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2018年6月30日 (土)

働き方改革関連法が成立

W杯ロシア大会の真っ最中、寝不足気味な方が多いのではないでしょうか。木曜の深夜、日本はポーランドに敗れながら辛くも決勝トーナメントへの進出を決めました。同時に行なわれていたセネガルがコロンビアに負けることを想定し、ポーランド戦の最終盤、日本は同点に追い付くことよりも「0対1」のまま敗れることを選択しました。

時間つぶしのボール回しに徹する日本選手に対し、観客席からは激しいブーイングが起こり、その判断や戦術に対する評価は分かれています。それでも日本チーム全体にその行為の目的や意味は浸透し、一致結束してピッチ上の選手は反則に注意しながら「0対1」のまま敗れることに徹しました。記事タイトルから離れた最近の話題が続きますが、男子ゴルフの片山プロの問題も気になっていました。

国内男子ツアーを主管する日本ゴルフツアー機構(JGTO)は27日、都内で定例理事会を開き、プロアマ大会で不適切な行動をとった国内男子ゴルフツアー通算31勝の永久シード保持者・片山晋呉(45)=イーグルポイントGC=にすでに課している30万円の制裁金に加え、厳重注意の処分を下した。

片山は理事会終了後、青木功会長(75)、石川遼副会長兼ジャパンゴルフツアー選手会長(26)らとともに騒動後初めて公の場で会見。黒のスーツにネクタイで厳しい表情を浮かべた。当日の片山の言動について、同席したJGTO理事の野村修也・中大法科大学院教授は「同伴アマチュアの方がまだパッティングをしている最中に、片山プロが了解を取らずにパッティング練習に終始したことが問題だった」と説明した。

また、同教授は「アマチュアの方はこれまでのプロアマ戦で同伴したプロとあまりに違う片山プロの態度にかなりの憤慨をしておられた。しかし、片山プロは侮辱的な発言や暴言、行為などは一切取っておらず、むしろ、すみませんという対応をしていた」と続けた。片山は5月30日に行われた日本ツアー選手権森ビル杯のプロアマで同組の招待客に不愉快な思いをさせ、プレーを断念させた。15日に文書で「当面の間、(ツアー)出場を自粛させていただく」と表明していた。【2018年6月27日スポーツ報知

プロアマ大会での一件が報道された直後、片山プロは普段から招待客に対し、そのように接してきたのかも知れないと考えました。ネット上で調べてみると、やはり以前から招待客を無視した振る舞いが常態化していたようです。さらに27日に開かれた記者会見では片山プロと下記のような質疑応答があり、そのような実情だったことが確かめられました。

--プロアマ戦で、同組のアマチュアが途中で帰り、どう思ったか「どうして帰られるのか、理由が分からなかった。怒っているとは思わなかった。でも不快な思いをさせたのは確かだ。大変なことをしてしまったかなという思いで、大会後、ツアー出場自粛を決めた」

--プロアマ戦でのパット練習について「20年以上トーナメントに出ているが、これまでパッティングは許される範囲でやっていたと思う。でもアマチュアの方からクレームを受けたことは一度もなかった。先輩から、プロアマはこういうものだと教わることもなく、見よう見まねでここまで来てしまった」【2018年6月27日SANSPO.COM

いろいろな意味で反面教師とすべき反省点を見出すことができます。プロアマ大会を開催している趣旨や目的を充分理解していなかったという片山プロ自身の思慮不足は深く反省しなければなりません。同時にプロアマ大会の趣旨や目的を選手全員に浸透させていなかった日本ゴルフツアー機構の組織としてのガバナンスの欠如も大きな問題だったと言えます。

もう一つ、これまで片山プロのプロアマ大会での振る舞いを誰も問題視していなかったのかどうか疑問に思っています。オープンな場での出来事ですので、きっと片山プロの不適切な振る舞いを見かけていた関係者も多かったはずです。ただ片山プロが突出した実績のある選手だったため、直接注意できるような関係者がいなかったのかも知れません。

このような経緯があった場合、「どうして帰られるのか、理由が分からなかった」という片山プロの言葉の本音も理解できます。これまで問題だったという認識がなかった振る舞いを突然非難され、一気にツアー出場の機会まで奪われるという重大事に至っている現状について片山プロは忸怩たる思いを強めているのではないでしょうか。

セクハラやパワハラの問題に重ねて教訓化できます。ハラスメントを加えている側が問題であることは言うまでもありません。ただ「このような事例はハラスメントに当たる」という啓発や研修を徹底し、未然防止に努めることが組織の役割として求められています。そして、認識不足の当事者を見かけた場合、相手が上司であろうと「それはハラメントに当たりますよ」と率直に指摘できる関係性が大切なことだろうと考えています。

最近の記事「言うべきことが言える組織の大切さ」の中で具体例をいくつか示していましたが、「ダメなものはダメ」と言える関係性が欠かせないはずです。絶対服従という上下関係から難しい局面だったことは確かですが、日大アメフト部の悪質タックルの指示は拒むべき事例でした。ルールから明らかに逸脱している行為だからです。一方で、冒頭に紹介したポーランド戦での指示はルールで認められた範囲内での戦術でした。

選手個々人の思いは複雑で「このような指示に従って良いのか」という葛藤もあったはずですが、あの場面では一致結束して対応することが求められていました。セネガルが同点に追い付いた場合は水泡に帰す結束力でしたが、幸いにも結果が伴ったことで肯定的な評価も得られる戦術に至っていました。指示の徹底化がはかれず、選手個々人の中途半端なプレイによって決勝トーナメント進出を逃すようであれば最悪なケースだったはずです。

今回のポーランド戦の最終盤のように個々人の意思や思いよりも、組織の指示に従うことを優先させなければならない場面があります。それでも後日、監督や選手の間で、そのような戦術が妥当だったのかどうか話し合う機会を持つことも考えられます。今後、同じような場面に直面した際、チーム一丸となって対処していくための必要な意見交換につながっていくのではないでしょうか。

プロアマ大会のあり方について、もしかしたら片山プロからすれば物申したいことがあるかも知れません。しかし、これまでの組織的な議論等を経て、プロアマ大会の目的や趣旨が定まっているのであれば片山プロは組織の一員として、そのルールに従っていかなければなりません。そのルールに対する片山プロの認識不足、機構側の選手に対する周知不足などが問われている不祥事だったものと見ています。

決められたルールは守らなければなりません。問題があるルールであれば、所定の手続きを提起し、改めていくための手順に力を注いでいくことになります。ルールの中でも格段に重いものとして法律が上げられます。「悪法も法なり」という言葉があるとおり法治国家の一員として個々人の思いや意思に反したことだったとしても、定められた法律は守っていかなければなりません。だからこそ国会での法案審議は、より丁寧に幅広い国民の声に耳を傾けながら慎重な判断を下して欲しいものと願っています。

金曜の参院本会議で働き方改革関連法が成立しました。以前「働き方改革の行方」という記事を投稿していましたが、深く掘り下げなければならない問題点が散見しています。特に「全国過労死を考える家族の会」の皆さんらが危惧している高度プロフェッショナル制度の創設です。略して高プロと呼ばれていますが、脱時間給、つまり残業代ゼロ法であり、過労死を促進させる恐れがあると批判されています。

当初、私自身の言葉で高プロの問題点をまとめる予定でした。いつものことですが、前置きとして書き進めた話が相当長くなりました。そのため、最後にBuzzapに掲げられた『安倍首相「高プロは労働者のニーズではなく経団連らの要望」と白状、立法事実が完全消滅』という記事をそのまま紹介することで、このブログを閲覧されている皆さんに高プロの問題点に関する情報の拡散に努めさせていただきます。

