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2018年2月25日 (日)

裁量労働制拡大の問題点

労働組合の役員にとって多忙な日々、春闘の季節を迎えています。この時期には「春闘の話、インデックスⅡ」という記事があるとおり「忙しさが加速する春闘期」や「季節は春闘、多忙な日々」などの記事を投稿しています。公務員組合の春闘は具体的な賃金引き上げを決めるタイミングではありませんが、私どもの組合では新年度に向けた人員体制や制度見直しの労使協議の山場とし、連日何らかの対応に追われています。

そのような時期に私どもの組合にとって非常に厳しい現況が重なり合っています。この場で詳しい話を記すことは控えますが、私自身をはじめ、対応できる組合役員が手分けしながら喫緊の職場課題の解決に力を注いでいかなければなりません。その際、ますます任務に当たる組合役員一人ひとりの負荷が増し、心身を痛めないような目配りも欠かせないものと考えています。

本来、もっと早く、このような注意喚起にも努めるべきものであり、忸怩たる思いを強めています。組合役員として携わっている時間、正確に把握していけば膨大な時間数に及んでいくはずです。その中でも書記長という任務が最も長時間に及び、精神的な負担も大きくなりがちです。私自身も書記長を5年間務め、そのような実情を身に染みて分かってきているつもりでした。

一方で、心身のダメージに対する許容範囲は個人差が大きいことについて、必ずしも充分理解できていなかったのかも知れません。特に対応しなければならない諸課題に対し、優先順位の付け方や時間管理のさばき方は人それぞれであることを理解しているつもりでしたが、周囲にも一定レベルのマネジメントを求め、ある程度こなせて「当たり前」という意識があったことも省みています。

現在、自分自身の担っている組合業務における原稿2件の締切が2月末に重なっています。執筆や編集のための相応の作業時間を必要としていますが、全体的なスケジュールを管理できる立場であるため、切羽詰まった中で何とか対応する算段を頭の中で描いているところです。そのため、まずは毎週末に携わっている当ブログの投稿を優先し、更新後、自宅でできる原稿の編集作業等に集中できればと考えています。

このような日常が「当たり前」になっている中、幸いにも心身に対するダメージが蓄積することはそれほどありません。このブログをはじめ「過度な負担をかけるのであれば見直せる」という裁量があることもその理由の一つだろうと思います。一方で、組合員一人ひとりにとって非常に切実な課題を前にした時、「見直せば良い」という選択肢はあり得ず、ストレスを蓄積していく場面が多々あることも間違いありません。

今国会、そのような裁量労働制の拡大が大きな争点となりつつあります。働き方改革は安倍政権の最重要課題に位置付けられ、今国会では8本の改正法案を束ねたものが働き方改革関連法案として提出される見通しです。罰則付き時間外労働の上限規制や同一労働同一賃金に向けた関連法には異論が少ない中、長時間労働を助長、もしくは追認する恐れのある裁量労働制の適用拡大には批判の声が強まっています。

裁量労働制に関する厚生労働省の調査に不適切な点が見つかり、野党が反発を強めている。加藤勝信厚生労働相は19日の衆院予算委員会で、一般労働者の方が労働時間が長くなりがちな調査手法を用いていたと説明し、謝罪した。野党は裁量労働制の拡大を盛り込む「働き方改革関連法案」の提出を認めない方針で一致した。政府が目指す2月下旬の法案提出がずれこむ可能性がある。

問題となっている厚労省の「2013年度労働時間等総合実態調査」は、裁量労働制で働く人の労働時間は1日平均9時間16分、一般労働者は9時間37分と報告していた。安倍晋三首相も1月の衆院予算委で調査結果を挙げて、裁量労働制拡大による効果を強調した。ところが厚労省が調査結果を精査すると、一般労働者と裁量労働制で働く人の労働時間を異なる前提で集計していたことが判明。一般労働者には「1カ月で最も長く働いた日の残業時間」を尋ねていた一方、裁量労働制で働く人には単に1日の労働時間を聞いていたと19日に国会に報告した。

加藤氏は19日の衆院予算委で「一般労働者と裁量労働制で異なる方法で選んだ数値を比較したことは不適切だった」と陳謝した。菅義偉官房長官は記者会見で「(同調査は)労働政策審議会の審議には影響していない」と釈明した。ただ、野党は「厚労省の労働政策審議会で同調査を一つの材料としていた」と批判を強めた。立憲民主、希望、民進など野党6党は国会内で国会対策委員長会談を開き、働き方改革関連法案への対応を協議し、今国会での法案提出は認められないとの考えで一致した。立憲民主党の辻元清美国対委員長は記者団に「自分たちの通したい法案に都合のいいようにデータをひっつけて答弁する。国民を欺く行為だ」と指摘した。

政府が法案を提出するうえで必要な自民党内の了承もまだ得ていない。自民党は19日に予定していた厚生労働部会などの合同会議の開催を取りやめた。同法案には、これまでも出席者から中小企業への対応を求める声が相次いでいる。19日の会議での了承を視野に入れていたが、次の会議を開くメドは立っていない。ただ、政府側は「働く方々にとっても極めて重要な改革だ。本国会での法案の提出、成立の方針には全く変わりはない」(菅氏)との姿勢を維持している。【日本経済新聞2018年2月19日

