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2018年7月28日 (土)

ギャンブル依存症の対策

気象庁は「命に危険があるような暑さで災害と認識している」とし、熱中症予防の必要性を強く訴え続けています。今では信じられないことですが、かつて運動部の活動中は真夏でも「水を飲むな」と言われていました。少し前までは就寝の際、冷房を朝まで付け放しにしておくことが、あまり推奨されていませんでした。このように今までの常識が時とともに変わっていく事例は数多くあります。

さて、競輪、地方競馬、ボートレース(競艇)、オートレース、この4種類の公営競技事業に従事する皆さんらは1961年に独自な産別組織として全国競走労働組合(全競労)を設立していました。単位組合の連合体だった全競労は組合員数減少の影響を踏まえ、2002年に自治労と組織統合しています。

私どもの自治体は競輪事業を営んでいます。そのため、私が所属する市職労と競輪労組の皆さんとは昔から友好的な関係を築いてきています。さらに同じ自治労の一員となってからは、よりいっそう連携を強めながら様々な課題に対処してきています。これまで「減収に苦しむ公営競技事業」「競輪労組の大きな成果」という記事を投稿し、その一端を紹介していました。

前回の記事は「カジノ法案が成立」でした。上記のような関係性がある自治体職員の一人として、機会があればギャンブル依存症の問題にも触れてみたい旨を前回記事の中に書き残していました。nagiさんからは前回記事を投稿した意図のお尋ねがありました。その問いかけにもお答えする機会としながら、さっそく今回の記事を通してギャンブル依存症の問題を取り上げてみることにしました。

まず前回の記事が単なる政権批判の内容だったのかどうかという補足です。西日本豪雨災害に見舞われた直後、国民の多くが反対している法案の成立を急いだことに関しては疑問を抱いています。その点で言えば今回の政権与党の判断を批判していたことになります。しかし、とにかく安倍政権を批判したいため、カジノ法案の審議のあり方などに疑義を示していた訳ではありません。

このブログでは安倍政権を批判的に論評することが多いため、「カジノ法案が成立」という記事も政権を批判するための記事内容だと理解されてしまったのかも知れません。逆な見方として支持している安倍政権だから、参院定数を6増とする公職選挙法改正案やカジノ法案に対する審議の進め方などに疑問を示さないという方がいた場合、それはそれで問題だろうと思っています。

いつも訴えていることですが、「誰が」や「どの政党が」という主語を外し、取沙汰されている案件の正否を判断していくことが大事な心得だと考えています。実際、IRやカジノの是非について民主党政権の時にも検討が加えられていました。その頃から民主党内も含め、カジノの合法化に対する賛否は分かれていました。今回のカジノ法案に関しても同様であり、自民党の山本一太参院議員は「成長戦略としては極めて筋の悪いカジノ法」などとご自身のブログの中で酷評されていました。

賛否が分かれているどころか、世論調査で先日閉幕した国会中にカジノ法案を成立させるべきかどうか尋ねたところ「必要ない」が76%に及んでいました。場合によって世論調査の動きに左右されず、国会が急いで判断しなければならない事例もあろうかと思います。しかし、カジノ法案がそのような性格のものなのか、まして西日本豪雨災害に見舞われた直後に国民との合意形成を置き去りにしたまま強行すべき法案だったのか、個人的には強く疑問に思っています。

加えて、個々の振る舞いに対する評価と内閣支持率との「ネジレ」を感じてしまいがちな点を前回記事の中で記しています。この言葉の底意は野党側の不甲斐なさを憂慮しながら、もっと多くの国民から期待される対抗軸になって欲しいという願いを込めています。最後に記した「来年の選挙戦のころには批判は消えている」という有権者が見下された言葉を忘れないためにも、という言葉の意味合いも補足させていただきます。

与党側の驕りや不誠実さを表わした不遜な言葉ですが、今回のカジノ法案に限らず、私たち国民はその時々に問題視した出来事を忘れないようにすべきという自省を込めた意味合いでもありました。長い文章で説明することで逆に分かりづらくしている傾向があるかも知れません。端的に表現すれば、前回記事を投稿した意図はカジノ法案自体の正否よりも、個別課題に対する民意を軽視した与党側の国会運営を疑問視したものです。

「取り沙汰されている案件の正否を判断していくことが大事」と言いながら、結局、法案の中味を二の次にした「政権批判のための批判ではないか」という指摘を受けてしまうのかも知れません。分かりづらい説明で恐縮ですが、安倍政権だから「批判ありき」という意識はありません。どのような政党の政権だったとしても「不人気な法案だから説明が不足していても大型選挙から離れたタイミングで成立させてしまおう」という振る舞いに対しては強く疑問視していくつもりです。

以上のような問題意識を前面に出した上、カジノを合法化するのであれば次のような論点の掘り下げが不足しているものと考えていました。公営ギャンブルの違法性を阻却している8要件のような位置付けが不明確な点を指摘し、すでに合法化されているギャンブルにカジノが一つ加わるだけという見方に疑問を示した記事内容を綴っていました。既存のギャンブルとカジノとの対比を表現するため、「持って行ったお金がなくなり、自分の預金をATMから引き出さない限り、負けたら終わり」とも記していました。

この記述に対しては現状でも「自分のお金以外にいくらでも借りられる」という指摘を受けています。前段に紹介した大王製紙の井川前会長の言葉を踏まえ、「負けたら終わり」と表現していました。確かに現状でも身の丈以上に借金を重ねている方々が多いのだろうと思っています。ただカジノ法案で、事業者自身が利用客に直接賭け金を貸し付けられる仕組みを取り入れた点は従来の合法ギャンブルと一線を画しています。

