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2018年9月29日 (土)

多様な考え方を踏まえた場として

このブログのコメント欄が掲示板のように使われることを歓迎しています。管理人によっては記事本文の題材から離れた内容のコメント投稿を嫌う方もいます。私自身は幅広い視点からの多様な意見を伺える機会はたいへん貴重なことだと思っています。最近の記事「障害者雇用の問題」や「横田基地にオスプレイが正式配備」のコメント欄でも多様な意見に触れられる機会を得ています。

そのようなコメントを受け、「すべての論点について網羅できませんが、今週末に投稿する記事は多様な考え方や情報があることを踏まえた内容を綴ってみるつもりです」とお答えしていました。さらに「nagiさんから寄せられた神戸市職労の問題や私に対する質問はその新規記事の中で触れていく予定です」と書き添えていました。

9年も前の記事(農水省の「ヤミ専従」疑惑)の中で、nagiさんから指摘を受けた同様の問題について取り上げていました。その記事の中では下記のような記述を残した上、過去の遺物となるべき「ヤミ専従」の問題が「今、批判の対象となる事態は非常に残念な話です」「これまでの組合側の認識の甘さなども厳しく総括し、改めるべき点は直ちに改めていくことが急務だろうと思っています」という言葉で記事を結んでいました。

「ヤミ専従」のような存在が昔は許されていたと述べるものではありません。違法なものは今も昔も違法であり、駄目なものは駄目であったことに変わりありません。しかしながら幅に対する解釈問題として、労使関係の中で「ヤミ専従」的な存在も暗黙の了解としてきた場合があったのかも知れません。言うまでもなく公務員に対する厳しい視線が強まる中、「ヤミ専従」は絶対許されるものではないはずです。仮にかつて存在していたとしても、過去の遺物となっているものと思っていました。

農水省の「ヤミ専従」が取り沙汰されてから9年も経っていながら同じ問題で批判を受けている神戸市職労の感度の鈍さは非常に残念な話であり、改めるべき点は即刻改める必要があるものと考えています。もう一つnagiさんから全水道沖縄の問題も指摘を受けていました。沖縄県知事選の期間中、県庁舎内にある全水道沖縄の組合掲示板に候補者のポスターが貼り出され、選挙管理委員会の指摘を受けて外したという問題です。

組合員を対象にした組織内での周知だったのかも知れませんが、一般の県民の皆さんも目にできる掲示板への貼り出しは明らかに軽率な行為でした。公職選挙法を熟知していなかったのであれば問題であり、知っていながら「組合の掲示板であれば許される」という考えだった場合は認識の甘さを強く反省しなければなりません。SNS上などで発する言葉は慎重に選ぶべきものと考えていますが、これまでも「ダメなものはダメ」と率直に訴えてきているつもりです。

それに対し、〇か、×か、明確にしない答えが多いという突っ込みも入るのかも知れません。しかし、そのような時は私自身にとって、〇か、×か、正直な思いとして明確にできない問いかけだったと言えます。個々人の評価基準から明らかにダメだと判断されている事例に対し、私がダメ出ししない時、そのこと自体を批判される場合がありました。いろいろな「答え」を認め合った場としたいという思いは、そのような関係性に対する問題意識から生じています。

それまで培ってきた経験や吸収してきた知識をもとに個々人の基本的な考え方や視点が築かれていきます。その基本的な考え方や視点をもとに直面する様々な事象に対し、評価や是非を判断していくことになります。そのようにして導き出した「答え」は絶対正しいものと確信し、それ以外の「答え」は認められないような感覚に陥ることもあるようです。

いわゆる右や左の立場に限らず、このような感覚に至っているようなやり取りがSNS上の掲示板などで散見しています。異質な「答え」を持つ他者を見下し、罵詈雑言気味な応酬になっているケースも少なくありません。おかげ様で当ブログのコメント欄では、そのような関係性が際立つことは稀であり、いつもたいへん感謝しています。そもそも異質な他者の「答え」自体を批判しても、相手の人格まで否定するような発言は慎まなければならないはずです。もちろん誹謗中傷の類いとなる言葉は厳禁です。

ただ言論の自由との絡みから、その許容範囲の線引きが難しいと思われる時もあります。過去、このブログでは「誹謗中傷と批判意見の違い」という記事を投稿していました。その頃、事実誤認の批判は誹謗中傷となるため、私から断定調の批判に対する「お願い」を繰り返していました。仮に間違った事実認識だったとしても、「私はそのように考えている」と表明された場合、他者が考えている中味そのものを頭から否定できません。言葉の使い方の一例としては、逮捕された際に容疑者という言葉を使う必要があり、決め付けて犯罪者と呼ばないことなどを上げていました。

言葉の使い方が留意されていたとしても、思い込みや推論から批判されてしまうことは批判される側にとって不愉快に感じます。それでも多様な考え方や価値観を認め合いながら言論の自由を保障していくことの大切さも思い返しています。不愉快だったとしても「なぜ、そのように思われてしまっているのか」と受けとめ、改めるべき点があれば改め、誤解があれば釈明する機会を得られたという前向きな発想を持つことも大切だろうと考えています。

このような思いを巡らす中、「新潮45」の休刊問題が頭の中に浮かんでいました。何が問題だったのか、関係者はどうすべきだったのか、ネット上を検索したところ『「新潮45」休刊決定でもモヤモヤ感が残る理由 これは将来に禍根を残す幕引きだ』というサイトを見つけ、その記事内容に共感していました。加えて、この問題での関連した論評である「内田樹の研究室」の『ある編集者への手紙』の中に書かれていた次の言葉が印象深く、私自身は「なるほど」と思っています。

LGBTの問題では「自分とは性的指向が違う、自分とは性的アイデンティティーが違う他者」に対して、どれくらい「敬意=適切な距離感」をもつことができるかということが試されたのだと思います。よくわからないことについては語らないというのも一つの敬意の表現だと僕は思っています。「わからない」「よく知らないこと」について平然と断定的に語る人たちは、自分が言うことにつねに同意してくれる「自分と同じような読者」を前提にして語っているのだと思います。「身内の語法」で語ること、それを「敬意の欠如」というふうに僕はとらえるのです。

上記のような問題意識を踏まえ、私自身、SNSを通して発する言葉一つ一つに注意を払っています。さらに基本的な考え方や視点が私自身とは異なる方々にも届くような言葉や表現の仕方について常に意識しています。特に安倍首相に関わる記述の際、「批判ありき」とならないような記事内容の投稿に努めています。自治労組合員も含め、安倍首相を支持されている方々が少なくないことを前提に「敬意=適切な距離感」を持ち続けています。

