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2018年11月25日 (日)

徴用工判決の問題 Part2

このブログは毎週1回、土曜もしくは日曜に更新しています。以前はお寄せいただいたコメントに即応するように努めていたため、ほぼ毎日、ブログに関わる時間を見つけていました。現在は実生活に過度な負担を欠けずに続けていくためにも、たいへん恐縮ながらコメント欄への対応も含めて土曜もしくは日曜に限るようにしています。

さらに言葉や説明が不足しないように難しい問いかけに対しては記事本文を通してお答えするように努めています。そのため、記事タイトルに「Part2」を付け、前回の内容を補足する新規記事の投稿が増えています。今回、外国人労働者の受け入れ拡大の問題を記事タイトルに考えていましたが、前回記事に寄せられたコメントに対応する内容が膨らみそうだったため、早めに「徴用工判決の問題 Part2」に改めていました。

さて、前回記事の初めのほうで、次のように前置きさせていただきました。あくまでも個人的な考え方の整理であり、閲覧されている皆さん一人ひとりが様々な「答え」をお持ちであろうかと思います。したがって、一つの「答え」を押し付ける意図は毛頭なく、多様な情報に触れる機会だとお考えいただれば幸いなことだと記していました。この言葉は前回以上に今回の内容には当てはまるのかも知れません。

先週末、ご教授ください! さんからのコメントを受け、前回記事では触れられなかった点について補足していました。その時にお答えした内容に少し手を加えながら紹介していきますが、まず「私自身、専門家ではありませんので、いろいろな資料を読み、私なりに理解している点についてお伝えします」と一言添えさせていただきました。韓国大法院の裁判官の間でも解釈が分かれる難しい問題でもあり、論点は前回記事で触れた次の箇所だと考えています。

韓国大法院が今回の判決を下す際、反対した2人の裁判官は「請求権・経済協力協定の対象には個人請求権も含まれ、原告が個人請求権を行使することは制限される」とし、「国際法に照らすと、国民の財産などに関する問題を国家間の条約で一括して解決するのは一般的に認められている。協定が憲法や国際法に違反していないのならば、内容を好む、好まないに関わらず、守らなければならない」と指摘していました。

このような問題において守るべき国際法ですが、1969年に国連国際法委員会が条約に関する慣習国際法を法典化した「条約法に関するウィーン条約」を採択しています。その第26条に「効力を有するすべての条約は、当事国を拘束し、当事国は、これらの条約を誠実に履行しなければならない」と書かれています。この点において、日韓請求権協定を守らない韓国に対しては「国際法に照らし、あり得ない判断だ」という批判につながります。しかしながら次のような論点もあるため、徴用工の問題は複雑化しています。

かつて国家総動員法による徴用は日本国民全体に強要されたものです。植民地だった当時、訴えている原告も日本人として、当時の法律に基づき徴用(詳細は後述)されたものであると見られています。しかし、その植民地支配(日韓併合条約)が不当だと解釈されれば、この関係性も不当だということになります。2016年に三菱マテリアル(旧三菱鉱業)は元中国人労働者に対して個人賠償することを決めています。その違いは韓国は植民地だったが、中国は占領地だったという違いからだそうです。

前回記事の中で「しかしながら徴用され、過酷な環境を強いられた原告のような労働者がいたことも事実として押さえなければなりません」という記述がありました。この記述は私自身の思いをそのまま表わした言葉です。この言葉の直前にはテキサス親父さんの元徴用工の「強制的に奴隷のように働かされた」という主張に対し、朝鮮半島出身者の中には本土出身者より稼ぐ者もいた、という解説を紹介していました。

この解説に対し、私から「自発的な出稼ぎでそのような待遇の労働者がいたことも事実だろうと思います」と記した上、前述した言葉につなげていました。両面から少数の事例をもって全体像を決め付けられないという問題意識を提起したつもりでした。ただ先日、このブログをご覧になった組合員から次のような指摘を受けました。

「過酷な環境を強いられた原告」=「強制的に奴隷のように働かされた」と読み取れるため、その点に疑問を持つ人たちも多い中、「事実として押さえなければなりません」は決め付けた言葉ではないかという指摘でした。「なるほど」と思いながらも「奴隷のように」はテキサス親父さんの解説からの引用だったため、指摘を受けた時、最初は戸惑いました。

元徴用工は賃金が支払われず、感電死する危険がある中で溶鉱炉にコークスを投入するなど過酷で危険な労働を強いられていたという事実認定は大きな争点になっていないものと理解していました。それでも過酷な環境を強いられたかどうか疑問視される人たちもいる中、直前の言葉「自発的な出稼ぎでそのような待遇の労働者がいたことも事実だろうと思います」とのバランスを取って断定調に記さないほうが良かったものと省みています。