この高プロはやはり経営者側のための「働かせ方改革」でしかなかったことを安倍首相本人が白状しました。詳細は以下から。厚労省の調査がデタラメだったことが発覚し、裁量労働制の拡大が潰れた後も「働き方改革」の片翼としてしぶとく生き残っていましたが、その立法事実を安倍首相自らが嘘だったと正式に認めてしまいました。

◆「高プロ」がどれだけ危険な制度か おさらいしておくと、高度プロフェッショナル制度(以下、高プロ)とは(現状では)年収1075万円以上の高度な専門知識を扱う専門職を対象に、一定の要件の下で労働基準法の1日8時間、週40時間の労働時間規制を撤廃するという制度です。この制度の下では、該当者に労基法4章の労働時間、休憩、休日及び深夜の割増賃金に関する規定が適用されなくなります。つまりは1日8時間、週40時間の労働時間規制が無くなりますから「残業」自体が存在しないことになってしまうのです。また、休日出勤や夜勤などでの割増料金の支払いもありません。

康確保措置が設けられていますが、以下の3種類のうち1つだけを選べばいいという極めてずさんなもの。

  • 四 対象業務に従事する対象労働者に対し、次のいずれかに該当する措置を当該決議及び就業規則その他これに準ずるもので定めるところにより使用者が講ずること。
  • イ 労働者ごとに始業から二十四時間を経過するまでに厚生労働省令で定める時間以上の継続した休息時間を確保し、かつ、第三十七条第四項に規定する時刻の間において労働させる回数を一箇月について厚生労働省令で定める回数以内とすること。
  • ロ 健康管理時間を一箇月又は三箇月についてそれぞれ厚生労働省令で定める時間を超えない範囲内とすること。
  • ハ 一年間を通じ百四日以上、かつ、四週間を通じ四日以上の休日を確保すること。

これによって以下のような働かせ方すら「合法化」されることを当時の塩崎厚労相が国会で正式に認めています。

◆成果主義でもなく、一部の高所得者向けでもなく、「過労死」認定すらされなくなる また、高プロに付いては与党や一部メディアなどが意図的と思わざるを得ない誤解を振りまいています。それが「時間に縛られない働き方」「成果主義になる」というもの。残念ながらこの法案のどこにも成果主義になるという記述は一切なく、どのような成果主義による賃金支払いを義務づける制度の導入も記されていません。

また「年収1075万円以上」が対象とされているため、自分には関係ないと考えている人も多いかもしれませんが、これは単に政府案で示されている数字に過ぎません。法案には「基準年間平均給与額の三倍の額を相当程度上回る水準として厚生労働省令で定める額以上であること」とありますが、法案成立時に年収1075万円だったとしても、それ以降は国会で法改正をすることなく、厚生労働省の省令によって対象となる額が変更してしまえるつくりになっています。

最後に労働時間規制がなくなり、「残業」という概念が適用されなくなることから、長時間労働への歯止めが効かなくなる可能性が強く指摘されています。高プロは「裁量労働制」ではないため、雇用側がノルマや働き方への指示を与えることも可能。つまり「この仕事をやれとは言ったが、本人の能力が足りないから長時間労働になっただけで過労死は自己責任」という言い逃れを可能としてしまいます。この事実は実際の労災認定にも大きな影響を与える恐れがあると考えられており、総じて雇用者側を免責する働きをします。

◆安倍首相自らが立法事実を否定 さて、こうした状況下で安倍政権は粛々と高プロを含む「働き方改革」の今国会成立を目指していますが、6月25日の参院予算委員会で安倍首相自らがこの法案の立法事実を堂々と否定してしまいました。既に高プロ創設に対して労働者にニーズを聞き取ったとされるヒアリング結果はたった12人に対して行なったものに過ぎず、しかも法案要綱が示された2015年3月2日の前には誰にもヒアリングしていないという後付けの大嘘だったことが判明しています。

その12人に関しても全て匿名とされていることからヤラセとの指摘も相次いでおり、加藤厚労相の虚偽答弁も発覚するなど、法案としては既に空中分解状態となっています。それでもなお安倍政権が議席数だけを頼みにこの高プロをどうにかして成立させたい理由とは何なのでしょうか?国民民主党の伊藤孝恵議員が高プロ旗振り役として知られる竹中平蔵パソナ会長の言葉を並べた後、「この期に及んでなお、労働者のニーズがあると答弁するのか?」との質問に対して安倍首相は以下のように語っています。

「高度プロフェッショナル制度はですね、産業競争力会議で、経済人や学識経験者から制度創設の意見があり、日本再興戦略において、とりまとめられたもの。その後、労使が参加した労働政策審議会で審議を行い、とりまとめた建議に基づき法制化を行なったものであろうと思います。本制度は望まない方に適用されることはないため、このような方への影響はありません。このため、適用を望む企業や従業員が多いから導入するというものではなくて、多様で柔軟な働き方の選択肢として整備するものであります。利用するか分からないという企業が多いと言われていますが、経団連会長等の経営団体の代表からは高度プロフェッショナル制度の導入をすべきとのご意見を頂いておりまして、傘下の企業の要望がある事を前提にご意見を頂いたものと理解をしているところであります。(参議院インターネット審議中継 2018年6月25日 予算委員会より)」

つまり、安倍首相は質問に対して労働者のニーズに対して一言も触れず、経団連会長を含む経営側からの要望があった事から高プロを導入するのだと説明しているのです。ですがこれは法案を提出する理由たる立法事実の「労働者がそれぞれの事情に応じた多様な働き方を選択できる社会を実現する働き方改革を推進するため」に完全に反しています。つまり高プロは、労働者から一切ヒアリングすることなく法案要綱を作り、担当する厚労相が虚偽答弁を行ってまでニーズを捏造した挙句、安倍首相本人が労働者ではなく経団連会長ら経営団体からのニーズであった事を白状してしまったのです。

実に最初から全てが嘘で塗り固められた法案でしかなく、その嘘も全てバレた上に安倍首相本人が嘘だったことを認めた時点で立法事実が完全消滅したわけですから、立法府としてはこの法案は廃案にする以外ありません。このまま与党が高プロを成立させるのであれば、立法府がでっち上げられた(そしてそれが完全にバレた)嘘のニーズに基づいて法律を作るという、法治国家として致命的な自爆を行う事になります。与党議員らは自らの1票が日本という法治国家を跡形もなく踏み潰す可能性をよく考えるべきではないでしょうか。

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2018年6月23日 (土)

市議選が終わり、今、思うこと

「いいかげんにしろ」、6月15日の厚生労働委員会に参考人として呼ばれた肺がん患者の長谷川一男さんに浴びせられた言葉です。長谷川さんは「原則としては屋外でもなるべく吸って欲しくないというのが肺がん患者の気持ちではある」と述べた上で、「やはり喫煙者の方がどこも吸う所がないじゃないかとおっしゃるのもすごくよく分かります」と喫煙者の思いにも配慮しながら発言していました。そのような発言の最中、自民党の穴見陽一衆院議員は長谷川さんに対してヤジを飛ばしていました。

また、「魔の3回生」がやらかした-。自民党の穴見陽一衆院議員(48)が、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の審議中、参考人の肺がん患者に対し、「いいかげんにしろ!」とヤジを飛ばしたのだ。穴見氏は21日、謝罪コメントを出して火消しに走ったが、後の祭り。与野党から「言語道断」などと、一斉に批判が噴出している。問題の発言は、15日の衆院厚労委員会で飛び出した。日本肺がん患者連絡会代表の長谷川一男さんが、参考人として屋外の喫煙場所のあり方について発言していた最中だった。

