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2018年8月11日 (土)

平和の話、サマリー

前回の記事は「平和の話、インデックスⅢ」でした。その記事の中で翌週に投稿する新規記事のタイトルは「平和の話、サマリー」と予告していました。これまで「Part2」として続けることを予告する場合は数多くありました。ただ別なタイトル名を事前に予告することはあまりなかったものと思います。

原爆忌から終戦記念日に続く時期、「平和の話」をまとめてみようと少し前から考えていました。記事タイトルも要約という意味の「サマリー」を付けることをスンナリ決めていました。この時期に「平和の話、サマリー」という記事の投稿を先に決めていた中、インデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えて随分たっていたため、まず過去の記事を紹介する機会につなげてみたところです。

そのため、翌週に投稿する新規記事のタイトルは「平和の話、サマリー」とあらかじめお伝えする流れとなっていました。ちなみに予想していた通り「平和の話、インデックスⅢ」に加えるべき記事は相当な数に上っていました。この機会を逃せば、さらに対象記事の投稿数は積み上がり、作業量の多さから「Ⅲ」の投稿はずっと見送られることになっていたかも知れません。

余計な話で3段落も費やし、たいへん恐縮です。さて、前回記事の最後のほうで、なぜ、このブログでは「平和の話」の投稿が多いのか、そのような点について説明を加えさせていただきました。今回はこれまで「平和の話」に綴ってきた内容を要約した記事の投稿に取りかかってみます。いつもの話ですが、長い記事になることが見込まれるため、久しぶりに小見出しを付けながら書き進めていきます。

誰もが戦争は避けたい、防ぎ方に対する認識の違い

国際社会の中で原則として戦争は認められていません。例外の一つに自衛のための戦争があります。集団的自衛権もその名の通り自衛のための戦争に位置付けられます。国連加盟国は侵略戦争を放棄しているため、建前上は日本と同様、すべて「平和主義」を希求している国だろうと思っています。

できれば誰もが戦争は避けたいと考えているはずです。戦争を防ぐため、平和を守るため、抑止力を高めることが大事だと考え、安保関連法等を評価されている方々が多いことも理解しています。残念ながら戦争の防ぎ方に対する認識の違いから対立しがちな現状があります。そもそも物事の評価は〇か、×か、単純に決められない場合が多いはずです。憲法9条に対する評価も同様です。

憲法9条を守っていれば日本の平和は守れる、そのような見方は一面で正しく、別な一面で誤りだと言えます。自衛隊創設前、朝鮮戦争の際に海上保安庁の日本特別掃海隊が機雷除去に携わりました。このような歴史を忘れてはいけませんが、憲法9条という歯止め、集団的自衛権は行使できないという憲法解釈のもと日本は戦争に直接参加せず、他国の人の命を一人も奪うことなく戦後70年以上乗り切ってきたことも事実です。

これまで「セトモノとセトモノ、そして、D案」をはじめ、数多くの記事を通して平和の築き方安全保障のあり方について自分なりの「答え」を綴ってきました。私自身、憲法9条さえ守れば平和が維持できるとは思っていません。重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。

憲法9条を守ろうとしている人たちの中でも考え方は様々なのかも知れませんが、『カエルの楽園』に登場するナパージュのカエルたちのような硬直した考えの護憲派は皆無に近いのではないでしょうか。寓話に目くじらを立てても仕方ありませんが、集団的自衛権に反対する人たちは愚かで、国を滅ぼすという見方はあまりにも短絡的すぎるものと思っています。

歴史を振り返る中で、広義の国防や安心供与について

広義の国防と狭義の国防という言葉を『ロンドン狂瀾』という書籍を通して知りました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことをその書籍で知りました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義を改めて理解していました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができるという話です。

加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

広義の国防と狭義の国防、同様の意味合いとして「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中でソフト・パワーとハード・パワーという対になる言葉も紹介していました。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。もう一つ、抑止に対し、安心供与という言葉があります。

安心供与という言葉は「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって寛容さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。

抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。

ヒトラーの試写室』という書籍を読み、このブログで紹介した記述があります。ナチスドイツが「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」と判断し、スイス国内には「平和」が広がっていたことを記していました。ここで付け加えるべき記述として、仮にスイスがドイツの敵対国だった場合、攻め込まれてスイス国民や国土は戦火に見舞われていたはずです。

中立国という立場は広義の国防の一つであり、侵攻されない限り軍事力は行使しないという安心供与がスイス国内の「平和」を守ったと言えます。その際、相手国を凌駕する軍事力がスイスにはありませんでしたが、個別的自衛権としての軍備も整えていたため、ナチスドイツ側の発言の通り一定の抑止力が働いたようです。専守防衛を柱にした安心供与が日本国憲法の平和主義であり、私自身、必要最低限の自衛権の必要性とともにスイスと対比した日本の「特別さ」を感じ取る機会となっていました。

