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2018年3月18日 (日)

再び、森友学園の問題から思うこと

新年度に向けた職員配置数を決める労使交渉は先週末を決着期限としていました。先週金曜の夜、最終盤の労使協議を集中的に重ね、大筋合意の団体交渉を終えた時、時計の針は土曜の零時5分を指していました。昼間、交渉担当の副市長とお話した際、私から「体力勝負の消耗戦とならないよう早めに判断し、金曜の夜のうちに帰りたいものですね」と投げかけていました。

今年は朝を迎えることはありませんでしたが、金曜の夜のうちに解散することはできませんでした。いくつかの職場で組合要求に応えた増員回答が示される中、時間外勤務の多さからも必ず得たいと考えていた係の1名要求が残念ながらゼロ回答のままでした。職員の増配置で解決できる現況ではなく、仕事全体の進め方を見直すことで対応したいという説明が市側から加えられていました。

組合としては「まず現場からの切実な増員要求に応えた上で、それはそれで進めていくべきものではないか」と反論していました。結局、この係の要求だけは週明けに情報収集を進め、最終判断する扱いとなっています。そのため、金曜深夜の時点で今期の人員交渉は「大筋合意」という表現にとどまっていました。いくつかの職場の要求に対し、前進した回答が示された際、この係も同様に増員回答が示されていれば金曜の夜のうちに帰れていたかも知れず、重ねて残念なことです。

さて、前回の記事は「反核座り込み行動で訴えたこと」でした。それでも一言だけでも触れたかったため、冒頭に森友学園の問題も少し取り上げました。その際、昨年3月に投稿したバックナンバー「森友学園の問題から思うこと」を紹介しました。今回の記事は改めてタイトルに「再び」を付け、今、世間を騒然とさせている森友学園の問題について私自身が思うことを書き進めてみます。

まず当ブログの中で、いつも訴えながら自分自身にも戒めている点について押さえさせていただきます。昨年の記事の冒頭にも綴ったことですが、森友学園の問題に際し、日頃から安倍首相を支持されている方、逆に批判的な見方をされている方、そのような立場によって受けとめ方が大きく違ってくるようです。このような点が顕著だった場合の発言内容はポジショントークと呼ばれがちです。

週に1回、このブログの更新を続けている中、なるべくポジショントークという見られ方を避けるような記述に努めています。このあたりは「Part2」にわたって投稿した「何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」を通して綴っていました。例えば安倍首相の言動すべてを頭から否定していくようでは適切な評価を下しにくくなります。得てして個々人の基本的な考え方や立場性の違いから他者が発している言葉の背景を先入観で推測、もしくは邪推してしまいがちです。

しかしながら適切な評価を下していくためには「誰が」に重きを置かず、その言動や判断は正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくことが必要だろうと考えています。森友学園の問題を受け、安倍首相の退陣を求める声が強まっています。もともと辞めさせたいと思っていた方々は好機到来とばかりに批判する声を高めています。官邸前の抗議行動に駆けつける方々が増え、世論調査での内閣支持率も下降線をたどっていくはずです。

それでも「何が問題なのか、だから安倍首相は辞めるべき」という訴えを広めていかなければ退陣まで追い込むことは容易でないように思っています。今回のブログ記事を通し、ポジションに関わらず「何が問題なのか」を考えていく一助につながるような論点を提起していくつもりです。前回記事にも赤字で記した私自身の問題意識ですが、最も重要な論点ですので改めて掲げさせていただきます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

このような点からしても森友学園への国有地売却を巡る公文書の書き換えは重大な問題です。政府の公文書管理委員会委員長代理の三宅弘弁護士は「公文書は国民共有の知的資源で、現在と未来の国民のために説明責任を果たすためにある」と語り、今回の事態に至ったことを強く憤られています。さらに三宅弁護士は「実際に起こったことが全く将来もチェックできない」とし、公文書の管理に対する甘さや意識の低さを指摘しています。