前回記事を閲覧した組合員から「日本人は一定の預託金をカジノ事業者に預けないと借りられないようですよ」という情報提供がありました。貸金業法は返済能力を考慮し、利用者の借入金額を年収の3分の1に制限しています。それに対し、カジノの貸付は貸金業法の規制対象外となります。とは言え、その組合員はカジノ事業者も「貸し倒れになりそうな相手には必要以上に貸さないのではないですか」と指摘されていました。

確かにその通りです。ただ預託金の額は法成立後、カジノ管理委員会規則で定めることになります。額の設定次第では、借金ができる層が広がります。事業者は信用機関を通じて利用者の資産などを調査し、返済可能とみられる額を個々に設定でき、貸付金の額は預託金の額とは無関係に決められる見通しです。仮に年金収入しかない高齢者でも、退職金などのまとまった資産があれば、事業者が多額の賭け金を貸し付ける可能性もあります。

リスクの可能性を指摘していけば切りがありませんが、カジノ合法化が新たなギャンブル依存症の懸念を生じさせていることも間違いありません。そのような懸念を最小化し、カジノが解禁された後、いろいろ懸念したことが「杞憂だった」と安堵させるような手立てを講じていくことが政治の責任だろうと考えています。もともとギャンブル依存症の問題は深刻だったため、カジノ法案によって依存症対策の切実さが焦点化されたことは望ましい動きだったものと受けとめています。

その一つとして、カジノ法案に先立ちギャンブル等依存症対策基本法が成立しています。ここで改めて私自身のギャンブルに対する認識を説明させていただきます。実生活においてマージャンは昔からの趣味とし、今でも馴染みの人たちと交流をはかっています。JRAから地方競馬、競輪、ボートレース、totoまで、インターネットから購入できる環境を整えています。頻繁に利用しているのはJRAだけですが、それもローリスク・ハイリターンとなる楽しみ方に徹しています。

幸いにも依存症にまで至ったことはありませんが、「負けたら、負けた分を取り戻したい」という気持ちはよく分かります。いずれにしてもギャンブルそのものを害悪だと決め付けていません。以前の記事「減収に苦しむ公営競技事業」に記していましたが、連合地区協の政策要請書の中には「オリンピックの種目となっている競輪のイメージアップに努め、幅広い層をひき付けるための一つの集客施設への転換をめざすこと」という一文を掲げる立場です。

同じ記事の中で、組合機関誌のクイズの一つに「競輪グランプリ」という設問があったことで組合員からお叱りを受けた話を紹介していました。時は流れ、今、職場のイントラネットを通して競輪の開催をPRするチラシ等が掲げられています。公営競技事業を担当する部署の職員が全職員に向けて宣伝しているものです。このようなPRに対し、「ギャンブルを薦めているようであり、納得いかない」という批判の声は耳にしていません。

冒頭に記した通り「今までの常識が時とともに変わっていく事例」の一つとして数えられる話なのかも知れません。それでも私どもの市の特殊事情から許された話でもあり、まだまだギャンブルに対する視線は厳しいものがあるようです。自治労都本部の青年部が平和島競艇場を紹介するイベントを9月に企画しています。私どもの組合員に向けて組合ニュースを通して案内するかどうか直近の執行委員会で議論になり、やはりギャンブルに絡むイベントを宣伝することに懐疑的な意見も示されています。

アルコールやタバコも合法化されている嗜好品ですが、度が過ぎると健康を害します。アルコール中毒になると家庭生活そのものを壊すリスクまであります。ギャンブルも同様です。自制心を持って楽しむのであれば何も問題はないはずです。言うまでもありませんが、闇の資金源となる野球賭博などとは一線を画して論じています。これまで日本社会でカジノは闇の中でしたが、今回の法案成立によって合法化されたのですから公営ギャンブルと同じ視点で論じていかなければなりません。

「ギャンブル依存症の対策」という記事タイトルを付けながら、具体策の話に入る前の内容が相当な長さとなりました。記事タイトルをそのままとするためにも、もう少し続けさせていただきます。ギャンブル等依存症策基本法の第1条で、ギャンブル依存症は「日常生活及び社会生活に様々な問題を生じさせるおそれのある疾患」とし、その対策のために国や自治体の責務を明らかにすることを目的としています。今後、都道府県がギャンブル等依存症対策推進基本計画を策定し、具体的な施策を検討していくことになります。

まだ基本法ですので理念的な内容にとどまっていますが、ギャンブル依存症の対策に向けて国としての一歩を踏み出したものと評価できます。正式な法律名に「等」が入っている訳は前回記事でも説明した通りパチンコやパチスロは「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」上の遊技であってギャンブル(賭博)ではないためです。マージャンも遊技であり、その遊び方やパチンコの景品買取システムなどは社会通念上の幅の中で認められる範囲があるようです。

前回記事の中でも繰り返していた問題意識ですが、カジノ法案の動きに関わらず、ギャンブル依存症の対策は求められていました。バランス良い食事を啓発していても、高血圧や糖尿病になる人が必ずいます。仮に法律で禁止すれば闇が横行することになるのかも知れません。完璧な防止策は難しく、ギャンブル依存症になる人は必ず現れることを前提に対策を講じていかなければなりません。

依存症は「否認の病」と言われ、本人にギャンブル依存症であることを自覚させることが容易ではありません。そのため、家族がいる場合、まず家族にギャンブル依存症に対する理解を深めてもらい、家族を支援していくことが欠かせないようです。本人が病気であることを自覚した後は専門の医療機関に受診し、同じ悩みを抱える人たちが相互に支え合う自助グループに参加することも必要です。

