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2018年5月12日 (土)

再び、ネット議論への雑感

かなり前に「ネット議論への雑感」という記事を投稿していました。今回の記事を書き進めるにあたり、まずタイトルをどうしようかと考えました。前々回記事「役に立たない組合はいらない?」と前回記事「日本国憲法が大きな岐路に」のコメント欄に何人かの方から私自身の姿勢に対し、手厳しい意見や指摘が寄せられていました。

そのため、書きたいこと、書かなければならないこと、いろいろ頭の中に思い浮かんでいます。土曜の朝には「コメント欄を通し、私からお答えすべき点について即応したほうが望ましいのだろうと理解しています。それでも記事本文を投稿する週末に至っていますので、いろいろ思うことを新規記事の中で綴らせていただくつもりです」と記していました。

皆さんから寄せられている疑問に対し、どこまでお答えできるか分かりませんが、インターネットを通した議論に思いをはせながらパソコン画面に向かっています。ただ具体的なタイトルにつなげられるような題材や論点が絞られている訳ではなく、また書き進めるうちに話が広がることも見込まれていました。

そのようなことを考えているうちに「ネット議論への雑感」というタイトルの記事を思い出し、今回の記事に「再び」を付けて書き始めています。以前の記事の中には次のような記述を残していました。このブログのコメント欄に関し、大多数の人たちが匿名によるコメント投稿となる「掲示板」的な場として、様々な議論に触れられることを歓迎しています。

その匿名の利点は、飾らない本音の議論ができることだと思っています。遠慮のない言葉や誹謗中傷の応酬となるリスク、「諸刃の剣」的な側面がつきまといますが、おかげ様で殺伐とした雰囲気になることが極めて少なく、これまで続けてくることができています。ひとえにコメント欄での常連の皆さんのご理解やご協力の賜物だと感謝しています。

そもそも匿名で発信できるということは、立場などの成りすましや都合良く情報を操作することも可能となります。それはそれでモラルの問題となりますが、このようなネット上の私的な場では特に何か問われるものではありません。誰がどのような立場で書いたかは、それほど大きな問題ではなく、その人が書き込んでいる言葉、つまり内容がどのように他の閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、逆に反発を招くかどうかの関係性だろうと考えています。

このブログを続けていく限り、これからも以上のような思いを念頭に置いていくことになります。当然、実質的には匿名となっていない私自身の発信する内容も同様な関係性だろうと考えています。閲覧されている皆さんから共感を得られるのか、批判や冷笑の対象となるのか、発信する内容はもちろん、一言一句が大事なことに変わりありません。

ただ注意しなければならない点として、実際に面と向かった場面でも意思疎通の行き違いがあります。それこそ言葉だけの意見交換となるネット上では実際の場面以上に思いがけない行き違いが生じがちです。書き手側の言葉不足や表現力に問題がある場合、もしくは読み手側の早とちりや誤読が原因になることも考えられます。

さらに議論を成立させるために必要な前提が人によって異なることにも留意しなければなりません。このあたりは以前の記事「このコメント欄の限界と可能性」を通して詳述していました。例えば「自治労」という組織に対する基本的な事実認識が異なっていた場合、提起されている問題意識や論点がうまくかみ合わないケースも目立ってしまいます。

加えて、自治労は所属している組合一つ一つの連合体であるため、個々の組合のカラーが大きく違う場合も見受けられます。そのため、同じ自治労の組合員同士でも普段見ている組合活動の風景が違う中で、ネット上で議論しているケースもあり得ます。その上で、どの組合も共通している点については当ブログを通し、自信を持って断定している言葉があります。

前々回記事「役に立たない組合はいらない?」の中で、決して特定の団体のために余計な組合活動があるのではなく、すべて「組合員のため」を目的としています、という言葉です。政治活動も同様ですが、この言葉の意味合いが誤解を招いているようです。もちろん特定の政党や政治家のために組合活動がある訳ではありません。しかし、特定の政党や政治家を自治労や各単組が支持することを否定している言葉ではありません。

特定の政党や政治家と支持協力関係を築くことが「組合員のため」になり、「組合員のため」になることを第一義的な目的として一定の政治活動にも力を注いでいるという説明を繰り返しているつもりです。政治活動から一切手を引くべき、特定政党の支持はやめるべき、いろいろな考え方があろうかと思っていますが、これまで自治労や私どもの組合方針は政治的な立ち位置を明らかすることが多くなっています。

