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2018年3月31日 (土)

人事・給与制度見直しの労使協議

もうコートはいらないと考えていましたが、金曜の朝の風の冷たさはコートを置いてきたことを悔やむほどでした。その日の朝の市役所周辺の桜は満開でした。冷たく強い風でしたが、桜には受粉するまで散れないという生存本能があることを思い出していました。週末にお花見を予定された皆さんは満開の桜の下で楽しめたのではないでしょうか。

前回の記事は「政治と教育の関係」でしたが、今回はローカルな話題となります。私どもの組合の労使課題の論点や協議状況などは月2回以上発行する組合ニュースを通し、組合員の皆さんにお知らせしています。年に1回は『市職労報』という機関誌を発行し、組合ニュースを補う目的で諸課題を掘り下げた特集記事を掲げています。

それぞれ組合員一人ひとりに配られ、配布後の取扱いは自由です。このようなオープンな配布の仕方ですので、組合ニュースが市議会議員や住民の皆さんの目に留まることも想定しています。要するに誰に見られても困るような内容は掲げていません。

ただ交渉結果の内容や組合の考え方に対しては人によって評価が分かれ、批判の対象になる場合があるのかも知れません。それでもコソコソ隠すような労使交渉や主張は行なっていないため、「内部資料」「取扱注意」のような但し書きは一切ありません。

仮に圧倒多数の方々から問題視されるような交渉結果や組合の主張だった場合、何か改める要素があることを察知する機会にすべきだろうとも考えています。そのような意味合いからも当ブログの記事の中で、組合員の皆さんに伝えているニュースや機関誌の内容をそのまま掲げる時があります。

新規記事を投稿する際の労力を軽減する意味合い(coldsweats01)もありますが、今回も最近発行した機関誌『市職労報』の記事内容をそのまま紹介させていただきます。この課題に関しては昨年11月に「査定昇給を巡る労使協議」という記事を投稿していました。その労使協議のまとめとして特集記事「春闘期、情勢や諸課題について」の中で「人事評価制度のあり方も労使協議の対象」という見出しを付け、次の内容を掲げています。

■慎重な労使協議を重ねた査定昇給の取扱い

労働組合は人事に関与できず、当局側の責任事項です。一方で、賃金水準に直結する人事や給与の制度面の問題は労使協議の対象としています。これまで組合は公務の中で個々人の業績評価は取り入れにくい点などを訴え、人事評価制度の導入に慎重な立場で労使協議に臨んできました。しかしながら2014年の地方公務員法の一部改正を受け、労使合意のもと昨年6月の一時金(勤勉手当)から個々人の業績評価結果を反映させる制度を開始しました。

一方で、能力評価を中心にした査定昇給は生涯賃金に大きく影響するため、より慎重な労使協議を重ねてきました。一人ひとりのやる気を損ねず、組織そのものを活性化させていくため、どのような制度が必要なのか、評価結果によって職員間に過剰な格差を生じさせる制度の是非などを問題提起してきました。さらに万が一、評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるような職場の雰囲気につながるようでは論外だと考えています。

このような問題意識のもと従前通り職員全員が年に1回4号給昇給するB評価(4号給昇給)を基本とすべきものと組合は考え、11月の定期大会の「当面する闘争方針案」を確認してきました。したがって、組合からはC評価(3号給のみ昇給)以下を極めて例外的なものとするよう訴え、その運用のあり方が最終盤の大きな論点となっていました。

■労使協議の最終盤、組合の主張を受け入れて合意

人事評価制度における査定昇給の取扱いを巡り、11月末、大詰めの労使協議を重ねました。その結果、11月29日に開いた団体交渉で来年度から査定昇給を本格実施することを基本合意しました。最終盤の労使協議の中で、人事評価表の「評価の着眼点(求められる行動)」がB評価を付けにくくしている点を指摘し、『人事評価の手引き』のB評価の基準を「職責をおおむね果たせている水準(標準)」等に改めました。

さらに能力総合評価に自己評価がなかったため、追加することも確認しました。また、評価者の恣意的な評価判断を抑制し、より納得性や透明性の高い制度とするため、評価結果に至った評価者のコメントを全職員に開示します。C評価以下を付けた場合、人材育成の観点から評価者が当該職員と面談し、より丁寧な説明責任を果たすように努めていくことも確認しています。

他にも組合からB評価以外を付ける場合、第1次評価者は第2次評価者に特段の説明を行ない、ダブルチェックをはかるよう求めています。苦情の申出が評価結果の通知後10日(休日を除く)以内と短いため、その期間の見直し等も含め、申出しやすい運用の改善を求めていました。その結果、評価を知り得た日から20日(休日を除くため実質1か月間)に改めます。休職していた場合、復帰してから起算します。

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たいへん大きな課題だった査定昇給の取扱いを労使合意した後、その他の人事・給与制度に絡む見直し協議を本格化させました。3月16日の団体交渉で各課題の大半は労使合意に至りました。組合の指摘を受け入れ、当初の見直し案を改めた課題も少なくありません。

その中で長期主任職の選考方法の見直しだけは市当局側と見解が分かれ、継続協議の扱いとしています。市当局は試験会場での論文試験に変更したい意向ですが、組合は従来通り簡易なレポート提出が望ましいことを強く主張しています。

特に今回、昇格時号給対応表の導入を労使合意しました。法改正によって特別昇給制度を残せなくなることを前提に導入を決めました。主任や係長等に昇格した際、これまでのような直近上位ではなく一定水準の昇給幅を設ける制度です。先に昇格した人の額を追い抜くことは避けるため、他市の例にならい、段階的な表を作り、5年経過後に都の表に合わせることを確認しています。