加えて、KEI さんから「朝鮮半島で徴用が始まったのは1944年になってからのことなので、原告は「徴用」された労働者ではないことが明らかになっています。しれっと嘘を書かないように」という指摘を受けました。このあたりも前回記事の中で触れるべき点だったようです。原告が日本に来たのは1943年でした。国民徴用令は日本内地において1939年7月から施行されていました。当初、朝鮮での適用は控え、1944年9月から実施されるようになっていました。

そのため、KEI さんから徴用工と呼ぶのは嘘だと指摘を受けてしまったようです。戦時体制下における労働力確保のため、1942年には「朝鮮人内地移入斡旋要綱」による官斡旋方式も始まっていましたが、いずれにしても原告は国民徴用令のもとで日本に来た労働者ではなく、法的な言葉としての「徴用工ではない」という指摘はその通りだと思っています。私自身、前回記事を書き進める際、次のような報道も目にしていました。

河野太郎外相は9日の記者会見で、韓国最高裁が確定判決で新日鉄住金に賠償を命じた元徴用工訴訟の原告について、「募集に応じた方で、徴用された方ではない」と述べた。政府は判決後、原告らを「旧朝鮮半島出身労働者」と表現しており、その理由を説明した形だ。政府は、戦時中の朝鮮半島での動員には、募集▽官によるあっせん▽徴用--の3段階があったと説明。従来は一括して「旧民間人徴用工」などと表現していたが、判決後は区別している。自民党からは「原告らは『募集工』と呼ぶべきだ」との声が上がっていた。【毎日新聞2018年11月9日

言葉の使い方は重要です。上記の事実関係を把握していたため、最初、せめて「徴用工」と括弧を付けて記すことも考えていました。このブログでの言葉や用語の使い方に迷った時、参考にするのは自宅に届く読売新聞です。読売新聞では括弧も付けずに徴用工と記していましたので、このブログでも同じ対応をはかっていました。ちなみに前回記事の最後のほうで紹介した前大阪市長の橋下徹さんの論評「徴用工問題、日本が負けるリスク」の中には次のような記述があります。

労働者側は日本企業で強制的に働かされたと言い、日本政府や自民党は強制ではないと主張する。日本のメディアの多くでは「徴用工」という言葉を使っているが、これは強制的に働かされたことを意味するので、安倍晋三首相や日本政府そして自民党は「徴用工」という言葉を使わずに、「朝鮮半島労働者」と名付ける。強制ではないと強調したいのであろう。しかし、労働者のことをどう呼ぶかはあまり問題ではない。

この後、橋下さんは「強制労働の問題でも、徴用=強制があったかどうかということよりも、問題となっている企業の当時の労働環境がどうであったのか、それは世界各国でのそれと比べてどうだったのか、日本だけが特殊だったのか、という比較検証が必要である」という提起につなげています。このような提起も参考にした上、徴用工という言葉を当ブログでも採用していました。

以上のような論点がありますが、外交保護権は消滅したが、個人の損害賠償請求権は消滅していないという解釈の適否も大きな論点となっています。様々な切り口からの論点が存在しているため、たいへん難しい問題に至っているものと理解しています。それに対し、日韓併合条約の正当性をはじめ、徴用工の問題は日韓請求権協定によって解決済み、このように考えている人たちからすれば今回の韓国大法院の判決は決して容認できないものとなっています。

このように淡々と説明を加えているため、nagiさんからは私自身が「判決に賛意を示しているのか、反対なのかよく読み取れませんでした」と問いかけられています。いつものことで恐縮ですが、二者択一で問われれば、どちらでもないという答えになります。前回記事に託した内容全体が私自身の「答え」です。2012年に韓国大法院が「個人請求権は消滅していない」と審理を差し戻し、2013年にソウル高裁が賠償支払いを命じた時点から、ある程度予想できた判決だったと思っています。

韓国政府が司法と事前に調整しなかったことについて、三権分立の原則からやむを得ないものと見ています。示された判決内容を尊重していくことも三権分立の原則から重視すべき点なのかも知れませんが、判決後、韓国政府は日韓関係を未来志向的に発展させていくことに触れながら対応策をまとめていく方針を示しています。そのため、日韓請求権協定に基づく国と国の約束を守れず、このまま韓国政府が問題を放置するような時こそ、強く憤るべき局面だろうと考えています。

前回記事の中で「国家間の約束は重く、これまで徴用工だった方々に充分な保障がされていなかった場合、韓国政府の責任として対応すべきものと考えています。ちなみに判決に反対した2人の裁判官は「個人請求権を行使できないことで被害を被った国民に対し、国家は正当な補償をしなければならない。日本企業の代わりに韓国政府が補償するべきだ」という意見も添えていたようです」と記していました。

