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2018年10月 7日 (日)

子どもの貧困と社会的養護の現状

最近の記事「多様な考え方を踏まえた場として」や「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄に寄せられているご意見等を踏まえ、じっくり記事本文で取り上げたい論点が多く見受けられています。ただ最近、たいへん貴重な機会が得られ、そのことを少しでも多くの方にお知らせしたいものと思い直していました。

貴重な機会とは連合三多摩ブロック地協の政策・制度討論集会で得られていました。プロジェクトの一員として水曜の午後、休暇を取って参加した催しです。毎年、この時期に開かれ、これまで当ブログでは連合三多摩の政策・制度討論集会で得られた内容をもとに「子ども・子育て支援新制度について」「保育や介護現場の実情」「脱・雇用劣化社会」という記事を綴っていました。

三多摩の地で働き、三多摩の地で暮らす組合員の多い連合三多摩は、各自治体に向けた政策・制度要求の取り組みに力を注いでいます。今年も多岐にわたる要求書を全自治体に提出しています。その一環として討論集会を企画しているため、主催者を代表した議長挨拶は「課題認識の共有をはかるとともに政策・制度の実現に向け、運動を展開していこう」と結ばれていました。

「多摩の未来に夢を」というスローガンを掲げた政策・制度要求の取り組みについて、プロジェクトの主査から全体会の中で報告や提案がありました。224名が参加した全体会の後、二つの分科会があり、私は第1分科会「子どもが安心して暮らせる社会をめざして」の中で報告されたお話に触れることができました。

課題提起として「子どもの貧困 現状と課題~子どもたちが幸せに暮らせるために~」というテーマで「公益財団法人あすのば」の代表理事である小河光治さんからお話を伺いました。続いて事例報告として「「子どもはみんな幸せになりたくて生まれてくる」というテーマで「里親ひろば ほいっぷ」グループの代表である坂本洋子さんからのお話を伺いました。

お二人から伺ったお話は興味深く、たいへん貴重なものでした。今回、さらに貴重な機会として、それぞれのテーマに関わる当事者だった方から実際に経験してきたお話を伺うことができたことです。小河さんには「あすのば」の理事である石川昴さん、坂本洋子さんには「ほいっぷジュニア」の代表である坂本歩さんが同席され、それぞれ檀上から子どもの時の体験談を語っていただきました。

まず「あすのば」ですが、代表の小河さん自身も父親を交通事故で亡くされ、貧困にあえぐ過酷な子ども生活を送られた方でした。中学2年の時、母親から「お金がなくなった。ガス栓をひねって死のう」と言われたことがあったほどです。その後、幸いにも地域の方々の「おせっかい」などに助けられ、奨学金で大学まで卒業でき、「あしなが育英会」に就職されたそうです。

遺児だけが苦しいのではないと思い、小河さんは26年間勤務した「あしなが育英会」を退職し、2015年6月19日に子どもの貧困対策センター「あすのば」を設立しました。その日は子どもの貧困対策法成立から満2年を迎えた日でした。子ども貧困対策法は子どもの将来が生まれ育った環境に左右されないという理念のもと、小河さんらの地道な運動が後押しして成立していました。

あすのばは、「明日の場」であるとともに「US(私たち)」と「NOVA(新しい・新星)」という意味もあります。子どもたちが「ひとりぼっちじゃない」と感じてほしいという「私たち」と一緒だよという願い。そして、多くの人に子どもの貧困問題が他人事ではなく自分事に感じてほしいという「私たち」でもあります。みんながつどう「場」であってほしいですし、すべての子どもたちが明日に希望を持って、輝く新星のような人生を送ってほしいという願いも込めています。

上記は「あすのば」を紹介するサイトに掲げられた言葉です。2009年10月、厚生労働省は初めて子どもの貧困率を発表しました。14.2%という数字の高さに驚き、その年の12月に危機感を強めた小河さんらが子どもの貧困対策法の制定を提唱しました。この法律が成立し、ひとり親家庭の児童扶養手当の第2子以降の加算額の引き上げ、給付型奨学金制度の創設など多様な施策が推進されるようになっています。