家族が借金の肩代わりすることは本人の立ち直りの機会を奪ってしまうと言われています。このような話はネット上の多くのサイトから確認でき、ギャンブル依存症を考える会の田中紀子代表の『「まるで覚せい剤のよう…」 どっぷりハマった夫婦の実話』などを参考にしながら綴っています。最後に、消費者庁のサイト『ギャンブル等依存症でお困りの皆様へ』の「本人にとって大切なこと」の一番目に掲げられた言葉を紹介させていただきます。

小さな目標を設定しながら、ギャンブル等をしない生活を続けるよう工夫し、ギャンブル等依存症からの「回復」、そして「再発防止」へとつなげていきましょう(まずは今日一日やめてみましょう)。

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2018年7月21日 (土)

カジノ法案が成立

前回記事「西日本豪雨の後に思うこと」のコメント欄で、下っ端さんから「はて、今回の記事は、何に対する何の批判なんですか?」という問いかけがありました。その記事の中で提起していた「至らなかった点があった場合、指摘を受け、率直に反省することで次回から同じような失敗を繰り返さないことが重要です」という思いを前回の記事には託していました。

その上で幅広い情報を提供する場の一つとして、いろいろな見方があることを紹介しています。そのような内容に対し、どのように感じられるのか、何を批判している記事なのかどうか、読み手の皆さん一人ひとりの受けとめ方は一律ではないものと考えています。何か一つの「答え」を押し付ける意図はなく、私自身の率直な思いを発信しているブログだと言えます。

さらに「もっと切迫した危機感を伝えるメディアの報道や政治の働きかけがあれば、救える命が多かったはずという痛恨の思いを私たちは共有化しなければなりません」という言葉は、当然、地方自治体職員の役割や責務を強く認識しながら「私たちは」につなげていたつもりです。尾木さんのツイートを紹介した流れからメディアと政治を並べた記述となっていましたが、ことさら国の初動体制だけを批判したものではないことを改めて補足させていただきます。

加えて、どの党にとって有利か不利かという政局的な視点から離れ、もし多くの国民が望み、国民生活にとって不可欠な重要な法案だった場合、どのような災害に見舞われようとも粛々と審議は進めるべきものと考えていることを前回記事の中に書き残していました。この言葉は災害を利用し、国会での審議を拒み、廃案に持ち込むような手法に向けても問題提起しています。

要するに審議対象の法案が本当に国民にとって望ましいものなのかどうか、何が問題なのか、論点を明らかにしながら徹底的に議論し、政局的な視点からは離れて判断して欲しいという願いを込めた言葉でした。とは言え、与野党の現有議席の差が歴然としている中、淡々と審議に応じていたら問題点をアピールすることもできず、数の力で押し切られてしまうだけという見方があることも悩ましい点です。

問題のある法案のゴリ押しを続けていけば選挙で国民からの審判を受け、政権与党は手痛いダメージを与えられるという関係性が健全な民主主義の姿だと思っています。しかし、個別の政策や対応が国民から不評を買っていても、内閣や自民党に対する支持率は極端に下がらないという傾向が最近の世論調査から読み取れています。これからも「今の野党には託せられない」という消去法によって現政権が続くのであれば、決して国民にとって望ましいことではないはずです。

もちろんトータルな意味で、安倍政権を高く評価されている方々が多いことも認識しています。オールorナッシングで物事を見ている訳ではありませんが、どうしても個々の振る舞いに対する評価と内閣支持率との「ネジレ」を感じてしまいがちです。今回の記事では全体的な話を事細かく論じられませんが、機会を見て何が問題なのか、個人的な思いを提起させていただくつもりです。

今回は個々の問題点の一つだと言えるカジノ法案について触れてみます。昨日、多くの国民が反対、もしくは慎重な審議を求めていたカジノ法案が参院本会議で可決、成立しました。IR(統合型リゾート)実施法案と呼ぶべきという指摘もあろうかと思いますが、現政権寄りと見られがちな読売新聞もカジノ法案と称していましたので当ブログでもそのように記しています。なお、すでに法案は成立した訳ですが、今回のタイミングではカジノ法案と呼ばせていただきます。

さて、ご縁があって当ブログをご覧くださっている方々に対し、今回の記事でも幅広い情報や見方を提起する機会につなげさせていただければと考えています。前述したとおり一つの「答え」を押し付けるものではありません。物事それぞれ何が正解なのか、容易に論じられないものと考えています。カジノ法案も同様なのでしょうが、より望ましい評価や判断につなげるためには幅広く、多面的な情報に触れていくことが欠かせません。

IR(統合型リゾート)実施法は「特定複合観光施設区域整備法」が正式名称です。IR施設の延べ床面積のうちカジノが占める面積は政令で「3%以下」に抑えられる予定です。そのため、IR実施法案の全体像を理解しないまま「カジノ法案」と煽りながら批判しているという論調を耳にしていました。フリーアナウンサーの長谷川豊さんがその一人で「今IRの批判している連中のスクショを絶対に残しておこう」というブログ記事を投稿されていました。

そのブログ記事の中で長谷川さんは「カジノを作ったらイソンショーがーだそうです。バカバカしい。日本人は何十年も前からとっくの昔にギャンブル漬けです」とし、「依存症が問題なのであれば、まずパチンコ規制でしょ」と訴えています。確かに依存症の問題が深刻であればカジノ法案の動きに関わらず適切な対策を講じていかなければなりません。だからと言って、カジノ法案の問題性を掘り下げずに容認していく理屈にはなりません。

そもそも長谷川さんはカジノとIRは完全に別物と説明しています。当たり前なことですが、IR実施法案の中にカジノが盛り込まれていなければ批判の声は高まっていないはずです。面積比率の問題ではなく、カジノそのものの是非が問われていたものと理解しています。長谷川さんは海外の成功例を紹介しながらIR法案の有益さや健全さを説明していますが、果たして「答え」は一つなのかどうか疑問に思っています。