考えられない暴言に、野党や一部メディアが批判を始めると、穴見氏は21日、以下の謝罪コメントを発表した。「『喫煙者を必要以上に差別すべきではない』という思いでつぶやいた。参考人の発言を妨害する意図は全くない。不快な思いを与えたとすれば、心からの反省とともに深くおわびする」 高鳥修一委員長(自民党)は穴見氏を厳重注意した。

穴見氏は、大分1区選出の3回生。大分がん研究振興財団理事を務め、ファミリーレストランを展開する「ジョイフル」代表取締役相談役でもある。改正案で、ジョイフルのような大手チェーンは禁煙となる。穴見氏の発言に、子宮頸がんを経験した自民党の三原じゅん子参院議員は、ツイッターでこう批判した。「法案審議の為にお願いして来て頂いた参考人に野次を飛ばすとは、常識的に考えられない。絶対にあってはならないこと!」

野党も反発した。立憲民主党の長妻昭代表代行は「患者は必死の思いで国会に来た。ヤジはあってはならない。党内で処分すべきだ」と強調し、共産党の志位和夫委員長は「あまりに心がない。自民党政治の劣化極まれりだ」と嘆いた。ネット上でも「与党、野党関係なく、審議中にヤジを飛ばす議員は辞めるべきだ」「国権の最高機関の名が泣く」「幼稚園でも『人の話は聞きましょう』と教えられる」などと、批判がわき起こっている。【ZAKZAK2018年6月22日

自民党内からも批判を受けているように国会議員同士のヤジとは異なる意味合いをはじめ、穴見議員の言動は非常識であり、政治家としての資質が大きく疑われる振る舞いだと思っています。しかしながら穴見議員の謝罪コメントの発表は当該の委員会の後、6日も経ってからでした。21日の朝、ネットメディア「バズフィード・ジャパン」が取り上げなければ、マスメディアも報道せず、穴見議員の謝罪もなかったという見方が成り立ちます。

15日の委員会室にいた国会議員やマスメディアの皆さんが、ただちに問題視すべき事例だったはずであり、対応の遅さや感度の鈍さを反省点とすべきではないでしょうか。いずれにしてもメディアの報道がなければ、このような国会議員がいることを私たち国民は把握できないままでした。SNSや口コミでも構いませんが、幅広い情報を得ていくことの大切さを改めて感じ取る機会だったとも言えます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

このブログの中で上記のような言葉を頻繁に掲げています。ここ数年、安倍政権を巡る問題の多さから、よりいっそう強めている問題意識です。一方で、森友学園や加計学園の問題を追及する側が批判される場合もあります。主な理由として「安倍首相自身が関与していなかったことは明らかであり、単なる政権批判のための追及である」という言い分などが見受けられます。

確かに安倍首相自身が贈収賄や偽計業務妨害などの罪に直接問われるような疑いは薄いはずです。ただ加計理事長との交友関係から大臣規範に抵触していた恐れは消えていません。抵触する恐れがあるため、「会っていない」「知らなかった」などという事実関係を書き換えているような疑念が高まりがちです。規範に抵触していたかどうかも問題ですが、それ以上に事実関係を偽っていた場合、次元の異なる致命的な大問題だと思っています。

本来、推論や仮定の話で他者を批判することは慎まなければなりません。それでも事実関係の真偽は留保した上、断定調の書き方を避けながら、もう少し私自身の思いを綴らせていただきます。森友学園や加計学園を巡る問題を軽視するつもりはありませんが、私自身の問題意識は「正確な情報を包み隠さず伝えているのかどうか」という論点に集約されていきます。

この点についての信頼関係が揺らぐ場合、政府が発信する情報は常に疑ってかからなければならなくなります。もともと歴代の政権が都合の悪い情報は伏せがちだったはずであり、安倍政権だけの問題だと考えている訳でもありません。だからこそマスメディアは政権と距離を置き、幅広い情報や批判意見を的確に伝えていく役割を負っているものと思っています。

「今、思うこと」だけで長い記事になりつつあります。タイトルに掲げた「市議選が終わり、」が後に続くことになりますが、私が勤めている自治体の市議会議員選挙は先週日曜に投開票されました。定数28になってから最も多い43人が立候補し、現職3人が落選する大激戦でした。たいへん残念ながら私どもの組合が推薦した候補者は議席を獲得できませんでした。

火曜の朝、読売新聞の政治面に「都内地方選 野党に勢い」という見出しの記事が掲げられました。中野区長選や今回の市議選の結果を受け、このような見出しを付けたようです。確かに立憲民主党の公認候補者は3,831票獲得し、2位に900票近くの大差を付けてトップ当選しました。一方で、立憲民主党の推薦候補者2名は落選しています。

党派別で見れば、自民党は立候補者9名のうち8名当選し、これまでより1名議席が増えます。公明党は現職7名が立候補し、全員当選しています。共産党は5名全員当選していますが、民主党の流れをくむ候補者は5名のうち現職1名が落選しています。2位から11位までが自民党か公明党の候補者であり、得票数から見ても「野党に勢い」という見出しには違和感がありました。

ただトップ当選した候補者の前回の得票は1,628票でしたので、立憲民主党の看板を背負ったことで2,200票ほど上積みをはかれたことになります。その意味で、立憲民主党の福山幹事長の「有権者は、昨年の衆院選で我々に向けた期待をまだ持っている」というコメントはその通りだろうと思っています。とは言え、議席数で考えれば、自民党8に対して立憲民主党1という大きな落差があることも押さえていかなければなりません。

もともと市議選は候補者と有権者との顔が見える中での関係性を深めているため、国政での風の影響はそれほど受けない傾向があります。それでも世論調査の一つとして市議選の結果をとらえた際、自民党に強い逆風は吹いていなかったものと見ています。下がり続けていた内閣支持率も30%前後に踏みとどまり、上昇に転じる気配もあるようです。

政権として至らなかった点を心から反省し、改めるべき点を迅速に改めていることを国民が評価し、上昇に転じていくのであれば問題ありません。しかし、何も変わらず、数々の不祥事が徐々に忘れられていくことで支持率が回復していくようでは大きな問題だろうと思っています。さらに「今の野党には託せられない」という消去法によって現政権が続くのであれば、たいへん残念なことです。

「市議選が終わり、今、思うこと」は、まだまだ頭の中に浮かんでいます。それでも長い記事になっていますので、このあたりで一区切り付けさせていただきます。最後に、土曜の朝「国会で議論を尽くしたという口実を与えかねない」とし、議論自体に応じない構えであることを立憲民主党の幹部が発言しているという新聞記事を目にしました。廃案を最優先にした構えであることも分かりますが、国会議員が議論自体を放棄することの問題性は強く認識すべきものと考えています。

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2018年6月16日 (土)

米朝首脳会談に対する評価

このブログの管理人である私自身は、プロフィール欄に記しているような立場を明らかにしています。政治家やタレントなど著名人であれば自分の名前を売るのが本業であり、間違いなく実名でご自身のブログを運営しています。一般の人たちが運営する場合は、実名を伏せてハンドルネームで発信していることが大半です。

当ブログも後者であり、管理人名を「OTSU」としています。ただ知り合いや組合員の皆さんからすれば実名での発信と変わらない位置付けとなっています。 勤めている自治体名も伏せていますが、記事内容などから簡単に特定できてしまうはずです。必ずしも隠し通さなければならない訳ではありませんが、個人の責任によるブログ運営の一般的なセオリーに沿ったものですのでご理解ください。

自治体について言えば、市長選と市議選それぞれが統一地方選の日程から外れています。都知事選と都議選も独自な日程であり、来春の統一地方選に一切無縁な自治体となっています。最近の記事「等身大の組合活動として」の中で触れていましたが、市議選は先週日曜に告示され、明日が投票日です。このような記事内容から具体的な自治体名は明らかになってしまいますが、前述したような点についてご理解願えれば幸いです。

