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2019年5月25日 (土)

多面的な情報を提供する場として

今年3月、ココログのシステムが全面リニューアルしました。リニューアル後、不具合が多く、苦情を受けながら徐々に修正をはかっているようです。不具合ではありませんが、記事の入力方法等の操作性も低下した点が見られています。例えばコピーペーストがマウスの右クリックで操作できず、Shiftキーを使わなければ対応できなくなっています。改良だったと言える点は、下書きの段階でのPCプレビューが実際の画面と同じになった程度かも知れません。

閲覧者の皆さんにも戸惑わせている点が生じています。右サイドバーに新規コメント投稿者の名前が即時に反映されなくなっていました。これまでと同様、投稿自体は即時に受け付けていますが、右サイドバーの名前とともに記事本文下のコメント数の表示も反映されるまで場合によって数時間単位の時間差が生じています。コメント欄を開くと新規投稿のコメント内容を閲覧できますが、トップ画面からは新規投稿があったこと自体を即時に把握できなくなっていました。

このブログのコメント欄は従前通り制約の少ない場としていますが、承認制になっているような違和感を与えてしまったかも知れません。ココログ側の問題とは言え、このような不具合が生じていたことをご容赦くださるようお願いします。前回記事「戦争を知らない私たち」には数名の方からコメントをお寄せいただいていました。これからも多くの方からのコメント投稿を願っているため、このような点について記事本文の冒頭で周知させていただきました。

多くの方からコメントをいただけるということは多面的な考え方や情報に触れられる機会につながります。このブログでは「多面的」という言葉を多用しています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。 このような傾向があることを認識しているため、私自身、いわゆる左や右の主張を問わず、なるべく幅広い情報や考え方に接するように努めています。これまで「多面的な情報への思い」「再び、多面的な情報への思い」「多面的な情報への思い、2012年春」 という記事などを投稿してきました。

個々人が積み重ねてきた知識や経験から基本的な考え方が培われ、その違いによって物事の見方や評価が大きく分かれがちとなります。信じている「答え」が必ずしも絶対的な「正解」とは限らない、この論点は「完璧な人間はいない」「人は過ちを犯す」という見方につながります。特に物事を判断する際の情報が少なかったり、偏っていた場合、より正確な「答え」を導き出せなくなるはずです。

そのような意味合いで言えば、たいへん便利な時代になっています。インターネットさえ利用できれば、幅広く詳しい情報を手軽に素早くコストをかけずに入手できます。ただ自分と同じ意見のサイトにしかアクセスしなければ、ますます極端な考え方に固まってしまう恐れがあります。そのため、より望ましい「答え」を見出すためには多面的な情報に触れていくことが欠かせないものと考えています。このような意義を踏まえ、多面的な情報を提供する一つのサイトとして当ブログもインターネット上の片隅に加わり、公務員やその組合側の言い分を発信しています。

とりわけ自治労や平和フォーラムへの手厳しい見方がインターネットを通して散見できますが、せめて思い込みや事実誤認による批判だけは控えて欲しいものと願いながらブログを続けています。誤解される場合がありますが、このブログの記事本文の内容そのものが多面的で、幅広い情報を提供しているものではありません。書き込まれた内容や主張は、いわゆる左に偏っているという指摘を受けてしまうはずです。

世の中には幅広く多面的な情報があふれている中、そのうちの一つとして当ブログも数えていただければ幸いなことだと考えています。このような点を説明した「多面的な情報の一つとして」という記事を過去に投稿していました。今回も同様な主旨の記事内容の投稿を考え、「多面的な情報を提供する場として」というタイトルを付けています。

なお、これまで当ブログのコメント欄は幅広い視点や立場からの書き込みが多く、記事本文とコメント欄をトータルで見ていただければ単体で多面的な情報を充分提供できるサイトだと言えます。私自身もコメント欄を通し、多面的な情報に触れられる貴重さを受けとめているため、幅広い視点や立場からのコメントが多数お寄せいただけることを心待ちしています。

そのような中で、ほぼ毎回、コメントをお寄せくださっているnagiさんには本当に感謝しています。ココログのリニューアル後、そのnagiさんからのコメントが途絶え、どなたからもコメント投稿のなかった時期が重なっていました。そのため、コメント投稿機能の不具合等を疑い、念のため、私自身が試験的なコメント投稿を行なった時もありました。

結局、管理機能の問題ではなかったため、nagiさんの問いかけにお答えした記事「組合の運動方針の決め方」が関係しているようにも考えていました。nagiさんの想定した範囲から大きく逸脱した内容だったのかも知れず、論点のかみ合わなさに徒労感を与えてしまっていたのかも知れません。このようなすれ違いから、これまで当ブログのコメント欄から離れて行かれた方も少なくありません。そのあたりの関係性については「出入り自由な場として」という記事の中で私自身の受けとめ方を綴っていました。

いずれにしても多様な考え方や視点に触れられる機会は貴重なことであり、いつもnagiさんのコメント投稿には興味深さを感じています。最近の記事「届く言葉、届かない言葉」のコメント欄でも多面的な情報の大切さを考えさせる事例が紹介されていました。雑誌のインタビューでの発言内容が取り沙汰され、俳優の佐藤浩市さんが批判を受けていた問題でした。

nagiさんのコメントを受け、私からは「佐藤浩市さんの件、いろいろな見方があるようです。参考までに下記サイトのURLを紹介させていただきます」という一言を添えていました。そのサイトは『佐藤浩市が難病・潰瘍性大腸炎を侮辱?「安倍首相を揶揄してない」の声も』というタイトルが付けられ、問題の経緯や様々な見方が詳述されていました。

