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2018年1月27日 (土)

憲法の話、インデックスⅡ

このブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしています。日常的な組合活動の中で政治的な課題の占める割合はごくわずかで、それも背伸びしない範囲で取り組んでいる現状です。そのような中で組合の運動方針に照らしながら「憲法を生かす全国統一署名」などにも取り組んでいます。

労働組合が、まして公務員の組合が政治的な活動に関わること自体に疑義を示される方々も少なくありません。一方で、もっと力を注くべき、昔に比べて反戦平和の取り組みなどが減っている、そのように見ている方々も決して少数ではありません。私自身、両極端の声があることを受けとめた上で日々の活動に向き合っているつもりです。

その上で、できる限りの範囲内とは言え、自治労に結集している私どもの組合も平和や原発の課題に関わっていくのであれば、このブログを通して「なぜ、取り組むのか」「なぜ、反対しているのか」という趣旨の発信に努めていくことも大切な試みだろうと考えています。さらに不特定多数の方々に「働きかける」という自分なりの一つの運動として位置付けている側面もありました。

そのため、日常の組合活動の中で政治的な課題の占める割合は少ないのですが、このブログでは意識的に政治的な話題を数多く取り上げるようになっています。今回の題材選びも少し迷いましたが、「インデックス」記事が右サイドバーの「最近の記事」から消えている間隔となっていましたので過去の記事を紹介する機会としながら「憲法の話」を3週続けることにしました。

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べています。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めていました。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめています。

これまで投稿したインデックス記事は「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「春闘の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「憲法の話、インデックス」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」「いがみ合わないことの大切さ、インデックス」のとおりです。なお、今回から「Ⅱ」 がある場合は最初の記事は外しています。

「憲法の話」に関わるバックナンバーは上記のとおりです。こちらのインデックスとしてのバックナンバーは検索しやすさを考えて、最初の記事からそのまま一覧として残しています。振り返ってみると「Ⅰ」にあたる「憲法の話、インデックス」は一昨年7月に投稿していました。そこから1年半の間に7点の憲法関連の記事を投稿してきた訳ですが、それほど改憲の動きが強まっている証しだと言えます。

言うまでもありませんが、憲法の話は9条に限ったものではありません。ただ当ブログでは結果的に憲法9条の平和主義に絡む話が多くなっています。現在、全国規模で取り組まれている署名の請願事項も9条に絞った論点となっています。これまでの経緯から考え、改憲論議が憲法9条を巡って争点化されていくことは必然的な流れだろうと思っています。

押し付けられた憲法という認識のもとに改めたいと考える側が最も改めたいのは憲法9条であり、護憲と言われる側の死守しようとしている条文が9条であることは衆目の一致するところです。このような流れの中で、憲法9条の3項として自衛隊、もしくは自衛権について付け加えるべきかどうかが論点化されつつあります。

自衛隊に対する認知度が高まっている中、現憲法で曖昧な位置付けである自衛隊を明記したいという選択肢であれば国民の多くは賛意を示すはずです。安保関連法施行前であれば私自身も含め、頭から否定しづらい選択肢だったことは確かです。しかし、限定的とは言え、集団的自衛権の行使を認めた自衛隊をそのまま憲法の中で追認していくことの危うさを感じています。

集団的自衛権のもとに海外での戦争に自衛隊も参加できるようになっています。直接的な戦闘には関わらず、後方支援が自衛隊の任務だと言われています。ただ後方支援も戦争参加であり、敵対する相手国からの標的になります。それにも関わらず、安倍首相は「戦闘が起こった時は、ただちに(後方支援活動を)一時中止、あるいは退避することを明確に定めている」と説明しています。

私自身の誤解なのか杞憂なのか分かりませんが、このような後方支援は「なぜ、日本の軍隊だけ安全な場所にいて、最前線に出てこないのか」「戦闘を前に撤退するのか」という批判の声にさらされてしまうことを危惧しています。加えて、一度改憲に踏み出せば片務性を解消したいアメリカ側からの声や外圧に抗し切れづらくなり、いずれフルスペックの集団的自衛権を行使できる国際標準の軍隊に改めざるを得なくなるものと見ています。

そもそも安倍首相は、そこまでのゴールを見据えた上での「自衛隊加憲」提案を示し、「蟻の一穴」を強く意識した手順を企図しているのではないでしょうか。ネット上の様々なサイトに触れていくと、中国や北朝鮮情勢をどのように見るかどうかという温度差の違いによって安倍政権への評価は分かれていくように感じています。北朝鮮の脅威が取り沙汰されればされるほど安倍政権の支持率は上昇に転じるようです。

安倍首相は「必要なのは対話ではない、圧力を最大限強めることだ」と繰り返します。国際社会の中でルールを破っているのは北朝鮮であり、各国が足並を揃えて一定の圧力を加えていくことは必要です。しかし、圧力は平和的に解決するための手段であり、あくまでも対話のテーブルに着かせるための手段だと言えます。それにも関わらず、安倍首相らは必要以上に強い言葉を発し、わざわざ日本が真っ先に標的になるリスクを高めているように思えてなりません。

ミサイル防衛によって「万全の態勢で国民を守る」と安倍首相は力をこめます。しかし、迎撃能力に100%の保障はありません。追い込まれて自暴自棄になった北朝鮮が東京を狙って核ミサイルを発射し、都心上空で爆発した場合、死傷者は400万人に達する見込みです。この400万人という試算の中に自分自身や家族、知人の姿を想像すれば北朝鮮を追い込みすぎることのリスク回避に全力を尽くす政府や政治家を最大限支持すべきなのではないでしょうか。

読売新聞の調査で、アメリカの北朝鮮に対する軍事力行使を「支持する」日本人が47%もいたことに軍事ジャーナリストの田岡俊次さんは唖然としたそうです。戦争体験が風化し、多くの日本人は72年間の平和に慣れて戦争の悲惨さを想像できないようになっています。アメリカの軍事力行使は甚大な被害をもたらす可能性が高いのにも関わらず、「支持する」日本人が多いことについて田岡さんは「平和ボケのタカ派」と表現しています。

憲法の話が広がり気味で恐縮ですが、とりまく情勢の厳しさから改憲の必要性を説く声も耳にします。ただ9条の見直しは周辺国を刺激する動きであることも押さえなければなりません。あえて他国を刺激しないという「安心供与」や「広義の国防」を重視する道こそ、日本の進むべき道であって欲しいものと強く願っています。決して「カエルの楽園」で揶揄されているような偏った論点ではなく、専守防衛を基軸にした平和主義の効用こそ改めて評価していくべき局面だろうと考えています。

