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2017年11月26日 (日)

査定昇給を巡る労使協議

個人の責任で運営している個人的なブログとは言え、組合の公式ホームページの立ち上げが難しく、その代替的な役割をめざしたスタートであることを「秋、あれから10年2か月」などの記事を通して説明しています。そのため、組合の活動を身近に感じてもらうことも当ブログを開設した目的の一つでした。

ただ最近は前回記事「ファクトチェックの大切さ」の冒頭にも記したとおりブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していません。このような現状の説明が充分伝え切れていない場合、職場課題よりも政治的な活動に力を注いでいる組合であるような印象を与えていることになります。

このような点を踏まえ、今回、直近の職場課題として大詰めの労使協議を重ねている人事評価制度について取り上げます。これまで「人事評価の話、インデックス」があるとおり人事評価制度の問題を扱った記事は少なくありません。今回の記事では改めて人事評価制度を巡る労使協議の経緯や組合の考え方などを伝えた上、直近の状況を報告させていただきます。

これまでの経緯について

まず基本的な話ですが、労働組合は人事に関与できず、人事そのものは当局側の責任事項です。一方で、賃金水準に直結する人事や給与の制度面の問題は労使協議の対象としています。これまで組合は公務の中で個々人の業績評価は取り入れにくい点などを訴え、人事評価制度の導入に慎重な立場で労使協議に臨んできました。

組合は制度協議を進める上で「公平・ 公正性、透明性、客観性、納得性」の4原則、「労働組合の関与、苦情解決制度の構築」という2要件の確保を方針化しています。このような方針を踏まえ、組合員から懸念される声を受けとめながら労使協議を精力的に重ねてきました。評価結果に基づく処遇への反映が大きければ大きいほど、よりいっそう働く意欲が高まるという考え方もあります。一方で、人事評価制度の導入によって、多くの職員の士気を低下させるようであれば本末転倒な話です。

万が一、評価を気にし、上司に対して言うべきことを控えるような職場の雰囲気につながることも論外です。一人ひとりのやる気を高め、組織そのものが活性化するような制度の構築をめざしていかなければなりません。人事評価制度はベストと言い切れるものを簡単に見出せません。いろいろ試行錯誤を繰り返しながらベターな選択を模索していくことになります。最も重要な点は、どのような役職や職種の職員も職務に対する誇りと責任を自覚でき、常にモチベーションを高めていけるような人事評価制度が欠かないものと考えています。

このような考え方のもとに試行を積み重ね、部長職から段階的に人事考課制度の本格実施の対象を広げてきました。そのような労使協議を重ねていた中、2014年の地方公務員法の一部改正に伴い、それまでの勤務評定に代わり、一般職員全員を対象に人事評価制度を実施することが義務付けられました。業績評価の結果を勤勉手当の成績率に反映し、能力評価の結果を査定昇給に反映させることが新たな人事評価制度の柱とされました。

労使協議の前提としてきた法的な位置付けが変わったため、2015年6月11日に団体交渉を開きました。その中で、人事評価制度の枠組み等については従来通り労使協議事項であることを改めて確認した上、2016年度からの実施に向けて労使協議に入ることを合意しました。合意した後、それまで試行してきた人事考課制度の検証や給与等への反映のあり方などを労使で協議を続けてきました。

労使協議を重ねた結果、2015年12月24日の団体交渉で、全職員を対象に2016年度から本格実施し、2016年度の結果を2017年度の勤勉手当に反映させることを合意しました。ちなみに現行制度では嘱託職員は特別職に位置付けられるため、人事評価制度の対象とされていません。なお、2018年度から査定昇給も実施したいという意向を人事当局側は強く示していました。それに対し、生涯賃金に直結する査定昇給は、より慎重に判断すべきという主張を組合側が強く訴え、査定昇給の実施時期は継続協議の扱いとしました。

2016年度から人事評価制度が本格的に実施され、今年6月の一時金(勤勉手当)の額に個々人の業績評価の結果が反映されました。現時点まで異議申し立てはありませんが、支給後に人事当局が実施したアンケートでは自分の評価結果に3割近くの職員が不満を持っていました。一方で、人事評価制度自体は容認する声が大半でした。しかし、あくまでも勤勉手当に反映させる制度に対するアンケート結果だと見込まれるため、今後の査定昇給の導入に関しては引き続き慎重な判断が求められていました。

労使協議における論点

以上のような経緯のもとに査定昇給の取扱いを判断していく局面を迎えていました。11月16日夜の団体交渉で査定昇給の取扱いに関し、労使それぞれの考え方をぶつけ合いました。その交渉の中で、すべてやり取りした訳ではありませんが、補足説明を加えながら労使協議における論点を整理してみます。

まず人事当局は「来年度から必ず査定昇給も実施しなければならない」と強く主張しています。地方公務員法第23条の3で「人事評価の結果に応じた措置を講じなければならない」と定められ、総務省の「地方公共団体における人事評価制度に関する研究会」の報告書で「人事評価制度を導入しながら昇給に反映せず、一律昇給を続けることは避けなければならない」と記されているからです。

それに対し、すでに業績評価を本格運用しているため、まったく人事評価制度を実施していない訳ではありません。さらに今後も査定昇給は不要だという立場であれば、法的な問題が問われる可能性もあります。急がなければならない理由として人事当局は、以前、住民が宝塚市を相手に「勤務評定を行なわず勤勉手当支給や普通昇給させたことは違法である」という訴訟を起こした事例をあげています。神戸地裁と大阪高裁で争われた結果、それぞれ住民側の訴えが棄却されています。

様々な判決の要点がありましたが、裁判所は「人事評価システムを段階的に導入しようとしており、将来、この人事評価の結果が勤勉手当や普通昇給に反映されることが期待できる状況であるといえること」という理由も示していました。急ぐべき理由としている裁判事例からも、このような見方ができることを組合は指摘し、より望ましい本格運用に向け、労使でしっかり協議していくことの必要性を訴えています。

