障害者雇用率の問題
もはや災害レベルと言える猛暑から猛烈な台風による被害が続き、木曜の朝には北海道を襲った震度7の大地震、日本列島の各所で甚大な痛みが強いられています。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。非日常の労苦に直面されている方々が多い中、恐縮する思いがありますが、いつもと同じように今週末も新規記事を投稿させていただきます。
前回の記事は「ネット議論の悩ましさ Part2」でした。その記事の中で、どうしても自分自身の正しいと信じている「答え」に沿って折り合えない限り、暖簾に腕押しのような平行線の議論だと感じがちであることを記していました。いみじくもコメント欄で、おこさんから「疑問を持っている人に理解を求めるのは困難」、下っ端さんから「永遠に噛み合わないという過去からの流れは、今後も続いていくのでしょうね」という言葉が寄せられていました。
私からすれば、私なりの言葉を尽くしてお答えしているつもりですが、その「答え」自体が一つの答えとして認められていないような手応えのなさを感じています。いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを位置付けています。この言葉は文字通り個々人の判断基準からすれば異質で理解不能な他者の「答え」だったとしても「そのような考え方もあるのか」という認め合いを推奨したものです。
もちろん理解不能な「答え」に対し、疑問や批判意見を投げかけることがあっても当然です。しかし、自分自身の「答え」の正しさを絶対視する余り、異質な「答え」を発する他者を見下すような関係性だけは避けていければと願っています。おかげ様で当ブログのコメント欄では、そのような関係性が際立つことは稀であり、いつもたいへん感謝しています。
いずれにしても当ブログを通して「答え」を一つに絞ることを目的にしていませんので、パネルディスカッションのような場として幅広い視点や見識からの多様な意見に触れ合っていけることを望んでいます。「コメント欄の限界と可能性」という記事を投稿していましたが、何かの言葉に反応し、「なるほど」という気付きがあり、それまでの考え方を大胆に改める可能性があることも頭から否定できないはずです。
そのような意味合いから久しぶりにベンガルさんに登場いただき、たいへん有難く思っています。最近の傾向として、コメント欄では私自身の主張に対する反対意見の数々という構図が多くなっていましたが、やはり幅広い立場や考え方に基づく意見が交わせることを願っています。当初、このような話を中心にした新規記事も考えていましたが、今回は記事タイトルに掲げた通り障害者雇用率の問題を取り上げさせていただきます。
中央省庁が雇用する障害者数を水増ししていた問題で、厚生労働省は28日、各省庁を再点検した結果、計3460人分が国のガイドラインに反して不正に算入されていたと発表した。障害者数の約半分が水増しだったことになる。雇用の旗振り役である中央省庁自らが数値を偽っていたことになり、制度の信頼が大きく揺らいでいる。
水増しは内閣府や総務省、国土交通省など全体の約8割にあたる27の機関で発覚した。法務省や財務省、外務省、気象庁、公正取引委員会などでも見つかった。実際の雇用率は大きく減少し、公表していた2.49%から1.19%に落ち込む。障害者数が最も減るのは国税庁で1000人超のマイナスになる。雇用率が0%台なのは総務省や法務省、文部科学省など計18機関になった。
加藤勝信厚生労働相は28日の閣議後の記者会見で、「障害者施策を推進する立場として深くおわびを申し上げる」と頭を下げ、「今年中に法定雇用率に満たない人数を雇用するよう努力してもらう」と述べた。水増しの原因については「故意か理解不足によるものか、今回の調査では判断しきれない」とした。障害者雇用促進法は、企業や公的機関に一定割合の障害者を雇うよう義務づけている。
現在の国の法定雇用率は2.5%。厚労省は国の33行政機関の障害者雇用数について昨年6月時点で約6900人とし、当時の法定雇用率(2.3%)を達成したとしていた。厚労省のガイドラインでは障害者手帳などの確認を算定条件にしている。しかし、多くの省庁が手帳などを確認せず障害者として組み入れていた実態が明らかになった。就業できるはずだった障害者の雇用機会を奪っていた可能性がある。