最後に、憲法96条に沿った改正手続きの際、憲法9条の見直しは幅広く正しい情報をもとに判断できる環境を整えていくことが欠かせません。絶対避けるべきことは不誠実で不正確な選択肢のもとに国民投票が実施され、憲法の平和主義が変質していくような事態です。私自身、明解な選択肢は憲法9条の「特別さ」を維持するのか、改めるのかどうかだろうと考えています。そのような明解な選択肢が示された上、国際標準の「普通の国」に踏み出すことを国民が選択するのであれば、それはそれで厳粛な国民投票の結果として受けとめていかなければなりません。

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2018年1月21日 (日)

憲法を生かす全国統一署名 Part2

前回記事「憲法を生かす全国統一署名」には書き残した内容が多くありました。長い前振りの話としてスイスのことを取り上げながら、関連付けた論点に触れないまま終えていました。私どもの組合員の皆さんに示した端的な言葉の紹介も含め、次は「Part2」として続けることを前回記事を投稿した直後には決めていました。

そのように考えていたところ前回記事のコメント欄で、おこさんから「組合員は署名と説明を聞くのをお断りすることは可能でしょうか?つまりお断りしてもなお組合に留まれるでしょうか?」という問いかけがありました。たいへん恐縮ながらコメント欄への対応も週末に限っているため、私から返信する前に下っ端さんからは次のようなコメントが寄せられていました。

労働者が、自分たちや仲間たちの職場環境や労働条件を守るための組合が、なぜ・・・・ 「憲法9条を変えないで下さい」と言う署名活動を行う必要があるのでしょうか。本気でそのような行動を取ることに、疑問を感じていないのでしょうか。おこさんの意見に、何も感じませんか?こんなこと続けていたら、組合は存亡の危機を迎えますよ。

>2017年5月3日、安倍晋三首相は突然、「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べました。

>2018年1月14日、某組合執行部は突然、「憲法を生かす全国統一署名に取り組む」と述べました。

さて、この2文は何か違いはありますかね?それくらい、今回の内容には違和感を感じます。このような署名への参加など、組合員に何の意味がありますか?逆に聞きたいのです。組合は、何の権利があって、このような署名活動を組合員に求めてるんですか?求める、という行為は例え任意であっても、そこに行動が発生している、ということがわかりませんか?

それと、少数意見の尊重というなら、職場委員会で反対する人が1人でもいた場合は、取り組みは実施しないということでよろしいですか?その1名が、0名になるまでは、決して執行部の一任という荒業は行使しないということを、確約できますか?労使協議の中で、組合員の意見が割れてしまい、最終的に執行部に一任となることは、自分たちの労働条件という枠の中では致し方ない面もあろうかと思います。

しかし、このような署名活動の参加など、組合の本質に何の関係ないのですから、どうしても実施したいならば、少数意見の尊重を徹底してください。丁寧な説明の重要性と、強引な運営への徹底的な批判は、数えきれないくらい書かれているのですから。次回以降の本文の中で説明していきます、などと曖昧なことは言わないでくださいね。

この後、匡樹さんとnagiさんからもコメントが続きました。匡樹さんのコメントを受け、下っ端さんから再度コメントも寄せられていました。土曜の朝、私から取り急ぎ次のようにレスし、日曜の朝、腰を落ち着けて新規記事に取りかかるため、自宅のパソコンに向かっています。長い記事になりそうですが、このブログを閲覧されている皆さんが必ずしもコメント欄までご覧になっていないはずですので、土曜の朝に投稿した私自身のコメント全文をそのまま掲げさせていただきます。

おこさん、下っ端さん、匡樹さん、nagiさん、コメントありがとうございました。今回の署名の取り組み一つ取ってみても4人の方から様々な受けとめ方や考え方を伺うことができています。そのような機会を得られていることについて本当に感謝しています。

なお、下っ端さんからは「次回以降の本文の中で説明していきます、などと曖昧なことは言わないでくださいね」という言葉が添えられていましたが、じっくりお答えすべき論点が多いため、今週末に投稿する新規記事を通して私自身の「答え」を示させていただくつもりです。

ちなみにコメント欄に寄せられた問いかけに対し、「次回以降の記事本文で」というレスが多いことは確かです。しかし、その言葉を発しながら記事本文で取り上げなかったケースは皆無に近いはずです。ただ毎回訪問されている方ばかりではないため、期間を置いてしまうと問いかけに対する「答え」を綴った記事本文をご覧いただけない場合があろうかと思います。

そのため、その場だけを取り繕ったレスのように感じられてしまっているようであれば非常に悩ましいことです。それでも産別が自治労かどうかは分かりませんが、同じ地方公務員である下っ端さんからの問いかけに関しては、これまで即座に直近の記事本文でお答えしてきているはずです。

そのような対応も認められず、このコメント欄を通して「すぐ答えるべき」という趣旨のご指摘であれば、たいへん申し訳ありませんが対応できないことを正直に申し上げなければなりません。プロフィール欄に掲げている《お願い》について改めてご理解ご容赦くださるようお願いします。

土曜の朝、出かける前にレスしたところ、さっそく下っ端さんから「レスの件は承知しました」という返事いただいていました。翌朝、私から「ご理解いただき、ありがとうございます。本日投稿する新規記事を通し、私自身の考え方を綴らせていただきます。ぜひ、ご覧くださるようよろしくお願いします」とレスしていました。その上で上記は管理人としてのコメント欄対応への現状について参考までに閲覧されている皆さんに改めてお伝えする機会とさせていただきました。

それでは主な論点について私自身の「答え」を書き進めてみます。まず、おこさんからの「組合員は署名と説明を聞くのをお断りすることは可能でしょうか?つまりお断りしてもなお組合に留まれるでしょうか?」という問いかけについてです。あくまでも私どもの組合に関しての話となりますが、所属する単組が異なってもそれほどの違いはないのだろうと考えています。

結論として署名するかどうかは組合員個々の判断に委ねています。したがって、当たり前な話として断わっても組合に留まれます。説明も断われますが、できれば説明内容や取り組む理由などに耳を傾けていただいた上で署名するのかどうかを判断いただければ幸いです。私どもの組合は職場委員会に出席した職場委員の皆さんに対し、少しだけ時間を取って直接説明する機会を持つ予定です。

