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2017年12月24日 (日)

2017年末、気ままに雑談放談

今年も残りわずかです。このブログは毎週1回、週末に更新しています。そのようなペースの中で年末年始だけは少し変則となり、元旦に年賀状バージョンの記事を投稿してきました。そのため、今回が2017年最後の記事となります。その年の最後の記事は「年末の話、インデックスⅡ」があるとおり1年間を締め括るような内容を綴る時も少なくありません。

今回、そのような内容にあたっていくのかどうか分かりませんが、「2010年末、気ままに雑談放談」と同じようなタイトルを付け、雑多な話題を気の向くまま書き進めさせていただくつもりです。そもそも「雑談放談」はブログのサブタイトルに掲げています。「雑談」は様々なことを気楽に話し合うこと、「放談」は言いたいことを自由に語ること、このように電子辞書には記されています。

したがって、「雑談」の前に「気ままに」という言葉を置くのは余計なのかも知れませんが、語感や字句の並びから、あえて添えていました。このような調子で「気ままに」書き進めていきますので、お時間等が許される場合は「気ままに」お付き合いください。まず最近読み終えた『R帝国』という書籍について触れてみようと思います。

読売新聞の夕刊に連載されていた小説が書籍化されたものです。自宅に届けられる新聞は読売ですが、連載小説に目を通すことはないため、平積みされていた書店で見かけるまで『R帝国』のことは頭にありませんでした。書籍の帯に掲げられた「独裁政権の恐怖を描く驚愕の物語」という文章に興味が沸き、購入してから数日で読み終えていました。

トランプ政権の誕生あたりからアメリカでは、オーウェルの『一九八四年』が再評価され、その機運は日本にも飛び火した。不可視の絶対君主〈ビッグ・ブラザー〉による徹底された情報統制と史実の改竄は、今日の日本の言論空間をどこかほうふつさせる。フィクションの力でもって、読む者に危機感をもたらすのがディストピア小説だとすれば、『R帝国』もその流れを汲む近未来SFだ。

物語は島国の「R帝国」が開戦した日から始まる。絶対権力の「党」が支配するこの国では、国民は批判的な意見を表明するなり張り巡らされた集音装置により検挙され、しばしば謀反者は公開処刑される。人々は、高度な人工知能を搭載した「HP(エイチピー)」と呼ばれる端末から情報を得ており、その管理もまた「党」の得意とするところだ。

戦争には自衛という大義名分が必要だが、この戦争は何かがおかしい――。二人の男が、政府の欺瞞と真の目的に気づく。一人は会社員の矢崎。もう一人は形骸化した野党の幹部議員の秘書である栗原だ。それぞれ、女性兵士アルファ、秘密組織のサキと出会うことで、巨大な相手に無謀な戦いを挑むはめになる。

恐ろしいのは、二人の必死の奮闘をあざ笑うような「党」の余裕である。人々の行動原理や深層心理を知悉する彼らは、例えば人口の八割に及ぶ貧困層の不満が上でなく、最下層の移民に向くよう情報をコントロールする。団結ではなくあくまで分断へ。さらには薬物投与によってつらい過去の記憶を抹消した従順な市民としての第二の人生まで、提案してみせるのだ。矢崎は言う。「僕は自分のままで、……自分の信念のままで、大切な記憶を抱えながら生涯を終えます。それが僕の……プライドです」

果たして、不都合な過去や真実を隠蔽する見せかけ上の安寧は、国民をどこに先導するのか。大義よりも「半径5メートルの幸福」に固執し、「真実」から目をそらし続ける大衆、その集団的な認知バイアスこそが、悪夢的な全体主義をさらに後押しするのだと、読者は気づかされるだろう。最も手ごわい敵は、結局人間の本能に組み込まれた、恐怖心と暴力性なのだ。

本書はいわば、ヒーローなき戦争小説である。作中、『ルワンダ虐殺』や『沖縄戦』という架空の国の物語がネット上のバグとして現れるのだが、統治者の一人は「向こうの方が現実で、我々の方が現実じゃない可能性だってあるじゃないか」と言う。裏返せば、SFにみえる本書に現実が潜んでいるのかも。著者の警鐘にしばし耳を傾けられたし。【評者:江南亜美子(週刊文春 2017.10.05号掲載)

ネタバレ等には注意しなければなりませんので、リンクしたamazonのサイトに掲げられていたレビューをそのまま紹介しました。私自身、読み進めている途中、朝日や毎日、東京新聞でもなく、この内容の連載が読売新聞だったという点に不思議な気持ちを抱いていました。登場人物が「いざという時、お前たちの国は、個人を見捨てる傾向がある」と主人公の一人に訴えかける場面があります。

別な場面では架空の物語として『沖縄戦』が語られる場面があり、「通常、人類が目指す平和とは、自国民の命が戦争で死なない状態を指す。だが日本は自国民の命などはっきり言って関係なかった。目的は“勝つ”。それだけだった」と説明していました。読み進めれば進めるほど作者の歴史認識や問題意識がヒシヒシと伝わってきました。小説という媒体を使いながら現政権の思考傾向や政治手法などを直情的に批判している様子が窺えました。