組合は業績評価の目標に対する難易度の差などを疑問視していました。それでもアンケート結果等を踏まえ、業績評価を勤勉手当に反映させる制度の運用方法等の見直しは考えていません。査定昇給に関しては、本格運用が前提でなかった今年度の評価結果をもとに来年度から実施される場合の不合理さを懸念しています。しかしながら納得性の高い評価制度を労使合意できるのであれば来年度からの本格運用を受けて入れていく考えです。

査定昇給の本格運用にあたり、組合は人材育成面や組織として仕事を進めることを重視し、組合は職員間の過度な競争を助長しない仕組みが望ましいものと考えています。そのため、相対評価ではなく、絶対評価としていく点は合意しています。その上で、一人ひとりのやる気を損ねず、組織そのものを活性化させていくため、どのような制度が必要なのか、評価結果によって職員間に過剰な格差を生じさせる制度の是非などを問題提起しています。

現状は基本的に全員が年に1回4号給昇給しています。市職員として採用された時点で一定の能力評価は受けているという前提に今後もB評価(4号給昇給)を基本としていくことが望ましいものと考えています。そのため、組合からはC評価(3号給のみ昇給)以下を極めて例外的なものとするよう訴え、その運用のあり方を最終盤の大きな論点としています。

査定昇給の取扱いを巡って大詰めの局面を迎えている中、11月22日には労使協議会を開きました。昨年度実施している人事評価のうち特に能力評価の結果を分析した上、査定昇給の本格実施に向けた運用方法等について労使で意見を交わしています。週を越えて労使協議は継続し、11月末までの決着に向け、より望ましい実施のあり方を探っています。労使合意に至った場合、組合員の皆さんに対しては組合ニュースや職場委員会を通して詳細を報告していく予定です。

最後に、自治労の関係者以外、今回のような題材はあまり興味が沸かない内容だろうと思っています。それでも冒頭に記したとおり組合の活動を身近に感じてもらうことも目的にしているため、これからも職場課題に関する話も取り上げていくつもりです。1週間に1回のみ更新しているブログであるため、その割合が劇的に変化することはないものと考えていますが、ぜひ、引き続き多くの方々にご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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2017年11月19日 (日)

ファクトチェック、その大切さ

先週木曜の夜、今年度の賃金・一時金を決める労使交渉がありました。東京都の労使交渉は週を越えた継続協議となっていましたが、私どもの自治体は都人勧の内容をもとに早期決着をはかることができました。同夜の交渉では他の継続案件である時間外勤務縮減の課題や査定昇給の取扱いを巡り、労使それぞれの主張を真っ向からぶつけ合いました。

このブログで取り上げる題材として政治的な話題が多くなっていますが、日常的な組合活動の中で政治的な活動の占める割合はわずかです。ブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしてきています。今回、木曜夜の労使交渉を踏まえ、職場課題を中心にした記事内容の投稿も考えていました。

結局、記事タイトルを「ファクトチェック、その大切さ」としたとおり今回も職場課題から離れた題材で書き進めることにしています。まずファクトチェックという言葉をweblio辞書で調べると「文書や発言の中で述べられている事柄が事実かどうかを確認すること」とあり、事実として言及された情報をピックアップし、その内容が事実誤認や誇張などを含まない正しい情報であることを確認する人はファクトチェッカーと呼ばれていると記されています。

ファクトチェックの大切さは言うまでもないことです。改めて取り上げてみようと考えた切っかけは前回記事「定期大会を終えて、2017年秋」へのnagiさんからのコメントに対し、私から「一つの情報に対し、個々人それぞれの受けとめ方や評価があります。ただ当該の情報を正しく理解していなければ、単なる思い込みや先入観での評価や批判につながりかねません。そのような論点での新規記事に取りかかってみようと考えているところです」とお答えしていたからです。

ここ最近、大相撲の横綱日馬富士関が幕内貴ノ岩関に暴行を加えた問題が大きな注目を集めています。報道番組がトップニュースとして伝える時も目立ち、特別国会のことなどもっと大きく取り上げるべき話題があるのではないか、個人的にはそのように感じがちな過熱ぶりです。ファクト、事実として日馬富士関が貴ノ岩関に暴力を振るったことは間違いないようであり、そのこと自体、絶対容認できない行為となります。

しかし、この問題での情報は錯綜しています。ビール瓶で殴ったのか、素手だったのかどうかという暴行を加えた実際の場面に対する証言が異なっています。診断書の内容に関しても重傷説を打ち消すような情報が流れ始めています。日馬富士関が激怒する引き金となった貴ノ岩関のスマホ操作についても伝えられ方は一つでありません。日馬富士関が貴ノ岩関の生活態度を注意している最中にスマモを操作し始めた、貴ノ岩関の非礼さが際立つ情報です。

一方で、日馬富士関が注意している最中にスマモが鳴ったため、それを止めようとした瞬間に殴りかかられてしまった、貴ノ岩関に対する印象が随分変わる情報だろうと思っています。このように事実は一つでも伝え方によっても受け手の印象が変わっていきます。よく「印象操作」という言葉で批判されがちですが、以前の記事「マスコミの特性と難点」の中で綴ったとおり情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことも欠かせないように思っています。

特にSNSが普及した結果、ますます「自分の好みに合う情報だけを受け取り、自らの好みをひたすら強化させるようになる」と言われています。さらに「願望」という調味料を加えながら個々の情報を自らの立場や主張に都合の良いように解釈していく傾向が見られがちです。いわゆる左と右、それぞれの立場に関わらず見られがちな傾向ですが、もちろん個人差が大きい話だと受けとめています。

日頃から幅広く、多面的な情報に触れることを心がけ、ファクトチェックの大切さを認識されている方々も多数だろうと思っています。それでも私自身、そのように心がけていながら完璧に実践できているのかどうか断言できない弱さもあります。そのため、自戒をこめた今回の記事であることをご理解ご容赦いただければ幸いです。ちなみに「ファクトチェック、その大切さ」という記事を綴る切っかけとなったnagiさんのコメントの中で紹介された報道内容は次のようなものでした。

