メディアリテラシーの大切さ
5月に投稿した記事「多面的な情報を提供する場として」の冒頭で、今年3月にココログのシステムが全面リニューアルしたことを伝えていました。その際、このブログの閲覧者の皆さんにも戸惑わせている点が生じていることを書き添えていました。右サイドバーに新規コメント投稿者の名前が即時に反映されなくなっていた点です。
これまでと同様、投稿自体は即時に受け付けていますが、右サイドバーの名前とともに記事本文下のコメント数の表示も反映されるまで場合によって数時間単位の時間差が生じています。コメント欄を開くと新規投稿のコメント内容を閲覧できますが、トップ画面からは新規投稿があったこと自体を即時に把握できなくなっていました。
さらに数日前からコメント投稿後、実際に反映されるまで時間を要するケースが生じています。nagiさんのコメントの後、yamamotoさんのコメントは大丈夫でしたのでココログ側の一時的な不具合だと思っていました。それが金曜夜以降のAlberichさんと私自身のコメントも同様な不具合が生じています。管理画面から再投稿することで、ようやく画面に反映させることができています。
このブログのコメント欄は従前通り制約の少ない場としていますが、承認制になっているような違和感を与えてしまっていることをご容赦ください。これまで開設してから一貫して、受け付けるコメントを選別することはなく、即時に反映する仕組みとしています。どのような辛辣な言葉でも、そこに投稿された思いや意味をくみ取ろうと心がけています。
批判意見も含め、幅広い視点や立場からご意見をいただける貴重さを感じ取っているからです。事実誤認による批判や誹謗中傷の恐れのあるコメントだったとしても、そのまま受けとめながら記事本文等を通して適否について意見を交わしてきました。例外としてプロフィール欄に記しているとおり明らかなスパムや極端な商業目的の内容だった場合は適宜削除させていただいています。
ちなみに削除したコメントでもココログのシステム変更後、しばらく右サイドバーに投稿者の名前が残っていました。少し前に明らかな営利目的のコメントが投稿されたため、削除したところ右サイドバーに投稿者の名前だけ残るという不自然な現象が生じていました。その名前をクリックしても該当のコメントに行き着けなかった皆さん、たいへん失礼致しました。
記事タイトルに掲げた本題から離れたような内容から入りましたが、関連付けて考えるべき共通点に思いを巡らしています。コトバンクでメディアリテラシーとは「インターネットやテレビ、新聞などのメディアを使いこなし、メディアの伝える情報を理解する能力。また、メディアからの情報を見きわめる能力のこと」と解説されています。
このブログを通し、多面的な情報に触れていくことの大切さを頻繁に訴えさせていただいています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。
クロかシロか、絶対的な正解を容易に見出せないケースも多いのかも知れませんが、より望ましい「答え」に近付くためにも多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要だと考えています。そのため、このブログも多面的な情報を提供する一つの場として、インターネット上で発信を続けています。
誤解を招く時もありますが、私自身の言葉で綴る記事本文自体が幅広い主張や情報を提供している訳ではありません。立ち位置を明確にしているため、基本的な考え方や視点が異なる方々からすれば「偏っている」という批判を受けがちです。あくまでも「そのような見方もあるのか」という多面的な情報の一つとして、このブログを通して不特定多数の皆さんに対しても届く言葉を探し続けているつもりです。
立ち位置の異なる方々から「なるほど」と共感を得られる時は皆無に近いのかも知れませんが、発信しなければ分かり合える機会自体訪れることはありません。また、発信を続けていても、まったく見向きもされないのであれば徒労に終わる試みです。幸いにも当ブログは幅広い立場の方々からご注目いただけているようです。それが冷ややかな目線のものだったとしてもご覧いただけていること自体に感謝しています。
その主張や情報が正しいのかどうか、その主張や情報に触れる機会がない限り、評価や検証する機会自体がなく、共感や賛同を得られる機会は皆無となります。お寄せいただくコメント一つ一つにも言えることであり、そのような意味合いから幅広い立場や視点からのご意見や情報提供に対し、いつも本当に感謝しているところです。
このような関係性は政治や行政に対して最も求められる点となります。政府にとって不都合な情報だったとしても主権者である国民に対し、包み隠さずに公開していかなければなりません。そのような関係性が不充分だった場合、政権与党に対する評価の正当性が問われることになります。仮に政府側が情報を取捨選択していた場合、報道の自由のもとに新聞やテレビなどマスメディアが不足している情報を広く伝えていく関係性も重要です。
さらに報道された情報に対し、前述したとおり理解する力や見極める力、つまりメディアリテラシーを高めていく大切さも強調しなければなりません。例えば最近、日米貿易協定が最終合意に至りました。安倍首相は「両国にとってウインウインの合意」と自賛しています。その言葉通りの論調で伝えるのか、「ウインウインとは言えない」という主張を展開するのか、新聞社によって立ち位置が違うことを理解した上、情報の受け手一人ひとりが主体的な評価を下せることが肝要です。
3年前の記事「自衛隊の新たな任務、駆けつけ警護」を通し、一般論の話として「物事の是非を判断するためには」という論点を提起していました。パン1個475円という値段を知った上で買うか買わないかを決める、つまり駆けつけ警護とはどういうものなのか、南スーダンの情勢はどういうものなのか、できる限り理解した上で自衛隊の新任務の是非を判断する、このような情報把握の必要性を訴えていました。
いずれにしても、その情報が適切なものなのかどうか、事実関係や論点を慎重に見極めていく心構えが大切です。最後に、そのような心構えが不足した最近の失敗談を紹介します。午後4時頃、コンビニで夕刊紙を購入しました。家に帰って紙面を開き、びっくりしました。昨日発行された1日遅れのものだったからです。当日分が届いていなかったからだと思われますが、前日の夕刊紙を翌日の4時頃まで店頭に並べて置く感覚に驚きました。
店側の非常識さに腹も立ちましたが、「午後4時に前日の夕刊紙は並んでいない」と決め付け、よく確かめずに購入した自分自身の落ち度にも思いを巡らしていました。150円程度の安い買い物だったことも幸いな話であり、この失敗談は慎重さが欠けた反省材料の一つとしてブログで取り上げてみようと考えていました。「メディアリテラシーの大切さ」というタイトルからは多少強引だったかも知れませんが、その機会を今回の記事とさせていただきました。
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コメント
日米交渉は双方引き分けで、さらっと片付けたとの印象です。自動車の関税で米国がTPPで言ってたのは、10年後ぐらいには撤廃しましょうとのことでした。そもそもTPPについては、米国の経済学者のほとんどが懐疑的で反対でした。
それより米中貿易戦争が大変ですね。経済は習近平のアキレス腱で、ほとんど経済のことがわかってないのに片意地を張りすぎて、落としどころを間違えました。米は中国を25年ぶりに為替操作国に認定しましたが、状況が激化するばかりで、トランプの次の一手がどうなるかです。
投稿: yamamoto | 2019年10月 2日 (水) 12時37分
yamamotoさん、コメントありがとうございました。
幅広い考え方や情報に触れられる機会は本当に貴重なことだと思っています。ぜひ、これからもお気軽にコメントをお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2019年10月 5日 (土) 06時29分