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2018年6月16日 (土)

米朝首脳会談に対する評価

このブログの管理人である私自身は、プロフィール欄に記しているような立場を明らかにしています。政治家やタレントなど著名人であれば自分の名前を売るのが本業であり、間違いなく実名でご自身のブログを運営しています。一般の人たちが運営する場合は、実名を伏せてハンドルネームで発信していることが大半です。

当ブログも後者であり、管理人名を「OTSU」としています。ただ知り合いや組合員の皆さんからすれば実名での発信と変わらない位置付けとなっています。 勤めている自治体名も伏せていますが、記事内容などから簡単に特定できてしまうはずです。必ずしも隠し通さなければならない訳ではありませんが、個人の責任によるブログ運営の一般的なセオリーに沿ったものですのでご理解ください。

自治体について言えば、市長選と市議選それぞれが統一地方選の日程から外れています。都知事選と都議選も独自な日程であり、来春の統一地方選に一切無縁な自治体となっています。最近の記事「等身大の組合活動として」の中で触れていましたが、市議選は先週日曜に告示され、明日が投票日です。このような記事内容から具体的な自治体名は明らかになってしまいますが、前述したような点についてご理解願えれば幸いです。

その市議選は定数28名を43名で争う激戦となっています。4年前には「市議選まであと1か月」「市議選まであとわずか」という記事があり、これまで4年ごとに市議選に関連した多くの記事を投稿してきました。今回も推薦した候補者が議席を得られることを強く願っていますが、組織内出身の候補者かどうかによって重圧感は格段に違っています。次回以降の記事で選挙結果等を踏まえた感想を述べさせていただくかも知れませんが、今回の記事は「米朝首脳会談に対する評価」としました。

◆「和平」ムード先行を警戒したい 米国と北朝鮮が首脳同士の信頼関係を築く歴史的会談となった。緊張緩和は進んだものの、北朝鮮の非核化で前進はなかった。評価と批判が相半ばする結果だと言えよう。核保有に至った国に核を放棄させるのは極めて困難な目標である。その達成に向けて米国は粘り強い交渉を続けねばならない。

合意は具体性に欠ける トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談がシンガポールで行われた。両首脳は共同声明に署名し、新たな関係をアピールした。最大の焦点の核問題について、声明は、「朝鮮半島の完全な非核化」に取り組むという金委員長の意思の確認にとどまった。非核化の時期や具体策は示されていない。米国が求める「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」への道筋は描かれなかった。首脳会談でも抽象的な合意しか生み出せなかったのは残念だ。

北朝鮮がこれまでにとった措置は核実験の中止と核実験場の爆破だけだ。金委員長が核を手放す決断を下したかどうかは、不透明だと言わざるを得ない。「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」の実現には、北朝鮮が核兵器や核物質、関連施設を申告した上で、廃棄や国外搬出を進めることが不可欠だ。国際原子力機関(IAEA)などによる検証・査察体制も整える必要がある。こうした作業をどのような手順で、いつまでに完了させるのか。一連の措置の要領と期限を明記した工程表の作成が欠かせない。

北朝鮮の弾道ミサイル問題が声明に盛り込まれていないのも不十分だ。金委員長は、ミサイルのエンジン試験施設の閉鎖に言及したが、全ての弾道ミサイルの廃棄を迫らねばならない。トランプ氏は記者会見で「プロセスの始まり」を強調した。合意を肉付けする作業は、ポンペオ国務長官と北朝鮮高官による今後の交渉に委ねられた。トップ交渉で一気に事態を打開するのには時間が足りなかったのだろう。突破力に頼るトランプ外交には不安が残る。北朝鮮との交渉経験を持つ専門家を政権に集め、日本や韓国、中国とも連携して明確な戦略を打ち立てるべきだ。

圧力の維持が必要だ 過去の米朝交渉で、米政権は大統領任期の制約に縛られ、北朝鮮の見返り目当ての揺さぶり戦術に翻弄された経緯がある。政権交代にかかわらず、持続可能な合意を追求してもらいたい。声明には、トランプ氏が北朝鮮に体制の「安全の保証」を与え、米朝両国が「朝鮮半島の永続的な平和体制の構築」に取り組むことなどが明記された。金委員長が、体制の正統性をアピールし、国際的孤立から脱する材料に使うのは間違いない。韓国や中国が融和ムードに乗じて、制裁を緩める事態を警戒しなければならない。非核化の進展があるまで制裁を維持する方針をトランプ氏が示したのは当然だ。

