広義の国防、安心供与の専守防衛
前回記事「衆院選公示前、今、思うこと」のコメント欄で、nagiさんから「広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛」という言葉に対し、次のような問いかけがありました。
この部分は相変わらず私の理解の範疇を超えています。過去の記事を読んでも理解が深まりません。私には安全装備を外した車に乗って安全運転に勤めて事故を起こさなければ安心ですと言ってるようにしか思えません。もう少しこの部分を理解できるようにほり下げていただければありがたいですね。個人的な願望にすぎませんが。
nagiさんからのコメントの後、あっしまった!さんからは次のようなコメントが寄せられていました。
日本国憲法の平和主義は特別でも何でもないんだけどなぁ。武装拒否・武装放棄は特色だけど。「専守防衛が究極の安心供与である」が - 真 - だとすると、すなわち「専守防衛が究極の危険受任である」も - 真 - でしょうね。「共産圏は平和勢力という主観主義からくる、一方的な片思い外交」に繋がる、一方的な自己満足・自己陶酔なのかなぁ。
このブログを通し、最近、特に強調している私自身の問題意識を表わした言葉が「広義の国防、安心供与の専守防衛」です。したがって、たいへん重要な論点に対する問いかけでしたので、さっそく新規記事の題材として掘り下げさせていただきます。
あらかじめ前提条件となる私自身の認識を改めて説明します。抑止力の大切さ、つまり個別的自衛権の必要性を認めている立場です。そのため、「安全装備を外した車」に乗っているという意識はありません。これまで「再び、北朝鮮情勢から思うこと」をはじめ、いくつかの記事に書き残しているとおり北朝鮮の脅威に対し、今のところミサイルの発射が実戦使用を目的にしていないという意味で抑止力は充分働いているものと見ています。現実的な脅威として「窮鼠猫を噛む」状態に追い込みすぎるほうを危惧しています。
「専守防衛が究極の危険受任である」という見方に関しては、後ほど詳述する評価の問題につながる論点があることを認識しています。その上で、私自身は「究極の危険受任」という表裏一体となるリスク認識が薄いことも確かです。
「共産圏は平和勢力」という認識は私自身、まったくありません。特に北朝鮮に関しては拉致や強制収容所の問題など絶対容認できない非人道的な行為を繰り返してきているため、「平和勢力という主観主義」などという見方は到底あり得ません。ただ共産圏に限らず、それぞれの国の立場や言い分があることは率直に認めていくべきものと考えています。その言い分の是非はともかく、まず耳を傾けることが外交交渉の第一歩だと認識しています。
日本国憲法の「特別さ」についても改めて補足します。外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争が2回の世界大戦を経て、現在の国際社会の中では原則禁止されています。例外として、自衛のためと集団安全保障と呼ばれる国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけを合法としています。集団安全保障とは国連の枠組みで武力攻撃を行なった国を制裁する仕組みです。
ちなみに国連安全保障理事会が「平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限って、国連憲章第51条で集団的自衛権の行使を認めています。集団的自衛権とは同盟国などが武力攻撃を受けた際に共同で対処できる自衛戦争です。解釈を積み重ねた結果ですが、日本国憲法は個別的自衛権までが許容範囲であり、集団的自衛権は認められないという大きな一線が引かれてきました。この一線が私自身の認識している「特別さ」であり、たいへん重要な峻別だと考えています。
残念ながら一昨年の安保関連法の成立で限定的とは言え、集団的自衛権を行使できる国に足を踏み出しています。すべての国が戦争を原則禁止している中、確かに日本国憲法だけ特別ではありませんが、一線の問題を極めて重く見ています。これまで固有名詞に当たる安保関連法を「戦争法」と呼ぶことは控えています。しかしながら次の言葉はレッテル貼りではなく、事実を表現するものとして、あえて書かせていただきます。国際社会の標準モードとして「普通に戦争ができる国」に転換するのかどうか、今、私たちが問われている選択肢だと受けとめています。