かなり多くの人が、今回の佐藤浩市さんの役柄を難病で苦しむ安倍総理に結び付け、「揶揄している」「侮辱している」と感じていることが分かりました。一方で、インタビュー記事を読んでも「全然揶揄していない」と感じる人も多く、「結びつける方が難病を揶揄している」という意見も多く目立ちました。

端的な言葉で説明すると上記のような見方に尽きるようです。今回の問題は、どちらの見方が正しいのかどうか一概に決められないのかも知れません。しかし、同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってくるという分かりやすい事例だったため、多面的な情報を提供する場として、佐藤さんの発言騒動について今回の記事で取り上げさせていただきました。次回以降の記事でも個々人によって見方や評価が大きく分かれがちな事例について取り上げてみるつもりです。

ちなみに多面的な情報を提供する場という位置付けを踏まえ、私自身の言葉だけの記事内容にとどめず、他のサイトの記事をそのまま紹介する時が多々あります。そこに記された内容や言葉使いなど必ずしも全面的に賛同していない場合でも、今回訴えているような主旨のもとに多面的な情報の一つとして掲げています。最後に、佐藤さんの発言騒動に際し、落語家の桂春蝶さんが下記のように語っていたため、それこそ多面的な見方の一つとして参考までに紹介させていただきます。

私は「右翼」「左翼」というワードは大嫌いなのですが、分かりやすいので、今回あえてこの言葉で表現します。まず、左翼のみなさんは「決定される苦しみを抱えた人たち」側に多いように思います。会社の中で組織の決定を押し付けられ、自らに決定権がない方々。あるいは、それらの輪にも入れず、「この社会が悪いからだ」などと不満を抱えている人たちに多い。

一方、右翼のみなさんは「決定する苦しみを抱えた人たち」で、経営者や役員、自営業など…。自らの判断が大きく影響を与える重圧の中を生きる人たちに多く見られるように思います。ですから、実際は「右翼もつらいよ、左翼もつらいよ」で、抱える悩みの質量は同じぐらいある。悩みのマグマは、イデオロギーとなって現れる。そのなれの果てが右翼と左翼ではないですか。

さて、俳優の佐藤浩市さんが絶賛炎上中ですね。映画「空母いぶき」で、佐藤さんは総理大臣を演じた。佐藤さんは雑誌インタビューで、「最初は絶対やりたくないと思いました(笑)。いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感が、まだ僕らの世代の役者には残ってるんですね」といい、「すぐにお腹を下してしまうっていう設定にしてもらったんです」と裏話を披露しました。この発言が物議を醸しています。右翼の狙いどころは、「安倍晋三首相の揶揄とも取れる発言は、潰瘍性大腸炎で悩む人への侮辱だ!」というところですね。

だけど、文句を言ってる人たちは、本当に病気の方々のことを考えているのでしょうか。日ごろの左翼への不満を火薬にして大爆発させてるように聞こえます。これに対し、佐藤さんを擁護する左翼も「体制側」にあらがうという、昔、流行った「反体制」という熱病の後遺症に侵されている気がします。はっきり言って労咳…あ、「老害」ですね。総理大臣のどこが「体制」なんですか。安倍首相なんて、大衆からボコボコにされるサンドバッグじゃないですか(笑)。

日本はいま、どこもかしこもレールに少しでも外れたものを探しては放火する「炎上まつり」です。少し普通でない発言をした人をたたいて悦に入る大衆。日本人とはかくも美しくないものだったのでしょうか?私はそれがこの世からなくならない限り、身近なところでは「子供たちのイジメ」、大きく言えば「戦争」はなくならないと思います。誰かをイジメたり、人を貶めて優位に立とうとするのは、その人が弱いからですよ。優越感の正体は劣等感なのです。炎上も、イジメも、戦争も、「人間の弱さ」が生み出すもの。それを認めるところから始めることが大切でしょう。【ZAKZAK 2019年5月21日

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コメント

私もOTSU氏の記事でたくさん勉強しました。

>とりわけ自治労や平和フォーラムへの手厳しい見方がインターネットを通して散見できますが、せめて思い込みや事実誤認による批判だけは控えて欲しいものと願いながらブログを続けています。

自治労に対しては、過去に誤った批判をしたことはあり
ます。ここは学んで誤りを修正できました。
某平和団体に関しては私の批判は事実誤認はないと確信
を持っています。逆にいくらでも指摘できますね。

桂春蝶さんの記事は良い内容ですね。しかし世界を見ても
ますます分断し、相手を攻撃する方向に進んでいますね。
日本型リベラルの方々も権力に対する批判や悪口は許さ
れるし、当然だと言いつつ、それが自らにむくと強烈に
反発しますね。ちょうどその実例が韓国内で発生してます
ね。今の文政権が野党時代に主張したことを、政権を取っ
たら、全て手のひらを返してますね。まさにリベラルや
人権派と名乗っている方々の正体は見た気分です。

投稿: nagi | 2019年5月27日 (月) 16時03分

おもしろい記事をひとつ紹介します。

>http://agora-web.jp/archives/2039299.html

当たり前に情報発信できるようになり、より一層すすん
だと言うべきなのでしょう。

投稿: nagi | 2019年5月29日 (水) 16時03分

nagiさん、前回記事も含め、コメントありがとうございました。

今回の記事本文に綴ったとおりの思いです。ぜひ、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2019年6月 1日 (土) 07時50分

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