ネット議論の悩ましさ
8月10日、人事院は今年度の国家公務員の月例給を平均で0.16%(655円)引き上げ、一時金を0.05月分引き上げて年間4.45月分とする勧告を国会と内閣に対して行ないました。月例給と一時金、ともに5年連続での引き上げ勧告となりました。前回記事「平和の話、サマリー Part2」の中では外交面で安倍首相を評価できる点について記していました。
人事院勧告は民間の給与水準を反映したものであり、少しずつでも5年連続で引き上げられている結果は評価すべき点です。加えて、これまで安倍政権は人事院勧告の骨格となる内容はそのまま実施してきています。公務員の労働基本権制約の代償措置としての人事院勧告ですので、当たり前と言えばそれまでですが、公務員給与の引き下げが政治的な思惑の中で取沙汰されるケースの多さを考えると素直に評価しなければなりません。
東日本大震災の復興財源に充てるため、国家公務員の給与が2012年度と2013年度に限り平均7.8%カットされました。安倍政権になった後、それまで独自な給与見直しを進めていた地方公務員全体にも同様な給与削減を要請したことは問題だったと考えています。それでも民主党政権時代の幹部の一人は「これだけひどい財政状況を考えれば、2年間でまた元に戻すことができるはずがない」と発言していました。
そのような見方もあった中、安倍政権はあくまでも特例の臨時的措置として削減は2年間にとどめました。デフレ脱却をめざす安倍政権の経済政策に照らし、一貫性のある判断であり、率直に評価できる点だと言えます。アベノミクスそのものの評価は難しく、「劇薬」を投与中という認識です。日本の経済や財政を致死させるリスクを危惧する一方、劇的に回復させた試みだったと評価される日が来ることも願っています。
さて、人事院勧告は毎年8月初旬に示されます。「人事院勧告の話、インデックス」という記事もありますが、やはり8月は平和や戦争について考える題材の投稿が多くなっています。今年は3週続けて「平和の話」をタイトルの頭に付けた記事を投稿していました。2012年の春頃から寄せられたコメントに対し、しっかりお答えすべき内容は記事本文を通して対応しています。
そのため、難しい論点を含む題材だった場合、「Part2」として続け、前回記事の内容を補っていくことが多くなっています。「平和の話、サマリー Part2」もそのような流れの中で投稿していましたが、私自身の悩ましさが深まる経過をたどっています。かなり前に「ネット議論への雑感」という記事を投稿し、3か月前には「再び、ネット議論への雑感」という記事を綴っていました。
それらの記事では主に「難しさ」を書き残していましたが、今回は「ネット議論の悩ましさ」というタイトルを付けました。SNSを利用した意見交換の「難しさ」から、今、直面している「悩ましさ」の理由を探ってみます。まず私自身が「悩ましさ」を深めた言葉を紹介させていただきます。そのような言葉が示された発端となっている具体的な事例に関しても、充分な理解を得られていないようですので補足できればと考えています。
いわゆる、極左的な活動をしている方々が主張していることと、管理人さんが書いていることがいつも重なって見えてしまう。そして、自治労の活動自体も、多くが重なってしまっている。 「あっ、結局は自治労も管理人さんも、左派的思想のもとに活動をしている団体や人なんだな」 それが、ここに色々と書き込みをする人達の、受け取った認識であります。
このブログを開設した頃から閲覧いただき、コメント欄での常連である下っ端さんからの言葉でしたので余計ショックでした。「極左的な活動をしている方々が主張していることと、管理人さんが書いていることがいつも重なって見えてしまう」という言葉に何とも言えない無力感や徒労感を覚えていました。
私自身、自治労の基本的な方向性を支持し、いわゆる右か左かで言えば、左に位置するように見られていることを否定しません。しかし、そこまで極端なカテゴリーの中で、同じように見られていることに非常に驚き、物凄く残念な気持ちを強めています。普段から「誰が」という色眼鏡は外し、「何を」訴えているのかという中味を評価しなければならないものと考えています。