特別昇給制度の廃止は賃金水準の低下を招きますが、昇格時号給対応表の導入によって水準引き上げの機会につなげることをめざし、組合は協議に臨んできました。そのため、今回のタイミングで長期主任職の選考方法を見直すことに抵抗感があります。市当局は、あくまでも実施方法の見直しであり、合格率を変える意図はないと説明しています。

主任職への昇格は、最短で28歳以降に受験資格を得られる短期選考、最短で35歳以降に受験資格が得られる長期選考の2線式となっています。短期選考には一般教養試験や論文試験があり、長期選考はレポート提出をもって合格者を決めます。短期は「狭き門」となっていますが、長期は著しい問題がなければ基本的に合格する制度設計としています。

組合の立場として「人事評価の話、インデックス」の中で記しているとおり「頑張っても頑張らなくても同じ給料」という不本意な見られ方は拭いたいものと考えていますが、どのような役職や職種の職員も職務に対する誇りと責任を自覚でき、常にモチベーションを高めていけるような人事制度をめざしています。その上で組合員全体の生活を守る立場から賃金水準の維持向上に努めています。

主任職は2004年4月から創設しています。私が書記長時代に担った大きな人事・給与制度の見直しでした。その当時の資料を確認してみると「主任職はライン職である係長までの職位と異なり、指揮命令系統に属さないスタッフ職」とし、「長期選考の主任職は、もともと市役所業務の経験が豊富で職場のとりまとめ役となるべきベテラン職員を処遇するポスト」と説明しています。

長期主任職の選考方法となるレポートは、提示された3つほどの課題の中から1つ選び、受験者の考え方を手書きにして提出することが求められています。受験者以外の代行やインターネット上のサイト等からコピーペーストができないように手書き提出を条件としています。それでも市当局は試験会場方式でなければ本当に受験者本人が一人で考えた内容なのかどうか分からないという説明を加えています。

このような説明に対し、私からは「職員を信頼することを前提に考えるべきである」と訴えた上、「不正をした場合、合格を取り消すという但し書きを付けることで対処できるのではないか」と反論しています。そもそも個々人の考え方が最初からオリジナルである訳ではなく、他者の考え方の影響を受けながら成り立っているはずです。書籍やネット上のサイトの内容の丸写しは論外ですが、参考にしながらレポートをまとめることは許容されるべき範囲だと考えています。

これから長期主任職の受験資格を得る複数の若手組合員に対し、選考方法の見直しの提案が示されていることを尋ねてみました。その中で、真っ先に尋ねてみた若手組合員の言葉が印象的でした。「試験会場で限られた時間の中で論文を書かせることは能力評価の選考ですよね。自宅でじっくり時間をかけることができるレポート提出は人物評価の選考ではないですか」という言葉でした。

人からアドバイスを得ようと、書籍やネットで調べようと、提示された題目に対する考え方を時間をかけて自分自身がまとめ、その内容の評価を受ける、意義深い選考方法であるという趣旨の説明を受けました。「短期の選考が能力評価を基本としているのであれば、長期は人物評価に重きを置くことも理にかなっているのではないですか」という注釈も加えられていました。

「なるほど」と思いながら、これまでの方式の維持を望む考え方を補強する貴重な意見を得られたものと受けとめていました。その後、引き続き若手組合員の皆さんからの聞き取りを進めてみました。当たり前な反応だろうと思いますが、選べるのであれば「レポート提出のままのほうが良いですね」という答えばかりでした。一方で、絶対反対かどうかで言えば試験会場方式への見直しも「仕方ないかな」という反応が多かったことも確かです。

執行委員会の中でも「見直しは仕方ないのではないか、それよりも合格率を維持させることが重要」という意見も目立ち始めています。しかし、私自身は容易に「仕方ないかな」という考え方に至っていません。長期選考の敷居が高くなり、受験者そのものが減っていくような懸念は杞憂なのか、時代情勢の変化の中でレポート提出という選考方法は見直しが不可欠なのか、もう少し時間をかけて労使協議していければと考えています。

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2018年3月25日 (日)

政治と教育の関係

前回記事「再び、森友学園の問題から思うこと」のコメント欄で、letさんから「結局ポジショントークにはまっていませんかね」という指摘を受けました。前回記事の冒頭で、週に1回、このブログの更新を続けている中、なるべくポジショントークという見られ方を避けるような記述に努めていることをお伝えしていました。

その一方で、最後のほうでは、このような論調のブログ記事も「ポジショントークではないか」と批判されてしまうのかも知れません、とも記していました。案の定、letさんからそのような指摘を受けてしまった訳ですが、昨日の朝、私から次のとおりお答えしていました。

私の立ち位置は明確にしているところですが、その上で「安倍首相は退陣すべき」という言葉を強調するのみで「何が問題なのか」という理由が二の次になるような批判であれば「ポジショントーク」と見られがちになるものと考えています。特に今回の記事は「退陣すべき」という主張ではなく、「何が問題なのか」「望まれる対応や責任の処し方」についての論点を提起したつもりです。安倍首相や麻生財務相のような振る舞いを仮に政権を担う他の政治家が行なっていたとしても同様な問題提起に至っていたものと考えています。

ちなみにポジショントークの意味を調べてみると「自分のポジションに有利な情報、見通しを述べること。意図的に自分に有利なように誘導しようとしていることを意味しているが、期待感から無意識的に偏った見通しを述べていることも含んで言うことがある」と解説されています。私の立ち位置としては自治労に所属する市職員労働組合委員長の立場を明らかにし、このブログは主にその立場からの主張や情報発信が多くなっています。

そのため、基本的な視点や考え方が異なる方々からは「結局、安倍政権を批判したいのではないか」と見られてしまうこともやむを得ません。そもそも「中立」の立場ではなく、安倍政権を問題視している立場でもあり、「意図的に自分に有利なように誘導しようとしている」記述が目立っていくことも仕方がないことなのかも知れません。ただ強調したい点として、事実関係が不明瞭な場合、断定調な書き方は慎んでいます。

