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2017年10月29日 (日)

衆院選が終わり、今、思うこと

前回記事は「衆院選と組合役員選挙」でした。その記事の冒頭で「衆院選の最終盤の情勢も与党が堅調、希望の党が失速、立憲民主党が躍進するという見通しが伝えられています。アンダードック効果の気配はなく、このまま事前調査のとおりの選挙結果が示されるものと見ています」と記していました。やはり結果は事前調査のとおりの議席配分となっていました。

先週日曜の夜、開票が始まり、大勢が判明した後にnagiさんからのコメントに対して一言レスしていました。「個別の政治課題に対する民意と議席数との関係性などいろいろ思うところがあります」と記し、機会があれば記事本文で触れてみようと考えていました。この1週間、衆院選の結果を受けた様々な報道に接し、さっそく今回の記事で個人的な思いを書き進めてみることにしました。

今回の衆院選比例代表で自民、公明両党が獲得したのは計87議席と、定数176の半数に届かなかった。それでも自民党が大勝できたのは、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区制の恩恵が大きかったことを裏付けている。自民党の比例代表は66議席。比例定数が2014年の前回衆院選から4減されたこともあって、2議席減らした。ただ、得票率は前回(33.1%)と同水準の33.3%で、堅調な戦いぶりだった。【毎日新聞2017年10月24日

毎日新聞の上記記事の見出しは「比例代表 自公87、半数届かず 小選挙区の恩恵」でした。同じように議席数と得票率の絡みを報道した朝日新聞は「自民の大勝、小選挙区制が後押し 得票率は48%」という見出しを掲げていました。それぞれの社の立ち位置がよく分かる見出しの付け方だろうと思っています。選挙制度が異なっていた場合、それほど自民党は勝っていないということを強調しています。

内閣支持率は依然不支持率を下回っている傾向が続いています。この点だけでも確かに与党が3分の2を占める議席数にアンマッチ感は拭えません。しかし、選挙制度自体は各政党に対し、公平・公正なものであり、今さら強く批判できるものではありません。そもそも小選挙区制導入の際、懸念された点だったはずです。それでも比例代表制を取り入れた結果、かろうじて3分の2程度にとどめられているという見方もできます。

小選挙区制の利点は民意が反映しやすいことです。二大政党制に向かい、政党本位での選挙戦となり、政権交代が起こりやすくなると言われています。国民からの信頼を損ね続けた場合、すぐ政権の座を追われるという与党側の緊張感が、より望ましい政治に高められていくことを理想視した選挙制度だと理解しています。ただ残念ながら現状は理想から程遠い姿になっているように思えてなりません。

あっしまった!さんから前回記事のコメント欄に多くのご意見をお寄せいただきました。「現政権の継続が bad だとすると、今の野党が政権に就くのは worst だったと思う」という言葉が最も印象深く、私自身の思いと交錯する点がありました。今すぐ政権を託せる野党が存在しているのかどうかという問題です。最近の記事「衆院選公示前、今、思うこと」の中で、民主党が政権交代を果たした後、いくつか混乱した事例が思い浮かんでいることを記していました。

その上で、鳩山政権の時に投稿した「約束を踏まえた先に広がる可能性」という記事中の一文を紹介しました。「基本的に約束は守ることが必要、しかし、守れなくなった場合、約束を踏まえた上で相手方と話し合っていくことが求められています。様々な約束を無視し、一方的な判断で物事を押し進めていった場合、根深い不信や軋轢が生じかねません。一時的なスピード感はあるのかも知れませんが、対立や混乱が続いた場合、結果として大きな遠回りになるのではないでしょうか」という問題意識です。

民主党の反省点は他にも多数あるものと思いますが、約束を踏まえるという問題意識に沿って論評しています。小池都知事の「しがらみのない政治の実現」という言葉には、それまでの約束や経緯を一方的に破棄していくような響きを感じ取りがちです。結果的に希望の党は政権与党を脅かすような対抗馬になれないまま衆院選に挑むことになっていました。前回記事の冒頭に記したとおり小池都知事の「排除いたします」という言葉が潮目を変えたと言われていますが、単なる言葉の問題ではなかったものと見ています。

希望の党の政策的な間口の狭さを明らかにし、安全保障面では基本的な立ち位置が自民党と変わらないことを表明した一連の顛末だったものと思っています。そもそも「衆院解散、対立軸の明確化を切望」の中で記していたとおり2年前に成立した安保関連法は違憲の疑いがあるため、見直しが必要という判断は民進党全体で決めていた方針です。このような経緯がある中、現行の安保関連法を認めるかどうかという「踏み絵」であれば民進党議員の合流を初めから拒んでいることと同然でした。

最終的な政策協定書の文言は「現下の厳しい国際情勢に鑑み、現行の安全保障法制については、憲法に則り適切に運用する。その上で不断の見直しを行い、現実的な安全保障政策を支持する」というものでした。それまでの民進党の方針を踏まえ、ある程度幅のある内容に改められていました。最終決定前の段階で政策協定書の素案や排除リストが伝えられるなど情報は錯綜し、小池都知事の「排除いたします」という言葉と相まって希望の党の印象は低下していったように思っています。

もし希望の党が民進党との合流を大きなプラス面とし、小池都知事に対する期待感が失速していなかった場合、都議選の時と同様に「希望」という看板が付いているだけで当選者を上積みさせていたのかも知れません。それこそ自民党対希望の党という選択肢が各選挙区で主流を占めていたら一気に政権交代に至っていた可能性もあります。しかし、そのような結果が果たして望ましいものだったのかどうか分かりません。

政治家としての実績や資質が未知数の新人議員を数多く輩出することにつながり、明らかに準備不足の希望の党に政権を託すことになりました。民主党政権を経験した議員も多数であるため、前回の失敗を教訓化しながら大きな混乱を生じさせない政権運営に務められる可能性があることも否定しません。それでも希望の党の最高責任者である小池都知事のリーダーとしての資質を不安視していたため、希望の党が身の丈以上の支持を集めなかったことに安堵している思いもあります。

