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2019年3月30日 (土)

会計年度任用職員制度の労使協議を推進

私どもの組合の労使課題の論点や協議状況などは月2回以上発行する組合ニュースを通し、組合員の皆さんにお知らせしています。年に1回は『市職労報』という機関誌を発行し、組合ニュースを補う目的で諸課題を掘り下げた特集記事を掲げています。

それぞれ組合員一人ひとりに配られ、配布後の取扱いは自由です。このようなオープンな配布の仕方ですので、組合ニュースが市議会議員や住民の皆さんの目に留まることも想定しています。要するに誰に見られても困るような内容は掲げていません。

ただ交渉結果の内容や組合の考え方に対しては人によって評価が分かれ、批判の対象になる場合があるのかも知れません。それでもコソコソ隠すような労使交渉や主張は行なっていないため、「内部資料」「取扱注意」のような但し書きは一切ありません。

仮に圧倒多数の方々から問題視されるような交渉結果や組合の主張だった場合、何か改める要素があることを察知する機会にすべきだろうとも考えています。そのような意味合いからも当ブログの記事の中で、組合員の皆さんに伝えているニュースや機関誌の内容をそのまま掲げる時があります。

今回も最近発行した機関誌『市職労報』等の記事内容をもとに労使協議に関わる話を紹介させていただきます。ちなみに『市職労報』には懸賞付のクロスワードパズルの頁もあります。ここ数年、オリジナルなクロスワードパズルを私が作成しています。

22頁にわたる特集記事も私が担当していましたが、それよりも先にクロスワードパズルを早々に仕上げていました。楽しみながら取り組める作業となっているからです。今回も誌面に目を通すと、すぐ答えが分かる設問をいくつか盛り込んでいます。

ろうきんの「〇〇〇〇NISA」のご利用を、全労済の検索ワード「絆を〇〇〇」など、パズルの頁をめくると答えが見つかるようになっています。他に今回のブログ記事で取り上げる「〇〇〇〇〇〇度任用職員制度の労使協議を推進」という設問も掲げていました。

以前の記事「非正規雇用の話、インデックスⅡ」があるとおり非正規公務員の問題は当ブログで数多く取り上げています。私どもの組合には多くの嘱託職員の皆さんが加入されているため、組合活動の中でも大きな比重を占めています。当事者である皆さんの声をまとめ、市当局に対して次の4点に絞った「嘱託職員に関する独自要求書」を提出していました。
  1. 嘱託職員の報酬に報酬表を導入し勤務年数によって引き上げること
  2. 嘱託職員に一時金を導入すること
  3. 全嘱託職員に代休制度を導入すること
  4. 嘱託職員の休暇制度を充実させること

それぞれ切実な要求であり、継続した労使協議会での課題としています。しかしながら具体的な前進をはかれない状況が続いていました。そのような中、会計年度任用職員制度が2020年度から導入されます。以前の記事「会計年度任用職員」で詳述していましたが、地方公務員法及び地方自治法の一部が大幅に改正され、2020年度から臨時・非常勤職員を一般職・特別職・臨時的任用の三類型に明確化されます。

その中で一般職の非常勤職員である会計年度任用職員の規定を新たに設け、手当支給等ができるようになっています。その実施に向け、各自治体での条例化が2019年度中に必要とされています。組合は会計年度任用職員制度の導入を「追い風」とし、臨時・非常勤職員の労働条件を大幅に改善する機会につなげられるよう労使協議を進めています。

昨年6月には私どもの市に働く嘱託職員の皆さん全員に組合加入を呼びかけさせていただきました。一人でも多くの方に組合加入していただくことで、よりいっそう当事者の声を反映した労使協議につなげていけるものと考えているからです。

現在、会計年度任用職員制度の確立に向け、労使協議は大詰めの局面を迎えています。来年度に向けた「人員確保及び職場改善に関する要求書」の中では「嘱託職員等の待遇改善に向け、会計年度任用職員制度の労使協議を促進し、業務実態に見合った職のあり方を確立すること」という要求を掲げていました。

