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2018年6月 9日 (土)

批判の仕方、その許容範囲

前回記事「言うべきことが言える組織の大切さ」のコメント欄で、三多摩すごいね(凄いね)さんから下記のような厳しい言葉で批判を受けました。それに対し、私から「機会があれば記事本文を通し、不本意だと感じている点や議論がかみ合っていない点など、もっと詳しく掘り下げてみたいものと考えています」とお答えしていました。あまり間隔を開けず、さっそく今回更新する記事本文を通して改めて私自身の考え方を書き進めてみます。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」「言論の自由の原則が守られていることを高く評価し、また感謝しています」 確かに管理人氏がコメントを削除しない点は評価しますが、「だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」については懐疑的です。

先日の首相ロケットくくりつけに関しても、管理人氏は「権力者への批判なら黙認」しながら、「それを是とする人が沢山いる」ことを考えろ、と主張します。しかし、「何故そのような人権侵害行為を是年得るのか」「権力者の定義は何か。誰でも「権力者たり得るのではないか」については一切説明をせず「考えて下さい」と繰り返すのみです。結局のところ、管理人氏及び自治労に「権力者」して認定されれば人権侵害され、管理人氏も、それを黙認するわけですよ。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」ではなく、気にいらない相手を「権力者」と断じたうえで、「それを主張する権利が侵害されても黙認する」というのが実際のところだと感じます。「自分たちは正義だ。そして正義に与しない者に懲罰を与える権利がある。仮に懲罰が不当だと感じても「正義」に忖度して懲罰を黙認する」

首相ロケットを実行してしまう組合や管理人氏に↑のような危うさがある限り、私は管理人氏を信頼できないし、人権侵害を平気で黙認する怖い方だという認識は変わらないでしょう。権力者に対して人権侵害を行うことが何故許され、また、権力者の定義はいかなるものであるかを示さずに「考え直し」を迫るだけ、という事実からは、このような結論しか導き出せません。

最後に、あなたがいう「答えの正しさを確信している人」というのは巧妙なすり替えで、本当は「人権侵害に反対している人」なのですよ。組合活動は人権侵害を実行しており、その言い訳に「権力者」を使っているわけです。そして管理人氏もそれを黙認しているのです。まずは、「答えの正しさ」で誤魔化さずに、組合活動は「人権侵害をしている」ことを認めることが必要ではないですかね?

このブログを定期的に訪問されていても、コメント欄までご覧になっていない方も多いようです。したがって、公正さを担保しながら論点を明確化するためには、三多摩すごいね(凄いね)さんのコメント全文をそのまま紹介していくことが望ましいものと考えています。前回記事へのコメントはそのように取扱いましたが、すべて同様な扱いにできませんがご理解ご容赦ください。なお、「そのまま紹介」という意味は誤字脱字と思われる箇所でも勝手に手を加えていない点であることを申し添えさせていただきます。

まず批判の発端となった事例を説明しなければなりません。5月初め、こちらのサイト(三多摩メーデーに登場した「安倍ミサイル!」のオブジェがネットで叩かれる!)に掲げられた写真のような批判の仕方に対し、「日本国憲法が大きな岐路に」のコメント欄に三多摩すごいね(凄いね)さんから「組合でこんなことを支援あるいは黙認する組合には、まともな人は参加したくないと思いますよ。最低ですね。人間が貧しい」というコメントが寄せられました。

このコメントを受け、いくつかの記事のコメント欄を通し、私と三多摩すごいね(凄いね)さんとのやり取りが始まりました。私からの最初のレスは「絶対許容できない行為であれば強く批判しなければなりません。一方で、今回の指摘されている行為がその範囲なのかどうかで言えば、人によって許容範囲とされるのだろうとも思っています」というものでした。

このレスに対しては、さらに三多摩すごいね(凄いね)さんから辛辣な批判コメントが寄せられていました。私からは、メーデーに参加した当該の組合が「是」としているように権力者に対する批判の仕方として許容範囲としている方々も多いという点を指摘し、三多摩すごいね(凄いね)さんの「答え」だけが絶対正しいのかどうか、人によって変動する「答え」は数多くあるものと思っています、と補足説明していました。