久しぶりに『週刊新潮』を購入しました。『これで「小池百合子」は終わったのか』という特集記事が気になったからです。「小池さんの指示に従ってマニフェストを書くと、矛盾点が出てきた。それを指摘すると“私の言うとおりやってればいいのよ!”と叱られた」という話が紹介され、「リーダーシップは必要だが、人の言うことを聞くのも必要である」という当たり前な指摘が添えられていました。このような小池都知事の独善ぶりを示す話が3頁にわたって掲げられていました。

希望の党の小池百合子代表(東京都知事)は23日、出張先のパリで国際会議のイベントに出席し、厳しい結果に終わった衆院選について「都知事に当選し都議選でパーフェクトな戦いをし(女性の進出を阻む)『ガラスの天井』を破ったかなと思ったが、『鉄の天井』があることを改めて知った」と話した。自身の責任に関しては記者団に「党を固めていく中で代表を退くのはかえって無責任だと思う」と述べ、代表職を続投する意向を改めて示した。【日本経済新聞2017年10月23日

上記の報道に接し、たいへん驚きました。希望の党の敗因は「女性の進出を阻む」という問題と無関係だったように思っています。今回、大敗した原因は男性、女性問わず、小池都知事自身の政治的な判断や戦略上のミスが重なった結果だろうと見ています。それにも関わらず「鉄の天井」という言葉を使ったことに違和感を抱いていました。ここまで小池都知事を批判するような内容が長くなりましたが、部外者として率直な思いを記しています。仮に同じ組織の一員だった場合、TPOをわきまえた発言に心がけなければならないことは自覚しているつもりです。

もしかすると今回の記事は政権交代しなくて良かった、そのように読み取れる内容になっているかも知れませんが、安倍政権に対する私自身の立ち位置は過去の記事に綴ってきたとおりです。したがって、明確な対立軸を打ち出しながらも幅広い支持を得られる可能性を秘めている立憲民主党、枝野代表の今後のよりいっそうの奮闘に期待しているところです。まだまだ書き足したい話が多くありますが、最後に、安倍首相らが「謙虚さ」を強調していながら、その言葉とは裏腹な自民党の動きを紹介させていただきます。

政府・自民党は27日、衆院での与野党の質問時間の配分を見直す方向で調整に入った。議席割合より多い野党の質問時間を減らすことを検討している。今後、与野党で協議して配分を決める。議院内閣制をとる日本では政府と与党は一体化しやすく、野党の質問時間が減れば国会の行政監視機能が弱まることが懸念される。衆院予算委員会は現在、与党2割、野党8割の割合で質問時間が配分されている。割合は変動するが、野党に多くの時間を配分することを慣例としてきた。

法案について与党は国会提出前に政府から説明を受け、了承しているためだ。しかし、衆院選で自民党が大勝したことを受け、自民党内で質問時間の配分を見直す案が浮上。萩生田光一・幹事長代行によると、安倍晋三首相(自民党総裁)は27日、首相官邸で萩生田氏に「これだけの民意を頂いた。我々(自民党)の発言内容にも国民が注目しているので、機会をきちんと確保していこう」と指示したという。菅義偉官房長官も同日の記者会見で「議席数に応じた質問時間の配分を行うべきだという主張は国民からすればもっともな意見だ」と述べた。【朝日新聞2017年10月28日

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2017年10月21日 (土)

衆院選と組合役員選挙

このブログは週に1回、土曜か日曜に更新しているため、月曜以降に訪問者数が多くなっています。そのため、大半の方は衆院選挙の結果を知った上で今回の記事をご覧になっているのではないでしょうか。投票が間に合う方は仮にベストを見出せなくてもベターな選択の意志表示の機会として、ぜひ、投票所に足を運ばれるようよろしくお願いします。なお、今回から選挙区の区割りが大きく変更されていますのでご注意ください。

投票日前のタイミングでは具体的な候補者名の記述を控えています。それでも衆院選について少しだけ雑感のような記述を添えさせていただきます。最近の選挙戦は各メディアが情勢を分析した調査結果を頻繁に報道しています。衆院選の最終盤の情勢も与党が堅調、希望の党が失速、立憲民主党が躍進するという見通しが伝えられています。アンダードック効果の気配はなく、このまま事前調査のとおりの選挙結果が示されるものと見ています。

希望の党の失速は小池都知事の「排除いたします」という言葉が潮目を変えたと言われています。ただ失言ではなく、正直な思いをそのまま示した言葉だったはずです。野合批判を避けるため、ある程度プラスに働く可能性を計算した上での言葉だったのかも知れません。結局、目論見は外れ、希望の党は現有の議席数を維持できるかどうかという苦戦を強いられることになりました。

分かりやすい選択肢になったという肯定的な評価もありますが、結果として与党側を利する顛末をたどってしまったようです。安倍政権に対し、ベターな選択肢として希望の党に期待しようかどうか迷っていた多くの有権者も「排除いたします」という言葉とともに排除されてしまったものと受けとめています。特に連合は希望の党に絞って応援する動きを見せていましたが、排除の論理が浮上し、希望の党と距離を置くことになりました。

木曜の夕方、ターミナル駅前のデッキ上で顔見知りの候補者に偶然出会いました。この時間帯、もしかしたら駅前で遊説しているかも知れないと思い浮かべながら歩いていました。すると行き交う人たちと握手している候補者を見かけました。こちらから近付き「悩ましい展開になってしまいましたね」と声をかけさせていただきました。せっかくの機会でしたので苦笑されている候補者に次のような一言を添えることも忘れませんでした。

配付されていた候補者のリーフレットに北朝鮮情勢の問題で「圧力は対話を引き出すためのもの。圧力一辺倒は単なる挑発です」という言葉が掲げられていました。その箇所を示しながら「この一点だけでも充分な対立軸ですね」とお伝えしたところ候補者からは「その通りです」答えていただきました。所属する政党が変わっても、昔も今も、その候補者の立ち位置は変わらないことを確かめられた短い会話でした。

