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2018年8月25日 (土)

ネット議論の悩ましさ

8月10日、人事院は今年度の国家公務員の月例給を平均で0.16%(655円)引き上げ、一時金を0.05月分引き上げて年間4.45月分とする勧告を国会と内閣に対して行ないました。月例給と一時金、ともに5年連続での引き上げ勧告となりました。前回記事「平和の話、サマリー Part2」の中では外交面で安倍首相を評価できる点について記していました。

人事院勧告は民間の給与水準を反映したものであり、少しずつでも5年連続で引き上げられている結果は評価すべき点です。加えて、これまで安倍政権は人事院勧告の骨格となる内容はそのまま実施してきています。公務員の労働基本権制約の代償措置としての人事院勧告ですので、当たり前と言えばそれまでですが、公務員給与の引き下げが政治的な思惑の中で取沙汰されるケースの多さを考えると素直に評価しなければなりません。

東日本大震災の復興財源に充てるため、国家公務員の給与が2012年度と2013年度に限り平均7.8%カットされました。安倍政権になった後、それまで独自な給与見直しを進めていた地方公務員全体にも同様な給与削減を要請したことは問題だったと考えています。それでも民主党政権時代の幹部の一人は「これだけひどい財政状況を考えれば、2年間でまた元に戻すことができるはずがない」と発言していました。

そのような見方もあった中、安倍政権はあくまでも特例の臨時的措置として削減は2年間にとどめました。デフレ脱却をめざす安倍政権の経済政策に照らし、一貫性のある判断であり、率直に評価できる点だと言えます。アベノミクスそのものの評価は難しく、「劇薬」を投与中という認識です。日本の経済や財政を致死させるリスクを危惧する一方、劇的に回復させた試みだったと評価される日が来ることも願っています。

さて、人事院勧告は毎年8月初旬に示されます。「人事院勧告の話、インデックス」という記事もありますが、やはり8月は平和や戦争について考える題材の投稿が多くなっています。今年は3週続けて「平和の話」をタイトルの頭に付けた記事を投稿していました。2012年の春頃から寄せられたコメントに対し、しっかりお答えすべき内容は記事本文を通して対応しています。

そのため、難しい論点を含む題材だった場合、「Part2」として続け、前回記事の内容を補っていくことが多くなっています。「平和の話、サマリー Part2」もそのような流れの中で投稿していましたが、私自身の悩ましさが深まる経過をたどっています。かなり前に「ネット議論への雑感」という記事を投稿し、3か月前には「再び、ネット議論への雑感」という記事を綴っていました。

それらの記事では主に「難しさ」を書き残していましたが、今回は「ネット議論の悩ましさ」というタイトルを付けました。SNSを利用した意見交換の「難しさ」から、今、直面している「悩ましさ」の理由を探ってみます。まず私自身が「悩ましさ」を深めた言葉を紹介させていただきます。そのような言葉が示された発端となっている具体的な事例に関しても、充分な理解を得られていないようですので補足できればと考えています。

いわゆる、極左的な活動をしている方々が主張していることと、管理人さんが書いていることがいつも重なって見えてしまう。そして、自治労の活動自体も、多くが重なってしまっている。 「あっ、結局は自治労も管理人さんも、左派的思想のもとに活動をしている団体や人なんだな」 それが、ここに色々と書き込みをする人達の、受け取った認識であります。

このブログを開設した頃から閲覧いただき、コメント欄での常連である下っ端さんからの言葉でしたので余計ショックでした。「極左的な活動をしている方々が主張していることと、管理人さんが書いていることがいつも重なって見えてしまう」という言葉に何とも言えない無力感や徒労感を覚えていました。

私自身、自治労の基本的な方向性を支持し、いわゆる右か左かで言えば、左に位置するように見られていることを否定しません。しかし、そこまで極端なカテゴリーの中で、同じように見られていることに非常に驚き、物凄く残念な気持ちを強めています。普段から「誰が」という色眼鏡は外し、「何を」訴えているのかという中味を評価しなければならないものと考えています。

このブログで発信している内容に関しても、そのように見て欲しいものと願っていました。その上で、基本的な視点や考え方が異なる方々にも届くような言葉を探し続けています。このような自分自身のこだわりを考えた時、「公務員のためいき」と長くお付き合いいただいている下っ端さんから極端な見られ方が吐露され、本当に力が抜けてしまいました。例えれば次のような場面が思い浮かんでいました。

新しく開発した自社の車の性能や装備などを詳しく説明し、その車の素晴らしさを懸命にアピールした後、「やっぱりM社の車は買う気がないから」と言われた営業マンの気持ちと重ね合わせています。どれほど画期的な車が開発でき、その点を的確に伝えたとしても「M社の車だから」というカテゴリーのみで判断され、切り捨てられてしまっては非常に無念な話だと言えます。

念のため、私が主張している内容は素晴らしく、画期的であるという例えではありません。下っ端さんから「左」という大きなカテゴリーの中に一括りにされ、十把一絡げに評価されているような印象を受けたため、上記のような話に例えてみました。とは言え、このような理解は間違いであり、過剰反応だったのかも知れません。その後、下っ端さんからは次のようなコメントが寄せられていました。

