« 平和の話、インデックスⅢ | トップページ | 平和の話、サマリー Part2 »

2018年8月11日 (土)

平和の話、サマリー

前回の記事は「平和の話、インデックスⅢ」でした。その記事の中で翌週に投稿する新規記事のタイトルは「平和の話、サマリー」と予告していました。これまで「Part2」として続けることを予告する場合は数多くありました。ただ別なタイトル名を事前に予告することはあまりなかったものと思います。

原爆忌から終戦記念日に続く時期、「平和の話」をまとめてみようと少し前から考えていました。記事タイトルも要約という意味の「サマリー」を付けることをスンナリ決めていました。この時期に「平和の話、サマリー」という記事の投稿を先に決めていた中、インデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えて随分たっていたため、まず過去の記事を紹介する機会につなげてみたところです。

そのため、翌週に投稿する新規記事のタイトルは「平和の話、サマリー」とあらかじめお伝えする流れとなっていました。ちなみに予想していた通り「平和の話、インデックスⅢ」に加えるべき記事は相当な数に上っていました。この機会を逃せば、さらに対象記事の投稿数は積み上がり、作業量の多さから「Ⅲ」の投稿はずっと見送られることになっていたかも知れません。

余計な話で3段落も費やし、たいへん恐縮です。さて、前回記事の最後のほうで、なぜ、このブログでは「平和の話」の投稿が多いのか、そのような点について説明を加えさせていただきました。今回はこれまで「平和の話」に綴ってきた内容を要約した記事の投稿に取りかかってみます。いつもの話ですが、長い記事になることが見込まれるため、久しぶりに小見出しを付けながら書き進めていきます。

誰もが戦争は避けたい、防ぎ方に対する認識の違い

国際社会の中で原則として戦争は認められていません。例外の一つに自衛のための戦争があります。集団的自衛権もその名の通り自衛のための戦争に位置付けられます。国連加盟国は侵略戦争を放棄しているため、建前上は日本と同様、すべて「平和主義」を希求している国だろうと思っています。

できれば誰もが戦争は避けたいと考えているはずです。戦争を防ぐため、平和を守るため、抑止力を高めることが大事だと考え、安保関連法等を評価されている方々が多いことも理解しています。残念ながら戦争の防ぎ方に対する認識の違いから対立しがちな現状があります。そもそも物事の評価は〇か、×か、単純に決められない場合が多いはずです。憲法9条に対する評価も同様です。

憲法9条を守っていれば日本の平和は守れる、そのような見方は一面で正しく、別な一面で誤りだと言えます。自衛隊創設前、朝鮮戦争の際に海上保安庁の日本特別掃海隊が機雷除去に携わりました。このような歴史を忘れてはいけませんが、憲法9条という歯止め、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈のもと日本は戦争に直接参加せず、他国の人の命を一人も奪うことなく戦後70年以上乗り切ってきたことも事実です。

これまで「セトモノとセトモノ、そして、D案」をはじめ、数多くの記事を通して平和の築き方安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきました。私自身、憲法9条さえ守れば平和が維持できるとは思っていません。重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。

憲法9条を守ろうとしている人たちの中でも考え方は様々なのかも知れませんが、『カエルの楽園』に登場するナパージュのカエルたちのような硬直した考えの護憲派は皆無に近いのではないでしょうか。寓話に目くじらを立てても仕方ありませんが、集団的自衛権に反対する人たちは愚かで、国を滅ぼすという見方はあまりにも短絡的すぎるものと思っています。

歴史を振り返る中で、広義の国防や安心供与について

広義の国防と狭義の国防という言葉を『ロンドン狂瀾』という書籍を通して知りました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことをその書籍で知りました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義を改めて理解していました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができるという話です。

加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

広義の国防と狭義の国防、同様の意味合いとして「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中でソフト・パワーとハード・パワーという対になる言葉も紹介していました。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。もう一つ、抑止に対し、安心供与という言葉があります。

安心供与という言葉は「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって寛容さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。

抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。

ヒトラーの試写室』という書籍を読み、このブログで紹介した記述があります。ナチスドイツが「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」と判断し、スイス国内には「平和」が広がっていたことを記していました。ここで付け加えるべき記述として、仮にスイスがドイツの敵対国だった場合、攻め込まれてスイス国民や国土は戦火に見舞われていたはずです。