懸念されるのは、トランプ氏が記者会見で米韓軍事演習の中止や在韓米軍の将来の削減に言及したことだ。和平に前のめりなあまり、譲歩が過ぎるのではないか。米韓と北朝鮮が軍事境界線を挟んで対峙する状況が直ちに変わるわけではない。北朝鮮はソウルに壊滅的な打撃を与えられる火砲を最前線に配備している。この脅威が消えない限り、朝鮮戦争で創設された国連軍や在韓米軍の見直しを議論するのは時期尚早だ。休戦協定に代わる平和体制の構築は、北朝鮮の非核化の完了後に行うとの原則を、米国は堅持しなければならない。トランプ氏は、金委員長に日本人拉致問題を提起したことを明らかにした。長年の膠着状態を打破する機会が訪れたと言える。

日朝会談の環境整備を 安倍首相は、米朝共同声明について、「北朝鮮を巡る諸懸案の包括的解決に向けた一歩」と支持し、拉致問題は「日本の責任において、日朝で交渉しなければならない」と強調した。金委員長との会談を模索するのは当然だろう。拉致被害者の帰国を実現するには、日朝両国の首脳が直接、協議するしかない。2002年の日朝平壌宣言は、国交正常化後の日本の経済協力実施を明記している。核・ミサイルと拉致の包括的解決が国交正常化の前提条件だ。金委員長が前向きの措置をとるのであれば、日本が関係改善を拒む理由はない。政府は米国と緊密に連携し、日朝首脳会談の開催に向けた環境の整備を進める必要がある。【読売新聞2018年6月13日

上記は読売新聞が水曜日の朝刊に「米朝首脳会談 北の核放棄実現へ交渉続けよ」という見出しを掲げた社説の全文です。史上初めて開かれた米朝首脳会談を前向きに評価する一方で、具体性の欠ける合意内容を批判する論調となっています。普段、真っ向から主張が対立しがちな新聞各社の社説ですが、今回は朝日新聞や毎日新聞なども含めて読売新聞と同じような論調でした。

土曜の朝、前回記事「批判の仕方、その許容範囲」のコメント欄で「今週末に投稿する新規記事も幅広い見方や評価が分かれている題材を取り上げる予定です」と記していました。歴史的な米朝首脳会談に対し、インターネットを通して様々な見方や評価を目にすることができます。「非核化の問題について具体的な範囲や工程も時期もない」「また北朝鮮に騙されるのではないか」などという懐疑的な見方が多いようです。

一方で、橋下徹前大阪市長は「米朝首脳会談を評論する愚」という論評の中で、局面を大きく動かしたトップ同士の会談そのものを肯定的に評価しています。外務官僚だった天木直人さんも米朝首脳会談を高く評価している一人です。天木さんのブログ記事「共同声明を正しく評価した佐々江前駐米大使を評価する」を通して知った佐々江前駐米大使の次のような言葉に私自身も共感しています。

首脳レベルで会談したことにまず歴史的な意味がある・・・二人が署名した共同声明は、事前の期待が高かった人から見れば、重要なことが書かれていなかったように見えたかもしれない。けれども、交渉の核心だった非核化と体制の保証については対の形で明記されている。最も重要な問題に関して、首脳レベルで合意したことは評価されるべきだ。CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)が入っていない、と言うけれど、言葉を勝ち取るためだけに大変なエネルギーを費やすのがいいとは思わない。

対話のための対話には意味がない」という安倍首相の言葉を支持されていた方々にとって物足りなく、不満の残る米朝首脳会談の結果だったはずです。しかしながら私自身をはじめ、圧力を強めすぎることのリスク、つまり核ミサイルによる現実的な脅威を感じていた者からすれば、たいへん意義のある会談だったと思っています。弁護士の澤藤統一郎さんがブログ記事「米朝首脳会談の成果を大いに評価する。」の中で綴っている言葉のとおりだと受けとめています。

砂漠で出会った水瓶に半分の水があったとする。瓶に半分の水の存在を歓喜をもってありがたいと思うか、それとも、瓶一杯に満たない水の量の少なさを嘆くか。米朝間の軍事緊張が悪化の一途をたどって、「もしや開戦も」と深刻化していた事態が一変したのだ。軍事衝突の危険度進行のベクトルが緊張緩和と平和のベクトルへと向きを変えた。一触即発とさえいわれたチキンゲームからの解放こそが、この会談の評価すべき本質である。足りないところは、非本質的で副次的なものというべきだろう。

様々な見方や評価があることを知り、正確な事実関係を把握することで、適切な「答え」に近付くことができます。逆に一面的な見方のみで評価し、「願望」という調味料をかけながら判断していった場合、より望ましい「答え」から遠ざかってしまいがちです。自民党の和田正宗参院議員のブログ「意味ある拉致問題の提起 米朝共同宣言に拉致の言及がないのは当たり前」も閲覧していますが、いろいろ思うところがあります。