作者の中村文則さんは「作家として覚悟を持って書いた」と語り、「政治や戦争など、かなり深く社会的な問題に切り込んでいますよね。今回このような内容で書こうと思ったのはどうしてですか?」と問われた際、中村さんは「それはやっぱり、現在が右傾化しているという危機感があるからです。フェイクニュースであるとか、メディアの委縮、ネット上の差別などがものすごく広がっているなかで、作家として何ができるだろうと考えて、こういう小説になりました」と答えています。

リンクをはった先のサイトに掲げられているインタビューの中で、中村さんは「実際、作家として小説に政治的なことを書いても何もメリットはない。もっとパーソナルなことの方が安全だし荒波も立たない」と述べながらも、「作家という職業をやっている以上、何も感じないのであればもちろんそのままでいいのですが、もし社会に危機を感じてしまったなら、それを書かなければ読者に対して誠実ではないのではないかと考えています」と答えられています。

さらに「歴史には、後戻りの効かなくなるノーリターンポイントがあり、そのポイントを過ぎると、もう何を言っても流れるように歴史が動き止められなくなる。言葉も、人の内面に届かなくなっていく。全体主義の空気はその性質上、後にあらゆる文化も抑圧するようになることは歴史が証明している。作家としては、そうなる前に抵抗することがむしろ自然だと思っています」と中村さんは語られていました。

このような危機意識自体を思い込みや妄想だと批判される方も多いはずです。実際、政権批判を暗喩した『R帝国』が平積みされ、『週刊金曜日』や『LITERA』など立場を鮮明にした言論空間があります。とは言え、マスメディアは政権の意向を忖度しがちな傾向があり、直接的な政権批判の言葉を発する出演者は敬遠されていきがちです。政治的な言葉を発しないほうが「荒波も立たない」という意味で、先週日曜夜に放送された『THE MANZAI 2017』に登場したウーマンラッシュアワー漫才が強烈なインパクトを与えていました。

漫才」にはったリンク先で実際の動画を視聴できますが、原発や沖縄の基地問題を漫才のネタにしたスピード感あふれる掛け合いは圧巻でした。アメリカと日本の関係では「現在アメリカといちばん仲がいい国は?」「日本」、「その仲がいい国は何をしてくれる?」「たくさんミサイルを買ってくれる」、「あとは?」「たくさん戦闘機を買ってくれる」、「あとは?」「たくさん軍艦を買ってくれる」、「それはもう仲がいい国ではなくて──」「都合のいい国!!!」というようなネタが展開されていきます。

最後は「現在日本が抱えている問題は?」「被災地の復興問題」、「あとは?」「原発問題」、「あとは?」「沖縄の基地問題」、「あとは?」「北朝鮮のミサイル問題」、「でも結局ニュースになっているのは?」「議員の暴言」、「あとは?」「議員の不倫」、「あとは?」「芸能人の不倫」、「それはほんとうに大事なニュースか?」「いや表面的な問題」、「でもなぜそれがニュースになる?」「数字が取れるから」、「なぜ数字が取れる?」「それを見たい人がたくさんいるから」、「だからほんとうに危機を感じないといけないのは?」「被災地の問題よりも」「原発問題よりも」「基地の問題よりも」「北朝鮮問題よりも」「国民の意識の低さ!!!」と結んでいます。

先ほど紹介した『LITERA』では「ウーマンラッシュアワーが『THE MANZAI』で怒涛の政治批判連発」という記事を投稿し、共産党の志位委員長も「凄い才能だ。笑いこそ、政治風刺の最大の武器だ」と絶賛していました。このような反応に対し、ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんは冷静に自分自身の立ち位置を表明しています。「やっとこういう芸人が出てきた」「爆笑しながら泣きそうになった」「漫才じゃない」「漫才に政治観を出すな」など賛否両論が飛び交う中、取材を受けた村本さんは「ネタへの思い」を次のように語っています。

僕は沖縄の基地について、賛成も反対も言っていない。考えようと言っている。右も左もなく、自分のスタンスを持って、相手を尊重しつつ発言していけばいい。論破なんていう言葉は、議論が未成熟なこの国ならではの言葉。ビルって1人じゃつくれないじゃないですか。色んな人の力が合わさってビルができる。議論もそう。論破ってそれを壊すじゃないですか。ずっとビル建たないままですよ。正解だとか間違っているとか、ど~でもいいんです。僕はいつも自由に発言する。テレビがなくなっても、ラジオもネットもなくなっても、口と頭はあるわけですよ。誰にも制限されることはないですからね。言いたいことを言うだけですよ。それを伝えるのにエンターテインメントですよね。

大切なことは相手を尊重しつつ語り合うこと、本当にその通りだと思っています。唯一無二の正解は容易に見出せません。だからこそ偏らず、幅広い情報に接しながら皆で考えていくことが重要であるはずです。マイナーな場ですが、このブログもニッチな情報を提供する役割を引き続き負っていければと考えています。その上で私自身の主張も、あくまでも「答え」の一つに過ぎないことを自覚しながら当ブロクに向き合っていくつもりです。

