桜を見る会、いろいろ思うこと Part2
少し前の記事「メディアリテラシーの大切さ」の冒頭で今年3月にココログのシステムが全面リニューアルしたことを伝えていました。リニューアル後、投稿したコメントが即時に反映されないなど、いくつか不具合が続いていることを記していました。そのような不具合も最近、ようやく修復されたようです。
このブログのコメント欄は制約の少ない場としています。承認制となっているような誤解を与えがちだったため、リニューアル前と同様、投稿されたコメントが即時に反映される仕組みに戻り、安堵しています。批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを重視しているため、これからも寄せられたコメントはそのまま受けとめ、そこに投稿された思いをくみ取っていければと考えています。
一方で、実生活に過度な負担をかけず、このブログを長く続ける方策としてコメント欄も含めて平日の投稿は見合わせています。前回記事「桜を見る会、いろいろ思うこと」に対し、いくつかコメントをお寄せいただいていました。私自身のレスは週末と遅くなる中、 Alberichさんから私がお答えすべきことを適宜コメントいただき、たいへん感謝しています。
土曜夜に投稿したコメントで「私からも補足すべき点などについて、この週末に投稿する新規記事の中でまとめてみるつもりです」と一言添えていましたので、今週末の新規記事は「桜を見る会、いろいろ思うこと Part2」として書き進めていきます。私自身の問題意識は前回記事に託したとおりですが、寄せられた問いかけにお答えすることで的確に伝え切れなかった論点を補足させていただきます。
まず転勤中のT市民さんからの問いかけですが、前回記事を改めてお読みいただければお分かりのとおり桜を見る会に参加した方々を批判していません。その会の位置付けの問題性に疑問を持った方が政治家をはじめ、ほぼ皆無に近かったことの残念な経緯を感じていますが、参加された方がどなたであろうとも非難する考えはありません。
続いてyamamotoさんから 「限りなくクロでありながら」という言葉の意味のお尋ねがありました。直前に記した限りなく「クロ」に近付いた時という言葉のつながりから、そのような言葉を使ってしまいました。すでにAlberichさんから解説いただいたとおり「クロ」かどうか現段階では確定していないことを前提にした仮定形の文脈で記したつもりです。
「クロ」よりも「クロ」、真っ黒という意味合いで理解され、安倍首相の法違反を断定しているような言葉だととらえられてしまったとすれば申し訳ありません。より慎重に「仮にクロでありながら」という言葉を使えば良かったのかも知れません。不特定多数の方々に発信しているブログですので言葉の使い方に注意を払ってきているつもりでしたが、今後、よりいっそう注意していきます。
おこさんからは次のような問いかけがありました。民主党については「自主返納」で済む話のように考えておられるようなので、与党に対する責任追及もせいぜい「自主返納」が上限とお考えなのでしょう(でないと相手には厳しい一方で身内には甘いということになる)。その程度の問題なら他に議論すべき問題は山ほどあるように思うのですが、という問いかけでした。
桜を見る会に支援者を招待したことの問題性を指摘するのであれば民主党政権時代の顛末も検証し、真摯に総括すべきだろうと思っています。過去のことで民主党自体が存在していない、安倍首相の招待客数に比べれば規模が小さい、そのような言い分は正直なところ説得力を欠きがちです。
総括した結果、問題点が認められた場合は責任の所在を明らかにした上、招待客数分の経費を個々の国会議員が自主返納するような対応も検討すべきではないでしょうか。このような対応を同時に進めることで安倍首相に対する追及の迫力が増すはずであり、国民の多数から支持を得られていくように考えています。
前回記事では上記のような私自身の問題意識を示していました。野党側が安倍首相を追及するのであれば、民主党政権時代の桜を見る会のことを棚上げできないという問題意識です。その上で自主返納が上限なのかどうかは断定していません。しっかり総括し、問題点が認められた場合は責任の所在を明らかにすべきという点を主眼としています。