中立国という立場は広義の国防の一つであり、侵攻されない限り軍事力は行使しないという安心供与がスイス国内の「平和」を守ったと言えます。その際、相手国を凌駕する軍事力がスイスにはありませんでしたが、個別的自衛権としての軍備も整えていたため、ナチスドイツ側の発言の通り一定の抑止力が働いたようです。専守防衛を柱にした安心供与が日本国憲法の平和主義であり、私自身、必要最低限の自衛権の必要性とともにスイスと対比した日本の「特別さ」を感じ取る機会となっていました。

平和主義の効用のもとの国際貢献

安心供与、ソフト・パワー、それぞれの言葉に共通している点は、どちらが正しいのかという二者択一の問題ではないことです。あくまでもバランスの問題であり、抑止力を軽視せず、非軍事的な「人間の安全保障」の取り組みも強化していくことが重要です。国民の安全と安心を担保するため、どのような選択が望ましいのか、その重要な選択肢として日本国憲法の「特別さ」を維持していくことが有益なのか、もしくは弊害があるのかどうか、私たち一人一人が問われているものと認識しています。

このような問題意識を数多くの記事を通して綴ってきています。改めて端的な言葉で語れば、守るべきものは日本国憲法の平和主義であり、個別的自衛権しか認めないという「特別さ」です。この「特別さ」を維持することで平和主義の効用があり、広義の国防、安心供与の専守防衛につながっているものと考えています。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、憲法9条の条文を一字一句変えなければ日本の平和は維持できるという発想ではありません。

憲法9条があるからと言って、国際社会の中で戦火が消える訳ではありません。しかし、武力によって憎しみの連鎖は絶ち切れず、戦争やテロの抑止につながりません。9条を守れば戦争が起きないのではなく、専守防衛という平和主義を守ることで、海外での戦争に関わる可能性の低い国であり続けられたことも事実です。さらに攻め込まれない限り、戦わないという専守防衛の考え方は前述した通り安心供与という抑止力の一つとなっています。

「日本だけ平和であれば良いのか、国際社会の一員として果たすべきことがあるのではないか」という指摘があります。もちろんすべての国が平和であることを心から願い、日本が国際社会の中で汗をかくことも欠かせません。その上で日本国憲法の制約があることを国際社会の中で理解を求めながら、日本ならではの非軍事面での国際貢献に力を尽くしていくことが必要だろうと考えています。

実際、アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんは、平和国家である日本のイメージは良く、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られています。そして、このブランドイメージは余計な恨みを買わないため、狙われる可能性が減り、これまで日本人の安全面に寄与し、日本人だからこそ関われる国際貢献の選択肢を広げていました。

外交の場でも同様です。平和国家という日本のブランドイメージを活用しながら、日本ならではの国際平和の構築に寄与して欲しいものと願っています。緊迫化していた北朝鮮情勢の中で日本政府こそ、率先して平和的な外交努力での解決に汗をかいて欲しかったものと考えていました。しかし、残念ながら日本政府からは「対話のための対話では意味がない」という言葉が繰り返され、安倍首相からは安全保障を強い言葉で語ることが目立ち、安心供与とは真逆な標的になるリスクを高めているように危惧していました。

韓国の文大統領の努力、トランプ大統領の決断によって、幸いにも一触即発の事態だけは回避できた現況だと言えます。局面が動いた後、8月3日にはシンガポールで河野外相が北朝鮮の李外相に「日朝間で話し合う用意がある」と立ち話形式で伝えていました。安倍首相も首脳間の直接対話に強い意欲を示しています。ただ北朝鮮側の反応は鈍く、足下を見られているような関係性に陥っています。もし日本政府も文大統領のような役回りを追求していれば、この局面で日朝の対話は加速化していたのかも知れません。

8月7日、イラン核合意からの離脱を表明していたアメリカがイラン経済制裁の部分的な再開に踏み切りました。原油価格の高騰など世界経済に悪影響を及ぼす懸念があり、中東地域の不安定化を招く憂慮すべき事態です。北朝鮮に示した融和姿勢とは真逆なトランプ大統領の判断ですが、オバマ前大統領の「政治的遺産」の否定を主目的にしているのであれば極めて残念な動きだと言わざるを得ません。