上記のとおり法案提出前の段階で、裁量労働制の拡大の動きは迷走しています。信じられない失態です。法案を評価するため根幹に関わる基礎データに大きな瑕疵があった、常識で考えれば裁量労働制の問題は仕切り直しが妥当なのではないでしょうか。意図的な示し方であれば不正行為ですが、誤りを3年間も気付かずに国会答弁で利用してきたというお粗末さも際立っています。今回の問題点を理解するため、法政大学の上西充子さんの『裁量労働制、政府の答弁を検証する』という記事の一部をご紹介します。

今回政府が改正法案の一つとして成立を目指している裁量労働制とは、実労働時間ではなく「みなし労働時間」で時間管理をする制度です。裁量労働制では、8時間、あるいは9時間といった「みなし」の労働時間に対し、賃金が決められます。本来であれば、8時間を超える労働には、割増賃金(残業代)の支払いが必要です。残業させる場合には、割増賃金の支払いが必要であること、また三六協定を締結しその範囲内での残業しか認めないこと、それらが、長時間労働を抑制しています。

しかし裁量労働制では、実際に9時間働こうが、10時間働こうが、当初決められたみなし労働時間に対する賃金だけ払えばよく、例えば「みなし労働時間」が8時間と定められていれば、実際には10時間の労働に対し、8時間分の賃金の支払いのみで済ませることが可能です。使用者側にとってはとてもお得で、労働者にとっては危険な制度です。それゆえ、これまで対象は厳格に絞り、かつ手続きを必要とすることで、その拡大を抑制してきました。今回の法案は、その対象を広げようとするものです。

裁量労働制は、2種類にわかれています。専門業務型と企画業務型です。専門業務型は弁護士や記者などが対象です。今回枠を広げようとしているのは、企画業務型になります。現在、企画業務型の裁量労働制は、企業の中枢部門で働いている人に限定し、企画立案などの業務を自律的に行う人にその適用を認めています。今回の改正では、その範囲を法人提案型営業などについても拡大しようとするものです。

法案要綱が定まる前の段階では、今回の拡大で裁量労働制が認められる営業職は、「非常に高度なコンサルティング営業」であるかのように、答弁では語られてきました。単なる商品の販売は対象外となっています。しかし、「単なる商品の販売」と「非常に高度なコンサルティング営業」の間には、大変幅の広い営業活動が含まれます。実際、営業には多くの場合、コンサルティングの要素が入ってきます。幅広い営業職のうち、どこまで対象範囲となるのか、どの程度の労働者が対象となりうるのか、政府は具体的に示していません。

さらに今回、法人提案型営業に対して裁量労働制が適用可能となると、今度はなぜ個人への提案型営業ではだめなのか、という議論になるでしょう。相手が法人だから高度で、個人だから高度ではないといった区分けは困難でしょう。結果、法改正がいったん行われれば、裁量労働制がどんどん拡大してしまう可能性があります。

「働き方改革」と言えば時間外労働の上限規制が行われるイメージがありますが、裁量労働制の場合は、「みなし労働時間」がその上限規制の対象となるだけで、実際の労働時間はその上限規制の対象外です。実は、「働き方改革」とは、上限規制を設ける一方で、その上限規制の抜け穴を拡大させようとしているのです。「多様で柔軟な働き方」という言葉の裏で、労働者の健康がおざなりになってしまいかねません。

裁量労働制の問題点は上西さんの解説のとおり「どんどん拡大してしまう」という懸念が拭えないことです。これまで当ブログでは電通の高橋まつりさんの事件を取り上げた「電通社員が過労自殺」以降、「働き方改革の行方」や「36協定について」「20時完全退庁宣言」など長時間労働に関する記事を投稿しています。それらの記事を通し、様々な労働法制を整えていく重要な目的は労働者が健康を害さないよう長時間労働を規制するためのものであるという点を綴っていました。

使用者側だけの都合による恣意的な時間外労働を防ぐため、決められたルールを職場の中で守っていくという当たり前な意識を使用者側も労働者側も徹底し、労働組合を有名無実化させないことが重要であることを記してきました。どのような法律を作っても「抜け穴」を探されては論外ですが、そもそも企画業務型裁量労働制の適用拡大は長時間労働規制と逆行した発想でのラインナップであることも留意しなければなりません。

土曜の夕方、TBSの『報道特集』でも裁量労働制について取り上げていました。その中で、NHKの記者として働いていた娘さんを過労死で亡くしたご両親がインタビューを受けていました。夜、帰宅した後、録画した番組を再生していた際、沈痛な思いを語られていた母親の次のような言葉が印象に残りました。最後に、その言葉を紹介させていただきます。

安倍首相がさかんに裁量労働は、希望する方には裁量労働を、そして何時間超えたら医者の診断を受けると。いいことばかりおっしゃってます。耳触りがとてもいいです。だけど現実に現場で働く人間にとっては、自分から「もう無理です」とかは決して言えないんです。

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2018年2月17日 (土)

『八月十五日に吹く風』から思うこと

前々回記事「自治労の4つの目的」のコメント欄で、nagiさんから『「二日市保養所」の悲劇を語り継げ~引揚げ女性への性暴行と中絶』という記事を掲げたサイトをご紹介いただきました。その際、「私も近年まで知らなかったのですが、歴史に悲劇を埋めることなく、癒されることをねがっています。これも日本の戦争責任のひとつですね」という一言も添えられていました。