そのような方針に対し、このブログのコメント欄では批判的な意見が目立ちがちです。その中で、たいへん残念で不本意な指摘まで受けてしまっています。「自分たちの主張は正しく、受け入れられて当然。より、訴えを強化して、知ってもらわないといけない」と考え、現実世界では通用しない脳内世界で私たちが判断しているという指摘です。「施策の方針・考え方が十分に理解されているからこそ、正しい理解に基づいてそれに対する拒絶反応が生じている」とは、思いもよらないと思います、という言葉にも寂しさを強めていました。

政治的な個々の方針に対して組合員の中に幅広い見方があることを人一倍認識しています。しかしながら私自身、組織的な手続きを経て確認した組合方針を誰よりも守らなくてはならない立場です。その方針の基本的な方向性を正しいと信じている立場でもあり、だからこそ「なぜ、取り組むのか」という丁寧な説明の必要性を重視してきています。このブログを開設した目的も、そのような説明の機会の大切さを感じているからです。

このような立場性をご理解いただいていると思われる常連の方から無記名アンケートで「過半数の回答を単組の方針にしてはどうでしょう」という問いかけがあったため、正直なところ驚きと落胆が織り交ざりました。問いかけではなく、「私が単組の委員長であれば、このようにして自治労方針を改めていきます」と結ばれていれば、その是非を私がコメントする立場ではなく、話が広がることもなかったはずです。

ちなみに組合員全員を対象にした無記名の投票として、組合役員の信任投票ストライキ権の批准投票があります。それぞれ投票率は90%を超え、全役員信任が70%以上で、最高位となる私自身の信任率は90%を超えています。批准投票での賛成率も90%に届いています。政治方針を含めた組合活動を直接評価する投票ではありませんが、組合員の皆さんからの信頼度をはかる大きな目安としています。

ネット議論への雑感として、もう少し書き進めなければなりません。人それぞれが培ってきた経験や得てきた知識によって基本的な考え方は枝分かれしていきます。その基本的な考え方の違いから同じ事象に接していても、物事に対する評価や賛否が大きく分かれがちです。当たり前なことかも知れませんが、個々人それぞれが正しいと信じている評価や賛否、つまり「答え」が唯一無二のものとなります。

その「答え」から極端に離れた考え方や見方に接した場合、どうしても批判的な口調になりがちな方々が多くなることも仕方のない関係性だろうと思っています。このブログにおいても私自身の「答え」に対して痛烈な批判が繰り返されたケースは数え切れません。私の「答え」が変わらないことに苛立ち、コメント欄から離れて行かれた方も多いようです。その点は以前の記事「出入り自由な場として」の中で記しているとおりです。

〇か×かで問いかけられ、どちらか明確に応答しない時があります。〇か×か明確化した回答を求めている方に対し、答えをはぐらかしているような印象を与えてしまっているようです。それでも〇か×かだけでは答えられないケースが多いことも確かです。安倍首相に対する批判の仕方について、私自身はそのような手法や表現方法は取らないと言い切れる場合でも、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないケースもあります。

常連の皆さんの多くからはご理解いただいている点ですが、このような答え方の正しさを押し付けるつもりもありません。あくまでも冒頭に述べたとおり私自身が書き込んでいる言葉や内容がどのように閲覧者の皆さんの共感を呼ぶのか、逆に反発を招くかどうかの関係性だろうと考えています。そもそも当ブログにおいて「答え」を一つに絞ることは目的にしていません。

多様な意見や情報に触れ合えることの貴重さを感じ取りながら、実生活の場面での判断材料や参考情報につなげていければ何よりなことです。もちろん「なるほど」と思えるコメントに接した時は自分自身の旧来の考え方を改める機会にしていくつもりです。その逆に私自身が発信している主張に対し、一人でも多くの方から少しでも「なるほど」と思っていただけるようであれば本当に幸いなことです。

最後に、直近のコメントを意識した記事本文としていますが、今回、どなたのお名前も上げないまま書き進めてきました。一般論の話とするよう意図したものであり、もし取り上げ方で失礼さを与えているようでしたら申し訳ありません。また、コメント欄で示されていた具体的な政党の話など、すべて網羅できていませんが、機会を見ながら次回以降の記事本文で扱っていければと考えています。

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コメント

データ(事実認識)、ワラント(解釈)、クレーム(主張)を主軸とした、
「トゥールミンの三角ロジック」を意識することが、議論をする上で大切でしょうね。

投稿: | 2018年5月13日 (日) 13時38分

>メーデーに参加した当該の組合が「是」
>としているように権力者に対する批判の
>仕方として許容範囲としている方々も多い

https://twitter.com/asunokaori/status/991180199822671872

特定集団に属する多くの人が「是」とするならあなたも許容するわけですかね?