企業の場合は法定雇用率を下回ると、不足数1人当たり月額5万円の納付金を求められる。ペナルティーがない行政機関が不適切な算定をしていたことに対し、民間などからの批判が高まるのは必至だ。水増しは全国の自治体でも相次いで発覚している。政府は28日、障害者雇用の水増し問題を巡り、関係閣僚会議を首相官邸で開いた。
菅義偉官房長官は加藤厚生労働相を議長として再発防止策などを検討する関係府省連絡会議を設置すると表明。「10月中をメドに政府一体となった取り組みのとりまとめができるように検討を進めてほしい」と指示した。同連絡会議のもとに弁護士など第三者による検証チームもつくる。【日本経済新聞2018年8月28日】
上記の報道の通り官公庁の多くの職場で障害者雇用率を満たしていないことが分かり、強い批判を浴びています。民間企業に対して強要し、取り締まる側であり、率先垂範が求められる官公庁側の杜撰さは猛省しなければなりません。幸い私の勤めている市では「水増し」のような実態はなく、雇用率を満たしていることが確認できています。
民間企業の場合、法定雇用率を下回ると不足数1人あたり月額5万円の納付金を求められます。そのようなペナルティが官公庁側には課せられていないという制度面の不公平感も取り沙汰され、「水増し」と非難されるように意図的な操作まで疑われています。なぜ、このような際立った官民の隔たりが生じたのか、次のような解説に接すると少しだけ疑問は解けていきます。
あらかじめ強調させていただきますが、「だから仕方なかった」という情状酌量につなげるための紹介ではありません。あくまでも多面的な情報に触れることで、物事を評価するためのモノサシの幅が広がるという趣旨の一例として取り上げています。その解説は「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」の記事『障害者雇用率「水増し」問題の法制度史的根源』の中に綴られていました。
詳しい内容はリンク先のサイトをご参照いただければと考えていますが、要点は次の通りです。もともと雇用率制度は1960年に制定された障害者雇用促進法で官公庁は義務、民間は努力義務として始まっていました。1976年の改正で民間も義務化され、この時に民間については雇用率未達成企業に納付金制度が導入されました。
「しかし、その際に障害者の範囲が変わったということは、詳しい人でないとあまり知られていないでしょう」とも記されています。その法改正の詳細を官公庁側が「知らなかった」という釈明は決して許されません。ただ「なぜ、ここまで官民での隔たりが生じてしまったのか」という理由や背景についての理解は進みます。さらに当該の記事には次のような問題意識も示されています。
障害者の範囲というのは、実は障害者雇用政策の根幹に関わる大問題でもあるのです。雇用率制度という一つの政策においては、今日新聞を賑わしているように、ほぼ障害者手帳所持者とイコールというかなり狭い範囲の人々の限られていますが、同じ障害者雇用促進法でも差別禁止と合理的配慮というもう一つの政策においては、手帳を持たない精神障害者や発達障害者、難病患者なども含まれます。さらに福祉的就労の対象となる総合支援法の対象はもっと広くなります。
このブログでも2年前に「障害者差別解消法が施行」という記事を投稿し、対象となる障害者は「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」とし、障害者手帳等の所持者に限らず、見た目で分からないこともあるという記述を残していました。今回のような報道が注目を集めてしまい、その結果、障害者手帳を持っていない方々に対する職場における合理的配慮が欠けていくようでは問題です。そうならないためにも障害者差別解消法の理念にもっとスポットライトが当たらなければならないものと考えています。