以前の記事「改めて言葉の重さ」の中で、人によってドレスの色が変わるという話を紹介していました。見る人によって、ドレスの色が白と金に見えたり、黒と青に見えてしまうという話でしたが、安倍首相に対する評価も人によって本当に大きく変わりがちです。例えば「地球儀を俯瞰する」安倍外交を絶賛する方々がいる一方、「演出ばかりで中身ない」と批判する声も強まっています。いずれにしても安倍首相の具体的な言動や政策判断を批判しても、安倍首相自身を中傷するような言葉は控えるように私自身は心がけています。

最近の事例として、TAG(日米物品貿易協定)の交渉結果について評価が分かれています。安倍首相はウインウインの関係を成果として誇っていますが、米国第一主義のトランプ大統領に屈したという批判意見があります。前衆院議員の緒方林太郎さんは「よくこの程度で収めたな」と評価され、BLOGOSのコメント欄では「わりとフェアな論評」という声が寄せられていました。

私自身、紹介した内田さんの「よくわからないことについては語らないというのも一つの敬意」という言葉のとおり現時点での先走った評価は控えます。今後、個別品目(自動車、畜産品)の取扱いなどがどのように決まっていくのか、その結果しだいで安倍外交の真価が問われていくものと考えています。案の定、最近のコメントすべての論点について網羅できませんが、最後にnagiさんから寄せられた次の問いかけにお答えします。

>横田基地に核ミサイルが撃ち込まれていた場合、私自身も含め、どれほどの人が犠牲になっていたのか、それこそ現実的な脅威でした。

>安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返し、北朝鮮との距離を取ってきました。

この二つの文言から考えて、もし日本が現在、核攻撃を受けたら、それは北朝鮮に圧力をかけ続けた日本政府に責任の一端があるとの考えと思うのですが、では一体何パーセント日本に責任分担があったとお考えですか? 90%以上 75%程度 50%程度 25%程度 0%以下 どれかに該当するでしょうか。交通事故の過失割合のように数値で示されると、その割合いに応じて対応策やどうするべきかを考えやすいと思うしだいです。お考えを聞かせていただければと思います。

たいへん恐縮ながら、このような問いかけも選択式で答えられるものではありません。決してはぐらかすような意図がある訳ではありませんが、当然、専守防衛に徹している日本に対して核攻撃を加えた北朝鮮の責任の度合いが100%です。交通事故とは異なり、例えば殺人事件で被害者に過失割合が適用されるような話はありません。その上で攻撃が加えられ、多大な犠牲者を生じさせてしまった場合、国民を守れなかったという日本政府の政治的な責任の重さもはかり知れません。

この日本政府の責任の度合いも数値化できるものではありません。ミサイルを撃たせないためにはどうすべきなのか、私自身は圧力一辺倒ではなく、日本政府には韓国の文大統領と同じような役回りに力を尽くして欲しかった、このような願いを託し続けていました。過去、歴史の分岐点が多々ありました。アメリカとの無謀な戦争を回避できる分岐点もあったように理解しています。このような分岐点として「必要なのは対話ではない」と繰り返した安倍首相の判断が正しかったのかどうか、この点について私たちは問われていたものと考えています。

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2018年9月22日 (土)

横田基地にオスプレイが正式配備

思い込みによる勘違いを深く反省しています。前回記事「自民党総裁選と改憲の動き」のコメント欄で、おこさんから「澤藤統一郎の憲法日記」の記事『「安倍9条改憲」を阻止するために』の中にあった「後法は新法を破る」というのは「全く意味不明なので誤植では?」というご指摘を受けていました。

それに対し、同一の法形式の間では後法が前法に優先して適用される原則という意味をご理解の上での疑問だと思い込み、私自身は「誤植」ではないものと考えています、とお答えしてしまいました。澤藤さんがどのような点を問題視しているのか、当該の文章から意味は充分理解できたため、このあたりも「人によって受けとめ方が枝分かれしがちな点は興味深いところです」という一言まで添えていました。

おこさんから再度コメントがあり、「後法は新法を破る」は明らかな間違いで「後法は前法を破る」と記すべき言葉だったことに気付きました。他のサイトからの転載だったため、言葉のチェックが不充分でした。加えて、おこさんが後法優先原則を承知した上での深い意図を持った問いかけだと思い込み、最初、ピントの外れたお答えをしてしまいました。

おこさんには不愉快な思いをさせてしまい、改めてお詫びします。たいへん申し訳ありませんでした。記事本文の当該箇所には注釈(※「後法は前法を破る」の誤りだと思われますを添えさせていただきました。いろいろな意味で、私自身、反省しなければならない軽率な対応でした。今後、このような対応を繰り返さないように注意していくことも書き添えていました。

思い込みによる勘違いを反省していた矢先、金曜の夕方、そのような反省を生かせなかったミスをしてしまいました。仕事が終わり、急いで駅に向かいました。午後6時少し前にターミナル駅前デッキに到着できましたが、関係者が誰もいませんでした。三多摩平和運動センターの駅頭宣伝行動の日でしたが、まず中止になった可能性が頭に浮かびました。

結局、その日の集合時間は午後6時ではなく、6時30分でした。いつも駅頭宣伝行動は6時からであり、私自身の思い込みによる勘違いでした。前段のスケジュールの関係から、その日だけは6時30分からの設定になったようです。このことは事前に通知されていたため、私自身の確認不足であり、「集合時間は午後6時」という思い込みからのミスだったと言えます。

今回は早く到着するというミスだったため、誰にも迷惑をかけていないことが幸いでした。思い返せば約束の時間を勘違いして、平然と30分ほど遅れたこともありました。このようなミスを繰り返せば周囲からの信頼を失くすことになります。思い込みによる勘違い、反省を生かし切れていないことを深く反省しています。以前投稿した記事「ヒューマンエラーの防ぎ方」が頭に浮かび、改めて読み返してみたところです。

本題から離れた話が長くなって恐縮です。さて、下記の報道の通り来月から横田基地にオスプレイが正式配備されます。三多摩平和運動センターの駅頭宣伝行動はオスプレイの正式配備に反対する取り組みでした。これまで当ブログでは「横田基地にオスプレイ」「突然、横田基地にオスプレイ」という記事を投稿しています。今回、オスプレイの問題を通し、在日米軍基地に対する私自身の認識を改めてお伝えする機会とします。

防衛、外務両省は22日、米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイ5機が、米軍横田基地(東京都福生市など)に、10月1日に正式に配備されると発表した。防衛省によると、米軍は2024年ごろまでに段階的に機数を増やし、10機態勢にする。沖縄以外の国内でオスプレイが配備されるのは初めて。安全性への懸念が払拭できないまま、首都圏での飛行が固定化する。