中東地域で平和国家であるという日本のブランドイメージはそれほど棄損されていないようであり、イラン政府とは対話できる関係性を築いています。今回のアメリカの離脱が国際社会の中で強く批判されている中、今こそ日本の出番があるのではないでしょうか。トランプ大統領との良好な関係を誇示している安倍首相が「トランプ大統領のため、アメリカのためにも判断を見直すべき」と説得し、結果を示せるようであれば日本に対する評価は急上昇するものと思っています。

憲法の「特別さ」を維持するのか、国際標準の「普通の国」になるのか

安倍首相が「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べ、改憲への動きが急速に強まっています。私どもの組合も「憲法を生かす全国統一署名」に取り組み、このブログでもいくつか論点を提起してきました。繰り返しになりますが、憲法9条を変えなければ「ずっと平和が続く」という単純な考えではありません。個別的自衛権しか認めてこなかった平和主義は国際社会の中で誇るべき「特別さ」であり、日本のブランドイメージを高めていました。

仮に集団的自衛権の行使を認めたままの改憲だった場合、その「特別さ」を外し、国際標準の「普通の国」になるかどうかという重大な選択であり、このような動きに反対しています。一方で、とりまく情勢の厳しさから改憲の必要性を説く声も耳にします。ただ9条の見直しは周辺国を刺激する動きであることも押さえなければなりません。あえて他国を刺激しないという「安心供与」や「広義の国防」を重視する道こそ、日本の進むべき道であって欲しいものと強く願っています。

北朝鮮情勢の緊迫化を受け、今年度の防衛予算は過去最大規模の5兆2千億円に及んでいます。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入費用は2基で総額6千億円以上となるという試算が示されています。北朝鮮との対話の道が開かれた今、本来、この計画は見直すべきなのではないでしょうか。防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。

情勢が緊迫化していた最中、日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ことであり、米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが何よりも重要であると柳沢さんは訴えていました。現在、北朝鮮の「意思」が変わりつつあり、将来的には「能力」を放棄することも約束しています。それこそ「骸骨が砲車を引くような不条理な事態」を避けるための転機につなげて欲しいものです。

いろいろな「答え」を認め合い、いがみ合わないことの大切さ

過去の記事に残した記述を転用しながら、ここまで「平和の話」をまとめてきました。まだまだ掲げたい内容がありますが、そろそろ一区切り付けさせていただきます。前回の記事の中でも強調した点ですが、あくまでも私自身が正しいと信じている「答え」の数々であり、異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。このブログを長く続けている中で、いろいろな「答え」を認め合った場として個々人の「答え」の正しさをそれぞれの言葉で競い合えることを願っているところです。

「平和が大切だったら、アメリカばかりでなく組合を使って中国にももっと抗議したらどうですか?」という問いかけもあります。どこの国の事例であろうと非人道的な行為はもちろん、国際社会のルールを破る理不尽な行動は許されません。個々人や各団体の判断のもとに批判や抗議をすべきものと思っています。しかし、そのような対応がはかれていないからと言って「問題視すべき行為を容認している、もしくは批判できない関係性だ」という短絡的な見方につなげてしまっては問題です。

それぞれの正しいと信じている「答え」に照らし、納得や理解できない他者の振る舞いに対し、推論や思い込みによる批判は絶対避けなければなりません。いわわる左と右、立場に関わらず心がけるべき点だと考えています。「ブサヨ」や「反日」、「ネトウヨ」や「権力のポチ」などという言葉を使った途端、冷静で理性的な議論から遠ざかってしまうはずです。

大事なことは「誰が」や「どこの団体が」ではなく、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのかという一つ一つの判断の積み重ねだろうと思っています。そして、より望ましい「答え」に近付くためには幅広く、一方に偏らない多面的な情報や考え方に触れていくことが欠かせません。このブログがコメント欄を含め、そのような場の一つになり得ることを願っています。私自身にとって当ブログのコメント欄は、おかげ様で充分そのような場として受けとめさせていただいています。