8月5日に投稿した「平和の話、インデックスⅢ」以降、安全保障に関わる論点を提起してきています。それぞれの記事に対し、多くのコメントをお寄せいただいています。基本的に私からのレスは記事本文を中心に対応しています。問いかけすべて網羅した対応に至っていない中、今回、これまでの流れを変えた題材になったことをご容赦ください。決して意識的に流れを変えようと思っている訳ではなく、お寄せくださったコメントは一つ一つ拝読していますので、今後投稿する新規記事を通して私なりの「答え」を少しずつお返しできればと考えています。
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コメント
障害者雇用の問題は本当に大変です。労務に関わったこ
とがあるならば、その大変さを誰もが理解できるでしょ
う。私は制度そのものには大賛成してます。ただ、民間
に求めることを同じように役所に求めるのはどうかとも
思っています。国も地方も限られた財源と人材で激務を
こなしている状況で、これ以上の無理強いはどうかと。
もちろん一口で障害者と言ってもいろんな方がいます。
体の一部が不自由でも、すばらしい才能や業務処理を
できる方もいる。しかし重度知的障害や精神障害になると
万一の時の責任問題をはじめ悩みは尽きません。
今回の水増し?も已む得なかったと個人的には思います。
労働者の味方と声高にさけぶ社民党も党職員をリストラ
したりするんですから。
投稿: nagi | 2018年9月 8日 (土) 14時09分
nagiさん、コメントありがとうございました。
難しい論点が含まれたご意見だと受けとめています。私自身、誰もが働きやすい職場を理想視しています。過度な職員数抑制や成果主義重視の流れは一人ひとりの個性や多様性に対する寛容さを薄めがちとなる懸念があります。行き過ぎた流れだった場合、しっかり抑止できるような労働組合としての役割を今後も発揮していければと考えています。
投稿: OTSU | 2018年9月 9日 (日) 22時16分
最近、多くの自然災害で、安倍憎し症候群に感染した方々
がツイッターなどで意味不明な発言をしては、親切な人々
が間違いを指摘する。そうするとその親切な人々を全力で
ブロックする。どんな疾病も自覚症状がない場合はなかな
か難しい、他覚症状がはっきりする場合は周辺の人が指摘
するものの本人が認めないので治療が開始できない。
例えば認知症などがこれ例にあてはまるのですが、最近
流行の安倍憎し症候群もどうやら同じようですね。
批判でも非難でもすればよいのですが、災害を利用する
行為はやめてほしいですね。
投稿: nagi | 2018年9月10日 (月) 09時04分
最近本当によく思うのが、左翼=リベラルと仮に考えて
みた場合。リベラルの価値観は多文化多民族との共生や
寛容だと理解していました。しかし昨今のリベラルは
自らの主張が絶対に正しい。それ以外は間違ってると
話し合うことすらせず、他者の意見は全く聞かずかつ
それ以外の主張はやれ差別だ排斥主義だとレッテル貼り
を行う。
これってかつては右翼=保守の独壇場だと理解してまし
た。逆に保守と呼ばれる人の方が多少は他者の主義主張
も聞くようになったと思います。
保守派はマイルド保守と極右に分離し、リベラル派は
極左と寛容の心を失った主張だけが強いグループに分かれ
かつてのような知識人はほとんどいなくなりました。
あくまでも私個人の感想にすぎませんが。
マスコミの激しい劣化がいまの状況の産みの親と思うの
ですが、マスコミはこのまま老衰する一方で、光は見え
ません。本当にどうなっていくのでしょうか。単なる
愚痴ですが。
投稿: nagi | 2018年9月10日 (月) 09時59分
興味深い記事を紹介します。
>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57318
その記事中で特にこの文言が印象的です。
>戦後日本の一番の不幸は、愛国を右翼の独占物にしてしまったことです。「なぜ自分が生まれた国を愛してはいけないのか」という若い人たちの素朴な問いに、リベラルはうまく答えることができません。
若者がなぜ自民党支持が高いのかよくわかる内容です。
投稿: nagi | 2018年9月12日 (水) 11時26分
nagi殿
>民間に求めることを同じように役所に求めるのはどうかとも思っています。
nagi殿は民間には役所以上の事を求めるべきとお考えのようですが、どのような理由からそのようにお考えでしょうか?