5機の正式配備と同時に同基地に新設される「米空軍特殊作戦群飛行隊」の所属となる。米側が日本側に通告した。訓練場所は横田基地のほか群馬、長野、新潟県にまたがる訓練区域、キャンプ富士(静岡県)、三沢対地射爆撃場(青森県)などを想定。横田基地周辺の市街地上空も恒常的に飛行することになる。

オスプレイは、プロペラの向きを離着陸時は上に、巡航飛行中は水平方向に変える「ティルトローター」方式の航空機。開発段階から事故が多発し、最近では16年12月、米海兵隊のMV22が沖縄県名護市沖で着水、大破。昨年8月にはオーストラリア沖で訓練中、着艦に失敗し墜落した。

空軍のCV22は基本性能はMV22と同じだが、潜入作戦などで特殊部隊を輸送するのが任務。夜間や低空飛行といった過酷な条件での運用が前提となっており、基地周辺の住民らから安全への懸念が出ている。

首都圏飛行が常態化 <解説> 米空軍のCV22オスプレイが横田基地に正式配備される。どんな飛び方をしても日米地位協定上、日本側が運用に関与できないまま、安全性への懸念が強い機種が、恒常的に首都圏の空を飛ぶ。事故や騒音にさらされるという沖縄の痛みが、首都圏の問題として、より浮かび上がる。

防衛省は、沖縄・普天間飛行場にMV22オスプレイが配備された際の日米政府間合意を基に、横田基地での深夜早朝の飛行制限や、人口密集地上空の飛行回避などを「米軍は順守する」と説明する。ただしこの合意も、米軍が「飛ぶ必要がある」と判断するだけで、反故にされる。実際に普天間では深夜に飛び、住宅地上空の飛行実態もある。

さらに、オスプレイはたびたび重大事故を起こしているが、仮に事故があっても、日本側は捜査も検証もできない。今年2月には、普天間所属のオスプレイが飛行中に部品を落下させていたのに、日本側に連絡さえなかった。

政府は今回の配備を「日米同盟の抑止力・対処力を向上させる」とうたう。だとしても日本国内での米軍の配備や運用が、いつまでも米軍任せでいいのか。安全保障論議以前の問題が、置き去りにされている。【東京新聞2018年8月23日

前述した通り金曜の午後6時30分に三多摩平和運動センターの呼びかけに応じた組合関係者らが集まり、オスプレイの正式配備に反対する取り組みとして1時間ほど駅前を通行している方々にチラシを配布したり、拡声器を使って様々な主張をアピールしました。具体的な活動ができないままの恐縮な現状ですが、地区連絡会の代表という肩書があるため、このような行動の際、私自身もマイクを持つ一人として指名されます。

今年3月の記事「反核座り込み行動で訴えたこと」の中で触れていますが、いつも原稿は用意せず、その時々に思ったことをアドリブで訴えていました。3月6日の行動の際、訴えたい内容の原稿を初めて事前に用意しました。今回も用意してみましたが、昼間の行動とは違い、原稿を読めるような明るさではありませんでした。そのため、訴えようとした言葉や内容が漏れがちとなっていました。

用意した原稿の内容は、これまで当ブログを通し、不特定多数の皆さんに訴えてきた論点をまとめたものです。駅前を行き交う方々の中で足を止めて耳を傾けてくださる方は、まずいません。ほとんどの方が聞き流していくようなアピールの場に過ぎませんが、私自身の出番があるのであれば、今、最も訴えたいことを自分の言葉を尽くして訴えてみようと考え、あらかじめ自分自身の主張をまとめてみました。

インターネット上と実生活の場面で主張を使い分けていない証しとして、用意した原稿のデータをもとに今回の記事を書き進めていきます。駅頭では触れられなかった内容がある一方、その場で付け加えた言葉などがあります。したがって、用意した原稿の要旨をそのまま紹介する訳ではなく、いろいろ手直ししながらブログ記事として仕上げています。それでも基本的な論点や構成に変わりがないことだけは強調させていただきます。

            ◇            ◇

オスプレイが初めて横田基地に飛来したのは2014年7月です。その後、頻繁に横田基地に降り立っていました。正式配備の計画自体は見送られていましたが、ついに来月から横田基地に正式配備されます。このことを私たち三多摩平和運動センターは強く反対しています。

オスプレイはプロペラの向きを変えることでヘリコプターのような垂直離着陸や飛行機のような高速飛行ができます。離着陸のための長い滑走路が不要となり、ヘリコプターと飛行機の利点を併せ持っていると言われています。利点の多さが強調される一方、ヘリコプターと航空機の「良いとこ取り」のシステムは複雑で、操縦にも高度な技術を要しています。

開発段階から重大事故を頻発させ、オスプレイの事故率の高さが問題視されています。さらに横田基地に配備される空軍のCV22オスプレイは、海兵隊のMV22よりも事故率が高くなっています。基本構造は同一であり、事故率の差異は運用の違いから生じていると見られています。CV22のほうが特殊作戦上の運用が多いため、演習場等での事故率が高まっているという見方です。

このような危険性が取り沙汰されているオスプレイを住宅密集地のど真ん中にある横田基地に正式配備するという動きに周辺自治体から懸念の声が上がっています。外務省・防衛省は「配備は日米同盟の抑止力・対処力を向上させ、日本の防衛力及びアジア太平洋地域の安定に資する」と説明しています。

しかし、軍備の増強を重視した抑止力は逆に近隣諸国との緊張関係を高めていくリスクが伴います。加えて万が一、軍事衝突の事態に至った際は真っ先に軍事基地、つまり横田基地が攻撃の標的にされることになります。沖縄の基地負担の問題は深刻ですが、騒音被害なども生じさせる基地をどこの自治体も歓迎できるものではありません。

一方で、日本の平和や安全を守るために在日米軍基地は不可欠と考えている方も少なくありません。そのような考え方を全否定せず、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、在日米軍基地の問題は難しい論点を内包しています。今回のオスプレイの正式配備の問題は横田基地の機能強化であり、この場所での基地の固定化につながりかねず、周辺自治体に永続的な負担を強いる話だと言えます。

さらに首都に外国の軍事基地がある異例さをはじめ、「横田空域」の問題も見過ごせません。首都圏の空域の大部分は米軍の管理下にあり、日本の航空機は大回りしなければならず、余計な時間や燃料を浪費しています。経済的な損失だけではなく、環境面からも理不尽な負荷を強いられている根深い問題もあります。

このように在日米軍基地の存在は直面した地元の問題であり、国家としての主権に関わる問題でもあり、安全保障のあり方を巡る問題にもつながっていきます。ただ残念ながら「配備を許さない」「基地はいらない」と訴えても容易にその願いが実現できるものではありません。そのため、現状からスタートし、どのような手立てを積み上げていけば在日米軍基地をなくせるのか、そのような訴え方を重視すべきものと考えています。