「スピーチをやめていただけないか」平和大使の演説に圧力かけた国、中国だった 外務省の公電には黒塗り 2014年以降、毎年8月のジュネーブ軍縮会議で核兵器廃絶を世界に訴えてきた日本の高校生平和大使の演説が今年は見送られた問題で、高校生にスピーチをさせないよう日本政府に圧力をかけていた国は中国だったことが16日、複数の政府関係者への取材で分かった。日本が第2次大戦の被害を強調することを嫌う中国側の思惑があるとみられる。政府関係者や本紙が情報公開請求で入手した外務省の公電によると、今年2~5月、昼食会などの場で、中国側が日本側に「スピーチをやめていただけないか」などと要請。「高校生を政府代表団に1日だけ含めるのは問題がある」などと指摘した。

中国の軍縮大使「異議申し立てもあり得る」と日本に反論 日本側は、被爆体験の継承を訴えて理解を求めたが、中国の軍縮大使が「会議規則違反の異議申し立てもあり得る」と反論した。中国側の主張に同調する国が出てくることへの懸念から、日本政府も見送りに応じたという。高校生平和大使は例年、日本政府が1日だけ政府代表団に登録する形で、軍縮会議本会議場でスピーチを認められてきたが、核兵器禁止条約が採択された翌月の今年はスピーチが見送られた。本紙の情報公開請求で、ある国の軍縮大使が圧力をかけていたことが判明したが、文書の国名は黒塗りされていた。

中国の思惑は? 「歴史を歪曲」日本の動きに反発 中国の習近平指導部は、戦後70年を迎えた2015年を中心に「反ファシズム・抗日戦争勝利70年キャンペーン」を国内外で展開。同年9月には、北京で大規模な軍事パレードを行った。同時に、日本が国際社会で原爆被害を訴える動きに対しては「戦争加害国としての歴史を歪曲するものだ」と反発してきた。同年5月に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議でも、日本は各国指導者らに広島、長崎の訪問を促す文言を最終文書に盛り込むことを提案したが、中国の強硬な抵抗で実現しなかった。国連総会が同年12月に核兵器禁止を呼び掛ける決議を採択した際も、決議案に当初、盛り込まれた被爆地広島や長崎の惨禍を伝える文言が中国の強い要請で削除された経緯がある。

高校生3人、現地のレセプションに参加 一方、今年8月のジュネーブ軍縮会議で高校生平和大使のスピーチが見送られた代替措置として、日本政府代表部が現地で開いたレセプションには中国の外交団も参加。高校生3人が各国外交官を前にスピーチし、少人数のグループに分かれて各国外交団と個別で意見交換する場も設けられた。

<ワードボックス>高校生平和大使とは? 核兵器廃絶を求める署名を集め、国連へ提出する高校生。1998年、長崎の2人が反核署名を携えて米ニューヨークの国連本部を訪ねたのが始まり。市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が毎春、被爆地の広島や長崎を中心に公募で選ぶ。2013年以降は外務省の「ユース非核特使」の委嘱を受け、14年からは夏に国連欧州本部(ジュネーブ)での軍縮会議本会議場で代表者がスピーチをしてきたが、今年は見送られた。代替措置として日本政府代表部主催のレセプションで、3人の高校生が各国外交官ら約60人を前にスピーチした。【西日本新聞2017年11月16日

上記の報道を紹介した後、nagiさんは「今年の夏に高校生平和大使の演説が見送られた問題で当時、話題になっていました。反安倍のリテラなどでは安倍政権を叩く記事を書いていましたが、実は中国が圧力をかけていたわけですね。さて、リテラやこの時に安倍政権を叩いた福島瑞穂氏はどのような反応をするのか注目したいですね。いつもどおり都合の悪いことはスルーか、それでもやはり安倍が悪いと言うのでしょうか。(笑)」とコメントしていました。

高校生平和大使の核廃絶演説中止の背後に安倍腹心の軍縮大使…集団的自衛権にも暗躍した防衛官僚が軍縮会議の代表者に スイスのジュネーブ軍縮会議で「高校生平和大使」による演説が見送られたことが波紋を広げている。高校生平和大使は、日本の高校生が国連に赴き、核兵器廃絶を訴える活動。1998年に始まり、近年では2014年から3年連続で核兵器廃絶の演説の機会が与えられ、ジュネーブ軍縮会議の本会議で高校生がスピーチを行っている。また、活動20年目にあたる今年は、核兵器の廃絶と平和な世界の実現を目指すための署名が過去最高の21万4300筆も集まった。

8月17日には、高校生平和大使に参加する長崎県の高校生3人が田上富久長崎市長を表敬訪問。軍縮局幹部の前での演説を予定していた女子高生が「微力ながらも、世界に核兵器の廃絶を精いっぱい訴えてきたい」と抱負を語っていた(毎日新聞8月18日長崎版)。 ところが、その核廃絶の願いを届ける高校生の演説が、今年は不可解なことに、直前で白紙になってしまったのだ。

いったい何が起きたのか。当初、高校生平和大使は22日に国連へ決議文を提出し、軍縮会議の場でスピーチをする予定だったが、共同通信によれば、18日に急遽取りやめとなったことが判明。軍縮会議日本政府代表部は「今年は軍縮会議の議事上、適当でないと判断した」としている。一方、東京新聞は〈関係者によると、大使を派遣する市民団体「高校生平和大使派遣委員会」が今年も軍縮会議での演説を打診したところ、外務省の担当部局である軍備管理軍縮課から「今回は難しい」と回答があった。明確な理由の説明はなかった〉と報じている。