さらに「私自身はこのように考えています」という言い回しを多用し、あくまでも問題提起を中心にしたブログ記事の投稿を心がけています。事実関係が疑問視されている中、決め付けた批判意見を発信した場合、異なる立場の方々に対して不愉快な印象を与えかねません。もっと付け加えればポジショントークという見られ方を避けるような記述に努めていくことで、異なる立場の方々からも「なるほど」と思っていただけるような関係性につながることを理想視しています。

つまり安倍政権を支持している、支持していない、それぞれの立場に関わらず、問題視すべき点は問題視すべきであり、評価すべき点は評価していくべきものと考えています。いつも申し上げている言葉ですが、適切な評価を下していくためには「誰が」に重きを置かず、その言動や判断は正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくことが本当に大切な心得だろうと認識しているところです。

このブログの新規記事は週に1回の投稿ですので、取り上げる題材は限られています。letさんから例示された年金機構の問題などすべての事象に対し、このブログで取り上げることは困難ですが「だから何か特別な意図がある」訳でないことも付け加えさせていただきます。今回の記事も取り上げる題材選びには迷いました。結局、私自身が最も驚き、このような事実関係を多くの皆さんに知っていただきながら、問題提起したい事例だと考えた題材を選んでいます。

前川喜平・前文部科学事務次官が愛知県名古屋市の公立中学校で行った授業について、文科省が名古屋市の教育委員会に対し、内容の照会や録音データの提供を求めた問題で、文科省は20日、自民党文部科学部会長の赤池誠章参院議員と同会長代理の池田佳隆衆院議員から調査実施前に問い合わせを受けていたことを認めた。

文科省が市教委に送った調査メールには、前川氏について「国家公務員の天下り問題で辞職」「いわゆる出会い系バーの店を利用」などと記載。講師決定までの経緯や謝礼の金額、動員の有無など、15もの質問項目を並べた。質問内容の異様さから、問題発覚当初から「官僚の書いた文章ではない」(野党議員)と言われてきたが、予想通り自民党議員の関与が発覚した。

ただ、20日に記者会見を開いた赤池氏は、問い合わせの事実は認めたものの「立法府の一員として、(法令が)どう運用されているかを確認するのが我々の仕事」との見解を示し、圧力を否定した。その赤池氏は、過去にも文科省に猛烈な抗議を入れたことがある。しかも、批判の対象は人気アニメ「ちびまる子ちゃん」だった。赤池氏が問題視したのは、2015年12月に公開された映画『ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年』。

この作品の制作に文科省は、「国際教育に対する理解・普及を図る」目的で、東宝とタイアップしていた。作品紹介のホームページには馳浩文科相(当時)もメッセージを寄せ、映画を通じて「子供たちが世界に目を向けるきっかけとなることを期待しています」と述べている。内容で特に問題を感じる作品ではなさそうだが、赤池氏はポスターに掲載されたキャッチコピー「友達に国境はな~い!」に噛み付いた。

赤池氏は同年12月3日の自身のブログで、このポスターを見た瞬間に≪思わず仰け反りそうになりました≫と批判を展開。理由は、≪国際社会とは国家間の国益を巡る戦いの場であり、地球市民、世界市民のコスモポリタンでは通用しない≫からだという。そして赤池氏は、前川氏の授業の件と同じように、文科省の担当者にキャッチコピーを決めた経緯の説明を要求。担当者からは、東宝から複数のキャッチコピーの提案があったなかで、最終的に文科省が選んだとの説明を受けた。

納得がいかなかったのか、赤池氏は≪国家意識なき教育行政を執行させられたら、日本という国家はなくなってしまう≫として、担当者に≪猛省を促しました≫と記している。赤池氏は日本会議国会議員懇談会のメンバーで、安倍政権では文部科学政務官に就いた経歴もある。2年以上前の出来事であるが、前川氏の授業への圧力と通じる姿勢に、ネット上では「戦前か!」「国際感覚が欠落している」などの批判が出ている。

赤池氏の事務所に質問状を送付したところ、書面で回答が届いた。キャッチコピーに抗議した理由について「教育行政を司る文部科学省として、子供向けとはいえ、『国境はない』という嘘を教え、誤認をさせてはいけない」「国境は歴然としてあります」と主張した。そのうえで、「私なら(キャッチコピーは)『国境があっても、友達でいよう』と名付けた」と説明。今後、同様のケースがあった場合の対応については「国民に選ばれた立法府の一員として、行政府に対して、事実確認を行い、問題提起をすることは当然の仕事」と述べている。

※[編集部注]3月23日に赤池氏の事務所から書面による回答が届いたので、回答部分を追記した。(AERA dot.編集部・西岡千史)【msnニュース2018年3月22日

前川前文科事務次官の授業に対する自民党国会議員の関与も驚いていますが、それ以上に上記の報道にあるとおり「友達に国境はな~い!」というアニメ映画『ちびまる子ちゃん』のキャッチコピーに抗議した話を耳にし、いろいろな意味で驚いていました。このキャッチコピーに対し、猛然と抗議する感覚や姿勢に驚きました。さらに今回明らかになっている話が2年以上前の出来事だったことに驚きました。

私が気付かなかっただけなのかも知れませんが、なかなか物議を醸すような話だったように思っています。前川前次官の授業に絡んだ報道の際、自民党文科部会の部会長である赤池誠章参院議員について、文科省職員の「赤池さんの問い合わせには特段気を配るように言われている。部会長だから通したい法案の決裁権を握られていて、なるべく早く対応するようにと言われている」という声が伝えられています。