最後に、自分自身の「答え」の正しさを前提に他者を蔑むような批判の仕方は控え、立場や視点、考え方の違いがあっても、いがみ合わないことの大切さを繰り返し訴えてきています。このような思いは現実の場面や国際社会の中でも同様です。相手側の言い分にも耳を傾けることで対話につながり、武力衝突という最悪な事態だけは絶対避けることで、世界中から戦火が消えることを切望しています。

|

« 平和の話、インデックスⅢ | トップページ | 平和の話、サマリー Part2 »

コメント

>「平和が大切だったら、アメリカばかりでなく組合を使って中国にももっと抗議したらどうですか?」という問いかけもあります。どこの国の事例であろうと非人道的な行為はもちろん、国際社会のルールを破る理不尽な行動は許されません。個々人や各団体の判断のもとに批判や抗議をすべきものと思っています。しかし、そのような対応がはかれていないからと言って「問題視すべき行為を容認している、もしくは批判できない関係性だ」という短絡的な見方につなげてしまっては問題です。

ここには強烈な違和感があります。自治労は過去、中国大使館への抗議デモなど一度でも行ったのでしょうか。「そのような対応がはかれていない」ということは、当該問題については優先順位が低い、若しくは問題と看做していないと思われてしまうのは当然ではないですか?
「短絡的な見方」とおっしゃいますが、単にそれは「事実」なのではないですか?「問題視すべき行動を容認している、もしくは批判できない関係性だ」ということが。
違うというのなら、組織として公に運動を行うべきでしょう。運動をしないどころか、まとまった言及さえしていないのが現状かと思いますが。

投稿: qur | 2018年8月12日 (日) 10時33分

qurさん、コメントありがとうございました。

ご指摘の通り自治労が中国大使館への抗議デモを行なったことはないはずです。違和感を与えてしまったようですが、そのような事実関係について反証するものではありません。騒音や墜落の危険性等の絡みから在日米軍基地に反対する運動方針がある中、優先順位の問題が問われることもやむを得ないものと考えています。

その上で記事本文に綴った通りの問題意識を抱えています。世界中には様々な問題視すべき事例がありますが、「〇〇について反対しないから容認している」という見方は、やはり短絡的であるように思っています。加えて、このような推論や三段論法から仮に「反日」や「中国のための活動」のような極端な見方につながるようであれば、もっと問題だろうと考えています。

このような説明も充分な補足に至らないのかも知れません。いずれにしても記事本文に綴った下記のような思いを強めていますので、ご理解いただければ幸いです。

>大事なことは「誰が」や「どこの団体が」ではなく、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのかという一つ一つの判断の積み重ねだろうと思っています。そして、より望ましい「答え」に近付くためには幅広く、一方に偏らない多面的な情報や考え方に触れていくことが欠かせません。このブログがコメント欄を含め、そのような場の一つになり得ることを願っています。

投稿: OTSU | 2018年8月12日 (日) 22時31分

>ご指摘の通り自治労が中国大使館への抗議デモを行なったことはないはず(中略)優先順位の問題が問われることもやむを得ないものと考えています。

デモという労力を要する形は無理でも、せめて声明文の一つでも出せないものでしょうかね。

私も数年前、青年部の一員として某自治体の執行委員を務めていた時期がありました。
執行部会で提示された、組合の大会で示される活動方針案でアメリカに対する否定的な姿勢が際立つ一方、中国や北朝鮮に対する言及は皆無でした。
私は、あまりにもバランスを欠いているのではないかという意見を述べました。
以降任期満了までの、執行部会で私の発言が許可されることはありませんでした(執行部会開催の案内メールが送られてこないことも多々ありました)。

投稿: 四国人 | 2018年8月12日 (日) 22時53分

四国人さん、コメントありがとうございました。

私自身の思いは今回の記事本文に綴っている下記の通りです。強く批判すべき事例があり、執行委員会で議論した上、総意がはかれれば抗議の意思表示はあり得るはずです。

>どこの国の事例であろうと非人道的な行為はもちろん、国際社会のルールを破る理不尽な行動は許されません。個々人や各団体の判断のもとに批判や抗議をすべきものと思っています。

「以降任期満了までの、執行部会で私の発言が許可されることはありませんでした」というお話ですが、私どもの組合では考えられないことです。それこそ多様な意見を認め合い、受け入れらない意見であれば、そのことの理解を求めていく、このような組織運営を基本とすべきものと思っています。