公職選挙法や政治資金規正法の疑いから閣僚の辞任が相次いでいます。個々の事例によって責任の処し方の軽重も問われていくのかも知れませんが、同様なケースで閣僚は辞任に相当しても総理大臣であれば許される、そのような関係性では問題だろうと考えています。
問題点を検証した結果、仮に辞任に相当する責任の処し方が必要とされる場合、鳩山元首相は公職から離れています。そのため、鳩山元首相を筆頭に支援者を招待した政治家は、せめて自主返納という責任の処し方を提起しながら追及すべきではないかという問題意識でした。
もし自主返納という責任の処し方が妥当だと判断された場合、それこそ招待客数に比例したケジメの付け方もあり得るのだろうとも考えています。いずれにしても第2次安倍政権以降、桜を見る会の参加者数が年々増えていたことは確かに問題ですが、選挙区の支援者を招待したことが法的な論点とされる場合は数を問わずに総括すべきものと思っています。
他に議論すべき問題は山ほどあるように思うのですが、という問いかけについては前回記事の中で記した「確かに優先順位の高い重要な課題の議論が疎かになるようでは問題ですが、行政府の最高責任者が定められたルールを守れているかどうかという問題を曖昧にすることはできません」という問題意識に変わりありません。
桜を見る会やその前夜祭の問題に対し、普段から安倍首相を支持されている方々との温度差が目立ちがちです。当たり前なことですが、安倍首相自身が最も「他に議論すべき問題は山ほどある」という認識を強め、とにかく幕引きを急がれているようです。しかしながら今回の問題が取り沙汰された後、たいへん残念な既視感のある場面を見聞きしています。
安倍首相は11月8日の参院予算委員会で「招待者の取りまとめ等には関与していない」と答弁していました。それが20日の参院本会議では「内閣官房や内閣府が行なう最終的な取りまとめプロセスには一切関与してない」と言い回しを軌道修正し、ご自身の事務所から相談を受ければ推薦者について意見を述べていたことを認めています。
内閣府は、安倍晋三首相が主催した今年4月の「桜を見る会」の招待客名簿を、野党議員が国会で関連質問をするために資料提供を求めた5月9日に、廃棄したことを明らかにした。野党側は、政府が会に関する詳しい説明を避けるため、意図的に捨てた可能性を指摘している。資料請求したのは、共産党の宮本徹衆院議員。宮本氏は5月9日に「委員会質問を念頭に置いた勉強用資料」として、内閣府などに桜を見る会の参加人数や選考基準、費用などに関する資料を要求した。
宮本氏は5月に国会でこの問題を追及し、内閣府は名簿などの関連資料を「破棄した」と説明。今月14日の野党会合で、5月9日に招待客名簿を廃棄したと明かした。内閣府は今月18日の野党会合では、招待客名簿の電子データを消去した時期を「把握できない」と話した。一方、招待客名簿を作成する基となる推薦人名簿のうち、内閣府分を一部保管していることを認めた。
内閣府は、招待客名簿の保存期間を「1年未満」と定めた経緯を巡っても、有識者から整合性を問われている。今月13日の野党会合では、1年未満にした時期を2018年4月からと説明。野党側にその根拠を問われると、今年10月28日に改定された規則を挙げた。行政文書の管理に詳しいNPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子理事長が、こうした矛盾を指摘している。【東京新聞2019年11月19日】
なぜ、名簿の廃棄が5月9日だったのかという質問に対しては「シュレッダーが空くまでに時間がかかった」と内閣府の担当者が説明しています。公文書の保存期間が「1年未満」という規定も釈然としませんが、廃棄したタイミングの理由がシュレッダーの順番を待ち、たまたまその日になったという説明に納得する人がいるのでしょうか。このような苦しい説明をしなければならない担当者も気の毒だと思っています。
もちろん安倍首相が政府関係者一人ひとりの言動を細かく指示している訳ではないことを承知しています。さらに国会での答弁や前夜祭の参加費の説明について安倍首相自身は真摯に対応しているつもりなのかも知れません。それでも違和感のある事案が目立ちすぎるため、桜を見る会の問題から「国民に対して正直であることが信頼できるトップリーダーの資質であって欲しいものと願っています」という政権全体に対する思いを強める機会につながっています。