したがって、賠償を命じられた企業も、日本政府も新たな負担をすべきとは考えていません。自分の腹が痛む、痛まないに関わらず、個々人が正しいと思う言葉を発せられる、このような社会であることが重要です。考え方は異なっていても、多様な「答え」があることを認め合っていける関係性も欠かせません。異なる「答え」に批判が集中し、声を出すこと自体、委縮するような雰囲気につながる事態は避けなければなりません。

今回の判決を示す際、前述したとおり韓国大法院の裁判官の中でも意見は分かれていました。韓国内の声も一色ではありません。日本国内も同様です。今後、どのような対応策が望ましいのか、いろいろ難しい問題があるのかも知れません。しかし、双方が感情的な反発や敵愾心を燃やす声だけの一色となり、強硬な姿勢を示す選択しかなかった場合、たいへん残念な事態だろうと思います。

四国人さんからのコメントには様々な論点が含まれていました。ここまで記したことでお答えしている点がある一方、充分補え切れていない点があることもご容赦ください。その中で明確にお答えすべき点として、私どもの組合の執行委員から韓国を強く非難したいという相談を受けた場合の問いかけです。このブログで徴用工判決の問題を取り上げていますが、そもそも執行委員会等で議論している訳ではありません。

あくまでも私自身の個人的な見解を示しています。したがって、韓国を非難したいという執行委員に対して自制を求めることは考えられません。その際、私自身の考えを伝えるかも知れませんが、最終的な判断は執行委員自身に委ねる関係性となります。組織として議論を尽くし、一定の方向性が決まっている事案についても状況に応じ、その方向性と相反する個人的な意見が示された場合も同様だろうと考えています。

膨らむどころか、前回記事以上の長さとなっています。寄せられたコメントすべて網羅できていませんが、前回の内容を補いながら改めて私自身の考えを書き進めてきました。慰安婦財団解散の問題にも触れるつもりでしたが、このあたりで今回の記事は区切りを付けさせていただきます。

最後に、レバノン日本国特命全権大使だった天木直人さんのブログ記事を紹介します。すべて私自身の見方と一致している訳ではなく、言葉使いも気になるため、紹介すること自体に批判を受けるのかも知れませんが、多様な「答え」に触れ合う機会としてご理解くださるようお願いします。

韓国政府は昨日21日、慰安婦財団の解散を正式に発表した。これに関し、日本は、安倍政権はもとより、与野党もメディアも世論も、狂ったように猛反発している。国際合意を一方的に破るような国は国ではないと。これでは日韓関係はなりたたないと。それを言うならトランプの米国に言うべきだ。しかし、私が書きたいのはその事ではない。米国と違って韓国は合意を破っていない。その事を言いたいのだ。

報道を冷静に読むと、韓国政府ははっきりと述べている。韓国政府は日韓合意を破棄するつもりはないと。日韓合意を順守することに変わりはないと。その一方で、すべての報道は教えてくれている。元慰安婦のうち約7割は財団が支給した現金を受け取ったが、一部の慰安婦や市民団体が合意を批判して受け取らないままだと。これを要するに、慰安婦財団の役割が終わったということだ。

受け取らないと決断した元慰安婦がいまさら受け取ることはない。日韓合意に反対する市民団体が反対を止める事はない。個人の拒否する意思や反対行動を、政府の合意で一方的に捻じ曲げたり、阻止する事は出来ない。それが民主主義だ。役目の終わった慰安婦基金の残りの財源を無駄にしないためにも、韓国政府の言う通り、他の目的に有効に使われるように日韓両政府は協議を始めるべきなのだ。

ここまで書いていくと、賢明な読者ならもうお分かりだろう。韓国政府は日韓合意を一方的に破棄したわけではない。あの日韓合意はもはやその役割を終えただけなのだ。日本が一方的に約束違反だと怒り狂っているだけだ。ついでに言えば、あの徴用工問題もそうだ。個人の補償請求権は、日韓合意で消滅したわけではない。このことは日本政府も認めている。韓国最高裁の判決は、日韓両政府にあの時の不十分な日韓合意について善後策を考えろと命じただけだ。

そして文在寅大統領は安倍首相と違って司法の中立性を尊重し、最高裁の判断を尊重し、日韓両政府で善後策を考えようと安倍首相に提案しているのだ。慰安婦問題といい、徴用工問題と言い、今度の騒動から見えたもの。それは日本と言う国が、政治家もメディアも世論も、歴史を直視する勇気を持たず、隣国に対する反感、差別意識から抜けきれないという事である。残念でならない(了)