投稿: OTSU | 2018年8月12日 (日) 23時11分

その、在日米軍が多く存在するのが沖縄。
そして、沖縄の基地問題に声を大きく上げているのが自治労。

なぜ沖縄に米軍を置くのか、根本的な理由に、確実に中国も北朝鮮も含まれる。

その理由を誰もがわかっているからこそ、基地を減らせの一点張りで、そこに言及しないことに違和感を述べているのだと思いますよ。

なぜ、「私もそう思います。委員長として自治労本部に伝えます」、と言えないのでしょうか?真に平和を求めるなら、当然の行動と思いますが、違いますか?

投稿: 下っ端 | 2018年8月12日 (日) 23時20分

>なぜ、「私もそう思います。委員長として自治労本部に伝えます」、と言えないのでしょうか?
いやいやいや、無理を言っちゃいけませんて。
そんなの「独裁になるから出来ない」と突っぱねられるのがオチじゃないですか。

でも「バランスを欠いているとの指摘が有ることについて、総意を確かめるべく執行委員会/総会に諮ります」とは言えるハズだ。そうでしょう?

投稿: KEI | 2018年8月13日 (月) 05時45分

>大事なことは「誰が」や「どこの団体が」ではなく、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのかという一つ一つの判断の積み重ね

と言われる割には、ここまでブログで書かれてこられたことは非常に恣意的に安倍政権全体の批判となる点ばかりとりあげられていますね
アメリカは批判し、中国は批判しないことにも全く答えていませんし
あえてレッテルを張らせてもらいますが、あなたを含め、「左派」の方たちは保守系の政治家への認識が30年前のまま止まっていると思います
保守系の政治家であっても、今は弱者の声もよく拾ってくれるようになっています
それこそ安倍政権の行った施策には、非常にリベラルな施策が多く含まれています
自立支援法の改正、障がい者虐待防止法、LGBTの各施策等等、福祉畑の人間からすれば、あれだけ弱者の見方を標榜してきた民主党が与党時には全く手を付けず、口先だけの共産党が立案したこともないことに手をつけてくれました
外交的にも、北朝鮮に強硬姿勢を見せながらも外交チャンネルは残し、韓国に対しても各紛争で対決しながら慰安婦基金を支出する等の解決策も日本側から提示する等々
保守の看板を掲げながら、個々の施策はどれも現実主義に立っています
それに対し、レッテル貼りに終始し、批判のための批判しかできていない
個別の政策では、有権者からの支持の低い政策があるのに、政策論議することなく全否定をするから政党自身への支持を失う
「公務員」の「組合」が、自分達の頭で個別の政策への賛否を示すのではなく、特定の政党に依拠することが、どれだけ市民からの信用を損なっているのか理解しようとしない
組合加入率の低下も全く同じ構造ですよ

それと、憲法9条の国際的信用なんで、警察予備隊の時から全くありませんよ
外国からは自衛隊はArmyなりForceなり、紛れもない軍隊です
他国が平和憲法に言及するときは、外交的要求等で有利になる時に便利に使っているだけです
アメリカにしろ中国にしろ、自衛隊に軍隊としてあって欲しいときは軍事力扱いし、そうでないときは軍事力扱いしない
改憲したところで、長期的には同じことです

投稿: | 2018年8月14日 (火) 00時50分

短絡的にではなく、単純に事実のみを積み重ねた上で
理解しうる内容を指摘すれば、偏った平和活動との指摘は
なんらおかしな点はありません。世界で活動する平和活動
団体は相手が、どこの国家であれ批判することをためらう
ことはありません。

いっそのこと、平和活動と言うからその内容にケチをつけ
られるのであって、基地問題をクローズアップするのなら
ば、迷惑施設問題として活動すればいかがですか。それな
らばオスプレイも事故が多く危険だ。基地は迷惑だと言っ
ても問題はありません。