>国も地方も限られた財源と人材で激務をこなしている状況で、これ以上の無理強いはどうかと。
民間も財源と人材が余っているわけではなく、国や地方と同様に限られた財源と人材で激務をこなしている状況だと思います。
投稿: Alberich | 2018年9月14日 (金) 22時40分
nagi殿
>>戦後日本の一番の不幸は、愛国を右翼の独占物にしてしまったことです。
「なぜ自分が生まれた国を愛してはいけないのか」という若い人たちの
素朴な問いに、リベラルはうまく答えることができません。
私には「国を愛せ」という人が言う「国」は現在のこの国ではないように思えます(「戦後レジームからの脱却」とか)
ご指摘の記事に
共産党は憲法から築地市場まで、「変えるな」しか言わない
ゴリゴリの守旧派だ
という記述がありました。その通りだと思います。しかし「変えるな」というのはその対象を評価している(良いと思っている)からだ思います。
つまり共産党は今のこの国を愛しているかどうかは分かりませんが、少なくとも今のこの国の多くの点を評価していると思います。
投稿: Alberich | 2018年9月14日 (金) 22時44分
nagiさん、Alberichさん、コメントありがとうございました。
個々人が正しいと信じている「答え」は千差万別だろうと思っています。その上で、より望ましい「答え」に近付くためには多様な「答え」や情報に触れていくことが大切です。
そのため、いつもnagiさんから紹介されたサイトは必ず閲覧するようにしています。さらにAlberichさんからのようなコメントをお寄せいただけることで、ますます思考の幅を広げることができます。
今週末に投稿する新規記事も多様な見方があるという点を重視した内容を考えています。ぜひ、これからもご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2018年9月15日 (土) 06時39分
>Alberich氏
遅くなりましたが、質問にお答えします。
>nagi殿は民間には役所以上の事を求めるべきとお考えのようですが、どのような理由からそのようにお考えでしょうか?
申し訳ありませんが、あくまで個人的な考えに基づいた
ものです。私自身には明確に理由は存在しますが、本当に
個人的な考えなので、説明は割愛させていただきます。
2点目は特に質問ではないかもしれませんが、意見を
述べます。私が紹介した記事に出てくる。「国を愛する」
はあくまで自発的なもので、他者に強要されるものでは
ありません。その点を強調しておきます。
>私には「国を愛せ」という人が言う「国」は現在のこの国ではないように思えます(「戦後レジームからの脱却」とか)
私はいついかなる場合でも国を愛していますが、恐らく
Alberich氏の「国」と私が言う「国」は漢字が同じで
も意味合いが異なっていると推察します。
ちなみに指摘の「国」は現在の国ではないのなら、どの
ような「国」なのでしょうか。そこに興味があります。
投稿: nagi | 2018年9月18日 (火) 09時10分
諸外国の事例を見ると公的セクターが女性や障害者を雇用するの
一種の使命なんですが市民を雇わない国家たる日本で日本型雇用の
悪い面が出てる感じですね。
東京医科大の女子受験生差別問題と世間の反応も似てるし根っこは一緒かと
投稿: Blugalian | 2018年9月18日 (火) 12時25分
nagi殿
>私が紹介した記事に出てくる。「国を愛する」はあくまで自発的なもので、他者に強要されるものではありません。その点を強調しておきます。
私も「国を愛する」という事は他者に強要したりされたりするものではないと思います。しかしそうではない方もいらっしゃるように思います。
以前に園遊会で今上陛下に
「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」
と述べた教育委員がいました。
これに対して、陛下は
「やはり、強制になるということではないことが望ましい」
と仰ったそうです。
>ちなみに指摘の「国」は現在の国ではないのなら、どのような「国」なのでしょうか。そこに興味があります。
明治維新から第二次大戦に負けるまでの日本ではないでしょうか?
「国を愛せ」と主張される方には、日本国憲法制定などの戦後の諸改革やそれらの改革に基づく現在の日本の体制(いわゆる戦後レジーム)に否定的な方が多いように思います。
投稿: Alberich | 2018年9月18日 (火) 22時33分
>Alberich氏
もちろん強要や強制は駄目です。園遊会での発言も愚かな
ことだと思います。しかし国家や国旗を教育することは
必要です。それに反対する一部の教職員にも嫌悪しかあり
ません。特に学生の為の入学式や卒業式を自己の主義主張
をアピールする為に利用することは許せないことです。
>明治維新から第二次大戦に負けるまでの日本ではないでしょうか?
私は歴史全てを含んで国を愛しています。良い面を認め
悪い面を認めないのは良しとしません。
また戦前戦中は駄目なら、それ以前の江戸時代やそれ以前
はよかったのか?という疑問は存在します。
また、私は過度の軍国主義は反省すべきと思いますが、
戦前戦中の全てを否定しません。単純な戦争=悪で語る
こともしません。そのような理屈で話すと日本は永遠に
敗戦国のままですし、行きつく先は戦争は勝てば正義で
負ければ悪としかならないからです。
それから脱却したいと考える人々がいてもなんら不思議な
ことではありません。
私は憲法は速やかに改憲すべきと考えているし、再軍備も
必要と思っていますよ。
そんな私は戦後レジームを否定し、極右的で軍国主義者で
しょうか?