二日市保養所では戦後、満州などからの引揚げの過程で、ソ連兵らから性暴行を受け妊娠した日本人女性400~500人の中絶手術が行われた。京城帝大医学部の医師や看護婦等の人道的な措置だった。それは1977年になって、RKB毎日放送がドキュメンタリー「水子のうた」を制作し、放送した。ところが、その後、福岡地区で散発的に新聞やテレビ報道がなされることはあっても、全国的な関心事にはならなかった。

上記はその記事内容の一部です。戦争がもたらした悲劇の一つですが、あまり注目を浴びることのない史実だったため、nagiさんが興味深い記事としてご紹介くださったようです。このコメントに対し、私からは「第2次世界大戦において、まだまだ知らなかった、あまり知られることのない史実が数多くあるようです。このブログを通し、機会を見ながらそのような史実について触れていければと考えています」とお答えしていました。

その時、念頭にあったのは松岡圭祐さんの著書『八月十五日に吹く風』でした。最近のブログ記事「憲法を生かす全国統一署名」の冒頭で『ヒトラーの試写室』を紹介していましたが、その書籍の著者も松岡さんでした。『ヒトラーの試写室』は「この小説は史実から発想された」という前置きでしたが、『八月十五日に吹く風』は「この小説は史実に基づく 登場人物は全員実在する(一部仮名を含む)」という説明が加えられています。

したがって、『八月十五日に吹く風』に描かれている主要な出来事は史実だった訳ですが、私自身、この小説を手に取るまで知らなかった話でした。そのような折り、nagiさんから二日市保養所のことをご紹介いただき、「まだまだ知らなかった、あまり知られることのない史実が数多くあるようです」という感想につながっていました。リンクをはったAmazonのサイトに掲げられている書籍の内容紹介は次のとおりです。

多忙の外務省担当官に上司から渡された太平洋戦争時のアメリカの公文書。そこには、命を軽視し玉砕に向かうという野蛮な日本人観を変え、戦後の占領政策を変える鍵となった報告の存在が示されていた。1943年、北の最果て・キスカ島に残された軍人5千人の救出劇を知力・軍力を結集して決行した日本軍将兵と、日本人の英知を身で知った米軍諜報員。不可能と思われた大規模撤退作戦を圧倒的筆致で描く感動の物語。

アメリカが敵視した、人命を軽んじ易々と玉砕するという野蛮な日本人観が、一人の米軍諜報部員の報告で覆った。戦後占領政策転換の決め手となった1943年、北の最果てキスカ島での救出劇。日本は人道を貫き5千人の兵員を助けた。戦史に残る大規模撤退作戦を、日米双方の視点で描く感動の物語。

キスカ島の救出作戦を改めてネットで検索してみたところ三船敏郎主演の『太平洋奇跡の作戦 キスカ』という映画があったことも知りました。そのリンク先のサイトには「日本の戦争映画には珍しく負け戦ではなく、さらには死傷者の出ない撤退作戦ということもあって、後味もどこか爽快という、稀有な傑作でもある」というレビューが添えられています。

それほど伏せられていた話ではないのにも関わらず、私自身は知らなかった史実、キスカ島からの日本兵5千人の救出作戦だったことになります。キスカ島はアラスカの西側に位置するアリューシャン列島の中の一つの島です。アメリカの領土であるキスカ島を日本軍が占領し、鳴神島と名付けていました。キスカ島の西隣のアッツ島も同じように日本軍が占領し、熱田島と呼んでいました。

まずアメリカ軍は1943年5月にアッツ島を奪還し、日本軍側の兵士は全員玉砕しました。アメリカ軍の次の攻撃目標はキスカ島であり、取り残された日本軍5千人を救助するため、陸軍の樋口中将、海軍の河瀬中将と救助艦隊司令官を務めた木村少将らが人命を重視しながら知略を絞り、奮闘されました。それぞれ実在された方々で、実話をもとに描かれた小説です。

Amazonのカスタマレビューでは「この作品を世界中の全ての人に読んでいただきたいと思いました」「全ての日本人が読むべき。自分の子供たちにも読ませたいです」と絶賛した声が並び、本当に一読の価値のある書籍です。ぜひ、機会があれば手に取ってご覧になってください。このブログでは全体を通した内容の紹介や感想を述べるつもりはなく、「日本人の英知を身で知った米軍諜報員」の報告が「戦後占領政策転換の決め手となった」という史実に注目しながら思うことを書き進めてみます。

ちなみに書籍のタイトル『八月十五日に吹く風』の「8月15日」は終戦の年のものに加え、もう一つ、その2年前の出来事も指し示しています。もう一つの「8月15日」は、1943年、日本軍全員が撤退した後、アメリカ軍がキスカ島に上陸した日のことです。上陸したアメリカ軍は日本兵の「玉砕」を目的にしたバンザイ攻撃の影におびえ、濃霧の中で同士討ちを繰り広げ、負傷者31人、死者25人もの犠牲者を出していました。

日本語通訳官だった米軍諜報部員であるロナルド・リーンは、そのキスカ島での顛末を間近に見聞していました。ロナルド・リーンは仮名で、実在した人物は日本文学研究者のドナルド・キーンさんであるようです。この場では小説で使われている仮名のまま書き進めます。1945年8月15日、リーンはグアム島にある米軍基地に赴任していました。玉音放送が流れた後、リーンは海軍司令部の執務室に呼び出されました。