カジノは刑法185条の賭博罪に当たります。一方で、刑法35条は「法令又は正当な業務による行為は、罰しない」と定めています。例えば、医師は手術で患者にメスを入れます。本来は傷害罪ですが、医師には正当な理由があるため犯罪になりません。違法性阻却事由として、他に正当防衛や緊急避難などがあり、公営ギャンブルは競馬法や自転車競技法などによって合法化されています。さらに公営ギャンブルは違法性を阻却する要件として次の8点が考慮されています。

  1. 目的の公益性
  2. 運営主体の性格
  3. 収益の扱い
  4. 射幸性の程度
  5. 運営主体の廉潔性
  6. 運営主体の公的管理監督
  7. 運営主体の財政的健全性
  8. 副次的弊害の防止

ちなみにパチンコ・パチスロに関しては「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」上の遊技であって賭博ではありません。パチンコ業は刑法の賭博罪が例外として定める「一時の娯楽」(刑法185条但書)の範疇を超えないように、常にそのギャンブル性(射幸性)がコントロールされながら合法的に存在しているそうです。したがって、上記8項目を満たした正当行為(刑法35条)として違法性が阻却されているものではありません。

今回、カジノはIR実施法のもとに例外的に合法化しました。しかし、公営ギャンブルと同様、上記8項目が完全に満たされるのかどうかは不透明です。カジノ事業者が国などに納める収益の30%は地域振興やギャンブル依存症対策に充てられるため、政府は「収益の社会還元を通じ、目的の公益性は実現する」と強調しています。ただ運営主体は民間のカジノ事業者、それもノウハウを持つ外国の企業が参入できるようになっています。

「射幸性の程度」に関してはカジノの設置数を最大3か所に抑え、日本人の入場回数を「週3回かつ月10回」までとするなど、「重層的・多段階的な依存症対策」を通し、「副次的弊害の防止」にはかっていけると政府は説明しています。しかしながら最大の懸念点はカジノの場合、事業者が利用客に賭け金を貸し付けられる仕組みを認めたことです。しかもカジノ事業者は貸金業者ではないため、年収要件など貸金業法の総量規制が適用されません。

「いずれカジノで勝って返せると考えていました」、カジノにのめり込み、ファミリー企業から総額106億円を借り、有罪判決を受けた大王製紙前会長の井川意高さんの言葉です。ダイヤモンド・オンラインのサイトで「カジノで106億円熔かして服役、大王製紙前会長のオーナー経営者論」という記事を閲覧できます。「カジノで地獄を見るのは、負けたときに現地でお金を借りるからなのです」という言葉の重さは真摯に受けとめなければなりません。

持って行ったお金がなくなり、自分の預金をATMから引き出さない限り、負けたら終わりとなる競馬やパチンコなどとは異なる質のギャンブル依存症の懸念はくすぶったままだと言えます。前述したとおりギャンブル依存症の問題はカジノ法案の動きに関わらず深刻であり、カジノ法案に先立ち対策法が成立しています。これまで「減収に苦しむ公営競技事業」「競輪労組の大きな成果」というブログ記事を投稿している自治体職員の一人として、今後、機会があれば依存症の問題にも触れてみたいものと考えています。

土曜の朝、自宅に届く読売新聞の政治面に「カジノ法 公明に配慮 自民、今国会成立に固執 来年選挙 切り離し図る」という見出しが掲げられていました。ネット上にその記事自体は見つけられませんでしたが、同様の内容を西日本新聞が報じていました。最後に、その西日本新聞の記事を紹介させていただきます。「来年の選挙戦のころには批判は消えている」という有権者が見下された言葉を忘れないためにも。

西日本豪雨の被害が拡大する中、与党が統合型リゾート施設(IR)整備法案の成立を急ぐ背景に、カジノ解禁に反対する支持者の多い公明党の意向がある。来年の参院選や統一地方選への悪影響を避けるため、選挙戦までの期間をできるだけ空けておきたいという思惑だ。「推進法で決めたことだから、その通り成立させることが重要だ」。公明の山口那津男代表は18日の会合で、IR整備法案に賛成する理由を強調した。

整備法案は、2016年に成立したIRの「推進法」に基づく。同法は政府に対し、施行後1年以内をめどに整備法をつくるよう求める内容だ。当時、公明の支持母体の創価学会はカジノ解禁に強く反発し、党は衆参の採決で異例の自主投票に追い込まれた。山口氏や井上義久幹事長ら、複数の幹部が反対した。「既に成立した推進法に従うのは当然だ」−。公明幹部は、整備法案について学会員をそう説得してきた。

ギャンブル依存症対策法の先行成立も、公明は強く主張した。学会員に「依存症対策は万全だ」と理解を求めるためだ。自民党は、森友、加計問題や財務省のセクハラなどで国会審議が暗礁に乗り上げた3〜5月、同法の審議を後回しにすることを検討したが、自民国対幹部によると、公明が絶対許さなかったという。同法は今月6日に成立した。

それでも公明の中堅議員は「整備法成立が選挙に近づくのはどうしても避けたかった」と打ち明ける。同党は昨年の衆院選で議席を6減させ、比例代表の得票は2000年以降で初めて700万票を割った。統一地方選の勝敗は、3千人の地方議員を擁する公明にとって党勢に直結する。野党は「豪雨対策よりカジノを優先している」と批判するが、公明幹部は「来年の選挙戦のころには批判は消えている」と意に介さなかった。 【西日本新聞2018年7月20日

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2018年7月14日 (土)

西日本豪雨の後に思うこと

西日本を中心に降り続いた記録的な豪雨は各地に甚大な被害をもたらしました。被災された方々に対し、心からお見舞い申し上げます。このような災害を未然に防げる対策が最も大事なことですが、科学が進歩している現在においても残念ながら自然災害を人間の手で制御できるようにはなっていません。