ここまで前回記事に綴った言葉を赤字で改めて紹介しながら「Part2」をまとめてみました。桜を見る会そのものの問題性について、人によって評価が分かれていることを認識した上で綴らせていただいています。加えて、安倍首相一人の責任として批判することも筋違いな点もあろうかと思います。そもそも安倍首相のリーダーシップや自民党一強による「決められる政治」によって、より望ましい暮らしや社会に至っているとお考えの方も多いはずです。
そのような根強い評価があるからこそ、首相在職日数の歴代最長記録の更新につながっているものと受けとめています。ただ安倍首相を支持している、支持していないという立場性を超え、私自身も含め、個々の事案に対する問題点の有無を客観的に見定めていければと考えています。そのようなことを考えながら興味深い情報の一つとして、最後に『官邸官僚1強の礎 首相に忠誠、即断即決 安倍政権最長へ』という見出しが付けられた新聞記事を紹介させていただきます。
歴代最長となる長期政権を実現した安倍晋三首相の政権運営は、首相への忠誠心が厚い「官邸官僚」と呼ばれる側近たちの存在を抜きに語れない。彼らは菅義偉官房長官らとともに政局や世論に目を光らせ、政策立案から選挙戦略まであらゆる局面を主導。
その方針は「首相の意向」として発信され、迅速な意思決定につながっている。だが官邸官僚による側近政治は「異論封じ」や「忖度」といった弊害をもたらした。「桜を見る会」開催見送りのように、疑惑封じを狙って強引に幕引きを図る事例も後を絶たない。
既定路線と思われた政策に、官邸官僚が「待った」をかけた。1日に発表された大学入試の英語民間検定試験導入延期は、だれがどう安倍政権の意思決定を担っているのかを示す象徴的な出来事だった。
萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言が飛び出したのは10月24日だった。受験の公平性への疑念が一気に広がったとはいえ、民間試験導入は政府の教育再生実行会議が2013年に提言し、文科省が粛々と準備してきた政策。
首相官邸はそれまでほとんど関与していなかった。官邸官僚の動きは早かった。菅氏と歩調を合わせ、杉田和博官房副長官と今井尚哉首相補佐官が10月末、それぞれ個別に文科省幹部を呼び出した。文科省は「延期すれば民間試験の実施団体から損害賠償請求される」と抵抗した。
3氏は「制度は穴が多すぎる」と一喝した。発言はインターネットで現役高校生らに拡散していた。「安倍政権を支える若い世代の支持が一気に離れかねない」。事態を収束させるため、文科省から政策判断の主導権を奪った。文教族議員だけでなく、岸田文雄政調会長ら与党幹部への「根回し」もない即断即決。首相は側近たちからの実施延期の進言を受け入れた。内閣支持率は横ばいを維持した。
◆ ◆
「官邸官僚」は第2次安倍政権で生まれた言葉だ。出身省庁と縁を切り、首相への忠誠を誓った官邸スタッフを指す。ときに高圧的になる振る舞いへの皮肉も込められた呼び方で、政権内では結束力の強さと役割分担の絶妙さを自賛し「チーム安倍」と呼ぶことが多い。その中核を担うのが首相補佐官の今井氏。経済産業省出身で、第1次政権では首相秘書官だった。
第2次政権では筆頭格の政務秘書官に就き、9月から補佐官を兼務する。「1億総活躍社会」などのスローガン政治を発案した。真骨頂は16年5月、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)での働きだった。世界経済が「リーマン・ショック前夜に似ている」とする資料を用意。首相はこれを各国首脳に説明した。世界経済の危機を理由に、消費税増税の再延期を掲げて夏の参院選に挑む戦略を演出した。
外交・安全保障を担う国家安全保障局長の北村滋氏も重要な位置を占める。警察出身で、第1次政権では今井氏と同じく首相秘書官を務めた。第2次政権では内閣情報官を経て9月から現職。日朝首脳会談の実現に向け北朝鮮と水面下で接触しているとされ、その動きは外務省も知らされていない。官房副長官の杉田氏も警察出身だ。省庁の人事権を掌握し、官邸の力の源泉である内閣人事局の局長を兼務する。