防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。つまり「攻撃に備える」ことではなく、ミサイルを撃とうとする「意思」を取り除くことこそ、最も国民のために寄与する安全保障だろうと考えています。安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返し、北朝鮮との距離を取ってきました。

その一方で、史上初めて米朝首脳会談が実現し、南北の対話も進んでいます。北朝鮮に対しては今後も非核化の検証をはじめ、拉致問題の解決や北朝鮮国内の人権問題など注視すべき点は多々あります。しかし、北朝鮮を「窮鼠猫を噛む」状態に追い込み、一触即発の事態に至るリスクを回避できたことだけは間違いありません。万が一、横田基地に核ミサイルが撃ち込まれていた場合、私自身も含め、どれほどの人が犠牲になっていたのか、それこそ現実的な脅威でした。

安倍首相はロシアで開かれた東方経済フォーラムの時、大規模な軍事演習について話題にすることはなく、約束の時間に2時間以上待たされても苦言を呈することもなく、忍耐強くプーチン大統領との良好な関係を築いています。言うべき時に言うべきことは毅然と言わなければなりません。それ以外の場面で安倍首相がプーチン大統領の性格を気遣いながら低姿勢で接していることを責める気持ちは一切ありません。

東西冷戦時代とは様変わりし、現在、核保有国で軍事大国であるロシアに対する脅威が取り沙汰されることはありません。良好な外交関係を築き、ロシアから日本を攻撃する「意思」を取り除いているからです。ぜひ、自民党総裁選を勝ち抜いた安倍首相には相手を選ばず、中国や北朝鮮ともロシアとの関係性と同じような寛容さを重視し、良好な外交関係を築いていって欲しいものと願っています。

敵対しがちな近隣諸国との対話を進め、攻撃する「意思」を取り除くことが最も重要な安全保障への道筋だろうと考えています。そして、このような外交努力を積み重ねながら周辺諸国からの脅威を逓減させていくことによって、必要最低限な抑止力のあり方についても検討していけるはずです。その検討の先に日米安全保障条約の見直しもあり、在日米軍基地の縮小や撤去を実現させていく可能性があるものと信じています。

オスプレイの正式配備という地元の問題に直面している今、反対している住民が多数であることを日本政府に伝えていくことは重要です。逆に少数と見なされた場合、現状維持を地元住民や国民が追認していると解釈し、日本政府が重い腰を上げることは到底考えられなくなります。そのような意味合いからも今月30日に投開票される沖縄県知事選の行方に注目しています。ぜひ、以上のような点について、お忙しい日常の中でも少しだけ考えていただければ誠に幸いなことです。

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2018年9月15日 (土)

自民党総裁選と改憲の動き

沖縄県知事選が木曜日に告示され、9月30日に投開票されます。在日米軍基地の問題に深く関わる選挙戦だと言えます。このブログのコメント欄でのやり取りを踏まえれば、記事本文の題材として取り上げるべき話題なのかも知れません。それでも今回は改憲の動きに直結しそうな自民党総裁選について取り上げてみます。

もちろん私自身には無縁な選挙ですが、国民の実質的な代表である総理大臣を決める重要な選挙戦であることも間違いありません。安倍首相が圧勝するという大勢は揺るがないようですが、国民の一人として関心を抱きながら改憲の動きに絞った話を書き進めてみるつもりです。

前回記事「障害者雇用率の問題」のコメント欄に記した問題意識ですが、個々人が正しいと信じている「答え」は千差万別だろうと思っています。その上で、より望ましい「答え」に近付くためには多様な「答え」や情報に触れていくことが大切です。このような問題意識のもとに私自身、いわゆる左や右の立場に限らず、いろいろな視点で綴られている書籍やネット上のサイトを閲覧しています。

ブックマークしているサイトの中で、自民党総裁選を取り上げた興味深い記事をいくつか拝見しています。このブログ自体、ニッチな情報を提供する場であり続けたいものと考えているため、幅広い情報を拡散する機会として対象的な内容の記事を2点紹介させていただきます。まず産経新聞の論説委員兼政治部編集委員が綴っているサイト「阿比留瑠比の極言御免」の記事『国民から憲法改正の権利奪うな インタビューで強調した安倍晋三首相』です。

「国民には貴重な一票を行使していただきたい。国民が(憲法改正の是非を問う)国民投票をする権利を奪うことは、国会のサボタージュ(怠業)となる」 安倍晋三首相は、1日の産経新聞のインタビューでこう強調した。現行憲法が施行されて71年余がたつが、国会はいまだに一度も憲法改正の発議をしておらず、国民は固有の権利をいまだに行使できずにいる。首相はそうした不正常な現状に対し、改めて問題意識を表明したといえる。

憲法は改正条項(96条)を備えており、社会の必要や時代の要請に応じた改正を当然の前提としているにもかかわらず、国会審議は遅々として進んでいない。ここ数年にわたり、野党からは「安倍政権の間は憲法改正の議論はできない」との意味不明な主張が繰り返し聞こえる。だが、国の根幹をなす憲法の議論を、属人的な理由や単なる好悪の情で忌避してどうするのか。首相は、そうした無責任な態度をこう牽制した。

「安倍晋三が嫌だとかではなくて、議論すべきは、憲法のどの条文をどういう必要性があって変えるかということのみだ」 国民の権利や国の義務にもかかわる憲法の論議が、国会運営の駆け引きや政敵批判の材料に利用される現状にも警鐘を鳴らした。「それ(憲法の議論)が政局のために、この政権を倒すとか自分たちが政権を取るということで行われるのは避けるべきだ」

ただ、憲法9条の条文を残した上で、自衛隊の存在を明記するという首相の提案には当初、自民党内にも異論が少なくなかった。現に総裁選を争うことになる石破茂元幹事長は、戦力の不保持を定めた9条2項の削除を求めているほか、9条改正自体について「緊要性があるとは考えていない」とも主張している。この点に関して首相は、次のように説明した。「激動する安全保障環境の中にあるからこそ、憲法に自衛隊を明記することで、国民のために命をかける自衛隊の正当性を明確化し、誇りを持って任務に専念できる環境を整える」

8月には、埼玉県の共産党市議らが、子供用迷彩服の試着体験などの自衛隊イベントを中止させたり、自衛隊の航空ショーの中止を求めたりしたことが議論を呼んだ。首相は、憲法に自衛隊を位置づけることで「そういう議論に事実上、終止符を打つことにつながっていく」とも述べた。9条2項の削除は一つの道理ではあるが、連立を組む公明党が受け入れることは考えにくい。公明党抜きでは、衆参両院で国会発議に必要な3分の2の議席は確保できない。