このような声を聞くと、赤池議員は日常的に文科省に対して事細かく、ご自身の意に反した事案について問い合わせや再検討を求めていたのだろうと思われます。赤池議員としては「事実確認は国会議員の仕事で、それを圧力と言われたら我々の仕事はできなくなる」と説明しています。その説明に対し、土曜夕方の『報道特集』の中で前川前次官は次のように語っていました。

自分たち自身が不当な支配になり得る存在だと認識しなければならない。国民の代表だから、選挙で選ばれたから、あるいは多数決で決めたから、と言うことで土足で教育の内容に入っていって良いかと言えば、それはできない。やはり政治と教育の関係がどうあるべきか、基本的な認識が欠けていると思う。

前川前次官は色眼鏡をかけて見られることが多くなっているかも知れませんが、「誰が」に重きを置かず、上記の言葉は受けとめていかなければならないはずです。教育基本法第16条で「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」とされています。

最後に、今回の記事では「政治と教育の関係」に絞って「友達に国境はな~い!」の話を取り上げてみました。機会があれば政治と行政全般との関係についても掘り下げてみたいものと考えています。

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2018年3月18日 (日)

再び、森友学園の問題から思うこと

新年度に向けた職員配置数を決める労使交渉は先週末を決着期限としていました。先週金曜の夜、最終盤の労使協議を集中的に重ね、大筋合意の団体交渉を終えた時、時計の針は土曜の零時5分を指していました。昼間、交渉担当の副市長とお話した際、私から「体力勝負の消耗戦とならないよう早めに判断し、金曜の夜のうちに帰りたいものですね」と投げかけていました。

今年は朝を迎えることはありませんでしたが、金曜の夜のうちに解散することはできませんでした。いくつかの職場で組合要求に応えた増員回答が示される中、時間外勤務の多さからも必ず得たいと考えていた係の1名要求が残念ながらゼロ回答のままでした。職員の増配置で解決できる現況ではなく、仕事全体の進め方を見直すことで対応したいという説明が市側から加えられていました。

組合としては「まず現場からの切実な増員要求に応えた上で、それはそれで進めていくべきものではないか」と反論していました。結局、この係の要求だけは週明けに情報収集を進め、最終判断する扱いとなっています。そのため、金曜深夜の時点で今期の人員交渉は「大筋合意」という表現にとどまっていました。いくつかの職場の要求に対し、前進した回答が示された際、この係も同様に増員回答が示されていれば金曜の夜のうちに帰れていたかも知れず、重ねて残念なことです。

さて、前回の記事は「反核座り込み行動で訴えたこと」でした。それでも一言だけでも触れたかったため、冒頭に森友学園の問題も少し取り上げました。その際、昨年3月に投稿したバックナンバー「森友学園の問題から思うこと」を紹介しました。今回の記事は改めてタイトルに「再び」を付け、今、世間を騒然とさせている森友学園の問題について私自身が思うことを書き進めてみます。

まず当ブログの中で、いつも訴えながら自分自身にも戒めている点について押さえさせていただきます。昨年の記事の冒頭にも綴ったことですが、森友学園の問題に際し、日頃から安倍首相を支持されている方、逆に批判的な見方をされている方、そのような立場によって受けとめ方が大きく違ってくるようです。このような点が顕著だった場合の発言内容はポジショントークと呼ばれがちです。

週に1回、このブログの更新を続けている中、なるべくポジショントークという見られ方を避けるような記述に努めています。このあたりは「Part2」にわたって投稿した「何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」を通して綴っていました。例えば安倍首相の言動すべてを頭から否定していくようでは適切な評価を下しにくくなります。得てして個々人の基本的な考え方や立場性の違いから他者が発している言葉の背景を先入観で推測、もしくは邪推してしまいがちです。

しかしながら適切な評価を下していくためには「誰が」に重きを置かず、その言動や判断は正しいのか、色眼鏡を外して物事を見ていくことが必要だろうと考えています。森友学園の問題を受け、安倍首相の退陣を求める声が強まっています。もともと辞めさせたいと思っていた方々は好機到来とばかりに批判する声を高めています。官邸前の抗議行動に駆けつける方々が増え、世論調査での内閣支持率も下降線をたどっていくはずです。

それでも「何が問題なのか、だから安倍首相は辞めるべき」という訴えを広めていかなければ退陣まで追い込むことは容易でないように思っています。今回のブログ記事を通し、ポジションに関わらず「何が問題なのか」を考えていく一助につながるような論点を提起していくつもりです。前回記事にも赤字で記した私自身の問題意識ですが、最も重要な論点ですので改めて掲げさせていただきます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

このような点からしても森友学園への国有地売却を巡る公文書の書き換えは重大な問題です。政府の公文書管理委員会委員長代理の三宅弘弁護士は「公文書は国民共有の知的資源で、現在と未来の国民のために説明責任を果たすためにある」と語り、今回の事態に至ったことを強く憤られています。さらに三宅弁護士は「実際に起こったことが全く将来もチェックできない」とし、公文書の管理に対する甘さや意識の低さを指摘しています。

衆院財務金融委員会で自民党の西田議員は「なんで報告しなかったんだよ。まさに財務省による財務省のための情報操作なんだよ」と大声をあげて理財局長らを罵倒していました。この場面をニュースで見た時、たいへんな違和感を覚えました。すべての責任を財務省に押し付ける意図を感じる場面でした。西田議員の質問内容を詳しく確認すると安倍首相や麻生財務相を擁護し、悪いのは佐川前理財局長であり、財務省の官僚側であるという前提での国会質問でした。