衆院財務金融委員会で自民党の西田議員は「なんで報告しなかったんだよ。まさに財務省による財務省のための情報操作なんだよ」と大声をあげて理財局長らを罵倒していました。この場面をニュースで見た時、たいへんな違和感を覚えました。すべての責任を財務省に押し付ける意図を感じる場面でした。西田議員の質問内容を詳しく確認すると安倍首相や麻生財務相を擁護し、悪いのは佐川前理財局長であり、財務省の官僚側であるという前提での国会質問でした。

まだまだ真相が明らかになっていない中、責任の所在を限定した追及の仕方は「ポジショントーク」の類いだろうと思っています。いずれにしても麻生財務相が知っていたことを「知らなかった」と偽っていた場合、たいへんな問題です。一方で、財務省の一連の問題を本当に「知らなかった」としたら省内を掌握できていなかったという監督責任が免れないはずです。小泉進次郎議員の「自民党という組織は官僚の皆さんだけに責任を押し付けるような政党じゃない」という言葉に麻生財務相らは耳を傾けるべきなのではないでしょうか。

「文書は廃棄した」などと虚偽答弁を繰り返していた佐川前理財局長を安倍首相は「なかなかやるね」と絶賛し、国税庁長官への昇格については麻生財務相とともに「適材適所」と評価していました。安倍首相らが直接指示していた可能性は皆無に近いものと見ていますが、公文書の書き換えの問題をはじめ、佐川前理財局長にだけ大きな責任を負わせていく構図はいかがなものかと思っています。

安倍首相が国会で「妻や私、事務所が関係していたら総理も国会議員も辞める」と言い切ったことで、佐川前理財局長の暴走が始まったとしたら道義的な責任を感じることも欠かせないのではないでしょうか。その発言を行なった当時、安倍首相は昭恵総理夫人が森友学園に関わっていたことを知らなかったのか、失念していたのか分かりません。もしくは贈収賄に当たるような不正は働いていないという趣旨の発言だったのかも知れません。

ただ金銭が絡まなくても行政に対して不当な圧力を加えること自体、罪に問われる場合もあります。今回、書き換え前の財務省の決裁文書が示され、安倍首相は参院予算委員会で「書き換え前の文書を見ても、私や私の妻が関わっていないことは明らかだ」とし、「これまでも申し上げてきたとおり私や妻が国有地の払い下げや学校の認可に事務所も含めて一切関わっていないことは明確にしたい」と述べていました。この発言にも大きな違和感を覚えています。

削除されていた記述の中に昭恵夫人の名前が登場しています。直接的な関与の記述がないことは確かですが、この段階で「一切関わっていないことは明確にしたい」というほど明瞭な事実関係は明らかになっていません。特に昭恵夫人付で秘書の役割を務めていた谷査恵子さんの財務省への働きかけについての事実関係が不明瞭なままです。これまでの経緯を踏まえれば公表された書き換え前の決裁文書に載っていないから「一切関わっていない」と言い切れるものではないはずです。

日本会議に関係する政治家の関与が影響したのか、昭恵夫人の存在が影響を与えたのか、財務省側の独自な判断だったのか分かりませんが、近畿財務局側が森友学園側の意向を苦心しながら受け入れていく経緯を読み取れる決裁文書だとも言えます。このような疑問が残る中、「一切関わっていない」と言い切ってしまう安倍首相の言葉には違和感が拭えません。

森友学園の問題よりも「もっと議論しなければならない国会の役割があるはずだ」という声を耳にします。森友学園以外にも重要な問題は議論を尽くして欲しいものと考えています。しかし、だから森友学園の問題を軽視して良いという理屈には賛同できません。政局優先のポジショントークと見られないような追及のもとに真相を究明し、しっかり検証していく議論は重要な国会の役割だと思っています。