昨年5月、石破氏が2項を残す首相案を批判した際、首相は周囲に「だったら石破さんは、公明党を説得してから言えばいい」と語っていた。1日のインタビューで首相は、改めて石破氏にこう反論した。「そもそも昨年10月の衆院選で自民党は、9条2項を削除する案ではなく、自衛隊の明記を公約に掲げて国民の審判を仰いだ」 首相は最後に「政治は現実であり、具体的な結果を出していくことが求められている」と決意を示した。

「誰が」ではなく、「何を」訴えているかという関係性を重視しています。そのため、発信者の名前や立場を伏せて紹介するほうが望ましいのかどうか少し迷いました。とは言え、そのような紹介の仕方はネット上のマナーを失することになり、あらかじめ「誰が」訴えているのか明らかにさせていただいています。続いて、「澤藤統一郎の憲法日記」の記事『「安倍9条改憲」を阻止するために』からの抜粋です。

昨年・2017年の5月3日憲法記念日が「安倍9条改憲」策動の始まりでした。彼は、志を同じくする右翼団体の改憲促進集会と、これも志を同じくする読売新聞の紙面とで、2020年までに、憲法を改正したいと期限を切って具体的な改憲案を提案しました。

「安倍9条改憲」の内容は、憲法9条の1項と2項は今のままに手を付けることなく残して、新たな9条3項、あるいは9条の2を起こして、自衛隊を憲法上の存在として明記する、というものです。安倍首相は、「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整えるということになるだけで、この改正で実際は何も変わらない」と繰り返しています。

もし、本当に何も変わらないのなら、憲法改正という面倒で巨費を要する手続などする必要はありません。「自衛隊員が誇りを持って任務を全うできる」か否かは、国民が判断することで首相がしゃしゃり出ることではありません。

実は、「安倍9条改憲」で、憲法の平和主義の内容は明らかに変わるのです。現行憲法9条の1項と2項は、戦争放棄・戦力不保持を明記しています。これをそのままにして、戦争法(安保法制)が成立しました。このことによって、法律のレベルでは、自衛隊は集団的自衛権行使の名目で、海外で戦争のできる実力部隊と位置づけられたのです。しかし、憲法はこれを許していない、今ならそう言えます。

安倍9条改憲を許せばどうなるでしょうか。戦争放棄・戦力不保持の1・2項と、新たに自衛隊を書き込んだ憲法の新条文とが矛盾することになります。その矛盾は、新たな条文に軍配を上げるかたちで収められる危険が高いのです。「後法は新法を破る」(※)という法格言があります。集団的自衛権行使可能な自衛隊の明記が、9条1項・2項を死文化させかねないのです。 ※「後法は前法を破る」の誤りだと思われます。

弁護士である澤藤さんのブログ記事は長文であり、全文を読まれたい方はリンク先をご参照ください。上記の記事に続く澤藤さんの言葉として、石破茂候補が、「理解ないまま国民投票にかけちゃいけません。誠実な努力を着実にやっていく上で、初めてそれが俎上に上るもの」と、クギを刺しています。軍事オタクで、タカ派イメージの強い石破さんをハトに見せる安倍首相の前のめりの姿勢です、とも記されています。

澤藤さんのブログは以前からブックマークし、時々、参考になる記事内容を当ブログの中で紹介してきました。今年5月に投稿した記事「日本国憲法が大きな岐路に」の中では、澤藤さんの講演に直接足を運んだことも報告していました。だからと言う訳ではありませんが、どうしても澤藤さんの訴える内容のほうに「なるほど」と思える箇所が多くなりがちです。

私自身の考えは「改憲の動きに思うこと」「改憲の動きに思うこと Part2」などを通して訴えきています。いつ憲法9条の行方が問われたとしても、幅広く正しい情報のもとに判断できる環境を整えていくことが重要です。その結果、自衛隊を正式な軍隊に改め、戦争ができる「普通の国」に戻ることを国民が選択するケースもあり得るはずです。そのような選択に至った場合、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。

絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもと憲法の平和主義が変質していくような事態です。集団的自衛権の行使は認められない、後方支援も含め海外での戦争参加はできない、専守防衛までを認めていた現憲法9条の解釈を有効とし、それに見合った平和活動や国際貢献に徹するべきという「答え」を当ブログを通して訴えてきています。仮に国民投票で憲法9条の文言を見直す場合、名称はともかく自衛隊を軍隊と認めた上、役割や任務を明示すべきものと考えています。

安倍首相が提起した1項と2項はそのまま、つまり軍隊ではない自衛隊を憲法に明記する、安保法制の施行前であれば一定評価できる発想だったものと思います。しかし、戦場に出向きながら後方支援しか担わないという限定的な集団的自衛権の範囲は必ず見直しを迫られるはずです。さらに軍隊ではないまま自衛隊が海外で武力を伴う活動に従事することの矛盾や危うさも数多く指摘されています。

このような考え方に照らした時、安倍首相の提起している発想には疑念を抱いています。新たな矛盾や憲法論争の火種を残したままの改憲への道筋であり、現状が何も変わらないのであれば不必要な発議だと言えます。「政治は現実であり、具体的な結果を出していくことが求められている」という安倍首相の決意が紹介されていますが、状況によってはまったくその通りだと思っています。

しかし、本当は自衛隊を国際標準の軍隊にしたいけれど、そこまでは一気に変えられないから「憲法に明記するだけ」という発想だった場合、いかがなものかと危惧しています。それも国柄を象徴する憲法をどのように改めるのかどうかという極めて重大な選択肢を国民に示す際、この程度のハードルであればクリアできるという「現実的な判断」が誠実な姿勢なのかどうか私自身は疑問に思っています。

将来的に自衛隊を軍隊に位置付けたいとする石破候補の考えは支持していません。しかしながら「9条は国民の理解なくして、改正することがあってはいかん」という言葉には強く共感しています。ただ真っ先に改憲すべき事項は参院選の合区解消という石破候補の訴えには違和感があります。総裁選の応援を得るために必須な公約なのかも知れませんが、優先順位の例示としては説得力を欠くように感じています。

自民党総裁選の討論会で、安倍首相は、ロシアのプーチン大統領が「前提条件なしの平和条約締結」を提案したことについて、従来の政府の方針を維持する考えを示した。安倍首相は、「日本の立場は、領土問題を解決して平和条約を締結する立場。(プーチン大統領が)平和条約の意欲を示したのは間違いない」と述べた。これに関連し、立憲民主党は「反論せずに黙ったままでいる総理の姿勢は、看過できない」として、予算委員会を開催するよう自民党に求めた。【FNN PRIME 2018年9月14日

長い記事になっていますが、上記の話題についても触れてみます。東方経済フォーラムの壇上で、安倍首相が反論しなかったことについて私自身は問題視していません。沈黙が同意だという誤解を与えるような場だった訳ではなく、即座に反論したとしても領土問題の解決に向けて物事が劇的に動き出すものでもありません。ただ安倍首相としては、その場の雰囲気を壊さない程度に一言添えるべきだったと悔やまれているのかも知れません。