当時、アメリカ人は「日本人が生命を尊重する、そんなことはありえない」と誰もが信じていました。日本では主婦や子どものような非戦闘員が、刺し違える覚悟で上陸部隊に襲いかかる、そのような予想がもっともらしく新聞記事になっていたそうです。このような極端な偏見が無差別な空襲に対する抵抗感をなくし、原爆の投下まで至らせたとリーンは考えていました。

キスカ島の救出作戦を知っているリーンは、日本の占領政策に大きな影響を及ぼす海軍司令部のメンバーを前にして「日本人を理解不能な野蛮人と見なす先入観」を払拭しなければと思いながら説明を加えていきます。マッカーサ元帥への伝言として「日本国民が人命について、私たちと同様に重く考えているとお伝えください。犠牲を払い、無理を押してでも仲間の救出に向かう。これは私たちの心理となんら変わりません」とリーンは語ります。

「彼らの玉砕も、戦局全体からみれば民族を絶滅から救おうとする自己犠牲であり、積極的な戦闘行動のひとつだったのです。けっして自滅や破壊に肯定的ではありません。そこまでして戦う必要はないと教えることが、私たちに課せられた義務だと思います」と続け、「滅ぼされるから抗わねばならなかった。彼らにあったのはそれだけです。私はただ、日本にいるのがそんな人たちだと認識していただきたいだけです。私たちと同じ、嬉しいときがあったら笑い、悲しいときに泣く、普通の人たちなんです」と司令官らにリーンは訴えます。

「われわれが丸腰で日本に上陸したとして、そこいらにいる未亡人が手榴弾を持って突撃してこないと、本当にいいきれるのか?刃物で襲いかかってくる可能性は?」という問いかけには首を横に振り、「彼らをまるで狂気の戦闘員のように見なし、接触は危険とばかりに過剰な警戒心を持ったことが、キスカ島でも悲劇につながりました。わが軍の兵士たちは互いに殺し合った。あれも8月15日でした。同じことを繰り返してはならないと思います」とリーンは答えていました。

史実に基づく小説の一場面です。実際にあったエピソードだろうと思いますが、どこまで占領政策のあり方に影響を与えたのかどうかは分かりません。ただ誤った情報や偏見は正しい「答え」を導き出すための障壁となります。そのような意味合いで、リーンの率直な意見具申や情報提供は無益な戦いを回避するための価値ある振る舞いだったはずです。さらにアメリカ軍の空襲や原爆投下は絶対許されない行為ですが、日本では女性や子どもも戦闘員という偏見が攻撃を正当化していた事実や悲劇は教訓化しなければなりません。

最近読み終えた『八月十五日に吹く風』の内容をもとに、ここまで書き進めてきました。蛇足になってしまうのかも知れませんが、史実をはじめ、本当に物事に対する見方や評価は人によって枝分かれしがちな一例を最後に紹介させていただきます。やはり最近読み終えた書籍『大直言』の中の一文です。自民党参院議員の青山繁晴さんと作家の百田尚樹さんの対談本で、百田さんの言葉をそのままご紹介します。

私も、無駄死にじゃなかったと思ってます。それはなぜかというと、戦後のアメリカ軍が日本に対して非常に厳しい政策をとりました。けれども、とことん苛烈な政策をとれなかったのは、神風特攻隊の影響があったと思います。もちろん、神風だけではなく、硫黄島の戦い、あるいは沖縄での地上戦、あるいはペリリュー島での戦い…こういう戦いで、日本軍はいざとなったら、とことん、みずからの命をなげうって、祖国のために戦うということが身に染みてわかった。

この精神をアメリカ軍は非常に恐れて、あるいは尊敬したと思います。ですから、戦後、日本は二つ、三つの国に分断されない、あるいは植民地化されなかった。この影響は、神風特攻隊に代表される、本当に命を捨てて戦った兵士たちがGHQを恐れさせたと思ってます。ですから、そういう意味では、無駄死にじゃなかったと思ってます。

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2018年2月11日 (日)

平昌オリンピック、強まる政治色

先週金曜の夜、平昌オリンピックが開幕しました。オリンピックは「平和の祭典」と呼ばれていますが、確かに戦争の影が現実味を帯びているようであれば開催は困難です。1940年の第12回大会は東京での開催が決まっていましたが、日中戦争の勃発によって見送られていました。結局、第2次世界大戦の影響で第12回と第13回の開催自体が中止に追い込まれていました。

戦後、ロンドンで開かれた第14回大会以降、4年ごとの開催が途切れることはありません。しかしながら東西冷戦の時代、ソ連軍のアフガニスタン侵攻への制裁措置として1980年のモスクワ大会の参加をアメリカや日本など西側の陣営がボイコットしました。その4年後のロサンゼルス大会はソ連側が不参加となり、西側の諸国だけの開催となっていました。

政治に翻弄され、選手生命のピークの時期に不参加を強いられた出場候補だった皆さんの無念さは計り知れません。「アスリートファースト」という言葉からは程遠い出来事でした。その後、選手の不参加という事態は避けられていますが、開催国の諸問題を抗議する意図を込め、各国首脳が開会式を欠席するという手法は頻繁に見受けられています。