最後に、この一年間、多くの皆さんに当ブログを訪れていただきました。本当にありがとうございました。どうぞ来年もよろしくお願いします。なお、冒頭にも記しましたが、次回の更新は例年通り元旦を予定しています。ぜひ、お時間等が許されるようであれば、早々にご覧いただければ誠に幸いです。それでは少し早いようですが、良いお年をお迎えください。

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2017年12月16日 (土)

競輪労組の大きな成果

かなり前に「減収に苦しむ公営競技事業」という記事を投稿していました。その記事の中で綴っているとおり私どもの市の競輪事業に従事する皆さんが労働組合に結集しています。同じ自治労に加盟しているため、競輪労働組合の皆さんとは日頃から交流や連携を深めています。その競輪労組がたいへん難しい課題に直面しましたが、最終的には大きな成果を得ることができています。

労働組合の存在感や役割を充分発揮できた事例として、今回、このブログの題材として取り上げさせていただきます。同じ自治労の仲間として私自身もお役に立てることができた取り組みでした。11月末に開かれた競輪労組の定期大会で来賓の一人として挨拶した際、冒頭に次のような言葉を添えていました。

労働者一人ひとりの力や声は小さくても、組合に結集することで大きな力や声につなげています。同様に一つの組合だけでは力が小さくても、多くの組合が集まって大きな力にしていくこともできます。その結集先が自治労であり、連合となっています。また、組合の力は組合員一人ひとりが結集しながら発揮していくものであり、組合役員だけで担うものではなく、担え切れるものでもありません。

今回の闘争で競輪労組執行部の皆さんはたいへん苦心されながら頑張られてきました。同時に対策委員会が立ち上がり、組合員全体で執行部を支え、組合員の皆さん一人ひとりの切実な思いを施行(使用者)側に届けられていたことが今回の大きな成果につながったはずです。たいへん難しい課題とは離職慰労金(退職金)廃止問題でした。

昨年7月、最高裁は「鳴門競艇従事員の離職選別金の補助金支出」について鳴門市敗訴の判決を言い渡しました。判決内容は「補助金の支出は臨時職員への退職金にあたるものであり、条例に定めない給与の支払いは地方自治法に抵触する」というものでした。この判決を受け、公営競技事業を施行している自治体において、条例に定めていない退職金や一時金の支払いを一方的に廃止する動きが強まっていました。

今年5月8日、私どもの市も離職慰労金等を廃止するという通知を競輪労組に示しました。競輪開催日だったため、従事員の皆さんへの衝撃は物凄く大きく、どこの建屋も騒然となったそうです。突然の一方的な通知に驚きと憤りが広がっていきました。長年、市職員と従事員が一丸となって競輪事業を支え、市財政にも多大な貢献を果たしてきたという自負がある皆さんですから、いきなり離職慰労金廃止と告げられても到底納得いくものではありません。

この情報は即日、競輪労組の委員長から私のもとに届けられました。鳴門競艇に絡む判決の影響があることは予想していましたが、最低限、いずれかの時点での一括精算で決着できるのだろうと見ていました。しかし、見通しが甘かったようであり、5月8日の通知はたいへん驚きました。ただ施行側がどのように考えているのか、そのあたりを探った上で、どのような手順で解決をめざすのが妥当なのか、まず私なりに情報を探ってみました。

すると施行側としては支給したいが、支給できないという立場であることをつかみました。そこで対決型の表だった闘争よりも静かに、しかし、組合員の切実な思いをぶつけながら、自治労としての情報を提供し、労使合意できる到達点をめざすべきものと考えました。この考えは当該の競輪労組の皆さんにはもちろん、自治労都本部にも伝え、「静かな闘争」が望ましいという共通認識に至っていました。

並行した取り組みとして、競輪労組内に対策委員会を設置し、組合執行部と職場組合員の皆さんが一致結束した態勢を築いていきました。このような動きは、いざとなればストライキも辞さず、自治労総力をあげた一大闘争に押し上げることのできる背景となり、施行側に何とかしなければならないという考え方に立たせる「静かな圧力」につながっていたはずです。

主体は競輪労組の皆さんですが、側面支援として私自身、できる限り市当局や施行側と接触をはかっていきました。交渉窓口の課長と情報交換する機会を持ち、法的な面がクリアできれば支給したいという最も重要な点を改めて確認しました。さらに同じ自治労の一員として、団体交渉に私や自治労都本部の担当者らがオブザーバーとして参加することを歓迎したいという意向も確認できました。

今回の取り組みにおいて、自治労組織内議員であり、私どもの組合が推薦している市議会議員(参考記事「市議選まであと1か月」)も大きな力を発揮しました。二人の副市長とは推薦市議とともに面談しました。競輪事業の開催執務委員長である副市長は慎重な姿勢を見せ、具体的な言及は避けがちでした。前任の開催執務委員長だったもう一人の副市長からは解決策として「条例化しかない」という考え方を早い段階で引き出すことができました。