貧乏で困りごとの多い場合が貧困であり、「貧へのアプローチ」は世帯の所得増や教育費の負担減などを必要とし、「困へのアプローチ」は困った時に頼れる人を増やすことの必要性が小河さんから語られていました。子どもたちが将来、経済的・精神的に自立し、幸せな人生を歩むことができる人に育てるために「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」とも小河さんは訴えられていました。

小河さんの後、現在「あすのば」で活動する石川さんからのお話でした。石川さんのインタビュー記事を掲げたサイトがあり、参考までにリンクをはらせていただきました。そこに記されているとおり石川さんは、父親の暴力が原因で児童養護施設に2歳から入所していました。たいへん印象に残ったお話として、子どもの頃、週末は自宅に帰られていたとのことです。

そこで父親から暴力を振るわれてしまう訳ですが、それでも「親に会いたくて、好かれたくて」毎週末帰っていたそうです。両親は離婚され、親権は父親が持ち、その父親に認められたくて勉強もスポーツも必死に頑張られていました。オリンピックをめざせるような実力を付けながら「結局、父親からは認めてもらえなかった」という言葉が物凄く重く、切なく感じました。

児童養護施設は18歳になると出なければなりません。石川さんと一緒に暮らしてきた仲間は「普通の子」ばかりだったと話されています。しかし、独り立ちしてから男性は非行に走りがちとなり、女性は「夜の仕事」を余儀なくされがちな現状を悔しそうに語られていました。石川さんは奨学金を受けて大学に進みましたが、すぐ辞めてしまったそうです。いくつもの挫折を経験し、一度は「どん底に落とされた」と話されていました。

石川さんは養護施設出身の仲間に誘われ、「あすのば」と出会いました。「俺にも居場所ってあるんだなって」と思い、そのまま貧困支援の活動に関わることになっていました。印象に残ったお話を中心にまとめているつもりですが、長い記事になりつつあります。翌週にわたった記事になるよりも、このまま「子どもはみんな幸せになりたくて生まれてくる」というテーマでの坂本洋子さんからのお話も続けさせていただきます。

保護者のいない子どもや被虐待児など家庭環境の問題から養護を必要とする児童に対し、公的な責任として養護を行なうことを社会的養護と言います。日本における社会的養護対象児童数は約4万6千人です。家族のもとで暮らせなくなった子どもを自分の家庭に迎え入れて養育する里親制度ですが、社会的養護対象児童数に対する日本の里親委託率は16.5%です。

オーストラリアの里親委託率は93.5%、アメリカやイギリスは70%台、諸外国は軒並み50%前後であり、日本の16.5%という低さが際立っていることを坂本洋子さんは問題視されています。東京都内の里親家庭は510、委託児童は440人とのことです。その里親家庭の一つとして、坂本洋子さんは1985年から里親として18人の子どもたちを育ててきています。

坂本洋子さんが用意されたパワポの画面には「傷を持つ子ども達 ・親による虐待 ・手をかけてもらっていない ・人間不信 ・育てにくい子、抱かれ下手 ・大人の都合で人生を左右されている ⇒ 子どもに全く責任はない」と記されていました。さらに「当たり前」は当たり前ではないこととして、名前に込められた意味、親と子どもの名字が違う、母子手帳(生年月日、身長、体重)、幼少時の思い出や写真、親や親戚の存在などを上げ、里親に預けられる子どもたちの境遇を語られていました。

坂本洋子さんは里親家庭の良さを次のように説明しています。子どもにとって帰れる場所があり、24時間いつも一緒で、自分の味方であり、心からほめ、真剣に叱ってくれ、わがまま(甘え)を受けとめてくれ、自分を信じてくれる存在が里親です。里親家庭がいなければ、その子は一生「パパ」「ママ」と呼ぶことはなかったかも知れないと話されていました。