主義主張や立場が違う相手を敵対視しがちな傾向はよく見受けられる話です。選挙戦の場合、そのような傾向が特段目立つようになります。しかしながら私自身、どのような場面においても立場や考え方の違いは違いとして理解しながら、そのことで相手を敵対視するような関係性は避けたいものと考えています。このような話は機会を見て詳しく綴らせていただくつもりですが、顔見知りの候補者と会話した近況を伝える上で思い浮かべている問題意識です。

さて、スケールが格段に下がり、地味でローカルな選挙絡みの話題につなげていきます。私どもの組合の定期大会が11月10日夜に開かれます。定期大会に先がけ、組合役員選挙が行なわれます。定数内の立候補のため、信任投票が始まっています。以前の記事「組合役員の改選期、インデックス」に託したような思いのもと引き続き執行委員長に立候補しています。立候補にあたり、組合員の皆さんに回覧し、お示ししている私自身の選挙広報に掲げた内容は次のとおりです。

組合役員を長く続ける中で「組合は必要」という思いを強め、そのバトンをしっかり引き継げるように努力しています。同じポストに同じ者が担い続けることの問題点も充分認識しているため、毎年悩みながら判断しています。自分が辞めれば残されたメンバーが新たな視点で活性化の道を拓いていくのかも知れません。ただ今回も執行委員の定数を充足できない中、このタイミングで退任することは、やはり無責任だろうと考えました。

組合役員の担い手の問題や組合財政の厳しさなどピンチは続きますが、これ以上ピンチを広げず、組合活動を大胆に見直す「ピンチをチャンス」に変えられるような努力を引き続き尽くしていくつもりです。その中で絶対引き継ぐべき組合の役割は職場課題を解決できる労使交渉能力です。このことを基軸に持続可能な組合組織につなげていければと考えています。ぜひ、組合員の皆さんのご理解ご協力をよろしくお願いします。
◎ 毎週1回更新しているブログ『公務員のためいき』もご覧いただければ幸いです。

不特定多数の方々にとって興味の沸かない話題で恐縮です。一方で、自治労に所属する組合で役員を担われている方々にとって同じような現状の中、同じような悩みを抱えられている方々が多いのではないでしょうか。機関誌『じちろう』最新号の4面にも「担い手育成 急務の課題」という見出しが掲げられていました。自治労本部が実施した調査結果を中心に報告されていましたが、次代の担い手問題に各単組が軒並み苦慮されているようです。

調査報告の中で「労働条件や職場環境をめぐるベテラン役員と若年層組合員の認識ギャップが見られる」とし、若年層組合員からの「役員歴が長くなってくると、僕たちが分からないことが分からないと思う」「悩みの相談先として組合が出てこない、組合が高い位置にいる専門家集団のようになってしまっている」というコメントが紹介されていました。調査報告では両者の意識のズレの深刻さを読み取りながら、組合役員歴が長くなることの弊害を指摘しています。

その紙面には自治労本部総合組織局長の「同じ人が役員を長くやると経験が豊富ゆえに組織はしっかりするが、その人がいなくなると運動が次につながらない」という話も掲げられていました。耳の痛い話です。紹介した上記の選挙広報のとおり同じポストに同じ者が担い続けることの問題点を充分認識しています。特に今回、いろいろな経緯の中、続けるべきかどうか深刻に悩みました。もちろん最終的な判断は自分自身が下すことになります。

あくまでも自分自身が判断するための参考材料につなげるため、選挙告示日の直前、執行部の皆さん一人一人と個別に率直な話を交わしていきました。私自身の悩みを受けとめていただきながらも「やめないでください」「やめるにしても今じゃないでしょ」という声に後押しされ、上記のとおりの結論に至っています。ただ長く続けてきたこと、さらに続けることを自己犠牲のような気持ちは一切ありません。同年齢の職員は部長をはじめ、課長や係長になっています。確かに賃金水準は主任職と比べれば大きな開きが生じています。

組合役員を務めていなくても係長以上になっていたのかどうかは分かりませんが、自分自身が判断してきた結果であって否定的な意味で「やむを得ない」と考えたことは一度もありません。組合役員を担ったことで貴重な経験や交流を重ねられ、自己啓発の機会も数多く得られながら、やりがいのある任務だったものと振り返ることができます。だからこそ、そのバトンをしっかり引き継ぎたいものと考えています。改めて昨年の記事「持続可能な組合組織に向け」の最後のほうに記した問題意識を掲げさせていただきます。

必要な役割や活動があるからこそ組合組織は維持しなければなりません。そのためには無理しない、背伸びしない、これまで以上にメリハリを付けた活動に重きを置き、結果的に組合役員に過度な負担をかけず、予算面の見直しにもつながるという発想を重視するように心がけています。その中で、職場課題を解決できる労使交渉能力を基軸にした必要な役割や活動だけは必ず継承していかなければなりません。

組合役員の負担がゼロになることはあり得ませんが、少しでも負担が減ることで「組合役員はたいへん」という印象が緩和されることを願っています。選挙広報に記した「ピンチをチャンス」に変えられるような努力とは、このような方向性を意識したものです。ハードとソフト両面から組合に対するイメージを転換させることで組合役員の担い手問題を解決していく好機とし、この程度の負担であれば「良い経験にもなるし、執行委員を引き受けてみるか」という声が増えていくことを期待しています。

近い将来、私どもの組合にも輪番制を導入すべきかどうか議論を本格化させなければなりません。その際、「組合は必要」という認識を組合員全体で共有化しながら持続可能な組合組織のためにどうすべきかという視点のもとでの丁寧な職場議論が欠かせません。輪番制を導入するためにも、ハードとソフト両面から組合に対するイメージの転換が求められています。輪番制という「方針ありき」ではなく、このような試みにも力を尽くした結果、「〇〇部から一人、執行委員を出してください」と気軽に要請できるようになるものと考えています。

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2017年10月14日 (土)

広義の国防、安心供与の専守防衛

前回記事「衆院選公示前、今、思うこと」のコメント欄で、nagiさんから「広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛」という言葉に対し、次のような問いかけがありました。