その市議選は定数28名を43名で争う激戦となっています。4年前には「市議選まであと1か月」「市議選まであとわずか」という記事があり、これまで4年ごとに市議選に関連した多くの記事を投稿してきました。今回も推薦した候補者が議席を得られることを強く願っていますが、組織内出身の候補者かどうかによって重圧感は格段に違っています。次回以降の記事で選挙結果等を踏まえた感想を述べさせていただくかも知れませんが、今回の記事は「米朝首脳会談に対する評価」としました。

◆「和平」ムード先行を警戒したい 米国と北朝鮮が首脳同士の信頼関係を築く歴史的会談となった。緊張緩和は進んだものの、北朝鮮の非核化で前進はなかった。評価と批判が相半ばする結果だと言えよう。核保有に至った国に核を放棄させるのは極めて困難な目標である。その達成に向けて米国は粘り強い交渉を続けねばならない。

合意は具体性に欠ける トランプ米大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による史上初の米朝首脳会談がシンガポールで行われた。両首脳は共同声明に署名し、新たな関係をアピールした。最大の焦点の核問題について、声明は、「朝鮮半島の完全な非核化」に取り組むという金委員長の意思の確認にとどまった。非核化の時期や具体策は示されていない。米国が求める「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」への道筋は描かれなかった。首脳会談でも抽象的な合意しか生み出せなかったのは残念だ。

北朝鮮がこれまでにとった措置は核実験の中止と核実験場の爆破だけだ。金委員長が核を手放す決断を下したかどうかは、不透明だと言わざるを得ない。「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」の実現には、北朝鮮が核兵器や核物質、関連施設を申告した上で、廃棄や国外搬出を進めることが不可欠だ。国際原子力機関(IAEA)などによる検証・査察体制も整える必要がある。こうした作業をどのような手順で、いつまでに完了させるのか。一連の措置の要領と期限を明記した工程表の作成が欠かせない。

北朝鮮の弾道ミサイル問題が声明に盛り込まれていないのも不十分だ。金委員長は、ミサイルのエンジン試験施設の閉鎖に言及したが、全ての弾道ミサイルの廃棄を迫らねばならない。トランプ氏は記者会見で「プロセスの始まり」を強調した。合意を肉付けする作業は、ポンペオ国務長官と北朝鮮高官による今後の交渉に委ねられた。トップ交渉で一気に事態を打開するのには時間が足りなかったのだろう。突破力に頼るトランプ外交には不安が残る。北朝鮮との交渉経験を持つ専門家を政権に集め、日本や韓国、中国とも連携して明確な戦略を打ち立てるべきだ。

圧力の維持が必要だ 過去の米朝交渉で、米政権は大統領任期の制約に縛られ、北朝鮮の見返り目当ての揺さぶり戦術に翻弄された経緯がある。政権交代にかかわらず、持続可能な合意を追求してもらいたい。声明には、トランプ氏が北朝鮮に体制の「安全の保証」を与え、米朝両国が「朝鮮半島の永続的な平和体制の構築」に取り組むことなどが明記された。金委員長が、体制の正統性をアピールし、国際的孤立から脱する材料に使うのは間違いない。韓国や中国が融和ムードに乗じて、制裁を緩める事態を警戒しなければならない。非核化の進展があるまで制裁を維持する方針をトランプ氏が示したのは当然だ。

懸念されるのは、トランプ氏が記者会見で米韓軍事演習の中止や在韓米軍の将来の削減に言及したことだ。和平に前のめりなあまり、譲歩が過ぎるのではないか。米韓と北朝鮮が軍事境界線を挟んで対峙する状況が直ちに変わるわけではない。北朝鮮はソウルに壊滅的な打撃を与えられる火砲を最前線に配備している。この脅威が消えない限り、朝鮮戦争で創設された国連軍や在韓米軍の見直しを議論するのは時期尚早だ。休戦協定に代わる平和体制の構築は、北朝鮮の非核化の完了後に行うとの原則を、米国は堅持しなければならない。トランプ氏は、金委員長に日本人拉致問題を提起したことを明らかにした。長年の膠着状態を打破する機会が訪れたと言える。

日朝会談の環境整備を 安倍首相は、米朝共同声明について、「北朝鮮を巡る諸懸案の包括的解決に向けた一歩」と支持し、拉致問題は「日本の責任において、日朝で交渉しなければならない」と強調した。金委員長との会談を模索するのは当然だろう。拉致被害者の帰国を実現するには、日朝両国の首脳が直接、協議するしかない。2002年の日朝平壌宣言は、国交正常化後の日本の経済協力実施を明記している。核・ミサイルと拉致の包括的解決が国交正常化の前提条件だ。金委員長が前向きの措置をとるのであれば、日本が関係改善を拒む理由はない。政府は米国と緊密に連携し、日朝首脳会談の開催に向けた環境の整備を進める必要がある。【読売新聞2018年6月13日

上記は読売新聞が水曜日の朝刊に「米朝首脳会談 北の核放棄実現へ交渉続けよ」という見出しを掲げた社説の全文です。史上初めて開かれた米朝首脳会談を前向きに評価する一方で、具体性の欠ける合意内容を批判する論調となっています。普段、真っ向から主張が対立しがちな新聞各社の社説ですが、今回は朝日新聞や毎日新聞なども含めて読売新聞と同じような論調でした。

土曜の朝、前回記事「批判の仕方、その許容範囲」のコメント欄で「今週末に投稿する新規記事も幅広い見方や評価が分かれている題材を取り上げる予定です」と記していました。歴史的な米朝首脳会談に対し、インターネットを通して様々な見方や評価を目にすることができます。「非核化の問題について具体的な範囲や工程も時期もない」「また北朝鮮に騙されるのではないか」などという懐疑的な見方が多いようです。

一方で、橋下徹前大阪市長は「米朝首脳会談を評論する愚」という論評の中で、局面を大きく動かしたトップ同士の会談そのものを肯定的に評価しています。外務官僚だった天木直人さんも米朝首脳会談を高く評価している一人です。天木さんのブログ記事「共同声明を正しく評価した佐々江前駐米大使を評価する」を通して知った佐々江前駐米大使の次のような言葉に私自身も共感しています。

首脳レベルで会談したことにまず歴史的な意味がある・・・二人が署名した共同声明は、事前の期待が高かった人から見れば、重要なことが書かれていなかったように見えたかもしれない。けれども、交渉の核心だった非核化と体制の保証については対の形で明記されている。最も重要な問題に関して、首脳レベルで合意したことは評価されるべきだ。CVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)が入っていない、と言うけれど、言葉を勝ち取るためだけに大変なエネルギーを費やすのがいいとは思わない。

対話のための対話には意味がない」という安倍首相の言葉を支持されていた方々にとって物足りなく、不満の残る米朝首脳会談の結果だったはずです。しかしながら私自身をはじめ、圧力を強めすぎることのリスク、つまり核ミサイルによる現実的な脅威を感じていた者からすれば、たいへん意義のある会談だったと思っています。弁護士の澤藤統一郎さんがブログ記事「米朝首脳会談の成果を大いに評価する。」の中で綴っている言葉のとおりだと受けとめています。

砂漠で出会った水瓶に半分の水があったとする。瓶に半分の水の存在を歓喜をもってありがたいと思うか、それとも、瓶一杯に満たない水の量の少なさを嘆くか。米朝間の軍事緊張が悪化の一途をたどって、「もしや開戦も」と深刻化していた事態が一変したのだ。軍事衝突の危険度進行のベクトルが緊張緩和と平和のベクトルへと向きを変えた。一触即発とさえいわれたチキンゲームからの解放こそが、この会談の評価すべき本質である。足りないところは、非本質的で副次的なものというべきだろう。