里親側からすれば「たやすくはないがこの世にたった一人の大切な大人にしてもらった有難さ」を上げられていました。養育上大切にしていることとして「・甘えとわがままを見極める ・自己肯定感を高める(自己受容) ・前向きになれる言葉をシャワーのようにかける ・自分も大切 みんなも大切 ・どうなってほしいか、ではなく子どもが何をしたいか ・養育者はぶれない」という言葉を掲げられています。

坂本洋子さんの報告の後、パワポの画面は坂本家の子どもたちが水族館などに出かけた時のスナップ写真を映し出していました。小学校低学年から高学年の子どもたち、みんな楽しそうな姿でした。恵まれた家庭環境ではなかった幼い子どもたちが坂本家で普通に暮らしている姿を垣間見た写真の数々でした。この写真の後、坂本家の10番目の子どもである坂本歩さんから当事者の声を伝えていただきました。

坂本歩さんの元の名字は「山之内」でしたが、2016年9月、養子縁組によって坂本姓となっていました。ここからは歩さんと記させていただきます。歩さんは生まれてから乳児院、幼児専門の児童養護施設、児童養護施設と転々とし、小学1年の夏から里親の坂本家で生活しています。20歳まで措置延長した後も、そのまま坂本家で暮らし、現在に至っています。

給付型の奨学金を受け取ることができ、明治大学総合数理学部現象数理学科に通い、数学の教師になることをめざしているとのことです。小学生の頃は里子であることへのいじめがあり、中学や高校に進んでも「親と名字が違うことでの周りの反応」が気になったそうです。歩さんは自らの体験を振り返る中で「里子であることは悪いことではない。子どもには何の罪はない。誰から生まれてくるかより、どうやって生きていくのかが大事」と強調されていました。

それぞれのお話を通し、共通して提起されていた問題意識をまとめてみます。子ども自身が選ぶことのできない家庭環境等によって、将来の可能性が閉ざされてしまうことは、その子どもにとって理不尽で不幸な話であり、社会的な損失にもつながります。今回のような現状を伝えたことで、すぐ何か行動を期待していく訳ではありません。まず何よりも多くの方々に子どもの貧困の問題などを知ってもらい、社会的養護のあり方がどうあるべきなのかを考えて欲しい、このような思いが伝わってきたお話の数々でした。

そのため、冒頭に記したとおり今回の記事タイトルは「子どもの貧困と社会的養護の現状」とし、私自身が知り得た情報を一人でも多くの皆さんに拡散する機会とさせていただきました。実は討論集会の当日の夕方、どうしても市役所に戻らなければならず、残念ながら日野市選出の都議会議員からの事例報告「子どもが安心して暮らせる社会をめざして」や質疑討論の時間帯には参加できませんでした。関係者の皆さん、たいへん失礼致しました。

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コメント

労組、職員団体が取り組む問題としては本筋でないという点で、平和活動などとも共通していますが、子どもの貧困問題は取り組んで良い、取り組むべき問題と思いますね。「みんなの生活向上」という広い意味での目的には合致しますし。多くの人が、出来る範囲で支援に関わって、深く関わる人がきちんと全体を見て逸脱や遺漏がないように運営できればいいのですがね。そういう意味で「子ども食堂」なんかへの支援はやってもいいんじゃないかと思います。

投稿: qur | 2018年10月 9日 (火) 01時03分

qurさん、コメントありがとうございました。

組合員のための組合活動という目的のもと「三多摩の地で働き、三多摩の地で暮らす」という言葉につながっています。職場課題を解決できる労使交渉能力が最も重要だと考えていますが、主客逆転しない範囲で多岐にわたる活動にも関わっています。そのような意味で、ご指摘のとおり子どもの貧困問題は大事な領域だと思っています。

投稿: OTSU | 2018年10月13日 (土) 21時12分

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