この要求に対し、市当局から「現時点での考え方は提案済み。今後、労使協議を行っていきたい」という回答が示されています。市当局の現時点での考え方として「本市の人事給与制度は東京都準拠ということで対市民(対議会)等にも説明してきており、これを基本とする考えには変わりがない」としながらも「ただし、従来から労使で確認して運用してきたことを、軽視したいとする意向があるわけではない」と説明しています。

その上で現在の嘱託職員を月給制の会計年度任用職員、現在の臨時職員を時給制の会計年度任用職員とし、それぞれ期末手当の支給は検討しています。しかし、現行の嘱託職員の報酬水準が他団体に比べて高いことや財源の問題に触れ、大幅な改善に向けた姿勢が極めて薄い不本意な考え方にとどまっています。

嘱託職員の月額報酬と期末手当の総支給額の年収ベースが現在の水準を下回らないようにしたいと述べていますが、月収が現在よりも下がるような見直しは到底認められません。新年度に入り、大詰めの労使協議を重ねていくことになりますが、現時点での労使の考え方には大きな開きがあります。

働き方改革の柱の一つである「同一労働同一賃金」の理念のもと、国会の付帯決議を踏まえた納得できる決着点をめざし、今後の労使協議に力を注いでいかなければなりません。その足かがりとして、春闘要求の最終盤の確認の中でも会計年度任用職員制度の課題を大きな争点としていました。3月15日夜の交渉では次の2点を確認しています。

  • 現在雇用されている嘱託職員については、希望者全員の雇用継続を基本とする。来年度中に人事評価制度を導入し、最低評価ではない限り、会計年度任用職員として採用する。
  • 基本的に従前通り65歳まで雇用し、年収額や休暇制度など現在の嘱託職員の勤務条件は後退させない。
上記2点の確認を出発点とし、今後、総務省から示されている「会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル」に基づき、給料表の導入や年間2.6月分の一時金支給の実現などを組合はめざしていきます。労使協議が大詰めを迎えていく中、嘱託組合員の皆さん全体に呼びかけ、労使協議状況の報告を兼ねた懇談会を4月中に開く予定です。ぜひ、多くの皆さんの参加をお待ちしています。

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2019年3月23日 (土)

組合の運動方針の決め方

前々回記事が「母との別れ」で、前回記事が「節目の800回を迎えて」でした。今回から平常モードとし、ようやくnagiさんから示されていた問いかけにお答えする機会とさせていただきます。「神戸市職労のヤミ専従問題」のコメント欄で、nagiさんから「昨年の8月くらいにコメントした内容をコピペします」とし、次のような問いかけがありました。論点を明確化するため、なるべく寄せられた内容をそのまま紹介した上、私自身の考え方を示していきます。nagiさんからのコメントは青字、私のコメントは赤字としています。

一つ目 >さて提案ですが、自治労や平和フォーラムが行う活動で北朝鮮や中国に対して抗議活動をしない、あるいは優先順位が低い理由が明確に存在してるはずです。それはどのような議論や意見集約、優先順位を決める為の数値評価等、結論に至る過程が存在するはずです。それを教えていただければ、疑問も氷塊するのではないでしょうか。対比や検証もせず優先順位を決めることもないでしょうし、平和に脅威を与える事象はたくさんあり、その中でどれを重点目標とするかの議論も存在するでしょう。是非ご教示いただけるようお願いします。

二つ目 >きっと自治労内部の方針会議において、どのような平和活動するか熱い議論が行われているのでしょう。そして、日本、米国、北朝鮮、中国、ロシア等、どこにどのような内容に対して、どのような活動をするか、限られた財源と人材を考え、取捨選択か、あるいは多数決で決めているのでしょう。ひょっとすると中国や北朝鮮に対する抗議活動も何時間にも及ぶ議論、膨大な資料等を精査し、最終的に多数決で議決を取り、49対51で否決されたのかもしれません。そのような内容を詳らかに説明していただければ、長年の疑問も氷塊することでしょう。