この部分は相変わらず私の理解の範疇を超えています。過去の記事を読んでも理解が深まりません。私には安全装備を外した車に乗って安全運転に勤めて事故を起こさなければ安心ですと言ってるようにしか思えません。もう少しこの部分を理解できるようにほり下げていただければありがたいですね。個人的な願望にすぎませんが。

nagiさんからのコメントの後、あっしまった!さんからは次のようなコメントが寄せられていました。

日本国憲法の平和主義は特別でも何でもないんだけどなぁ。武装拒否・武装放棄は特色だけど。「専守防衛が究極の安心供与である」が - 真 - だとすると、すなわち「専守防衛が究極の危険受任である」も - 真 - でしょうね。「共産圏は平和勢力という主観主義からくる、一方的な片思い外交」に繋がる、一方的な自己満足・自己陶酔なのかなぁ。

このブログを通し、最近、特に強調している私自身の問題意識を表わした言葉が「広義の国防、安心供与の専守防衛」です。したがって、たいへん重要な論点に対する問いかけでしたので、さっそく新規記事の題材として掘り下げさせていただきます。

あらかじめ前提条件となる私自身の認識を改めて説明します。抑止力の大切さ、つまり個別的自衛権の必要性を認めている立場です。そのため、「安全装備を外した車」に乗っているという意識はありません。これまで「再び、北朝鮮情勢から思うこと」をはじめ、いくつかの記事に書き残しているとおり北朝鮮の脅威に対し、今のところミサイルの発射が実戦使用を目的にしていないという意味で抑止力は充分働いているものと見ています。現実的な脅威として「窮鼠猫を噛む」状態に追い込みすぎるほうを危惧しています。

「専守防衛が究極の危険受任である」という見方に関しては、後ほど詳述する評価の問題につながる論点があることを認識しています。その上で、私自身は「究極の危険受任」という表裏一体となるリスク認識が薄いことも確かです。

「共産圏は平和勢力」という認識は私自身、まったくありません。特に北朝鮮に関しては拉致や強制収容所の問題など絶対容認できない非人道的な行為を繰り返してきているため、「平和勢力という主観主義」などという見方は到底あり得ません。ただ共産圏に限らず、それぞれの国の立場や言い分があることは率直に認めていくべきものと考えています。その言い分の是非はともかく、まず耳を傾けることが外交交渉の第一歩だと認識しています。

日本国憲法の「特別さ」についても改めて補足します。外交の延長線上として宣戦布告さえすれば合法だった戦争が2回の世界大戦を経て、現在の国際社会の中では原則禁止されています。例外として、自衛のためと集団安全保障と呼ばれる国連安全保障理事会が認めた場合の戦争だけを合法としています。集団安全保障とは国連の枠組みで武力攻撃を行なった国を制裁する仕組みです。

ちなみに国連安全保障理事会が「平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」に限って、国連憲章第51条で集団的自衛権の行使を認めています。集団的自衛権とは同盟国などが武力攻撃を受けた際に共同で対処できる自衛戦争です。解釈を積み重ねた結果ですが、日本国憲法は個別的自衛権までが許容範囲であり、集団的自衛権は認められないという大きな一線が引かれてきました。この一線が私自身の認識している「特別さ」であり、たいへん重要な峻別だと考えています。

残念ながら一昨年の安保関連法の成立で限定的とは言え、集団的自衛権を行使できる国に足を踏み出しています。すべての国が戦争を原則禁止している中、確かに日本国憲法だけ特別ではありませんが、一線の問題を極めて重く見ています。これまで固有名詞に当たる安保関連法を「戦争法」と呼ぶことは控えています。しかしながら次の言葉はレッテル貼りではなく、事実を表現するものとして、あえて書かせていただきます。国際社会の標準モードとして「普通に戦争ができる国」に転換するのかどうか、今、私たちが問われている選択肢だと受けとめています。

お二人のコメントを拝見した後、『夕刊フジ』に掲げられた政治学者の岩田温さんの『【日本の選択】今の日本に必要な「ガラパゴス左翼」との決別 本来の「リベラル」とかけ離れた思想は国民にとって不幸』という論評を目にしました。「憲法9条を守っていれば平和が維持できる」という人々は「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき勢力であり、盲目的に憲法9条に拝跪する様は一種の宗教儀式を連想させるものだ、このような主張を展開していました。「ガラパゴス左翼」と呼ぶべき方々は存在するのかも知れません。

しかし、「リベラル」と呼ばれる一定の勢力や立場の方々を一括りに決め付けた揶揄の仕方は問題であり、そもそも岩田さんが指摘されるような「ガラパゴス左翼」は極めて少数なのではないでしょうか。以前「『カエルの楽園』から思うこと」という記事を投稿していましたが、寓話と同レベルの視点で政治を研究されている識者がメディアを通して不正確な持論を主張していることに驚いていました。さらに衆院選挙期間中でありながら特定の政党の代表を非現実的な主張を行なっている「ガラパゴス左翼」だと決め付けていましたが、大丈夫なのだろうかと心配しています。

前提条件となる私自身の認識の話が長くなりました。要するに個別的自衛権の範疇で充分抑止力は働き、2年前以前の日本国憲法の「特別さ」を維持することのほうが「平和主義の効用」のもと望ましい姿であるという認識が私自身の主張です。このような認識や主張も「ガラパゴス左翼」だと呼ばれるのであれば、それはそれで構いません。肝心なのはどちらの「答え」が、より望ましい選択肢なのかどうかだろうと考えているからです。

ここから今回の記事タイトルに掲げた「広義の国防、安心供与の専守防衛」について詳述していきます。広義の国防の対義語は狭義の国防であり、安心供与に対義する言葉は抑止となります。他に「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中で、ソフト・パワーとハード・パワーという対になる言葉も紹介していました。国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。