それ以外の大多数の組合員の皆さんに対しては組合ニュース等を通し、「なぜ、取り組むのか」という理由などを説明していくことにとどまります。全組合員を対象に改まった説明の場を持つ訳ではありませんので、説明を聞くことを断われるのかどうかではなく、その組合ニュース等に目を通していただくかどうかという関係性に過ぎません。

私自身、署名を断わっても組合に留まっていただけることが何よりも優先すべき点だろうと考えています。逆に署名活動を拒むため、組合を脱退する動きが強まるようであれば、それこそ組合組織にとってマイナスな話でしかありません。率直な受けとめ方として「安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」に対し、タイトルを見ただけで拒絶反応を示される方が多いのかも知れません。

このような受けとめ方を踏まえ、下っ端さんからの問いかけに答える内容につなげていきます。おかげ様で当ブログを長く続けてきた中で、下っ端さんのような問題意識を持つ組合員も少なくないことを痛感できるようになっています。そのため、今回のような署名を大々的に取り組む場合、より慎重に、より丁寧に周知していかなければならないものと心がけるようになっています。

もしかすると、ここまで慎重になる組合のほうが少ないのかも知れません。加えて、私どもの組合執行部の中でも必ずしも私自身の問題意識に対する温度差が全員と一致している訳ではありません。「この署名は全力で取り組むことが当然」「委員長は少数の意見を過剰に意識しすぎ」というような見られ方があります。安全保障観を議論した場合、「広義の国防、安心供与の専守防衛」という考え方などは少し「右寄り」と言われてしまうこともあります。

下っ端さんは「このような署名への参加など、組合員に何の意味がありますか」と問いかけられています。しかし、自治労組合員の中には今回の署名を全力で取り組むことが「日本の平和のためにつながり、そのことが組合員のためにつながる」と考えている方々が多いこともご理解ください。組合役員に多いだけという反論もあろうかと思いますが、ある特定の個人の判断で取り組むような話ではありません。

今回のブログ記事の最後で、署名の取り組みを私どもの組合員の皆さんに呼びかけた文章をそのまま紹介しています。文責として私自身の名前を示した文章であり、そこに記したとおり私も「組合員のためにつながる」署名活動だと考えている一人だと言えます。念のため、自治労からの指令や要請だったとしても、絶対取り組むことができない、もしくは組合員にとってマイナスにつながるものと考えれば拒むつもりです。

そのように判断しない限り、取り組む優先順位や濃淡があったとしても自治労という産別に結集している責務は果たしていくべきものと考えています。下っ端さんは「組合は、何の権利があって、このような署名活動を組合員に求めてるんですか?」と問いかけられています。組合員一人ひとりの政治意識が多様化しているため、個々の意に反する活動に対して批判を受けてしまう場面も増えています。

それでも組合組織として一定の手順を踏んだ手続きのもとに運動方針を確立しています。私どもの組合も同様であり、自治労への産別加盟を決めていることをはじめ、毎年開く定期大会の中で「憲法の改悪に反対します」という運動方針などを確認しています。改悪かどうかという個々人の見方や意見が示されるかも知れませんが、望ましくない改憲の動きという前提に取り組まれている署名活動であるものと組合執行部は受けとめています。

このような背景や経緯のもとに今回の署名を取り組むかどうか、組合員の皆さんから信任を得ている組合役員が組合方針の範囲内の活動として執行委員会の中で判断しています。下っ端さんは「少数意見の尊重を徹底してください」と訴えられていますが、たいへん恐縮ながら月曜の職場委員会では署名を取り組むことの説明を中心とした議題としています。

組合員の皆さんに対して強制力の伴う案件だった場合、取り組むのかどうかという議決を求める必要性もあろうかと思います。しかし、おこさんの質問に対してお答えしたとおり実際に署名するかどうかは個々人の判断としています。このような説明自体、下っ端さんの問題意識から相当乖離しているものと推察できますが、現実的な対応からかけ離れた「答え」を示すことのほうが不誠実であり、そのまま説明すべき内容を明らかにさせていただいています。

安倍首相の発言と私どもの組合執行部の判断を対比されていたことにも少し説明を加えなければなりません。私ども組合執行部は基本方針の範囲内で判断していることは前述したとおりです。一方、安倍首相の場合、自民党総裁と首相の立場を使い分けているようですが、憲法99条の憲法尊重擁護義務の問題がいつも気になっています。自民党総裁の立場としても、それまでの改憲案や党内議論を唐突に転換する発言でした。そのため、私にとっては対比されてしまったこと自体、正直なところ不本意な思いがありました。

今回、匡樹さんとnagiさんのコメント内容に触れることはできませんでしたが、下っ端さんと匡樹さんの問題意識は大きく異なっていました。誤解されないように強調しなければなりませんが、少数意見は無視して良いなどと毛頭考えていません。繰り返し述べてきているとおり下っ端さんからのような率直なコメントに触れられることは本当に貴重であり、意義深いことだろうと考えています。だからこそ日常の組合活動の中でも「なぜ、取り組むのか」というアプローチを重視するようになっています。

たいへん長い記事になりつつありますが、もう少し書き進めさせていただきます。前回記事に書き残した内容です。ナチスドイツが「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」と判断し、スイス国内には「平和」が広がっていたことを記していました。ここで付け加えるべき記述として、仮にスイスがドイツの敵対国だった場合、攻め込まれてスイス国民や国土は戦火に見舞われていたはずです。

中立国という立場は「広義の国防」の一つであり、侵攻されない限り軍事力は行使しないという「安心供与」がスイス国内の「平和」を守ったと言えます。その際、相手国を凌駕する軍事力がスイスにはありませんでしたが、個別的自衛権としての軍備も整えていたため、ナチスドイツ側の発言のとおり一定の抑止力が働いたようです。専守防衛を柱にした「安心供与」が日本国憲法の平和主義であり、私自身、必要最低限の自衛権の必要性とともにスイスと対比した日本の「特別さ」を感じ取る機会となっていました。

このような「特別さ」を本当に過去形にしてしまうのかどうか、今後の改憲の動きを注視していかなければなりません。私どもの組合員の皆さんに対し、明日月曜の職場委員会で「安倍9条改憲NO!憲法を生かす全国統一署名」の取り組みを提起し、火曜以降に組合ニュースとともに署名用紙を配付します。ぜひ、取り組む趣旨等に賛同いただき、一人でも多くの方にご協力願えれば幸いです。ご協力いただけた際は2月28日までに組合事務所に届くようよろしくお願いします。

