届く言葉、届かない言葉
前回の記事は「憲法記念日に思うこと 2019」でした。その中で「主張が正しく、本気で実現をめざさなければならないのであれば、異なる考えを持っている方々に届く言葉を探し続けなければなりません」と記していました。また、前回の記事で有明防災公園で開かれた「平和といのちと人権を!5.3憲法集会2019」に参加したことも伝えていました。
すると奇遇にも憲法集会サブステージの一つ「自由に話そう!トークイベント」で元NHK記者の相澤冬樹さんが次のように語っていたことを後から知りました。相澤さんの発言要旨は「レイバーネット」というサイトの記事「元NHK記者 の相澤冬樹さん、“夢”を語れ」に掲げられていましたので、参考までにそのまま紹介させていただきます。
木村・豊中市議は「維新は“変えます”とはっきりさせている。都構想はでたらめだが、わかりやすい」と言う。安倍も維新と似ている。“自分たちはこの国を(この大阪を)よくできる”という幻想を有権者に持たせることに成功している。
幻想かもしれないが、“夢”を持たせている。“夢”がないと政治はだめ。安倍政権の支持率は3割から下がらない。固定ファンが3割いる。こういう人たちに届くような言葉を発しないと野党はいつまでも勝てない。
安倍政権や維新を批判する人は、もっともなことを言うが、基本“否定形”だ。あれがいかん、これがいかん、と。きょうの集会のスローガンも「9条改憲発議は許しません」「戦争法の廃止を求めます」「辺野古新基地建設の即時中止を求めます」「共謀罪の廃止を求めます」「安倍政権の暴走にストップをかけます」。全部“否定形”。これは主義主張が同じ人には届くが、そうじゃない人には届かない。
自分たちはこうしたい、こうする、だからこのやり方がいいんだ、と夢を持たせることを言わないとだめだ。ここに「貧困のない社会をめざします」「差別のない社会をめざします」とあるが、やっぱり否定形。「みんなが豊かな社会」「みんなが平等な社会」と言えばいい。政治の究極の目的は、みんなが幸せな社会をつくること。
それをどういう言葉で表現し、どうやって実現できるかを有権者に信じてもらえるか。今の野党はこのことに失敗している。安倍政権を批判するみなさんも失敗している。安倍政権に批判的な人にしか届かない。安倍政権を支持している人、もしくはどっちでもいいと思っている人をこちら側に引き寄せることができたときに初めて勝てる。
大阪12区でも野党共闘は全く機能してないことが露呈した。共産党の基礎票にも届いていない。共産党の看板を捨てて無所属で出たため共産党の票は逃げ、他の野党の票は来なかった。どこへ行ったのか。かなり維新に行っている。今の世の中なんとかしてほしいと思う人の票が相当維新に行く。全国的にはこれが安倍政権が選挙に勝てる最大の理由だ。“夢”を語れ、と訴えていってほしい。
メイン集会のみの参加でしたので、当日、サブステージ上で相澤さんが上記のように提起されていたことは知りませんでした。さらに前回の記事を投稿した時点でも知りませんでした。投稿した後、相澤さんの上記のような言葉に触れることができたため、今回、前回記事の補足となるような内容を書き進めてみることにしました。
「主義主張が同じ人には届くが、そうじゃない人には届かない」という相澤さんの言葉、私自身の「異なる考えを持っている方々に届く言葉を探し続けなければなりません」という問題意識と一致しています。ただ“夢”を語れなくても、もしくは場合によって否定形の発言だったとしても、選ぶ言葉やその中味によって届く時と届かない時が分かれるのではないかと私自身は考えています。
社会党の委員長だった土井たか子さんの「ダメなものはダメ」という言葉が有名です。単刀直入な言葉が国民から支持され、社会党の議席を大きく伸ばした局面もありました。一方で今の野党に対し、対案を示さずに反対ばかりしているという批判の声を耳にしますが、否定形の訴えも現状のままのほうが望ましいという対案の一つだと思っています。
ただ政党に特化した話であれば、現状の問題点や閉塞感を打開するため、何かしらの対策を立てなければならないのにも関わらず、現状のままという訴えにとどまれば支持が広がらないことも確かです。したがって、政治を語る場面では相澤さんが提起するように否定形ではなく、“夢”を語れることが重要な心得となるはずです。もちろん画餅に過ぎない“夢”だった場合、それはそれで問題だろうと思います。
いずれにしても相澤さんの「安倍政権を支持している人、もしくはどっちでもいいと思っている人をこちら側に引き寄せる」という言葉こそ、「主張が正しく、本気で実現をめざさなければならないのであれば」という私自身の問題意識につながるものです。一票一票の積み重ねである選挙結果が国の行く末を左右していく訳ですから、当たり前と言えば当たり前な話です。