平和主義の効用のもとの国際貢献

安心供与、ソフト・パワー、それぞれの言葉に共通している点は、どちらが正しいのかという二者択一の問題ではないことです。あくまでもバランスの問題であり、抑止力を軽視せず、非軍事的な「人間の安全保障」の取り組みも強化していくことが重要です。国民の安全と安心を担保するため、どのような選択が望ましいのか、その重要な選択肢として日本国憲法の「特別さ」を維持していくことが有益なのか、もしくは弊害があるのかどうか、私たち一人一人が問われているものと認識しています。

このような問題意識を数多くの記事を通して綴ってきています。改めて端的な言葉で語れば、守るべきものは日本国憲法の平和主義であり、個別的自衛権しか認めないという「特別さ」です。この「特別さ」を維持することで平和主義の効用があり、広義の国防、安心供与の専守防衛につながっているものと考えています。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、憲法9条の条文を一字一句変えなければ日本の平和は維持できるという発想ではありません。

憲法9条があるからと言って、国際社会の中で戦火が消える訳ではありません。しかし、武力によって憎しみの連鎖は絶ち切れず、戦争やテロの抑止につながりません。9条を守れば戦争が起きないのではなく、専守防衛という平和主義を守ることで、海外での戦争に関わる可能性の低い国であり続けられたことも事実です。さらに攻め込まれない限り、戦わないという専守防衛の考え方は前述した通り安心供与という抑止力の一つとなっています。

「日本だけ平和であれば良いのか、国際社会の一員として果たすべきことがあるのではないか」という指摘があります。もちろんすべての国が平和であることを心から願い、日本が国際社会の中で汗をかくことも欠かせません。その上で日本国憲法の制約があることを国際社会の中で理解を求めながら、日本ならではの非軍事面での国際貢献に力を尽くしていくことが必要だろうと考えています。

実際、アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された伊勢崎賢治さんは、平和国家である日本のイメージは良く、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られています。そして、このブランドイメージは余計な恨みを買わないため、狙われる可能性が減り、これまで日本人の安全面に寄与し、日本人だからこそ関われる国際貢献の選択肢を広げていました。

外交の場でも同様です。平和国家という日本のブランドイメージを活用しながら、日本ならではの国際平和の構築に寄与して欲しいものと願っています。緊迫化していた北朝鮮情勢の中で日本政府こそ、率先して平和的な外交努力での解決に汗をかいて欲しかったものと考えていました。しかし、残念ながら日本政府からは「対話のための対話では意味がない」という言葉が繰り返され、安倍首相からは安全保障を強い言葉で語ることが目立ち、安心供与とは真逆な標的になるリスクを高めているように危惧していました。

韓国の文大統領の努力、トランプ大統領の決断によって、幸いにも一触即発の事態だけは回避できた現況だと言えます。局面が動いた後、8月3日にはシンガポールで河野外相が北朝鮮の李外相に「日朝間で話し合う用意がある」と立ち話形式で伝えていました。安倍首相も首脳間の直接対話に強い意欲を示しています。ただ北朝鮮側の反応は鈍く、足下を見られているような関係性に陥っています。もし日本政府も文大統領のような役回りを追求していれば、この局面で日朝の対話は加速化していたのかも知れません。

8月7日、イラン核合意からの離脱を表明していたアメリカがイラン経済制裁の部分的な再開に踏み切りました。原油価格の高騰など世界経済に悪影響を及ぼす懸念があり、中東地域の不安定化を招く憂慮すべき事態です。北朝鮮に示した融和姿勢とは真逆なトランプ大統領の判断ですが、オバマ前大統領の「政治的遺産」の否定を主目的にしているのであれば極めて残念な動きだと言わざるを得ません。

中東地域で平和国家であるという日本のブランドイメージはそれほど棄損されていないようであり、イラン政府とは対話できる関係性を築いています。今回のアメリカの離脱が国際社会の中で強く批判されている中、今こそ日本の出番があるのではないでしょうか。トランプ大統領との良好な関係を誇示している安倍首相が「トランプ大統領のため、アメリカのためにも判断を見直すべき」と説得し、結果を示せるようであれば日本に対する評価は急上昇するものと思っています。

憲法の「特別さ」を維持するのか、国際標準の「普通の国」になるのか

安倍首相が「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べ、改憲への動きが急速に強まっています。私どもの組合も「憲法を生かす全国統一署名」に取り組み、このブログでもいくつか論点を提起してきました。繰り返しになりますが、憲法9条を変えなければ「ずっと平和が続く」という単純な考えではありません。個別的自衛権しか認めてこなかった平和主義は国際社会の中で誇るべき「特別さ」であり、日本のブランドイメージを高めていました。