ドイツ労働者党という特定集団に属する多くの方はユダヤ排斥を「是」としていました。
これを許容範囲とする行為と、あなたのしている行為とはとても似ていますね。

権力者なら罵倒中傷記事を貼り付けてロケットにくくりつけても許容範囲。

ロスチャイルドを筆頭に世界支配を狙う金持ちユダヤ人に罵倒中傷記事を貼り付けてロケットにくくりつけても許容範囲。

両者の差は、かなり小さいと思いますよ。

また、抽象的な長文、結局何を言いたいのかわかりません。このようにしてここに来る人達は選別されるのか、という感想だけが残りました。

なお、上の名無し投稿は私ではありません。念のため。

お疲れ様でした。

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年5月13日 (日) 15時27分

○連合と自治労と単組と。

緩やかな連合体であり、単組には単組の方針があるということは承知しています。
「単位組合 -> 自治労 -> 連合」が「単位団体 -> 連合会 -> 中央会」の三層構造に類似している様相であると。

私が知っている単組さんは、自治労傘下で、新社会党さんを支持してましたからね。連合さんが民主党支持の方針をだしていても。
被災地での選挙運動で、あれだけ世話になった自衛隊を全否定する運動をするんですから、筋金入りですよ。
そういう例も知っているので、単組の自律性については理解していますよ。

批判するにも相手の主張を正確に知る事は大事だし、社会勉強だと思って、足を運んで色々見聞きする訳ですが、まぁ濃いですわ。
嘗てで言えば、国労さんとか全逓さんとか、社青同さんとか解同さんとか、色々見聞できますんで。政党で言えば、新社会党さん(旧社会党の左側の極です)とかね。
自治労さんと言えば、国費評議会さんもなかなかの強者でしたし。(今のままじゃ第2の国労ですよって忠告したんですけどね。案の定自滅しましたけど。)
私が直接に見聞きした範囲が、そういう領域を中心にしてるので、認知のバイアスが生じているのは否定できません。知見の範囲が偏っています。

○労働運動と政治運動と。

これから申し上げる事は、特定の労組や職員団体を念頭に置いては居ません。全体としての労組界隈についてです。
私は、労働運動については、必要性を理解しているつもりです。
労働法についてもある程度は勉強しましたので。労組や職員団体の法制上の歴史的経緯も含めて。

で、今の世情における労働運動というか「労働者の団体行動の必要性」については、必要性を痛感している面があります。
にもかかわらず、現状の労組の組織率や労働運動を取り巻く現状では、シャレにならんと。
であるから、「原点に返って、労働運動に特化する。政治運動は排除する。それによって、組織率(社会に対する影響力/発言力)を高める。」という方向性を指向します。

要は、「仲間内でなく、組織の外の人の支持を集めないと、立ちゆかない。求められているモノに応えられない。」という危機意識ですね。
組織の外の人の支持が得られれば、組織率も上がり、社会に対する影響力/発言力も増すでしょう。

もう少し「組織の外の人の目とか意識」に敏感であって欲しいのですよ。政治活動をするのであれば。組織の外の人を味方にして政治的主張への支持を広げる為にも。
労働運動に特化するのであれば、使用者と従業者の問題ですから、組織の外(社会の目)のことなんて、顧慮する必要は無いと思いますけどね。

不当と思われる公務員批判に反論していたら、肝心の職員団体がぶち壊すような言動をして、後から弾が飛んできたりしたこともありますし。(トホホ;;

○野党と政治運動と。

野党さんに関して、
今、「まともな野党」が絶対に必要なんですよ、社会・経済環境や人口構造を前提に、政治的な立ち位置として「現実的な PLAN-B が絶対に必要」なんです。
単に与党を批判するんでなくて、「PLAN-B が最善であるから、PLAN-A を批判する」というスタンスが是非必要なんです。