まだまだ真相が明らかになっていない中、責任の所在を限定した追及の仕方は「ポジショントーク」の類いだろうと思っています。いずれにしても麻生財務相が知っていたことを「知らなかった」と偽っていた場合、たいへんな問題です。一方で、財務省の一連の問題を本当に「知らなかった」としたら省内を掌握できていなかったという監督責任が免れないはずです。小泉進次郎議員の「自民党という組織は官僚の皆さんだけに責任を押し付けるような政党じゃない」という言葉に麻生財務相らは耳を傾けるべきなのではないでしょうか。

「文書は廃棄した」などと虚偽答弁を繰り返していた佐川前理財局長を安倍首相は「なかなかやるね」と絶賛し、国税庁長官への昇格については麻生財務相とともに「適材適所」と評価していました。安倍首相らが直接指示していた可能性は皆無に近いものと見ていますが、公文書の書き換えの問題をはじめ、佐川前理財局長にだけ大きな責任を負わせていく構図はいかがなものかと思っています。

安倍首相が国会で「妻や私、事務所が関係していたら総理も国会議員も辞める」と言い切ったことで、佐川前理財局長の暴走が始まったとしたら道義的な責任を感じることも欠かせないのではないでしょうか。その発言を行なった当時、安倍首相は昭恵総理夫人が森友学園に関わっていたことを知らなかったのか、失念していたのか分かりません。もしくは贈収賄に当たるような不正は働いていないという趣旨の発言だったのかも知れません。

ただ金銭が絡まなくても行政に対して不当な圧力を加えること自体、罪に問われる場合もあります。今回、書き換え前の財務省の決裁文書が示され、安倍首相は参院予算委員会で「書き換え前の文書を見ても、私や私の妻が関わっていないことは明らかだ」とし、「これまでも申し上げてきたとおり私や妻が国有地の払い下げや学校の認可に事務所も含めて一切関わっていないことは明確にしたい」と述べていました。この発言にも大きな違和感を覚えています。

削除されていた記述の中に昭恵夫人の名前が登場しています。直接的な関与の記述がないことは確かですが、この段階で「一切関わっていないことは明確にしたい」というほど明瞭な事実関係は明らかになっていません。特に昭恵夫人付で秘書の役割を務めていた谷査恵子さんの財務省への働きかけについての事実関係が不明瞭なままです。これまでの経緯を踏まえれば公表された書き換え前の決裁文書に載っていないから「一切関わっていない」と言い切れるものではないはずです。

日本会議に関係する政治家の関与が影響したのか、昭恵夫人の存在が影響を与えたのか、財務省側の独自な判断だったのか分かりませんが、近畿財務局側が森友学園側の意向を苦心しながら受け入れていく経緯を読み取れる決裁文書だとも言えます。このような疑問が残る中、「一切関わっていない」と言い切ってしまう安倍首相の言葉には違和感が拭えません。

森友学園の問題よりも「もっと議論しなければならない国会の役割があるはずだ」という声を耳にします。森友学園以外にも重要な問題は議論を尽くして欲しいものと考えています。しかし、だから森友学園の問題を軽視して良いという理屈には賛同できません。政局優先のポジショントークと見られないような追及のもとに真相を究明し、しっかり検証していく議論は重要な国会の役割だと思っています。

森友学園の問題は8億円の値引きの是非に端を発していますが、行政による情報の操作や隠蔽の問題につながっています。安倍首相は「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、行政の長として責任を痛感している。国民の皆様に深くおわびを申し上げたい」と謝罪し、「国民から厳しい目が向けられていることを真摯に受けとめ、全容を解明するため調査を進めていく」と語っています。

ぜひ、その発した言葉の重さをかみしめていただき、安倍首相には事実関係を明らかにするための証人喚問等の具体的な手立てにリーダーシップを発揮して欲しいものと願っています。最後に、このような論調のブログ記事も「ポジショントークではないか」と批判されてしまうのかも知れませんが、森友学園の問題は「政府が正確な情報を包み隠さず国民に伝えているのかどうか」という論点のもと決して矮小化できない問題だと思っています。

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2018年3月11日 (日)

反核座り込み行動で訴えたこと

東日本大震災から7年が過ぎます。平昌では冬季パラリンピックが開幕しています。これらの話題よりも大きな注目を集める報道が先週末から駆け巡っています。一つは森友学園の問題を巡るニュースです。たいへん残念なことに森友学園側と国有地売却を直接交渉していた近畿財務局の現場責任者の直属の部下だった男性職員が亡くなられました。

遺書を残した自殺だったようですが、今のところ詳細は明らかになっていません。どのような悩みや事情があったのか分かりませんが、自死を選ぶ判断だけは避けて欲しかったものと痛切に感じています。その事実が報道された日、佐川国税庁長官が辞任しました。佐川長官は理財局長時代の国会対応に丁寧さを欠いたことなどを辞任の理由にあげています。

朝日新聞の報道のあり方を批判する声もありましたが、昨日、財務省は国有地売却に関する決裁文書の書き換えを認める方針を固めたようです。麻生財務相も国会での質問に対し、「事実であったとしたなら、ゆゆしき事態だと理解している」と答えていましたので週明け、さらに事態は激しい動きを見せるのではないでしょうか。このブログでは1年前に「森友学園の問題から思うこと」という記事を投稿し、その中で次のような問題意識を掲げていました。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。

すべての案件に通じる問題意識ですが、森友学園の問題は上記のような不充分さが常に付きまとっています。今後、財務省だけの判断だったのか、財務省に絞った責任追及にとどめられるのか、納得できる真相究明や全容解明が強く求められています。憶測で先走ったことを記すのは控えるべきなのかも知れませんが、安倍首相が国会で「妻や私、事務所が関係していたら総理も国会議員も辞める」と言い切ったことで、この問題が複雑化し、より混迷を深めていったように思えてなりません。