今の自治労や平和団体の中心を占める方々にとって戦後
の冷戦時代から世界情勢は変化してないのでしょう。
恐らくベトナム戦争で停止してるのではないのですか。
だから全ての戦争や紛争はアメリカ発であって、アメリカ
の兵器や基地、そして同盟関係の日本が行う活動は全て
許せない平和を乱す内容に見えるのでしょう。
アメリカや日本が悪いのであって、それ以外は存在しない
し、存在を認めることはできないのでしょう。それを
認めたら、今まで否定し非難したことを受け入れる必要
が出てくるので、まあ無理でしょうね。
だからこそ、青年部でそのような意見を出しても無視され
るのは言わば当然です。今の組合系の団体にとってその
ような意見は存在を許されないのです。

OTSU氏から、手続きのことや自由闊達な議論をしてると
の反論があるかもしれませんが、外部から及び内部から
聞こえる意見を集約すると上記の内容に帰結します。
絶対存在しない内容だからです。

投稿: nagi | 2018年8月15日 (水) 09時38分

記事本文に出てくる 伊勢崎賢治さんですが、この方の
ツイッター及び記事を読むと、ひょっとするとOTSU氏が
プログでは書かない本音、あるいは真意があるのかなあと
勘ぐってしまいますね。

>https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54331

少なくとも護憲派と呼ばれる方とは異なる意見ですね。

投稿: nagi | 2018年8月15日 (水) 11時13分

まったく本記事とは関係ありませんが、2008年8月30日の
記事「あるチラシへの苦言」をたまたま読んだのですが
そのコメント欄でのやり取りを見ると、まるで国会で野党
にうんざりする与党のようでなかなか興味深い内容でした

まさに立場が変わったら同じようなことがおこると言いま
すか、組合の役員の方も大変だなあと思います。

この記事のコメント欄で

>組織の中にも異論は必ずありますが、それをごり押ししようとする勢力にはほとほと困りますよね。
会議等の中で議論を重ねて、民主的、組織的に結論づけても納得しない人。要は最初から結論ありきというか、人の意見を聞かない人は、組織の指導的立場になってはいけないですよ。

国会での野党のことかと思いましたが、前後から見て
組合のことだと理解できました。このチラシを配布した
女性から見たらOTSU氏ら役員の方は、今の安倍政権の
ように非難されたわけですね。

投稿: nagi | 2018年8月15日 (水) 15時07分

終戦の日の今日、偶然通りがかった者です。
労組は護憲派の左派という理解が間違った認識でなければ
教えてほしい事がるのです。
憲法を守るという意味が
憲法に明記された事を守ることと同意であれば
戦力(軍隊)を持たない国が、専守防衛などできません。
仮に自衛隊を専守防衛組織と定義するならば

世界の各国はいずれも自国の防衛のために軍備を保有するのであって、単に自国の防衛のために必要であるという理由では、それが軍隊ないし戦力であることを否定する根拠にはならない

という長沼ナイキ事件の1次判決を
どうやって否定するのですか?
長きにわたる国民との対話の中で
専守防衛が合憲になったとでも?
それじゃ、集団的自衛権も同じじゃないですか?

護憲を掲げるならば、
専守防衛をどうやって憲法上で保証しているのか
教えてほしいのです。

投稿: 偶然の閲覧 | 2018年8月15日 (水) 23時33分

文部科学省の裏口入学不正問題ですが、どうも野党系の
国会議員の名前が取りざたされてから、報道が減りまし
たね。援交事務次官こと前川喜平のことをヒーロー扱い
していたマスコミはどうするつもりか。またこの不正に
ついて、名前が上がる議員に取材攻勢をしないのはなぜ
か? こんなことだからオールドメディアは信用を無く
す一方なんですよね。

投稿: nagi | 2018年8月16日 (木) 12時29分

下っ端さん、KEIさん、2018年8月14日(火)00時50分に投稿された方、nagiさん、偶然の閲覧さん、コメントありがとうございました。

本来、コメント欄を通してお答えしていくほうが分かりやすいのかも知れませんが、この週末に投稿する記事を「平和の話、サマリー Part2」として書き進めていくつもりです。たいへん恐縮ながら、すべて網羅できないものと思いますが、ぜひ、新規記事にご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年8月18日 (土) 06時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/130697/66685119

この記事へのトラックバック一覧です: 平和の話、サマリー:

« 平和の話、インデックスⅢ | トップページ | 平和の話、サマリー Part2 »