つまり、日本政府側が高校生平和大使側に、説明もなくストップをかけたというのだ。20日付けの西日本新聞では、引率する元教師が取材に対し「正式に見送りを伝えられたわけではないので何とも言えない」とした上で、「政府が反対している核兵器禁止条約を平和大使が『推進すべきだ』と主張してしまうことを、外務省側が恐れたのではないか」と推測しているが、実際、そういうこととしか思えない。

対米従属の先兵だった元防衛官僚を軍縮大使にした安倍政権 周知の通り、日本は“唯一の被爆国”であるにもかかわらず、核保有国であるアメリカなどとともに、核兵器禁止条約に反対の姿勢をとり続け、交渉にすらも参加しなかった。今月7日の国連採択後も日本政府として「署名しない」と明言するなど、世界の潮流である核軍縮へ強固に反発している。

さらに安倍首相は、今年の広島と長崎での平和式典でも露骨な態度を見せた。松井一実広島市長が「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」と求め、田上長崎市長が「核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません」と強く批判したのを尻目に、安倍首相はあいさつで核兵器禁止条約に一切言及しなかったのだ。

そう考えてもやはり、今回の高校生平和大使の件では、政府側が強くプレッシャーをかけて、高校生による国連での核廃絶スピーチを阻止したと考えるのが自然だろう。さらに、このスピーチ取り止めには、軍縮会議日本政府代表部大使(軍縮大使)の人事が関係しているのではないか、ともいわれている。この軍縮大使というのはその名のとおり、ジュネーブ軍縮会議の日本政府代表なのだが、昨年12月の人事で、その責任者に安倍首相と近い防衛官僚の高見沢将林氏が就任していたのだ。軍縮大使に外交官ではなく、元防衛官僚が就任するのは異例中の異例。実際、ここ20年をみても、民間から起用された猪口邦子氏(現・自民党参議院議員)を除いて全員が外務省出身者だった。

しかも、高見沢氏は昨年の退官まで、一貫して日米安保畑を歩んだ元エリート防衛官僚で、第二次安倍政権では安全保障担当の内閣官房副長官補として官邸入りするなど、安倍首相の覚えがめでたい人物。集団的自衛権の行使容認を議論する首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の事務局を仕切り、2014年の閣議決定の際には高村正彦・自民党副総裁や横畠裕介・内閣法制局長官らとの「秘密会合」で政府案を練り上げたほか、日米安保体制=対米従属の固定化を目指す安倍政権の裏方をつとめてきた。

軍縮大使は民主党時代、米国に沖縄基地を県外移転しないよう提言していた その高見沢氏がいかに“日米安保の権化”であるかを示す、こんなエピソードもある。沖縄の基地負担減を目指した民主党政権が、米軍普天間基地の「県外移設」を掲げた際、当時、防衛政策局長だった高見沢氏が、2009年10月、当時のキャンベル米国務次官補に「(民主党の県外移設案に)あまり早期に柔軟性を見せるべきではない」と耳打ちしたことが、ウィキリークスが公表した米国の公電によって明らかになっている。また、1996年の辺野古代替施設建設の日米交渉時には、オスプレイの配備を念頭に置きながらも、地元側に明言しないよう米側と想定問答集を調整したとされるなど、高見沢氏は米側を慮る日本政府の方針を陰に陽に実行に移してきた。

こうした経緯を踏まえれば、安倍政権が高見沢氏を軍縮大使に異例の起用をしたのは、あきらかに核兵器禁止条約に反対する米側と歩調をあわせ、国連でのネゴシエーションや国内の世論調整を担わせるためだろう。今回の高校生平和大使の演説取りやめも、その延長線上にあると考えるべきだ。もっとも、高見沢氏による直接の指示があったかは現段階では不明だが、少なくとも、安倍政権のもとでは、市民が核兵器廃絶の思いを述べる機会さえ奪われてしまうことは間違いない。こんな政権が被爆国にふさわしいのか、わたしたちはいま一度よく考えるべきだろう。【LITERA2017年8月22日

たいへん長い記事になっていますが、リンクをはるだけでは不充分だと考え、当該の記事全文を掲げさせていただいています。上記のLITERA編集部が発信した記事内容はファクトと推論が織り交ざりながら安倍政権批判につなげています。推論の部分を断定調に記してはいませんが、やはり少しでも事実誤認があった場合、主張そのものの訴求力の低下は免れません。最近、この問題では元外務官僚の天木直人さんも圧力を加えた国がアメリカだと決め付けた批判記事をブログに掲げ、勘違いが分かった後に謝罪記事を投稿していました。

思い込みで他者を批判し、事実関係が誤りだった場合は率直に反省し、ファクトチェックの重要性を認識する機会につなげていかなければなりません。実は私自身、河野太郎外相のサイトを閲覧していたため、早い段階で高校生平和大使の核廃絶演説が見送られた理由を把握できていました。日本政府に対する「高校生を代表団として登録することに明確に反対する」という申し入れ、どの国からなのか分かりませんでしたが、日本政府の苦汁の判断だったことを知り得ていました。

最後に、河野外相の当該記事「後ろから鉄砲玉」も参考までに全文を紹介します。「エベレストの頂上をヘリコプターで一気に目指すのもありかもしれない。しかし、頂上付近にヘリコプターを着陸させるのは極めて非現実的だと思うならば、ベースキャンプから一歩一歩、着実に歩いて登るやり方もあるはずだ」という考え方など共感できる点がある一方、ファクトチェック、大丈夫かなと思える箇所があることも一言添えさせていただきます。

日本で脱原発を唱える者や団体には二種類ある。実際に脱原発を実現しようとして、一歩ずつでも前に進もうとするものと脱原発が実現するかどうかはどうでもよくて、脱原発を使って票や金、支持を集めようというものだ。現実に脱原発を実現しようとするものは、同じ方向を向いているものすべてでスクラムを組んで前に進もうとする。その一方で、脱原発を政治的に利用しようとするものにとっては、同じような主張をするものが邪魔になる。だから少しでも主張が違ったり、現実的に妥協しながらでも前に進もうとしたりするものを徹底的に批判する。