前に言いましたが、「形式的(制度的)には ”イギリス型の議院内閣制" が整っている」という状況ですから、「現実的な PLAN-B を用意して、現実とのギャップを埋めながら、着実に実行できる野党」が必要なんですよ。
職場放棄(職務放棄)して、職場の外で「官僚虐め・議員という権力に胡座をかいたパワハラ」に現を抜かしててどうすんですか。
これだけ、官僚を不当に虐めておいて、政権交代したら上手く行くわけもないですよ。官僚組織を掌握できるはずがない。
政権与党を批判するなとは言いませんが、こんな調子では、どうにもならんですよ。本気で政権交代するつもりはないでしょう。支持者向け(内輪向け)に政権や官僚いぢめでパフォーマンスしてるだけで。

で、「まともな野党」という意味では、「まともな野党を育てるでもなく、甘やかし放題で、今の野党を育ててきた、野党支持団体のあり方」について、強烈な不満を持っています。
なので、「野党批判」と表裏一体のモノとして、「全体としての野党支持団体」への批判を行っています。
危機感の裏返しとして、かなり強烈な語彙を選択していますから、いつもより痛烈な言い方をしていると思います。
しかし、強調しておきたいのは、個別の団体ではなく、全体としての支持団体を念頭に置いているということです。要は、俯瞰した目で全体を一括りにして批判しているということです。

○労組と職員団体と政治運動と。

前にも、言いましたが、とりわけ職員団体が政治的な働きかけを全くしないというのは現実的では無いと思っています。雇用主は”政治そのもの”なんですから。
しかし、線引きはあるんじゃないですか?と言う話です。

投稿: あっしまった! | 2018年5月13日 (日) 15時28分

ちょと、補足。

「被災地での選挙運動で、あれだけ世話になった自衛隊を全否定する運動をするんですから、筋金入りですよ。」という投稿をしましたが、東日本大震災ではありません。もっと昔の震災での話です。
私も当時は現地に居所があって、直接見聞きしましたから。

流石に、最近の震災では、被災地で往事のような政治的な自衛隊批判を表立って見聞きする事は減っているように思います。

単に「被災地」というと、どうしても東日本大震災が念頭に浮かんでくる方もおられると思いますので、念のため、補足しました。

投稿: あっしまった! | 2018年5月13日 (日) 15時32分

組合は、自分たちの生活や組織を守る(劣悪にしない)ために必要なのは、何となく感じている。
でも、活動内容はサッパリわからないし、分会の役員や、何とかデモの動員なんか、まっぴらゴメンで絶対にやりたくない、出たくない。
何もしない、関わらないことが前提だけど、入っておいた方が無難だから(感覚的に)組合を脱退しない。

多くの、本当に多くの組合員の認識(危機感)は、そんなところです。

それほど、今の地方公務員は、処遇面で戦うべき要素が無いんですよ。すごく裕福、まではいかないが、困らないだけの生活は出来ちゃう待遇ですからね。
変に騒いで市民感情を悪化させるくらいなら、現状維持程度で十分。
でも、万が一というか、何となく不安もあるから、組合には加入しておこう。

そんな人達が動員で参加した総会で、意思表示をするかどうか。実際の数値じゃないんですよ。どれだけ信任を得たかなんて、実体のない数値でしかない。
基本、関わりたくはないのだから、動員で出た総会で意思表示なんかする訳がない。みんな聞いていない話に拍手してチャンチャン。
少なくとも、数値に満足するのではなく、そういう実体の危機感をお持ちになられた方がいいのではないですかね。

原発○○デモ
沖縄基地反対デモ
憲法守る署名
etc
喜んで参加したり、署名をする人、ほぼ見たことないです。というより、職場で組合のペラを回覧しても、ほぼほぼスルーです。署名も空欄のまま。これも実体です。

投稿: 下っ端 | 2018年5月13日 (日) 16時47分

以下は一般論として。各組織によって、実情は千差万別でしょうから。

しかし、そうは言っても、
個人的には、下っ端氏のご見解の方が、実態に近いんだろうと思います。
多くの場合、関わりたくないからこそ、黙ってる。
そうすると、反対意見が表出しないから、賛成と信任を得たと解釈される。