一つ目も二つ目もよく似た内容ですが、以前からOTSU氏が内部手続きは問題ないと言われます。また他の方のコメントで平和活動への方針で意見を出したが黙殺されたとの内容もありました。自治労にしても某団体にしても多数の人が参加している以上、いろんな意見が存在していると思います。同じ色、同じ意見の人ばかりが参加してることはないと思います。だから内部においてどのような意見交換がされて、どのように平和に対する脅威を評価し、どの脅威から、どのような活動につなげるかが検討され議決されているのでしょう。

このコメントの最後にはnagiさんからは「是非そのあたりの詳細をレクチャーしていただければと思います。OTSU氏にとっては極々当然で不思議な点は存在しない話だと思いますが、私のように不思議で理解できないと思っている人も一定数いるので、可能ならばお願い致します」という言葉が添えられていました。取り急ぎ私からは次のようなコメントをお返ししていました。

平和に関する方針の件ですが、過去の記事本文を通して説明してきているつもりです。きめ細かい一問一答的な対応ではないため、納得いただけない「答え」は「答えていない」と同じにとられられがちな傾向もあるのだろうと理解しています。さらに長い文章は論点がぼけてしまう場合もありますが、簡潔に答えすぎて誤解を招くことも本意ではありません。したがって、たいへん恐縮ですが、やはり機会を見ながら記事本文の中で改めてお答えできればと考えています。このような点についてご容赦くださるようお願いします。

「きめ細かい一問一答的な対応ではないため」と釈明しながらも「平和に関する方針の件ですが、過去の記事本文を通して説明してきているつもりです」という返し方は不遜な言い方だったことを反省しています。たいへん失礼致しました。私自身としては過去の記事「平和な社会を築くために組合も」「政治方針確立の難しさ」「平和フォーラムについて」「組合の政治活動について」などを通し、nagiさんからの問いかけに対する「答え」に相応する内容を説明してきているつもりでした。

これまで数多くの記事を通し、労働組合が一定の政治活動に取り組む必要性を組合員の皆さんに理解を求めながら、定められた機関手続きを経て運動方針を確立しているという記述を数多く残してきました。ただ組合の運動方針の決め方について、nagiさんから示された上記のような具体的な問いかけに沿った子細な説明までは行なっていなかったことも確かです。そのため、nagiさんから下記のようなコメントも寄せられてしまっていました。

過去の記事はほとんど目を通しました。たしかに手続きに関する記載はありました。しかし議決に至る過程について詳細な説明はなかったと理解しています。また過去の記事でOTSU氏の職場でフリー懇親会をして若手と組合幹部が自由に話をする取組の紹介がありました。その中で、>女性組合員の方が「私も原発はないほうが良いと思っていますが、エネルギー問題を考えた時、脱原発という運動の難しさもあるのではないでしょうか」という言葉を選びながらも率直な問題提起を行ないました。事前の組合ニュースの例示の一つにしたほどでしたので、私としては貴重な提起をいただいたものと歓迎していました。すると複数の組合役員から「原発推進は絶対ダメ」という説得調の発言をかぶせてしまい、いわゆる二項対立的な議論の流れを強めてしまいました。

また、他のコメントでも、意見を言っても黙殺される事例が報告されています。多数の構成員がいる以上、多様な意見が存在し、それについて評価と議論が存在すると思い、その内容についてOTSU氏に聞いてみたわけです。私は某団体のように特定の思想信条に強く影響を受けたり、特定の国の影響下にあるような組織(注 コメント投稿者の推論です)とは異なり、自治労を始めとする平和運動を行う多くの労働組合は、どのように内部の意見を取りまとめているか興味がつきません。まさか日頃政権を非難するような少数意見を無視したり踏みにじったり、排除したり、最初から無かったように取り扱うことはないと信じています。そのうち教えていただければと思います。