トランプ大統領が拉致問題に触れた際、金委員長から「拉致問題は解決済み」という言葉が発せられなかったことは間違いないようです。しかし、そのことをもって拉致問題が「解決に向けて前進した」と解釈するのは早計だろうと感じていました。金委員長はトランプ大統領と築きつつある良好な関係を慮り、その場での拉致問題に関する具体的な言及は避けたという見方が妥当ではないかと思っていました。

その後、やはり残念ながら北朝鮮の国営メディアは「拉致問題は解決済み」という従来の主張を繰り返し、「国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和の気流を必死に阻もうとしている」と日本政府を非難しています。このブロクでも過去に「避けて通れない拉致問題」「拉致問題を考える」という記事を投稿し、拉致問題の一刻も早い解決を切望しています。解決に向けては相手側の言い分を踏まえた上で、こちらの主張をどのように訴えていけば良いのかどうか探ることが重要です。

現時点で大きな前進ははかれていないのかも知れませんが、対話できる環境が整ったという点を前向きに評価し、これからの日本政府の外交努力を強く期待しているところです。さらに韓国をはじめ、日本人以外にも北朝鮮に拉致された被害者は相当数に上ると見られています。それぞれの国と緊密に連携していくことも必要だろうと考えています。国際社会が足並を揃え、北朝鮮との対話と圧力を通し、強制収容所などの非人道的な問題も解決に至ることを強く願っています。

和田議員のブログの中で「安倍総理による今回の米朝首脳会談を主導した流れは全く無視されています」という記述が目に留まりました。与党の国会議員であるため、メディアを通して入手できる情報の他に様々な事実関係を把握されているのかも知れません。仮に同じレベルで知り得た情報で「安倍総理が主導」と記しているようであれば、随分「願望」という調味料をかけているような気がしています。

少し前の記事「日本国憲法が大きな岐路に」の中で、防衛審議官だった柳澤協二さんの言葉を紹介していました。脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだという言葉です。柳澤さんは小泉政権から麻生政権まで四代にわたり、安全保障担当の内閣官房副長官補を務めていた方です。最後に、米朝首脳会談に対する様々な評価がある中で、私自身が最も共感している柳澤さんの 『〈緊急寄稿〉米朝首脳合意は「世界史的な」分岐点』を紹介させていただきます。

6月12日にシンガポールで行われた米朝首脳会談は世界中でテレビ中継されたが、事情通の間では、「中身がない」とか、「北朝鮮に譲歩し過ぎ」という批判がある。両首脳の合意は、アメリカが北朝鮮の体制を保証し、北朝鮮が完全な非核化を約束するものの、アメリカが求めてきたCVID(完全、検証可能、不可逆的な核放棄)の原則に照らせば、検証や不可逆性について全く言及がない。そこで、また北朝鮮に騙されるのではないか、という疑念があるためだ。

しかし、枝葉を切り落として物事の幹を見れば、敵国同士である米朝のトップが、敵対関係の解消を目指し、その象徴として核放棄と体制保証という相互が最も欲するものを目標として共有した意義はやはり大きい。第1に、核放棄と体制保証の実現は交渉のゴールであって入り口ではないという当たり前のことを確認した。目標はあくまで核放棄であって、CVIDはそのための手順であるはずだ。手順が目標を押しのけてはいけない。今回の首脳会談がプレーアップされた以上、どちらもこのプロセスから降りられない。むしろ、核放棄に向けた今後の交渉そのものが「検証可能で不可逆的に」ならざるを得なくなったことを意味している。

第2に、朝鮮戦争の終結を含む両国の敵対関係解消に言及している。北朝鮮の核開発の動機はアメリカに滅ぼされないための抑止力を得ることだった。その背景には、いまだ戦争状態が続く朝鮮戦争がある。米朝は、敵対する戦争当事者なのだ。敵対するから核が必要になる。その根っこを解消すれば、核を放棄する条件が整う。その意味で、これは物事の根幹において現実的な道筋を示すものだ。

報償によって自発的に意志を変える枠組み 今回の合意を起点として北朝鮮の核放棄が実現するならば、実戦レベルの核を持った国が戦争で敗北することなく核を放棄する初めての事例となる。核を放棄させるための戦争は、核のリスクを伴う。誰もそういう戦争を望んでいない。国際社会の目標は、核に固執する北朝鮮の意志を変えることだった。そのために制裁と圧力を加え、意志を変えるよう強制してきた。強制の究極の手段が戦争である。今回の合意は、強制ではなく、体制保証という報償によって自発的に意志を変える枠組みをつくろうとするものだ。