したがって、「災害は起こる、災害は避けられない」ということを前提に様々な対策を講じる必要があります。災害が起きた際、いかにダメージを軽減できるか、できる限り犠牲者を出さず、被害を少なくできるかどうかが欠かせません。つまり防災対策においては減災という視点が重視され、災害が発生しても被害を最小限にとどめるための対策を立て、日頃から準備することが求められています。

今回の西日本豪雨災害を受け、安倍首相は外遊を取りやめました。法案審議にも影響を及ぼすのかも知れないと思っていましたが、参院の定数を6増とする公職選挙法改正案やカジノ法案と呼ばれているIR(統合型リゾート)実施法案は予定通り審議が進められています。さらに下記報道の通り「赤坂自民党亭」の開催が物議を醸し、与党側の危機意識のあり方が問われる事態にもつながっていました。

豪雨による被害が各地で拡大する中、参議院の委員会では、与党が強行する形でカジノ整備法案が実質審議入りしました。西日本豪雨の被害が拡大する中、国会では、迅速で万全の対策を政府に求める決議を全会一致で採択。「被災者へのきめ細やかな支援は急務です」(安倍首相) 政府は被災自治体の要請を待たず、国が率先して支援物資などを供給する方針を打ち出しました。 

平成に入り最悪の被害を出した豪雨災害。その豪雨が迫る夜に自民党議員たちが開いた会合が、問題視されています。5日の夜、国会議員宿舎で開かれた「赤坂自民亭」という懇親会。しかし、この時、記録的な豪雨により、多くの地域で避難指示などが出されていたのです。懇親会に出席した小野寺防衛大臣は・・・「防衛省からは随時連絡が来ておりましたし、その都度、指示を出していたので、特に支障は無いと思っております」(小野寺五典防衛相) 

表向き、政府側は災害対応に問題はなかったとしていますが、与党内からも疑問の声が上がっています。 「またちょっと、気が緩んできているよね」(与党幹部) 「センスの問題だ。どう取り上げられるか、考えてみれば分かるでしょ」(自民党大臣経験者) 参議院では10日、「カジノ整備法案」の実質審議が始まりました。この法案の担当大臣は、豪雨被害の対策で中心的な役割を担う石井国交大臣です。そもそも「カジノ整備法案」に反対の野党側は・・・「石井大臣が、人命よりギャンブル優先の審議を、自ら選ぶというのはちょっと信じられない」(立憲民主党 蓮舫副代表) 

さらに与党側は、参議院の定数を6増やす公職選挙法改正案も、今の国会での成立を目指す方針です。しかし、JNNの世論調査で、この2つの法案について、今の国会で成立させるべきかどうかを聞いたところ、いずれも「反対」が「賛成」を上回りました。成立を急ぐ与党側の姿勢に、野党側は反発を強めています。「火事場泥棒じゃないか。災害に乗じて、どんどん法案を通そうとしている」(野党幹部) 未曽有の災害は、会期末が迫った国会にも大きな影響を与えています。【TBSニュース2018年7月10日

多面的な情報を提供する機会として、立憲民主党も同日に所属議員の政治活動25周年を記念するパーティーを開いていたことにも触れなければなりません。与党と野党では災害対応を巡る責任の重さが違うとは言え、自民党を批判することで「ブーメラン」化することを警戒している可能性もありそうだ、とリンク先の記事には書かれています。

至らなかった点があった場合、指摘を受け、率直に反省することで次回から同じような失敗を繰り返さないことが重要です。「尾木ママ」こと教育評論家の尾木直樹さんは「やっぱりおかしかった豪雨災害報道と政治家さん」というタイトルを付けてツイートしていました。「豪雨災害の真っ最中に政権はさかもり懇親会!多分、報道がNHK以外はあまりに日常的に流れているため 気が緩んでいたのではないでしょうか?」と綴っていました。

民放キー局の災害報道の少なさとの関連性を指摘し、「反論の余地が無い大失態ではないでしょうか?今回のような失態をメディアも政治家もしないようにすることが大事ではないでしょうか?今となっては国を挙げて救済と復興の為に取り組んでほしいと思います!」と尾木さんは提言されています。まったくその通りだと思います。

気象予報の初期の段階で、もっと切迫した危機感を伝えるメディアの報道や政治の働きかけがあれば、救える命が多かったはずという痛恨の思いを私たちは共有化しなければなりません。そのためにも前述した通り率直に反省すべき点は反省していく必要があります。どの党にとって有利か不利かという政局的な視点から離れ、メディアや野党が「赤坂自民亭」について問いただすことは当然だろうと考えています。

自民党の竹下総務会長は記者会見で「もう開いてしまっておりますので、どのような非難もお受けしようと思っております」と答え、「正直言ってこれだけ凄い災害になるという予想を私自身は持っていなかった」と釈明しています。若干居直った印象も受けますが、正直な気持ちを示されたものと受けとめていました。

一方で、「赤坂自民亭」の写真をツイッターで公開した西村官房副長官は参院の委員会で次のように謝罪しています。「災害発生時に会合をしていたかのような誤解を与えて、多くの方が不愉快な思いをされたということで、私として反省をし、お詫びを申し上げたい」という謝罪です。質問されたのは自治労組織内議員の相原久美子さんでした。相原さんは「誤解を与えたという問題ではない」とし、大雨の情報が出てきた段階での危機意識について問いただしていました。