スタートの視点が違うんです。管理人さんは、フラットな目線での意見を述べていることに、異論はありません。しかし、その一方で、所属する組織のトップでもあり、そのことをある程度公表している以上、個人的な見解とは見てくれないんですよ。いくら個人的な見解であっても。その点をもう少し考慮してお書きになれば、いわゆる「心外」な指摘は減少すると思われます。私の突っ込みも、半分はそういう要素を加味していることをお気づきください。

私が無力感や徒労感を覚えたことは過剰な反応であり、下っ端さんの指摘の真意を正しく理解できていない、そのようなメッセージであることは伝わってきています。しかし、逆に私自身が、なぜ、これほどショックを受けたのか、理解いただけていないことも感じ取っていました。今回の記事本文に取り上げた例え話も含め、何に対して悩ましさを深めたのか、分かっていただくことは容易でないのかも知れません。

愚痴っぽい話が続き、たいへん申し訳ありません。ただネット議論の悩ましさを強調するだけで、後ろ向きな話のまま終わらせるつもりはありません。下っ端さんをはじめ、せめてコメント欄常連の皆さんとは「スタートの視点」を近付けたいと願っているため、今回の記事を書き進めています。言うまでもありませんが、それぞれが正しいと信じている基本的な「答え」が違うことを前提にした上での「スタートの視点」のすり合わせです。

「批判を受けている」と感じるか(イコール、左派と認める)、「そうじゃないんだ。まだまだ誤解が存在するからもっと議論をしていきたい」と思うか(リベラル?) どちらを感じるのかは、管理人さん次第と思ってます。

上記の言葉も下っ端さんからの問いかけです。もちろん、もっともっと議論をしていきたいと思っています。それがリベラルという立場なのかどうか分かりませんが、もう少し私自身の問題意識を理解いただき、かみ合ったネット上での議論につなげられればと願っています。なお、上記のような問いかけからもお互いの「スタートの視点」に大きな隔たりが存在していることを感じ取っています。

私自身が「左派」と見られ、私自身の正しいと信じている「答え」の中味が下っ端さんらから批判されても仕方ありません。そのことでショックを受けることはありません。大きなショックを受けた理由は「極左」の主張と同一視されてしまっている点です。どこまでが「極左」かどうかも分かりませんが、いわゆる「左」と見られている方々の主張や論調も個々人によって差があり、簡単に一括りできるものではありません。

外国人からすれば「日本人の顔は皆同じ」と見られるような話を耳にしたことがありますが、下っ端さんからすれば「左」に位置付く主張は「皆同じ」に見られてしまっているのかと思い、たいへんショックを受けてしまった訳です。このような話も「どうでもいいじゃないか」という叱責があるのかも知れません。確かに「極左」「左派」「リベラル」「右派」「極右」、どうでも良いのです。それぞれの立場の方々がそれぞれの言葉で主張している内容を色眼鏡を外して評価してもらえれば、カテゴリーはどうでも良いのだろうと考えています。

実は前回記事のコメント欄でのやり取りを見た組合員から「なるほど」と思う指摘を受けていました。「憲法9条は変えるべきではない」などという結論が、結局は皆同じだから「極左的な活動をしている方々と主張が同じ」という見られ方をされてしまうのではないのですか、という指摘でした。個々の結論の中味が必ずしもすべて一致している訳ではありませんが、基本的な方向性で言えば「皆同じ」と見られてしまうのかも知れないと気付かされました。

自分たちの「答え」が絶対正しく、「〇〇に反対しよう!」「□□には反対すべきだ!」という結論を押し付けるような主張は避けるべきものと考えています。そのため、「なぜ、反対しているのか」「なぜ、その行動に取り組むのか」という説明を加えながらの訴え方を重視しています。しかし、そのようなこだわりも「結論が間違っている」と考えている方々にとって、同じカテゴリーの一員に分類されてしまうのかという思いに至りました。

さらに私自身の説明の仕方や言葉の使い方が立場性をぼかすための手法だととらえられた場合、逆に姑息さや悪質さを醸し出しているのかも知れません。組合員からの率直な指摘は、このような思いを巡らす機会につながっていました。コメント欄に寄せられる指摘や批判が私自身に対するものなのか、自治労という組織に対するものなのかという問いかけに関しては、めざしている結論が同じだから、どちらにも当てはまるという答えになってしまうことも理解できました。

このような関係性の理解は深まりましたが、ネット議論の悩ましさが解消に向かうものではありません。かえって悩ましさは深まったような気がしています。私自身の個人的な見解、私自身の責任範疇の問題、自分なりの線引きを保ちながら当ブログと向き合ってきています。しかし、そのような線引きは理解を得られず、多くの方々から「自治労=公務員のためいき」という舞台設定のもとに見られ続けていくとしたら、それはそれで悩ましい話です。