様々な見方や評価があることを知り、正確な事実関係を把握することで、適切な「答え」に近付くことができます。逆に一面的な見方のみで評価し、「願望」という調味料をかけながら判断していった場合、より望ましい「答え」から遠ざかってしまいがちです。自民党の和田正宗参院議員のブログ「意味ある拉致問題の提起 米朝共同宣言に拉致の言及がないのは当たり前」も閲覧していますが、いろいろ思うところがあります。

トランプ大統領が拉致問題に触れた際、金委員長から「拉致問題は解決済み」という言葉が発せられなかったことは間違いないようです。しかし、そのことをもって拉致問題が「解決に向けて前進した」と解釈するのは早計だろうと感じていました。金委員長はトランプ大統領と築きつつある良好な関係を慮り、その場での拉致問題に関する具体的な言及は避けたという見方が妥当ではないかと思っていました。

その後、やはり残念ながら北朝鮮の国営メディアは「拉致問題は解決済み」という従来の主張を繰り返し、「国際社会が一致して歓迎している朝鮮半島の平和の気流を必死に阻もうとしている」と日本政府を非難しています。このブロクでも過去に「避けて通れない拉致問題」「拉致問題を考える」という記事を投稿し、拉致問題の一刻も早い解決を切望しています。解決に向けては相手側の言い分を踏まえた上で、こちらの主張をどのように訴えていけば良いのかどうか探ることが重要です。

現時点で大きな前進ははかれていないのかも知れませんが、対話できる環境が整ったという点を前向きに評価し、これからの日本政府の外交努力を強く期待しているところです。さらに韓国をはじめ、日本人以外にも北朝鮮に拉致された被害者は相当数に上ると見られています。それぞれの国と緊密に連携していくことも必要だろうと考えています。国際社会が足並を揃え、北朝鮮との対話と圧力を通し、強制収容所などの非人道的な問題も解決に至ることを強く願っています。

和田議員のブログの中で「安倍総理による今回の米朝首脳会談を主導した流れは全く無視されています」という記述が目に留まりました。与党の国会議員であるため、メディアを通して入手できる情報の他に様々な事実関係を把握されているのかも知れません。仮に同じレベルで知り得た情報で「安倍総理が主導」と記しているようであれば、随分「願望」という調味料をかけているような気がしています。

少し前の記事「日本国憲法が大きな岐路に」の中で、防衛審議官だった柳澤協二さんの言葉を紹介していました。脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだという言葉です。柳澤さんは小泉政権から麻生政権まで四代にわたり、安全保障担当の内閣官房副長官補を務めていた方です。最後に、米朝首脳会談に対する様々な評価がある中で、私自身が最も共感している柳澤さんの 『〈緊急寄稿〉米朝首脳合意は「世界史的な」分岐点』を紹介させていただきます。

6月12日にシンガポールで行われた米朝首脳会談は世界中でテレビ中継されたが、事情通の間では、「中身がない」とか、「北朝鮮に譲歩し過ぎ」という批判がある。両首脳の合意は、アメリカが北朝鮮の体制を保証し、北朝鮮が完全な非核化を約束するものの、アメリカが求めてきたCVID(完全、検証可能、不可逆的な核放棄)の原則に照らせば、検証や不可逆性について全く言及がない。そこで、また北朝鮮に騙されるのではないか、という疑念があるためだ。

しかし、枝葉を切り落として物事の幹を見れば、敵国同士である米朝のトップが、敵対関係の解消を目指し、その象徴として核放棄と体制保証という相互が最も欲するものを目標として共有した意義はやはり大きい。第1に、核放棄と体制保証の実現は交渉のゴールであって入り口ではないという当たり前のことを確認した。目標はあくまで核放棄であって、CVIDはそのための手順であるはずだ。手順が目標を押しのけてはいけない。今回の首脳会談がプレーアップされた以上、どちらもこのプロセスから降りられない。むしろ、核放棄に向けた今後の交渉そのものが「検証可能で不可逆的に」ならざるを得なくなったことを意味している。

第2に、朝鮮戦争の終結を含む両国の敵対関係解消に言及している。北朝鮮の核開発の動機はアメリカに滅ぼされないための抑止力を得ることだった。その背景には、いまだ戦争状態が続く朝鮮戦争がある。米朝は、敵対する戦争当事者なのだ。敵対するから核が必要になる。その根っこを解消すれば、核を放棄する条件が整う。その意味で、これは物事の根幹において現実的な道筋を示すものだ。

報償によって自発的に意志を変える枠組み 今回の合意を起点として北朝鮮の核放棄が実現するならば、実戦レベルの核を持った国が戦争で敗北することなく核を放棄する初めての事例となる。核を放棄させるための戦争は、核のリスクを伴う。誰もそういう戦争を望んでいない。国際社会の目標は、核に固執する北朝鮮の意志を変えることだった。そのために制裁と圧力を加え、意志を変えるよう強制してきた。強制の究極の手段が戦争である。今回の合意は、強制ではなく、体制保証という報償によって自発的に意志を変える枠組みをつくろうとするものだ。

国家間の対立を解消するには、どちらかの意志を変えなければならない。意志を変えさせる手段として強制と報償がある。トランプ氏自身が認識しているかどうかは不明だが、今回の合意は、戦争によらない問題解決という選択肢を世界に提示する「世界史的な」分岐点となる可能性をはらんでいる。戦争か交渉かは、やはり政治の選択の問題なのだ。【日刊ゲンダイ2018年6月14日

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2018年6月 9日 (土)

批判の仕方、その許容範囲

前回記事「言うべきことが言える組織の大切さ」のコメント欄で、三多摩すごいね(凄いね)さんから下記のような厳しい言葉で批判を受けました。それに対し、私から「機会があれば記事本文を通し、不本意だと感じている点や議論がかみ合っていない点など、もっと詳しく掘り下げてみたいものと考えています」とお答えしていました。あまり間隔を開けず、さっそく今回更新する記事本文を通して改めて私自身の考え方を書き進めてみます。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」「言論の自由の原則が守られていることを高く評価し、また感謝しています」 確かに管理人氏がコメントを削除しない点は評価しますが、「だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」については懐疑的です。

先日の首相ロケットくくりつけに関しても、管理人氏は「権力者への批判なら黙認」しながら、「それを是とする人が沢山いる」ことを考えろ、と主張します。しかし、「何故そのような人権侵害行為を是年得るのか」「権力者の定義は何か。誰でも「権力者たり得るのではないか」については一切説明をせず「考えて下さい」と繰り返すのみです。結局のところ、管理人氏及び自治労に「権力者」して認定されれば人権侵害され、管理人氏も、それを黙認するわけですよ。

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」ではなく、気にいらない相手を「権力者」と断じたうえで、「それを主張する権利が侵害されても黙認する」というのが実際のところだと感じます。「自分たちは正義だ。そして正義に与しない者に懲罰を与える権利がある。仮に懲罰が不当だと感じても「正義」に忖度して懲罰を黙認する」

首相ロケットを実行してしまう組合や管理人氏に↑のような危うさがある限り、私は管理人氏を信頼できないし、人権侵害を平気で黙認する怖い方だという認識は変わらないでしょう。権力者に対して人権侵害を行うことが何故許され、また、権力者の定義はいかなるものであるかを示さずに「考え直し」を迫るだけ、という事実からは、このような結論しか導き出せません。

最後に、あなたがいう「答えの正しさを確信している人」というのは巧妙なすり替えで、本当は「人権侵害に反対している人」なのですよ。組合活動は人権侵害を実行しており、その言い訳に「権力者」を使っているわけです。そして管理人氏もそれを黙認しているのです。まずは、「答えの正しさ」で誤魔化さずに、組合活動は「人権侵害をしている」ことを認めることが必要ではないですかね?