森友学園の問題は8億円の値引きの是非に端を発していますが、行政による情報の操作や隠蔽の問題につながっています。安倍首相は「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、行政の長として責任を痛感している。国民の皆様に深くおわびを申し上げたい」と謝罪し、「国民から厳しい目が向けられていることを真摯に受けとめ、全容を解明するため調査を進めていく」と語っています。

ぜひ、その発した言葉の重さをかみしめていただき、安倍首相には事実関係を明らかにするための証人喚問等の具体的な手立てにリーダーシップを発揮して欲しいものと願っています。最後に、このような論調のブログ記事も「ポジショントークではないか」と批判されてしまうのかも知れませんが、森友学園の問題は「政府が正確な情報を包み隠さず国民に伝えているのかどうか」という論点のもと決して矮小化できない問題だと思っています。

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コメント

ついに朝日新聞大勝利ですね。憎い安倍政権をこれで引き
ずり落とせるでしょう。証人喚問など単なる政治ショーで
しかなく、やってもこれで疑惑は解明できないと野党は
主張するのでしょう。時間の無駄ですね。安倍政権は即刻
退陣し、ついでに財務省も解体しましょう。さらに自民党
は責任をとり、首相指名は白紙投票にすればよい。
そうすれば野党連合の内閣が誕生します。まあ少数与党
ですが、解散するなり任期までやるなり自由にできますし。
自民党はたっぷり反省すれば良いでしょう。
枝野か大塚か誰が首相になっても国会審議はさぞおもしろい
と思いますね。是非辻元さんと福島さんも大臣になってほし
い。国会で関○生○ンの質問でるか注目したい。

投稿: nagi | 2018年3月19日 (月) 09時07分

管理人さんも、結局ポジショントークにはまっていませんかね。夫人の名前を出した籠池氏がどういう人物で、確か、証人喚問時には『昭恵氏から「良い田んぼになる」といわれた』みたいに証言していませんでしたか?
また、改竄された部分は、中立的に読んで、財務省がいかに籠池氏からの様々な強硬な要求に対応したか、に関するものですよね。
なんだか行間から安倍夫妻憎しの怨念が溢れた長文で、読んでいてたいへん疲れました。

まあ、人間というものは変わらないものですから、私が何をいおうが管理人さんは「中立」「ポジショントークではない」と言いながら怨念のこもった記事を書き続けるのでしょうね。それ自体は別に咎めませんが。

年金機構の件も、中国に情報が流出したことを把握しながらも公表せず、あろうことか契約を継続していたとのことです。
申請主義を盾にして、おそらく殆どの職員が記録のずさんな管理を容認していたという社保庁の「親方日の丸体質」は、年金機構になってもまったく変わっていないことが良く分かりました。人間も組織も変わりませんね、本当に。
8万人以上の方の年金額が減額され、個人情報も流出とのことです。被害がこれだけなのか、大変に心配です。
おそらく、管理人さんはこの件は記事にしないか、しても適当にお茶を濁すでしょうが、別にそれも咎めません。人間ですからね。

投稿: let | 2018年3月21日 (水) 12時59分

安倍応援団の方々があちこちで錯乱しているようですが、これも錯乱なのか、そこまでではないにしろ一種のポジショントークなのか、今回の改ざんについて、元官僚の人たちの中にも「訂正ぐらいはある」という人もいれば「ありえない」という人も…というように意見が分かれていたようです。

個人的には、決裁完了後の文書の内容変更にはその旨の文書を起案し再度決裁をもらうものだと思っていたのですが、そうではないようなことをおっしゃる人がいたことに驚きました。

そこで、国と自治体とでは、また自治体によっても違うのかもしれないことを承知のうえでお尋ねしますが、OTSUさんがお勤めの市役所では、決裁後の文書を書き換えるようなことはあるんでしょうか。あるとしたら、それはどういった場合になのか教えていただければ幸いです。