この補足説明に対しては、三多摩すごいね(凄いね)さんから特定集団に属する多くの人が「是」とするならあなたも許容するわけですかね?と指摘され、ドイツ労働者党という特定集団に属する多くの方がユダヤ排斥を「是」としていた行為と似ている、とまで話をつなげられながら非難されてしまいました。また、nagiさんからは「立場があるゆえに率直に批判することはできないでしょう」という見方も示されていました。

三多摩すごいね(凄いね)さんからのご指摘ですが、そのように答えたつもりはありません。今回の事例に対しては様々な見方があるという例示です。念のため、これまで当ブログの中でも絶対駄目な言動に対しては迷わず「×」と言い切っています。今回の事例に関しては、自分自身は推奨しないが、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないという説明を繰り返しています。

上記は「再び、ネット議論への雑感」のコメント欄でお答えした私自身の考えです。そもそも発端となった三多摩メーデーは私自身が参加しているメーデーではありません。もっと早く補足すべき点だったのかも知れませんが、「役に立たない組合はいらない?」の冒頭に紹介しているとおり連合三多摩のメーデーはゴールデンウィークの初日に催されています。安倍首相をミサイルの弾頭にしたオブジェは5月1日に催された全労連系の三多摩メーデーでの事例です。

日頃から連携のある労働組合同士という関係ではありませんので、立場上、率直に批判できなかった訳ではなく、所属集団に忖度しての黙認だった訳でもありません。一方で、仮に関係の深い皆さんの行為だったとしても「絶対駄目なものは駄目だ」と言い切るつもりです。繰り返し述べていますが、今回の事例に対し、私自身の「答え」は、権力者への批判だったとしても推奨できる手法ではないが、誰もが絶対非難しなければならないほどの「人権侵害行為」なのかどうかで言えば、そこまで決め付けられないというものです。

私自身の責任範疇であれば「やめようよ」と自制を促せます。前回記事のコメント欄に寄せられたnagiさんからの「安倍政権を批判するのに、安倍ミサイルを作って喜ぶのは内側の方々だけで、外側の人は眉をひそめて遠ざかるだけです」という指摘を重く受けとめている立場です。このブログを通して実感していることとして、基本的な視点や考え方が異なる方々にも届く言葉やアピールの仕方に留意しなければ、運動の広がりは望めないという関係性です。

一方で、権力者を批判する意思表示の仕方として、絶対駄目なのかと問われれば許容範囲だと答えざるを得ません。日大アメフト部の悪質タックルが駄目だったことは衆目の一致するところです。負傷させることを目的にボールを持っていない選手にタックルしたことは犯罪行為の一つです。もし「怪我をさせてもいいつもりで、ぶつかってこい」と指示され、ボールを持っている選手に猛然とタックルし、実際に負傷させた場合はどうでしょうか。

不適切な指示や行為だったという批判の声も上がるのかも知れませんが、アメフトのルールの範囲内となるため、問題視されない方々が多くなるものと見ています。例えが適切だったのかどうか分かりませんが、安倍首相ミサイルも賛否が割れる事例だろうと見ていました。特定集団に属しているかどうかではなく、安倍首相ミサイルを「問題なし」と判断した作製者やその周囲の方々も多数であるという点を指摘したに過ぎません。

三多摩すごいね(凄いね)さんから権力者の定義について尋ねられていましたが、特段説明するまでもなく一般的な見方を共有しているものと考えていました。権力という言葉を電子辞書で調べれば「他人を支配し従わせる力。特に国家や政府が国民に対して持っている強制力」と記されています。したがって、そのような力を行使できる者が権力者であり、安倍首相が権力者に当たることに疑義は示されないものと見ています。

三多摩すごいね(凄いね)さんは権力者の定義を恣意的に広げ、誰に対しても同様な行為を繰り返すのではないかという疑念を持たれています。閣僚、与党政治家、首長、社員に対しての経営者、確かに権力者という言葉は場面によって広げて使えます。しかし、今回の事例は安倍首相に対する批判の仕方の是非を問われてきているものと理解してきました。その大前提を離れた推論が示されていることで、うまく論点がかみ合っていない印象を抱いています。