KEI さんからの「いーや、OTSUさんがええかっこしいで大ボラを吹いているだけで、違いなんか無いと思うね!」という言葉も、自治労の中で実際に起こっている事実、だから私どもの組合も同じだと見られてしまうという悩ましい関係性の一つだろうと理解しています。このような関係性について今まで以上に意識していくつもりですが、だから何かを大きく変えようという考えが現時点でまとまっている訳ではありません。せめて「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、よりいっそう頭を悩ましていこうと考え始めています。

以上のような理解も的外れな点があるのかも知れません。それでも個々人の正しいと信じている「答え」に沿った結論に至らない限り、「なぜなのか」という丁寧な説明もあまり大きな意味を持たない、そのような悩ましい関係性であることの理解を一歩進められたものと思っています。その上で「スタートの視点」をはじめ、まだまだ分かり合えないことが数多くあるものと見ていますが、これからも「悩ましさ」を抱えながらも下っ端さんらとのネット議論を続けていけたら幸いなことです。

たいへん長い記事になってしまいました。冒頭に掲げた下っ端さんの言葉の発端となった具体的な事例とは在日米軍基地の問題でした。自治労が中国大使館に向けた抗議行動に取り組んでいないことの話と絡め、補足説明を加えようと考えていました。「ネット議論の悩ましさ」という内容だけで相当な長さとなっていますので、恐縮ながら次回以降の記事で取り上げることとしますが、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。

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コメント

人間の理解は明確にしないとその区分がつかないのです。
喜怒哀楽との言葉がありますが、人間の感情は複雑怪奇で
多様です。怒りながら笑ったり、泣きながら怒ったりする
ものです。しかしそれを他者に理解させる為には、線引き
をする必要があり、その為区分されてしまいます。
甘いや辛いや苦いも同様ですね。

特にOTSU氏はイエスかノーの場合でも「賛成の立場では
ない」と表現をしますよね。それをOTSU氏自身にとって
なんら問題はなく正しい表現であっても他者の理解におい
てはまた別の話なのです。

以前の記事で、どなたかが組合の集会で安倍ミサイルを
ツイッターで見て批判されていました。私はそれを批判す
べきと言いましたが、OTSU氏はそれらを自身では賛同は
しないと言われたが、批判もしませんでした。
つまりOTSU氏の中で明確に区分される自身の立ち位置と
極左な方々との違いを外部に明確にする機会を失ってし
まった。日頃からの記事等で十分に説明して明確にしてる
とお考えなのかもしれませんが、懐石料理の味を評価する
のと同じで難しいのです。簡単にかつ明確に違いを説明
する機会があったのになあと思うしだいです。

OTSU氏の手法はなんら問題はありませんが、悩ましいと
感じられるのならば、それはOTSU氏自身が選択した手法
によるものだと指摘せざるえません。

くれぐれも言っておきますが、私はOTSU氏の主張や方法
を批判も非難もしてません。今回の記事も読んで悩み
の元はこうではないかとの推論です。
立場の違いかスタート地点の違いか判りませんが、私は
コメント欄のいろんな方々の言い分で理解しがたい内容は
過去を含めてほとんどありませんでした。

投稿: nagi | 2018年8月25日 (土) 12時43分

nagiさんと、全く同じ見解です。

極左と決めつけているのではありません。
このままだと、そう一括りにされてしまうと感じたまでです。

もちろん、それを目的としているなら、今のスタイルを変える必要はありません。
心外と思うのか、受け入れるのか、です。

ある程度、この場を訪れている人には伝わっていると思いますよ。ただ、現状では左寄りの意見に対する反発の場になってしまっていると思いませんか?
管理人さんの優しさから来るのかもしれませんが、それででも、政権には厳しい言葉を発しますし、左寄りには賛成はしなくとも、表現は控えているように受け取れます。
つまり、結局のところ「要は左寄りなんだろうなぁ」と思われてしまうということです。それって、たぶん心外ですよね。

・沖縄の基地は明確に反対である。
・安倍ミサイルは良い表現とは思わないけど、個人の自由を制限することはできない。

同じ反対でも、だいぶ違いませんか?

・沖縄の基地は反対だ。でも、中国や北朝鮮の問題もあり、簡単な話ではない。可能な限り、平和を目指して話し合いながらも、南沙や核弾道といった無謀な行動にはしっかりと声を上げて反対していきたい。
・安倍ミサイルは良い表現とは思わないけど、個人の自由を制限することはできない。

こう書かれていたら、こんなに反発はされないと思います。
もう少し、個人的な思いのレベルというか、言葉を変えた方が、より明確になり、伝わりやすいと思います。

投稿: 下っ端 | 2018年8月25日 (土) 17時36分

nagiさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。

このブログに綴る言葉、一言一言に責任を持って発信しています。分かりづらい、このように表現すれば良かったというご指摘については、これからの参考にさせていただきます。

ただ今回の記事の中で記していますが、私自身が「左派」と見られ、私自身の正しいと信じている「答え」の中味が下っ端さんらから批判されても仕方ありません。その上で当ブログに書き込んでいる言葉や記述内容がどうなのかという評価を受けたいものと願っています。

