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2020年11月22日 (日)

『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて

前回記事「当面する労使課題について」の冒頭で、その時々で取り上げる話題の落差が大きいブログであることを記していました。やはり今回、マイナーでローカルな話題から一転します。金曜日に今国会では初となる憲法審査会が衆院で開かれました。継続審議となっている国民投票法改正案を巡って各党の主張が交わされています。

憲法改正の問題について今年8月に投稿した記事「憲法9条の論点について」を通して私自身の問題意識を綴っていました。「安保関連法が成立する前、個別的自衛権や自衛隊の位置付けを明記するための改憲発議であれば反対する声も少なかったかも知れません」という見方を示した上、その記事の最後に次のように記していました。

いずれにしても憲法9条に沿って日本の安全保障はどのようなあり方が望ましいのか明確な姿を提示した上で、憲法の文言を変える必要性があるのかどうか、まぎれのない選択肢の設定が重要です。改正条項の96条があるのですから、いつかは国民投票を実施する時が訪れるはずです。その際は、国民一人一人の共通理解と覚悟のもとに日本の進むべき道が決められる国民投票であることを願っています。

つまり「護憲ありき」「改憲ありき」ではなく、どのような憲法のあり方が望ましいのか、中味を重視した論議が高まることを期待しています。ただ最近、中路啓太さんの著書『ゴー・ホーム・クイックリー』を読み終えて、「改憲ありき」の方々の思いに対する理解も進んでいました。

中路さんは『ロンドン狂瀾』の著者でもあり、以前「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」という記事を投稿しています。その書籍を通し、広義の国防と狭義の国防という言葉を知り、第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まっていたことを伝えていました。

1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことも知り、軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚いていました。

終戦後の昭和21年2月、内閣法制局の佐藤達夫は突然、憲法問題担当大臣に呼び出された。新憲法の日本政府案をGHQが拒否し、英語の草案を押し付けてきたという。その邦訳やGHQとの折衝を命じられた彼は、白洲次郎らと不眠不休で任務に当たる――。 現憲法の成立までを綿密に描く、熱き人間ドラマ。今こそ読むべき「日本国憲法」誕生の物語。

上記は『ゴー・ホーム・クイックリー』の紹介文です。今年9月に文庫本化され、立ち寄った書店に平積みされていました。『ロンドン狂瀾』の著者だったため、すぐレジに運んでいました。数週間前に読み終えていましたが、機会を見て当ブログで取り上げてみようと考えていました。

著書名の由来は次のような場面で伝えられています。わずか2週間という期限でGHQ案の翻訳にあたった内閣法制局の官僚である主人公は吉田茂外相と話す機会を得た時、法律の条文から逸脱した英語の草案の問題点をまくし立てました。それを聞いた吉田外相は次のように主人公に語ります。

GHQは何の略だか知ってるかね? ゴー・ホーム・クイックリーだ。「さっさと帰れ」だよ。総司令部側が満足する憲法を早急に作っちまおうじゃないか。彼らにはさっさとアメリカに帰ってもらう。じっくりと時間をかけて良き国の体制を整えるのは、独立を回復してからだ。

小説という形を取っていますが、当時の関係者の手記・回想録、各種会議の議事録、公文書、新聞記事、研究書やルポルタージュ類など多くの文献を参考にしたことを中路さんは書き添えています。したがって、重要な場面はほぼ史実に沿って描かれているものと受けとめています。

『ロンドン狂瀾』の時と同様、初めて目にした言葉や知らなかった史実に触れることができた書籍でした。知っていたつもりの史実に対する理解が深まる機会でもあり、これまでの認識とは異なる史実にも触れています。場合によって事実関係や解釈が異なる事例もあるのかも知れませんが、特に印象深かった内容の数々を紹介させていただきます。

終戦直後、GHQはポツダム宣言の降伏条件にしたがって、日本政府に「民主化」を求めていました。しかしながら1945年10月に成立した幣原喜重郎内閣は、1889年2月に公布されてから一度も改正されていない大日本帝国憲法に手を加えることに積極的ではありませんでした。

民主化にあたって憲法改正は必要なのか、必要であるとすればどの範囲であるのか、そのような視点からの有識者による憲法問題調査委員会を設置していました。名称を改正委員会としなかったことは目的が憲法改正そのものでなかった証しでした。

それに対し、GHQ側からは「象徴天皇」制や「戦争放棄」などを柱とした新憲法の草案が日本政府に示されます。国際法上、占領している国の憲法を強制的に変えることはできないため、草案を受け入れるかどうかは日本側の自由であることを伝えながらもGHQのホイットニー民生局長は次のような言葉を付け加えます。

アメリカ以外の連合国のあいだで、天皇を戦犯容疑者として法廷に立たせるべきだという圧力が次第に強くなりつつあります。このような圧力から、最高司令官は天皇を守ろうという固い決意を持っておられます。最高司令官はこれまでも、天皇を守ってまいりましたが、彼も万能ではありません。けれども最高司令官は、この新しい憲法の諸規定が受け入れられるならば、天皇の身は安泰であろうと考えています。