安倍首相に「人権はないのか、言論の自由はないのか」という声を耳にする時があります。当然、安倍首相個人の立場を問われれば、人権や言論の自由が保障されなければなりません。しかし、総理大臣という権力者の立場で問われれば、その言動に対して一定の縛りがあるという関係性となります。だからと言って、権力者に対する批判であれば、どのような批判の仕方も許容されると考えている訳ではありません。

違法行為が絶対駄目なことは当たり前です。本来、誹謗中傷も駄目な部類に入るはずですが、誹謗中傷なのか、批判意見なのか、とらえ方が人によって変動することも考えられます。今回問題視されているオブジェや風刺画などは、それこそ人によって評価が大きく分かれがちです。フリーアナウンサーの吉田照美さんのニュース油絵に対し、ネット上を中心に風刺画論争があったほどです。

取り沙汰されたニュース油絵「この世界の片隅の君の名は、晋ゴジラ」が、ちょうど安倍首相ミサイルと同じような権力者に対する批判の仕方だと言えます。それぞれ批判もあれば、擁護や賛同があるという現状です。ちなみに吉田さんのニュース油絵の中で、安倍首相夫人や加計理事長を取り上げているものがあります。権力者に対する批判という視点で考えれば、風刺画として二人を登場させたことは少しやり過ぎではないかと見ています。

批判の仕方、その許容範囲は人によって変動しがちです。安倍首相をミサイルに括り付ける批判の仕方に対し、もともと安倍首相を支持されている方々だから不快感を示し、逆に批判的な方々だから許容するという構図では問題だろうと思っています。感情的な問題も大きな要因となりますが、言論や表現の自由、権力に対する監視や批判のあり方という視点から是非を判断していくことが重要です。

今回の記事も長くなっていますが、どこまでご理解いただけるのか、まったく理解できないと言われながら批判が続くのかどうか分かりません。いずれにしても権力者に対する批判の仕方に限らず、推論から他者を断定調に批判することは慎むべきことだと考えています。さらに批判意見と誹謗中傷の違いを強く意識していくことも欠かせません。最後に、「再び、ネット議論への雑感」のコメント欄に残した私自身の考え方を改めて掲げさせていただきます。

そもそも所属集団云々で答えていません。「忖度」という話まで出てきて驚いています。民主党政権を期待した立場でしたが、仮に鳩山元首相らがミサイルに括り付けられていたとしても権力者を批判する手法として許容範囲だと答えます。自分自身が行なうかと問われれば明確に「×」であり、他者が行なうことについて絶対「×」だとは言い切れない、このような説明を繰り返しています。

例えばSNSでの「成りすまし」について私自身は行ないません。ただ他者が行なっている場合、今回の記事にも記したとおりモラルの問題を問われますが、絶対「×」だとは言い切れない、このようにとらえています。具体的な例示をしたことで、また顰蹙を買ってしまうのかも知れませんが、絶対「×」だとは言い切れない、だから「〇」とは言えない、やはり断定的に答えられない設問も数多いのだろうと思っています。

三多摩すごいね(凄いね)さんにとって絶対「×」と言い切るべき問題であるため、いろいろな見方につながっているようですが、記事本文にも記したとおり私自身の「答え」を押し付けるつもりもありません。このような説明に対し、閲覧されている皆さんがどのように受けとめるかどうかの関係性だろうと考えています。ただ不本意な趣旨での批判につながっていましたので改めて補足させていただきました。

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コメント

僭越ながら申し上げると

>安倍首相ミサイルも賛否が割れる事例だろうと見ていました。

この文言にすべてが集約されています。この件は賛否が
割れる事例ではなく、単純にダメな行為なのです。

私の主義主張とは関係なく、これが旧民主党政権時で
あって、鳩山ミサイルや菅直人ミサイルでも同様のことを
言います。
安倍政権を批判する方々に必要な行為は、なぜその政策が
だめか、このような選択肢ではだめなのか。あるいは政権
が選んだ方法を批判したり対案を示すことです。

あの安倍ミサイルから何が伝わるのですか?私には何も
伝わりません。単純に子供が個人の身体的特徴などをあげ
へつらって虐めをするのと同じ構図でしかありません。
安倍ミサイルを見て笑ってる人の顔は、虐められている子
を遠くから見て笑っている子供と同じなのです。
そのような行為を賛同できることはありません。