ロシアは東方経済フォーラムと同じタイミングで、中国軍とモンゴル軍も初参加した冷戦後最大規模となる軍事演習を極東やシベリアの地で実施しています。アメリカとの対立が続く中、ロシアと中国が政治経済や軍事の面でも緊密な連携をアピールするための一連の動きだと見られています。この軍事演習について安倍首相が話題にすることはなく、約束の時間に2時間以上待たされても苦言を呈することもなく、忍耐強くプーチン大統領との良好な関係を築いています。

言うべき時に言うべきことは毅然と言わなければなりません。それ以外の場面で安倍首相がプーチン大統領の性格を気遣いながら低姿勢で接していることを責める気持ちは一切ありません。首脳同士の良好な関係が私たち国民にとって最良の結果を引き出していただけることを期待しながら、私自身は安倍首相の今回の沈黙も含めてロシアとの関係性を評価しています。

領土問題の解決は悲願ですが、容易でないことも確かです。仮に安倍首相の手腕で解決できなかったとしても、掌を返して「良好な関係は何だったのか」と批判するつもりはありません。核兵器を保有する軍事大国であるロシアから攻撃されるという脅威や危機感だけは取り除いた関係性を築いているからです。脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まり、このように「意思」は外交交渉によって取り除くことができます。

領土問題を解決した後に平和条約を結ぶことがセオリーです。「戦争の火種を残す平和条約」というのは原理的矛盾だとも説かれがちです。9月20日、安倍首相が自民党総裁に選ばれることは確実視されていますが、今後、このような外交問題をはじめ、たいへんな難問が山積しています。安倍首相に望むことは改憲に向けた明確な選択肢の提示であり、相手を選ばずにロシアとの関係性と同じような寛容さを重視し、近隣諸国と良好な外交関係を築いていって欲しいものと願っています。

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2018年9月 8日 (土)

障害者雇用率の問題

もはや災害レベルと言える猛暑から猛烈な台風による被害が続き、木曜の朝には北海道を襲った震度7の大地震、日本列島の各所で甚大な痛みが強いられています。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。非日常の労苦に直面されている方々が多い中、恐縮する思いがありますが、いつもと同じように今週末も新規記事を投稿させていただきます。

前回の記事は「ネット議論の悩ましさ Part2」でした。その記事の中で、どうしても自分自身の正しいと信じている「答え」に沿って折り合えない限り、暖簾に腕押しのような平行線の議論だと感じがちであることを記していました。いみじくもコメント欄で、おこさんから「疑問を持っている人に理解を求めるのは困難」、下っ端さんから「永遠に噛み合わないという過去からの流れは、今後も続いていくのでしょうね」という言葉が寄せられていました。

私からすれば、私なりの言葉を尽くしてお答えしているつもりですが、その「答え」自体が一つの答えとして認められていないような手応えのなさを感じています。いろいろな「答え」を認め合った場として、このブログを位置付けています。この言葉は文字通り個々人の判断基準からすれば異質で理解不能な他者の「答え」だったとしても「そのような考え方もあるのか」という認め合いを推奨したものです。

もちろん理解不能な「答え」に対し、疑問や批判意見を投げかけることがあっても当然です。しかし、自分自身の「答え」の正しさを絶対視する余り、異質な「答え」を発する他者を見下すような関係性だけは避けていければと願っています。おかげ様で当ブログのコメント欄では、そのような関係性が際立つことは稀であり、いつもたいへん感謝しています。

いずれにしても当ブログを通して「答え」を一つに絞ることを目的にしていませんので、パネルディスカッションのような場として幅広い視点や見識からの多様な意見に触れ合っていけることを望んでいます。「コメント欄の限界と可能性」という記事を投稿していましたが、何かの言葉に反応し、「なるほど」という気付きがあり、それまでの考え方を大胆に改める可能性があることも頭から否定できないはずです。

そのような意味合いから久しぶりにベンガルさんに登場いただき、たいへん有難く思っています。最近の傾向として、コメント欄では私自身の主張に対する反対意見の数々という構図が多くなっていましたが、やはり幅広い立場や考え方に基づく意見が交わせることを願っています。当初、このような話を中心にした新規記事も考えていましたが、今回は記事タイトルに掲げた通り障害者雇用率の問題を取り上げさせていただきます。

中央省庁が雇用する障害者数を水増ししていた問題で、厚生労働省は28日、各省庁を再点検した結果、計3460人分が国のガイドラインに反して不正に算入されていたと発表した。障害者数の約半分が水増しだったことになる。雇用の旗振り役である中央省庁自らが数値を偽っていたことになり、制度の信頼が大きく揺らいでいる。

水増しは内閣府や総務省、国土交通省など全体の約8割にあたる27の機関で発覚した。法務省や財務省、外務省、気象庁、公正取引委員会などでも見つかった。実際の雇用率は大きく減少し、公表していた2.49%から1.19%に落ち込む。障害者数が最も減るのは国税庁で1000人超のマイナスになる。雇用率が0%台なのは総務省や法務省、文部科学省など計18機関になった。

加藤勝信厚生労働相は28日の閣議後の記者会見で、「障害者施策を推進する立場として深くおわびを申し上げる」と頭を下げ、「今年中に法定雇用率に満たない人数を雇用するよう努力してもらう」と述べた。水増しの原因については「故意か理解不足によるものか、今回の調査では判断しきれない」とした。障害者雇用促進法は、企業や公的機関に一定割合の障害者を雇うよう義務づけている。

現在の国の法定雇用率は2.5%。厚労省は国の33行政機関の障害者雇用数について昨年6月時点で約6900人とし、当時の法定雇用率(2.3%)を達成したとしていた。厚労省のガイドラインでは障害者手帳などの確認を算定条件にしている。しかし、多くの省庁が手帳などを確認せず障害者として組み入れていた実態が明らかになった。就業できるはずだった障害者の雇用機会を奪っていた可能性がある。

企業の場合は法定雇用率を下回ると、不足数1人当たり月額5万円の納付金を求められる。ペナルティーがない行政機関が不適切な算定をしていたことに対し、民間などからの批判が高まるのは必至だ。水増しは全国の自治体でも相次いで発覚している。政府は28日、障害者雇用の水増し問題を巡り、関係閣僚会議を首相官邸で開いた。

菅義偉官房長官は加藤厚生労働相を議長として再発防止策などを検討する関係府省連絡会議を設置すると表明。「10月中をメドに政府一体となった取り組みのとりまとめができるように検討を進めてほしい」と指示した。同連絡会議のもとに弁護士など第三者による検証チームもつくる。【日本経済新聞2018年8月28日