最後に、私どもの組合員の皆さんに示した署名を取り組む意義等を訴えた内容を紹介します。太字にしている端的な言葉は組合ニュースの裏面に掲げ、《補足として》以降は職場委員会資料に掲載しています。前述したとおり《補足として》の最後には文責者を明らかにしていますので、考えている主語は私自身となります。読み返してみると言葉や説明が不足し、思いだけが先走っているような箇所も目に付いています。ただ引き続き対応すべき課題であり、組合ニュース等ではもちろん、今後、このブログの中でも改憲の話は追記していくつもりです。

職場課題の改善を組合活動の大きな柱としています。その他にも皆が安心して平和に暮らせるよう自治労に結集し、政治的な活動にも可能な限り取り組んでいます。今回の署名もその一環として、組合員の皆さんに取り組む意義などをご理解いただきながら、できる限りのご協力をお願いするものです。安倍首相が「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べ、改憲への動きが急速に強まっています。

組合はその動きが望ましいものとは考えていません。憲法9条を変えなければ「ずっと平和が続く」という単純な考えではなく、個別的自衛権しか認めてこなかった平和主義は国際社会の中で誇るべき「特別さ」であり、日本のブランドイメージを高めていました。仮に集団的自衛権の行使を認めたままの改憲だった場合、その「特別さ」を外し、国際標準の「普通の国」になるかどうかの重大な選択であり、この動きに反対しています。

《補足として》

労働組合が政治課題に力点を置き過ぎて、職場課題がおろそかになるような主客逆転は絶対避けなければなりません。しかし、「組合員のため」を主目的とした組合活動も、職場内の閉じた活動だけでは結果としてその目的が達成できない恐れもあります。自分たちの職場だけ働きやすくても、社会全体が平和で豊かでなければ、暮らしやすい生活とは言えません。そのため、企業内の交渉だけでは到底解決できない社会的・政治的な問題に対し、多くの組合が集まって政府などへ大きな声を上げていくことも昔から重要な組合運動の領域となっています。このような背景があり、自治労や連合に結集し、組合は平和の課題や一定の政治的な活動にも取り組んでいます。

「憲法9条のおかげで日本は平和だ」「9条を守れば戦争は起きない」という言い方を耳にしますが、少し短絡的な表現だろうと思っています。憲法9条があったため、ベトナム戦争やイラク戦争などの際、直接戦闘に参加しない国であり続けられました。9条を守れば戦争が起きないのではなく、専守防衛という平和主義を守ることで、海外での戦争に関わる可能性の低い国であり続けられたことが事実だと言えます。そのため、憲法9条さえ守れば平和が維持できる訳ではなく、重視すべきは専守防衛を厳格化した日本国憲法の平和主義であり、その平和主義の効用こそ大切にすべきものと考えています。

そもそも国際社会の中で戦争は原則禁止されています。集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は非常に問題であり、このままの自衛隊を憲法で追認することは国際社会で許された戦争を普通に行使できる国になることと同様だろうと考えています。さらに攻め込まれない限り、戦わないという専守防衛の考え方は「安心供与」という抑止力の一つでもあります。逆に軍事力による抑止効果を過度に期待した場合、際限のない軍拡競争に陥り、国家財政を圧迫していくことになります。

アフガニスタンのDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)で活躍された当市出身の伊勢崎賢治さんは、平和国家である日本のイメージは良く、「憲法9条によるイメージブランディングが失われたら日本の国益の損失だ」と語られています。そして、このブランドイメージは余計な恨みを買わないため、狙われる可能性が減り、これまで日本人の安全面に寄与し、日本ならではの国際貢献の選択肢を広げていました。

確かに憲法9条があるからと言って、国際社会の中で戦火が消える訳ではありません。しかし、武力によって憎しみの連鎖は絶ち切れず、戦争やテロの抑止につながりません。改憲の動きが強まる中、このような論点があることをご理解いただき、あくまでも組合員の皆さん一人ひとりの判断として今回の署名に対応いただければ幸いです。よろしくお願いします。

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2018年1月14日 (日)

憲法を生かす全国統一署名

年末年始、のんびり読書できる時間が多く取れました。そのうちに読もうと思って買いだめしておいた書籍数冊を読み終えました。その中の一冊に『ヒトラーの試写室』があります。このブログで書籍を紹介する際、よくAmazonのサイトにリンクをはっています。特にアフリエイトしている訳ではなく、いつも検索すると真っ先に目に付くからでした。今回はKADOKAWAがトップだったため、そのサイトにリンクをはっています。

1935年、20歳の柴田彰は活動写真の俳優を夢見るが、大工の父親は猛反対し勘当されてしまった。家を飛び出しオーディションを受けるが箸にも棒にもかからずあえなく挫折。だが、人手不足だった日独合作映画「新しき土」の特殊撮影助手の仕事にありつく。主任の円谷英二の情熱に触れるうち彰も仕事にのめり込み映画は見事に完成。ベルリンにも運ばれ、映画で人心の掌握と扇動を狙っていたナチス宣伝大臣ゲッベルスの心に刻み込まれる。

日本は41年、ついに太平洋戦争に突入。軍部の要請から戦意高揚をねらった映画「ハワイ・マレー海戦」が製作されることになり彰も特殊撮影で参加。この作品もベルリンに運ばれ、丁度イギリスの権威を失墜させる為に映画「タイタニック」を製作したが、どうしてもクライマックスの沈没シーンが上手く撮影できないことを悩んでいたゲッベルスが目をつけ、彰がドイツに招聘されることになる。環境の違いから撮影は苦戦。日本に残した妻子を想う柴田だったが、ベルリンは戦火に……。意外すぎる歴史秘話に基づく、一気読みと感動必至の傑作エンタメ小説。

上記はリンク先のサイトに掲げられた内容紹介です。たいへん面白く、戦争やプロパガンダのあり方などをいろいろ考えさせられる小説でした。『ゴジラ』や『ウルトラマン』で有名な円谷英二監督をはじめ、実名の登場人物が多く、史実から発想されたという興味深いストーリーが展開されます。どこまでが史実で、どこからフィクションなのか、線引きに戸惑うほどリアルティを感じさせる物語だったと言えます。