投稿: 対人手当 | 2018年3月21日 (水) 13時27分

錯乱とかww
くされパヨクがなに言ってるんですか
パヨクの理想郷に戻ればいいのにw

投稿: はぐれ猫 | 2018年3月21日 (水) 18時29分

はぐれ猫様は、以前にも私がコメントしたら間をおかずに私に対する意味不明のコメントを投稿していらっしゃいましたね。(http://otsu.cocolog-nifty.com/tameiki/2017/02/post-5f49.html)
私、こちらのブログにコメントすることは滅多になく、その点でははぐれ猫様も同様だとお見受けしますが、それなのに私のコメントに即座に反応されるとは、ひょっとして私のファン? なんてね。(笑)

投稿: 対人手当 | 2018年3月21日 (水) 23時56分

腐れパヨクはすぐに釣れるww
意味不明な妄言パヨクが笑えますねww
これ以上腐れパヨクにかまうと皆さんに迷惑なんで
これで終わりますww

投稿: はぐれ猫 | 2018年3月22日 (木) 21時47分

役所の決裁文書の件で言えば、どの役所にも文書管理規定や権限移譲の規定が存在します。書き方のマニュアル(手帳のようなもの)を作っている役所もあります。

いちおう、決裁後の文書に手を付けるということは、責任者になる「決裁権者」の意思表示に至るプロセスを無視することになるので、めったなことではしません。メモ書きなら別ですが、法人の稟議書みたいなものよりは、少し重い意味合いがあります。

文書を回議すると役所では言いますが、審査のことです。審査に携わる人は多く、関係部署の各担当係員が文書をタッチ(修正・訂正)していき、その証として、訂正印を係官名で押し、表紙(かがみ)に承認印を押していくのが本式です。電子文書システムなら履歴が残ります。これは慣例ですが、まず、訂正印は押しません。

回議中の文書に手が加えられていき、途中の審査段階でどうしても承諾できなければ廃案になります。廃案文書を立て回議し、元文書に廃案と書いて保存します。

決裁後の本文書に手が加えられることがあるかといえば、あります。
ただし、明らかなチェックミスが重なったりして、決裁で発出される文書のほんの一部を書き換える程度だけです。これは決裁権者が大臣であっても同じです。内容や経緯そのものを変えることはまずないといえます。

今回の近畿財務局の文書は、役所の文書としては珍しく、付箋や注釈メモで対応、あるいは、口頭説明で済むようなことを、本文書にご丁寧に記載しています。あまりこういう例はないように記憶しています。

普通、地方局でさえ、議員の接触記録まで本文書に残す例はあまり聞いたことがありません。情報公開請求でつつかれたら、あまりいいことにはならないのが常識ですから。

応接録を残しても、短期廃棄かオカミから「こんなものを残すな」と怒鳴られるのが普通でしょう。

議員さんの圧力は地方局でもあります。問い合わせのカタチだったり陳情だったり。ただ、公平性の確保の問題から、表向き、高い公共的な必要性があったから実施したとしか文書には残さないのが一般的です。

ということは、推定の域をでませんが、近畿財務局担当官がポカしたのではなく、これは、担当官の誰かがわざと議員さんや首相夫人らの氏名を残したとしか思えず、文書回議(審査)の段階でも、あまり例のない審査を行ったということなのだろうと思います。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2018年3月23日 (金) 02時41分

年金機構の孫請けが中国の会社だったことで、

もうずいぶん前になりますが、政府・地方公共団体が契約の孫請け曾孫請けで、オウム真理教関連のソフトウェア開発会社などに仕事を投げていないかチェックしたことがありました。

きっちり動いてくれれば、システムとしてはどうでもいいのですが、非合法活動をしていた団体が、政府・地方公共団体の仕事を請け負い、利益を得て、しかも、守秘義務が課せられていても、内容がソトに漏れるんじゃないかという、だからどうしたという、感情論だけで重箱のスミをつついて穴をあけてしまうようなことがありました。

外国の企業へ発注したというのは、日本の法を実施するための資料(この場合個人情報)を、かの国のルールで扱うことができるということなので、オウム事件とはちょっと性質が違いますが似ているところもあります。