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2018年11月17日 (土)

徴用工判決の問題

今期の賃金交渉は早期に決着できました。独自な人事委員会を持たない当市は東京都の人事委員会勧告の内容をもとに改定することを基本としています。今回もその基本原則を確認し、先週火曜夜に労使合意しました。今年も月例給の引き上げは見送られていますが、年間一時金は0.1月分引き上げられて4.6月分となります。

その夜に開かれた団体交渉は賃金交渉のゴールである一方、新たな課題を巡るスタートでもありました。各種手当の中で都の水準を上回っている額や運用について見直したいという提案が示されました。今後、組合員の皆さんに詳細を報告し、年度末まで交渉を重ねながら理不尽な提案は押し返し、納得できる決着点をめざしていきます。

このブログでは政治的な話題を取り上げることが多くなっていますが、組合活動の日常は労働条件を巡る労使協議が大半を占めています。このあたりの関係性の説明は以前の記事「組合の政治活動について」や「一つの運動として」の中で綴っていました。今回も日常の組合活動からは離れた非常に難しい話題に触れてみるつもりです。

前々回記事「原発の話、インデックスⅡ」の冒頭、「再び、組合役員の担い手問題」のコメント欄で韓国の最高裁(韓国大法院)が戦時中の徴用工に賠償を命じた判決の問題も取り上げられていたため、 私からは「この場でも私自身の考え方を示すべき点があろうかと思いますが、難しい問題であればあるほど中途半端に触れないように努めています」と書き添えていたことを紹介していました。

さらに触れるのであれば腰を落ち着けて取り上げるべき問題だろうと思い、たいへん恐縮ながら言葉や説明が不足しそうな触れ方は避けてきました。なかなか難しい問題であり、見送ったままにすることも望ましい判断だったのかも知れません。それでも今回、私なりの問題意識をまとめてみる機会としています。

あくまでも個人的な考え方の整理であり、閲覧されている皆さん一人ひとりが様々な「答え」をお持ちであろうかと思います。したがって、一つの「答え」を押し付ける意図は毛頭なく、多様な情報に触れる機会だとお考えいただれば幸いなことです。まず事実関係を整理するため、次の報道内容を紹介します。

日本の植民地時代に強制労働させられたとして元徴用工の韓国人ら4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟で、韓国大法院(最高裁)は30日、同社の上告を棄却し、1人当たり1億ウォン(約1千万円)を支払うよう命じた2013年のソウル高裁判決が確定した。日本企業に賠償を命じる判決が確定したのは初めてで、日韓関係は新たな火種を抱え込んだ。

日本政府は、元徴用工の個人請求権は日韓国交正常化に伴う1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場。これに対し13人の判事全員による審理では、7人が「請求権協定は日本の不法な植民地支配に対する賠償請求交渉ではなかった」と結論づけ、強制動員被害者の日本企業への慰謝料請求権は協定の適用対象外だとした。一方、協定に含まれるとした反対意見は2人だった。

原告らは2005年2月に提訴。一、二審では時効などを理由に棄却された。だが12年に最高裁が「個人請求権は消滅していない」と審理を差し戻し、13年にソウル高裁が賠償支払いを命じた。元徴用工による損害賠償請求訴訟は、高裁と地裁を含めて他に14件あり、今後は一、二審ですでに賠償命令が出たものも含めて日本企業側が敗訴する公算が大きい。韓国政府が認定した元徴用工は22万人で今後、提訴が相次ぐ可能性がある。同様の訴訟が起きている中国や、徴用工問題を「過去の清算」として賠償を求める北朝鮮にも影響を与える恐れもある。

韓国の歴代政権は、徴用工問題は協定で解決済みという立場を維持してきたが、判決を受けて再検討を始める見通し。李洛淵首相は「司法判断を尊重し、判決と関連した事項を綿密に検討する」とした政府の立場を発表した。新日鉄住金は「日韓請求権・経済協力協定と日本政府の見解に反するもので、極めて遺憾」と書面でコメントを公表。判決に応じなければ、韓国内の資産を差し押さえられる可能性があるが、同社は資産の有無を明らかにしていない。

<日韓請求権協定> 国交正常化を定めた1965年の日韓基本条約と同時に締結された付随協約。第1条で日本の韓国に対する経済協力として、当時の約1080億円に当たる3億ドルを無償供与し、別に2億ドルの長期低利貸付を行うことを定めた。第2条で日韓両国とその国民の間の財産、権利、利益、請求権に関する問題が「完全かつ最終的に解決された」ことを確認。第3条では協定に関する紛争はまず外交で解決し、解決しない場合は仲裁委員会の決定に服すると規定した。【東京新聞2018年10月31日