「すでに80年近く昔の話とはいえ、ネット上に巧妙につくられたフェイクニュースが流布している現在、映像によるプロパガンダは古くて新しい問題だと言える。この物語が単なる歴史を題材にした小説に終わっていないのは、このテーマに今日性があるからだ。」 タカザワケンジ(書評家) (解説より)

「特撮の舞台裏を描くことで戦争の舞台裏を描く、その試みには明らかに「ポスト・トゥルース」に象徴される現代社会の潮流――信じたいものを信じるために、事実に目をつぶる――が反映されている。あるいは、先の大戦を語ることへの過剰な情熱、過剰なフォビア(恐怖症)が渦巻く日本の空気が、ありありと。この小説が2017年の今書かれたことには、意味がある。」吉田大助(ライター)(「本の旅人」2018年1月号より)

上記の文章もKADOKAWAのサイトに掲げられている書評です。なかなか興味深い切り口での話につなげられそうですが、今回のブログ記事はタイトルを「憲法を生かす全国統一署名」としています。したがって、『ヒトラーの試写室』に関しては、ある一場面を紹介するための長い前振りとして位置付け、そこから全国統一署名の話につなげていくつもりです。その一場面とは次のようなものでした。

ゲシュタポ幹部の「中立国のスイスのバーゼルで、ヨーロッパじゅうの記者を集め、会見をおこなう。敵国側の特派員も来る」というセリフがあり、「夕暮れの街並みはドイツによく似ているが、空襲を受けた痕跡はない。ドイツとフランスの国境に限りなく近い場所ときかされたが、中立国には平和がひろがっていた」と綴られていた一場面が目に留まっていました。

敗色濃厚となっていたナチスドイツがプロパガンダ工作のため、中立国であるスイスの地を利用した場面です。スイスは永世中立国として有名です。『ヒトラーの試写室』の中の記述に触れることで第2次世界大戦中、スイスがドイツからの侵略を免れていた事実関係に改めて思いを巡らす機会となっていました。中立国と言っても「我が国は中立政策をとります」と宣言するだけでは実効性が伴いません。

実際、第2世界大戦時に中立国のノルウェーとデンマークはドイツに侵略されました。その時のドイツ外相は「中立国のノルウェー、デンマークを英仏の侵攻から守るために保護占領を行なう」という声明を発していました。以後、中立宣言国に対する武力侵攻の際、洋の東西を問わず、このような詭弁が弄されるようなっていました。

第2次世界大戦中から現在もスイスは中立国を貫くため、軍備を整え、徴兵制が布かれています。大戦中、ドイツに比べればスイスの軍事力は弱小でした。しかしながら「武力侵攻すれば占領は困難ではないが、こちらの損害も大きい。戦争を継続する消耗は避けられず、スイス侵攻は得られる成果が見合わない」というドイツ側の判断が働き、『ヒトラーの試写室』に描かれているような「平和」がスイスには広がっていたようです。

さらに中立国のスイスのような存在は地域全体の利益にかなう場合があります。『ヒトラーの試写室』にあるとおり敵味方を問わない共同記者会見の場所に選ばれています。ただ第2次世界大戦中も中立を貫けたスイスを評価する見方がある一方、ドイツから逃れてきたユダヤ人に対して冷淡な態度を取ったことは批判されています。どちらの陣営にも協力しないという中立国の義務だったのかも知れませんが、人道上の批判は免れません。

中立国は戦争に巻き込まれない代わりに他国に守ってもらうこともできません。時には友好国を見捨てることや人道上の対応を充分発揮できず、国際的な批判を招く場合もあります。しかし、スイス国民がそのような中立政策を選択し、現在も支持しながら努力を重ねている「特別さ」を誇っている国家だと言えます。念のため、今回のブログ記事を通し、スイスのような中立国を日本もめざすべきという主張につなげるものではありません。

それぞれの国の歴史や現状を踏まえ、国柄や憲法が築かれているものと考えています。誇るべき「特別さ」があれば、そのことを効果的にアピールし、国民の利益や国際社会への貢献につなげていければ望ましいことです。スイスが永世中立国として有名であるのと同様、戦争放棄を謳った憲法を持つ日本も国際社会の中で異色な存在だったはずです。その「特別さ」を積極的にアピールすることよりも、残念ながら逆に「特別さ」を削ぐことに力を注ぐ現状から日本は国際標準の「普通の国」に見られていきがちです。

記事タイトル「憲法を生かす全国統一署名」の本題に入る前、前振りがたいへん長くなりました。このブログでは「憲法の話、インデックス」をはじめ、「改憲の動きに思うこと」「改憲の動きに思うこと Part2」など憲法を巡る記事を数多く投稿しています。安倍首相が政権に返り咲いた以降、改憲の動きが現実味を帯びていることも大きな理由の一つです。現在、このような情勢に危機意識を持っている方々や団体が結集し、「安倍9条改憲 NO!憲法を生かす全国統一署名」に取り組んでいます。

安倍9条改憲NO!全国市民アクション」が呼びかけ団体となり、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長あての請願署名です。署名用紙に記された内容と請願事項2点は下記のとおりです。ブックマークしているブログ「澤藤統一郎の憲法日記」の最新記事『自衛隊違憲論者も専守防衛論者も、ともに「アベ9条改憲NO!」』『「安倍9条改憲NO!3000万署名」推進スタート文京集会』に詳しく綴られていますが、安倍首相が企図している改憲に対して問題意識を持った方々が広く賛同できる署名となっています。

2017年5月3日、安倍晋三首相は突然、「新たに憲法9条に自衛隊の存在を書きこむ」「2020年に新憲法施行をめざす」と述べました。この発言を受けて、改憲への動きが急速に強まっています。戦後70年以上にわたって、日本が海外で戦争をしてこなかった大きな力は憲法9条の存在と市民の粘り強い運動でした。いま、9条を変えたり、新たな文言を付け加えたりする必要は全くありません。私たちは、日本がふたたび海外で「戦争する国」になるのはゴメンです。私たちは、安倍首相らによる憲法9条などの改悪に反対し、日本国憲法の民主主義、基本的人権の尊重、平和主義の諸原則が生かされる政治を求めます。

  1. 憲法第9条を変えないでください。
  2. 憲法の平和・人権・民主主義が生かされる政治を実現してください。

自治労も「憲法を生かす全国統一署名」の取扱い団体となり、私どもの組合も取り組むことを執行委員会で確認しています。組合員の皆さんの政治意識の多様化を踏まえ、この署名活動を本格的に始める際は「なぜ、取り組むのか」「なぜ、安倍首相の進める改憲に反対するのか」という理由を丁寧に説明していく必要性も押さえていました。そのため、再来週に開催する職場委員会の中で、そのような説明を加えた上、組合ニュースで取り上げながら署名用紙を配付していく運びとしています。

