止を発表しました。「コスト、期間を考えれば合理的でない」という理由を説明していました。
それはそれで妥当な判断だったのだろうと思っています。しかし、計画を断念した後、安倍総理(当時)は代替措置として「敵基地攻撃能力を含む安全保障戦略の見直し」方針に言及していました。このあたりが非常に残念なことです。専守防衛を基軸にした憲法9条の理念を軽視した発想だと言わざるを得ません。
NHKのサイト「なぜ、いま、『敵基地攻撃能力』なのか」で、敵基地攻撃能力とは弾道ミサイルの発射基地など敵の基地を直接攻撃できる能力と説明しています。あくまでも敵が攻撃に着手した後に反撃するもので、攻撃がないにも関わらず、敵基地を攻撃する先制攻撃は含まれないと補足しています。
1956年、当時の鳩山一郎内閣は、国会で、「例えば、敵基地から誘導弾による攻撃が行われた場合、座して死を待つべしというのは自衛権の本質として考えられない」として「ほかに適当な手段がないと認められる場合に限り」、「自衛権の範囲に含まれる」として憲法上、許されると説明し(昭和31年2月29日衆・内閣委)、歴代の内閣は、この見解を維持しています。
ただ、政府は、実際には、自衛権の行使として敵基地攻撃を行うことは想定していないと説明してきました。安倍総理大臣も、去年5月、衆議院本会議で、「敵基地攻撃能力を目的とした装備体系を整備することは考えていない。日米の役割分担の中で、アメリカの打撃力に依存しており、今後とも日米間の基本的な役割分担を変更することは考えていない」と答弁しています。(2019年5月16日 衆議院本会議)
上記もNHKのサイトからの引用ですが、法理上は自衛権の範囲として許容されても、敵基地攻撃を行う能力は持たないという見解を歴代内閣が維持してきたことになります。このような経緯がある中、「イージス・アショア」計画の停止を決めたタイミングで敵基地攻撃能力という言葉が浮上することに違和感を強めていました。
8月4日に自民党は「イージス・アショア」の代替機能の早急な検討を行うよう求めた上、専守防衛の方針のもと「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力」、いわゆる敵基地攻撃能力の保有も含めた抑止力の向上が必要とする提言を安倍総理に手渡していました。
その日の記者会見で河野防衛相は、記者から敵基地攻撃能力保有の検討を政府に求める自民党の提言について「周辺国、中国や韓国の理解を得られる状況ではないのでは」と問われ、「中国がミサイルを増強していく時に、なんでその了解がいるんですか」などと気色ばむ一幕がありました。
これまで政府は安全保障政策の転換期に「各国の疑問に対して丁寧に答え、誤解を解くなど透明性を持って説明していく」(安保法制審議時の安倍総理)などと周辺国の理解をできる限り得ようという姿勢を示してきました。河野防衛相は記者の質問の「周辺国の理解」を「周辺国の了解」と捉えたようですが、それまでの政府の姿勢と一線を画した対応でした。
河野防衛相の答えが真っ当であり、質問した記者のほうを非難する声も多く耳にしています。ただ私自身は日本国憲法の「特別さ」に対する思慮が河野防衛相に不足しているように感じた場面でした。さらに河野防衛相は「安心供与」という「広義の国防」について、あまり重視されていないのだろうと推測しています。
第2次世界大戦後、「ひとつのヨーロッパ」「共通の安全保障」をめざす動きが1993年11月のEU(欧州連合)の創設につながっています。「かつて戦い合っていた国々をまとめることにより、持続的な平和を築いてきました」という言葉がEUの共通安全保障・防衛政策(CSDP)を紹介するサイトのトップに掲げられています。
20世紀後半における軍拡競争の際、コストとその効果からの財政上の難しさを合理的に判断する理性的なリーダーが現れていました。米ソそれぞれ「自国の領土の大半が相手国の攻撃ミサイルに対して無防備であり、相手国を第一撃で破壊しても、相手国からの報復攻撃で壊滅させられる」という現実を認識し、様々な核軍縮条約が結ばれていきました。
EUや軍縮条約は理想のゴールまで、まだたどり着けず、道半ばという現状なのかも知れません。国連に関しても改善すべき点があろうかと思います。それでも「敵を持たない安全保障」をめざす道こそ、国民にとって最も望ましい平和で豊かな社会を保障できる選択肢なのだろうと考えています。
「グローバルな話題に一言二言」の中で触れたとおり地球温暖化や感染症対策など自国中心主義では解決できない地球規模の問題に直面しています。だからこそ今、よりいっそう国際的な連帯が強く求められているはずです。そのような時、仮想敵国を刺激するハードパワーの強化よりも、対話できる環境を重視したソフトパワーを強めて欲しいものと願っています。
いつものことですが、たいへん長い記事になって恐縮です。最後に、もし改憲するのかどうかを問うのであれば日本国憲法の「特別さ」が明確な論点になることを望んでいます。そして、「特別さ」の効用や意義を分かりやすく伝えるため、これからも当ブログを通して説得力のある言葉を探し続けていければと考えています。
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コメント
日本の防衛は米軍が「矛」自衛隊が「盾」の二本の柱だが、周辺国はこの「矛」を重視しており、ここを何とかしないと、いくらソフトパワーを強めても説得力がないでしょう。
日本のために「自国の若者の血を流す」と約束したアメリカと、「その代わりに基地を提供する」という関係を破棄しない限り、しょせん対米従属国という世界の見方は変わりません。
投稿: yamamoto | 2020年12月 1日 (火) 10時21分
yamamotoさん、コメントありがとうございました。
ご指摘のような論点について、国民が的確に理解し、どのような憲法のあり方、すなわち安全保障のあり方が望ましいのか、覚悟のもとに一票を投じられる国民投票であって欲しいものと願っています。
私自身、自衛隊員はもちろん、アメリカの若者の血も流させない、そのことを実現できる「広義の国防」に力を注ぐことが過去の歴史から学ぶべき教訓だろうとも考えています。
新規記事も戦争と平和について考える題材を予定しています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、貴重なご意見のコメントをお寄せくださるようお願いします。
投稿: OTSU | 2020年12月 5日 (土) 09時15分