お二人のコメントを拝見した後、『夕刊フジ』に掲げられた政治学者の岩田温さんの『【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸』という論評を目にしました。「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」という人々は「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力であり、盲目的に憲法9条に拝跪する様は一種の宗教儀式を連想させるものだ、このような主張を展開していました。「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき方々は存在するのかも知れません。
しかし、「リベラル」と呼ばれる一定の勢力や立場の方々を一括りに決め付けた揶揄の仕方は問題であり、そもそも岩田さんが指摘されるような「ガラパゴス左翼」は極めて少数なのではないでしょうか。以前「『カエルの楽園』から思うこと」という記事を投稿していましたが、寓話と同レベルの視点で政治を研究されている識者がメディアを通して不正確な持論を主張していることに驚いていました。さらに衆院選挙期間中でありながら特定の政党の代表を非現実的な主張を行なっている「ガラパゴス左翼」だと決め付けていましたが、大丈夫なのだろうかと心配しています。
前提条件となる私自身の認識の話が長くなりました。要するに個別的自衛権の範疇で充分抑止力は働き、2年前以前の日本国憲法の「特別さ」を維持することのほうが「平和主義の効用」のもと望ましい姿であるという認識が私自身の主張です。このような認識や主張も「ガラパゴス左翼」だと呼ばれるのであれば、それはそれで構いません。肝心なのはどちらの「答え」が、より望ましい選択肢なのかどうかだろうと考えているからです。
ここから今回の記事タイトルに掲げた「広義の国防、安心供与の専守防衛」について詳述していきます。広義の国防の対義語は狭義の国防であり、安心供与に対義する言葉は抑止となります。他に「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中で、ソフト・パワーとハード・パワーという対になる言葉も紹介していました。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。
広義の国防という言葉を初めて紹介したのは昨年6月の「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」という記事の中でした。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれた話を綴っていました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことを紹介していました。
軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義に触れていました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができました。加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。
「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。現在、北朝鮮情勢の緊迫化を受け、来年度の防衛予算は過去最大規模の5.2兆円となる見通しです。『日刊ゲンダイ』の記事か、と思われる方が多いかも知れませんが、数字的な面は事実であるため、最後に参考資料として掲げておきます。興味のある方はご参照ください。
安心供与は昨年1月の記事「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって寛容さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。
抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。
広義の国防、安心供与、ソフト・パワー、それぞれの言葉に共通している点は、どちらが正しいのかという二者択一の問題ではないことです。あくまでもバランスの問題であり、抑止力を軽視せず、非軍事的な「人間の安全保障」の取り組みも強化していくことが重要です。国民の安全と安心を担保するため、どのような選択が望ましいのか、その重要な選択肢として日本国憲法の「特別さ」を維持していくことが有益なのか、もしくは弊害があるのかどうか、私たち一人一人が問われているものと認識しています。
日本列島上空を通過した北朝鮮の弾道ミサイル発射をめぐり、日米は圧力を強め、対決ムードを煽っている。2日連続の電話首脳会談後、「死の白鳥」と呼ばれる米軍のB1戦略爆撃機と航空自衛隊が共同訓練。示威活動を展開した。そうした中、防衛省は31日、2018年度予算案の概算要求を財務省に提出。前年比2.5%増の5兆2551億円となり、6年連続アップで過去最大に膨らんだ。防衛省は中国の東シナ海進出などを口実に防衛費を拡大してきた“前科”があるが、今回は北朝鮮危機に便乗した焼け太りだ。