仮に集団的自衛権の行使を認めたままの改憲だった場合、その「特別さ」を外し、国際標準の「普通の国」になるかどうかという重大な選択であり、このような動きに反対しています。一方で、とりまく情勢の厳しさから改憲の必要性を説く声も耳にします。ただ9条の見直しは周辺国を刺激する動きであることも押さえなければなりません。あえて他国を刺激しないという「安心供与」や「広義の国防」を重視する道こそ、日本の進むべき道であって欲しいものと強く願っています。

北朝鮮情勢の緊迫化を受け、今年度の防衛予算は過去最大規模の5兆2千億円に及んでいます。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入費用は2基で総額6千億円以上となるという試算が示されています。北朝鮮との対話の道が開かれた今、本来、この計画は見直すべきなのではないでしょうか。防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。

情勢が緊迫化していた最中、日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ことであり、米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが何よりも重要であると柳沢さんは訴えていました。現在、北朝鮮の「意思」が変わりつつあり、将来的には「能力」を放棄することも約束しています。それこそ「骸骨が砲車を引くような不条理な事態」を避けるための転機につなげて欲しいものです。

いろいろな「答え」を認め合い、いがみ合わないことの大切さ

過去の記事に残した記述を転用しながら、ここまで「平和の話」をまとめてきました。まだまだ掲げたい内容がありますが、そろそろ一区切り付けさせていただきます。前回の記事の中でも強調した点ですが、あくまでも私自身が正しいと信じている「答え」の数々であり、異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。このブログを長く続けている中で、いろいろな「答え」を認め合った場として個々人の「答え」の正しさをそれぞれの言葉で競い合えることを願っているところです。

「平和が大切だったら、アメリカばかりでなく組合を使って中国にももっと抗議したらどうですか?」という問いかけもあります。どこの国の事例であろうと非人道的な行為はもちろん、国際社会のルールを破る理不尽な行動は許されません。個々人や各団体の判断のもとに批判や抗議をすべきものと思っています。しかし、そのような対応がはかれていないからと言って「問題視すべき行為を容認している、もしくは批判できない関係性だ」という短絡的な見方につなげてしまっては問題です。

それぞれの正しいと信じている「答え」に照らし、納得や理解できない他者の振る舞いに対し、推論や思い込みによる批判は絶対避けなければなりません。いわわる左と右、立場に関わらず心がけるべき点だと考えています。「ブサヨ」や「反日」、「ネトウヨ」や「権力のポチ」などという言葉を使った途端、冷静で理性的な議論から遠ざかってしまうはずです。

大事なことは「誰が」や「どこの団体が」ではなく、何が正しいのか、どの選択肢が正しいのかという一つ一つの判断の積み重ねだろうと思っています。そして、より望ましい「答え」に近付くためには幅広く、一方に偏らない多面的な情報や考え方に触れていくことが欠かせません。このブログがコメント欄を含め、そのような場の一つになり得ることを願っています。私自身にとって当ブログのコメント欄は、おかげ様で充分そのような場として受けとめさせていただいています。

最後に、自分自身の「答え」の正しさを前提に他者を蔑むような批判の仕方は控え、立場や視点、考え方の違いがあっても、いがみ合わないことの大切さを繰り返し訴えてきています。このような思いは現実の場面や国際社会の中でも同様です。相手側の言い分にも耳を傾けることで対話につながり、武力衝突という最悪な事態だけは絶対避けることで、世界中から戦火が消えることを切望しています。

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2018年8月 5日 (日)

平和の話、インデックスⅢ

8月6日は広島、9日は長崎の原爆忌です。15日には終戦記念日を迎えるため、毎年、8月に入ると戦争について取り上げるメディアが増えています。戦争を体験された方が少なくなる中、この時期だけでもメディアが力を注ぐことは意義深いものと受けとめています。このブログでも戦争を顧みる機会とし、今回と次回にわたり、平和への思いを託した記事の投稿を考えています。

実はカテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べていました。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めています。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめていました。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックスコメント欄の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「春闘の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」「憲法の話、インデックスⅡ」のとおりです。なお、「Ⅱ」 以降がある場合は最新のインデックス記事のみを紹介しています。

そのようなインデックス記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えて随分たちますので、今回、まず過去の記事を紹介する機会としてみました。直近のインデックス記事を確認してみたところ「平和の話、インデックスⅡ」を投稿したのは2014年3月のことでした。あれから4年以上が過ぎ、その間には安保関連法の成立や北朝鮮情勢を巡る動きが緊迫化していました。予想していた通り「平和の話」として加えるべき直接的な題材の投稿は数多くあり、ブログ開設当初の記事から並べると下記のような長さの一覧となっています。