広義の国防という言葉を初めて紹介したのは昨年6月の「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」という記事の中でした。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれた話を綴っていました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことを紹介していました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚きながら軍縮条約の意義に触れていました。対米7割という保有割合は一見、日本にとって不利な条約のようですが、圧倒的な国力の差を考えた際、戦力の差を広げさせないという意味での意義を見出すことができました。加えて、アメリカとの摩擦を解消し、膨大な国家予算を必要とする建艦競争を抑え、その浮いた分による減税等で民力を休め、経済を建て直すためにも締結を強く望んでいたという史実を知り、感慨を深めていました。

「もっと軍艦が必要だ」「もっと大砲が必要だ」という軍部の要求を呑み続け、国家財政が破綻してしまっては「骸骨が砲車を引くような不条理な事態になりかねない」という記述には、思わず目が留まっていました。現在、北朝鮮情勢の緊迫化を受け、来年度の防衛予算は過去最大規模の5.2兆円となる見通しです。『日刊ゲンダイ』の記事か、と思われる方が多いかも知れませんが、数字的な面は事実であるため、最後に参考資料として掲げておきます。興味のある方はご参照ください。

安心供与は昨年1月の記事「北朝鮮の核実験」の中で初めて紹介しました。安全保障は抑止と安心供与の両輪によって成立し、日本の場合の抑止は自衛隊と日米安保です。安心供与は憲法9条であり、集団的自衛権を認めない専守防衛だという講演で伺った話をお伝えしていました。安心供与はお互いの信頼関係が柱となり、場面によって寛容さが強く求められていきます。相手側の言い分が到底容認できないものだったとしても、最低限、武力衝突をカードとしない関係性を維持していくことが肝要です。

抑止力の強化を優先した場合、ますます強硬な姿勢に転じさせる口実を相手に与えてしまいがちです。外交交渉の場がなく、対話が途絶えている関係性であれば、疑心暗鬼が強まりながら際限のない軍拡競争のジレンマにつながります。それこそ国家財政を疲弊させ、いつ攻められるか分からないため、攻められる前に先制攻撃すべきという発想になりかねません。そのような意味で、攻められない限り戦わないと決めている日本国憲法の専守防衛は、他国に対して安心を与える広義の国防の究極の姿だと私自身は考えています。

広義の国防、安心供与、ソフト・パワー、それぞれの言葉に共通している点は、どちらが正しいのかという二者択一の問題ではないことです。あくまでもバランスの問題であり、抑止力を軽視せず、非軍事的な「人間の安全保障」の取り組みも強化していくことが重要です。国民の安全と安心を担保するため、どのような選択が望ましいのか、その重要な選択肢として日本国憲法の「特別さ」を維持していくことが有益なのか、もしくは弊害があるのかどうか、私たち一人一人が問われているものと認識しています。

日本列島上空を通過した北朝鮮の弾道ミサイル発射をめぐり、日米は圧力を強め、対決ムードを煽っている。2日連続の電話首脳会談後、「死の白鳥」と呼ばれる米軍のB1戦略爆撃機と航空自衛隊が共同訓練。示威活動を展開した。そうした中、防衛省は31日、2018年度予算案の概算要求を財務省に提出。前年比2.5%増の5兆2551億円となり、6年連続アップで過去最大に膨らんだ。防衛省は中国の東シナ海進出などを口実に防衛費を拡大してきた“前科”があるが、今回は北朝鮮危機に便乗した焼け太りだ。

弾道ミサイル防衛関連で1791億円を計上。海自のイージス艦に搭載する改良型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の購入に472億円、空自の地対空誘導弾PAC3の改良型「PAC3MSE」には205億円など。いずれも購入先は米企業だ。8月中旬の日米2プラス2(外務・防衛担当閣僚会合)で小野寺防衛相が購入前倒しを伝えた米製地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」は金額を示さない「事項要求」で処理し、2基分相当の1600億円は含まれていない。

軍事ジャーナリストの世良光弘氏は言う。「SM3ブロック2Aの射程は高度500~750キロで、1発20億~30億円の高額兵器です。最高高度550キロを飛行した29日発射のミサイルにも対応できる可能性が高まりますが、米国領を標的としたミサイル全てを撃ち落とそうとでもいうのでしょうか。安倍首相の再登板以降、防衛費がプラスに転じたのは、米国の言い値で高額兵器を爆買いしている側面がある。ミサイル防衛、島嶼防衛を出せば、どんな予算でもスイスイ通る。それに、概算要求は形式に過ぎず、防衛省は必要とあれば補正予算でどんどん買い込んでいます」

増額分は米企業丸儲け 対中牽制の要衝である南西諸島の防衛にも大盤振る舞い。南西警備部隊の施設整備に552億円、最新鋭ステルス戦闘機「F35」の6機買い増しに881億円、国内でも事故を多発させている“未亡人製造機”のオスプレイも4機457億円で買い上げ。宇宙部隊創設に向け、取得断念に傾いていた無人偵察機「グローバルホーク」も144億円で購入するという。みーんな米国製だ。

「高高度から攻撃するグライダー弾『島嶼防衛用高速滑空弾』に100億円もの研究予算を組んでいますが、実用化は不透明です」(世良光弘氏) 安保法制で集団的自衛権行使を可能にした安倍首相は、米国と一緒に戦争のできる国づくりを急ぎ、GDP1%枠突破は時間の問題だ。 【日刊ゲンダイ2017年9月1日

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2017年10月 8日 (日)

衆院選公示前、今、思うこと

前回の記事は「衆院解散、対立軸の明確化を切望」でした。衆議院が解散され、すでに選挙戦に突入しているようなムードです。本来、公示又は告示日以降が選挙期間であり、事前運動は禁止されています。それまでの政策チラシ配布や街頭演説などは日常的な政治活動の延長線上に位置付けられています。ちなみに公示は国事行為の一つとして衆院と参院選挙のみに使い、地方自治体の首長や議員選挙は各選挙管理委員会の告示とされています。なお、国政選挙でも補欠選挙は告示になるそうです。