別な機会に私が市長と話した際、市長としても論点をしっかり把握されていました。その上で仮に条例化した場合、他への影響を気にされていました。数多い非常勤職員への影響でしたが、私からは差し迫った問題として、これまで支給していた人たちの退職金(離職慰労金)をどうすべきなのかであり、いったんは他の非常勤職員の問題と切り分けて考えるべきと申し入れました。ちなみに私どもの市職員組合は今後の会計年度任用職員の制度化にあたり、嘱託組合員の皆さんらの待遇改善の好機にしていくことを方針化しています。

5月8日以降、競輪労組や自治労都本部から私のもとへ様々な関連情報が寄せられていく関係性となっていました。さらに対策委員のご家族の一人が市職員OBで、現在も親しくお付き合いさせていただいているため、そちらのルートからも素早い情報を得ることができていました。たいへん切実な問題である証しであり、競輪労組執行部にもお伝えした上で、ご家族からの情報も取り組みの参考にさせていただいていました。

条例化に向けた最大の検討事項として「日々雇用労働者への退職金支給」の是非が懸案課題とされていました。自治労顧問弁護士らとの相談を通し、日々雇用とは言え、登録制のまま雇用が繰り返されてきた実態であるため、地方公営企業法に基づく臨時職員として条例化ができるという認識に至っていました。このような自治労からの情報を受け、私から次のような文書を添えながら副市長や課長らに働きかけていきました。

すでにご相談させていただいている競輪労働組合の問題につきまして、自治労都本部を通し、自治労中央本部に解決案を照会していました。情報収集や顧問弁護士等とも協議した結果、モーターボート競走事業臨時従事員の給与等に関する条例を参考にできるという報告を受けています。自治労中央本部は争点が多く残る場合、関係省庁や組織内国会議員とも調整をはかる考えでした。

しかし、競輪事業と同じような雇用関係の臨時従事員が既に定められた条例のもとに退職手当等の支給を受けているため、そのような調整は不要と判断し、自治労都本部への報告に至っています。つきましては競輪労働組合とも調整の上、取り急ぎ私から市当局の関係者の皆様に情報提供する運びとさせていただきました。ぜひ、同封した他団体の資料を参考いただき、今回の問題解決に向けてご理解ご協力くださるようよろしくお願いします。

上記の情報を提供した際、施行側の反応として他団体の条例は「競艇ですよね」というコメントがありました。それに対し、私からはもともとの発端も「競艇ですよね」とコメントを返していました。この自治労からの情報が決め手になるのかどうか分からず、楽観視できないままオブザーバーとして参加する団体交渉の日を迎えました。6月12日のことでしたが、施行側から「条例化を検討」という回答を得られ、本当に安堵した瞬間を昨日のことのように思い出せます。

ただ実際に条例化されるまで「やはり静かに」が妥当であるものと考えました。競輪労組の成果を8月に開かれた自治労の全国大会で都本部が報告するという話もありましたが、条例化をはかるまで待ってもらいました。万が一、情報が全国に広まった結果、思いがけない動きが出てはいけないと危惧したからです。6月12日の時点で市長が条例化の必要性を判断していた訳ですが、条例化をはかった後は市としての判断となり、その重さが格段に異なるからでした。

9月に入り、競輪事業従事員の皆さんの退職手当等の支給を明記した条例案は推薦市議の尽力もあり、総務委員会、本会議、それぞれ全議員の賛成で可決されていきました。議会傍聴に訪れていた競輪労組の委員長と書記長が可決後、すぐ私の職場に足を運んでいただきました。二人の目に光る涙を見て、私自身の涙腺も緩んでいました。

総務委員会の質疑の中では、従事員一人ひとりの技能や技術、経験値が競輪事業の発展と市財政に貢献してきたという実績を評価し、この条例の必要性が説明されていました。まったくその通りであり、傍聴された従事員の皆さんがたいへん感激した質疑応答だったようです。いずれにしても今回の条例化は、全国の競輪事業としては初めての給与基準条例となっています。

競輪労組の大きな成果、前述したような支え合いが大きな力を発揮したものであり、私自身、改めて労働組合の必要性や役割を感じ取る機会となっていました。同時に自治労の情報網の活用や法的な解釈面での助言など、産別に結集していることで多大なバックアップを得られることの心強さも実感できました。このようなことを今回の闘争に関わった皆さん、きっと同じように感じられたはずです。

加えて、これまでの労使の信頼関係があったからこそ、施行側も従事員一人ひとりの切実な思いを受けとめ、「条例化」という大きな決断に踏み出していったものと考えています。条例化を果たした後、従事員の皆さんの前で施行側の部長が大きな動揺を与える通知を示したことについて率直に謝罪されたという話を耳にしています。長く公営競技事業部に携わっている部長としての正直な気持ちを表わした言葉だったのではないでしょうか。