日頃、運動が外側に広がっていくために、外部の意見や
視線を考えるOTSU氏には毅然と批判していただきたかっ
た。それでこそ組合は自らの襟を正し、批判するだけでは
なく、自らの行いも正すことができると思います。
そのような存在であれば、外部の人もその声に耳を傾け
その意見を考えると思うのです。

以前、蓮舫参議院議員が、記憶を都合よく消したり思い
だしたりできるのかと批判してましたが、多くの人が
自分のことを言ってるのかと不思議に思いました。

嘘をつく人が嘘をつくなと批判しても人は聞きません
暴力を振るう人が暴力を反対しても人は認めません。
差別をする人が差別をするなと言っても賛同しません。
さて、安倍ミサイルを嬉しそうにアピールする方々の
主張を聞いてみたいと思うのか、聞いてそれが素晴らしい
と思うのか。作った人は誰に何を主張したいのか。それ
を見て誰が何を感じ何を思うのか?本当に考えたこと
があるのか。内輪でうけてそれで満足ならそれでもかま
いません。しかしそれは社会正義ではない。
ならば労働組合と名乗ることを辞めて、政治団体と
して活動すればよい。

OTSU氏と直接関係がない団体のした行為であるならば
余計に上記のことを思うしだいです。

投稿: nagi | 2018年6月 9日 (土) 12時35分

nagiさん、前回記事も含め、コメントありがとうございました。

今回の記事本文に詳述したとおりですが、私自身は行なわないし、推奨しない、しかし、許容範囲とする、このような考えです。念のため、絶対駄目なものは駄目と言わなければなりません。

ただミサイルやゴジラを使った権力者に対する批判の仕方が絶対駄目だと決め付けられ、規制や処罰の対象になるようでは憂慮すべき社会につながっていくものと思っています。そのため、今回の事例は「表現の自由」の範囲内として賛否が割れて当然だろうとも考えています。

言葉の使い方も同様です。このコメント欄においても、私自身はそのような言葉を使わないし、推奨しない、しかし、寄せられたコメントは削除しない、このような考えでブログを運営しています。多様な「答え」が存在することだけは認め合いながら、その評価は閲覧されている方々の判断に委ねる、ぜひ、このような関係性について改めてご理解いただければ幸いです。

投稿: OTSU | 2018年6月 9日 (土) 21時05分

このブログは安部総理や自民党批判が多いのですけど(それは全く問題無いしいいんですが)
立川市の職労委員長が批判を向けるべきは地元の権力なのでは?
清水市長や自民党市議会会派や公明党会派に対する批判はほとんど見受けられませんよね?
現市長の市政において公営保育所の民営化や市職員の退職不補充など立川市の福祉は明らかに後退してます
これらに言及しないのは管理人氏が市長に忖度してるか単に臆病者かのどちらかですよね

投稿: 一市民 | 2018年6月 9日 (土) 21時42分

一市民さん、コメントありがとうございました。

行革の問題で言えば、過去に市職労としての見解を掲げたチラシを全世帯に配布したこともあります。そのことを紹介した以前の記事は下記のとおりです。保育園の民営化や図書館の指定管理者の問題などを掲げた当ブログ記事に飛べるリンクをはったものですので参考までにご覧ください。

2008年7月20日(日)  最適な選択肢の行政改革とは?
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2008/07/post_a5e3.html

その後、労使課題に関わる事項は一つ一つ労使協議を重ね、当該職場の組合員の皆さんとともに一定の判断を下しています。その結果として「福祉は明らかに後退」だったとした場合、たいへん残念なことです。

ただ退職者不補充という認識は誤りです。毎年、人員の増減については労使交渉を経て確認しています。さらに労働条件の変更は労使で事前協議し、労使合意ないまま一方的に実施しないという原則も守られています。

したがって、行革等に対する考え方や立場は異なっていても、そのような労使の信頼関係があるため、特に市長らを批判する話には至らないだけです。別に忖度や委縮している訳ではありません。参考までに市長選に関する過去の記事も紹介させていただきます。

2015年7月25日(土)  8月9日に市長選と市議補選
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2015/07/post-9fcd.html