残念なことに核軍縮に関しても同じようなことが起きている。少しずつでも核軍縮を進めていくためにスクラムを組もうというものと、核軍縮を利用しようというものにやはり分かれる。その一つの典型が、ジュネーブ軍縮会議で日本の代表部がとった行動に対する後ろからの鉄砲玉だ。これまで日本政府は、高校生平和大使のうち一人を政府代表団として登録し、軍縮会議のなかで日本政府の代表としてスピーチをする機会を作ってきた。しかし、そうした日本政府の行いを快く思ってこなかった国もあった。

そしてとうとう今年、日本政府に対して、高校生を代表団として登録することに明確に反対するという申し入れが行われた。軍縮会議の運営は、コンセンサス、つまり参加国の全会一致で行われるため、もし、日本政府が高校生の登録を強行すれば、コンセンサスを与えないとまで主張してきた。

日本の代表部はやむを得ず、高校生平和大使の政府代表団としての登録をあきらめたが、それで終わりにはしなかった。日本の軍縮大使は、代表部で高校生平和大使のために夕食会を開き、そこに核兵器国、非核兵器国で核兵器禁止条約に賛成している国と反対している国など立場の違う国の代表を招いて、高校生から話をしてもらった後、双方向の議論を実現させたのだ。

昨年までは、平和大使の中から一人だけ代表団に登録をして会議でスピーチをするだけだったが、今回は高校生平和大使全員が各国代表と双方向の議論をすることができた。平和大使としてジュネーブを訪れた高校生にとっては、様々な考え方を聞き、考え、議論をする良い機会になったはずだ。そしてこういう事実を外務省並びにジュネーブの政府代表部でメディアに説明をした。その結果、何が起きただろうか。

例えば東京新聞は、8月23日付けの記事の中で、「高校生たちがスピーチで、禁止条約に触れることに危機感を覚えての対応ではないか」という第三者のコメントを引用している。それが事実でないことを東京新聞は知ってしまっているから、記者はそう書けないが、第三者が言ったコメントを載せるぶんには責任はないと考えたのだろうか。さらに「夕食会の場で話すのと議事録に残る会議でスピーチをするのとでは意味が全く違う」というやはり第三者のコメントまでわざわざ載せている。

参加した高校生全員が立場の違う各国の代表と双方向で議論できるのと、一人だけが会議で一方的にスピーチをするだけなのでは、参加した高校生にとって意味合いが大きく違うはずだが、それを正確に伝えていない。そして高校生のスピーチに反対した国がどこか、取材していればわかっているだろうはずだが、その国の政府に対する批判は一言もない。さらこの東京新聞の記事によれば、まるで核兵器禁止条約は素晴らしいが、「核保有国もそうでない国も巻き込んで着実にこの脅威を減らす方向へ歩んでいくことを考える」のはけしからんことでもあるかのようだ。

エベレストの頂上をヘリコプターで一気に目指すのもありかもしれない。しかし、頂上付近にヘリコプターを着陸させるのは極めて非現実的だと思うならば、ベースキャンプから一歩一歩、着実に歩いて登るやり方もあるはずだ。核軍縮をただ何かに利用しようというならば何を言おうが勝手だが、現実に核軍縮を進めるならば、同じ方向を向いている者同士、手を携えていかなければならない。後ろから鉄砲玉を撃つ必要はない。

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2017年11月11日 (土)

定期大会を終えて、2017年秋

記事タイトルに悩む時があります。今回、あまり悩まず安直に昨年の記事タイトルの「定期大会を終えて、2016年秋」を「2017年秋」に変えただけで書き進めることにしています。金曜の夜、私どもの組合の定期大会が開かれました。4年前の記事「定期大会の話、インデックスⅡ」の中で詳しく綴っていますが、組合員全員の出席を呼びかけるスタイルで続けています。

昨年の定期大会で特別議案「組合財政の確立に向けて」を確認し、この一年間、経常的な収入に見合った支出構造に近付ける努力を重ねています。定期大会の会場の見直しもその一つでした。組合員数は1156人です。組合員全員の出席を呼びかけているため、これまで千人以上収容できる市民会館の大ホールで催してきました。2階席は使用していませんでしたが、実際の出席者数に比べて大ホールは広すぎて、残念ながらガランとした雰囲気になりがちでした。

一人でも多くの出席を呼びかけながら300人も入らない会場で催した場合、初めから出席者をあまり集める気がないように思われてしまいます。このような点を考慮し、大ホールを定期大会の会場に定着させていました。しかしながら組合員数の減少に伴い、出席者数も漸減してきていました。そのため、今回から会場を1201席の大ホールから246席の小ホールに移すことを昨年の定期大会で決めていました。

今回、最終的な出席者数は168人でした。残念ながら「うれしい悲鳴」を上げることなく、背伸びしない身の丈に合った小ホールの収容規模に見合った出席者数だったと言えます。小ホールへの変更に合わせ、食事と出席記念品の配布をやめていました。そのため、出席者数の減少は想定しながら200人に届けば素晴らしいと考えていました。168人という数は大成功と喜べるものではありませんが、ことさら悲観するレベルのものでもありません。来年以降、出席者数の推移を見ながら会場規模の再検討をはじめ、代議員制への移行など定期大会のあり方そのものの検討は重ねていくことになります。

さて、定期大会冒頭の執行委員長挨拶ではそのような経緯も報告しながら例年通り簡潔な内容の挨拶に努めました。ちなみに人前で挨拶する機会が多いため、檀上で緊張するようなことはありません。原稿がなくても大丈夫ですが、いろいろ話を広げてしまい、割り当てられた5分という時間をオーバーしてしまう心配があるため、毎年、定期大会だけは必ず挨拶する内容の原稿を用意しています。ここ数年、挨拶原稿のほぼ全文をブログで紹介しています。今回の内容は下記のとおりでした。