そして、労働組合があったからこそ、このような大きな成果を勝ち取ることができたことも間違いありません。競輪労組の皆さん、本当にお疲れ様でした。一緒に取り組め、結果を出せたことを私自身にとっても素晴らしい成果として振り返ることができます。これからも同じ自治労の仲間として、より緊密な連携をはかれれば幸いです。最後に、今回の闘争を自治労都本部が機関紙で報告した際、その記事の結びに掲げられた言葉を紹介させていただきます。

条例化の実現には競輪労組の執行部の粘り強い交渉はもちろん、一人ひとりの組合員の訴えと奮闘、職場からの闘いが現場を動かし市を動かし結果に結びついたものである。まさに団結と「自治労のスケールメリット」を十分活用した条例化の実現であり闘いの勝利である。

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2017年12月 9日 (土)

平和への思い、2017年冬

2週続けて「査定昇給を巡る労使協議」「時間外勤務縮減の課題」という私どもの組合の職場課題を題材にしたローカルな内容のブログ記事を投稿していました。もう1週、労使交渉に関連した記事内容で続けることも考えていました。ただ様々な意味で、今回は平和を題材にした内容とすべきタイミングだろうと考え直し、「平和への思い、2017年冬」という記事タイトルを付けて書き進めることにしています。

組合活動の大半は職場課題の解決に向け、携わる時間や労力を費やしています。そのような中で各種団体が催す平和を願う集会などに対し、組合ニュースを通しての宣伝や役員を中心にした当日の参加など、できる限りの取り組みに努めています。したがって、私自身も日程さえ合えば、それらの集会に極力参加するようにしています。

先週土曜夜は地元の「市民連合のつどい」があり、作家・美術評論家の窪島誠一郎さんとSEALDsで有名な市民運動家の菱山南帆子さんのお話を伺う機会を得ていました。木曜夜は「不戦を誓う三多摩集会」に参加し、映画『日本と原発』の河合弘之監督の最新作『日本と再生 光と風のギガワット作戦』を鑑賞できました。

原発でも化石燃料でもない自然エネルギーの可能性を伝える映画でした。1941年12月8日、太平洋戦争に突入した日です。毎年、12月8日前後に三多摩平和運動センターは「不戦を誓う集会」を催し、今年で37回目となっていました。最初、不戦を誓うことと自然エネルギーを推奨する映画が直結しない違和感を抱いていました。

ただ自然エネルギーが主力になれば国の規模を問わずエネルギー問題は自国内で解決できるようになります。これまで石油資源等を巡って戦争や紛争が起きがちであり、自然エネルギーの普及は戦争の火種をなくしていくという利点があることを映画の中で伝えていました。「なるほど」と思い、翌朝、司会を務めた私どもの組合の副委員長と話したところ主催者側としては純粋に素晴らしい映画だから取り上げていたとのことです。

確かに太陽光、風力、地熱などで発電している世界各地の風景が映し出され、実用面においても経済的にも自然エネルギーが重視され始めている現状を分かりやすく伝えてくれた映画でした。福島第一原発の重大事故を経験しながら自然エネルギー主体に舵を切れていない日本が世界の趨勢から取り残されている構図を浮き彫りにしています。もっと詳しくお伝えしたいところですが、今回の主題は「平和への思い」です。

「不戦を誓う集会」などに参加し、いくつか気になることがあります。まず憲法9条を変えさせない、憲法9条を守ることが平和を守ることであり、不戦の誓いであるという言葉や論調の多さが気になっています。北朝鮮の動きをはじめ、国際情勢に不安定要素があるけれど、憲法9条を守ることが必要、このような説明の少なさが気になっています。問題意識を共有化している参加者が圧倒多数を占めるため、そのような回りくどい説明は不要で単刀直入な言葉を訴えることで思いは通じ合えるのだろうと見ています。

しかし、その会場に足を運ばない、問題意識を共有化していない人たちにも届く言葉として「憲法9条を守る」だけでは不充分だろうと考えています。以前の記事「平和への思い、自分史 Part2」の中で綴った問題意識ですが、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。

つまり安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。特に安倍首相の考え方や判断を支持されている多くの方々を意識するのであれば、安倍首相「批判ありき」の論調は控えるべきものと心がけています。

そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっています。このような点を意識し、乗り越える努力を尽くさなければ平和運動の広がりや発展は難しいように感じています。戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図ではとらえず、「いかに戦争を防ぐか」という具体策を提示しながら発信力を高めていくことが求められているはずです。

このような問題意識を数多くの記事を通して綴ってきています。改めて端的な言葉で語れば、守るべきものは日本国憲法の平和主義であり、個別的自衛権しか認めないという「特別さ」です。この「特別さ」を維持することで「平和主義の効用」があり、「広義の国防、安心供与の専守防衛」につながっているものと考えています。詳しい説明はリンク先の記事をご覧いただければ幸いですが、憲法9条の条文を一字一句変えなければ日本の平和は維持できるという発想ではありません。