トランプ米大統領は8日(日本時間9日午前)、韓国の鄭義溶・大統領府国家安保室長とホワイトハウスで会談し、北朝鮮の非核化のため金正恩朝鮮労働党委員長と5月までに会談する意向を表明した。鄭氏が記者団に明らかにした。鄭氏によると、金氏が5日の南北会談で非核化への意思を表明し核・ミサイル実験凍結を約束。トランプ氏との早期会談を望み、トランプ氏が応じた。米朝首脳会談が実現すれば史上初めて。米政府は北朝鮮への制裁は維持する。朝鮮半島情勢は重大局面を迎えた。米朝首脳会談の場所と日程は未定。【毎日新聞2018年3月9日

もう一つ、上記のとおりトランプ大統領が北朝鮮の金正恩労働党委員長と会談する意向を表明したという大きなニュースも流れていました。今回のブログ記事のタイトル「反核座り込み行動で訴えたこと」から離れた森友学園の話が長くなっていましたが、こちらのニュースは今回の記事内容に関連した話題だと言えます。不透明さを残していることに疑問の声もあがっていますが、私自身、一触即発の事態を避けるための第一歩として評価しています。

さて、ようやく本題に入らせていただきます。1945年8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下されました。三多摩平和運動センターは原爆が投下された6日もしくは9日、毎月、三多摩各地のいずれかの駅頭で反核座り込み行動に取り組んでいます。3月6日の行動は468回目となり、私が勤務する自治体内のターミナル駅で行なわれたため、私どもの組合からも役員3名が参加していました。

「核も戦争もない平和な21世紀に!くり返すな原発震災!めざそう脱原発社会!」と記された横断幕を掲げ、各組合からの参加者が駅前のデッキ上の一画に座り込みます。その座り込みの横で、駅前を通行している方々にチラシを配布したり、拡声器を使って反核についての様々な主張をアピールするという行動です。

具体的な活動ができないままの恐縮な現状ですが、地区連絡会の代表という肩書があるため、このような行動の際、私自身もマイクを持つ一人として指名されます。いつも原稿は用意せず、その時々に思ったことをアドリブで訴えさせていただいています。そのため、時間超過気味のサインを送られる場合もあり、終わった後に「あのことも触れれば良かった」と思う時が多々ありました。

このような点を防ぐため、今回、初めて訴えたい内容の原稿を事前に用意しました。これまで当ブログを通し、不特定多数の皆さんに訴えてきた論点をまとめたものです。駅前を行き交う方々の中で足を止めて耳を傾けてくださる方は、まずいません。ほとんどの方が聞き流していくようなアピールの場に過ぎませんが、私自身の出番があるのであれば、今、最も訴えたいことを自分の言葉を尽くして訴えてみようと考えました。

今回のブログ記事では反核座り込み行動の時に訴えた内容をそのまま掲げさせていただきます。一人でも多くの方に、ほんの少しでも気に留めていただけたらと願いながら力をこめて、当日はマイクを握っていました。訴えの最後は「ぜひ、このような点について、忙しい日常の中でも少しだけ考えていただければ幸いです。よろしくお願いします」という言葉で結んでいました。

反核座り込み行動で訴えた内容

北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素が増しています。だからアメリカの核の傘に守ってもらわなければならないという意見を耳にします。憲法9条を守れば、日本はずっと平和でいられる、そのような見られ方もあります。いずれにしても誰もが「戦争は起こしたくない」という思いは共通しているはずです。

その上で、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いが個々人で大きく分かれがちです。安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から判断しているのだろうと思っています。

しかし、その判断が果たして正しいのでしょうか。北朝鮮と韓国との対話が進みつつあります。それに対し、安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返します。国際社会の中でルールを破っているのは北朝鮮であり、各国が足並を揃えて一定の圧力を加えていくことは必要です。

しかしながら圧力は平和的に解決するための手段であり、あくまでも対話のテーブルに着かせるための手段だと言えます。それにも関わらず、安倍首相は必要以上に強い言葉を発し、わざわざ日本が真っ先に標的になるリスクを高めているように思えてなりません。ミサイル防衛によって「万全の態勢で国民を守る」と安倍首相は力をこめます。

しかし、迎撃能力に100%の保障はありません。追い込まれて自暴自棄になった北朝鮮が東京を狙って核ミサイルを発射し、都心上空で爆発した場合、死傷者は400万人に達する見込みです。この400万人という試算の中に自分自身や家族、知人の姿を想像すれば北朝鮮を追い込みすぎることのリスク回避に全力を尽くす政府や政治家を最大限支持すべきなのではないでしょうか。

国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っています。同じような意味合いで、広義の国防と狭義の国防という言葉もあります。『ロンドン狂瀾』という書籍を通し、その言葉を知りました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれました。

当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことをその書籍で知りました。軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義を改めて理解していました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができるという話です。

加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分を減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。「もっと軍艦が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。

現在、北朝鮮情勢の緊迫化などを受け、来年度の防衛予算は過去最大規模の5兆2千億円に及ぶ見通しです。抑止力を重視しすぎた場合、敵対する国同士、疑心暗鬼となって際限のない軍拡競争に陥りがちです。そもそも仮想敵国としたソ連、現在のロシアとは対話を土台にした外交関係を築いています。核兵器の保有で言えばロシア、中国、NPT(核拡散防止条約)未加盟のインドとも対話することができています。

対話できる関係、つまり今のところ敵対関係ではないため、核兵器による切迫した脅威を感じるようなことがありません。このような対話をできる関係を築くことがお互いの「安心供与」であり、「広義の国防」につながっていると言えます。

防衛審議官だった柳沢協二さんは、脅威とは「能力」と「意思」の掛け算で決まるものだと話されています。日本が考えるべきは「ミサイル発射に備える」ことではなく、「ミサイルを撃たせない」ことであり、米朝の緊張緩和に向けて働きかけることが何よりも重要であると訴えています。本当にその通りだと思います。