国家間の対立を解消するには、どちらかの意志を変えなければならない。意志を変えさせる手段として強制と報償がある。トランプ氏自身が認識しているかどうかは不明だが、今回の合意は、戦争によらない問題解決という選択肢を世界に提示する「世界史的な」分岐点となる可能性をはらんでいる。戦争か交渉かは、やはり政治の選択の問題なのだ。【日刊ゲンダイ2018年6月14日

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コメント

国会議員は芸人と違うので笑いの提供はしていただかなく
て良いのですが、立憲民主党の辻元議員はすぐに笑いを
提供してくれますね。ひたすらカジノをギャンブルは許
さないと叫んでますが、ではパチンコ店を廃止すると
なぜ言わないのか。もちろんパチンコに関する利権は
おそらく警察と自民党はずぶずぶと予測できますがね。
IR法案を反対し、ギャンブルが悪と言い切るなら、既存
のパチンコ店に反対しましょう。それが言えないのなら
黙ってたらいいのに。

投稿: nagi | 2018年6月18日 (月) 10時48分

今回の米朝会談については、私は評価してます。何も
しないよりましだからです。もっとも過去においては
北朝鮮がちゃぶ台返しの心配したものですが、今回は
トランプ大統領がちゃぶ台返しする懸念もあるので
怖いですね。

北朝鮮が政変した時に、過去の北朝鮮から資金提供を
受けた人物が日本にどれだけいたか知りたいですね。
旧社会党が本当に北朝鮮の息が掛かっていたのかどうか
利権で言うと自民党は政権が3回ぐらい吹っ飛ぶほど
北朝鮮とつながってると思いますがね。

投稿: nagi | 2018年6月18日 (月) 10時53分

加計学園理事長が記者会見しましたが、きっと野党の
方々は疑惑が深まったと言うことでしょう。いっその
こと野党の面々でずーーっと疑惑究明を国会で野党のみ
でやればよいと思います。もちろん与党には重要な議題
があるので対応はできません。
野党もずーっと騒げて満足だし、与党もスムーズに国会が
進行して満足でしょう。
双方にとって利益があるのでそうしたらどうでしょうか。
もちろん審判は選挙において国民がすることになります。

投稿: nagi | 2018年6月19日 (火) 15時09分

ずっと気になっていたのですが、もしかしてnagi様は与党関係者の方ですか? もしくは与党を動かすことができる人物かどちらかですね。

投稿: ベンガル | 2018年6月20日 (水) 08時52分

>ベンガル氏

恐らく、単なる嫌味だと思うのですが、一応真面目に
答えますが、

>もしかしてnagi様は与党関係者の方ですか? もしくは与党を動かすことができる人物かどちらかですね。

まったく関係ありません。単なる平凡な市民ですよ。

他者を批判すると自分も批判されることを受け入れなけ
ればなりませんね。自分ではそれほど突飛なことを言っ
たつもりはないのですが、他者から見ると異常なことを
言ってると見えてしまうのかもしれません。
それはそれでしかたありませんね。

投稿: nagi | 2018年6月20日 (水) 09時37分

>nagi様

いや、嫌味ではありません。そう取られたのなら仕方ないですが…

先のコメントで

>もちろん与党には重要な議題があるので対応できません。

とおっしゃっているのを読み、当事者しか言えない言葉だなぁって単純に思っただけです。

投稿: ベンガル | 2018年6月20日 (水) 10時38分

>ベンガル氏

別に嫌味でもそうでなくてもかまいません。批判すれば
自分が批判されることも当然であり、それが嫌だなど言え
るわけがない。

恐らく私が野党に対して極めて批判的な発言が多いから
だと思います。ただ、これだけは言っておきたいのです
が、私は元々は野党支持者でした。しかしここ10年ほど
の野党の活動内容に絶望し、批判ばかりの日々です。

投稿: nagi | 2018年6月20日 (水) 10時56分

nagiさん、ベンガルさん、コメントありがとうございました。

個々人それぞれの見方や考え方があり、同じ出来事に接していても評価や賛否が分かれる場合も少なくありません。SNSの利点はそのような幅広い見方や考え方に容易に触れられることだと考えています。

このブログがそのような場の一つになり得ていることを強く意識しながら毎週末パソコン画面に向かっています。今週末に投稿する新規記事は「市議選が終わり、今、思うこと」というタイトルを予定しています。ぜひ、引き続きご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年6月23日 (土) 07時28分

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