このブログで発信している内容に関しても、そのように見て欲しいものと願っていました。その上で、基本的な視点や考え方が異なる方々にも届くような言葉を探し続けています。このような自分自身のこだわりを考えた時、「公務員のためいき」と長くお付き合いいただいている下っ端さんから極端な見られ方が吐露され、本当に力が抜けてしまいました。例えれば次のような場面が思い浮かんでいました。
新しく開発した自社の車の性能や装備などを詳しく説明し、その車の素晴らしさを懸命にアピールした後、「やっぱりM社の車は買う気がないから」と言われた営業マンの気持ちと重ね合わせています。どれほど画期的な車が開発でき、その点を的確に伝えたとしても「M社の車だから」というカテゴリーのみで判断され、切り捨てられてしまっては非常に無念な話だと言えます。
念のため、私が主張している内容は素晴らしく、画期的であるという例えではありません。下っ端さんから「左」という大きなカテゴリーの中に一括りにされ、十把一絡げに評価されているような印象を受けたため、上記のような話に例えてみました。とは言え、このような理解は間違いであり、過剰反応だったのかも知れません。その後、下っ端さんからは次のようなコメントが寄せられていました。
スタートの視点が違うんです。管理人さんは、フラットな目線での意見を述べていることに、異論はありません。しかし、その一方で、所属する組織のトップでもあり、そのことをある程度公表している以上、個人的な見解とは見てくれないんですよ。いくら個人的な見解であっても。その点をもう少し考慮してお書きになれば、いわゆる「心外」な指摘は減少すると思われます。私の突っ込みも、半分はそういう要素を加味していることをお気づきください。
私が無力感や徒労感を覚えたことは過剰な反応であり、下っ端さんの指摘の真意を正しく理解できていない、そのようなメッセージであることは伝わってきています。しかし、逆に私自身が、なぜ、これほどショックを受けたのか、理解いただけていないことも感じ取っていました。今回の記事本文に取り上げた例え話も含め、何に対して悩ましさを深めたのか、分かっていただくことは容易でないのかも知れません。
愚痴っぽい話が続き、たいへん申し訳ありません。ただネット議論の悩ましさを強調するだけで、後ろ向きな話のまま終わらせるつもりはありません。下っ端さんをはじめ、せめてコメント欄常連の皆さんとは「スタートの視点」を近付けたいと願っているため、今回の記事を書き進めています。言うまでもありませんが、それぞれが正しいと信じている基本的な「答え」が違うことを前提にした上での「スタートの視点」のすり合わせです。
「批判を受けている」と感じるか(イコール、左派と認める)、「そうじゃないんだ。まだまだ誤解が存在するからもっと議論をしていきたい」と思うか(リベラル?) どちらを感じるのかは、管理人さん次第と思ってます。
上記の言葉も下っ端さんからの問いかけです。もちろん、もっともっと議論をしていきたいと思っています。それがリベラルという立場なのかどうか分かりませんが、もう少し私自身の問題意識を理解いただき、かみ合ったネット上での議論につなげられればと願っています。なお、上記のような問いかけからもお互いの「スタートの視点」に大きな隔たりが存在していることを感じ取っています。
私自身が「左派」と見られ、私自身の正しいと信じている「答え」の中味が下っ端さんらから批判されても仕方ありません。そのことでショックを受けることはありません。大きなショックを受けた理由は「極左」の主張と同一視されてしまっている点です。どこまでが「極左」かどうかも分かりませんが、いわゆる「左」と見られている方々の主張や論調も個々人によって差があり、簡単に一括りできるものではありません。