投稿: nagi | 2018年9月19日 (水) 09時14分
nagi殿
>しかし国家や国旗を教育することは
必要です。それに反対する一部の教職員にも嫌悪しかあり
ません。特に学生の為の入学式や卒業式を自己の主義主張
をアピールする為に利用することは許せないことです。
私も国歌や国旗の教育はやっても良いと思いますが、強要や強制は駄目だと思います。法律を根拠に君が代を歌わない人を処罰する事には嫌悪を感じます(処罰している人は、法律が変わって別の歌が国歌になったらどうするのだろうと思います)
私は国旗や国歌は、現在の(政府ではなく)社会に好感を持ってもらい貢献してもらうための手段だと思います。歌いたくない人を法律を根拠に無理やり歌わせたり歌わない人を処罰する事はこの社会に好感を持ってもらう事に貢献しているでしょうか?
国旗や国歌と比べるのは畏れ多いですが、皇室に対する好感度は今上陛下の即位直後は(昭和末期に比べて)下がりましたが、それ以降は上昇して、現在は昭和よりも好感度は上だそうです。これは皇室に好感を持つための法律を作ったり、その法律に基づいて皇室に好感を持たない人を処分したからではありません。今上両陛下が戦没者の慰霊や災害被災者の慰問を誠意を込めて行っておられる事を国民が評価したからだと思います。
法律を根拠に君が代を歌わない人を処罰する事は、両陛下が行っておられるような真っ当だが地味で時間がかかるやり方をする気がない(する能力がない)人が仕事をしている事をアピールする為にやっているように思えます。
>また戦前戦中は駄目なら、それ以前の江戸時代やそれ以前
はよかったのか?という疑問は存在します。
もちろん、戦前戦中だけでなく縄文時代、弥生時代から江戸時代までのそれぞれの時代にも良い所はあったと思います。しかしそれぞれの時代に問題が多かったから次の時代に移ったのだと思います。もし大部分の人が満足している時代があれば、それ以降現在までずっとその時代が続いているはずです。
私には、戦後レジームを批判し戦前戦中の時代を(現在よりも)評価している人は、明治時代に文明開化を批判し公方様の時代を評価している人と同じように思えます。
>戦前戦中の全てを否定しません。単純な戦争=悪で語る
こともしません。
あの戦争にあれだけ大負けしたのですから、善悪はともかく優劣では対戦相手にかなり劣っていたのは確かだと思いますし、大負けに至るまでの戦前や戦中の時代に問題とすべき点がある(多い)のも確かだと思います。
>日本は永遠に敗戦国のままですし、
揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、もう一度リターンマッチをやって勝たない限り日本は永遠に敗戦国のままです。
>行きつく先は戦争は勝てば正義で負ければ悪としかならないからです。
勝った戦争が正しいとは限りませんが、負けた戦争は敗戦後の悲惨さを考えると悪だと思います。
>それから脱却したいと考える人々がいてもなんら不思議な
ことではありません。
これはnagi殿に伺う事ではないかもしれませんが、脱却したいと考える人々は、具体的には何からどうやって脱却したいと考えているのでしょうか?
>私は憲法は速やかに改憲すべきと考えているし、再軍備も
必要と思っていますよ。
そんな私は戦後レジームを否定し、極右的で軍国主義者で
しょうか?