上記の報道の通り官公庁の多くの職場で障害者雇用率を満たしていないことが分かり、強い批判を浴びています。民間企業に対して強要し、取り締まる側であり、率先垂範が求められる官公庁側の杜撰さは猛省しなければなりません。幸い私の勤めている市では「水増し」のような実態はなく、雇用率を満たしていることが確認できています。

民間企業の場合、法定雇用率を下回ると不足数1人あたり月額5万円の納付金を求められます。そのようなペナルティが官公庁側には課せられていないという制度面の不公平感も取り沙汰され、「水増し」と非難されるように意図的な操作まで疑われています。なぜ、このような際立った官民の隔たりが生じたのか、次のような解説に接すると少しだけ疑問は解けていきます。

あらかじめ強調させていただきますが、「だから仕方なかった」という情状酌量につなげるための紹介ではありません。あくまでも多面的な情報に触れることで、物事を評価するためのモノサシの幅が広がるという趣旨の一例として取り上げています。その解説は「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」の記事『障害者雇用率「水増し」問題の法制度史的根源』の中に綴られていました。

詳しい内容はリンク先のサイトをご参照いただければと考えていますが、要点は次の通りです。もともと雇用率制度は1960年に制定された障害者雇用促進法で官公庁は義務、民間は努力義務として始まっていました。1976年の改正で民間も義務化され、この時に民間については雇用率未達成企業に納付金制度が導入されました。

「しかし、その際に障害者の範囲が変わったということは、詳しい人でないとあまり知られていないでしょう」とも記されています。その法改正の詳細を官公庁側が「知らなかった」という釈明は決して許されません。ただ「なぜ、ここまで官民での隔たりが生じてしまったのか」という理由や背景についての理解は進みます。さらに当該の記事には次のような問題意識も示されています。

障害者の範囲というのは、実は障害者雇用政策の根幹に関わる大問題でもあるのです。雇用率制度という一つの政策においては、今日新聞を賑わしているように、ほぼ障害者手帳所持者とイコールというかなり狭い範囲の人々の限られていますが、同じ障害者雇用促進法でも差別禁止と合理的配慮というもう一つの政策においては、手帳を持たない精神障害者や発達障害者、難病患者なども含まれます。さらに福祉的就労の対象となる総合支援法の対象はもっと広くなります。

このブログでも2年前に「障害者差別解消法が施行」という記事を投稿し、対象となる障害者は「障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」とし、障害者手帳等の所持者に限らず、見た目で分からないこともあるという記述を残していました。今回のような報道が注目を集めてしまい、その結果、障害者手帳を持っていない方々に対する職場における合理的配慮が欠けていくようでは問題です。そうならないためにも障害者差別解消法の理念にもっとスポットライトが当たらなければならないものと考えています。

8月5日に投稿した「平和の話、インデックスⅢ」以降、安全保障に関わる論点を提起してきています。それぞれの記事に対し、多くのコメントをお寄せいただいています。基本的に私からのレスは記事本文を中心に対応しています。問いかけすべて網羅した対応に至っていない中、今回、これまでの流れを変えた題材になったことをご容赦ください。決して意識的に流れを変えようと思っている訳ではなく、お寄せくださったコメントは一つ一つ拝読していますので、今後投稿する新規記事を通して私なりの「答え」を少しずつお返しできればと考えています。

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2018年9月 1日 (土)

ネット議論の悩ましさ Part2

前回記事は「ネット議論の悩ましさ」でした。コメント欄までご覧にならない方も多いようですので、そこに記した私からのレスをいくつか取り上げさせていただきます。まず三多摩すごいね(凄いね)さんから「自分(管理人である私)は公平だ」というスタンスで当ブログを綴っているような見方が示されていました。そのあたりから「何故こうも批判が偏るのか、ダブルスタンダードなのか」という見方にもつながっているようですが、大きな誤解があります。

このブログにおいて私自身の立場が「公平だ」と発したことは一度もありません。基本的な立場や考え方を明らかにしながら、自分自身が正しいと信じている「答え」に照らし、それぞれの事象に対して個人的な論評を加えています。もちろんネット上での発言という重さを受けとめ、言葉や表現は常に注意しています。

それでも個人的な立場で運営している場ですので縛りや忖度もなく、ブログのサブタイトルにある通り「雑談放談」的な意見を気ままに書き込んできています。その結果として、現政権に対しては辛口な論評が多くなり、三多摩すごいね(凄いね)さんらとの問題意識にズレが生じているのだろうと考えています。

「過去にこの掲示板に来訪していた方も、私と同じような印象を抱いてここを去ったのではないでしょうか」というご指摘もありました。確かにそのような方も多かったはずです。どうしても自分自身の正しいと信じている「答え」に沿って折り合えない限り、暖簾に腕押しのような平行線の議論だと感じがちです。それでも批判意見を忖度し、自分自身の意に反し、その場だけ繕うような対応をはかるほうが不誠実なことだろうと考えています。

それぞれ培ってきた経験や吸収してきた知識のもとに自分自身の正しいと信じている「答え」に行き着きます。何かの言葉に反応し、「なるほど」という気付きがあり、それまでの考え方を大胆に改める場合もあるのかも知れません。そのような機会は極めて稀だろうと思っていますが、このブログを通し、立場や視点の異なる者同士がお互い言葉の競い合いによって切磋琢磨できることを願っています。

安倍は次の臨時国会に自民党改憲案を提出すると表明した。この秋は改憲と戦争を阻止する大決戦になった。9・9革共同集会に集まり、この攻撃に立ち向かう固い団結をつくろう。改憲阻止の闘いの場は、労働現場・職場にある。安倍はUAゼンセンを手先に連合を改憲勢力に取り込むとともに、労働組合を解体する攻撃を強めている。

その最先頭に立っているのが、JR東労組さえ解体の対象としているJR資本だ。JR東日本がたくらむ乗務員勤務制度の改悪は、労働組合を解体した上で、労働者の雇用と権利を破壊しつくすものだ。だが、動労千葉・動労総連合はこれへの総反撃を開始した。「労組のない社会」を強いて戦争に向かう安倍のたくらみを覆す闘いは、改憲阻止闘争そのものだ。

上記はネット上で閲覧できる『前進』ブログ版の最新記事の冒頭に書かれている内容です。それぞれの立場から正しいと信じている主張を堂々と発せられることが健全な民主主義社会の基本です。したがって、上記のような主張があることを理解し、批判しませんが、私自身のとらえ方とは異なる点が多く散見しています。批判しないことで、その組織の運動を支持していると見られた場合、悩ましさの一つにつながります。