2011年8月20日(土)  過ぎ去る夏に市長選
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2011/08/post-234b.html

2007年8月19日(日)  市長選に向けた組合の対応
http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2007/08/post_7c25.html

なお、組合員や知人の皆さんに対しては匿名のブログになっていませんが、個人的なブログの一般的な流儀に沿って自治体名等は伏せています。このような点について、ご理解ご協力いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年6月 9日 (土) 22時34分

OTSU様の主張を忖度するに、「公権力」というのは巨大で、それに対する批判の声が少しでも萎縮するようでは、健全な社会にならないという歴史的事実が背景にあるものと思います。
主張や批判が「過激で野蛮で下品」でも認められるくらいじゃないと、自由で健全な批判機能が維持されないと。自主規制が働くようになると、いずれそれが既成事実となり、やがては制度化してしまうのではないかという危惧があり、それだけは止めなければという視点だとすれば、筋は通っているでしょう。
逆に、公権力を行使(命令)する立場にある個人は、そういった不快で下衆な批判や、あるいは誹謗中傷の類いですら、広い心で受け止めて、国や国民を良くすることに邁進するくらい高潔で自己犠牲の精神に溢れていなければならないと。それもまた分かります。
ただ、いずれも理想主義的で、現実社会とずれてしまっているのが実情かと思います。
正直、戦後70年を過ぎて、私達は「公権力」の頼りなさは見ているけれど、その暴力性はあまり認識していない訳です。本来であれば、優生保護法の件などは、公権力の暴力性をまざまざと思い出させる事案のはずですが、被害者が限られているせいか、あまりそういう議論は見聞きしません。
三多摩メーデーにおける問題の表現は不快でNGであるという意見に共感していますが、権力が本来有している暴力性というものを考慮すると、あれをやってすら怒られないことこそが、権力に対する健全な批判機能の発揮であろうという見解も否定しづらいところではあります。

投稿: qur | 2018年6月10日 (日) 01時57分

qurさん、コメントありがとうございました。

言葉が不足しがちな拙文に対して「忖度」いただきながら詳しい補足説明ありがとうございます。ご指摘のとおり権力者に向けた批判の仕方について、少しでも委縮し、声を上げづらくなることを懸念しています。

権力者に対する批判の仕方について多くの方々がNGだと考えても、絶対的なNGではない限り、許容していくことのほうの大切さに思いを巡らせています。言論や表現の自由という観点から今回の記事本文を綴っていることを改めて強調させていただきます。

投稿: OTSU | 2018年6月10日 (日) 07時51分

一部の界隈で好きな直近の民意との言葉がありますが
新潟の知事選で与党候補が勝利をした以上、安倍政権は
信認されたと言えます。

と言いますか、単純に野党の応援団が、あるいは野党
全般に言えますが、批判と非難ばかりで中身のないことを
言い続けてどうしたいのか。前回より投票率が上がって
負けたことを考えるべきですね。

野党があれほど動員せず裏方に徹していたら野党候補が
勝利したのではと思います。野党応援団を見て反発した
無党派層が投票に行ったのではないのか。
国民が求めてるのは何か、もりかけをどれほどやっても
無意味なんです。調査をすれば嘘をついている、納得しな
いとの結果がでるでしょう。しかしそれで何か国民の
利益になるのか?国民の不安が解消されるのか?
どちらも違いますね。国民が求めてるのは安全安心です。
だから経済対策、社会保障、犯罪テロ対策などでしょう。
これらの問題で野党はどんな存在感をだしたのか。何も
出してないですね。
それでは支持を得られることはない。そうゆう意味におい
て、今回の新潟知事選は野党はよくこれほどの票をとれた
と思いますね。それだけ安倍政権の土台は揺れているの
でしょう。

投稿: nagi | 2018年6月11日 (月) 08時55分

公権力を批判する上での表現の自由は当然認められます。
安倍ミサイルも何ら問題はありません。しかしこれは
表現の自由を論じてるわけではありません。なぜ安倍政権
を批判してるのか。批判することにより何を目指している
のか。それらを考えればよく判る話だと思うのです。