ある意味で、「相手にしたくないからこそ聞き流されて、形式的には可決される」って状態は、「反対意見が堂々と主張される状況」よりも遙かに深刻なんですけども、この辺りの現状認識の相違は深いと思います。

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私も嘗ては組合員という立場に居たことがあったんですけど、
かつてのワタクシの場合は、「堂々と批判意見を言いまくる(ある意味で役員にケンカを売る・反対の立場から議論をふっかける)」という態度でした。
けど、「関わりたくないからと無視して黙ってる(結果、賛成派と看做される)組合員よりも、考え方を堂々と口にする私の方が、ある意味で安心(計算)できる」みたいなコトを役員さんから言われたりした経験もありますけども。

んで、動員とかには応じてましたが「これだけ反対意見を公言してるんだから、動員に連れて行ってもオルグにはならんでしょう」なんて不躾に聞いてみたりすると、

「キミは、批判するにも相手の主張を正しく知る必要がある、社会勉強として参加する意味はあると公言した上で参加してるだろ。
で、参加した以上は、賛否は別にして黙って相手の言い分を聞こう・行動様式を理解しようと、現場ではおとなしく流れや指示に乗ってくれるし。
ある意味安心して動員の現場に連れて行けるんだよ。」なんて言われたりして、

「普段は、黙ってるから賛成と看做される人だって、動員にはなかなか応じてくれない。
主義主張が正反対であっても、指定された人数を揃える為には、誰かを連れて行くしかないしな。
動機はどうであっても、指示された人数枠を埋めるには、計算できる(重宝できる)存在なのよ。」とかも言われたり。

一般化は出来ませんけど、そういう「上の指示だから仕方なく動員に応じる」っていう末端の状況ってのは、そこまで特異なことではないと思うんですよね。

投稿: あっしまった! | 2018年5月13日 (日) 18時40分

>無記名アンケートで「過半数の回答を単組の方針にしてはどうでしょう」という問いかけがあったため、正直なところ驚きと落胆が織り交ざりました。
え?「全役員信任が70%以上」で「スト権批准投票での賛成率も90%」なんでしょう?何の心配もないじゃないですか?やりましょうよ!
…などと諸刃の剣になるかもしれないけど煽ってみるKEIです。

つーかOTSUさん自身も詭弁だとわかってて取り上げてるんですよね?

●信任投票
不信任を入れる人の気が知れないんですが。「じゃあお前やれよ!」って言われたらどうするつもりなのか。

●スト権批准投票
「もし指令が来たら本当にストをしなければならない」ってことを真面目に考えて投票してるんだろうか?とは思います。
僕は×を投票しているクチですが、組合の決定が批准である以上指令には従うつもりではあります。でも〇を投票してる他の組合員はどうなんだろ…?

投稿: KEI | 2018年5月13日 (日) 20時37分

少し補足を。

信任は問題ないのですよ。実際に信任を得て、総会で総意を得ているわけですから。
そのこと自体は正しく、問題などあるわけないのです。

その上で、そんなこと私に言われなくても管理人さんは十分に感じているのでしょうが、実情の把握はやはり大事なのではないかと。

その実情を鑑みれば、組合活動を超えた平和活動や政治活動は、ドン引きされることはあっても、なかなか賛同は得られないのではないでしょうかね。

信念も大事ですが、信念だけでは組織を維持するのは難しい。時代は変わりました。組合員が持つ組合の認識や、組合員が組合に求めることも、変化してしまいましたからね。
組合以外の活動が、変化させてしまったのかもしれませんが・・・・・

投稿: 下っ端 | 2018年5月13日 (日) 20時38分

○スト権批准投票

公務員法上の職員団体に対して、これは確かに意味不明ですね。
「法律上、明確にスト権が否定されている職員団体において、スト権批准投票ってなんなのよ」という印象です。

職員団体の組合員に対して、役員という立場で統制権に服する構成員に対し、暗黙裏に「違法行為の実行に協力せよ」って言ってるような話ですしね。

投稿: | 2018年5月13日 (日) 20時46分

2018年5月13日 (日) 20時46分の投稿は、ワタクシ「あっしまった!」によるものです。ペコリ。

投稿: あっしまった! | 2018年5月13日 (日) 20時47分

2018年5月13日(日)13時38分に投稿された方、三多摩すごいね(凄いね)さん、あっしまった!さん、 下っ端さん、 KEIさん、コメントありがとうございました。

日曜の夜ですので今回の記事本文に綴った論点について、いくつか補足させていただきます。まず自治労に属している組合の現況に対し、あっしまった!さんや下っ端さんらと大きく変わらない問題意識を抱えているつもりです。その上で今後、選択すべき望ましい「答え」が大きく違っているようです。このあたりについては機会を見て改めて記事本文で取り上げさせていただくかも知れません。

>特定集団に属する多くの人が「是」とするならあなたも許容するわけですかね?