このブログを定期的に訪問されていても、コメント欄までご覧になっていない方も多いようです。したがって、公正さを担保しながら論点を明確化するためには、三多摩すごいね(凄いね)さんのコメント全文をそのまま紹介していくことが望ましいものと考えています。前回記事へのコメントはそのように取扱いましたが、すべて同様な扱いにできませんがご理解ご容赦ください。なお、「そのまま紹介」という意味は誤字脱字と思われる箇所でも勝手に手を加えていない点であることを申し添えさせていただきます。

まず批判の発端となった事例を説明しなければなりません。5月初め、こちらのサイト(三多摩メーデーに登場した「安倍ミサイル!」のオブジェがネットで叩かれる!)に掲げられた写真のような批判の仕方に対し、「日本国憲法が大きな岐路に」のコメント欄に三多摩すごいね(凄いね)さんから「組合でこんなことを支援あるいは黙認する組合には、まともな人は参加したくないと思いますよ。最低ですね。人間が貧しい」というコメントが寄せられました。

このコメントを受け、いくつかの記事のコメント欄を通し、私と三多摩すごいね(凄いね)さんとのやり取りが始まりました。私からの最初のレスは「絶対許容できない行為であれば強く批判しなければなりません。一方で、今回の指摘されている行為がその範囲なのかどうかで言えば、人によって許容範囲とされるのだろうとも思っています」というものでした。

このレスに対しては、さらに三多摩すごいね(凄いね)さんから辛辣な批判コメントが寄せられていました。私からは、メーデーに参加した当該の組合が「是」としているように権力者に対する批判の仕方として許容範囲としている方々も多いという点を指摘し、三多摩すごいね(凄いね)さんの「答え」だけが絶対正しいのかどうか、人によって変動する「答え」は数多くあるものと思っています、と補足説明していました。

この補足説明に対しては、三多摩すごいね(凄いね)さんから特定集団に属する多くの人が「是」とするならあなたも許容するわけですかね?と指摘され、ドイツ労働者党という特定集団に属する多くの方がユダヤ排斥を「是」としていた行為と似ている、とまで話をつなげられながら非難されてしまいました。また、nagiさんからは「立場があるゆえに率直に批判することはできないでしょう」という見方も示されていました。

三多摩すごいね(凄いね)さんからのご指摘ですが、そのように答えたつもりはありません。今回の事例に対しては様々な見方があるという例示です。念のため、これまで当ブログの中でも絶対駄目な言動に対しては迷わず「×」と言い切っています。今回の事例に関しては、自分自身は推奨しないが、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないという説明を繰り返しています。

上記は「再び、ネット議論への雑感」のコメント欄でお答えした私自身の考えです。そもそも発端となった三多摩メーデーは私自身が参加しているメーデーではありません。もっと早く補足すべき点だったのかも知れませんが、「役に立たない組合はいらない?」の冒頭に紹介しているとおり連合三多摩のメーデーはゴールデンウィークの初日に催されています。安倍首相をミサイルの弾頭にしたオブジェは5月1日に催された全労連系の三多摩メーデーでの事例です。

日頃から連携のある労働組合同士という関係ではありませんので、立場上、率直に批判できなかった訳ではなく、所属集団に忖度しての黙認だった訳でもありません。一方で、仮に関係の深い皆さんの行為だったとしても「絶対駄目なものは駄目だ」と言い切るつもりです。繰り返し述べていますが、今回の事例に対し、私自身の「答え」は、権力者への批判だったとしても推奨できる手法ではないが、誰もが絶対非難しなければならないほどの「人権侵害行為」なのかどうかで言えば、そこまで決め付けられないというものです。

私自身の責任範疇であれば「やめようよ」と自制を促せます。前回記事のコメント欄に寄せられたnagiさんからの「安倍政権を批判するのに、安倍ミサイルを作って喜ぶのは内側の方々だけで、外側の人は眉をひそめて遠ざかるだけです」という指摘を重く受けとめている立場です。このブログを通して実感していることとして、基本的な視点や考え方が異なる方々にも届く言葉やアピールの仕方に留意しなければ、運動の広がりは望めないという関係性です。

一方で、権力者を批判する意思表示の仕方として、絶対駄目なのかと問われれば許容範囲だと答えざるを得ません。日大アメフト部の悪質タックルが駄目だったことは衆目の一致するところです。負傷させることを目的にボールを持っていない選手にタックルしたことは犯罪行為の一つです。もし「怪我をさせてもいいつもりで、ぶつかってこい」と指示され、ボールを持っている選手に猛然とタックルし、実際に負傷させた場合はどうでしょうか。

不適切な指示や行為だったという批判の声も上がるのかも知れませんが、アメフトのルールの範囲内となるため、問題視されない方々が多くなるものと見ています。例えが適切だったのかどうか分かりませんが、安倍首相ミサイルも賛否が割れる事例だろうと見ていました。特定集団に属しているかどうかではなく、安倍首相ミサイルを「問題なし」と判断した作製者やその周囲の方々も多数であるという点を指摘したに過ぎません。

三多摩すごいね(凄いね)さんから権力者の定義について尋ねられていましたが、特段説明するまでもなく一般的な見方を共有しているものと考えていました。権力という言葉を電子辞書で調べれば「他人を支配し従わせる力。特に国家や政府が国民に対して持っている強制力」と記されています。したがって、そのような力を行使できる者が権力者であり、安倍首相が権力者に当たることに疑義は示されないものと見ています。

三多摩すごいね(凄いね)さんは権力者の定義を恣意的に広げ、誰に対しても同様な行為を繰り返すのではないかという疑念を持たれています。閣僚、与党政治家、首長、社員に対しての経営者、確かに権力者という言葉は場面によって広げて使えます。しかし、今回の事例は安倍首相に対する批判の仕方の是非を問われてきているものと理解してきました。その大前提を離れた推論が示されていることで、うまく論点がかみ合っていない印象を抱いています。

安倍首相に「人権はないのか、言論の自由はないのか」という声を耳にする時があります。当然、安倍首相個人の立場を問われれば、人権や言論の自由が保障されなければなりません。しかし、総理大臣という権力者の立場で問われれば、その言動に対して一定の縛りがあるという関係性となります。だからと言って、権力者に対する批判であれば、どのような批判の仕方も許容されると考えている訳ではありません。

違法行為が絶対駄目なことは当たり前です。本来、誹謗中傷も駄目な部類に入るはずですが、誹謗中傷なのか、批判意見なのか、とらえ方が人によって変動することも考えられます。今回問題視されているオブジェや風刺画などは、それこそ人によって評価が大きく分かれがちです。フリーアナウンサーの吉田照美さんのニュース油絵に対し、ネット上を中心に風刺画論争があったほどです。

取り沙汰されたニュース油絵「この世界の片隅の君の名は、晋ゴジラ」が、ちょうど安倍首相ミサイルと同じような権力者に対する批判の仕方だと言えます。それぞれ批判もあれば、擁護や賛同があるという現状です。ちなみに吉田さんのニュース油絵の中で、安倍首相夫人や加計理事長を取り上げているものがあります。権力者に対する批判という視点で考えれば、風刺画として二人を登場させたことは少しやり過ぎではないかと見ています。

批判の仕方、その許容範囲は人によって変動しがちです。安倍首相をミサイルに括り付ける批判の仕方に対し、もともと安倍首相を支持されている方々だから不快感を示し、逆に批判的な方々だから許容するという構図では問題だろうと思っています。感情的な問題も大きな要因となりますが、言論や表現の自由、権力に対する監視や批判のあり方という視点から是非を判断していくことが重要です。