そのような願いが言葉の使い方一つで阻害されがちだということであれば、前述したとおり注意を払っていくつもりです。いずれにしても私自身の結論は変わらない中、「なぜなのか」という説明について一人でも多くの方に共感を得られるように努めていければと考えています。

やはり最後に記していますが、だから何かを大きく変えようという考えが現時点でまとまっている訳ではありません。せめて「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、よりいっそう頭を悩ましていきます。ぜひ、これからもご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年8月26日 (日) 07時31分

>自治労の中で実際に起こっている事実、だから私どもの組合も同じだと見られてしまうという悩ましい関係性の一つだろうと理解しています。
OTSUさんの個人的な資質についての話をしたつもりだったのですが、なかなかアクロバットな返しをされた感があるKEIです。
でも逆に確信が強まってしまったので、もう少し突っ込んでみますね。

>・沖縄の基地は反対だ。でも、中国や北朝鮮の問題もあり、簡単な話ではない。可能な限り、平和を目指して話し合いながらも、南沙や核弾道といった無謀な行動にはしっかりと声を上げて反対していきたい。
だからそんなことは毛ほども思ってないんですって。
でも、そうだともそうでないとも明言したくないものだから、「心外」とか「なぜなのか」とか「何が正しいのか」とかで誤魔化して逃げ切ろうとしている。違いますか?

投稿: KEI | 2018年8月26日 (日) 08時05分

>OTSU氏はそれらを自身では賛同は
しないと言われたが、批判もしませんでした。

その通りです。批判の言葉は一切ありませんでした。

>分かりづらい、このように表現すれば良かったというご指摘については、これからの参考にさせていただきます。

本当にそう思われるのであれば、今からでも安倍ミサイルを批判されたら如何でしょうか。

過激左派と同一視されることには本意でないと言いながら、左派は決して批判せず、政権や米軍関係には遠慮無く批判を浴びせる。

私からすると、OTSU氏の言動は、「自己が所属する組織への批判を明言すると社会的に抹消されてしまうことを恐れている方」の言動と見分けがつきません。

勘違いして欲しくはないのですが、OTSU氏の身に危険が及ぶことは望みませんので、上記のような批判を明言しなくても何等問題ありません。

OTSU氏のご健勝をお祈りしております。

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年8月26日 (日) 16時28分

KEIさん、三多摩すごいね(凄いね) さん、コメントありがとうございました。

今回の記事に綴った通りネット議論の難しさや悩ましさを改めて実感させていただいています。引用されている沖縄の基地の記述は私自身が直接書き込んだ文章ではないようですが、全体的な話に対する姿勢の問題としてお答えします。

確かにネット上であるため、言葉の選び方には細心の注意を払っています。しかし、「誤魔化して逃げ切ろうとしている」という意図を持って対応したことはありません。

ミサイルの問題に関しても、自分自身は推奨しない、それでも権力者に対する批判の仕方として絶対駄目ではない、決して逃げている意図はなく、このような表現が率直な思いであることに変わりありません。仮に強い言葉で批判したとしても、社会的に抹消されたり、危害が及ぶようなことも想定していません。

ちなみに「左派は決して批判せず」という指摘もありましたが、今回の記事本文の中で下記のような言葉を発しています。「左派」に位置付く皆さんが発しがちな言葉を意識したものですので、批判と言えば批判していることになります。

>自分たちの「答え」が絶対正しく、「〇〇に反対しよう!」「□□には反対すべきだ!」という結論を押し付けるような主張は避けるべきものと考えています。

なお、次回以降の記事で在日米軍基地の問題などを取り上げる予定です。その中で、以上のような私自身の問題意識も加味できればと考えています。ぜひ、引き続きご覧いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年8月26日 (日) 21時48分

OTSU氏のコメントを見て、「正しい」と「間違い」が
対立してるのならば、答えは簡単なのですが、これが
「必ず正しい」と「絶対正しい」の対決ならば、どちら
が勝者となるのでしょうか。それぞれの「正しさ」を
認めて終わるならば世の中は平和なものだと思うのですが
それぞれが自らの正しさを信じて主張するから、より
難しい問題になります。だからこそOTSU氏がこだわる
「誰か」ではなく「何か」を評価しようという主張は
とても理解できるのですが、同時に極めて難しいと思う
わけです。純粋な学問の世界、特に数学ならば、それで
問題はないのですが、人間の行為に基づく世界においては
「誰か」は動かすことができない評価基準なのです。

OTSU氏が主張するように、「誰か」ではなく「何か」だけ
を考えて記事を読めば、なるほど批判も疑問もなにも
ありません。単純に「なるほどそれは問題だね」「ふー
ん、それは大変だね。改善されたらいいね」と思うわけ
です。しかしその「何か」は全てから切り離された独立
した存在として扱われてしまい、なんら繋がることは
ありません。批判も疑問も個人や団体に繋がってかつ
自分の生活や考えや主義主張とも相まって発生するもの
です。つまり「何か」は「理論」であり「誰か」は
「実践」なのです。この二つを切り離して考えるのは
極めて学術的な場合だけではないのでしょうか。