4年前のソチ冬季大会の開会式には、欧米諸国の首脳がロシアの反同性愛法の問題に抗議し、揃って欠席しました。そのような中で、プーチン大統領との親密さを重視していた安倍首相は開会式に出席していました。今回の平昌大会の開会式も安倍首相をはじめ、各国首脳は政治的な思惑を錯綜させながら対応を判断していったようです。本来、オリンピックと政治は一線を画すべきところですが、よりいっそう平昌大会は政治色の強さを際立たせています。

9日夜に開会式がある平昌五輪は、北朝鮮が参加したことでスポーツの祭典という位置付けだけでなく、政治的な駆け引きの場としても注目を集める。「南北融和」を期待する声がある一方で、北朝鮮の管弦楽団入国に対する抗議行動が起こるなど、韓国内にはさまざまな受け止め方がある。地元の韓国メディアは北朝鮮の参加をどのように考え、何を伝えようとしているのか。

北朝鮮の選手団が、海外メディアの取材に応じることはほとんどない。雪上競技が行われる平昌と、氷上競技が開催される江陵に設けられた選手村でも、その姿勢は同じだ。6日にあった選手村の報道公開では、江陵のトレーニング施設に北朝鮮のジャージーを着た選手とコーチが姿を見せた。ランニングマシンで黙々と汗を流す選手らを、遠巻きに見つめる韓国の報道陣。トレーニングを終えて宿舎に戻る瞬間を待ち構え、一斉に近寄って質問を投げかけたが、選手らは足を止めなかった。

大手通信社・聯合ニュースの男性記者(29)は「五輪への参加で、北朝鮮関連の二ュースはより重要性を増した。社としても力を入れて北朝鮮選手らの動きを取材し、報道している」と話す。それでも、北朝鮮が朝鮮労働党内序列2位の金永南・最高人民会議常任委員長の派遣を決めたことなどを踏まえ、「北朝鮮の参加に意味はあるとは思うが、政治的な意味合いが強くなるのは五輪精神に反する」と、今後の動きに注目する。

大手新聞社の社会部の男性記者(32)も「国内には北朝鮮のPRの場になるのではないかという懸念があり、そうした観点で取材を進める」と説明する。一方で「北朝鮮関係者の宿泊するホテルには、どんなお菓子があるのか」「どんな携帯電話を使っているのか」といった読者の素朴な疑問に答えるような取材もしているという。韓国内には「過熱報道」との指摘もあるが、純粋にスポーツの祭典としての報道を心掛けるメディアもある。

スポーツ専門テレビの男性記者(32)は「北朝鮮の選手を特別視する報道はしない」と断言する。女子アイスホッケーが統一チーム「コリア」を結成したことについても、「統一チームを結成したことは過去のスポーツイベントでもあるし、そもそも政治とスポーツを100%切り離すことはできない」と冷静に話した。【毎日新聞2018年2月9日

このように平昌オリンピックは北朝鮮の参加で朝鮮半島を巡る政治色の強い大会となっています。男性記者の「そもそも政治とスポーツを100%切り離すことはできない」というコメントが示すとおり政治の動きと切り離すことができないのであれば、オリンピックの場が望ましい方向に進む好機になって欲しいものと願っています。

国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の開会式のあいさつは政治色に満ちたものだった。IOCはリオデジャネイロ五輪で難民五輪選手団(ROT)を初めて結成したことで「希望のメッセージ」を発信し、今回の平昌五輪では韓国と北朝鮮が合同で入場行進したことで「平和のメッセージ」を発信したと自賛した。

五輪の政治利用を懸念する声に対してバッハ会長は、IOCの取り組みは政治的な意図に無縁であることを明確にしていると強調してきた。だが、五輪のたびにスポーツを政治的な課題に絡めて語る傾向が強くなっている。この日は「多様性の中での結束は、分断しようとする力よりも強い」とも訴えた。

バッハ会長は開会式で「スポーツは人々を一つにする力がある」と話した。全てのアスリートが選手村で寝食をともにすることで新たな交流が生まれ、五輪憲章にある「平和でよりよい世界の構築に貢献」につながる。だが、政治的な課題を解決するためにスポーツがあるわけではない。スポーツに力があるのはバッハ会長も認めるように、ルールを守る前提があるからだ。人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教などの違いを乗り越えられるのもこのためだ。

今、スポーツはそのルールが大きく侵害される危機にある。ロシアによる組織的なドーピングだ。この対策こそがバッハ会長が向き合うべき課題のはずだ。バッハ会長は「ルールを守り不正をしないことによってのみ、皆さんは心から五輪を楽しむことができる」と選手らに説いたが、説得力に欠ける。個人資格とはいえロシア選手が出場することに否定的な選手は少なくない。

南北融和ムードでの開催はバッハ会長が待ち望んだものだった。前回、ソチ五輪に北朝鮮が参加しなかったことでIOCは北朝鮮の選手が平昌五輪の出場資格を得られるように、特別支援プログラムの提供を申し出るなど働きかけてきた。「開会式をご覧になっている世界中の五輪ファンのみなさん、私たちはこの素晴らしい行進に感銘を受けました」と成果を強調した。スポーツは外交手段としては極めて有効だ。だからこそ慎重であるべきだ。あるIOC委員は「大会後に何が起きるのかは誰も分からない」と話している。【毎日新聞2018年2月10日