極右的とか軍国主義者というのは人によって定義が異なるので分かりませんが、もしnagi殿が戦後よりも戦前戦中のほうが良かった(終戦後の諸改革は行わないほうが良かった)とお考えであれば、nagi殿は戦後レジームを否定されていると思います。
投稿: Alberich | 2018年9月20日 (木) 22時02分
>Alberich氏
特に反論というわけではありませんが、コメントをいただ
いたので、レスさせていただきます。
>法律を根拠に君が代を歌わない人を処罰する事には嫌悪を感じます
少なくとも公務に所属する方に関しては、当然と思います
法律に基づいて公務をする方々が自分の感情で行動を決め
るのではあれば、それはただただ恐ろしいとしか感じま
せん。公務中であれば、みずからの思想信条はどうであれ
職務を遂行することが必要です。
反対活動をしたいならば、子供達を巻き込むことなく
プライベートの時間に運動すればいいだけです。簡単な
ことですよね。
>戦後レジームを批判し戦前戦中の時代を(現在よりも)評価している人は、明治時代に文明開化を批判し公方様の時代を評価している人と同じように思えます。
その明治時代があって軍国主義に走り戦争になった結末を
考えれば、江戸時代のほうがよかったと評価できる部分
もありますね。あるいは江戸時代から軍国主義に走らず
現代に至る道もあったかもしれません。
>揚げ足を取るようで申し訳ありませんが、もう一度リターンマッチをやって勝たない限り日本は永遠に敗戦国のままです。
永遠に敗戦国であると、日本国や日本人はどのような
理不尽な目にあっても敗戦国だから文句を言うなと言われ
虐げられ続けますね。それならばと過激な考えに走る人も
でてきます。それこそが再び戦争への道と危惧します。
私は、憲法があるから平和主義が守れていると考えて
いません。他国と同じように必要な軍備と法整備を行い
国民の選択により平和を模索したいと。
少なくとも先に攻撃されて多大な死傷者と被害を出すまで
反撃できない今の異常な状況は変えたいと願っています。
このようなことを言うと平和主義の方々から盛大に攻撃
されてしまいます。日本は個別的自衛権は認められてい
ると。しかし自衛的先制攻撃は認めない。ならば個人で
考えると、さきにナイフで刺されたり銃で撃たれて重症
な状況でどうやって自衛するのでしょうか?
これを国で考えても同じ結論です。
>もしnagi殿が戦後よりも戦前戦中のほうが良かった(終戦後の諸改革は行わないほうが良かった)とお考えであれば、nagi殿は戦後レジームを否定されていると思います。
今の状況で10年、30年、50年後になってみないと評価
できませんね。歴史は一部分を切り取って評価しても
難しいですよね。少なくとも自由民主主義を支持している
ことは明言しておきます。
独裁や全体主義を強く非難することも添えておきます。
投稿: nagi | 2018年9月21日 (金) 09時03分
nagiさん、Blugalianさん、Alberichさん、コメントありがとうございました。
幅広い視点からの多様な意見を伺えることはたいへん貴重な機会だと思っています。ぜひ、これからもお時間等が許される際、この場をご利用いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2018年9月22日 (土) 06時56分
nagi殿
>少なくとも公務に所属する方に関しては、当然と思います
法律に基づいて公務をする方々が自分の感情で行動を決め
るのではあれば、それはただただ恐ろしいとしか感じま
せん。
私は、そもそもそういう法律を作る事がおかしいと思います。
国旗国歌法を制定する際の国会審議では、政府は
「この法律は国旗や国歌が何かを決めるだけであり、
国民に強制する事はありません。」
と強調していました。それがいつの間にやらこの有様です。
君が代を歌えと言われたから(法律で決まっているから)
君が代を歌います。
(法律が変わって)別の歌を歌えと言われたら
その歌を歌います。
という人が増えて、ジャイアンのコンサートの様になっても、「国を愛するために君が代を歌わせるべきだ」という方は満足なのでしょうか?
投稿: Alberich | 2018年9月26日 (水) 21時54分
>Alberich氏
>私は、そもそもそういう法律を作る事がおかしいと思います。
法律に不満があれば、それは選挙で投票する以外方法は
ありません。それが民主主義国家ではないのですか
>ジャイアンのコンサートの様になっても、「国を愛するために君が代を歌わせるべきだ」という方は満足なのでしょうか?
国を愛する為に歌うのではなく、国歌と定められた歌を
必要な時に歌うだけです。愛するために歌うかどうかは
それこそ個人の自由です。
投稿: nagi | 2018年9月27日 (木) 10時22分
Alberichさん、nagiさん、コメントありがとうございました。
最新記事のコメント欄も含め、幅広い視点からのご意見を伺える機会となっています。今週末に投稿する記事のタイトルは未定ですが、多様な考え方や情報があることを踏まえた内容を綴ってみるつもりです。ぜひ、これからも当ブログをご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2018年9月29日 (土) 07時00分