公示前と公示後、できること、できないことの峻別に注意を払わなければなりません。インターネット選挙解禁も4年前のことでしたが、ますます各政党や候補者の主張を詳しく知り得るツールとしてSNSの役割は高まっています。民進党の事実上の解党に至った舞台裏も前衆院議員の篠原孝さんのブログ『篠原が無所属出馬を決意した理由』などから垣間見ることができます。立憲民主党を立ち上げた後、街頭で演説した枝野代表が訴えた内容全文もネット上で確認できるようになっています。

私たちの社会は、ルールによって規律をされています。みんながルールを守ることで成り立っています。権力といえども、自由に権力を使って統治をしていいわけではありません。憲法というルールに基づいて権力は使わなければならない。ところがどうでしょう。憲法によって縛られているはずの内閣が、自ら積み重ねてきた解釈を勝手に変えた。論理的に整合性のない形で勝手に変えた。それに基づいて、自衛隊は日本の領土や領海を守るけれども、外国に出て行って戦争はしないんだという第二次世界大戦の教訓を踏まえた、先人たちが積み重ねてきた私たちの国是が、変えられてしまっている。これが安保法制です。憲法に違反した法律は、一日も早く変えなければならない。

民主主義というのは、選挙で多数決で選んで、選ばれた議員が多数決でものを決める、これが民主主義だと思っているから間違えているんです。みんなで話し合って、できるだけみんなが納得できるようにものを決めましょう、それが民主主義なんです。どうしても決められないときがあります。どうしても意見が食い違うときがあります。そのときに、ここまでみんなで話し合って、それでも一致しないならば、多数決で決めれば、少数の意見の人も、仕方がないですねと納得できる。この納得のプロセスが多数決なんです。残念ながら、今まで国会で多数を持っている人たちに、この本質が分かっているんでしょうか。選ばれたから勝手に決めていい、数を持っているから勝手に決めていい、こうした上からの民主主義は民主主義ではありません。

右か左かなんていうイデオロギーの時代じゃないんです。上からか、草の根からか。これが21世紀の本当の対立軸なんです。保守とリベラルがなんで対立するんですか。保守とリベラルは対立概念ではありません。私は人それぞれの多様な生き方を認め合う。困った人がいればここに寄り添って支えていく。お互い様に支え合う社会。リベラル、そのことによって、おそらくここにお集まりいただいている多くの皆さんが育ってきた時代、日本が輝いていたと言われていた時代の、あの一億総中流と言われていた時代の、社会がこんなにぎすぎすしていなかった時代の、みんなが安心して暮らせていた時代の、日本社会を取り戻す。私はリベラルであり、保守であります。

上記は枝野代表の演説の中で、特に印象深かった箇所を抜粋して紹介させていただいています。ぜひ、興味を持たれた方はリンク先をご参照ください。このブログ「公務員のためいき」もSNSの片隅に加わり、政治的な話題の紹介や自分自身の意見を発信しています。ただ以前の記事「再び、地公法第36条と政治活動」に綴ったとおり、できること、できないことに細心の注意を払いながら当ブログを運営してきています。今回の記事もネット上で知り得た情報の紹介であり、あくまでも私自身の意見の書き込みという位置付けになります。

言うまでもありませんが、特定の政党や候補者への支持を呼びかけるような目的で投稿していません。もちろん無味乾燥な中立的な内容ではないため、このブログを閲覧されている皆さんからは共感や反発など様々な評価を受けるのだろうと思っています。一つの運動として当ブログを長く続けていますが、幅広く多様な意見に触れられる貴重さをいつも感じ取っています。そのため、日本の今後を大きく左右するかも知れない衆院選投票日を2週間後に控えた今、個人的に思うことを書き進めさせていただくことも無意味な試みではないものと考えています。

まず枝野代表の演説の一部を紹介しましたが、私自身も共感する点が多々あるからでした。安保関連法の是非が焦点化されがちです。日本国憲法の平和主義の「特別さ」をどのように評価するのかどうかという根幹的な論点につながっている問題だろうと認識しています。前々回記事「安全保障を強い言葉で語ることの是非」に記したとおり広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛の是非を巡る論点だと言えます。

改憲の動きに思うこと」をはじめ、集団的自衛権の行使を可能とした安保関連法の問題性を数多く訴えてきています。2年前に成立した安保関連法は限定的とは言え、枝野代表が指摘しているとおり、いったんリセットしなければならないはずです。その際、アメリカとの信頼関係にも留意した丁寧な手順を踏んだ見直しが求められます。日米関係に限らず「このような公約を掲げ、政権交代したので従前の約束は白紙に戻ります」という理屈は許されません。

民主党が政権交代を果たした後、いくつか混乱した事例が思い浮かびます。鳩山政権の時に投稿した「約束を踏まえた先に広がる可能性」という記事の中で「基本的に約束は守ることが必要、しかし、守れなくなった場合、約束を踏まえた上で相手方と話し合っていくことが求められています。様々な約束を無視し、一方的な判断で物事を押し進めていった場合、根深い不信や軋轢が生じかねません。一時的なスピード感はあるのかも知れませんが、対立や混乱が続いた場合、結果として大きな遠回りになるのではないでしょうか」と書き残していました。

物事に対する評価は一つではありません。それでも様々な経緯や妥当性を判断し、現時点の約束や仕組みに至っているはずです。選挙で示された民意は重視されなければなりませんが、それまでの経緯や評価を軽視し、強引に変えていく手法は慎むべきものと思っています。枝野代表が訴えているとおり「選ばれたから勝手に決めていい」というものではなく、「納得のプロセス」を重視していく政治の実現を強く願っています。

小池都知事は「しがらみ」批判を繰り返しています。確かに「しがらみ」という言葉にはネガティブな響きがあります。当たり前な話ですが、「しがらみ」が優先されて不合理な政治判断に至るようでは大きな問題です。しかし、「しがらみ」は対人関係の深さを示す言葉でもあります。政治家は選挙で当選しなくてはなりません。当選するためには人と人との関係性の広がりが必要です。そのように広がった対人関係も「しがらみ」だと言えます。