余計な話ですが、普通に文章を書いている時よりも過去の記事を探し、リンクをはっていく作業のほうが手間暇かかります。閲覧されている皆さんからの要望があって始めた訳ではなく、あくまでも自分自身の発案ですので作業にそれほど負担感はありません。ただ今回、かなりの数の記事のはりつけ作業を進めた後、下書き保存を試みた時、インターネット接続に一時的な不具合が生じました。

その結果、下書き保存できず、費やした労力は水の泡となりました。このような不具合が起きることも想定し、ブログ投稿に限らず、文章などの入力作業時、なるべく短い間隔で下書き保存するように心がけています。たまたまその時は作業に集中し、いつもより長い時間下書き保存しないままでした。リカバリーできる類いの話ですが、同じ作業を二度繰り返すことの徒労感は極力避けたいものです。

特に伏線がある訳でもない本当に余計な話でした。さて、冒頭に今回と次回にわたり、平和への思いを託した記事の投稿を考えていることを記していました。今回は「平和の話、インデックスⅢ」とし、これまで投稿した記事の一覧を紹介しました。それぞれの記事に私自身の安全保障に対する考え方などが綴られています。お時間等が許され、少しでも興味を持たれた記事があった場合、ご覧いただければ誠に幸いです。

次回はそれらの記事の中に綴った内容の一部を紹介しながら私自身の問題意識をまとめてみるつもりです。平和への思いを要約する機会とするため、記事タイトルを「平和の話、サマリー」とするつもりです。あくまでも自分自身が正しいと信じている「答え」の数々であり、異論や反論を持たれる方々も多いのだろうと思っています。このブログを長く続けている中で、いろいろな「答え」を認め合った場として個々人の「答え」の正しさをそれぞれの言葉で競い合えることを願っています。

単に以前の記事を紹介しただけで終わらせていないのも、これまでのインデックス記事のパターンでした。今回ももう少し続けます。「平和の話」の中味に入る前、よく問いかけられる点について書き加えてみるつもりです。なぜ、このブログでは「平和の話」の投稿が多いのか、そのような点について説明を加えさせていただきます。長い説明の文章は分かりづらいという指摘を受けがちですので、「平和の話、インデックスⅡ」の時のように要点を箇条書きしてみます。

  • 組合活動は組合員一人ひとりのためになることを第一の目的としています。組合の平和運動もそのような目的の一つとしています。自分たちの職場だけ働きやすくても、社会全体が平和で豊かでなければ暮らしやすい生活となりません。そのために私どもの組合や自治労は平和に関わる運動方針を掲げています。
  • これまで「自治労は平和運動から一切手を引くべき」という意見が寄せられがちでした。それに対し、労働組合の本務と主客逆転することなく、無理のない範囲で取り組むという私自身の「答え」があります。そして、取り組むのであれば、組合員の皆さんをはじめ、不特定多数の方々に向けた主張の発信も欠かせないものと考えています。
  • 上記のような問題意識があるため、このブログで取り上げる題材として「平和の話」が多くなっています。しかし、日常的な組合活動の中で平和に関わる活動の占める割合はわずかです。ブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしてきています。
  • 「公務員のためいき」というブログのタイトルを付けながら政治的な話題の発信が多いことに対し、疑念の声が寄せられる時もあります。主に労働組合役員の立場からの発信が多いため、確かにブログのタイトルと日常的な投稿内容にアンマッチ感も目立つようです。このタイトルに決めた理由は「秋、あれから2か月 Part2」の中で説明していました。
  • 今回のような「平和の話」に関するインデックス記事に対しても違和感を持たれた方が多いのかも知れません。それでも私自身、このブログは日常生活に過度な負担をかけないSNSを活用した一つの運動として、たいへん貴重なツールだと考えながら長年続けてきています。
  • デリケートな問題をネット上に掲げるリスクも承知していますが、そもそも狭い範囲でしか理解を得られないような内向きな運動方針に過ぎないのであれば、即刻見直しが必要だろうと思っています。そのような意味でコメント欄は幅広い意見を伺える貴重な場であり、多様な見方があることを把握しながら実際の組合活動につなげていける機会だと考えています。 

もう一つ付け加えれば、その時々に私自身が取り上げたい話題や主張を当ブログを通して発信しています。あくまでも個人の責任による運営ですので、このような自由さがブログを長く続けられている理由だと考えています。その積み重ねの中に「平和の話」が多くなっていることも確かです。次回は「平和の話」に綴ってきた内容を要約(サマリー)した記事の投稿を予定しています。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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