法も契約も、破られてしまっては効果としては同じなんです。きちんと守るかどうかは個々人の良心にゆだねられている。遵法意識(コンプライアンスの一種)とでもいうのでしょうかね。昨今は。

何を約束しても、信用ならぬ相手に契約書を渡してもどうにもなりません。破られるだけです。

22日の自民の憲法9条のとりまとめですか。H氏に一任であるとか。
自衛隊(自衛組織)を明記するということは、今までの憲法で自衛隊が存在できた理由を初めから説明しなければならないということになり、下手すると、自衛隊は今まで違憲だったのだと認めるような方向で、とりまとめたような印象があり、違和感があります。そういう落としどころでいいのかなと。

私としては、そこまでやるのなら、重大な憲法違反・・・とくに内閣における憲法無視の「超法規的」の掛け声でやってしまった憲法犯罪についての処罰規定と、国家緊急権くらいはいれていただきたい。

あと、もう、現憲法は、現代日本人が読んで、非常に解釈が分かれるほど、日本語になっていない。憲法学者などという、てにをはを解釈するような人たちがメシを食えるようなものになっているのは不思議です。

義務教育を出た世代に、ストレートに憲法を読ませて、ある程度読んで納得できるような書きぶりでないと、いつまでも、戦後、急いで作りました的なものは通用しないと思うのですが。

投稿: でりしゃすぱんだ | 2018年3月23日 (金) 03時10分

nagiさん、letさん、対人手当さん、はぐれ猫さん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。

letさんから「結局ポジショントークにはまっていませんかね」という指摘を受けました。私の立ち位置は明確にしているところですが、その上で「安倍首相は退陣すべき」という言葉を強調するのみで「何が問題なのか」という理由が二の次になるような批判であれば「ポジショントーク」と見られがちになるものと考えています。

特に今回の記事は「退陣すべき」という主張ではなく、「何が問題なのか」「望まれる対応や責任の処し方」についての論点を提起したつもりです。安倍首相や麻生財務相のような振る舞いを仮に政権を担う他の政治家が行なっていたとしても同様な問題提起に至っていたものと考えています。

なお、例示された年金機構の問題などすべての事象に対し、このブログで取り上げることは困難ですが「だから何か特別な意図がある」訳でないことも付け加えさせていただきます。

対人手当さんから公文書の書き換えについてお尋ねがありました。その後、でりしゃすぱんださんから公文書に関わる詳しい説明をお寄せいただきました。国も地方も基本的に同様であり、でりしゃすぱんださんのコメントは管理人の対応の遅さを補う意味合いからもたいへん感謝しています。

少しだけ補足させていただければ議員や住民から開示を求められたから「都合の悪い箇所は書き換える」という行為は言語道断であり、私どもの自治体でも絶対行なうことはありません。一方で、公文書も幅広く定義されているため、中には日付や誤字など明らかなミスが決裁後に明らかになった場合、訂正印等の対応で修正することもあります。

はぐれ猫さん、立場や視点が異なる場合、厳しい批判意見が交わされがちとなりますが、ぜひ、「腐れパヨク」などという言葉は控えていただければ幸いですのでご理解ご協力よろしくお願いします。

他にもレスすべき点があろうかと思いますが、きめ細かい対応に至らないコメント欄であることをご容赦ください。そのような場で恐縮ですが、ぜひ、これからもお時間等が許される際、一人でも多くの方から貴重なご意見をお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年3月24日 (土) 07時38分

「民意」とか「国民目線」って、結局なんなんでしょうかね。

多くの国民は1票の権利を持ち、その結果で数々の政党や、会派の考え方が国会の場で表明される。
少数意見の反映という言葉も聞こえはいいですが、どこまで意見を聞くのか、反映させるのか、その声は、いったいどこまでの民意を得ていることなのか。