その「なぜ」に対する私自身の「答え」は改憲に絡む以前の記事に綴っているとおり詳しく説明することができます。ただ組合員の皆さん全体に周知する際、長い文章よりも端的な言葉のほうが伝えやすいことも確かです。端的な言葉、今回の記事の中で改めて整理してみようと考えていましたが、たいへん長い記事になっていることもあり、もう少し熟考してみるつもりです。機会があれば次回以降のブログ記事を通し、組合員の皆さんに示した端的な言葉を紹介させていただきます。

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2018年1月 6日 (土)

多面的に見た時の明治維新

今年は明治維新から150年目となります。日曜夜から始まるNHKの大河ドラマは明治維新の立役者である西郷隆盛を主人公にした『西郷どん』です。西郷隆盛は坂本龍馬と並ぶ幕末志士として有名であり、数多くの小説やドラマに登場しています。二人とも傑出した人物として取り上げられ、明治維新そのものが肯定的な評価のもとに語られがちです。

明治維新があり、江戸幕府から新政府に変わったことによって近代化が進み、欧米列強からの植民地化を免れたという見方が一般的であるようです。下記に紹介するとおり安倍首相の年頭所感の中でも明治維新に対しての同様な意義を強調しています。今回の記事で明治維新に対する通説的な見方を真っ向から否定する意図はなく、あくまでも多面的に見た時、違った評価につながる一例として取り上げてみるつもりです。

安倍首相は1日付で2018年の年頭所感を発表した。首相は昨年10月の衆院選勝利に触れ、「本年は『実行の一年』だ。総選挙で約束した政策を一つ一つ実行に移していく」と強調。「2020年、さらにその先を見据えながら、新たな国づくりに向けて改革を力強く進めていく決意だ」と表明した。首相の自民党総裁2期目の任期は今年9月まで。総裁選3選と、東京五輪・パラリンピックが開催される20年までの改正憲法施行に重ねて意欲を示したものだ。

首相は年頭所感で「本年は明治維新から150年の節目の年」と紹介した上で、欧米列強による「植民地支配の波がアジアに押し寄せる国難」の中で始まった維新同様、「今また日本は少子高齢化という国難に直面している」と指摘。「未来は変えることができる」として、教育無償化を柱とする2兆円規模の政策パッケージなどの実現に取り組む考えを示した。安全保障・外交面では「毅然とした外交を展開し、いかなる事態にあっても国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と記し、核・ミサイル開発を進める北朝鮮問題などに万全の構えで臨む姿勢を強調した。【JIJI.COM2018年1月1日

このブログでは多面的という言葉を多用しています。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。

このような傾向があることを認識しているため、私自身、いわゆる左や右の主張を問わず、なるべく幅広い情報や考え方に接するように努めています。そのため、かなり前に『明治維新という過ち~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~』という文庫本を書店で目にした時、すぐレジに運んでいました。読み終えた後、多面的に見ることの興味深さの象徴的なものとして、明治維新について機会を見て取り上げてみようと思っていました。年が明け、ちょうど150年という節目に至り、さっそく今回の記事の題材としてみました。

そもそも安倍首相は長州に連なる山口県出身であり、それこそ明治維新を肯定的にとらえる側の筆頭だろうと見ています。一方で、不本意な「朝敵」にされた会津藩に連なる地方の皆さんは明治維新を否定的にとらえがちであることも耳にしていました。「勝てば官軍」という言葉がありますが、『明治維新という過ち』を読み終えた後、ますます正義は立場によって変動することに思いを巡らす機会となっていました。

維新150年、偽りの歴史を斬る。共感と論争の問題作、ついに文庫化!幕末動乱期ほど、いい加減な美談が歴史としてまかり通る時代はない。京都御所を砲撃し朝敵となった長州を筆頭に、暗殺者集団として日本を闇に陥れた薩長土肥。明治維新とは、日本を近代に導いた無条件の正義なのか?明治維新そのものに疑義を申し立て、この国の「近代」の歩みを徹底的に検証する刮目の書。

本書が訴える明治維新の過ちの数々― 悪意に満ちた勝者による官軍教育。 坂本龍馬「薩長同盟」仲介の嘘。 吉田松陰が導いた大東亜戦争への道。 「維新」至上主義、司馬史観の功罪。テロを正当化した「水戸学」の狂気。 二本松・会津での虐殺、非人道的行為。

上記は文庫本の背表紙やリンク先のサイトに掲げられている書籍の内容紹介です。端的な紹介文からどのような内容の書籍なのか、ある程度推測できるのではないでしょうか。著者の原田伊織さんは作家と歴史評論家という肩書で紹介されています。原田さんは『明治維新 司馬史観の過ち』『大西郷という虚像』『三流の維新 一流の江戸』など他にも明治維新に絡む通説を覆す内容の著書を多数発表しています。

今回のブログ記事は書評を目的としたものではありませんが、著作権やネタバレに注意しながら少しだけ書籍の中味も紹介していきます。原田さんは明治維新を単純に否定する立場ではなく、敗戦によって「昨日までは軍国主義、今日からは民主主義などと囃し立てて、大きく軸をぶらしただけに過ぎなかった」と記し、日本人が過去に遡って永い時間軸を引くという作業や「総括」をしていないことの問題意識を抱えられています。

この150年近く、誰もが明治維新こそが日本を近代に導き、明治維新がなければ日本は植民地化されたはずだと信じこ込まされてきた。公教育がそのように教え込んできたのである。つまり、明治維新こそは歴史上、無条件に「正義」であり続けたのだ。果たして、そうなのか。明治維新の実相を知った上で、そのように確信したのか。

このような問題提起のもと様々な事例に切り込みながら明治維新に対する新たな見方を原田さんは解説しています。私たちが子どもの頃から教えられてきた幕末維新に関する歴史は「長州・薩摩の書いた歴史」であると言い切られています。その上で原田さんは「長州・薩摩が書かなかった」ことの実相を整理することで、歴史というものの正体や恐ろしさを知ることができると語っています。