「しがらみ」を絶つということは支持者の声にも一切耳を傾けない、そのような冷たい関係性であるように感じています。このブログを通し、連合と民進党との関係もネガティブな「しがらみ」だととらえず、民進党側には働く者の声をしっかり受けとめられることを強みにして欲しいと訴えてきています。残念ながら小池都知事の「しがらみ」批判は他者からの多様な意見に耳を傾けず、物事の是非はすべて自分一人で決めるという響きを感じています。一方でネット上では『小池都知事の手法は「しがらみ政治そのもの」ではないか』という記事も目にしています。

保守とリベラルが対立概念ではない点も同感です。以前「リベラルじゃダメですか?」という記事を投稿し、リベラルとは特殊な主義信条や政治的理念ではなく、「個人の自由を大切に、でもなるべく平等、公平に」というマイルドな考え方や姿勢の意味であることを説明していました。参考までに労働研究者の濱口桂一郎さんの『自民党は今でもリベラルと名乗っている唯一の政党である件について』と漫画家の小林よしのりさんの『リベラルは左翼ではない、自由である』という記事も紹介させていただきます。

衆院選の公示を間近に控え、まだまだ思うことがあります。消費税の問題にも触れるつもりでしたが、過去の記事へのリンクをはることにとどめます。最後に、改憲の問題です。改正条項の第96条を持つ憲法ですので議論自体をタブー視することはできません。そのため、護憲か改憲かという論点提起は言葉や説明が決定的に不足しているように思っています。前述したとおり日本国憲法の平和主義の「特別さ」を守るのか、集団的自衛権を行使できる「普通の国」に転換するのか、どちらの選択肢が国際社会の平和に寄与できるのかどうか、このような論点が明確化された中で一票一票が託されて欲しいものと切望しています。

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2017年10月 1日 (日)

衆院解散、対立軸の明確化を切望

衆院の解散が決まりました。投開票日は10月22日です。疑惑隠しや大義のない解散などという「入口」に対する批判の声が上がっていましたが、選挙結果という「出口」が今後の日本の進路を大きく左右する様相を見せつつあります。希望の党が立ち上がり、民進党が事実上解党される動きに至っています。先週月曜以降、日々情勢が変化していますが、ここまで波乱含みのシナリオを誰も予想できなかったのではないでしょうか。

民進党の執行役員会が開かれ、前原代表は、「希望の党と一緒に今回の選挙戦を戦っていく」と述べ、衆議院選挙の候補者について、希望者は全員、東京都の小池知事が代表を務める新党「希望の党」から立候補させたいとして、事実上の合流を提案しました。一方、菅官房長官は、臨時閣議のあとの記者会見で、「選挙の直前になって政党がいろんな組み合わせを行っていくことは、かつて何回もあったことだ」と批判しました。

第194臨時国会は28日に召集され、衆議院では、民進党と共産党が、臨時国会の冒頭で衆議院を解散するのは認められないとして、議院運営委員会の理事会を欠席し、本会議にも出席しない方針です。与党側は予定どおり、正午から衆議院本会議を開会することにしていて、本会議では大島議長が解散詔書を読み上げて、衆議院は解散される運びです。

こうした中、民進党は28日午前、党の執行役員会を開きました。この中で前原代表は「今回の衆議院選挙では民進党として公認は行わず、『希望の党』と一緒に選挙戦を戦っていく」と述べ、選挙の候補者について、希望者は全員、東京都の小池知事が代表を務める新党「希望の党」から立候補させたいとして、事実上の合流を提案しました。

このあと開かれた党の常任幹事会でも、前原氏は、「安倍政権を終わらせることと、もう一度、政権交代可能な二大政党制を作りたいという思いで、具体的な提案をする。すべて、皆さんと築いてきた、われわれの目指す社会像と政策を実現するためだ」と述べたうえで、みずからの考えを説明し、理解を求めました。

民進党内では、「希望の党」に参加するため党を離れる動きが続いていることも踏まえ、「安倍政権に対抗するため、やむをえない」として、前原氏を支持する意見が出ている一方で、党の存続に関わるだけに、「到底、受け入れられない」と反対する意見や、戸惑いの声も聞かれます。このため、28日の党の会合で、前原氏の説明に党内の理解が広がるのかがポイントになります。

さらに、「党どうしの合流はありえない」としてきた小池知事が、民進党から実際にどの程度の候補者を受け入れるのかも未知数で、今の段階では合流の規模は不透明です。民進党と「希望の党」の連携について、菅官房長官は臨時閣議のあとの記者会見で、「選挙に勝つために政党が直前になっていろんな組み合わせを行っていくことは、かつて何回もあったことだ」と批判しており、衆議院の解散を前に、早くも、与野党の動きや発言が活発になっています。

民進党の前原代表は党の代議士会で、「ようやく国会を開会すると思ったら一切の議論もせずに解散し、議論も封じる。議会制民主主義を無視した冒とくだ」と批判しました。そのうえで、前原氏は「ピンチはチャンスで、絶好のチャンスが来た。日本の上空を旋回している空気を一身に集め、政権交代に持っていくため、これからも一致した行動をお願いしたい。国民に新たな選択肢を示し、「1強多弱」を終わらせるため、力添えをお願いしたい」と述べました。【NHKニュース2017年9月28日

今回の記事は事実関係の記載を中心としながらも、今後の情勢の変化に関わらず強調できる私自身の問題意識を添えさせていただくつもりです。このブログを通し、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考に努めたいという心構えを訴えています。まさしく、そのような心構えが重視される中、より望ましい「答え」を探る局面を迎えているものと思っています。

衆院の解散直前、前原代表は「安倍政権が続くことは、日本にとっての不幸であり、体を呈し、どんな手段をもってしてでも、安倍政権を止めなければならない」と繰り返し訴えていました。このようなフレーズがメディアから頻繁に流されていましたが、なぜ、そうすべきなのかという理由はあまり報道されていませんでした。そのため、安倍政権を倒すことのみが目的化されているような印象を抱き、幅広い支持を得られにくいフレーズであるように感じていました。