今回の記事も長くなっていますが、どこまでご理解いただけるのか、まったく理解できないと言われながら批判が続くのかどうか分かりません。いずれにしても権力者に対する批判の仕方に限らず、推論から他者を断定調に批判することは慎むべきことだと考えています。さらに批判意見と誹謗中傷の違いを強く意識していくことも欠かせません。最後に、「再び、ネット議論への雑感」のコメント欄に残した私自身の考え方を改めて掲げさせていただきます。

そもそも所属集団云々で答えていません。「忖度」という話まで出てきて驚いています。民主党政権を期待した立場でしたが、仮に鳩山元首相らがミサイルに括り付けられていたとしても権力者を批判する手法として許容範囲だと答えます。自分自身が行なうかと問われれば明確に「×」であり、他者が行なうことについて絶対「×」だとは言い切れない、このような説明を繰り返しています。

例えばSNSでの「成りすまし」について私自身は行ないません。ただ他者が行なっている場合、今回の記事にも記したとおりモラルの問題を問われますが、絶対「×」だとは言い切れない、このようにとらえています。具体的な例示をしたことで、また顰蹙を買ってしまうのかも知れませんが、絶対「×」だとは言い切れない、だから「〇」とは言えない、やはり断定的に答えられない設問も数多いのだろうと思っています。

三多摩すごいね(凄いね)さんにとって絶対「×」と言い切るべき問題であるため、いろいろな見方につながっているようですが、記事本文にも記したとおり私自身の「答え」を押し付けるつもりもありません。このような説明に対し、閲覧されている皆さんがどのように受けとめるかどうかの関係性だろうと考えています。ただ不本意な趣旨での批判につながっていましたので改めて補足させていただきました。

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2018年6月 2日 (土)

言うべきことが言える組織の大切さ

前回の記事「組合民主主義について」は、前々回記事「等身大の組合活動として」に寄せられていた問いかけに答えることを目的に投稿していました。難しい問いかけや重要な論点が示されている場合、記事本文を通して対応するように努めています。前回、主に下っ端さんからの問いかけや指摘に対し、私自身が考えていることを改めて綴らせていただきました。

このブログは土曜日、もしくは日曜日に更新しています。記事の内容によっては更新した直後、日曜の夜のうちに複数の方からコメントが寄せられています。前回記事を投稿した後、現時点までに残念ながら下っ端さんからのコメントは寄せられていません。前回記事の内容を下っ端さんがどのように受けとめられたのか、率直な思いとして非常に興味がありました。

記事の内容に納得され、特に指摘すべき点がなくなったのか、あまりにご自身の「答え」からかけ離れていたため、あきれて告げるべき言葉を失っているのかどうか分かりません。過去の経験から前者である可能性は極めて少ないように思っています。もしかしたら何か他の事情からコメントするタイミングを逸していることも考えられます。

いずれにしても自分自身の「答え」の正しさを確信されている方にとって、その「答え」から程遠い内容の説明は容易に理解できないものとなります。お互い分かり合うことができるパターンとして、どちらかが相手側の「答え」の正しさを全面的に認めるか、お互いが納得できる新しい「答え」を見出せた時に限られます。

公務員組合の政治活動への関わり方について、下っ端さんと私自身の「答え」は平行線のままなのだろうと思っています。必ず「答え」を一つに絞らなければならない場面だった場合、引き続き徹底的に議論していかなければなりません。最終的に多数決など何らかの決める手段を取り入れることも必要です。

しかし、このブログの場面では「答え」を一つに絞ることを目的としていません。私自身は記事本文を通し、私自身が正しいと信じている「答え」を不特定多数の皆さんに発信しています。その「答え」が誤りだと考える方々からはコメント欄を通し、それぞれの言葉でご意見や多様な情報を提供いただいています。このような関係性の中で、閲覧されている皆さんが、それぞれの言葉をどのように受けとめられるのかどうかだろうと考えています。

このあたりは以前の記事「このコメント欄の限界と可能性」を通して詳しく綴っていました。過度な期待や思い入れを慎みながらも、幅広い立場や視点からの説得力ある主張は、閲覧されている皆さんの考え方や実生活での振る舞いにも影響を与えていく可能性があることも信じています。もちろん私自身の言葉がそのような影響を与えられれば何よりなことですが、それこそ過度な願望は抱かずに背伸びせず当ブログと向き合っています。

前々回記事のコメント欄では、KEIさんから「幸いなことに、OTSUさんは気に食わないコメントだからって削除したりはしないお方です」とし、ヴォルテールの名言「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」まで紹介されながら「言論の自由の原則が守られていることを高く評価し、また感謝しています」という過分な言葉を頂戴していました。

確かにいろいろな「答え」を認め合った場として長く続けているブログですので、寄せられたコメントは即時に反映され、明らかなスパムではない限り削除することも想定していません。私自身に対しては「暖簾に腕押し」感を強められる方が多いのかも知れませんが、ぜひ、不特定多数の皆さんを意識したパネルディスカッションのような位置付けであることのご理解をいただければ幸いです。

以上のような場であることを踏まえた上、コメント投稿するかどうかは当たり前な話ですが、閲覧されている方々、個々の自由な選択や判断となります。 その上で私自身、幅広いご意見を伺えることの貴重さを重視しているため、一人でも多くの方からコメントをいただけることを願っています。私の「答え」が変わらないことにさじを投げ、コメント欄から離れて行かれた方々も出入り自由な場として、機会がありましたら再び貴重なご意見等を伺えることを心待ちしています。

さて、今回の記事タイトルは「言うべきことが言える組織の大切さ」としています。前回記事の冒頭に「連日、注目すべきニュースや話題がメディアから伝えられています。このブログにとって、いろいろな思いを託しながら新規記事につなげられる題材が目白押しの昨今だと言えます」と記していました。事実関係は一つなのでしょうが、関係者の主張が大きく食い違う場面の多さを指摘し、次のような言葉につなげていました。

遠慮や忖度は必要なく、事実のみ語ろうとする言葉は重く、説得力を感じることができます。一方で、事実を知っていながら、事実とは異なる説明をしなければならない方々の言葉だった場合、「記憶がない、覚えがない」という曖昧な語尾が多くなりがちです。そして、事実とは異なる説明を加えていることを自覚していながら、断定調に事実関係を否定される方も中にはいるのかも知れません。そのような場合、「覚えがない」という歯切れの悪い弁明をされている方々のほうが、まだ良心の欠片が残っているのだろうと想像しています。

前回、あえて具体例は示しませんでしたが、今回の記事では具体的な事例を示しながら本題とした論点につなげていくつもりです。問題視すべき事件や不祥事が生じた際、まず正確な事実関係の解明が欠かせません。関係者を処分するために必要な手順ですが、生じた背景や理由が適確に把握できなければ、今後の再発防止に向けた対策や体質改善をはかれない恐れがあります。

真相究明や責任者の追及が疎かにされた場合、事件を引き起こしている原因が除去できず、あるいは張本人を居座り続けさせる最悪な事態を招きかねません。そうなった場合、事件や不祥事が繰り返される可能性は高くなります。最近の事例として、セクハラ問題で狛江市長が、悪質タックル問題でアメフト部の監督を務めていた日大の常務理事が辞任に追い込まれました。二人とも事実関係について全面的に認めた訳ではなく、当初、辞任まで考えていませんでした。

それに対し、狛江市では副市長以下が事実関係を毅然と指摘し、最後はセクハラ被害を受けた女性職員4人の実名告発が決め手となっていました。日大常務理事の場合、悪質タックルを指示されたと見られているアメフト部員の記者会見を皮切りに真相が明らかになり、前監督の言葉の信憑性のほうが問われ続けたからです。騒がれ始めた時点では、二人とも深手は負わずに逃げ切れるものと楽観視していたのでないでしょうか。