沖縄タイムズの報道で、基地反対派が座り込みで妨害
する為、道路が渋滞し近隣や地元住民が迷惑していると
の記事があります。沖縄タイムズの記事では、あくまでも
抗議する人々はやむ得なく座り込みをしてるのであり、
渋滞は工事を強行する政府にあるとの内容です。
沖縄タイムズは偏向しきった存在なので当然な記事ですが
地元のツイッターなどを見ると違法な座り込みに憤る声
も多いのです。結局、反対派の活動が反発を招いている
結果ですね。

どのような抗議や批判の手法があれ、それが同意ではなく
反発を生み出す方法は、マイナスではないのですか。
費用と手間をかけて、内輪には受けたけど外側の人には
冷ややかに見られただけならば、私は無意味どことか
マイナスに思いますね。

自治労や組合の人々が目指す社会正義は、一部の人々だけ
が満足する正義なのでしょうか。それならばある意味納得
の話ですね。

投稿: nagi | 2018年6月11日 (月) 10時14分

ちょうど新潟知事選も終わったので、原発反対の方にこの記事を紹介します。

>http://president.jp/articles/-/25265

はやく良い方法があればよいのですが。

投稿: nagi | 2018年6月11日 (月) 15時47分

簡素化のために箇条書きで失礼します。

1)「安倍首相ミサイルも賛否が割れる事例」
民主党党首、組合長、一般人等を問わず、誰であってもミサイルくくり付けは人権侵害です。

2)「権力が本来有している暴力性~権力に対する健全な批判機能の発揮」
そのような人権侵害を伴う批判精神は左翼、右翼活動家が発揮すれば良いかと。
良識がある人は、人権侵害を伴う批判は行わないのではないか。

3)公務員の服務規程その他において良識ある行動が求められていると推測するがどうでしょうか?

4)公務員であっても個人としての活動であれば、服務規程等には縛られないかもしれないので、違法とまではいえない人権侵害を行う自由はあるかもしれない。

5)組合として活動する場合には服務規程等に縛られると推測します。実際にどうかは断言できませんが。

6)組合として服務規程を遵守する義務が(仮に)あるとすれば、今回の首相くくり付けロケットは許されないのではないか。

7)「首相をロケットにくくり付けることに嫌悪感を示す、あるいは拒否反応を起こす人」は、三多摩組合や管理人氏と、そもそも相互理解や意見交換したいとは思わなくなるが、それでよいのでしょうか。
まあ、管理人氏がそのような相手にせず、相互理解も求めないのであれば、まあそれはそれで仕方ないとは思う。

以上、感想です。

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年6月13日 (水) 20時39分

沖縄タイムズ偏向報道説について

辺野古の反対運動により渋滞を引き起こした件を報じた記事について。サンケイの記事を見ましたが、流石にサンケイ。反対運動で引き起こした渋滞だとそりゃ、辛辣に書いてありました。
ただね、現地の状況から判断すると、あの渋滞ってありえないんですよね。通常で言えばゲート前に座り込みが500人のもいれば、機動隊の車両で封鎖状態のはずですから。にもかかわらずダンプを出庫させた。しかも数珠つなぎになるまでの台数を。
渋滞だけで言えば、あえて引き起こした、それも風評を煽り、反対運動を封じ込めるために。っていうのも頷けます。

沖縄タイムズ、琉球新報の記者は毎日のように現地で取材しているようですし、ローカル紙ですから、現地の生の声を代弁する事も必要と思います。それを偏向と呼ぶのであれば、偏向だと思います。
むしろ全国紙にはより中立性が求められるのではと。

投稿: ベンガル | 2018年6月14日 (木) 08時37分

nagiさん、三多摩すごいね(凄いね)さん、ベンガルさん、コメントありがとうございました。

個々人それぞれの見方や考え方があり、そこからかけ離れた「答え」は間違いだと決め付けられがちです。このような関係性はやむを得ないことですが、せめて多様な「答え」があることを認め合った上で、それぞれが正しいと信じている主張を競い合っていくことの大切さを感じています。

このブログがそのような場の一つになれることを願いながら運営しています。今週末に投稿する新規記事も幅広い見方や評価が分かれている題材を取り上げる予定です。話題は変わってしまいますが、ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年6月16日 (土) 07時10分