三多摩すごいね(凄いね)さんからのご指摘ですが、そのように答えたつもりはありません。今回の事例に対しては様々な見方があるという例示です。念のため、これまで当ブログの中でも絶対駄目な言動に対しては迷わず「×」と言い切っています。今回の事例に関しては、自分自身は推奨しないが、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないという説明を繰り返しています。

今回の記事本文の中で記していますが、ご自身の「答え」から極端に離れた考え方や見方は、どうしても「結局何を言いたいのかわかりません」という関係性に陥ってしまうのかも知れません。ただ批判者に迎合し、自分自身の「答え」を変えるほうが不誠実なことだろうとも考えています。

投稿: OTSU | 2018年5月13日 (日) 21時46分

OTSU氏を非難するつもりは全くないことを前提に

>ご自身の「答え」から極端に離れた考え方や見方は、どうしても「結局何を言いたいのかわかりません」という関係性に陥ってしまうのかも知れません。

一部の理解不能なコメントを除き、ほとんどの場合は
上記に該当しないと思います。
単純にイエス、ノーのシンプルな答えを期待したが、色々
と言葉を選びかつ複雑な回答したがゆえ、答えが理解できないあるいは、答えの的が外れてると思いいたったゆえの
発言であろうと。
数学で言うならば、すっきりとした整数解を期待したが
難解な背理法による証明で説明した。
これはどちらが正解ではなく、求めるものの違いであると
思います。

投稿: nagi | 2018年5月14日 (月) 11時26分

自分自身は推奨しないが、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できないという説明を繰り返しています。

それって単なる「黙認」そのものではないですか。

「特定集団に属する多くの人が「是」とするならあなたも許容」
と、
「自分自身は推奨しないが、他の方が試みることまで絶対駄目だと判断できない」
とは、実質的に違いますか?黙認と許容とはそんなに違いますかね?


自分の所属集団に忖度して、直接名前をだした言及や批判は避ける。
自分の所属集団に忖度して、「私は反対だが」黙認する。

これ、「大人ならOTSU氏が背理法でしか意見を表明できない」と、こちらが忖度しなければいけないのですかね?

OTSU氏は官僚の忖度に賛成していましたっけ?むしろ批判していたように思いますが。

首相や昭恵夫人には「忖度されたことの責任」を追求し、ご自身は自分の所属集団に忖度して黙認を重ねているように見えます。
違いますかね?

投稿: 三多摩すごいね(凄いね) | 2018年5月14日 (月) 18時53分

組合は、組合活動だけ行っていればよかったのに。

いつの間にか組織は大きくなり、力を得た組織はもっと力を求めるようになり、政党を支持し、国政に進出も果たし、気が付いたらは必要のないほどの力を得てしまった。

組織や権力は絶大な力を発揮し、自分達の発言力や影響力は目に見えて大きくなり、まるで、正義を貫く大きな力を天から授かったと過信するほどの、勘違いを生み出してしまった。
本当はただ、働く仲間達の明日に希望を灯す、助け合い運動でしかなかったのに・・・・・

一度手にした権力は、力は、組織は、もう手放せませんよね。だって、力に酔いしれ、本来の目的も忘れ、「正義と平和」いう言葉に都合よく言い替えた、ただの過信と思い込みを振りかざすだけの結末。

そんな滑稽な姿に見えてしまうのは、私だけでしょうか。
そんな悲しい結末を想像してしまうのは、私だけでしょうか。

投稿: 下っ端 | 2018年5月14日 (月) 21時48分

>下っ端氏

やはり、数は力なんですね。そして力を持った組織は
やがてある種の権力となる。権力は必ず腐敗する。
組合が腐敗していくのも当然のことです。権力が腐敗する
とは多くの人が指摘し、それを監視し批判するためにメデ
ィアが存在しています。
しかし組合を監視、批判することはなかなか難しい。
今の現状は当然の帰結と言えるかもしれません。