それぞれ悪質さが際立っていたことも確かです。ただ何よりも事実関係を偽らず、自分自身の知り得ることを語り始めた方々の多さが二人を辞任に至らせた大きな要因だろうと考えています。一方で、森友学園や加計学園の問題では事実関係が依然として不明瞭なままです。少し前の記事「再び、森友学園の問題から思うこと」の中で綴ったとおり金銭が絡まなくても行政に対して不当な圧力を加えること自体、罪に問われる場合もあります。

そして、何よりも「政府が正確な情報を包み隠さず国民に伝えているのかどうか」という論点のもと決して矮小化できない問題だと思っています。さらに部下が上司に意見具申しづらくなっている行政組織に陥っていないか、様々な論点が内包した問題であるのにも関わらず1年以上も迷走しています。追及している野党側の手法や世論喚起の工夫にも注文を付けたい点が多々あります。例えば官僚を高圧的な姿勢でなじる場面などは世論に対して逆効果なような気がしています。

国会質問で「あなたの記憶は、自在になくしたり、思い出したりするのか」という受けを狙ったようなフレーズも空回りしがちです。単なるスキャンダルではなく、贈収賄事件に至らなくも「絶対曖昧にしてはいけない」問題として、国民に向けて論点を提起できるような言葉を野党側には発信して欲しいものと願っています。加えて、与党内からも「問題視すべき点は問題提起する」という当たり前な姿勢を示せる政治家が増えることを望みたいところです。

組織に縛られ、自分自身の立場や生活を守るため、言うべきことが言えない時も多いのだろうと思っています。事実関係を知っていながら話せない、場合によって偽ったことを語らなくてはならない時、良心の呵責に苦しまられている方々も多いのではないでしょうか。そのような方々の弱さも責めるべき点なのかも知れませんが、強いている組織やトップの体質が最も問われるべき点だろうとも考えています。

学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設をめぐり、学園が安倍晋三首相と加計孝太郎理事長の面会はなかったとのコメントを出したことについて、同学園の渡辺良人事務局長は31日、「架空の情報」を伝えていた愛媛県庁と今治市役所をそれぞれ訪れ、謝罪した。渡辺氏は県庁で「県に多大なご迷惑をおかけし、誠に申し訳ない」と述べた。台湾に出張した中村時広知事に代わって対応した西本牧史企画振興部長は「県に誤った情報を伝えていたことは重大と受け止めている」と語った。

県文書には、学園から県に対し、2015年2月25日に加計氏と面会した首相が「新しい獣医大学の考えはいいね」と発言したとの報告があったと記載されている。これについて渡辺氏は記者団に「(獣医学部を)何とか一つの形にしたくて、私が言ったのだと思う」と説明した。ただ、渡辺氏は加計氏による指示については「全くない」と否定。「架空面会」について、加計氏から「紛らわしく不適切な言葉だ。言うものではない」と注意されたことも明らかにした。学園は26日に発表したコメントで「実際にはなかった面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思う」として、面会を否定した。【時事通信社2018年6月1日

「私が言ったのだと思う」と語尾を濁し、断言できないところに事務局長の良心の欠片を感じさせています。ちなみに私自身の職務として、これまで千人以上の方々と面談しています。それぞれの相談内容をすべて記憶していくことは困難です。そのため、必ず相談した内容は経過記録に残していきます。再度お会いする際、その記録を読み返すことで記憶を蘇らせています。まったく思い出せないケースもありますが、書かれている記録の正しさを前提に対応していくことになります。

定型的な相談内容の場合、数日前の面談でも記憶が曖昧になる時もあります。一方で、特異な折衝内容や印象深い言葉を記録に残していた場合、数年前の面談だったとしても記録を読み返すことで、その時の記憶が鮮明に蘇ります。首相が「新しい獣医大学の考えはいいね」と発言したという紹介は、なかなか特異で印象深い言葉です。普通に考えれば、記録を読み返した時、そのように説明したのかどうか記憶は鮮明に蘇っていたはずです。

森友学園や加計学園の問題では記憶の不鮮明な方が多く、たいへん残念なことです。言うべきことが言える組織は、より望ましい「答え」を見出すためにも、取り返しの付かない過ちを未然に防ぐためにも大切なことです。一人や一つの「答え」に縛られず、多面的な検証のできる関係性が望まれています。組織の上下関係から離れ、言うべきことが言える役割の一つを労働組合は担わなければなりません。

狛江市と日大の組合も大きな節目に一定の見解を表明されていました。このような動きに接し、以前、私どもの組合も同様な対応が求められていたことを思い出しています。「組織の力、大事な力」という記事の中で「一職員の立場では、いろいろな思いを市長に抱いても面と向かって口に出すことはあり得ないはずです。思ったことをストレートに伝えるというのは職場の上司に対しても簡単ではないかも知れません」と記し、 一人ひとりの力は弱くても、一人ひとりが組合という組織へ結集することの大切さを訴えていました。

いつものことですが、今回もたいへん長い記事になっています。もう少し続けますが、今回記事の論点の参考として、私どもの組合の取り組みの近況を報告させていただきます。今月17日に行なわれる市議選に向け、応援職員の従事方法等の見直しがはかられました。組合ニュースに掲げた内容を下記に示していますが、有無を言わせない職務命令での時間外勤務が強いられるような懸念もあったため、人事当局に申し入れながら確認した点です。

選挙事務の職員配置について、問題が生じた場合は労使協議の対象に 今回の市議選から選挙事務の従事に対し、事前の応援職員には兼務発令を行ない、投開票日についても人事課が職務命令として指名する方法に改められます。全市をあげて取り組むべき重要な公務であり、見直し自体は了解していますが、問題が生じた場合は労使協議の対象とすることを確認しています。なお、職員の指名に際し、絶対拒否できないような強権的な職務命令にならないよう申し入れています。

言うべきことが言える組織の大切さとして、職務における上下関係の風通しの良さも欠かせません。今年3月末の記事「人事・給与制度見直しの労使協議」で伝えているとおり今年度から査定昇給制度が本格実施されます。人事評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるようになっては問題だと考えています。今回の記事を通して訴えてきた論点を重視する上でも、労使確認した仕組みについて検証していく運びとしています。最後に、やはり組合ニュースに掲げた内容を紹介し、たいへん長くなった記事を終わらせていただきます。

人事評価に基づく査定昇給が今年度から始まります。組合は生涯賃金に大きく影響する査定昇給の実施に向け、より望ましい制度とするよう慎重な姿勢で労使協議に臨んできました。一人ひとりのやる気を損ねず、組織そのものを活性化させていくため、従来通り4号給昇給していくB評価を基本とすべきという判断のもと様々な手立てを確認してきました。特に評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるようになっては問題です。また、部下との相性で結果が変わるような恣意的な評価を防ぐため、第2次評価者とのダブルチェック機能も重視しています。今後、このような仕組みが充分機能しているかどうか検証していかなければなりません。

人事評価制度が施行されているため、昨年度の業績評価の結果が一時金の率に反映されることになります。査定昇給も今年7月から本格実施されます。恣意的な評価結果が生じていないかどうか、労使確認した事項が実効ある運用がされているかどうか、労使協議を通して点検していきます。システム改修が伴っていたため、人事評価のコメントは6月に入ってから職員全員に開示されます。開示後、休日を除く20日以内に改めて苦情の申立ができますので、評価結果に疑義のある方は積極的に制度を活用してください。7月の昇給以降に異議が認められた場合、遡及して正当な評価結果に基づく差額を支給します。

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