◆ ◆
政局観を研ぎ澄まし、第1次政権の具体的な失敗例を挙げて「状況が似ている。気を付けなければ」などと語り合うという官邸官僚たち。ただ、こうした側近政治は政権の都合が優先され、政策が独善的になったり、先送りされたりする危うさをはらむ。政府が7月に発表した韓国向け輸出規制強化は、今井氏が主導した。古巣の経産省に具体案を出させ、融和策を訴える外務省を退けた。
首相は当時、「もう韓国に折れてはだめだ。どんなに強く出てもいい」と周囲に語り、今井氏の対韓強硬策に乗った。第2次政権は近く7年になるが、官邸が熱心でない財政健全化や社会保障改革は進んでいない。官邸官僚の一人は「官僚が指示待ちになり、主体的に仕事をしなくなった。自分たちが言うのも何だが、官邸主導が強まった弊害かもしれない」と話す。【西日本新聞2019年11月18日】
| 固定リンク
コメント
細野豪志議員ほか元民主党の国会議員が党から後援会固めに桜を見る会の招待枠を活用するように指示されたと証言してますが、きっと中には連合関係者もいたと考えるのが自然だと思いますがね
個人的には長島昭久先生が招待枠を利用したのか非常に興味のあるところですねぇ
まさか、地協から誰が行ってたりね(笑)
投稿: | 2019年11月24日 (日) 21時00分
2019年11月24日(日)21時00分に投稿された方、コメントありがとうございます。
念のため、民主党政権時代の問題意識等は前回と今回記事の中で綴っているとおりです。なお、これからも投稿いただける場合、名前欄の記載とハンドルネームを固定くださるようよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2019年11月24日 (日) 21時14分
「クロ」は100%「限りなくクロ」は99.99•••••%と理解してますよ。限りなくクロであるなら、当然のごとく法律違反で辞任ということです。
投稿: yamamoto | 2019年11月24日 (日) 22時23分
こんばんわ。
yamamoto様
お言葉を返すようですが、「限りなくクロ」であるならば、シロとして扱うべきでしょう。
私自身、むかし、窃盗事件の濡れ衣を着せられそうになってえらい目にあったことがあるので、「疑わしきは罰せず」という格言は身にしみています。捜査がなされ証拠不十分で立件されることはありませんでしたが、自分の無実が証明されたわけでは無く不愉快な思いだけが残りました。世の中にはなんらかの憎悪の念から他人を陥れようとする人が存在するのだと体感しました。仮定で白黒を決め付けるのは慎まなければならないでしょうね。
投稿: おこ | 2019年11月25日 (月) 21時25分
おこさん
ご指摘のとおり、法律的にクロ以外はシロですね。
「限りなく=無限」だから、クロの同義語と勘違いしました。
投稿: yamamoto | 2019年11月26日 (火) 07時38分
西日本の記事は、官邸主導で行政がゆがめられているような印象を受ける内容ですね。官邸主導は小泉政権が強烈で、その後民主党政権で「政治主導・脱官僚支配」を試み、現在の体制はそうした流れの延長にあります。
記事はこうした全体像を知りながら、あえてそこを避け、アリの眼のみで政治を語っています。政治家がリーダーシップを発揮するのは当然のことで、霞ヶ関の官僚主導政治はまっぴらゴメンでしょう。
投稿: yamamoto | 2019年11月28日 (木) 09時04分
yamamotoさん、おこさん、コメントありがとうございました。
西日本新聞が取り上げている論点について、やはり個々人によって評価は分かれていくのだろうと思っています。個人的には英語民間試験導入延期は妥当な判断だったのではないかと考えています。ただ総論的な問題として、官邸の力が極めて強くなった結果、西日本新聞が伝えているとおり政権内部で多面的にチェックする機能が薄れている点などは懐疑的に見ています。
なお、今週末に投稿する新規記事はローカルな話題となります。このような論点については機会があれば記事本文で取り上げてみたいものです。ぜひ、これからもご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2019年11月30日 (土) 06時53分