バッハ会長はIOCの取り組みが政治的な意図に無縁であることを強調していますが、「スポーツは人々を一つにする力がある」とし、「多様性の中での結束は、分断しようとする力よりも強い」と政治色もにじませた言葉を発しています。いずれにしても南北融和ムードでの開催はバッハ会長の待ち望んでいた姿であることが伝わってくる開会式での挨拶でした。

一方で、北朝鮮に配慮しすぎているような開催のあり方に対し、疑問や批判的な見方を示されている方々も多いはずです。IOC委員の「大会後に何が起きるのかは誰も分からない」という言葉はその通りなのかも知れませんが、オリンピックの後、戦争が始まる事態だけは絶対避けなければなりません。

日本人の半数近くがアメリカの北朝鮮に対する軍事力行使を「支持する」という調査結果もあります。ただ多くの人命が奪われる戦争自体の是非を問えば、圧倒多数が「非」と答えるのではないでしょうか。安倍首相に心から願うことです。戦争を避けられる選択肢が見出せるのであれば、その選択肢が実を結ぶように最大限の努力と英知を発揮して欲しいものと切望しています。

北朝鮮情勢を巡るキーパーソンが平昌オリンピックを通し、接触できる機会を得られています。文字通りオリンピックが「平和の祭典だった」と称賛されるような望ましい政治の動きにつながることを期待しています。最後に、個々人の考え方によって評価が大きく分かれるだろうと思われるメディア記事を紹介します。安倍首相が韓国の文大統領に伝えた言葉とその返答を報道した内容です。

9日に韓国の平昌で開いた日韓首脳会談で、安倍晋三首相が文在寅大統領に米韓合同軍事演習を冬季五輪後に予定通り実施するよう求め、文氏が不快感を示していたことが分かった。韓国大統領府と日本政府双方の関係者が明らかにした。首相は会談で、北朝鮮への対応を巡って文氏に「五輪後が正念場だ。米韓合同軍事演習を延期する段階ではない。演習は予定通り進めることが重要だ」と語った。これに文氏は「韓国の主権の問題であり、内政に関する問題だ。首相がこの問題を直接取り上げるのは困る」と答えたという。

会談では北朝鮮への対応を巡る両首脳の温度差が浮き彫りとなった。日本側によると首相は文氏を「北朝鮮のほほ笑み外交に目を奪われてはならない。対話のための対話では意味がない」などとけん制。一方、韓国側の説明によると文氏は「日本も積極的に対話に乗り出すことを願う」と語っていた。【日本経済新聞2018年2月10日

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2018年2月 3日 (土)

自治労の4つの目的

インデックス記事の先がけとなった「自治労の話、2012年夏」があるとおり「自治労」を直接的な題材にした内容の投稿は多数あります。最近は少なくなっていましたが、久しぶりにタイトルに「自治労」を掲げた内容の新規記事に取りかかってみます。前回記事「憲法の話、インデックスⅡ」に寄せられた下っ端さんとnagiさんからのコメントが切っかけとなっていますが、最近、全国紙の政治面に「自治労」の名前を見かけたことも後押ししていました。

自治労は30日の中央委員会で当面の国政・地方選挙の運動方針を決めた。立憲民主党の綱領や基本政策が「自治労の政策、運動方針とおおむね一致すると評価できる」と明記し、同党支持の姿勢を鮮明にした。連合傘下の産別組織で立憲民主党への支持を明確化したのは初めて。今後、官公労系労組を中心に同様の動きが出そうだ。一方、民間労組には立憲民主党と距離を置く傾向もあり、来年夏の参院選は、連合が傘下産別ごとに支持政党が分かれる「股裂き状態」に陥る可能性がある。

自治労の運動方針は、従来の「民進党を基軸」という表現を「立憲民主党、民進党を基軸」に改めた。希望の党に関しては「自治労の政策を理解する候補について支援する」との記述にとどめた。自治労出身の江崎孝参院議員は昨年末に民進党を離党し、立憲民主党に入党している。【産経新聞2018年1月30日

水曜の朝、自宅に届く読売新聞で見かけたトピックスでしたが、ネットで検索したところ産経新聞のサイトが上位に掲げられていました。全国紙それぞれが同じ内容の報道を行なっていたようです。翌々日には「旧総評系産別が相次ぎ立憲民主党支持 私鉄総連が民進党から“鞍替え”」という見出しの記事を産経新聞が掲げ、マスメディアも注目する一連の動きが続いています。

自治労の中央委員会に私自身は参加していませんでしたので、参加した私どもの組合の副委員長に新聞報道の話を投げかけてみました。すると全体的な議論の中で、ほとんど政治方針については取り上げられていなかったそうです。それよりも非常勤職員の待遇に大きな影響を及ぼす会計年度任用職員を巡る質疑が大半を占めていたようです。

この話を冒頭で取り上げた理由の一つとして政治的な動きが注目を集めがちですが、自治労そのものも職場に根差した活動が主体であることを強調したかったからです。一方で、やはり自治労の運動方針の中には政党との支持協力関係のあり方などが盛り込まれているのも事実であり、そのあたりについて改めて掘り下げる機会として中央委員会の話を紹介させていただきました。