少しだけ具体的な事例を示してみます。「何が正しいのか、どの選択肢が正しいのか」という記事の中で掲げた事例です。かつて仮想敵国としたソ連、現在のロシアとは友好的な関係を築きつつあります。冷戦が終わったからという見方もありますが、北方領土の問題は無人島である尖閣諸島とは比べられないほどの主権や元島民の皆さんの強い思いがありながらも、対話を土台にした外交関係を築いています。

核兵器の保有で言えばロシア、中国、NPT(核拡散防止条約)未加盟のインドとも対話することができています。対話できる関係、つまり今のところ敵対関係ではないため、核兵器による切迫した脅威を感じるようなことがありません。このような対話をできる関係を築くことがお互いの「安心供与」であり、「広義の国防」につながっていると言えます。念のため、だから北朝鮮の核兵器保有も容認すべきと訴えている訳ではありません。

そのあたりは「再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2」の中で詳述していますが、圧力だけ強めていけば戦争を誘発するリスクは高まっていきます。そのようなリスクは最優先で排除すべきものであり、ミサイルを実戦使用させないためには効果的な圧力と対話の模索が欠かせないはずです。このような問題意識を強めているため、『米国務長官提案の「国連軍対話」に日本は拒否 対北圧力に「有害無益だ」』という報道に接すると本当に残念で悲しくなります。

「特別さ」を誇るべき平和憲法を持つ日本こそ、率先して平和的な外交努力での解決に汗をかくべき立場に徹するよう願っています。しかしながら安倍首相は安全保障を強い言葉で語ることが目立ち、「安心供与」とは真逆な標的になるリスクを高めているように危惧しています。ちなみに今回の記事のタイミングに「平和への思い」を選んだ大きな理由は、トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの「首都」に認定したという報道に接したからです。この問題の論点はリンク先のサイト『エルサレム「首都認定」』に詳しく掲げられています。

よりいっそう中東情勢を緊迫化させ、テロや戦争の火種を投下したと言えるトランプ大統領の判断だったと批判しなければなりません。各国首脳が即座に非難する声明を出していながら、日本は河野外相が「評価」と「懸念」を表明しています。国際社会の中で、特に中東地域で定着していたはずの平和国家という日本のブランドイメージが、ますます失墜していくような歯切れの悪さです。最後に、言葉は激しいかも知れませんが、事実関係の紹介として下記の記事も紹介させていただきます。

トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの「首都」と認定し、世界中に衝撃が走っている問題。「深刻な懸念」(EUのモゲリーニ外交安全保障上級代表)、「決定は遺憾」(仏のマクロン大統領)、「支持しない」(独のメルケル首相)、「同意できない」(英のメイ首相)など、首脳らが次々と批判の声を上げている中、ひたすらダンマリを決め込んでいるのが日本の安倍首相だ。

安倍首相は北朝鮮が11月29日に新型ICBMを発射した際、すぐに抗議声明を発表。〈国連安保理決議の完全な履行等を全ての国連加盟国に強く働きかけてまいります〉〈今月(12月)、我が国は安保理議長国に就任し、15日には北朝鮮問題に関する安保理閣僚級会合を主催します。このような行動を通じて、国際社会の取り組みを主導するとともに、我が国独自の措置の実施を徹底してまいります〉などと強気の姿勢を示していた。ところが今回はどうだ。

国連は、1980年の安保理決議(478)で、〈エルサレムの状況を変えるすべての行政的・法的措置は無効〉〈全ての国連加盟国に対し、エルサレムに大使館等外交使節を設置してはならない〉との内容を採択している。言うまでもなく、トランプの首都認定は明確な安保理決議違反だ。北のミサイル発射の時と同様、すぐに「国連安保理決議の完全な履行等を全ての国連加盟国に強く働きかけてまいります」「国際社会の取り組みを主導するとともに、米国に対して我が国独自の措置の実施を徹底してまいります」と発信するべきだ。

しかも、日本は安保理議長国ではないか。確か安倍首相の安全保障の基本理念は〈国際協調主義に基づく積極的平和主義〉だったはずだが、米国だけは例外ということなのか。デタラメ過ぎるのもホドがあるだろう。米国と一緒に日本がアラブ諸国から総スカンを食らうのは時間の問題。安倍首相が首相である限り、戦争に引きずり込まれる可能性は高まるばかりだ。【日刊ゲンダイ2017年12月9日

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2017年12月 3日 (日)

時間外勤務縮減の課題

1+1=2、誰が考えても正解は2となります。しかし、このように正解を簡単に見出せない事象が世の中には数多くあります。個々人が正しいと考えている「答え」は持っていても、その「答え」が必ずしも正解とは限りません。さらに見る位置や触れる情報によって、個々人の導き出す「答え」が変動する場合も少なくありません。

だからこそ、より望ましく、正解に近い「答え」を得るためには日頃から幅広く、多面的な情報に触れていくことが重要です。まして誤った情報や思い違いで判断していった場合、ますます正解から遠ざかっていくことになります。同時に正しい事実関係の把握、ファクトチェックの大切さも言うまでもありません。