上記コメントの前段に引用されている記述は私どもの組合の取り組みを報告した「フリー懇談会を開催」に記した内容です。その場で私から組合役員に対し、もっと注意すべきだったものと反省しながら発言された女性組合員にはお詫びしていました。ただ「他のコメントでも、意見を言っても黙殺される事例が報告されています」という文脈の中で指摘されてしまうと悩ましい点があります。他の組織の実情を詳細に把握している訳ではなく、責任を持てる立場ではありませんので、あくまでも私どもの組合のことを中心に説明させていただきます。その上で他の組織も同様だろうと推察できる点について補足していくつもりです。

まず結論から述べます。組合の運動方針を決める際、nagiさんが思い描いているような緻密な対比や検証は行なっていません。これまで積み上げてきた大きな運動方針の枠組みがあり、その範囲内で新たな要素や情勢を踏まえた議論を加え、1年単位(組織によって2年間)の具体的な活動方針を定めています。このあたりは労働組合に限らず、様々な組織一般に見られる傾向ではないでしょうか。それぞれの組織が発足した際、白紙から大きな方向性を決める議論の時、きめ細かい検討は必要だったのだろうと思います。

しかし、ひとたび組織の綱領や規約を定め、その基本的な方向性のもとに滑り出してしまうと、大きな方針転換の是非を巡る議論は滅多に見られなくなるはずです。念のため、大きな方針転換は絶対はかれないという説明を加えている訳ではありません。私どもの組合で言えば、組合員全員を参加対象としている定期大会が組合の運動方針を決める場となっています。その場で賛成が得られなければ、執行部が提案した運動方針に沿った活動は進められません。

定期大会では執行部原案に対し、出席した組合員が修正案や補強案を書面で提出し、議論を交わした上、採決に付す場合もあります。私が20代の頃、市議選を巡る方針が定期大会で否決されました。その結果、翌年の市議選に立候補を予定していた方は市議会に打って出ることを見送ることになりました。このような事態は極めて稀なことですが、組合の運動方針は組合員の意思で決めるという当たり前な事例として思い出しているところです。

もちろん定期大会に出席した際、口頭で意見を述べることで運動方針を修正や補強することもできます。定期大会の場でnagiさんのような問題意識を持たれている組合員から発言があれば、このブログに記しているような考え方をお答えしていくことになります。論点によっては平行線をたどり、受け入れるという話にならないのかも知れませんが、少数意見を黙殺や排除するという考えは毛頭ありません。

私自身、自治労の基本的な方針に賛同している立場です。そうでなければ、ここまで長く自治労に属する組合の執行委員長を務めることはできません。一方で、組合員の中には多様な考え方があり、自治労の方針や活動を冷ややかに見ている方が多いことも自覚しています。このブログの場以外でも、そのような声を直接耳にする機会があるため、私自身の責任範疇となる私どもの組合活動の中で心がけている点が多々あります。

日常の組合活動の中では職場課題が中心であること、そのことをストレートに反映した組合ニュースや機関誌の紙面作りに努めていること、政治的な課題に対しては「反対しよう!」という呼びかけよりも「なぜ、取り組むのか」という説明を重視していること、各種集会参加に対する職場割当の動員要請は行なっていないこと、それぞれ当たり前なような話かも知れませんが、20年以上前から比べれば様変わりしている点だと言えます。

組合の運動方針の決め方として、このような様変わりを一例として上げられます。組合の規約改正や産別選択など大きな方向性を変えるためには組合員の総意が欠かせません。場合によって無記名の一票投票が求められます。一方で、日常の組合活動を規定する年度単位の運動方針の原案は執行委員会で決めます。定期大会での大幅な修正が極めて稀な現状である中、それまでの組合の運動方針に対し、疑義や軌道修正の必要性を認識されている場合、組合役員を担うことで変革への可能性が広がります。

そのような問題意識を持たれている方が一人で執行委員会に加わっても変革は期待できません。しかし、多数を占めた場合、定期大会に提案する運動方針に軌道修正を加えられるはずです。その原案が定期大会で可決されれば、日常の組合活動も一新されていくのではないでしょうか。幅広い考え方の組合員の皆さんが組合執行部に加わっていただくことを歓迎しています。その上で運動方針を大きく変えるかどうかの議論が行なわれる場合は、私も自分自身が正しいと信じている「答え」を執行委員会の中で訴えていくことになります。