投稿: nagi | 2018年5月15日 (火) 09時48分

nagiさん

その通りですね、としか言いようがありません。

執行委員長という立場が、本当は理解できるはずのことを曇らせてしまうのですかね。

そういう私だって、決して人のことを言えるような行いが出来ているわけではありませんが。

投稿: 下っ端 | 2018年5月15日 (火) 19時02分

>やはり、数は力なんですね。そして力を持った組織は
>やがてある種の権力となる。権力は必ず腐敗する。

このあたり、ちょっと首肯しかねるんですよねえ…
コレが半ば定説化しているせいで、
マスコミや「じちろう」が展開するようなデタラメな政権批判が正当化されてしまっているように思えます。

投稿: KEI | 2018年5月15日 (火) 21時11分

nagiさん、三多摩すごいね(凄いね)さん、下っ端さん、KEIさん、コメントありがとうございました。

ネット議論の難しさなどは今回の記事で改めて綴らせていただきました。その上で、せっかくやり取りが続いていますので、三多摩すごいね(凄いね)さんの問いかけに対して少し補足させていただきます。

そもそも所属集団云々で答えていません。「忖度」という話まで出てきて驚いています。民主党政権を期待した立場でしたが、仮に鳩山元首相らがミサイルに括り付けられていたとしても権力者を批判する手法として許容範囲だと答えます。

自分自身が行なうかと問われれば明確に「×」であり、他者が行なうことについて絶対「×」だとは言い切れない、このような説明を繰り返しています。

例えばSNSでの「成りすまし」について私自身は行ないません。ただ他者が行なっている場合、今回の記事にも記したとおりモラルの問題を問われますが、絶対「×」だとは言い切れない、このようにとらえています。

具体的な例示をしたことで、また顰蹙を買ってしまうのかも知れませんが、絶対「×」だとは言い切れない、だから「〇」とは言えない、やはり断定的に答えられない設問も数多いのだろうと思っています。

三多摩すごいね(凄いね)さんにとって絶対「×」と言い切るべき問題であるため、いろいろな見方につながっているようですが、記事本文にも記したとおり私自身の「答え」を押し付けるつもりもありません。

このような説明に対し、閲覧されている皆さんがどのように受けとめるかどうかの関係性だろうと考えています。ただ不本意な趣旨での批判につながっていましたので改めて補足させていただきました。

なお、「組合が腐敗していくのも当然のことです」「執行委員長という立場が、本当は理解できるはずのことを曇らせてしまうのですかね」などという極めて不本意で残念なコメントが寄せられてしまっています。

決して容易な試みとは思っていませんが、こちらは新規記事を通して少しでも不名誉な見られ方が払拭できるように努めていければと考えています。ぜひ、これからもご訪問いただければ幸いですので、よろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年5月19日 (土) 06時56分

>仮に鳩山元首相らがミサイルの括り付けられていたとしても権力者を批判する手法として許容範囲だと答えます。
「事実に対して仮定を持ち出す」詭弁のガイドライン第1条ですね、わかります。

つーかですね、民主党時代の野党支持者に「じちろう」にたまに載る風刺漫画みてーなきめぇオブジェを有難がっていたような連中はいましたか!?
それが全てだと思うんですけど?

投稿: KEI | 2018年5月19日 (土) 07時53分

>極めて不本意で残念なコメント

そう受け止められることは想定したうえでのコメントです。
では、私から。

組合が本来の目的を逸脱した、組合と関係のなり活動をすることに対して、極めて不本意で残念と考えている組合員からのコメントとお受け止めください。

投稿: 下っ端 | 2018年5月19日 (土) 09時40分

KEIさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。

>「事実に対して仮定を持ち出す」詭弁のガイドライン第1条ですね、わかります。

「安倍首相だから」という話ではなく、トランプ大統領でもプーチン大統領でも、権力者を批判する手法として許容範囲だと説明したつもりです。

下っ端さんのコメントに関しては新規記事を通して、改めて私自身の思いを綴っています。容易に分かり合えないものと思いますが、ぜひ、ご覧になってください。

投稿: OTSU | 2018年5月19日 (土) 18時32分

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