また、判断を誤らないようにするため、仕組みを整えていくことも求められています。以前の記事「ヒューマンエラーの防ぎ方」の中で日常業務におけるダブルチェックの話を綴っていました。視点を変えて確認する、複数の目で点検する、手間はかかりますが、エラーを未然に防ぐための仕事の進め方だろうと思っています。

政治の場面でも多面的なチェックが欠かせません。政府与党が正しいと考えた「答え」、つまり法案や政策が本当に望ましいものなのか、問題がないのか、視点や立場を変えた国会での議論が重視されなければなりません。しかしながら国会では与党の議席が圧倒多数を占め、大胆な修正や仕切り直しを拒んだまま重要法案を最後は多数決という現況が目立っています。

多面的なチェックの重要性で言えば、労使交渉も同様です。使用者側の「答え」と労働者側の「答え」が相反する場合も少なくありません。立場や視点が異なる者同士、対等な立場で率直な議論を重ね、協議事項を多面的に検証することで問題点を改める機会につなげられます。使用者側の目線だけでは見落としがちとなる点、もしくは働く側にとってアンフェアな提案に対し、労使交渉という手順を踏むことで、より望ましい修正や改善がはかれるようになります。

前回記事は「査定昇給を巡る労使協議」でした。こちらの案件は11月29日夜に団体交渉を開き、基本合意を果たすことができました。労使協議の最終盤、市当局側が組合の主張を受けとめ、評価規準の見直しをはかりました。それらの見直しに至った判断は、組合側の主張に一定の合理性や説得力があったからです。より望ましい人事評価制度を確立するため、前述したとおりの多面的なチェック機能が働いた成果だろうと思っています。

前々回記事の冒頭で紹介していましたが、査定昇給の取扱いとともに時間外勤務縮減の課題が労使協議における継続案件となっています。5月末の「20時完全退庁宣言」を受け、組合は6月に「時間外勤務縮減に関する要求書」を提出していました。ちなみに当ブログでは昨年10月の「電通社員が過労自殺」以降、「働き方改革の行方」や「36協定について」など長時間労働に関する記事を投稿しています。

職員の健康を害する恐れのある長時間労働は解消しなければならず、時間外勤務を縮減していくという基本的な考え方は労使で共通しています。その上で、組合としては時間外勤務「縮減ありき」が先走りしてしまうことを懸念しています。残業しなければ対応できないほどの業務量を抱えながら、管理職から時間外勤務を容認しない圧力が加われば責任感の強い職員ほど心を痛めてしまう恐れもあります。

時間外勤務縮減の課題に関し、11月16日に開いた団体交渉の中で組合側の問題意識を強く訴えていました。現在、市側が「職員の時間外勤務に関する指針(案)」の策定作業を進めています。指針案では部課長の責務として年間又は月間の組織目標を立てることなどが掲げられ、時間外勤務縮減の取組状況を人事評価への反映を検討するような記述もあります。

内部会議のあり方や調査依頼の簡略化など業務量自体を減らす具体案も掲げられています。それでも全体を通して仕事のあり方や総量に大きな変化がないまま時間外勤務「縮減ありき」を強いられていくような指針案であることを組合は危惧しています。このような危惧を率直に訴え、11月16日の団体交渉で議論した結果、指針案の取扱いを次のとおり確認していました。

  • 労働条件に関わる事項は労使協議し、労使合意がなければ一方的に実施しない。
  • 内容や表現についても組合からの意見を取り入れた上、必要に応じて修正をはかる。

今後、指針案の内容に関して協議していくとともに、誰もが「20時に完全退庁できる」職場体制の確立をめざし、必要な部署に必要な人員配置を求めた人員確保・職場改善要求の取り組みに組合は力を注いでいきます。その中で、早急に年間360時間超の時間外勤務を強いられている職員が一人もいなくなることをめざしています。総論的な流れは以上のとおりですが、各論となる時差出勤とフレックスタイム制について少し触れてみます。

東京都は11日、ラッシュ時間帯の混雑を緩和し満員電車を解消するため、計約260の企業や自治体などが時差出勤に集中的に取り組む「時差Biz(ビズ)」のキャンペーンを始めた。期間は25日まで。早朝に臨時電車が運行されるほか、時差出勤した人への特典もある。満員電車の解消は、小池百合子知事が昨年夏の知事選で掲げた公約の一つ。環境相時代に仕掛けた夏の軽装「クールビズ」にちなんで名付けた。

3年後に迫った東京五輪・パラリンピックの期間中、都心の混雑を緩和する狙いもあり、来年度以降も実施予定という。東急電鉄は田園都市線(渋谷―中央林間)で平日午前6時台に臨時特急「時差Bizライナー」を21日まで運転。東京メトロも午前6時台に増発する。都営地下鉄では平日、早朝やラッシュ後の時間帯に都庁前駅などで専用端末にIC定期券をかざすと、ポイントが付与され、抽選で景品が当たる。参加企業や自治体はフレックスタイム制や、出勤せずに自宅などで働くテレワークを推進する。【日本経済新聞2017年7月11日