もし「何か」だけを切り離して主張するのならば、それ
は学問として主張すれば良いと思いますね。

投稿: nagi | 2018年8月27日 (月) 10時48分

>「左派」に位置付く皆さんが発しがちな言葉を意識したものですので、批判と言えば批判していることになります。

>>自分たちの「答え」が絶対正しく、「〇〇に反対しよう!」「□□には反対すべきだ!」という結論を押し付けるような主張は避けるべきものと考えています。
いやそんな当たり前の事をドヤ顔で言われましても。
OTSUさんが、そんな主張出来る訳がない(主張すれば無事では済まない)事も理解できない阿呆だったら、こんなにコメント欄が賑わったりしないですよ。

投稿: | 2018年8月28日 (火) 13時07分

ごめんなさい途中で投稿してしまいました。
続き。

>仮に強い言葉で批判したとしても、社会的に抹消されたり、危害が及ぶようなことも想定していません。
また「仮に」ですか。そして批判はしない、と。
…やっぱり誤魔化そうとしてないですか?

投稿: KEI | 2018年8月28日 (火) 13時13分

>せめて「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、よりいっそう頭を悩ましていこうと考え始めています。

OTSU氏が「何が正しいのか」を大切にしてることは理解
しています。同時にOTSU氏が基本的に賛同している自治労
や平和フォーラムは、「誰か」に比重を置いて批判をくり
かえしている事実があります。また、OTSU氏がよく引用
するゲンダイ、リテラ、天木直人氏のプログなどは、徹底
適に「何か」を無視して「誰か」のみで非難しています。
そうした点を見ていると、OTSU氏と自治労や平和フォー
ラムを同一の意見だと見える時が多いです。また引用内容
などを見てもそう思う時が多いのです。

情報を提供してるだけに過ぎないのかもしれませんが、
記事を見る我々は、その内容をOTSU氏が支持している
賛同していると受け止めます。そうすると「誰か」では
なく「何か」を主張してるように見えません。
OTSU氏も同じように「誰か」を非難している。あるいは
非難する内容に賛同していると見えます。
もしそうでない可能性も考え、「誰か」を非難するような
事象を例(安倍ミサイルのような)に挙げて、それを
非難しないのかと尋ねます。
それを非難すれば、なるほど日頃の主張どおり「誰か」で
はなく「何か」を大切にしてると理解できます。
しかし、賛同はしないものの批判も非難もされないので
OTSU氏が主張する「何が正しいのか」を疑問視する方々
もいます。

OTSU氏がどれほど「何が正しいのか」を主張しても、
それとは違う「誰が正しいのか」を主張する方々と明確
な線引きをできないならば、コメント欄でのやりとりは
何も変わらないと思います。

投稿: nagi | 2018年8月28日 (火) 14時43分

少し流れから外れますが。
住民登録とか主権の範囲とかを考えずに、そこにいる隣人としての米軍基地従事者を、自治体がどう考えているのかは純粋に興味がありますね。
コミュニティとしてのスタンス、本音と建前の両面で。
首長によって大きく変わるのでしょうが。

投稿: qur | 2018年8月29日 (水) 12時18分

国民、住民の抗議行動(集会、デモ、座り込みなど)のスタイルは国によって様々ではあると思いますが、少なくとも日本の労働組合が行ってきた抗議行動のスタイルは、日本政府や自治体に対するものです。課題が日本国内の課題は当然のことですが、在日米軍や安保についても文脈として米軍批判をしながらも最終的に求めているのは日本政府に対する問題提起だったり、政策の転換、米国への抗議(日本政府が)など、一方自治体に対するものは、それらを政府に対し働きかけるよう求めたり、県民、市民の安全性の確保を求めるものであったりします。

例外としては、在日米軍基地の兵隊が日本国内で事件、事故を起こした場合など、米軍に対し、日本の法律で裁くため身柄を引き渡すよう求めた行動ははありましたね。これも根本的には、日米地位協定の問題であり、基本的には日本政府に対する抗議と要請を同時に行った経緯があると思います。

変化があるとすれば、ここ近年、「核兵器廃絶の世界的な潮流」の中で、核実験を行った国に対しては、どの国であろうが(当然、中国、北朝鮮も)各国大使館あてに抗議を行っているようです。これは全世界的な動きであり、日本の労働組合もこの動きに呼応しています。

「米国は批判するけど、中国、北朝鮮は批判しない日本の平和団体」という批判は、日本会議などが発端だったかと思いますが、かなり前から言われています。ただ、日本の労働組合が取り組む平和運動というのは、戦後のGHQによる統治から朝鮮戦争、日米安保、在日米軍基地問題などをスタートとして、あくまで日本国内問題として、日本政府が取ってきた外交政策や安全保障政策に対し、日本国民として抗議や反対の意を表明するというものですので、他国に対する直接的な抗議行動というのは違和感があると言うか…。また、日本の労働組合が単独で抗議したところで、「何言ってるの?」ってことにはならないでしょうか?これは、良し悪しは別として一貫していると思います。