もし、己の政治信条や政治的欲求を実現するためにはテロもやむなしという立場を肯定するならば、吉田松陰一派を内輪だけで「志士」と呼んで英雄視するのもいいだろう。しかし、私は、テロリズムは絶対容認しない。テロを容認しないことが、当時も今も正義の一つであると信じている。従って、彼らを「志士」と評価することなどあり得ようはずがなく、テロリストはどこまでもテロリストに過ぎないのだ。

この点については私も同感です。さらに原田さんは維新の精神的支柱となった偉大な思想家としての吉田松陰像自体が捏造であると記しています。有名な松下村塾は陽明学者の玉木文之進の私塾で、吉田松陰が主宰していたという事実は存在しないと述べています。偉大な思想家は虚像だったと説く一方、吉田松陰が朝鮮、満州、台湾、フィリピンなどを領有すべきという外交思想を持ち、軍国日本の侵略史を後押ししたという見方を原田さんは示されていました。

冒頭に記したとおり明治維新に対する通説を真っ向から否定する意図はありません。したがって、原田さんの見解を鵜呑みにしている訳でもありません。あくまでも見る位置や角度を変えると物事に対する評価が大きく変動する象徴的な一例として紹介しています。いずれにしても『明治維新という過ち』を読み進める中で「なるほど」と思った点、「そうなのかな」と思った点が混在していました。

江戸期の日本社会が旧弊のみに支配された、貧窮した農民社会であったとしたのは、今にして思えばそれも官軍教育=薩長史観の言い方であった。単なる「西欧システム」を「近代社会」と表現し、古代より中世、中世より近代と、時の経過が「進歩」をもたらすと無条件に信じ込ませたのも薩長史観であった。

原田さんは世界史的に見ても人類にとっても類い稀な固有の特性を持つ「江戸システム」と称え、江戸時代の幕藩体制を高く評価されています。薩長が主導した軍事クーデターや内戦を経て成し遂げた「明治維新」がなければ、もっと違った姿の日本があり、そのほうが望ましい歴史を刻めたのではないか、そのような原田さんの問題意識が全編を通して伝わってきていました。

私たちは勘違いをしていないか。「新時代」「近代」と、時代が下ることがより「正義」に近づくことだと錯覚していないか。「近代」と「西欧文明」を、自分たちの「幸せ観」に照らして正しく見分けて位置づけているか。そして、「近代」は「近世」=江戸時代より文明度の高い時代だと誤解していないか。

今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。そのためには、幕末動乱以降の出来事をすべてそのまま、飾り立てなく隠すこともなく、正直にテーブルの上に並べてみるべきであろう。本書の願いは、その一点に尽きることを改めてお伝えして、ひとまず筆を擱きたい。

当初に考えていた以上に書籍からの引用文章が多くなってしまいました。最後の箇所は著者である原田さんが最も訴えたかった点であり、正しく伝えるためにも書籍に掲げられた文章をそのまま紹介しています。今回、明治維新から150年、いろいろな思いを巡らすための参考材料として「多面的な見方」をキーワードに書き進めてきました。最後に、人によって毛嫌いされてしまう『LITERA』では「安倍首相が年頭所感で“明治礼賛”」という記事を発信していました。あくまでも多面的な情報の一つとして紹介しますので興味を持たれた方はリンク先のサイトをご参照ください。

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2018年1月 1日 (月)

2018年、犬も歩けば

あけましておめでとうございます。kadomatsu

今年もよろしくお願いします。 

毎年、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿しています。いつも文字ばかりの地味なレイアウトであり、 せめてお正月ぐらいはイラストなどを入れ、少しだけカラフルになるように努めています。2005年8月に「公務員のためいき」を開設してから739タイトル目となりますが、必ず毎週土曜又は日曜に更新し、昨年1年間で52点の記事を投稿していました。

2015年1月にココログのアクセス解析の管理機能が大きく変わり、累計数が分からなくなっています。一時期に比べ、1日あたりのアクセス数は減っています。それでも週に1回の更新にも関わらず、毎日500件以上のアクセスがあります。これまで時々、いきなりアクセス数が急増する場合もありました。Yahoo!のトップページに 掲げられた際のアクセス数23,278件、訪問者数18,393人が1日あたりの最高記録となっています。

ことさらアクセスアップにこだわっている訳ではありませんが、やはり多くの人たちにご訪問いただけることは正直嬉しいものです。特に当ブログは不特定多数の方々に公務員やその組合側の言い分を発信する必要性を意識し、個人の判断と責任でインターネット上に開設してきました。したがって、より多くの人たちに閲覧いただき、多くのコメントを頂戴できることを願っているため、毎日、たくさんの方々にご訪問いただき、ブログを続けていく大きな励みとなっています。

一方で、たいへん恐縮ながら2012年の春頃から私自身はコメント欄から距離を置くようになっています。身の丈に合ったペースとして、週に1回、土曜か日曜のみにブログに関わっている現状です。そのことだけが理由ではないようですが、以前に比べるとお寄せいただくコメントの数も減っています。それでも記事内容によっては、貴重なコメントが多数寄せられる時も少なくありません。いずれにしても当ブログをご注目くださっている皆さんにいつも感謝しています。本当にありがとうございます。

さて、今年は戌(犬)年です。年賀状には【犬と言えば「犬も歩けば棒に当たる」という諺が有名です。本来は犬がうろつき歩いていると人に棒で叩かれるかも知れないというところから、でしゃばると災難にあうという意味でした。現在では「当たる」という言葉の印象からか、何かをしているうちに思いがけない幸運があるという反対の意味で使われるようになっています。もちろん2018年、後者の意味での年になって欲しいものと願っています。】と書き添えていました。

思いがけない幸運、確かにジッとしていては呼び込むことができません。7億円の宝くじも買わない限り当たることはありません。万馬券も狙わない限り当たることはありません。例えが適当なのかどうか分かりませんが、何かアクションを起こさない限り幸運をつかむことは困難です。その際、棒に当たるようなリスクも生じるのでしょうが、ノーリスクでハイリターンは望めないという見方が一般的なのではないでしょうか。

一方で、昨年の年賀状バージョンの記事の中で綴ったとおり難しい問題を一気に解決できるような処方箋はなくても、「自分が持ってるものだけで」ベストを尽くすことの大切さも感じ取っています。つまりハイリターンをめざしすぎてリスクを高めていくことも控えなければなりません。いずれにしても「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」という言葉のような心構えを大事にしながらも地道な身の丈に合った努力を重ねていくことが欠かせないはずです。