この判決が示された後、主要な新聞社が揃って判決内容を批判的な論調で報道していました。これまで新聞社の基本的な立ち位置によって評価が分かれる傾向もありましたが、この問題に限っては、ほぼ足並が揃っていたようです。ZAKZAKの【痛快!テキサス親父】の次のようなコラム記事の一部を紹介しますが、多くの日本人が同じような気持ちを抱き、怒っているのかも知れません。

1965年に日韓両国は、「日韓基本条約」と「日韓請求権・経済協力協定」を締結し、国交を結んだ。この際、日本は、韓国国内に残した約53億ドルとされる莫大な資産を放棄したうえ、当時の韓国の国家予算の約2・5倍という総額8億ドル(無償3億ドル、有償2億ドル、民間融資3億ドル)を経済協力金として支払ったという。日本の外貨準備額が18億ドルのときの8億ドルだぜ!俺は、日本人をすごいと思う。

この協力金には、日本の敗戦に伴う、韓国人への未払い賃金なども含まれていた。韓国政府がまとめて受け取り、自国民へ補償するという約束で、請求権問題は「完全かつ最終的に解決した」と記されたんだ。ところが、韓国政府はこの大金を経済発展のために使ってしまい、個人の未払い賃金には払わなかったという。そして、このことを2005年まで自国民に伝えてこなかった。韓国最高裁は今回、国家間の条約や歴史を無視して、日本企業に賠償命令を出した。

世界に向けて「わが国は法治国家ではない」と宣言したようなものだ。そして、文在寅大統領率いる韓国政府は「司法府の判断を尊重する」と、うそぶいているという。こんなヒドイ話はないぜ。親が子供の給料を会社からネコババしておきながら、子供は給料を親ではなく会社に請求しているようなトンチンカンな話だぜ。二重請求だろ?自国民をダマして、ダマしきれなくなったら、形だけの裁判所を使って日本企業に支払い命令を出したといえる。「国家ぐるみの詐欺」と言われても仕方ないんじゃないか?

元徴用工の「強制的に奴隷のように働かされた」という主張に対し、朝鮮半島出身者の中には本土出身者より稼ぐ者もいたという記述が上記のコラムの続きの中にありました。自発的な出稼ぎでそのような待遇の労働者がいたことも事実だろうと思います。しかしながら徴用され、過酷な環境を強いられた原告のような労働者がいたことも事実として押さえなければなりません。

さらに「日本の左派団体やメディアが暗躍しているんじゃないのか?」という言葉もありましたが、憶測や思い込みが先走ってしまうと事実関係を正しく把握できない恐れもあります。このように淡々と怒りを前面に出さずに今回の問題を語ると「韓国に寄り過ぎだ」と批判され、やはり「左派団体の一人」というレッテルを貼られてしまうのでしょうか。

確かに左に位置する立場の方々は今回の判決に際し、怒りを前面に出していない傾向があります。このブログの中で時々紹介している弁護士の澤藤統一郎さんは「徴用工訴訟・韓国大法院判決に真摯で正確な理解を」というタイトルの記事を投稿されていました。「判決は、けっして奇矯でも、反日世論迎合でもない。法論理として、筋が通っており、条理にかなっていることも理解しなけばならない」と訴えられています。

そもそも日本政府も日韓請求権協定があっても、個人の損害賠償請求権があることを認めていました。1991年8月27日の参院予算委員会で、外務省の柳井俊二条約局長(当時)は「両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決した訳でございます。その意味するところでございますが、日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と答弁していました。

韓国大法院が今回の判決を下す際、反対した2人の裁判官は「請求権・経済協力協定の対象には個人請求権も含まれ、原告が個人請求権を行使することは制限される」とし、「国際法に照らすと、国民の財産などに関する問題を国家間の条約で一括して解決するのは一般的に認められている。協定が憲法や国際法に違反していないのならば、内容を好む、好まないに関わらず、守らなければならない」と指摘していました。

このような考え方に立った場合、安倍首相や河野外相らが「国際法に照らし、あり得ない判断だ」と強い口調で批判されていることも理解できます。一方で、個人の請求権は消滅していないという解釈も残されている中、もう少し含みを持たせた言葉のほうが適切だったのではないかと感じていました。特に現時点では三権分立における司法としての判断であり、このまま韓国政府が国家間の信頼関係を損ねるような時こそ、強く批判する局面だろうと思っています。