ご指摘のように、中国や北朝鮮では人権にかかわる重大な問題を抱えています。しかし、この問題とて、その政府が「悪」であるのかも判別が難しい問題も数多くあると思います。一つの例を出せば「チベット問題」、中国政府の弾圧は許せるものではありませんが、一方ではダライ・ラマ政権下では国民の95%が農奴制により半分奴隷状態だったとも言われています。チベットの暴動は、ダライ・ラマ政権の巻き返しでそれを鎮圧しようとした中国政府が、他国からは弾圧だと批判されるという構図だともいわれており、中国政府もダライ・ラマも人権的には問題だと。一方で、これらの少数民族・先住民族問題は、世界各国で問題化しており中国や北朝鮮だけの問題ではありません。北米の「ファースト・ネイションズ」や中米グアテマラのマヤ民族、北海道のアイヌ民族、ボルネオ島のプナン族、インドシナの山岳地帯に住むリス族やアカ族、中国のウイグル族……。先住民族や少数民族の中には、さまざまな歴史的背景の中で、現在に至るまで社会の中で偏見を持たれたり、あるいは法律によって差別を受けたりしている場合が少なくありません。

これらの問題に対して最近では、労働組合(連合とその傘下の産別組合)もアムネスティの活動に連帯した動きが始まっています。これらの問題は情報が偏りがちで正確な情報がなかなか入ってこない問題です。アムネスティは独自の調査体制も持っており、また、政治的、宗教的にも中立的な立場をとっており、より信頼性はあるかと思います。

かなり長文になりましたが、一平和運動に関わるものとして意見を申し述べさせていただきました。

投稿: ベンガル | 2018年8月29日 (水) 12時47分

こういった双方向の情報発信があるのは良い事と思います。
ところで、私(と恐らく何人かの閲覧者様)は「労働組合は賃金上昇と労働環境改善に専念して、平和運動を含む政治的主張を行うのは止めたらいいのに」と思っているのですが、具体的にはどうすれば実現するのですかね。
既存団体の流れを汲むと、必ず55年体制を引っ張ってしまうようですし。私にはちょっとアイデアが浮かびません。
労働組合は、余計な事(あえてこう言います)を言わずに、ひたすら労働者の待遇改善だけを主張して、政治への関与もその範囲だけで行ってくれるなら、もっと歓迎され、期待され、賛同される組織になると思うのですが。

投稿: qur | 2018年8月30日 (木) 21時35分

予想通りの回答ですね。
OTSU氏の発言内容は、旧タス通信とか朝鮮中央放送を想起させるのですよ。

「自分は公平だ」「批判すべきは批判する」「高潔さを感じさせる発言内容」など、耳当たりのよい内容しか発信しない。

しかし、肝心なことは批判しない。また、自分たちが批判する団体や個人には「負の方向への推定をして」強い批判を浴びせるが、自分たちが推進する団体や個人には「負の方向への推定はせず、むしろ擁護の方向に推定をして」批判しないか、無視する。

OTSU氏の慇懃で知性的な言葉をみれば見るほど、「何故こうも批判が偏るのか、ダブルスタンダードなのか」と感じます。

結局、OTSU氏の言動は、「知性と正義をアピールするための独裁者の宣伝塔」と見分けがつかないのですよ。

この印象は、最初から今に至るまで変わりません。過去にこの掲示板に来訪していた方も、私と同じような印象を抱いてここを去ったのではないでしょうか。

皮肉でもなんでもなく、正直な感想です。

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年8月31日 (金) 20時42分

こんばんは。
平和運動に関わる人は50年前とちっとも変わっていないな。中国の侵略がどれほど日本にとって危険かわからないのかな?
何故、侵略に抗議しないのかな?
一般市民から見たら反日・反米にしか見えない。
だから左翼にしか支持されないのですよ。

投稿: す33 | 2018年8月31日 (金) 23時10分

>中国政府もダライ・ラマも人権的には問題だと。
言うに事欠いてなんて事を、と思わずにはいられないKEIです。

>一方ではダライ・ラマ政権下では国民の95%が農奴制により半分奴隷状態だったとも言われています。
「チベット」「農奴」でググって見ると、中国共産党の主張そのままですね。でダライ・ラマが「それは侵略を正当化するためのプロパガンダだ」と反論している。
するとどちらの主張の方が信頼に足るかという話になるんですが、天安門事件という歴史的やらかしをしておいて、信頼できる訳がない。

>アムネスティは独自の調査体制も持っており、また、政治的、宗教的にも中立的な立場をとっており、より信頼性はあるかと思います。
「アムネスティ」「中立」でググって見ると、とてもそうは思えなくなるという。偶然かわざとかはともかく結構中国の肩を持っているようなんですが?

この前の「辺野古渋滞わざと説」もそうですが、人が調べないと思って無茶苦茶言いやがりますよね?

…で。

>労働組合は、余計な事(あえてこう言います)を言わずに、ひたすら労働者の待遇改善だけを主張して、政治への関与もその範囲だけで行ってくれるなら、もっと歓迎され、期待され、賛同される組織になると思うのですが。
無理無理!こんなのしか執行部になりたがらないんだから!