1946年2月21日、幣原首相とマッカーサー司令官が総司令部で通訳を交えずに会談します。日本を占領管理するために11か国の代表で構成される極東委員会での討議内容をマッカーサー司令官は幣原首相に伝えます。

ソ連とオートラリアは、日本が復讐戦をはじめるのを恐れ、それを極力防止しようと努めています。だから、憲法で戦争の放棄を規定しなければならないのです。日本が戦争を放棄すれば、ソ連やオーストラリアは日本の改憲に強く介入し、別の憲法案を押し付ける必要を感じないでしょう。しかも、戦争を放棄すると声明すれば、日本は道徳的なリーダーシップを握ることになりましょう。

翌日の閣議で揉めに揉めた末、GHQ案受諾を決めます。主眼は日本を二度とアメリカに反抗できない国に作り替えることであり、「民主化」という美名はそのための口実に過ぎない、このような認識を日本政府は抱いていました。幣原首相もその一人だったようです。

後年、「戦争放棄」を謳った憲法9条の発案者は幣原首相だったという説が唱えられています。その一番の根拠はマッカーサー司令官の回顧録の記述でした。この小説では幣原首相が「戦争放棄」に疑念をはさんでいたことを伝えています。

マッカーサー司令官は日本占領の成功を足がかりに大統領選に出馬したいという野望を抱いていたことが記されていました。アメリカ本国で「日本を再軍備させ、共産主義陣営の防波堤にしよう」という議論が高まった時、自分の名声に傷がつかないように「戦争放棄」の発案者を幣原首相にしたのだろうとも書かれていました。

「象徴天皇」と「戦争放棄」、それさえ盛り込めば交渉の余地がない訳ではなく、日本政府はGHQ案を基本としながらも日本側の意向を取り入れたものを起案する努力を重ねていきます。まず新しい憲法が帝国憲法の改正手続きに沿った正当な法的根拠を持つものとして、憲法改正草案要綱の発表と同時に天皇の勅語も発表します。

帝国憲法は欽定憲法の体裁を取っていたため、国民の意思によって新たな憲法を定めることを、天皇自身が望み、奨励するという勅語を出したことが綴られていました。発表された要綱がそれまで政府案として伝えられたきた内容とあまりにも違っていたため、国民は驚き、戸惑いましたが、概ね好感を持たれていたことを伝えています。

「日本政府とGHQとの言葉を巡る、息詰まる攻防」という宣伝文句のとおり小説としても非常に面白く、実務を担った一人の官僚に大きな責任を負わされていた場面の数々に驚きました。一院制を二院制に変えたこと、天皇機関説の話、「シビリアン」を巡る解釈論議など興味深い内容が数多く綴られていました。

幣原首相が「戦争放棄」の発案者ではなかったという話の他にも、これまでの認識とは異なる史実が記されていました。衆院の帝国憲法改正案小委員会で、憲法9条の草案にはなかった「前項の目的を達するため」という一文を加えました。小委員会の芦田均委員長によって修正が加えられたため「芦田修正」と呼ばれています。

この一文が入ったことで憲法9条は自衛権行使以外の武力行使を禁じているのであって、自衛のための「必要最小限度の実力」を保有することは憲法9条に違反しないという見方につながっていきます。小説では当時、芦田委員長自身、その一文の持つ意味に気付いていなかったことが書かれています。

小委員会の中で芦田委員長は「日本が積極的かつ徹底的に丸裸になる条文を作り上げようとしていた。しかもそれが、日本人の自発的な態度から生じたことを論旨明快にあらわすべく苦心していた」と記されていました。後に「自分が入れたのだ」と芦田委員長自らの功績として述懐していたことを不思議がる記述もありました。

解説の中で「著者は決して一方に肩入れしたアジテーションにならぬよう、徹底して冷静な筆致で紡いでいる」と評されています。私自身の立場は冒頭で示したとおりであり、この小説を読んだことで考え方が大きく変わった訳ではありません。多くの国民から半世紀以上支持されてきた憲法9条の理念や効用などを引き続き評価しています。

もともと制定過程の経緯を理解しながらもGHQに押し付けられたというネガティブな気持ちを抱いていません。その上で改憲を強く主張されている方々の問題意識につながる事実関係の詳細を改めて理解できる機会だったものと思っています。最後に、現在の私たち日本人が問われている言葉、小説の最後のほうで登場人物の一人が語った言葉を紹介します。

あの憲法は、押し付け以外の何ものでもない。だがね、あの憲法は筋道が通ったものだとは思う。いまの憲法を改正するにしても、あのまま守っていくにしてもだ、日本人はしっかりとした、筋の通った物の考え方をして、地に足のついた国家観のようなものを定めなければならないはずだ。それが、本当の『ゴー・ホーム・クイックリー 』への道じゃないかな。

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