誤解がないように強調しなければなりませんが、だから北朝鮮の核兵器保有も容認すべきと訴えている訳ではありません。残念ながら日本は賛同していませんが、国連の中で核兵器そのものを禁止する機運が高まっています。広島、長崎の惨禍を痛切に教訓化していくのであれば、本来、日本こそ真っ先にすべての国から賛同を得られるような動きに力を尽くさなければならないはずです。

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2018年3月 4日 (日)

時間外勤務縮減の取り組み

昨日の土曜、自治労東京都本部定期大会に出席しました。来賓の一人として立憲民主党東京都連の長妻昭会長が臨席されていました。このブログの前回記事「裁量労働制拡大の問題点」の中で取り上げた厚生労働省の不適切なデータを巡る話に触れられた際、長妻会長が次のように語られていました。

今回の問題も政策決定の歪みからきている。官邸主導の産業競争力会議で働き方の問題が決められている。その会議に労働側の代表は一人も入っていない。働き方を決める際、政府、経営側、労働側からの構成メンバーのバランスを取るというILOの三者構成原則がまったく無視されている。さらに閣議決定された後に厚労省の労働政策審議会に下りてくる。厚労省も官邸の意向に沿って重苦しい雰囲気の中で対応しなければならない。

一字一句、メモを残した訳ではありませんので言い回しが少し違っているかも知れませんが、趣旨が大きく変わることはありません。短い挨拶の中で様々な論点が含まれていることを感じ取っていました。官邸の力が強いため、仮に問題点が見受けられたとしても主管する省庁側から指摘しづらい関係性を長妻会長は伝えていました。

官僚に対する人事権が官邸側に強まっているため、反論どころか問題があろうとなかろうと、その法案の必要性をどのように脚色すれば良いのかという「忖度」も働きがちなのかも知れません。政府側の意思決定に多面的なチェック機能が働きづらくなっている現状であり、さらに裁量労働制の適用拡大に労働側の声が反映されていなかったことも明らかです。

労働力をコストと見がちな経営側の思惑をはじめ、経済成長戦略に重きを置いた働き方改革に絡む動きだったと言わざるを得ません。長妻会長の挨拶を伺い、このような問題点があることを頭の中で巡らしました。不適切なデータの問題が致命傷となり、今国会での裁量労働制の適用拡大は見送られることになりました。その際、財界側からは「残念だ」という失望した声が相次いでいました。

安倍晋三首相が、今国会に提出する働き方改革関連法案から裁量労働制の対象拡大に関わる部分を削除する方針を表明したことについて、実現を求めていた日本商工会議所、経団連、経済同友会の財界3団体トップからは1日、失望や遺憾の声が相次いだ。日商の三村明夫会頭は1日の記者会見で「非常に残念だ。政府は(裁量労働制について)実態調査をきちんとやったうえで再度法案を提出すると理解しているので、できるだけ早く実現してほしい」と、安倍政権に注文をつけた。

三村会頭は「働き方改革は日本の成長戦略の一丁目一番地。労働者が自分の生活パターンに合った働き方を求め、企業がいろんな働き方の選択肢を提供するものだ」とメリットを強調。労働側には「大企業が裁量労働制の拡大で賃金コストの圧縮を目指している」との批判もあるが、三村会頭は「企業が労働者をどんどん働かせるために導入することはないと思う。残業代をケチるために裁量労働制を考えている経営者はゼロとは言わないが、非常に少ないんじゃないか」と反論した。

経団連の榊原定征会長は1日、「柔軟で多様な働き方の選択肢を広げる改正として期待していただけに残念に思う。今後、新たな調査をしっかり行い、国民の信頼と理解が得られるよう全力を尽くしていただきたい」との談話を発表した。経済同友会の小林喜光代表幹事は「世界と比して低い生産性の向上が求められる中、今回の事態は極めて遺憾だ」などとするコメントを出した。【毎日新聞2018年3月1日

「企業が労働者をどんどん働かせるために導入することはないと思う」という釈明もあるようですが、「世界と比して低い生産性の向上が求められる中、今回の事態は極めて遺憾だ」という声のほうが本音ではないでしょうか。いみじくも労働力をコストでとらえているような意識が表に出た言葉だったように感じています。

過労死を撲滅させるためにも、使用者側にとって都合の良い「働かせ方」改革に絶対つなげてはならないものと考えています。様々な労働法制を整えていく重要な目的は労働者が健康を害さないよう長時間労働を規制するためのものでなければなりません。使用者側だけの都合による恣意的な時間外労働を防ぐため、決められたルールを職場の中で守っていくという当たり前な意識を使用者側も労働者側も徹底していくことが必要です。

どのような法律を作っても「抜け穴」を探されては論外ですが、そもそも企画業務型裁量労働制の適用拡大は長時間労働を助長、もしくは追認する恐れがあり、長時間労働規制と逆行した発想でのラインナップであったことも留意すべき点でした。いずれにしても実効ある働き方改革のためには使用者側の目線だけで進めず、労働者側の声を反映していくことが重要です。参考までに私どもの組合の時間外勤務縮減に向けた取り組みとして、先日入稿した機関誌の原稿内容をそのまま紹介させていただきます。

■20時完全退庁宣言

働き方改革の議論が進む中、東京都では一昨年10月から20時完全退庁を始めています。都庁職員からは「帰りやすい雰囲気ができた」という肯定的な声がある一方、「午後8時を過ぎたら15分おきに消灯されるので仕事が山のように増えても残業できなくて困る」「クオリティはある程度犠牲にせざるを得ない」「早朝出勤や休日出勤が増えないか懸念」という声が上がっています。