投稿: KEI | 2018年9月 1日 (土) 03時13分

nagiさん、KEIさん、qurさん、ベンガルさん、三多摩すごいね(凄いね)さん、す33さん、コメントありがとうございました。

ここ最近の記事内容の流れの中で新規記事を書き進める予定です。今回、お寄せいただいたベンガルさんからのコメントにある通り在日米軍基地に対する抗議行動は「国内問題」という趣旨の内容にも触れるつもりです。

このコメント欄では、私自身の主張に対する反対意見という構図が多くなっています。ベンガルさんのようなご意見が寄せられることで、コメント欄においても幅広い考え方や情報に触れられる機会につながるものと思っています。

三多摩すごいね(凄いね)さんから「自分は公平だ」というスタンスで当ブログを綴っているような見方が示されています。そのあたりから「何故こうも批判が偏るのか、ダブルスタンダードなのか」という見方にもつながっているようですが、大きな誤解があります。

このブログにおいて私自身の立場が「公平だ」と発したことは一度もありません。基本的な立場や考え方を明らかにしながら、自分自身が正しいと信じている「答え」に照らし、それぞれの事象に対して個人的な論評を加えています。

もちろんネット上での発言という重さを受けとめ、言葉や表現は常に注意しています。それでも個人的な立場で運営している場ですので縛りや忖度もなく、ブログのサブタイトルにある通り「雑談放談」的な意見を気ままに書き込んできています。

その結果として、現政権に対しては辛口な論評が多くなり、多摩すごいね(凄いね)さんらとの問題意識にズレが生じているのだろうと考えています。

「過去にこの掲示板に来訪していた方も、私と同じような印象を抱いてここを去ったのではないでしょうか」というご指摘もありました。確かにそのような方も多かったはずですが、批判意見を忖度し、自分自身の意図に反し、その場だけ繕うような対応をはかるほうが不誠実なことだろうと考えています。

すれ違いが顕著になるケースに嫌気をさし、最初からコメント欄を閉じているブログもあるようです。しかし、私にとって手厳しい率直なご意見が伺える機会は貴重なことだと受けとめ、コメント欄を閉じる時は当ブログを閉じる時と一緒だろうと考えています。

「誰が」ではなく、「何を」という言葉が「公平だ」という誤解を招きがちなのかも知れませんが、物事を評価するための心構えとして記しています。個々の事案に対しては安倍政権だから支持する、逆に反対する、そのような関係性だけは避けようと思っています。

qurさんから「住民登録とか主権の範囲とかを考えずに、そこにいる隣人としての米軍基地従事者を、自治体がどう考えているのかは純粋に興味がありますね。コミュニティとしてのスタンス、本音と建前の両面で。首長によって大きく変わるのでしょうが」という問いかけがありました。

特に私に対する問いかけではないようですが、横田基地に隣接する自治体職員の一人としてお答えします。普通に接しています。自治体の事情や個々人の本音まで分かりませんが、基地に対する問題意識があったとしても隣人を敵視するような姿勢は控えなければなりません。

沖縄では在日米軍関係者の犯罪が目立っています。そのような行為を犯した者は罰せなれなくてはなりません。基地があることの弊害の一つとして数えられることも仕方ないものと思っていますが、だから米軍関係者は犯罪に手を染めがちというような属性批判は避けるべきものと考えています。

コメント欄を通し、久しぶりに長く記してきましたが、まだまだお答えすべき点もあろうかと思います。すべて網羅できていないことはご容赦ください。

最後に、KEIさんの「こんなのしか執行部になりたがらないんだから!」という言葉は物凄く失礼な言い方です。基本的な立場や視点は異なっていますが、いつもKEIさんのコメントは物事を多面的に見ていく上で非常に参考になっていました。しかし、今回の一言にはたいへん失望しています。

投稿: OTSU | 2018年9月 1日 (土) 08時10分

>物凄く失礼な言い方です。
曲がりなりにも論拠を示して色々書き込みをしているというのに、言及は「言い方」だけですかそうですか。
てことは、反論の余地がないから「言い方」しか攻めようが無かった、と受け取ってよろしいのでしょうか?

>基本的な立場や視点は異なっていますが、いつもKEIさんのコメントは物事を多面的に見ていく上で非常に参考になっていました。しかし、今回の一言にはたいへん失望しています。
ちょいちょい確信犯的に失礼な事を言っている自覚はあるのですが、今まで一体何を見てきたんでしょうか。
そもそも初投稿(平和憲法と防衛利権問題)の時点で相当失礼な物言いをしているんですよね。
(特に最後の書き込みなんか失礼極まりないと思うんですが、反論も非難も無いままインデックスにも登場するものだから、「日本語読解力が怪しいUnvollendeteさん」は事実として認定されているものと解釈しています。
…もしかして、僕が謝って和解したみたいに解釈されてる?いやいやまさかそんなことは。)