数の暴挙という言葉も、使い勝手が良い言葉なのでしょう。同じように、ではどこまで少数意見を聞き入れるのか。

日本の高齢化が進む中で、現役世代と高齢世代の投票数もいびつになる中で、この先の日本を見据えた政策という面から見れば、投票数が全てでは立ち行かなくなる可能性も秘めている。

結局は、与党は民意を得た政党であり、反映させる、させないことも含めて、政権を運営する信任を受けたと言えるのでしょう。
野党は民意を得られなかった。でも、自分の信念や考え、そしていつかは権力を手にしたいから、主義主張は徹底的に行っていく。
それ自体、どちらも正しく、自由に議論することが許された日本では、ある意味そうあるべきであり、本来の姿なのかもしれません。

しかし、結果は信任を得た者が決めていく。反対する側は、違う方法について信任を受け、数を確保する以外に方法が無いのは現実であり事実でしかありません。

自由な議論は保証されているのですから、何を主張しても構いませんが、数の倫理を出すこと自体が、本当は、自分たちの無力さをさらけ出し、何も形となるものを成しえていないことの証明にしかならないことに、どうして気が付かないのでしょう。

その最大の理由は、野党には結局、「森友」しかない。そこに尽きるというのが今の騒動の感想ですね。

※念のため言っておきますが、公文書の改ざんはアウトですよ。

投稿: 下っ端 | 2018年3月24日 (土) 12時02分

下っ端さん、コメントありがとうございました。

私自身の問題意識も今回の記事本文の最後のほうで触れたとおりであり、政局優先のポジショントークと見られないような追及のもとに真相を究明し、しっかり検証していく議論は重要な国会の役割だと思っています。その上で、より望ましい政治の実現のためには森友学園の問題をはじめ、国民の大半から理解を得られる説明責任が現政権には強く求められているものと考えています。

投稿: OTSU | 2018年3月24日 (土) 21時07分

あなた、籠池氏をどういう人物だとおもわれているのでしょう。

公開されたメモから読み取れるのは、財務省に対してあの手この手で強硬な値引きを要求し、「良い田んぼ(つまり学校になることを知らなかった)」「(学校するなら)頑張って下さい」との社交辞令の発言を、利用していますよ。
明らかに文字数がおかしいにもかかわらず、そこに入るのは安倍晋三記念小学校だ、といってしまう方です。
財務省への働きかけにしても、籠池氏の利用できるモノは事実を曲げてでも利用する、との姿勢を鑑みると、かなり疑わしいと考えるのが「中立」ではないでしょうか。

そのうえで、首相及び夫人に疑念が拭えない、と繰り返し主張するのであれば、それ相応の「疑うに足る証拠」を出すべきですよ。まあ、ポジショントークであれば仕方ありませんがね。

また、年金機構及び旧社保庁は自治労に所属するかと思いますが、OTSU氏が自治労に無関係であれば、
「年金機構の問題などすべての事象に対し、このブログで取り上げることは困難」
とのご発言は頷けますね。

逆に、自治労の関係者でありながら、根拠薄弱な首相夫妻関連に長文を費やして、年金機構には知らんぷりをするのは、ポジションありきなんだろうな、とは思います。

OTSU氏は自治労関係者なんですかね?

まあ、関係者であったとしても、別に年金機構を取り上げなくても咎めはしませんけどね。ポジショントークをしないとしながらポジションに拘る人なんだな、とは思います。が、そういう方は保守、リベラルのどちらにしても沢山いますし、特段恥じることではないと思う人が多いのですから。

投稿: let | 2018年3月25日 (日) 12時51分

letさん、コメントありがとうございました。

新規記事を通し、もう少しletさんからの指摘を補足しています。それでも不充分な内容かも知れませんが、多様な見方や考え方を認め合っていく場として、すでに表明されているとおりご理解ご容赦ください。