まず初めに一言添えなければなりません。昨年の定期大会で確認したとおり今回の会場は市民会館の大ホールから小ホールに変更しています。出席記念品や食事も用意していません。それぞれ組合財政の厳しさから見直したものです。そのような中、今大会に足をお運びいただいている組合員の皆さんに厚くお礼申し上げます。

さて、10月の衆院選挙は内閣支持率が依然低迷していながら与党で3分の2の議席を得るという結果に至っています。野党の再編も非常に悩ましいものがあります。ただ政治情勢は流動化していますが、労働組合としては「組合員にとってどうなのか」という判断基準を最も重視し、今後の様々な課題に立ち向かっていかなければなりません。

政治の話から入ったため、少しだけ補足させていただきます。組合員の皆さんの中に組合は職場課題にだけ取り組み、政治活動は行なうべきではない、そのように思われている方がいらっしゃるかも知れません。言うまでもありませんが、組合の活動は「組合員のため」を主目的としています。

その目的の達成のため、歴史的にも国際的にも労働組合が一定の政治的な活動にも関与してきています。労使交渉だけでは解決できない社会的・政治的な課題に対し、多くの組合が集まり、平和や政治的な活動に取り組んでいる経緯があります。平和で暮らしやすい社会は組合員の皆さんをはじめ、誰もが願うことだろうと考えています。

ただ注意しなければならない点があります。組合員の皆さん一人ひとりの価値観や政治意識は多様化しています。そのため、組合から丁寧な情報発信に努め、諸課題に対する情勢認識や問題意識を一致させながら対処していかなければ、それこそ「組合員のため」の活動がマイナスに働きかねません。それぞれの課題に対し「なぜ、取り組むのか?」「なぜ、反対なのか?」という説明が常に必要なことだろうと考えています。

もちろん組合の最も大切な役割は労使交渉を担うことです。労働条件を決める場で労使は対等な立場となります。職員一人ひとりが組合に結集することで、一人ひとりの率直な思いや声を使用者側に届けられるようになります。このような大切な役割のもとに一年間、様々な活動を進めてきました。

扶養手当の見直し提案は、独自な子の額の上積みや激変緩和策を引き出しました。一時金役職加算の見直しは引き続き見送らせることができています。5月末の「20時完全退庁宣言」を受け、時間外勤務縮減に向けた課題がよりいっそう焦点化されています。組合はサービス残業解消を大前提とし、誰もが20時まで完全退庁でき、健康でいきいきと働き続けられる職場の確立をめざしています。

人事評価制度の労使協議では査定昇給の取扱いを巡って大詰めの局面を迎えています。会計年度任用職員の導入に際しては何としても嘱託組合員の待遇改善に向けた好機にしていかなければなりません。本日お配りした議案書の中にそのような経過の内容が詳しく掲げられていますので、ご一読いただければ幸いです。

このような職場課題に対峙できる労使交渉能力があるからこそ、私自身、組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強めています。ただ残念ながら執行委員定数から大きく欠けた現況が続いています。さらに組合財政も非常に厳しく、引き続き組合活動のあり方を見直していくことになります。職場課題を解決できる交渉能力の維持を大前提とし、優先順位を判断しながら活動全般を見直す中で、組合役員の負担軽減も考慮していきます。

ハードとソフト両面から組合に対するイメージを転換させた上で「組合は必要」という認識が組合員全体で共有化され、この程度の負担であれば「良い経験にもなるし、執行委員を引き受けてみようか」という声が増えていくことを願っています。今年の選挙広報にも掲げたとおり持続可能な組合組織に向け、「ピンチをチャンス」に変えられるよういっそう努力していくつもりです。

まだまだお話したいこと、取り上げるべき大事な課題が数多くあります。それでも皆さんからの発言の時間を充分保障するためにも、挨拶は短めにさせていただきます。最後に、これからも常に「組合員にとってどうなのか」という判断基準を大事にし、組合運動の先頭に立ち、全力を尽くす決意です。それでは、ぜひ、最後まで参加いただき、あわびやいくらの詰め合わせなどを獲得するチャンスを持ち帰られるようよろしくお願いします。

新旧役員の挨拶の際、次のような私自身の問題意識を付け加えていました。組合が「組合員のため」に力を注ぐことは住民サービスの向上にもつながるものと考えています。仮に劣悪な労働条件や職場環境だった場合、職員が健康でいきいきと働き続けられず、良質な住民サービスの提供に支障が出るかも知れないという問題意識です。

もう一つは私どもの組合委員長だった市議会議員が来年6月の選挙に立候補しないことを表明されました。その市議は長島衆院議員に同調し、民進党を離党していました。このことを強く批判している組合役員もいます。冒頭の挨拶の中で示したとおり組合員一人ひとりの価値観や政治意識は多様化しています。そのため、批判の声が上がることは当たり前な話として受けとめています。

ただ違いは違いとして認め合いながら「組合員にとってどうなのか」という共有できる点を広げていく関係性が大切なことだろうと私自身は考えています。そのような意味合いで、政治的な立場が変わったからと言って、これまで私どもの組合と緊密な支持協力関係を築いてきた市議に対する感謝の気持ちが変わらないことを申し添えていました。

政治の場面に限らず、今こそ寛容さや多様性を認め合っていくことが求められているという問題意識を強調する機会につなげていました。さらに定期大会の場では久しぶりにブログ「公務員のためいき」のことも宣伝し、最新の記事で「いがみ合わないことの大切さ」を訴えていることを付け加えさせていただきました。

出席者からの発言として、保育士の方から「公立保育園の大切さ」のアピールがありました。今回は他に質疑もなく、すべて執行部提案は原案通り承認を得られました。定期大会が終わった後、今年も金曜の夜だったため、遅くまで飲み語り合ってしまいました。だからという訳ではありませんが、今週末の新規記事はいつもに比べれば簡潔な記事にまとめさせていただきました。最後に、組合員の皆さん、大会運営にご協力いただいた皆さん、ご来賓やメッセージをお寄せくださった皆さん、新旧の組合役員の皆さん、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