組合の執行委員長としては、ますます大切な1年になろうかと思います。組合の財政は厳しく、役員の担い手不足が大きな課題となっています。ただ「定期大会を終えて、2016年秋」に綴ったとおり持続可能な組合組織に向け、組合活動全般を見直しながら「ピンチをチャンス」に変えられるよう引き続き努力していきます。そして、新たな発想で創意工夫した活動に心がけ、よりいっそう組合員の皆さんから信頼される組合活動に高める努力を尽くしたいものと考えています。

最後に、このブログも身の丈に合ったペースとして、実生活に過度な負担をかけないよう留意しながら引き続き週に1回、土曜か日曜の更新を基本としていきます。いつもお正月のみ少し変則な日程となっていましたが、次回の更新は普段通り来週の土曜か日曜に予定しています。きめ細かいコメント欄への対応がはかれずに恐縮ですが、一人でも多くの方にご覧いただければ誠に幸いなことだと思っています。ぜひ、これからもよろしくお願いします。それでは末筆ながら当ブログを訪れてくださった皆さんのご健康とご多幸をお祈り申し上げ、新年早々の記事の結びとさせていただきます。

         ☆新春特別付録☆ 「2017年ブログ記事回想記」 

Inu年賀状バージョンの恒例となっていますが、今回も2017年に投稿した記事をインデックス(索引)代わりに12点ほど並べてみました。改めて皆さんに紹介したい内容を中心に選び、いわゆる「ベスト」ではありません。したがって、12点の並びも投稿日順となっています。それぞれ紹介した記事本文へのリンクをはってありますので、のんびりご覧いただければ幸いです。

  1. 2017年、翼はいらない ⇒ 今回と同じ年賀状バージョンです。酉(鳥)年の年頭にAKB48の『翼はいらない』の歌詞の一部を紹介し、それぞれの置かれた環境の中で、背伸びせず、地道に努力することの大切さを記していました。やはり特別付録として「2016年ブログ記事回想記」も掲げました。
  2. 働き方改革の行方 ⇒ 電通社員が過労自殺した痛ましい事件を教訓化し、長時間労働見直しの機運は高まっています。もう一つの柱は非正規労働者の処遇改善ですが、「働き方」が「働かせ方」改革にならないように労働組合の責任と役割も重視されています。 
  3. 森友学園の問題から思うこと ⇒ この記事の冒頭で「大きな問題があるのか、ないのか、誰が真実を語っているのかどうか、事実関係が少しでも明らかになることを期待しています」と記していましたが、依然不明瞭な点が残されたままです。ちなみに森友学園の問題が注目を集め、今年の流行語大賞になった「忖度」という言葉をよく耳にするようになりました。   
  4. 節目の700回、今、思うこと ⇒ 訪問されている方々にとって何回目の記事だろうと関係ないことですが、節目のタイミングを利用し、このブログがどのような性格のものなのか改めてお伝えしていく機会としています。「相互リンク」等でご縁のあった多数のサイトが休止されている中、週1回の更新ペースを崩さずに継続できているのも毎回多くの皆さんに訪れていただけているからこそです。 
  5. 長島昭久さんが民進党を離党  ⇒ 私どもの組合も推薦していた衆院議員の長島さんが4月に民進党を離党しました。この後、7月の都議選から10月の衆院選にかけて民進党の枠組みは流動化していきました。「Part2」では組合ニュースに掲げた私自身の見解を紹介しています。 
  6. もう少し加計学園の話 ⇒  加計学園の問題を追及する野党や大きく取り上げるメディアが批判される場合もあります。その場合、どうも論点や問題意識がかみ合っていないように感じています。安倍首相に対しては「李下に冠を正さず」という姿勢が欠かせなかったはずですが、最も重要な論点は獣医学部の新設が妥当だったのかどうかであり、その決定過程が明瞭だったのかどうかだろうと考えています。  
  7. いわゆる「共謀罪」成立 ⇒  「テロ等準備罪、賛否の論点」「共謀罪の構成要件を厳しくしたテロ等準備罪」という記事も投稿していました。政府はテロ対策を前面に押し出せば法案が通しやすいと考えたはずです。可能な限りテロは未然に防ぐべきものであるため、共謀罪だと批判されないようなテロ対策に特化した法案であれば、もう少し賛同者は増えていたのではないでしょうか。 
  8. 20時完全退庁宣言 ⇒   5月末に私どもの市で「20時完全退庁宣言」がされた以降、よりいっそう時間外勤務のあり方が問われる局面を迎えています。組合からは本来、すべての職場で完全退庁できる職場体制を確立した後に宣言すべきものではないか、この宣言によって時間外勤務の未申請が増えないか、様々な懸念点を訴えました。最近の労使交渉の経過は「時間外勤務縮減の課題」という記事を通してお伝えしています。
  9. 平和への思い、自分史 ⇒   「自分史」という初めての試みを通し、私自身の平和への思いについて綴ってみました。幼少期から学生時代、市役所に入り、青年婦人部の幹事を引き受けた頃に考えていたことを振り返ってみました。「Part2」では組合役員を長く続ける中で、自分なりに変化があった点も紹介しています。 
  10. 再び、北朝鮮情勢から思うこと ⇒  北朝鮮情勢に絡む記事を数多く投稿した一年でした。一触即発な事態を避けるためには制裁一辺倒や強い言葉よりも、安心供与、広義の国防、ソフト・パワーを優先すべきという主張のもと北朝鮮情勢に絡む様々なタイトルの記事を綴ってきました。
  11. 衆院選が終わり、今、思うこと ⇒  小池都知事の「排除いたします」という言葉が選挙戦の潮目を変えたと言われていますが、単なる言葉の問題ではなかったものと思っています。希望の党の政策的な間口の狭さを明らかにし、安全保障面では基本的な立ち位置が自民党と変わらないことを表明した一連の顛末だったものと見ていました。一方で、安倍政権との明確な対立軸を打ち出している立憲民主党も間口は狭めない政党であって欲しいものと願っています。 
  12. 競輪労組の大きな成果 ⇒  労働組合の存在感や役割を充分発揮できた事例として、競輪労組の離職慰労金(退職金)廃止問題を取り上げました。労働者一人ひとりの力や声は小さくても、組合に結集することで大きな力や声につなげています。同様に一つの組合だけでは力が小さくても、多くの組合が集まって大きな力にしていくこともできます。このことを私自身、改めて感じ取る機会となっていました。

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