会社の妖精さん
最近、会社の妖精さんという言葉を耳にしています。昨年11月11日の朝日新聞に『会社にすがる「働かないおじさん」もう逃げ切れない?』という見出しの記事が掲げられました。年明け1月19日には『働かない「妖精さん」どう思う 様々な世代から届いた声』という記事も掲載されています。
年を取っても働き続ける――日本はそんな社会に近づいています。一方で、産業構造の変化などから、企業でベテラン社員が築いてきたスキルと業務がかみ合わず、やる気を失っている現実もあります。こうした「働かない」中高年を「妖精さん」と名付けた若手社員の記事を掲載したところ、様々な反響を呼びました。この現象をどう考えたらいいのでしょうか。
1月19日の朝日新聞の記事は前々回記事「雇用継続の課題」のコメント欄で「朝日新聞のマンガチックなモデル図が、年功賃金の問題点をわかりやすく表してますね。法令で決まってるとはいえ、残業単価20代前半1500円、40代前半3000円の非合理性をどう捉えるかです」という問題意識が添えられながらyamamotoさんからも紹介されていました。
ブックマークして毎日閲覧している「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」で取り上げられていたため、昨年11月には会社の妖精さんという言葉を知っていました。労働政策研究・研修機構労働政策研究所長の濱口桂一郎さんのブログで1月19日には『(フォーラム)「妖精さん」どう思う?@朝日新聞』という記事も投稿されています。
確かに年功賃金によって、貢献度に比べて報酬が高過ぎる中高年社員が生まれやすい状況はある。でも「既得権にしがみつき、けしからん」と、世代間の対立をあおるのは非生産的です。
中高年の中には、そうして高い処遇を受ける「得な人」も、リストラされ再就職もままならない「損な人」もいる。若者の間にも新卒で正社員になれた「得な人」もいれば、非正規の仕事しかない「損な人」もいる。日本は「得」と「損」の差が大きいことが問題なのです。
日本は年功序列や終身雇用を前提とした「メンバーシップ型社会」として発展してきました。1922年、呉海軍工廠の技術将校が、年齢と家族数で賃金を決める生活給を提唱したのが出発点とされています。これが戦後、「電産型賃金体系」として確立しました。
一方、欧米は「ジョブ型社会」。まず職務があり、それをこなせる人をその都度採用する。仕事がなくなれば整理解雇されます。私が提案するのは「ジョブ型正社員」。これまでの正社員のようにムチャクチャに働かされることなく、職務や職場、労働時間が「限定」された「無期雇用」の労働者です。
欧米の普通の労働者と同じです。職務がある限りは解雇されません。非正規社員のように、たとえ職務があっても雇用契約の更新が保証されず、常に雇い止めのプレッシャーにさらされることはなくなります。更新拒否を恐れてパワハラ、セクハラ被害に泣き寝入りすることもありません。
ただし、仕事がなくなれば整理解雇されるという点で、これまでの「正社員」とは違います。「60歳定年で非正規化し、70歳まで継続雇用」という、これまでの延長線上の対応では難しい。60歳の前後で働き方が途切れないよう一部のエリートを除き、40歳ごろからジョブ型正社員として専門性を高めるキャリア軌道に移しておくのです。
日本の大卒が「社長を目指せ」とエリートの期待を背負って必死に働かされ、モチベーションを維持できるのは、30代くらいまででしょう。それ以降は出世にしばられない「ホワイトなノンエリートの働き方」を考えた方が幸せでしょう。
欧州では公的な制度が支えている子育てや教育費、住宅費などは、日本では年功賃金でまかなわれています。ジョブ型正社員の普及を目指すなら、社会保障制度の強化が必要です。雇用の改革に向けて、社会保障を含めた「システム全とっかえ」の議論を、慎重かつ大胆に行うべきでしょう。
11月13日の記事『「働かないおじさん」視線 おびえる記者が専門家に聞く@朝日新聞デジタル』で濱口さんは端的に「年功で賃金が上がっていく日本の制度だと、中高年になれば貢献よりも報酬が高すぎる状況が生まれやすい。でも、勘違いしないでください。私は『若者に比べて、日本の中高年サラリーマンは既得権にしがみつき、いい目を見ているからけしからん』と言っているわけではありません。世代間の対立や分断をあおる言説は非生産的です」と答えています。
会社の妖精さんという言葉が生まれる相当前から今回のような問題は論点化されがちでした。このブログでも「定期昇給の話」という記事を投稿し、多くの方々からコメントも寄せられていました。その時の記事に綴った内容の一部を紹介させていただきます。
かなり前の記事「八代尚宏教授の発言 Part2」で、八代教授の著書「雇用改革の時代」の中の記述を紹介したことがあります。日本的雇用慣行の柱である定期昇給などについて、「企業が労働者の長期雇用を保障するのは温情ではなく、企業の教育訓練投資の成果である熟練労働者を重視したものであり、年功賃金と退職金制度は熟練労働者を企業に縛りつける仕組みである」と述べていました。
労働組合の立場からは、生活給という位置付けで定期昇給をとらえ、子どもの教育費など人生の支出が増える時期に比例して賃金が上がる年功給を合理的なものだと考えていました。スキルアップと生活の変化に対応しながら、働く側にとっては安心して将来の生活設計を描け、経営側にとっては帰属意識の高い人材の安定的な確保や企業内教育を通じた労働生産性の向上がはかれ、双方のメリットがこのような仕組みを支えてきました。
定期昇給とは先輩に追いつくための個人別賃金の上昇であり、賃金表において上位の水準への移動となります。つまり勤続年数や年齢を重ねることによって、その賃金表に基づき一定の額が定期的に上がる仕組みでした。基本的には官民問わず、定期昇給は日本特有の終身雇用制度を支える基礎だったことに間違いありません。このような記述の後、次の内容につなげていました。
しかしながら1990年代以降、年功序列的な賃金体系を見直す動きが相次ぎ、定期昇給自体を廃止する大手企業も少なくありませんでした。企業が熾烈な国際的な競争に勝ち抜くため、人件費抑制の一環として年功給が見直され始めたと言えます。さらに成果主義の広がりとともに日本型の雇用慣行を大きく改める企業も急増していました。なお、今春闘で連合は、年功給を改めて重視していく立場からも定期昇給の実施を強く求めているようです。
2010年3月7日に投稿した記事でしたが、連合に属する労働組合の一部で変化が見られるようになっています。年功給の重視どころか労働組合側が「勤続年数や年齢ではなく、それぞれの意欲や能力発揮の状況をより重視する方向」を推奨している話を耳にしています。
昨年11月に投稿した記事「トヨタの労使交渉」の中で、同じ職場の組合員から「トヨタの労使交渉が面白いですよ。労使の立場が逆になっています」と声をかけられていたため、日経ビジネスの特集『トヨタ前代未聞の労使交渉、「変われない社員」への警告』を紹介していました。
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コメント
定年でいったんリセットし、希望者を対象に新たな雇用契約を結ぶのが再雇用制度ですね。
再雇用の賃金が自らの能力と比べて安いと思うなら、ほかで職を探せばいいでしょう。
投稿: yamamoto | 2020年2月20日 (木) 08時52分
yamamotoさん、コメントありがとうございました。
ご指摘のとおりです。あくまでも「ジョブ型」ではないという一例として、先輩職員がそのように思ったという話を紹介しています。私自身、職務に対して常にベストを尽くしていくつもりです。
投稿: OTSU | 2020年2月22日 (土) 06時40分