極端な事例を示したことで、nagiさんからの問いかけに対する論点をぼかしているような印象を与えていたとしたら恐縮です。この記事を通して強調したいことは、組合の運動方針は一握りの組合役員だけで決めている訳ではなく、組合員一人ひとりが関与できる機会や仕組みがあるという点です。平和や安全保障のあり方について、膨大な資料をもとに議論したい場合、定期大会で示すことも、組合役員になって執行委員会で提起する道も開けています。特に組合役員の担い手が極端に不足している中、執行委員会に参加する敷居は低く、一人でも多くの方に検討していただければ本当に幸いなことだと考えています。

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2019年3月16日 (土)

節目の800回を迎えて

記事タイトルに掲げた通り今回、節目の800回を迎えます。このブログを開設した当初は毎日のように記事本文を更新していました。しばらくして週2、3回のペースとなり、1年後ぐらいから週1回の更新が定着し、現在に至っています。実生活に過度な負担をかけないペースとして毎週1回、土曜日か日曜日に更新するようになってから1回も途絶えずに「週刊」を習慣化できていました。

元旦に新規記事を投稿しようと決めているため、年末年始だけ変則な投稿間隔となっています。それ以外は上記の言葉通り毎週末の更新を欠かすことがありませんでした。先週月曜3月11日、東日本大震災の発生から8年が過ぎました。8年前の週末は、ためらいながらも「東日本巨大地震の惨禍」という記事を投稿し、被災された皆さんへのお見舞いの気持ちなどを表わしていました。

そのようにつながってきましたが、先々週だけは新規記事の投稿を見合わせていました。前回の記事「母との別れ」に記した通り、とてもブログを更新する気にはなれませんでした。深い悲しみと落胆に沈み込んでいたことはもちろん、このような時にブログに関わることの不適切さを感じていました。

葬儀の後、自宅で喪に服していると悲しみから離れられなくなります。気を紛らわすためにも忌引きの期間を2日残し、早めに出勤していました。仕事に出れば組合活動にも関わり、一気に日常の時間が流れ出しています。先週末からは気持ちを切り替えて平常の姿に戻ることを考え始め、新規記事に向き合っていました。

それでも当ブログの普段の色合いからは離れた私的な内容を綴っていました。自分自身の気持ちの整理を付けていくための通過点であり、苦労を重ねてきた母親を偲びながら母と過ごした年月をずっと忘れないためにも「母との別れ」という記事の投稿に至っていました。コメント欄ではお悔やみの言葉をいただき、たいへん感謝しています。

今回から普段通りの記事を投稿していくつもりでしたが、ちょうど100回ごとの節目に当たっていました。そのため、「節目の800回を迎えて」という記事タイトルを付けて書き進めています。これまで100回というタイミングで記事を投稿する際、次のような言葉を必ず添えていました。

もし定期的な更新間隔を定めていなければ、日々の多忙さに流され、いわゆる「開店休業」状態が続いていたかも知れません。それでも年月は過ぎていくことになります。一方で、投稿した記事の数は自分自身の労力を惜しみ出したり、続けていく熱意が冷めてしまった場合、停滞してしまう数字です。

今回、あえて付け加えれば、不慮の事態に遭遇しても数字は滞ることになります。健康上の問題、大きな天災などに直面した場合、自分自身の意欲や労力云々以前の問題としてブログの更新どころではなくなります。そのような意味で、改めて記事の回数が100を刻んだ時のメモリアルさをかみしめています。これまで100回を節目とし、次のような記事を投稿してきました。

100回の時は、あまり投稿数を意識していなかったため、100回目の記事という認識がないまま普段通りの内容を書き込んでいました。その直後、たまたまココログの管理ページを目にした際、直前に投稿した記事が100回目だったことに気付きました。そのため、101回目という少し半端なタイミングでのメモリアルな記事内容となっていました。