ちなみにその「失礼な物言い」も、引き金になってるのは「中国とチベット」の話なんだから感慨深いです。

投稿: KEI | 2018年9月 1日 (土) 21時40分

KEIさん、コメントありがとうございました。

このブログを開設後、ほぼ毎日、コメント欄に対応していました。やはり完璧な人間ではないため、感情をコントロールできず、ムッとした個人攻撃的なコメントに対しては私からも挑発的なレスをする場合がありました。コメント欄での理性的な議論を皆さんにお願いしていながら、管理人である私が火に油を注ぐような場面につなげがちでした。

そのため、途中からコメント欄から距離を置くようになり、週末のみに対応するように改めていました。そのような変更は自分自身の頭を冷却させる期間を作る効果も生み出しました。その時には腹の立っていた文言も冷静に飲みこむことができ、週末には感情を抑制した対応を取れるようになっていました。

今回、KEIさんからのコメントは土曜の朝だったため、そのような冷却期間を置かないまま対応しています。また、もともと沸点は高いほうであり、メーデーでのロケットの事例の通り批判の仕方に対する許容範囲も広いほうだと言えます。したがって、KEIさんからすれば「なぜ、今回だけ」という唐突感もあろうかと思います。

「日本語読解力が怪しいUnvollendeteさん」という例示がありましたので、「こんなのしか執行部になりたがらないんだから!」という言葉はベンガルさんに対するものだったのかも知れません。それはそれで失礼な言葉に変わりありませんが、私に対する言葉だと受けとめ、昨日朝のコメント投稿に至っています。

組合執行部を長く続けている中、たいへん悩ましい思いを強めています。そのような思いに対して「なりたがらないんだから!」という言葉に個人的な感情は抑制できませんでした。さらに「こんなのしか」という言い方は誰に対しても、どのような場面でも控えるべき言葉だと私自身は考えています。

>反論の余地がないから「言い方」しか攻めようが無かった、と受け取ってよろしいのでしょうか?

そのように思われることを他人が制御できる訳ではありませんが、どのようなテーマであっても記事本文で対応するように努めてきています。重ねて残念なコメントだったと感じています。

投稿: OTSU | 2018年9月 2日 (日) 06時41分

>したがって、KEIさんからすれば「なぜ、今回だけ」という唐突感もあろうかと思います。
>>ちょいちょい確信犯的に失礼な事を言っている自覚はあるのですが、今まで一体何を見てきたんでしょうか。
は「お前の目は節穴か」的な意味で使っているので、妙な気遣いは無用です。

>私に対する言葉だと受けとめ、昨日朝のコメント投稿に至っています。
「こんなの」が指しているのは「労働組合として『余計な事』を言いたがる輩」のことですから、OTSUさんもベンガルさんもUnvollendeteさんも、同類として対象としています。

>さらに「こんなのしか」という言い方は誰に対しても、どのような場面でも控えるべき言葉だと私自身は考えています。
僕がここで失礼な物言いをするのは、よっぽど腹に据えかねた時に限られます。また失礼な物言いに値するだけの「論拠らしきもの」をつけるよう心がけています。
よって、論拠に対する否定なり反論なりをつけたうえでの非難でなければ心には響きません。
>>反論の余地がないから「言い方」しか攻めようが無かった」
と取らざるを得ないんです。
>そのように思われることを他人が制御できる訳ではありませんが、どのようなテーマであっても記事本文で対応するように努めてきています。
Part2で言及があれば、こうは言わなかったですよ。

投稿: KEI | 2018年9月 2日 (日) 22時29分

OTSU様 ご回答ありがとうございました。
そうですよね。当然と思いますし、理想的なあり方だと思います。
しかしそれは、基地反対の思いとはやはり矛盾しますよね。
隣人である個々人と、基地そのものとは違うということで、反対派の皆さんはその矛盾をスルーしている、マナーとしてもそれが正しいことは理解しますが、それでも、極論を言えば、友好的な隣人が働く基地について反対するというのは、どうしても矛盾を内包します。
従って、自治体としてはどのようなスタンスなのか?というのが気になるわけです。個人対個人ではなく、自治体対基地(従事者)という構図が、どのように変遷し、現在どうであるかが。
繰り返しますが、普通に接している住民の方々には敬意を表します。その上で、本当は内心の矛盾をどう解決しているのかも知りたいところですが、個人の内心は矛盾を矛盾のまま抱えていることも普通ですから、ちょっと範囲を広げて「自治体」という視点で考えてみたいのです。

投稿: qur | 2018年9月 3日 (月) 00時18分

KEIさん、qurさん、コメントありがとうございました。

コメント欄を通し、しっかりお答えするほうが誠実な対応だろうと思っていますが、そのような対応に至らないことをご容赦ください。さらに問いかけすべて網羅した対応に至っていない中、新規記事はこれまでの流れを変えた題材の投稿を予定しています。決して意識的に流れを変えようと思っている訳ではなく、皆さんからお寄せくださった論点は機会を見ながら記事本文を通して少しずつお返しできればと考えています。

投稿: OTSU | 2018年9月 8日 (土) 07時03分

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