上記報道のとおり小池都知事が推奨する「時差Biz」、つまり時差出勤は主に満員電車解消のために打ち出されています。私どもの市では紹介した「職員の時間外勤務に関する指針(案)」の中に時差勤務制度のことが盛り込まれ、時間外勤務縮減策の一つとして検討しています。導入する目的は「柔軟な勤務時間の設定を可能とすることにより時間外勤務の縮減を図り、職員の健康を保持してワーク・ライフ・バランスを推進する」としています。

所定の勤務時間外に会議、住民説明会、工事立ち合い、作業、啓発活動等の業務がある場合、所属長の許可を得た上で時差勤務できるような制度案が想定されています。恒常的な業務に対応したものではなく、あくまでも臨時的な業務に当たる際、時差勤務を利用できるような制度を検討しています。実施に移す際は上記の確認のとおり労使協議した上、労使合意を前提としているため、組合執行部内での議論を始めています。

やはり業務の総量自体が多い職場では、なかなか時差勤務制度は利用できないのだろうと見ています。それにも関わらず、時間外勤務「縮減ありき」で時差勤務しなければならないような雰囲気が強まってしまうと、ますます密度の濃い仕事に追われることになります。時差勤務したため、職場で手が回らない仕事を自宅に持ち帰るようなサービス残業につながる恐れもあります。

また、仕事量からすれば時差勤務制度を利用しやすい職場でも、時間外勤務手当を減らすことが主目的となり、強要されていくことも望ましい話ではありません。夜に会議を控え、午前中はゆっくり休みたい場合、有給休暇を取得すれば済む話です。このような点を危惧する意見が執行委員会の中では示されていますが、市当局側の案は「本人の申出によって利用できる」という選択制を基本に考えているようです。

あくまでも利用するかどうかは本人の選択とし、時差勤務を一律に強要されないのであれば特に問題ないという見方ができます。有給休暇の残日数の少ない職員にとっては選択の幅が広がったと肯定的にとらえることもできます。ただ執行委員会の中では「建前はそうでも…」という慎重な意見も示されています。いずれにしても今後、職場委員会を通して組合員の皆さんに時差勤務制度実施の是非を諮っていくことになります。

続いて、フレックスタイム制についてです。駅前にある窓口サービスセンターをはじめ、図書館や保育園では早番や遅番などのローテーションによる変則的な勤務時間の職場となっています。職員それぞれの出勤時間や退勤時間が異なるという点ではフレックスタイム制に近いものがあります。しかし、フレックスタイム制はコアタイム(必ず勤務しなければいけない時間帯)以外、出勤時間や退勤時間を本人の自由意思で決めることができるため、あらかじめ出退勤の時間が定められている当番職場とは大きく異なります。

なお、私どもの市でフレックスタイム制の導入が検討されている訳ではありません。時差勤務制度の話が取り上げられた際、子育て世代を中心にフレックスタイム制の導入が切望されているという声を耳にしたため、フレックスタイム制のメリット・デメリットを調べてみました。リンク先の内容を紹介しますが、フレックスタイム制は従業員個々の自主性に委ねる部分が大きく、以下のようなメリット・デメリットが考えられます。

《メリット》
・勤務時間をずらすことで、通勤ラッシュを避けることができる。
・個人が効率的に時間配分を行なうことで、残業の軽減につながる。
・働き方に自由性があるため、優秀な人材の採用や定着の向上につながる。
・節電対策の一つとして利用できる。

《デメリット》
・取引会社や他部門との連携を行なうときに、時間の設定が難しくなるため、現実には導入できる職種が限られやすい。
・自己管理ができない従業員が多い場合は、フレックスタイム制は時間に対してルーズさが許されるものと勘違いされやすい。


勤務時間帯そのものが窓口や電話を受け付ける時間帯という職場が大半であり、市役所の業務の中でフレックスタイム制を取り入れられる職場は極めて限られるものと見ています。上記のデメリット以外に導入した職場とそれ以外の職場間での不公平感も指摘されています。「フレックスタイム制が好評なのに廃止へ向かう理由」というサイトでは、メンバーの出社時間がまちまちであるため、「チーム全体の会議の設定さえ調整が困難。チームをまとめることが簡単ではない」という難点が掲げられています。

さらに「近年では様々なコミュニケーションツールが普及して便利になっているとはいえ、やはり顔を見ながら業務を行ったり、意見交換することが重要なのは変わりありません。顔を見合わせチームワークで動くことによって新たなアイデアが生まれたり、お互いへの信頼感が芽生えるからです。もしチームワークが必要な業務を個別で行っていたら、効率が落ちる可能性もあります」という声が紹介されていますが、私自身もフレックスタイム制の導入は組織としての一体感を損ねる懸念を抱いています。

子育て世代に対するフォローとして考えるのであれば、育児時間や子どもの看護休暇の拡充の検討などを先行させるべきなのではないでしょうか。もしくは子育て世代を対象としたフレックスタイム制の導入という方向性もあり得るのかも知れません。いずれにしても長時間労働を強いられる職場だった場合、フレックスタイム制や時差勤務制度があったとしても絵に描いた餅になるだけだろうと思っています。

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