前回記事に対し、下っ端さんから政治的な運動について「公務員の組合活動で取り組む必要があるのか?です。主たる活動か、少しだけの活動か、少しなら問題ないのか?などと、量の話もしていません。そもそも、扱うべきかどうかについてお伺いしたはずです」という問いかけなどがありました。組合員一人ひとりの政治意識が多様化している中、一つの考え方の押し付けにつながるような活動のあり方への疑念だと受けとめています。

日曜の朝に寄せられたコメントだったため、すでにコメント欄を通して私自身の考え方を改めて説明させていただきました。ただ残念ながら、その「答え」も下っ端さんには充分な理解を得られないものだったろうと思っています。大きく2点、論点を整理してみます。まず労働組合は職場課題のみに専念し、政治的な活動に関わるべきではない、このような考え方があります。

もう一つ、必要に応じて政治的な活動に関わったとしても、安全保障のあり方など組合員の中で評価が分かれるような活動は控えるべき、このような考え方もあります。以上のような考え方があることを認識している中、下っ端さんの問いかけに対する私自身の「答え」は下記のとおりでした。今回も長い記事になりそうですが、その時にお答えした内容をそのまま掲げさせていただきます。

私も下っ端さんのお考えや問題意識は充分理解しています。今回の記事の冒頭にも記したとおり「公務員の組合が政治的な活動に関わること自体に疑義を示される方々」の筆頭だろうと受けています。その上でお答えしてきているつもりですが、そもそも自治労のHPにも掲げられているとおり「自治労の4つの目的」の一つに「社会正義を実現すること」、要するに政治的な活動も大きな柱として位置付けられています。

それでも自治労は単位組合の連合体ですので、それぞれの組合独自の運動方針を確立することもできます。場合によって組合員の総意のもとに自治労を脱退するという選択肢もあり得ます。しかし、私どもの組合の方針として、ご承知のとおり私自身の考え方としても「自治労の4つの目的」を支持しています。その一方で、前回記事に記した次のような立場で日常の取り組みの是非を判断しています。

>自治労からの指令や要請だったとしても、絶対取り組むことができない、もしくは組合員にとってマイナスにつながるものと考えれば拒むつもりです。そのように判断しない限り、取り組む優先順位や濃淡があったとしても自治労という産別に結集している責務は果たしていくべきものと考えています。

だからこそ私自身にとって背伸びせず、主客逆転しないという「量」の問題が大きなポイントとなっています。加えて当たり前なことですが、これまで当ブログの記事で数多く綴ってきているとおり地方公務員として、職員団体として法律的に認められた範囲内で活動しています。

さらに一方で、組合員一人ひとりの政治意識が多様化しているため、個々の意に反する活動に対して批判を受けてしまう場面が増えている現状も重く受けとめています。そのため、このブログや日常の組合ニュースを通して「なぜ、取り組むのか」「なぜ、反対しているのか」という丁寧な説明や情報発信を心がけています。

幸いなことに日常の組合ニュース記事のバランスや内容に対し、下っ端さんと同じような問題意識を持っている組合員の皆さんから及第点をいただいています。「自治労の機関紙と違って、いつも職場課題が前面に出ているので」という率直な一言が添えられたものですので忖度や遠慮した声ではないものと理解しています。

組合役員の担い手の問題ですが、わずかでも政治的な課題に取り組むから新たな立候補者が激減している、そのような見方があることを頭から否定できません。それでも今まで政治的な取り組みや立場から距離を置いた上、職場課題を中心に組合役員を担っていただいた組合員も決して少数ではありません。

時代の変化に対応、そのとおりです。たいへん長く組合役員を務めているため、組合活動が昔に比べて大きく変化していることを体感してきています。その一つに「昔に比べて反戦平和の取り組みなどが減っている」という声もあります。今後、淘汰されない組合組織に向け、長く担ってきた責任者の立場から引き続き日々努力していくつもりです。

自民党と社会党が対峙していた55年体制の時代であれば、労働組合が政治的な活動に関わっていても不団結の要因として心配することも少なかったはずです。確かに今は組合の政治活動が組合員の「組合離れ」を進めかねないというリスク認識を持たなければなりません。しかし、だからと言って自治労が、これまで培ってきた運動方針を180度転換させることができるのか、そのほうが望ましいのか、現実的な問題としてはできない、望ましくないという「答え」に至ります。

真っ新なキャンバスに今から絵を描き始めるのであれば、もっと自由に様々な絵を描けるはずです。すでに完成している絵画を手直しすることは容易ではありません。その絵画を素晴らしいと思っている方が多ければ、ますます一から描き直すことは困難です。それでも本当に必要な手直しであれば、時間をかけて少しずつ手直しを加え、将来的にはまったく違った絵柄にすることもできるのではないでしょうか。

私自身、「自治労の4つの目的」や運動方針を基本的に支持している立場です。その上で自分なりの考え方や判断のもとに単組の活動につなげています。政治的な活動に関わるべきではないという下っ端さんからの問いかけに対し、関わるべきという「答え」であり、関わるのであれば組合員の不団結の要因とならないような情報伝達や進め方に留意していなかなければならないものと考えています。

だからこそ「憲法を生かす全国統一署名」に取り組む際などは「なぜ、取り組むのか」「なぜ、改憲の動きに反対するのか」という論点から組合ニュースや当ブログを通して発信していくように努めています。ここで自治労のホームページに掲げられている「自治労の4つの目的」を紹介します。そのサイトには「自治労は公共サービスを提供する労働者のために、4つの目標を掲げています」の後、次の内容の文章が並んでいます。