さらに前回記事に綴った通り当ブログを通して発信している主張が上記のような主張と同じカテゴリーで見られていたことに悩ましさを感じていました。「誰が」ではなく、「何を」という言葉が公平さを標榜しているような誤解を招いたようですが、あくまでも物事を評価するための心構えとして記しています。個々の事案に対し、安倍政権だから支持する、逆に反対する、そのような関係性に陥らないようにいつも心がけています。

前回記事の中で記していましたが、私自身が「左派」と見られ、私自身の正しいと信じている「答え」の中味が下っ端さんらから批判されても仕方ありません。その上で、私自身の結論は変わらない中、「なぜなのか」という説明について一人でも多くの方から共感を得られるように努めていきたいものと考えています。よりいっそう「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、これからも頭を悩ましていくつもりです。

さて、自治労や平和フォーラムが在日米軍基地に対して抗議行動に取り組む一方、なぜ、中国大使館に向けた抗議行動には取り組まないのかという問いかけが頻繁に寄せられています。当初、新規記事のタイトルは「在日米軍基地の問題」としていました。書き進めていくと、前回記事のコメント欄に書き込んだ内容の紹介がたいへん長くなってしまいました。そのため、途中から「ネット議論の悩ましさ Part2」に変えています。

初めに思い描いた記事内容の広がりは避けながら、できる限り要点を絞ってまとめてみます。たいへん有難いことに前回記事のコメント欄でベンガルさんから、この件に関する詳しい説明となるコメントが寄せられていました。私自身の言葉に置き換えて説明するよりも、ベンガルさんのコメントから関連する箇所を抜粋し、そのまま紹介するという形を取らさせていただきます。

国民、住民の抗議行動(集会、デモ、座り込みなど)のスタイルは国によって様々ではあると思いますが、少なくとも日本の労働組合が行ってきた抗議行動のスタイルは、日本政府や自治体に対するものです。課題が日本国内の課題は当然のことですが、在日米軍や安保についても文脈として米軍批判をしながらも最終的に求めているのは日本政府に対する問題提起だったり、政策の転換、米国への抗議(日本政府が)など、一方自治体に対するものは、それらを政府に対し働きかけるよう求めたり、県民、市民の安全性の確保を求めるものであったりします。

例外としては、在日米軍基地の兵隊が日本国内で事件、事故を起こした場合など、米軍に対し、日本の法律で裁くため身柄を引き渡すよう求めた行動ははありましたね。これも根本的には、日米地位協定の問題であり、基本的には日本政府に対する抗議と要請を同時に行った経緯があると思います。

変化があるとすれば、ここ近年、「核兵器廃絶の世界的な潮流」の中で、核実験を行った国に対しては、どの国であろうが(当然、中国、北朝鮮も)各国大使館あてに抗議を行っているようです。これは全世界的な動きであり、日本の労働組合もこの動きに呼応しています。

「米国は批判するけど、中国、北朝鮮は批判しない日本の平和団体」という批判は、日本会議などが発端だったかと思いますが、かなり前から言われています。ただ、日本の労働組合が取り組む平和運動というのは、戦後のGHQによる統治から朝鮮戦争、日米安保、在日米軍基地問題などをスタートとして、あくまで日本国内問題として、日本政府が取ってきた外交政策や安全保障政策に対し、日本国民として抗議や反対の意を表明するというものですので、他国に対する直接的な抗議行動というのは違和感があると言うか…。また、日本の労働組合が単独で抗議したところで、「何言ってるの?」ってことにはならないでしょうか?これは、良し悪しは別として一貫していると思います。

上記の文章に対し、特に私から補足することはありません。私自身の認識と基本的に一致しているため、たいへん恐縮ながらベンガルさんのコメントのほぼ全文を転載させていただきました。もちろん反論や批判が加えられた場合、そのまま転載した私自身の責任で対応させていただきます。要するに自治労や平和フォーラムが取り組む在日米軍基地に対する抗議行動は「国内問題」という位置付けになります。

このブログでは以前「普天間基地の移設問題」や「横田基地にオスプレイ」という記事を投稿しています。民主党中心の政権に交代した直後、普天間基地移転を巡って迷走した際には「約束を踏まえた先に広がる可能性」という記事を投稿していました。アメリカとの約束を優先すれば、国内向けの約束を破る結果となるため、鳩山元首相らは相反する約束があることを踏まえ、下記のような関係性に充分配慮しながら対応する必要性があることを訴えていました。

アメリカ政府との関係で言えば、政権交代という非常に大きな国内事情の変更があったことを訴え、まず交渉のテーブルに着いてもらうことが重要でした。その際、「辺野古への移設の約束は白紙」と日本側が先に述べてしまうのは適切ではありません。あくまでもアメリカとの約束は生きている中で、改めて交渉の席に着くことを依頼しているのが日本の立場だからです。

すべての事象に対して当てはまることですが、「このようにしたい、こうあるべきだ」という理想的な姿を思い描くことも多いはずです。しかし、思い描いたからと言って一足飛びに理想的なゴールにたどり着ける訳ではありません。現状からスタートして、一つ一つ乗り越えるべき課題をクリアしながら、理想的なゴールにたどり着けるかどうか努力していかなければなりません。

在日米軍基地の問題で言えば、目の前にある地元の基地の取扱いと日米安全保障条約の見直しという総論的な課題が内包しています。理想的な姿は在日米軍を必要としない安全保障環境の構築です。そのような姿が実現できれば、沖縄をはじめ、在日米軍基地による各地域の負担感は劇的に解消されていくことになります。到底一足飛びにたどり着けるゴールではありませんが、理想を思い描きながら直面する課題に向かっていくことも欠かせないのではないでしょうか。

このような言葉に対し、痛烈な「お花畑」批判が寄せられるのかも知れません。それでも国際的な枠組みの中で軍縮の流れを高め、近隣諸国との関係改善に努めることで脅威を逓減化させ、アメリカ政府とも協議しながら軍事力に依拠した安全保障環境を見直していくことも決して絵空事ではないはずです。実際、安倍首相も中国や北朝鮮とも対話していく道を選びつつあります。このような対話をできる関係性こそ、武力衝突を回避する「安心供与」の広義の国防だろうと考えています。

たいへん重く難しい話を要約しすぎているため、言葉や説明が不足している箇所が目立っているかも知れません。機会があれば不充分な点は補足させていただきます。なお、このブログでは「答え」を一つに絞ることを目的としていません。記事本文に書かれた内容や閲覧された皆さんから寄せられるコメントに対し、個々人がどのように受けとめるのかどうかという関係性を重視しています。

最近の傾向として、コメント欄では私自身の主張に対する反対意見の数々という構図が多くなっています。前回、ベンガルさんからお寄せいただいたようなご意見が示されることで、コメント欄においても幅広い考え方や情報に触れられる機会につながるものと思っています。ぜひ、一人でも多くの皆さんからお気軽にコメントがお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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