韓国側の政権は日本と比較できないほど大きく変遷してきています。しかし、国家間の約束は重く、これまで徴用工だった方々に充分な保障がされていなかった場合、韓国政府の責任として対応すべきものと考えています。ちなみに判決に反対した2人の裁判官は「個人請求権を行使できないことで被害を被った国民に対し、国家は正当な補償をしなければならない。日本企業の代わりに韓国政府が補償するべきだ」という意見も添えていたようです。

判決後、韓国政府は「司法の判断を尊重して、最高裁の今日の判決と関連する事項を綿密に検討する」とし、政府の対応策をまとめていく方針を示していました。その上で「強制徴用の被害者が受けた傷を迅速かつ最大限に癒すことができるよう努力していく」と強調し、同時に日韓関係も「未来志向的に発展させていくことを希望する」という立場を表明していました。

日本政府も、私たち日本人も、この韓国政府の言葉の底意を信頼し、感情的な反発や敵愾心を燃やすことなく、今後の推移を見守っていくことが肝要だろうと考えています。「甘すぎる」という見方もあろうかと思いますが、あくまでも現時点での私自身の「答え」となります。なお、前大阪市長の橋下徹さんは「徴用工問題、日本が負けるリスク」という論評を示し、『徴用工判決「日本は全く悪くない」は本当なのか?』という論点を提起されています。

最後に、韓国の男性アイドルグループ防弾少年団(BTS)のメンバーが着た原爆キノコ雲のTシャツの問題について一言だけ触れさせていただきます。至らない点や問題があれば指摘し、改めてもらう、場合によって相応のペナルティも必要なのかも知れません。しかし、このような問題に限らず、nagiさんから紹介されたコラム「われわれ韓国人が手を差し出すべき日本人もいる」の著書が述べているような冷静さを保つことによって、日韓両国民は歴史問題の痛みを乗り越え、未来への扉を開けられるのではないでしょうか。

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2018年11月10日 (土)

定期大会を終えて、2018年秋

記事タイトルに悩む時がありますが、今回、悩まず「定期大会を終えて、2016年秋」「定期大会を終えて、2017年秋」という3年続けた同じパターンでの記事タイトルとしています。金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。5年前の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。

2年前の定期大会で特別議案「組合財政の確立に向けて」を確認し、経常的な収入に見合った支出構造に近付ける努力を重ねています。定期大会の会場の見直しもその一つでした。組合員数は1,160人です。組合員全員の出席を呼びかけているため、これまで千人以上収容できる市民会館の大ホールで催してきました。2階席は使用していませんでしたが、実際の出席者数に比べて大ホールは広すぎて、残念ながらガランとした雰囲気になりがちでした。

一人でも多くの出席を呼びかけながら300人も入らない会場で催した場合、初めから出席者をあまり集める気がないように思われてしまいます。このような点を考慮し、大ホールを定期大会の会場に定着させていました。しかしながら組合員数の減少に伴い、出席者数も漸減してきていました。そのため、昨年から会場を1,201席の大ホールから246席の小ホールに移していました。

昨年の最終的な出席者数は168人でした。残念ながら「うれしい悲鳴」を上げることなく、背伸びしない身の丈に合った小ホールの収容規模に見合った出席者数だったと言えます。小ホールへの変更に合わせ、食事と出席記念品の配布をやめていました。そのため、300人前後で推移してきた出席者数の減少は、ある程度想定していました。

昨年の168人という数は大成功と喜べるものではありませんが、ことさら悲観するレベルのものでもありませんでした。今年の出席者数は162人で、雨が降る中で昨年並みの数字となりました。この水準で今後も推移していくことも期待できるため、しばらく小ホールでの全員参加型の組合大会を維持していけるのかも知れません。

さて、定期大会冒頭の執行委員長挨拶は例年通り簡潔な内容の挨拶に努めました。ちなみに人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介しています。今回の内容は下記のとおりでした。

私自身、組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強めています。人事評価制度の本格実施や時間外勤務縮減の動きを受け、ますます職員一人一人の声を労使交渉に反映させていくことの大切さを感じ取っています。管理職からの評価結果が昇給額を左右し、生涯賃金に影響を与えていきます。管理職からの「評価を下げるぞ」という一言が、場合によって部下からすればハラスメントという関係性につながりかねません。

組合は査定昇給の実施にあたって慎重な労使協議を求めてきました。合意する際、第1次評価者と第2次評価者とのダブルチェック機能の強化など恣意的な評価を防ぐ手立てなどを取り入れさせてきました。管理職の皆さんが初めから恣意的な評価を下そうと考えていないものと思いますが、制度や運用面でのチェック機能を設けることの大切さは言うまでもないはずです。