1 組合員の生活水準を向上させ、労働者の権利を守る
    自治労は、一人ひとりの組合員がゆとりを持って暮らせるよう、賃上げ、労働時間の短縮、必要な人員の配置、安全で快適な職場環境の確保などに取り組んでいます。また社会的にも年金や社会保障制度を充実させる活動を行い、トータルな生活水準の向上をめざします。実際に、制度や法律の設計や改正など必要に応じて、政党請願行動、省庁交渉、首長交渉などを行い、組合員だけではなく労働者の生活と権利を守るために行動しています。

2 やりがいのある仕事が出来るように
    私たちは、公共サービスを支える仕事をしています。そして、多くの組合員が住民・顧客に喜ばれ、自らも役に立っていると実感できる仕事がしたいと思っています。自治労は賃金・労働条件の改善だけでなく、やりがいのある仕事が出来るよう、住民や地域団体、企業、学識者と協力しながら地方自治研究活動(労働組合が主体的に、地方行政や自治体政策、公共サービスや自らの仕事のあり方について研究し、実践する活動)に取り組んでいます。自治労は地方自治研究活動を通じて、情報収集、研究分析、政策づくりを提言しています。実際に、現在多くの自治体で実施している「ごみの分別収集」「急病人の休日・夜間診療」は、自治労の自治研活動から実現した制度です。

3 社会正義を実現すること
    豊かで平和な暮らしは、職場の中の活動だけでは実現できません。地球的規模で起きる環境破壊や経済格差、戦争など現代社会はたくさんの問題を抱えています。それは、毎日の生活に直接的に影響する問題から、間接的に影響するものまで、広範囲にわたります。こうした個人では解決できないことでも、労働組合という組織で力を合わせ、大きな力とすることで問題の解決に近づけます。自治労はさまざまな団体等と連携し、“社会正義”の実現をめざします。その取り組みの一環として、自治労は原発再稼働を許さない取り組みや戦争につながる施策に反対する取り組み、賃金関係で言えば連合に結集して春闘に積極的に参加しています。 

4 労働者の助け合い活動の実践
    組合員が過ごしやすい環境づくりのために、「自治労共済」という非営利運営による福祉事業に取り組んでいます。2013年6月以降は「全労済自治労共済本部」として大きく助け合いの輪を拡大し活動しています。サービスの提供により、日々の生活に必要な保険料などを抑制し、より多く組合員の可処分所得を確保します。

1954年の自治労結成時からの綱領がありましたが、2003年9月の定期大会で新たな綱領的文書として「自治労21世紀宣言」を確認しています。その中では「自由・公正・連帯」の社会の創造という言葉が掲げられています。「4つの目的」でも示されているとおり自治労にとって組合員の労働条件向上のため、職場課題に全力を注ぐことと同時に政治的・社会的な活動にも関わっていくことが結党時からの基本的な立場とされています。

自治労の4つの目的のひとつである「社会正義を実現すること」。この「社会」は日本の国内にとどまるのか海外まで範囲に入るのですか? また自治労が考える「正義」とは具体的にどのようなことがらでしょうか。HPを参照すると、「社会正義」の為に原発再稼働反対や戦争につながる政策の反対とありますが、原発そのものが悪という仮定ならば、それは他国でも同様ですか。また、原発が悪ならば、それらを事業として展開する東芝や日立はどのような位置付になりますか。単純に素朴な疑問です。時間があれば教えて下さい。

上記は前回記事に寄せられたnagiさんからのコメントの一つです。電子辞書で調べてみると社会正義とは「社会生活を行う上で必要な正しい道理」と記されています。したがって、国内外問わず、改めるべきものは改めていくべきという主張だろうと理解しています。「4つの目標」の基本的な方向性等は支持していますが、nagiさんが疑問を呈しているとおり「社会正義」の項目に掲げられた原発に絡む話は今一つこなれていないように感じています。

そもそも「社会正義を実現」という考え方自体、大きな峻別を意識していかなければ、それこそ自治労組合員間での不団結の要因を助長していくことになりかねません。例えば戦争そのものは誰もが忌み嫌い、絶対避けたいものと考えているはずです。つまり戦争をなくすという運動の方向性は「社会正義を実現」と言えるのかも知れませんが、なくすための手法や各論に対しては個々人の評価が分かれがちです。

原発の問題も同様です。社会正義の範疇で括ってしまうとnagiさんのような疑問につながりかねません。原発を正義か、悪かでとらえるのではなく、このまま依存していくのが望ましいのか、政策を転換させていくためにはどうしたら良いのか、このような発想のもとでの是非論だろうと思っています。平和の築き方、安全保障のあり方、憲法9条の問題なども同様であり、自治労の運動方針が「社会正義」だと訴えていった場合、異なる価値観の方々から猛反発を受けてしまうのではないでしょうか。

そして、猛反発するかも知れない方々の中に自治労組合員も少なくないはずです。「社会正義を実現すること」という目的に賛同していますが、言葉の使い方や具体的な運動の進め方には注意を払っていく必要があります。下っ端さんとnagiさんからの問いかけに対し、私なりの問題意識を書き進めてきましたが、うまく伝えられているのかどうか分かりません。このブログは単発で終わるものではありませんので、表現や言葉が不足していた場合、次回以降の記事本文を通して補っていければと考えています。

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