まぁその、
「全労連系の団体さんの行為について、自治労系の団体の関係者に苦情を言うのも、詮無きこと。」
とは思わなくはないのですが。

しかし、世間一般の認識としては、やはり「公務員労組として十把一絡げに受け止められてしまう」のは、やむを得ない面があると思うんですよね。
中の人にとっては、他所の系統の団体と一緒にされると困るという面はあると思いますし、ワタクシが中の人ならそう思うでしょうけど。外の人の印象が大事なこともあるので。

とはいえ、やはり政治的な訴えかけというのは、「味方を増やす」ことが大事で、「固定的な支持層や固定的な不支持層ではない層に、いかに味方に付いて貰うか(賛同して貰うか)」という視点は大事だと思うんですよ。
新潟知事選挙なんかは、寧ろ敵を増やすような運動したから、普通にやれば勝てる選挙が負けに終ったという印象ですし。
やはり「外の人にどう見えているか?」という視点は大事だと思うんですよねぇ。それが味方(賛同者)を増やすことにも繋がると。

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服務規律というと、地方公務員ということであれば、大原則は「地方公務員法第3章第6節(=同法第30条から第38条の規定)」なんでしょうけども。
職員団体としての活動であれば、第36条と第37条に違反しないことが大前提で、そこはクリアしてるとすると、問題は第33条との兼ね合い。
で、話題のあの件が、第33条に牴触するかというと…。職務外の行為ですし。うーん(悩)。

法律に抵触するかどうかと言うより、運動を成就させるなら「外の人にどう見えているか?という視点は大事」ということに尽きると思うんですが。
ワタクシなどは、嫌悪感を抱いたりします(近づきたくはないと思うです)けれども。

投稿: あっしまった! | 2018年6月16日 (土) 22時49分

あっしまった! さんの指摘にあるように、首相ロケットには、活動家でない限り「嫌悪感」を抱く人が多いと思います。

また、ロケットくくりつのような憎悪を隠さない行動をとる公務員が、はたして「公正な職務を遂行する」のか、非常に疑問です。

普段阿部首相を支持している方が三多摩の役所に行ったときに、果たして不利な扱いを受けないのか。
 それは、建前上は「そんなことはあり得ない」としか答えが返ってこないでしょうけどね。

法の裁きを受けない程度の人権侵害を喜々として実行する方々ならば、阿部首相の支持者に対して、手続を後回しにする(拒否はしない)等の「法の裁きを受けない程度の嫌がらせを実行する」蓋然性が高いのではないですかね?

また、「法の裁きを受けない範囲であればそれを黙認する」行動をとる方もたくさんおられるのではないか、と感じます。

実際に、自分の居住地域の役所の窓口なり手続処理なりを行う公務員が、首相くくりつけロケットを喜々として実行していたら、申請に行くこと自体気が重くなりますね。

まあ、役所の受け付け等は、正規の公務員ではなく派遣の方が多いのかもしれませんが。

勿論、そのような差別を表立ってする方はきっといないでしょうし、表現の自由も大事でしょうから、人権侵害する方でも、阿部首相支持者に嫌がらせをすることはない、のでしょうね。建前上は。

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年6月17日 (日) 20時56分

まあ、今回の件については、違法とはいえない範囲での人権侵害については、それを是とする方がいることは理解しました。

何故是とするのかはわかりませんが、世の中はそうしたものかも知れませんね。

以上、ご説明頂き有り難うございました。

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年6月17日 (日) 21時32分

あっしまった!さん、三多摩すごいね(凄いね)さん、コメントありがとうございました。

本来「憎悪を隠さない行動をとる公務員が」など即座に指摘しなければならない点も多いのでしょうが、また機会を見ながら記事本文を通して補足できればと考えています。

いずれにしても、あっしまった!さんから寄せられた下記のような言葉を常々重視している立場です。いつも心がけているつもりですが、どこまで実践できているかどうかは閲覧されている皆さんの評価に委ねていくことになります。

>やはり政治的な訴えかけというのは、「味方を増やす」ことが大事で、「固定的な支持層や固定的な不支持層ではない層に、いかに味方に付いて貰うか(賛同して貰うか)」という視点は大事だと思うんですよ。

投稿: OTSU | 2018年6月17日 (日) 21時56分

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