いつも安倍政権に辛口な『日刊ゲンダイ』は西村副長官の謝罪の言葉に対し、「豪雨災害時に乾杯で謝罪 西村官房副長官は誰に謝ったのか」という見出しを付け、「西村氏はまるで国民が勝手に誤解したために、安倍首相をはじめ飲み会参加者に迷惑をかけたから謝罪しますと言っているようだ」と指摘する声が上がっていることを紹介していました。弁護士の澤藤統一郎さんはもっと辛辣にご自身のブログの中で次のように批判されていました。

「会合をやったのが、まるで大雨の被害が出ている最中のことであるかのような誤解」と言いたいのなら、この政治家は相当にタチが悪い。何の反省もしていない。誰も、「大雨の被害が出ている最中」の宴会とは言っていない。大雨予報が出ているさなか、豪雨の警戒を要する時期での宴会を問題としているのに、意識的な論点すり替えが悪質なのだ。印象操作だけが問題で、何を反省すべきかを真剣に考えてはいないのだ。

「結局、政権を批判したいだけ」というお叱りを受けそうですが、「あの夜、あのメンバーでの酒席は問題だった。その後、SNSに投稿したことも軽率だった」という率直な反省がないようでは同じ過ちを繰り返す可能性も否定できません。加えて「それほど重大視する話ではなく、きっと国民の多くは容認してくれる。逆に揚げ足を取るばかりの野党のほうに批判の矛先が向かうはず」というような意識があるようであれば、澤藤さんの指摘の通りだと思っています。

実は澤藤さんの上記の批判意見には「これが、自民党の政治家らしくもあり、安倍政権の一員らしくもある」という言葉が続いていました。「AだからBだろう」という批判の仕方は避けるため、いったんは切り離していました。それでも自民党の衆院議員だった早川忠孝さんがご自身のブログ「これで、災害対応に問題なし、などと言えるわけがないのだが…」で下記の通り語っていますが、「安倍政権の一員」という属性批判も的外れではないような気がしてきます。

安倍総理は初動の遅れを否定されているようだが、さて、どうだろうか。未だ被害の全容が分かっていないから、政府がいつの時点でどう動くべきだったか等について議論をしても何の役にも立たないとは思うが、安倍総理や官邸の皆さんが、自分たちはやるべきことはちゃんとやった、ノープロブレム、などとこの段階で開き直られてしまうとちょっと鼻白んでくる。

自民党の法案審議への対応についても少し触れなければなりません。野党側の「火事場泥棒じゃないか。災害に乗じて、どんどん法案を通そうとしている」という言葉には違和感があります。もし多くの国民が望み、国民生活にとって不可欠な重要な法案だった場合、どのような災害に見舞われようとも粛々と審議は進めるべきものと考えています。しかし、カジノ法案や参院定数6増とする公職選挙法改正案は国民の多数が反対し、野党が猛反発している法案です。

もともと大きな意味がなかったという見方もあるようですが、安倍首相が外遊を取りやめるほどの非常事態だという認識を政府は示したことになります。そうであれば国民からの反対の声が強い法案審議にも慎重な対応を示して欲しかったものと思っています。ちなみにカジノ法案の問題点は次回以降の記事を通して掘り下げてみるつもりです。最後に、公職選挙法改正案の国会審議の中で参考人として呼ばれ、反対意見を表明された自民党の参院幹事長だった脇雅史さんの言葉を紹介させていただきます。

「選挙制度は国民のためにあるのであって自民党のためにあるのではない」。元自民党参院幹事長の脇雅史氏は9日、参院政治倫理確立・選挙制度特別委員会に国民民主党推薦の参考人として出席し、古巣の自民党が提出した公職選挙法改正案をこう批判した。脇氏は「原点に立ち返って考えてほしい」と述べ、再考を強く促した。

脇氏は、現行法の付則に書かれた「2019年参院選に向けた抜本的な見直し」が先送りされてきた経緯に触れ、「自分たちがつくった法律を守らないのは、ゆゆしきことだ」と与野党の姿勢を批判。定数6増の自民党案に関しては「本当に抜本改革なのか。とても信じられない」と非難した。【JIJI.COM2018年7月9日

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2018年7月 7日 (土)

2冊の『ブラックボックス』

このブログは週に1回の更新間隔のため、投稿する題材に事欠くことはありません。読み終えた書籍の感想を中心にした新規記事をそのうち投稿したいものと考えながら、ずっと機会を逸したままとなるケースもあります。今回の記事タイトルに掲げた2冊の『ブラックボックス』も、かなり前に読み終えていた書籍でした。

1冊は伊藤詩織さんの『ブラックボックス』です。読んでみたい新刊だったため、発売後、すぐ手に入れていました。もう1冊は篠田節子さんの『ブラックボックス』ですが、こちらは立ち寄った書店に平積みされていたものを見かけ、興味が沸いて手にしていました。同じ時期に購入した書籍でしたが、後から同じタイトルだった偶然に気付き、ブログで取り上げる際は今回のような記事タイトルを頭に浮かべていました。

なぜ、この時期に温めていた題材を取り上げることになったのか、後ほど説明させていただきます。まず篠田さんの『ブラックボックス』について紹介します。これまで読み終えた書籍を題材にした時の手順として、書籍を宣伝するサイトに掲げられた内容をそのまま紹介しています。著作権はもちろん、ネタバレに注意した内容紹介を心がけているためですが、省力化という利点(coldsweats01)もありました。

サラダ工場のパートタイマー、野菜生産者、学校給食の栄養士は何を見たのか? 会社の不祥事で故郷に逃げ帰ってきた元広告塔・栄実、どん詰まりの地元農業に反旗を翻した野菜生産者・剛、玉の輿結婚にやぶれ栄養士の仕事に情熱を傾ける聖子。真夜中のサラダ工場で、最先端のハイテク農場で、閉塞感漂う給食現場で、彼らはどう戦っていくのか。

