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2018年1月 6日 (土)

多面的に見た時の明治維新

今年は明治維新から150年目となります。日曜夜から始まるNHKの大河ドラマは明治維新の立役者である西郷隆盛を主人公にした『西郷どん』です。西郷隆盛は坂本龍馬と並ぶ幕末志士として有名であり、数多くの小説やドラマに登場しています。二人とも傑出した人物として取り上げられ、明治維新そのものが肯定的な評価のもとに語られがちです。

明治維新があり、江戸幕府から新政府に変わったことによって近代化が進み、欧米列強からの植民地化を免れたという見方が一般的であるようです。下記に紹介するとおり安倍首相の年頭所感の中でも明治維新に対しての同様な意義を強調しています。今回の記事で明治維新に対する通説的な見方を真っ向から否定する意図はなく、あくまでも多面的に見た時、違った評価につながる一例として取り上げてみるつもりです。

安倍首相は1日付で2018年の年頭所感を発表した。首相は昨年10月の衆院選勝利に触れ、「本年は『実行の一年』だ。総選挙で約束した政策を一つ一つ実行に移していく」と強調。「2020年、さらにその先を見据えながら、新たな国づくりに向けて改革を力強く進めていく決意だ」と表明した。首相の自民党総裁2期目の任期は今年9月まで。総裁選3選と、東京五輪・パラリンピックが開催される20年までの改正憲法施行に重ねて意欲を示したものだ。

首相は年頭所感で「本年は明治維新から150年の節目の年」と紹介した上で、欧米列強による「植民地支配の波がアジアに押し寄せる国難」の中で始まった維新同様、「今また日本は少子高齢化という国難に直面している」と指摘。「未来は変えることができる」として、教育無償化を柱とする2兆円規模の政策パッケージなどの実現に取り組む考えを示した。安全保障・外交面では「毅然とした外交を展開し、いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と記し、核・ミサイル開発を進める北朝鮮問題などに万全の構えで臨む姿勢を強調した。【JIJI.COM2018年1月1日

このブログでは多面的という言葉を多用しています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。

このような傾向があることを認識しているため、私自身、いわゆる左や右の主張を問わず、なるべく幅広い情報や考え方に接するように努めています。そのため、かなり前に『明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』という文庫本を書店で目にした時、すぐレジに運んでいました。読み終えた後、多面的に見ることの興味深さの象徴的なものとして、明治維新について機会を見て取り上げてみようと思っていました。年が明け、ちょうど150年という節目に至り、さっそく今回の記事の題材としてみました。

そもそも安倍首相は長州に連なる山口県出身であり、それこそ明治維新を肯定的にとらえる側の筆頭だろうと見ています。一方で、不本意な「朝敵」にされた会津藩に連なる地方の皆さんは明治維新を否定的にとらえがちであることも耳にしていました。「勝てば官軍」という言葉がありますが、『明治維新という過ち』を読み終えた後、ますます正義は立場によって変動することに思いを巡らす機会となっていました。

維新150年、偽りの歴史を斬る。共感と論争の問題作、ついに文庫化!幕末動乱期ほど、いい加減な美談が歴史としてまかり通る時代はない。京都御所を砲撃し朝敵となった長州を筆頭に、暗殺者集団として日本を闇に陥れた薩長土肥。明治維新とは、日本を近代に導いた無条件の正義なのか?明治維新そのものに疑義を申し立て、この国の「近代」の歩みを徹底的に検証する刮目の書。

本書が訴える明治維新の過ちの数々― 悪意に満ちた勝者による官軍教育。 坂本龍馬「薩長同盟」仲介の嘘。 吉田松陰が導いた大東亜戦争への道。 「維新」至上主義、司馬史観の功罪。テロを正当化した「水戸学」の狂気。 二本松・会津での虐殺、非人道的行為。

上記は文庫本の背表紙やリンク先のサイトに掲げられている書籍の内容紹介です。端的な紹介文からどのような内容の書籍なのか、ある程度推測できるのではないでしょうか。著者の原田伊織さんは作家と歴史評論家という肩書で紹介されています。原田さんは『明治維新 司馬史観の過ち』『大西郷という虚像』『三流の維新 一流の江戸』など他にも明治維新に絡む通説を覆す内容の著書を多数発表しています。

今回のブログ記事は書評を目的としたものではありませんが、著作権やネタバレに注意しながら少しだけ書籍の中味も紹介していきます。原田さんは明治維新を単純に否定する立場ではなく、敗戦によって「昨日までは軍国主義、今日からは民主主義などと囃し立てて、大きく軸をぶらしただけに過ぎなかった」と記し、日本人が過去に遡って永い時間軸を引くという作業や「総括」をしていないことの問題意識を抱えられています。

この150年近く、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じこ込まされてきた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのだ。果たして、そうなのか。明治維新の実相を知った上で、そのように確信したのか。