投稿: OTSU | 2018年3月25日 (日) 13時50分

う~ん。

地方財務局の決裁権限の内部委任がどうなってるのかは、マッタク与り知らないわけですが。

少くとも、役職名のない財務事務官(=いわゆる平社員)に決裁権限が委任されてるとは思えないので、上位の役職者の決済を得てると思うわけですが。

あの文書の中身が、上位の役職者の段階でも、「添削(=この場合削除)されずに存置された」ということでしょうから、相当レアな感じがしますね。

なんというか、「近畿財務局員斯ク戦ヘリ」って印象で、ある種異様というか、そういう印象がありますね。
「後事特別ノ御参照ヲ賜ランコトヲ」的な。

投稿: あっしまった! | 2018年3月25日 (日) 21時54分

年金機構の件はねぇ、「源泉徴収される所得税額が、正しく計算されなかった事案」であって、「年金額の計算を誤った事案ではない」のですよ。

「年金額の計算は正しかったが、源泉徴収される所得税額が正しく確定しなかったため、所得控除無しの税額が源泉徴収されてしまった」という話で。

まぁ、結果的に手元にわたる年金額が少なくなってしまった訳ですが。

---- 委託そのもの。

ところで、
日本年金機構という組織は、設立準備当時の内閣&国会により職員の数の制限を課せられた上で、「最大限の外部委託と最小限の職員数」をコンセプトに設立された組織です。
「入力業務の丸投げと、一般競争入札による業者への委託は、機構に対し求められた(命じられた)もの」です。
その前提で、政府によって職員の上限が定められたんですから。

従って、「業務委託したこと」それ自体を責めるのは筋違い。そうするように義務づけられた組織だから。

で、委託契約には、「外部への再委託の禁止」と「業務履行地の日本国内限定」という枷が付いていた。
今回の件は、委託先がこの契約を無視したことに問題があるということになる。一義的には。

もちろん「外部委託の是非」という論点はあるんですが、それは「機構の問題では無く、政府&国会の方針の問題」なんで、機構を叩いた所で何も変わらないんですよ。

※日本年金機構法には、いわゆる”組織法”に近いものながら、「業務委託に関する条文」があります。これは、機構設立時の政府&国会の上記のような意図を反映したものです。

※機構設立準備時の有識者会議の議事録を読むとよくわかります。機構(社保庁)からの「個人情報との関係での外部委託ありきに対する懸念」の表明を、バッサリ斬って捨てたことが。

---- 契約の継続

発覚後に契約を見直すと、法定された支給日に年金を正しく支給できなくなることが確定的でした。委託先が予定通り作業していれば、間に合いましたけど。

年金機構の入札は、官公署の入札手続に準じて、官報への公告などから始まる一般競争入札です。
入札をやり直せば、一ヶ月か二ヶ月、問題の事務処理が止まったでしょう。

また、競争入札によらず、随意契約で緊急避難的に契約するにも、「規模との見合いで、急な依頼に対応できる業者が見つからなかった」とされています。
※IT業界の片隅にいたことのあるワタクシとしては、これはそれなりに真実だと思います。

さて、「機構は、法定された支給日に年金を支給する」のがミッションです。

「契約を打ち切れば、支給日には絶対に間に合いません。契約を続行すれば、1%でも処理が進む可能性があった」という状況です。

「支給日に間に合わせるため契約を続ける」のと「支給日に間に合わないが、入札をやり直す」のであれば、どちらが「正義」でしょうか?

機構は、
「中国への委託を辞めさせて、一次請けの会社に国内で処理を続行させる」という選択をしました。「年金支給日に100%間に合わないという事態の回避を選んだ」わけです。

さて、機構はどうするのが正しかったのでしょうか?
※結果的に、委託先の業務品質もあって、支給日に正しく支払できてないんだけどさ。(トホホ;;

投稿: あっしまった! | 2018年3月25日 (日) 22時10分

あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

直近の記事「政治と教育との関係」も含め、いつも詳しい解説や情報提供ありがとうございます。ぜひ、お時間等が許される際、これからもよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年3月31日 (土) 06時10分

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