食い詰めて就職した地元のサラダ工場で、栄実は外国人従業員たちが次々に体調不良に見舞われるのを見る。やがて彼女自身も……。その頃、最先端技術を誇るはずの剛のハイテク農場でも、想定外のトラブルが頻発する。 複雑な生態系下で迷走するハイテクノロジー。食と環境の崩壊連鎖をあぶりだす、渾身の大型長編サスペンス。

前述した理由で言えば、カスタマーレビューに掲げられた感想の紹介も最適です。篠田さんの『ブラックボックス』には「食料の安全性と自給率、農家の生活に外国人労働者の問題まであいかわらず取材は綿密で、いつものような膨大な分量であるにもかかわらず一日で読了してしまいました」という感想が寄せられています。

今回、2冊の書籍を同時に取り上げているため、篠田さんの『ブラックボックス』については多く語らないつもりです。自治体の仕事として学校給食の職場があり、多くの組合員が働いています。過去の記事に「学校給食への安全責任」「学校給食のあり方、検討開始」などがあります。このような絡みがあり、こちらの『ブラックボックス』にも興味を示していました。

過酷な環境を強いられている外国人労働者の深刻な問題が描かれています。しかし、それ以上にハイテクを追求した結果の「食の安全性」に警鐘を鳴らしている著者の意図が伝わる書籍でした。綿密な取材に基づく事実関係に沿ったフィクションなのかも知れませんが、フィクションであることを切実に願わなければならないような食を扱う現場における「ブラックボックス」が描かれていました。

続いて、伊藤さんの『ブラックボックス』です。こちらは事実関係を広く訴えたい目的で綴られた告白本でした。書籍の表紙には『ブラックボックス』というカタカナとアルファベットで『Black Box』とも記されています。そのため、ここからは伊藤さんの『ブラックボックス』は『Black Box』と記し、篠田さんの『ブラックボックス』と峻別することにします。その『Black Box』の内容紹介の記述は次のとおりでした。

2015年4月3日夜、『Black Box』の著者であるジャーナリストの伊藤詩織は、以前から就職の相談をしていた当時のTBSワシントン支局長と会食した。数時間後、泥酔して記憶をなくした彼女が下腹部に激痛を感じて目を覚ますと、信頼していた人物は全裸の自分の上にいた。

そこは、彼が滞在しているホテルの部屋だった。一方的な性行為が終わってベッドから逃げだした彼女が下着を探していると、「パンツくらいお土産にさせてよ」と彼が声をかけてきた。当事者しか知りえない密室のやりとり、そして、レイプの被害届と告訴状を提出したからこそ直面した司法やメディアの壁について、伊藤はこの本で詳細に記している。

本当は書きたくなかったに違いない。しかし、ようやく準強姦罪の逮捕状が出たにもかかわらず、当日になって警視庁刑事部長の判断で逮捕見送りになり、さらには不起訴処分となった以上、伊藤も覚悟を決めたのだろう。今年の5月には「週刊新潮」の取材を受け、検察審査会への申し立てを機に記者会見を開いた。審査会が「不起訴相当」と議決した際には、日本外国特派員協会で会見に臨んでみせた。

マスコミの反応は今も鈍く、ネットでの誹謗中傷は続いている。そんな状況下で伊藤はこの本を上梓したのだが、通読して強く感じるのは、ジャーナリストとして真実に迫りたいという彼女の心意気だ。それは痛々しいほど切実で、心労で苦しみながら核心へと迫り、権力の傲慢さとともにレイプ被害にまつわる法や社会体制の不備──ブラックボックス──の実相を具体的に伝えてくれるのだった。

上記の文章を読むだけで、卑劣なレイプを受けながら警察や司法当局の理不尽な判断に対する伊藤さんの無念さが伝わってくるはずです。書籍のそでには「自ら被害者を取り巻く現状に迫る、圧倒的なノンフィクション」と記されています。通読することによって、伊藤さんがどのような経緯でレイプ被害に遭い、告発本を綴らなければならなかったのか実感できるようになっています。

もともと伊藤さんはジャーナリストであり、感情を抑制しながら思い出したくないはずの事実関係を淡々と書きしるしています。篠田さんの『ブラックボックス』とは異なり、フィクションではない実際に起こった出来事としての重さを感じさせる書籍でした。ちなみに準強姦罪とは通常の強姦罪よりも罪が軽いという意味ではありません。主に意識のない人に対するレイプ犯罪を準強姦罪と呼ぶそうです。

いずれにしても伊藤さんの事件は政治的な思惑が錯綜しながら評されがちです。準強姦罪を訴えられた人物が安倍首相と親しいジャーナリストである山口敬之さんだからです。以前の記事「『総理』を読み終えて」「『総理』を読み終えて Part2」の中で触れているとおり山口さんと安倍首相との距離の近さは自他ともに認める関係性でした。

そのため、安倍首相を支持されている方々は山口さんの言い分を信じがちであり、書籍の内容紹介にあるとおり被害者である伊藤さんがネット上で中傷されるという事態まで生じています。一方で、日頃から安倍首相を批判している側は安倍首相を攻撃する一つの材料として伊藤さんの事件を利用しているように見られがちでした。

この事件に安倍首相自身が直接関与していないことは確かだろうと思っています。ただ当ブログで伊藤さんの『Black Box』を取り上げると、やはり安倍首相を批判するために取り上げているのではないかと見られそうな気がしていました。そのような見られ方は不本意だったため、「2冊の『ブラックボックス』」という記事の投稿はためらってきたとも言えます。