今回の判断の主たる目的は、この選挙で安倍政権を終わらせることです。アベノミクスは、一般の国民の皆さんの暮らしの改善には繋がらない反面、その極端な低金利政策や放漫財政は非常に危険であり、何かのきっかけで皆さんの暮らしを崩壊に追い込む可能性があります。自衛隊や日米同盟の強化は必要ですが、そのために憲法違反の法律を強引に成立させることは許されません。森友・加計問題にみられるように、情報を隠し、国民に全く説明をしない姿勢は民主主義を否定するものです。国民生活を脅かし、憲法を軽視し、民主主義を否定する安倍政権を一刻も早く終わらせることが、わが国政治の最大の課題だと私は確信しています。

上記は民進党のHPに掲げられていた前原代表の「党員・サポーター、そして国民の皆様へ」から抜粋したものです。前原代表が指摘する理由の妥当性について個々人で評価は分かれるのでしょうが、このような説明がセットであれば「安倍政権が続くことは日本にとっての不幸」というフレーズも違った印象で受けとめられます。メディアの切り取り方の問題もあろうかと思いますが、広く支持を得られるかどうかはリーダーの短い一言一句に大きく影響していくことも確かです。

民進党は30日、各都道府県連の幹部を集めた会議を党本部で開いた。希望の党の小池百合子代表(東京都知事)の民進党出身者を選別する方針への反発が相次ぎ、「民進党公認の道を開くべきではないか」(北海道連)との意見も出た。希望の党への不参加を表明する民進党前衆院議員も続出している。全員合流は困難な情勢で、民進党の一部が残留し、分裂するのは避けられない見通しとなった。

会議では28人が発言し、2時間の予定が3時間半に延びた。前原誠司代表は「民進党独自で乗り越えられるならば、こうした選択肢はなかった」と合流に理解を求めた。しかし参加者からは「憲法と安全保障法制が踏み絵になって候補が選別される」(三重県連)など疑問の声が続いた。前原氏は選別を巡る希望の党側の発言について小池氏に抗議したとしたうえで、「小池氏とは対等の立場で話しており、全員を公認候補にしたいと申し出ている。一両日中に方向性を示したい」と説明。両党の合意がない限り、一方的に排除されることはないと強調した。

前原氏の説明にもかかわらず、県連幹部から「結局全員は行けない」との懸念が出るのは、希望の党が着々と選別を進めているからだ。希望の党の若狭勝前衆院議員は30日、記者団に10月2日にも50人強の第1次公認を発表するとし、内定者に連絡したと明らかにした。第1次公認には民進党前職は含まれず、民進党前職の選挙区にも希望の党の独自候補が内定していると述べた。このため、民進党内では合流に見切りをつけ、無所属出馬や分党・新党結成など、前原執行部とは別の道を探る動きが加速している。

辻元清美幹事長代行(大阪10区)は党本部で記者団に、「私はリベラルの力の重要性を信じている。だから(希望の党には)行かない」と述べ、無所属で立候補する意向を表明。赤松広隆元農相(愛知5区)は名古屋市内で記者団に「もう一つの新しい政党も選択肢の一つ」と語り、新党結成の可能性を示唆した。神奈川12区から出馬を予定している阿部知子副代表も街頭演説で「(希望の党とは)組めない」と語った。連合の神津里季生会長は30日、党本部で前原氏と会い、合流希望者全員が公認を得られるようにすべきだと伝えた。会談後、記者団に小池氏の選別方針について「おかしい。できるだけみんなが行くことが望ましい」と不快感を示した。【毎日新聞2017年10月1日

前原代表の「どんな手段をもってしてでも」という言葉は希望の党への合流という大胆な決断を想定したものだったようです。諸手を挙げて賛同できる提案ではなかったはずですが、憲法を軽視し、財政再建に消極的な安倍政権を倒すためには欠かせない苦汁の判断として民進党国会議員の皆さんは受け入れていったのではないでしょうか。しかし、上記報道のとおり「憲法と安全保障法制が踏み絵になって候補が選別される」という事態となっています。

希望の党、早々に原発ゼロという基本方針が示されていたため、自民党との対立軸を明確化していく方向性を期待しました。さらに民進党が合流することで、よりいっそう安倍政権の立ち位置から距離を置いた政党になっていくことを願いました。前回記事「安全保障を強い言葉で語ることの是非」に記したような論点など安倍政権の何が問題で、新しい党はどのような姿をめざすのか、対立軸が明確化されることを望んでいました。

しかし、たいへん残念ながら今のところ希望は失望に変わりつつあります。護憲か改憲かという問いかけよりも、日本国憲法の平和主義の「特別さ」を維持することが望ましいのかどうかという論点だろうと思っています。2年前に成立した安保関連法は違憲の疑いがあるため、見直しが必要という判断は民進党全体で決めている方針です。このような経緯がある中、現行の安保関連法を認めるかどうかという「踏み絵」であれば民進党議員の合流を初めから拒んでいることと同然です。

憲法や安保関連法の問題は国民の中でも「答え」が大きく分かれる重要な選択肢だと言えます。それにも関わらず、自民党の強力なライバルとなりそうな希望の党が自民党と同じ選択肢しか示せないのであれば国民にとって望ましい話ではありません。さらに安倍政権に「NO!」という意思を示したつもりで希望の党に一票を託した結果、自民党の補完勢力だった場合や、もっと右寄りで問題ある政権を生み出してしまうようでは本末転倒なことだろうと危惧しています。

公示日に向け、まだまだ様々な動きがあろうかと思いますが、安倍政権との対立軸が明確化された選挙戦の構図に至ることを切望しています。私自身の問題意識を少しだけ添えるつもりでしたが、踏み込んだ記述も目立つようになっています。今回の記事内容は、あくまでも現時点での情勢を踏まえた個人的な感想や要望です。週明けに開かれる連合や自治労の機関会議で衆院選挙に向けた対応方針が確認されます。私どもの組合員の皆さんに対しては職場委員会や組合ニュースを通し、組合の考え方を示させていただく予定です。

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