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2017年11月 4日 (土)

いがみ合わないことの大切さ、インデックス

このブログを長く続ける中で多用する言い回しがいくつかあります。「多面的な情報」という言葉などが代表的なものです。同じモノを見ていても、見る角度や位置によって得られる内容が極端に違ってきます。一つの角度から得られた情報から判断すれば明らかにクロとされたケースも、異なる角度から得られる情報を加味した時、クロとは言い切れなくなる場合も少なくありません。

クロかシロか、真実は一つなのでしょうが、シロをクロと見誤らないためには多面的な情報をもとに判断していくことが非常に重要です。そして、より望ましい「答え」を見出すためにも、幅広く多面的な情報に触れていくことが欠かせません。他に「いがみ合わないことの大切さ」というものがあります。そのことを主題にした過去の記事がどれほどあったのか、人の記憶は当てにならないため、Googleの検索サイトで確認してみました。

すると思った以上に「いがみ合わないことの大切さ」という言葉をタイトルに付けた記事が並んでいました。そのため、久しぶりにインデックス記事に取りかかってみることにしました。このところインデックス記事は「非正規雇用の話、インデックスⅡ」を最後に半年以上投稿していません。次のような便利さを個人的には意識しているため、今回、今年3月以来のインデックス記事として書き進めてみます。

カテゴリー別に検索できる機能を使いこなせず、これまで「自治労の話、2012年夏」のように記事本文の中にインデックス(索引)代わりに関連した内容のバックナンバーを並べています。その発展形として「○○の話、インデックス」を始めていました。その記事の冒頭、インデックス記事のバックナンバーを並べることで「インデックス記事のインデックス」の役割を持たせています。カテゴリー別のバックナンバーを探す際、自分自身にとっても役に立つ整理の仕方であり、時々、そのような構成で新規記事をまとめてきました。

これまで投稿したインデックス記事は「平和の話、インデックス」「職務の話、インデックス」「原発の話、インデックス」「定期大会の話、インデックス」「年末の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックス」「春闘の話、インデックス」「コメント欄の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックス」「定期大会の話、インデックスⅡ」「年末の話、インデックスⅡ」「平和の話、インデックスⅡ」「組合役員の改選期、インデックス」「人事評価の話、インデックス」「図書館の話、インデックス」「旗びらきの話、インデックスⅡ」「憲法の話、インデックス」「人事院勧告の話、インデックス」「非正規雇用の話、インデックスⅡ」で、「いがみ合わないことの大切さ」に関わるバックナンバーは次のとおりです。 

「いがみ合わないことの大切さ」という言葉を使っていた訳ではありませんが、その主旨に関連し、頭に思い浮かんだバックナンバーが1番目と2番目の記事でした。前述したとおり人の記憶、と言うよりも私自身の記憶は当てにならないため、主旨に合致した内容は他にも多数あるのかも知れません。それでも今回のインデックス記事をまとめるにあたり、上記7点に絞ってみました。

ちなみに最後の記事にも「いがみ合わないことの大切さ」という言葉がタイトルに付いていません。今回の記事を投稿する切っかけとなったバックナンバーであり、そのあたりについては後ほど説明させていただきます。まず1番目の記事を選んだ訳は、チベット仏教の最高指導者と「国家元首」の顔を持つダライ・ラマ14世の姿勢や言葉を紹介していたためです。ダライ・ラマ14世は中国でオリンピックが開かれることに賛意を示し、チベットの独立問題に対しても現実的な提案を示し、次のような言葉を発していました。

怒りは、怒りによって克服することはできません。もし人があなたに怒りを示し、あなたも怒りでこたえたなら、最悪の結果となってしまいます。それとは逆に、あなたが怒りを抑えて、反対の態度―相手を思いやり、じっと耐え、寛容になる―を示すと、あなた自身穏やかでいられるばかりか、相手の怒りも徐々に収まっていくでしょう。

2番目の記事の内容は、ある程度タイトルから推察できるのではないでしょうか。この記事ではNHK大河ドラマ『八重の桜』の一場面を紹介していました。同志社大学の創立者として有名な新島襄学校長は「私がめざす学校は学問を教えるだけでなく、心を育てる学校です。自分を愛するように目の前にいる他者を愛すること」を教えたいという気持ちを涙を流しながら熊本バンドと呼ばれた生徒たちに訴えました。その際、新島学校長は「自分自身を愛するように、汝、隣人を愛せよ」という聖書の一文も添えていました。

「おのれのために他者を排除する者は断固として許さない。我が同志社は、いかなる生徒も決して辞めさせません。その信念がある限り、私が辞めることもありません。どうか、互いを裁くことなく、ともに学んでいきましょう」と呼びかけました。その記事の最後のほうで、次のような私自身の思いも付け加えていました。キリスト教が世界中に広く普及し、「汝、隣人を愛せよ」という教えも知れわたっているはずですが、残念ながら戦争がなくなる見通しは立っていません、という言葉です。

具体的な話から書き進めていますが、「いがみ合わないことの大切さ」という思いを強めてきたのは当ブログを通した経験が大きな影響を与えていました。かつて一つのブログ記事に対し、100件以上のコメントが寄せられることも珍しくありませんでした。不特定多数の皆さんからの率直な声に触れられる機会につながっていましたが、私自身の立ち位置を明らかにした記事内容であるため、たいへん辛辣な言葉での書き込みが多かったことも確かです。