有明防災公園で開かれた憲法集会のメインステージ上で何人の方がそのような問題意識、つまり安倍政権を支持している方々にも届く言葉を念頭に置いていたかどうかで見た時、皆無に近かったように感じています。ただ同じような主張の方々が集まっている場ですので、TPOを踏まえた必然的な流れだったとも言えます。
そのため、不特定多数の方々と交流できるSNSの場でこそ、異なる考えを持っている方々にも届く言葉が重要視されていくものと考えています。まず次のような言葉には注意しなければなりません。例えば「安倍は嘘つきだ」という言葉です。前述したとおりTPOに応じ、許される場面があるのかも知れません。しかし、安倍首相を支持している方々にとって、たいへん不愉快に感じる言葉であるはずです。
呼び捨てにしていること、嘘つきだと決め付けていることに安倍首相を支持している方々から反発を招くことになります。そもそも嘘つきだと思っていない方々に伝える言葉であれば、具体的な事実関係を示した上で、このような安倍首相の言動が問題であるという訴え方に努めなければなりません。
「安倍は嘘つきだ」という言葉の後に続く安倍首相を批判する内容に妥当性があるものだったとしても、そのような言葉が添えられることで安倍首相を支持している方々には耳を傾けてもらいづらくなるはずです。 批判する内容も事実関係を前提とし、推論や思い込みからの決め付けた言葉は避ける必要があります。
そして、なぜ、そのような訴えに至っているのか、客観的かつ具体的な事例を示しながら説得力を備えた言葉を探さなければなりません。なぜ、憲法9条の改憲発議を許さないのか、改めるべきと考えている方々に対して「なるほど」と思わせるような言葉が駆使できなければ、反対運動に大きな広がりは期待できません。
届く言葉、届かない言葉、気を使いすぎて曖昧な表現が多くなり、あるいは明解な言葉が不足し、何を伝えたいのかまったく分からないという結果を招く恐れもあります。また、安倍首相を批判している方々からは腰が引けているように見られてしまうのかも知れません。それでも当ブログの場では異なる考えを持っている方々に届く言葉を今後も探し続けていくつもりです。
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コメント
>例えば「安倍は嘘つきだ」という言葉です。
このようなキャッチコピーのような言葉もたまにはいい
と思うのですが、このネット社会ですから、それを発した
人物がどのような言動を過去にしているかが問われること
になります。特に野党議員はこの手のブーメランが多いと
思いますね。
だからこそ、煽情的な言葉を発するのではなく、このよう
な手法で社会を導くと話すほうがよいと思う。より判り
易くするため、対案は必要なんでしょう。そして国民は
意外と見て聞いています。
前にも言いましたが、この人の発言なら、あるいはこの
媒体の意見なら良く聞こうと思うことが減りました。
あの朝日新聞ですら、ここまで程度が下がったかと思う
ことが多いです。昔のレベルが高かったのか、あるいは
ネット社会で嘘が暴かれるようになったからか。
きっとどちらも正解なんでしょうね。
投稿: nagi | 2019年5月13日 (月) 10時18分
今度は俳優の佐藤さんが、雑誌のインタビューで炎上し
ていますね。まいど思うことですが、政権や権力者を
批判するのは構わないのですが、個人が持つ特徴や疾病を
持ち出しあざ笑うような行為はもっとも恥ずべき行為で
あるとなぜ理解できないのか。
よく日本型リベラルの人々は、常日頃、人権だ差別だと
声高に主張します。しかしこれらを利用してるだけで、
本当に人権や差別について考えることがないのでしょう。
だから平気で差別発言をしたりするのでしょう。
沖縄で反基地闘争でヘイトを撒き散らしてる方々にも
共通する話ですね。米軍基地に向かってシネ、シネと
憎悪にゆがんだ顔で叫んでいることが平和活動なのか?
マザーテレサはこのように言ってますね。
「平和は微笑みから始まります。」
投稿: nagi | 2019年5月15日 (水) 11時28分
nagiさん、コメントありがとうございました。
佐藤浩市さんの件、いろいろな見方があるようです。参考までに下記サイトのURLを紹介させていただきます。なお、新規記事は「戦争を知らない私たち」というタイトルで投稿する予定です。引き続きご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
https://sandora1809.com/archives/3757
投稿: OTSU | 2019年5月18日 (土) 08時16分