毎週1回の更新が定着し、先が読みやすくなっていた200回目以降は失念することなく、上記のような記事をピンポイントで綴ることができています。訪問されている方々にとって、この記事が何回目だろうと関係ないことは重々承知しています。それでも節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えさせていただく機会としていました。

いずれにしても週1回の更新ペースを崩さず、継続できているのも毎回多くの皆さんが訪れてくださり、貴重なコメントをいただけていることが大きな励みとなっているからです。ちなみに500回目の頃と比べ、コメント欄の雰囲気が大きく様変わりしています。500回目の記事の中に「普段のアクセス数は千件から2千件ぐらいの幅で推移し、コメント数が100を超えた記事も数多くありました」と書かれています。

現在、寄せられるコメントの数は大きく減っています。記事本文の更新が週1回で、コメント欄での動きが少なくなっているため、アクセス数も当時に比べれば減っています。それでも毎日、多くの方々に訪れていただき、幅広い立場や視点からのコメントに触れられる機会を得ています。このような手応えがある限り、引き続き次の節目である900回をめざしていくことができます。ぜひ、出入り自由な場として、これからもよろしくお願いします。

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2019年3月 9日 (土)

母との別れ

3月1日午前2時59分、母が亡くなりました。いつの日か、この瞬間が訪れてしまうことを覚悟していたとしても、後から後から涙が流れ落ちてしまいます。眠っているような安らかな表情でした。私が小学6年の時、父親が急逝し、女手一つで3人の子どもを育ててくれました。

お通夜の前の日、戒名を決めるため、ご住職様から電話があり、母の「趣味は何でしたか」と問いかけられました。その際、旅行やスポーツなど趣味を楽しむ母の姿が何も思い浮かばず、言葉に詰まりました。趣味や娯楽とは縁遠く、苦労に苦労を重ねた人生だったのかも知れず、ご住職様に返す言葉が見つかりませんでした。

それでも母にとって自宅でテレビや本を見ている時、部屋の中を駆け回る1歳半のひ孫を目で追っている時、最も穏やかで楽しいひと時だったようです。晩年は車椅子の上から見入っている母の姿が心に刻まれています。脳梗塞を発症した後、在宅での介護生活が13年に及んでいました。その間、何回か入院しなければならない時、いつも「いつ家に帰れるのかな」と尋ねる母の言葉が忘れられません。

新しい年を迎えたばかりの1月4日、デイサービスから戻った後、母が胸の苦しさを訴えました。近くの病院に連れて行ったところ重篤な心不全という診断で、そのまま入院することになりました。急性期の病院だったため、2月に入り、療養型の病院に移っていました。2月11日には90歳の誕生日を迎え、ベッドから見れる卓上テレビを兄妹で贈りました。

転院を境に食欲が少しずつ戻り、顔色も良くなり、言葉も交わせやすくなっていました。検査数値は相変わらず深刻なものでしたが、外面上の容態は好転しているように映っていました。主治医の先生から「この状態であれば在宅での介護も選択肢として検討できます」というお話をいただいたほどでした。

主治医の先生のお話を伺った後、在宅で受け入れられるかどうか、これまで介護を一緒に担ってきた2人の妹やケアマネージャーの方とも相談を重ねていました。耳の遠い母には時々、伝えたいことを小さなホワイトボードに書いて伝えていました。母の病室で「早ければ3月中に家に帰れるから頑張って」とホワイトボードに書いたのが亡くなる5日前、日曜の午後のことでした。

その翌日、残念ながら食欲が落ちるなど容態は悪化し、在宅という選択肢は消えていました。わざわざ主治医の先生から退院という話は見送らざるを得なくなったことの連絡があり、「申し訳ありません」という一言も添えていただきました。ただ退院は遠のきましたが、病院に顔を出せば、いつでも会えることを信じていました。