弾道ミサイル防衛関連で1791億円を計上。海自のイージス艦に搭載する改良型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の購入に472億円、空自の地対空誘導弾PAC3の改良型「PAC3MSE」には205億円など。いずれも購入先は米企業だ。8月中旬の日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚会合)で小野寺防衛相が購入前倒しを伝えた米製地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」は金額を示さない「事項要求」で処理し、2基分相当の1600億円は含まれていない。
軍事ジャーナリストの世良光弘氏は言う。「SM3ブロック2Aの射程は高度500~750キロで、1発20億~30億円の高額兵器です。最高高度550キロを飛行した29日発射のミサイルにも対応できる可能性が高まりますが、米国領を標的としたミサイル全てを撃ち落とそうとでもいうのでしょうか。安倍首相の再登板以降、防衛費がプラスに転じたのは、米国の言い値で高額兵器を爆買いしている側面がある。ミサイル防衛、島嶼防衛を出せば、どんな予算でもスイスイ通る。それに、概算要求は形式に過ぎず、防衛省は必要とあれば補正予算でどんどん買い込んでいます」
■増額分は米企業丸儲け 対中牽制の要衝である南西諸島の防衛にも大盤振る舞い。南西警備部隊の施設整備に552億円、最新鋭ステルス戦闘機「F35」の6機買い増しに881億円、国内でも事故を多発させている“未亡人製造機”のオスプレイも4機457億円で買い上げ。宇宙部隊創設に向け、取得断念に傾いていた無人偵察機「グローバルホーク」も144億円で購入するという。みーんな米国製だ。
「高高度から攻撃するグライダー弾『島嶼防衛用高速滑空弾』に100億円もの研究予算を組んでいますが、実用化は不透明です」(世良光弘氏) 安保法制で集団的自衛権行使を可能にした安倍首相は、米国と一緒に戦争のできる国づくりを急ぎ、GDP1%枠突破は時間の問題だ。 【日刊ゲンダイ2017年9月1日】
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コメント
管理人様のご見解を踏まえて、
私の見解を申し述べるの要を感じます。
私の文筆力の無さからだと確信できるのですが、
意図が誤解されている点がありますし。
管理人様のご見解をこれだけの文章量で
丁寧に説明して下さってるので、
私の管理人様のご見解への理解と、
自らの存念を申し述べるのも長文になりそうです。
それは別に苦痛ではなく、鋭意文章を練っています。
ただ、余りにも長文になると投稿は躊躇も致します。
なを、
「これまでだってとんでもない長文を投稿してるだろう!!」という管理人様並びに閲覧者各位からの突っ込みは、
ごもっともとしか言いようがなく、甘受致す所存です。
ただ、現下の諸般の情勢に鑑み、
少なくとも、選挙の投票締め切りまで、
一身上の都合により、投稿は差し控えます。
投稿: | 2017年10月15日 (日) 23時35分
すいません。
2017/10/15 23:35:38 の投稿は、
わたくし、HN「あっしまった!」によるものです。
慣れないタブレット端末からの投稿で、
入力漏れに気づいてませんでした。m(__)m
まさしく、「あぁっ~っ、シマッたぁ~~!!(@_@)」です。
私は、おじさん世代の中の、時代の流行に乗り遅れてる部類の人間であることを、自認してますが、PCのキーボードとマウスがないと、ダメダメなんですよねぇ、、、(汗、恥;;;;
投稿: あっしまった! | 2017年10月15日 (日) 23時50分
OTSU氏の考えを記事にしていただき理解が深まりました。
基本的な考えが異なると、当然ながら帰結も異なるのは
しかたないことですね。要望に応えていただきありがとう
ございました。
選挙もいよいよ終盤戦ですねえ。立憲民主党の執行部が
菅直人政権のメンバーと似通っていて驚いています。
選挙後もいろいろありそうで大変ですねえ。
投稿: nagi | 2017年10月19日 (木) 12時12分
あっしまった!さん、nagiさん、コメントありがとうございました。
新規記事も少しだけ衆院選に絡んだ雑感を書き添えるつもりです。ぜひ、これからもお時間等が許される際、率直な感想やご意見をお寄せいただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年10月21日 (土) 06時41分