時間外勤務縮減の課題に際し、市長にとって20時完全退庁宣言は「職員のため」という意識からでした。しかし、組合員からは「残りたくて遅くまで残っている訳ではない」という声があり、組合はそのことを申し入れた上、20時に完全退庁できる職場体制の確立こそ急務という認識を労使で確認してきた経緯もあります。

一職員の立場であれば、市側が進めている制度や運用に修正をかけることは難しく、まして市長や副市長らに率直な意見を伝える機会も皆無に近いのだろうと考えています。職員の大半が加入している労働組合があり、実際に活動を担う組合役員がいるからこそ発揮できる組合の大事な役割だと言えます。

しかしながら担い手がいなくなれば充分な役割を果たせず、看板だけの組合になりかねません。このような問題意識を踏まえ、今回、本日配布した議案の中で協力委員の創設を提案させていただきました。ぜひ、協力委員の創設が組合活動を活性化させるための一つの手法として、ご理解ご協力をいただけますようよろしくお願いします。

来年7月には参議院議員選挙があります。労使関係を象徴的な例示として上げることができますが、より望ましい「答え」を見出すためには幅広い視点から多面的なチェックを加えていける仕組みが重要です。国会の場でこそ、そのような健全な機能が発揮されなければなりません。

そのためにも幅広く多様な声を国会に届けることが欠かせず、自治労の代表である岸まきこさんを参議院に送り出すことの意義や大切さは増しているものと考えています。同時に自治労の代表を国会に送り続けることは「組合員のため」という労働組合の立場や方針からのものであり、ぜひ、そのような考え方について組合員の皆さんのご理解ご協力をよろしくお願いします。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとってどうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。

出席者からの発言として、今回も保育士の方から「公立保育園の大切さ」のアピールがありました。その他に質疑はなく、執行部提案はすべて原案通り承認を得られました。その中には前々回記事「再び、組合役員の担い手問題」でお伝えした「協力委員」の創設も確認できました。さっそく何人かの方にお声かけしていますが、快く引き受けていただけています。今後、担い手不足の閉塞感を転換できる切っかけになることを願いながら多くの方々をお誘いしてみようと考えています。

今回の定期大会を区切りとして、たいへん長い間、組合役員を務められた執行委員や元委員長で特別執行委員だった方が退任されました。本当にお疲れ様でした。長い間、お世話になりました。たいへん寂しいことですが、協力委員制度が大きく育つことを期待した上、様々な事情を抱えながらも組合役員に立候補された皆さんとともに前向きに頑張っていく決意を固めています。

定期大会が終わった後、今年も金曜の夜だったため、遅くまで飲み語り合ってしまいました。さらに土曜と日曜に予定が入っていることもあり、今週末の新規記事はいつもに比べれば簡潔な記事にまとめさせていただきました。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、ご来賓やメッセージをお寄せくださった皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2018年11月 3日 (土)

原発の話、インデックスⅡ

数週間以上前の記事にコメントを投稿する際、管理人である私も含めて「スパム・コメント防止のために、以下の画像の文字を入力してください」と指示されます。そのような手間もかかりますので、記事本文の題材と異なる話題だったとしても新規記事に様々な意見や情報が寄せられることを歓迎しています。

多様な考え方を踏まえた場として」の冒頭に記していましたが、幅広い視点からの多様な意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っているからです。前回記事「再び、組合役員の担い手問題」のコメント欄でも、韓国の最高裁が戦時中の「徴用工」に賠償を命じた判決の問題も取り上げられていました。

土曜の朝、私からは「この場でも私自身の考え方を示すべき点があろうかと思いますが、難しい問題であればあるほど中途半端に触れないように努めています」と書き添えていました。記事タイトルとは離れた問題ですが、新規記事の冒頭で少し触れてみようとも考えました。しかし、触れるのであれば腰を落ち着けて取り上げるべき問題だろうと思い直し、たいへん恐縮ながら言葉や説明が不足しそうな触れ方は見送らせていただきました。

さて、少し前の記事「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄で、北海道胆振東部地震による大規模停電に端を発した原発を巡る議論が交わされていました。投稿してから1か月以上たちますが、qurさんとAlberichさんとの間でやり取りが続いていました。お二人の見識さに触れながら閲覧者の一人として、それぞれのご意見を興味深く拝見していました。

その議論に触発され、久しぶりに記事本文の中で原発の話題を取り上げてみました。それが「最近の原発報道から思うこと」でした。記事タイトルに掲げたとおり原発に関する様々な報道の紹介を中心にした内容でした。そのため、記事の最後に「原発の話、インデックスⅡ」を投稿する機会があった時、もう少し個人的な考え方も添えさせていただくつもりです、と書き添えていました。