外国人からすれば「日本人の顔は皆同じ」と見られるような話を耳にしたことがありますが、下っ端さんからすれば「左」に位置付く主張は「皆同じ」に見られてしまっているのかと思い、たいへんショックを受けてしまった訳です。このような話も「どうでもいいじゃないか」という叱責があるのかも知れません。確かに「極左」「左派」「リベラル」「右派」「極右」、どうでも良いのです。それぞれの立場の方々がそれぞれの言葉で主張している内容を色眼鏡を外して評価してもらえれば、カテゴリーはどうでも良いのだろうと考えています。
実は前回記事のコメント欄でのやり取りを見た組合員から「なるほど」と思う指摘を受けていました。「憲法9条は変えるべきではない」などという結論が、結局は皆同じだから「極左的な活動をしている方々と主張が同じ」という見られ方をされてしまうのではないのですか、という指摘でした。個々の結論の中味が必ずしもすべて一致している訳ではありませんが、基本的な方向性で言えば「皆同じ」と見られてしまうのかも知れないと気付かされました。
自分たちの「答え」が絶対正しく、「〇〇に反対しよう!」「□□には反対すべきだ!」という結論を押し付けるような主張は避けるべきものと考えています。そのため、「なぜ、反対しているのか」「なぜ、その行動に取り組むのか」という説明を加えながらの訴え方を重視しています。しかし、そのようなこだわりも「結論が間違っている」と考えている方々にとって、同じカテゴリーの一員に分類されてしまうのかという思いに至りました。
さらに私自身の説明の仕方や言葉の使い方が立場性をぼかすための手法だととらえられた場合、逆に姑息さや悪質さを醸し出しているのかも知れません。組合員からの率直な指摘は、このような思いを巡らす機会につながっていました。コメント欄に寄せられる指摘や批判が私自身に対するものなのか、自治労という組織に対するものなのかという問いかけに関しては、めざしている結論が同じだから、どちらにも当てはまるという答えになってしまうことも理解できました。
このような関係性の理解は深まりましたが、ネット議論の悩ましさが解消に向かうものではありません。かえって悩ましさは深まったような気がしています。私自身の個人的な見解、私自身の責任範疇の問題、自分なりの線引きを保ちながら当ブログと向き合ってきています。しかし、そのような線引きは理解を得られず、多くの方々から「自治労=公務員のためいき」という舞台設定のもとに見られ続けていくとしたら、それはそれで悩ましい話です。
KEI さんからの「いーや、OTSUさんがええかっこしいで大ボラを吹いているだけで、違いなんか無いと思うね!」という言葉も、自治労の中で実際に起こっている事実、だから私どもの組合も同じだと見られてしまうという悩ましい関係性の一つだろうと理解しています。このような関係性について今まで以上に意識していくつもりですが、だから何かを大きく変えようという考えが現時点でまとまっている訳ではありません。せめて「何が正しいのか」という問題提起を重視した記事内容に向け、よりいっそう頭を悩ましていこうと考え始めています。
以上のような理解も的外れな点があるのかも知れません。それでも個々人の正しいと信じている「答え」に沿った結論に至らない限り、「なぜなのか」という丁寧な説明もあまり大きな意味を持たない、そのような悩ましい関係性であることの理解を一歩進められたものと思っています。その上で「スタートの視点」をはじめ、まだまだ分かり合えないことが数多くあるものと見ていますが、これからも「悩ましさ」を抱えながらも下っ端さんらとのネット議論を続けていけたら幸いなことです。
たいへん長い記事になってしまいました。冒頭に掲げた下っ端さんの言葉の発端となった具体的な事例とは在日米軍基地の問題でした。自治労が中国大使館に向けた抗議行動に取り組んでいないことの話と絡め、補足説明を加えようと考えていました。「ネット議論の悩ましさ」という内容だけで相当な長さとなっていますので、恐縮ながら次回以降の記事で取り上げることとしますが、ご理解ご容赦くださるようよろしくお願いします。
| 固定リンク
| コメント (22)
| トラックバック (0)
最近のコメント