月曜の夜、仕事を終えてから会いに行きました。昨日に比べると本当に苦しそうでした。我慢強く、遠慮がちな母はナースコールのボタンを押すことも控え気味だったようです。そのような母が私に「看護師さんを呼んで」と訴えるほどでしたので、この時の苦しさは相当なものだったはずです。すぐ当直医の先生にも診ていただきましたが、幸いにも深刻な容態ではなく、その時は安堵していました。

火曜の夜、昨夜に比べれば落ち着いた様子でした。時々、苦しそうな表情を見せていましたが、会話も交わせる状態でした。そのため、卓上テレビのクイズ番組を2人で見て過ごしました。その時のテレビを見つめる母の目は自宅でくつろいでいる時と同じ穏やかさが感じ取れました。「また明日、来るからね」と手を握って病室を後にしていました。

水曜の夜、点滴は外れていました。看護師さんが差し出すスプーンを口にし、食事も少しだけ取れるほどまで回復していました。1月4日に母が入院した直後、仕事以外のスケジュールはすべてキャンセルしていました。母の容態を見計らいながら徐々に必要な予定を入れるようになっていました。明日木曜の夜は予定が入っていたため、「あさって、金曜に来るからね」と別れました。

その時の別れが最後の別れになるとは、まったく想像していませんでした。今から思えば面会時間ぎりぎりまで残らなかったこと、木曜の夜に予定を入れてしまったことを悔やんでいます。木曜から金曜に変わった深夜2時過ぎ、自宅の電話が鳴り響きました。あわてて起き上がり、受話器を手にすると、やはり病院からでした。

急いで病院に駆け付けた時は、もう息を引き取った後でした。当直の看護師さんのお話では直前まで意思疎通をはかれていたそうです。何か処置を施す時間もないまま突然容態が急変したとのことです。苦しむ時間が少なく、穏やかな表情での旅立ちだったことは、母にとって救いだったのかも知れません。

近親者だけの葬儀、いわゆる家族葬としました。私自身、組合役員を長く続けているため、名前は知られているほうであり、お忙しい多くの方々にご足労いただくことが心苦しかったからです。ただ母にとって、どうだったのか、一人でも多くの方に見送ってもらいたかったかも知れません。また、母と近しい方々に見送っていただく機会を閉ざしてしまったかも知れず、家族葬と決めてからも自問自答していました。

それでも母は面会に行った私たちに対し、いつも「もういいから早く帰って」という気遣いを見せていました。このような気遣いを思う時、お忙しい方々に負担をかけない家族葬に対し、きっと賛成してくれたものと考え直しています。近親者だけの葬儀でしたが、挨拶した際、この話を参列者の皆さんに伝えた時は思わず涙が流れ、言葉も詰まりがちでした。

「3月中に家に帰れるから」という励ましが、はからずも無言の帰宅になってしまったことは残念でなりません。一方で脳梗塞の後、それまで見ることのできなかった母の一面を見ながら10年以上も一緒に暮らせたことは感謝しなければなりません。オムツを交換している時など「長生きしてるから迷惑かけて悪いね」とよく言われてしまいましたが、「そんなこと言わないで」と必ず打ち消していました。

ただ「もっと長生きしてね、100歳まで元気でいようね」という言葉までは少し気恥ずかしくて言い足せていませんでした。今から思えば、このような言葉も、もっと重ねていれば良かったなと振り返りがちです。ちなみに火葬した後、のど仏は残らないことのほうが多いそうです。骨が丈夫ではなかった母でしたが、のど仏がしっかり残っていたことに驚きながら皆で手を合わせました。

葬儀の後、自宅で喪に服していると、どうしても悲しみから離れられなくなります。忌引きの期間を2日残し、気を紛らわすためにも水曜から出勤しています。仕事に出れば組合活動にも関わり、一気に日常の時間が流れ出します。先週末、とてもブログを更新する気にはなれませんでしたが、今週末からは気持ちを切り替えて平常の姿に戻ることも考えました。

結局、平常の姿に戻る前、このブログの色合いからは程遠い「母との別れ」という記事を投稿させていただきました。次回からは普段通りの記事を投稿していくつもりです。今回、このような私的な内容の記事を最後までお読みくださった皆さんには心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

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