私自身の原発に対する問題意識は当ブログの記事本文を通して数多く発信してきていました。ただ「原発の話、インデックス」を投稿したのが2012年9月のことだったため、近いうちに「原発の話、インデックスⅡ」をまとめてみようと思い立っていました。時々「インデックス」記事を投稿しようと考えているのは次のような理由があるからです。

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめていました。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「春闘の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」「憲法の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅢ」のとおりです。なお、「Ⅱ」 以降がある場合は最新のインデックス記事のみを紹介しています。

そのようなインデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えていましたので、今回、「原発の話、インデックスⅡ」に取りかかったところです。「平和の話、インデックスⅡ」を投稿してから4年少しで「平和の話、インデックスⅢ」には新たに50以上の記事を加えていました。「原発の話」に関するバックナンバーは下記のとおりですが、新たに追加した記事は思ったよりも少なく6点にとどまっていました。

4年の間に安保関連法の成立や北朝鮮情勢を巡る動きが緊迫化していたため、新たに加える「平和の話」が多いことは予想していました。それに比べて「原発の話」が思っていた以上に少なかったことは、やはり世の中の関心の度合いが低くなっていたからだろうと考えています。さようなら原発集会の参加者も1万人に及ばなくなっています。

福島の原発事故を大きな教訓とし、日本の将来にとって原発は必要なのかどうか議論を続けていかなければなりません。脱原発を願う立場なのか、原発を容認や推進する立場なのか、立場の違いに関わらず国民の関心が低下しつつある現状だったとしたら残念なことです。私自身は将来的に原発をゼロにすることを願う立場です。上記のインデックスの日付が示すとおり福島の事故の前からそのような立場でブログを綴ってきました。

原発を稼動していくためには半永久的に厳重な管理が必要とされる放射性廃棄物の問題があります。チェルノブイリや福島の原発事故が伝えているとおりメルトダウンを起こした時の被害の深刻さや影響の重大さははかり知れません。安定した電力供給など原発の利点もあるのかも知れませんが、太陽光をはじめとする再生可能エネルギーや蓄電の技術開発を進めることで原発に依存しない社会の実現を望んでいます。

一方で、二項対立的な反対行動とは一線を画した積み重ねも重視すべきものと常々考えています。原発に反対する全国集会に10万人集めても残念ながら脱原発の工程表は不明確なままです。そのような現状を省みていくことも重要であり、例えば「戦争も原発もいらない」と訴えることで、あるイデオロギーを持った「運動」自体を目的化したような集団だと見られてしまうのではないかと危惧しています。

私自身の問題意識として、理想とすべきゴールを描きながらも、物事を実際に改めていくためには現状からスタートする地道な一歩一歩の積み重ねが大事だと考えています。したがって、原発を即時廃止と訴えた場合、原発は必要だと考えている方々との議論がかみ合わなくなる懸念を抱えています。本当に原発ゼロを実現するのであれば、原発を必要と考えられている方々との対話が欠かせないものと認識しています。

何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか Part2」という記事の中に残していた言葉です。このような問題意識のもとに連合の地区協役員の一人として、東電労組の皆さんらとも原発について意見交換する機会も作ってきました。大きな広がりにつなげることはできていませんが、それこそ自分ができる範囲での地道な一歩一歩を大切にしています。このブログの場もそのような一歩につながることを願っています。

そのため、qurさんとAlberichさんとの議論などは歓迎すべきことであり、たいへん感謝していました。いろいろな考え方や情報に触れ合うことで「やはり原発はなくしたい」と思うのか、「それでも原発は必要」と思うのか、このブログが原発の将来のあり方について関心を高めていくための一つの材料になれれば幸いなことです。

最後に、「最近の原発報道から思うこと」を読まれた組合員から次のような指摘を受けていました。『AERA』の記事を紹介した後、「泊原発が動いていなくて良かった」という見方は原発そのものに反対、もしくは容認、それぞれの立場に関係なく、押さえておくべき事実関係だろうと考えています、と記していました。この記述に対し、組合員から「このような言い方は決め付けすぎではないですか」という指摘を受けました。

地震による停電で泊原発も外部電源をすべて喪失していたことを伝える『AERA』の記事でしたが、『震度2で電源喪失寸前だった北海道・泊原発「経産省と北電の災害対策はお粗末」地震学者』という見出しは偏った評価のもとに付けられている点などの指摘でした。人によって違和感を持つ見出しや記事内容だったのにも関わらず、「それぞれの立場に関係なく、押さえておくべき事実関係」という私自身の言葉は決め付けすぎだったようです。たいへん失礼致しました。このような指摘は本当に有難いことであり、ぜひ、これからもよろしくお願いします。

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