民間企業でも同様な動きがありますが、「残業禁止」という方針を打ち出せば現場の管理部門はそれを徹底させようとします。急ぎの仕事があって残業しようとすると上司から「帰れ、帰れ」と責め立てられ、責任感の強い真面目な人ほどプレッシャーを感じがちです。時短を強要する行為をジタハラ(時短ハラスメント)とも呼ばれるようになっています。

昨年5月31日に当市でも「20時完全退庁宣言」を行ない、6月から始めることになりました。長時間労働の是正は労使でめざすべき共通した課題ですが、前述したような悪影響が出るようでは問題です。そのため、組合は5月29日に緊急の申し入れを市当局に行ないました。組合からは本来、すべての職場で完全退庁できる職場体制を確立した後に宣言すべきものではないか、この宣言によって時間外勤務の未申請が増えないか、様々な懸念点を訴えました。

この申し入れを通し、宣言したから一律に現状を改めることを強要するものではない、都のような一斉消灯は行なわない、特別時間外勤務の申請の扱いも現行通りと確認していました。この宣言以降、6月22日に組合から「時間外勤務縮減に関する要求書」を提出し、労使協議の大きな課題としてきています。

■時間外勤務の縮減に向けて

7月26日には「時間外勤務」問題の組合意見交換会を開きました。当日は残業の多い職場の組合員参加のもと現状や今後に向けた課題について率直な意見を交わしました。残業を望んでしている訳ではなく、待ったなしの仕事に追われているため、仕方なく20時過ぎまで残る場合もある、このような声が示されました。仕事の進め方の工夫や絞り込みにも努力しているが、それ以上に制度改正等で仕事量が増加や複雑化している現状なども訴えられました。

時間外勤務の未申請はサービス残業に当たるため、仮に19時前に終わろうと申請しなければなりません。このような点を組合は継続的に啓発してきています。その結果、一人当たりの残業時間数が急増した職場もありますが、この時間数が適切な現状を反映したものです。今後もサービス残業解消を大前提とした上で、時間外勤務の多い職場の現状改善に努めていかなければなりません。

昨年度の時間外勤務状況が示され、年間1000時間超の勤務者も見受けられていました。このような状況は一刻も早く改善するよう別途個別の対応を求めています。360時間超の勤務者は144人に及び、縮減に向けた実効ある対策が急がれています。

組合は今回、市当局に提出している「人員確保及び職場改善要求書」の中で、各係の年間時間外勤務が平均360時間を超えている場合、所定の算出方法をもとに増員要求しています。各係・施設単位の職場アンケートとは別に算出したもので、時間外勤務縮減に向けた問題提起型の要求に位置付けています。

■指針や時差勤務制度に対し

11月16日に開いた団体交渉の中で、市側が策定作業を進めていた「職員の時間外勤務に関する指針(案)」に対し、組合側の問題意識を訴えました。部課長の責務として年間又は月間の組織目標を立てることなどが掲げられ、時間外勤務縮減の取組状況を人事評価への反映を検討するような記述がありました。

内部会議のあり方や調査依頼の簡略化など業務量自体を減らす具体案も掲げられていますが、全体を通して仕事のあり方や総量に大きな変化がないまま時間外勤務「縮減ありき」を強いられていくような危惧を組合から指摘しました。団体交渉で議論した結果、指針案の取扱いを次のとおり確認しました。

◇労働条件に関わる事項は労使協議し、労使合意がなければ一方的に実施しない。
◇内容や表現についても組合からの意見を取り入れた上、必要に応じて修正をはかる。

その後、組合からの指摘をもとにいくつか必要な修正をはかりました。特に「考え方の補足」のQ&Aに関し、組合の意見が積極的に受け入れられました。今年1月、平日の特別時間外勤務が21時以降から20時に繰り上げられましたが、特別時間外勤務命令理由書を廃止し、申請方法を簡便化しています。

午後4時30分になると羅針盤(庁内イントラネット)にメッセージが表示されるなど戸惑われたかも知れませんが、必要な時間外勤務を必要以上に抑制するものではありません。場合によって事後申請もあり得るなど従来通りであることを確認しています。時短ハラスメントやサービス残業を強いられるような場合はただちに組合まで連絡してください。

指針の中に時差勤務制度のことが盛り込まれ、時間外勤務縮減策の一つとして検討されていました。導入する目的は「柔軟な勤務時間の設定を可能とすることにより時間外勤務の縮減を図り、職員の健康を保持してワーク・ライフ・バランスを推進する」としています。

所定の勤務時間外に会議、住民説明会、工事立ち合い、作業、啓発活動等の業務がある場合、所属長の許可を得た上で時差勤務できるような制度案が想定されています。恒常的な業務に対応したものではなく、あくまでも臨時的な業務に当たる際、時差勤務を利用できるような制度でした。

実施に移す際は団体交渉で確認したとおり労使協議した上、労使合意を前提としました。組合執行部内での議論として、業務の総量自体が多い職場では、なかなか時差勤務制度は利用できないのだろうと見ていました。それにも関わらず、時間外勤務「縮減ありき」で時差勤務しなければならないような雰囲気が強まってしまうと、ますます密度の濃い仕事に追われることになります。

時差勤務したため、職場で手が回らない仕事を自宅に持ち帰るようなサービス残業につながる恐れもあります。また、仕事量からすれば時差勤務制度を利用しやすい職場でも、時間外勤務手当を減らすことが主目的となり、強要されていくことも望ましい話ではありません。夜に会議を控え、午前中はゆっくり休みたい場合、有給休暇を取得すれば済む話です。

議論を重ねた結果、時差勤務制度は三月から導入することを合意しました。臨時的な業務に対応する際に必要に応じて利用でき、あくまでも利用するかどうかは本人の選択であることを確認し、労使合意しています。

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