自分の「答え」が最も正しいと考えていた場合、異なる「答え」に対し、厳しい口調での追及型のコメントになりがちです。しかし、立場や視点が違う方々から少しでも共感を得るためには、よりいっそう言葉遣いの丁寧さが求められているものと考えています。攻撃的な姿勢や蔑んだ言葉が目立った場合、どうしても相手を身構えさせ、本質的な論点に行き着く前の感情的な応酬になりかねません。両者それぞれ自分自身の「答え」が絶対正しく、両極端な意見がぶつかり合った場合、お互い罵り合い、いがみ合う関係性につながっていきます。

そうなってしまうと、相手側の言い分の中に共感できる内容が含まれていても全否定する関係になりがちです。このような関係性が憎しみ合いの芽となり、現実の場面で異端者を排除や抹殺するという極端な事例につながりかねません。そのため「差異」を認め合えるかどうか、分かり合えなくても、いがみ合わないようにできるかどうかが最も重要なことだと考えるようになっています。日常生活における身近な人間関係から労使交渉をはじめ、国対国という外交の場面でも思いを巡らしている問題意識だと言えます。

このような問題意識があり、最近の記事「安全保障を強い言葉で語ることの是非」を通して訴えたような論点につなげていました。圧力は平和的に解決するため、対話のテーブルに着かせるための手段であることを訴えた記事内容でした。その記事の中には「怒りが強い言葉につながり、怒りの矛先となる中心人物は排除すべき対象であり、打倒すべき対象になります」「利害関係が対立した場合、暴力で決着を付けることはもっての外です」という私自身の言葉があり、nagiさんから下記のコメントが寄せられていました。

今回の記事と対比して「平和運動を強い言葉で語ることの是非」としてみてはいかがでしょうか。フランス、ドイツ等で右翼政党が躍進し、アメリカでは自国優先主義が台頭してます。そしてそれに反対する人々の運動は、同じように怒りと憎悪に満ちています。憎悪と憎悪がぶつかればそこには暴力しか生まれません。北朝鮮問題で対話が必要と言うように、対立する問題においても対話が必要ではないのでしょうか。きっとそのようなことをOTSU氏も危惧されてるのかなあと思ったしだいです。

このコメントに対し、nagiさんのご指摘のとおり「強い言葉」の問題意識の先に様々な事例も思い浮かべていることをお答えし、機会を見て記事本文で取り上げることを約束していました。記事タイトルを「平和運動を強い言葉で語ることの是非」とはしませんでしたが、平和運動に限らず、強い言葉で語ることのマイナス面を常に意識しています。ケース・バイ・ケース、TPOによるのかも知れませんが、立場や考え方が異なる相手だったとしても敵視していく関係性に至ることだけは極力避けたいものと考えています。

違いは違いとして指摘し合いながら、どちらの「答え」が正しいのか、理性的な言葉を尽くして相手を納得させられるかどうかが大切なことだろうと認識しています。お互い納得し合えないまま、どちらかの「答え」に決めた際も、いがみ合わない関係性を保つことが欠かせないはずです。ちなみに当ブログを通し、安倍首相や小池都知事を批判する記事内容を投稿しています。しかし、あくまでも私自身が「それは違う」と思った具体的な言動や判断に対する批判意見であり、極端な話としてご本人たちを前にしても直接訴えられるような言葉を尽くしているつもりです。

このような話は甘い認識であり、強大な権力を持っている側と対峙していくためには怒りとともに体を張った具体的な行動が迫られる場面もあるという指摘を受けるのかも知れません。確かに前述したとおりTPOの問題もあろうかと思いますが、仮に目的が正しくても暴力やテロは論外だと考えています。そもそも自分自身、怒りの沸点は高いほうですが、時々、感情的な言葉で切り返してしまう場面もあります。理想と現実は容易に一致できないのかも知れませんが、自戒をこめながら必要な心構えとして「いがみ合わないことの大切さ」を改めて訴えさせていただいています。

前々回記事「衆院選と組合役員選挙」の中で「主義主張や立場が違う相手を敵対視しがちな傾向はよく見受けられる話です。選挙戦の場合、そのような傾向が特段目立つようになります。しかしながら私自身、どのような場面においても立場や考え方の違いは違いとして理解しながら、そのことで相手を敵対視するような関係性は避けたいものと考えています」と記していました。顔見知りの候補者と会話した近況を伝えた際、添えていた問題意識です。誰との会話だったのか、私の周囲の方々はすぐ分かったはずです。

このブログによく登場いただいてる衆院議員の長島昭久さんとの会話でした。今年4月、長島さんは民進党を離党していました。10月の衆院選までに野党の再編があった訳ですが、結局、組織的には長島さんとの推薦関係は切れていました。それでも長島さんの立ち位置が変わった訳ではないため、長島さんのほうから拒まれない限り、少しでも意見を交わせる機会は貴重なことだと受けとめています。敵か、味方かという二項対立に陥らず、幅広い立場の方々と接点を持つことこそ、平和運動にとっても有益なことだろうと考えています。

最後に、気になったニュースを紹介します。最近の記事「衆院選公示前、今、思うこと」の中で、枝野代表の街頭演説の内容に共感する点が多々あったことを記していました。その枝野代表が率いる立憲民主党には、自民党との明確な対立軸を打ち出しながらも幅広い支持を得られる可能性が秘められているものと見ています。今後のよりいっそうの奮闘を期待しているからこそ注文を付けさせていただきます。「自民党からの懐柔を防ぐ」などというネガティブな発想ではなく、自分たちの主張を広げる一つの機会として自民党議員とも忌憚のない対話を重ねて欲しいものと思っています。

立憲民主党が2日に開いた国対役員・筆頭理事合同会議で、自民党議員との「飲み会自粛令」ともとれる異例のお触れが出た。党関係者によると、国対幹部が各委員会の理事らに「党が費用を出すのでまずは野党の理事同士で交流を深めよう。自民党とは野党の結束が固まった後にやるべきだ」と呼びかけた。自民党からの懐柔を防ぐ狙いがあるとみられる。「分断と排除の政治」(枝野幸男代表)を忌避する政党にしては、ちょっと度量が狭い?【産経新聞2017年11月2日

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