今回、ようやく取り上げようと考えた切っかけは、あるサイトの記事を目にしたからです。『リアルライブ』というサイトの「杉田水脈議員、伊藤詩織氏の準強姦被害を“理不尽”と非難し大炎上 三浦瑠麗氏らも反論」 という記事でしたが、たいへん驚きました。7月3日に掲げられた記事ですので、発端となったイギリスのBBCテレビのドキュメンタリーは6月28日に放映されていました。

自民党の杉田水脈衆議院議員が自身のツイッターで、メディアを通じて準強姦被害を訴えているフリージャーナリストの伊藤詩織氏を批判し、賛否を集めている。伊藤氏は昨年5月、ジャーナリストの山口敬之氏から準強姦を受けたことを告白。事件が起きたのは15年4月だったが、翌年6月には逮捕状が発行されていたものの、逮捕直前に執行が停止されるなどが起き、物議を醸すことに。伊藤氏は告発本『Black Box』(文藝春秋)も出版したものの、いまだ山口氏側の証言と異なる部分も多々あり、真相の解明を求める声も少なくない。

先月28日には、イギリスのBBCテレビが伊藤氏に焦点を当てたドキュメンタリー『日本の秘められた恥』を放送し、再び事件が見直されるきっかけとなっていたが、そんな中、番組内でも山口氏を擁護する立場として番組のインタビューに応えた杉田議員がツイッターを更新し、「私は性犯罪は許せない!無理やり薬を飲まされたり、車に連れ込まれて強姦されるような事件はあってはならないし、犯人の刑罰はもっと重くするべきと考えています」としつつ、「が、伊藤詩織氏の事件が、それらの理不尽な、被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」とツイートした。

このツイートに、同じく女性から批判が殺到。「被害者に対して“落ち度”?伊藤さんが受けた被害も十分すぎるほど強姦です」「同じ女性とは思えません。女性の発言としてはあまりに酷すぎる」「強姦被害者に対してそのような言い方をする人が国会議員なんて信じられません」といった声が集まる事態に。また、政治学者の三浦瑠麗氏もこのツイートに反応し、「仮に財布がズボンのポケットからはみ出て気をつけてないうちにスられたとしても、窃盗は窃盗です。」と例え、不起訴の事実があったとしても「TBSの幹部として職を求めにきた人と性的行為をしようとしただけで職務上の倫理違反に問われる件です」と反論していた。

その後、杉田議員はツイッターユーザーから寄せられた「ご自分のお子様が被害に遭ったとしても、同じことが言えるのか?」という指摘に「もし私が、『仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性』の母親だったなら、叱り飛ばします。『そんな女性に育てた覚えはない。恥ずかしい。情けない。もっと自分を大事にしなさい』と」と回答。変わらず批判の声が殺到していたものの、中には「男としても怒りを感じますよ!」「冤罪を作れてしまう世の中はなくしたいですね」という擁護の声も見られていた。

驚いた記事の全文は上記のとおりです。私が最も驚き、違和感を抱いたのは最後の段落にある杉田議員の言葉です。「『仕事が欲しいという目的で妻子ある男性と2人で食事にいき、大酒を飲んで意識をなくし、介抱してくれた男性のベッドに半裸で潜り込むような事をする女性』の母親だったなら、叱り飛ばします」という言葉は、加害者として疑われている山口さんの言い分が「真実」という前提で語られています。

確かに伊藤さんが訴えている事実関係が、すべて「真実」なのかどうか分かりません。しかし、被害者と加害者、どちらが事実関係を糊塗しがちなのかどうか、そのような傾向も踏まえながら言葉を選ぶべきなのではないでしょうか。もしかしたら杉田議員は『Black Box』を読んだことがないのかも知れません。『Black Box』に少しでも目を通していれば、山口さんの言い分のほうに疑問を抱くようになるものと思っています。

伊藤さんは「その事実を証明するには ー 密室、社会の受け入れ態勢、差し止められた逮捕状、あらゆるところに“ブラックボックス”があった」と語っています。密室における双方の言い分、その点について「ブラックボックス」化してしまうことを受けとめた言葉です。それでも杉田議員の「被害者に全く落ち度がない強姦事件と同列に並べられていることに女性として怒りを感じます」という伊藤さんを誹謗する発言などには驚くばかりです。

どのような案件に対しても事実関係の全容が明らかになっていない中、決め付けた言い方は慎まなければなりません。伊藤さんの事件の事実関係で明らかな点は「準強姦罪で検察が逮捕状の請求を認め、裁判所が許可していたのにも関わらず、逮捕予定の前日に警視庁トップからストップがかかった」という点です。このようなケースは本当に稀であり、逮捕を見送った直後、担当していた捜査員まで変えられてしまったそうです。

その時の警視庁トップは中村格警視庁刑事部長で、かつて菅官房長官の秘書官を務めていました。ここまでは紛れもない事実関係です。ここから先は疑惑の域に入る話ですので決め付けた言い方は慎まなければなりませんが、山口さんが安倍首相と近しいジャーナリストであるため、何らかの稀な判断が働いたのではないかと見られがちです。もし逮捕に値する被疑者を不当な圧力で見逃していたとしたら、たいへん憂慮すべき事態だと言えます。

これも安倍首相の「お友達」事件であるというような揶揄は不適切です。今回のブログ記事を通して強調したい点は、安倍首相を支持している、支持していない、そのようなことは関係ありません。冷静に、客観的に、物事を多面的に見ながら「おかしいものはおかしい」と言える感覚を磨くべきものと考えています。伊藤さんの事件の経緯、さらに杉田議員の言葉に接し、そのような思いを強めています。最後に、『Black Box』のカスタマーレビューの一つを紹介させていただきます。

日本の女性差別の実態を描く秀作。いかに日本が性暴力に対して、遅れているか、偏見を持たれているかが、よく解る。実際はどのような事が起きていたのか、知るために読むべき一冊だと思う。

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