このような問題提起のもと様々な事例に切り込みながら明治維新に対する新たな見方を原田さんは解説しています。私たちが子どもの頃から教えられてきた幕末維新に関する歴史は「長州・薩摩の書いた歴史」であると言い切られています。その上で原田さんは「長州・薩摩が書かなかった」ことの実相を整理することで、歴史というものの正体や恐ろしさを知ることができると語っています。

もし、己の政治信条や政治的欲求を実現するためにはテロもやむなしという立場を肯定するならば、吉田松陰一派を内輪だけで「志士」と呼んで英雄視するのもいいだろう。しかし、私は、テロリズムは絶対容認しない。テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。従って、彼らを「志士」と評価することなどあり得ようはずがなく、テロリストはどこまでもテロリストに過ぎないのだ。

この点については私も同感です。さらに原田さんは維新の精神的支柱となった偉大な思想家としての吉田松陰像自体が捏造であると記しています。有名な松下村塾は陽明学者の玉木文之進の私塾で、吉田松陰が主宰していたという事実は存在しないと述べています。偉大な思想家は虚像だったと説く一方、吉田松陰が朝鮮、満州、台湾、フィリピンなどを領有すべきという外交思想を持ち、軍国日本の侵略史を後押ししたという見方を原田さんは示されていました。

冒頭に記したとおり明治維新に対する通説を真っ向から否定する意図はありません。したがって、原田さんの見解を鵜呑みにしている訳でもありません。あくまでも見る位置や角度を変えると物事に対する評価が大きく変動する象徴的な一例として紹介しています。いずれにしても『明治維新という過ち』を読み進める中で「なるほど」と思った点、「そうなのかな」と思った点が混在していました。

江戸期の日本社会が旧弊のみに支配された、貧窮した農民社会であったとしたのは、今にして思えばそれも官軍教育=薩長史観の言い方であった。単なる「西欧システム」を「近代社会」と表現し、古代より中世、中世より近代と、時の経過が「進歩」をもたらすと無条件に信じ込ませたのも薩長史観であった。

原田さんは世界史的に見ても人類にとっても類い稀な固有の特性を持つ「江戸システム」と称え、江戸時代の幕藩体制を高く評価されています。薩長が主導した軍事クーデターや内戦を経て成し遂げた「明治維新」がなければ、もっと違った姿の日本があり、そのほうが望ましい歴史を刻めたのではないか、そのような原田さんの問題意識が全編を通して伝わってきていました。

私たちは勘違いをしていないか。「新時代」「近代」と、時代が下ることがより「正義」に近づくことだと錯覚していないか。「近代」と「西欧文明」を、自分たちの「幸せ観」に照らして正しく見分けて位置づけているか。そして、「近代」は「近世」=江戸時代より文明度の高い時代だと誤解していないか。

今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。そのためには、幕末動乱以降の出来事をすべてそのまま、飾り立てなく隠すこともなく、正直にテーブルの上に並べてみるべきであろう。本書の願いは、その一点に尽きることを改めてお伝えして、ひとまず筆を擱きたい。

当初に考えていた以上に書籍からの引用文章が多くなってしまいました。最後の箇所は著者である原田さんが最も訴えたかった点であり、正しく伝えるためにも書籍に掲げられた文章をそのまま紹介しています。今回、明治維新から150年、いろいろな思いを巡らすための参考材料として「多面的な見方」をキーワードに書き進めてきました。最後に、人によって毛嫌いされてしまう『LITERA』では「安倍首相が年頭所感で“明治礼賛”」という記事を発信していました。あくまでも多面的な情報の一つとして紹介しますので興味を持たれた方はリンク先のサイトをご参照ください。

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コメント

私はリテラを毛嫌いしてるのではなく、あまりの低俗な
内容と、憎悪と侮蔑が酷いと考えてるだけです。
OTSU氏が言う、多面的な見方に憎悪を煽ったり他者を愚弄し
たりすることが含まれてると思ってもいなかっただけです。

そのような行為も含んだ上で、多面的な見方と言われるなら
納得です。

今年はますますいろんな事柄で分断と対立が激化するんで
しょうか。心配ですね。

投稿: nagi | 2018年1月 9日 (火) 11時38分

nagiさん、コメントありがとうございました。

誹謗中傷をはじめ、憎悪を煽ったり他者を愚弄するような主張は決して推奨していません。リテラ編集部の記事は反政権の立場を鮮明にし、言葉を選ばずに辛辣な批判意見が多くなっています。そのため、nagiさんと同じような受けとめ方をされる方々も少なくないのかも知れません。

私自身の言葉で綴るブログ記事は一字一句責任を持ち、立場を異にする方々にも届くような内容に心がけています。一方で、当たり障りのない言葉になりすぎて「何を言いたいのか分からない」というケースもあるようです。

いずれにしてもリテラの記事は絶対的なNGではないという判断のもと、あくまでも多面的な情報の一つとして紹介しています。ご理解いただけないかも知れませんが、私自身の対応方針についてご容赦くださるようよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2018年1月13日 (土) 06時57分

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