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2017年9月 9日 (土)

再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2

前回記事「再び、北朝鮮情勢から思うこと」の冒頭で記事タイトルに「再び」や「Part2」を付けるマイルールをお伝えしました。今回、重複した付け方となりますが、「再び」と「Part2」を付けた新規記事タイトルとしました。別なタイトルにすることも少し考えました。それでも前回記事に寄せられたコメントにお答えする内容を中心にするため、「再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2」というタイトルに決めさせていただきました。

現実的な脅威が危ぶまれる北朝鮮を巡る情勢を受け、平和のあり方について頻繁に取り上げているブログですので引き続き注視していくべき切迫した問題だと考えています。本来はお寄せいただいた問いかけに対し、すみやかにコメント欄を通して端的にお答えしていくほうが分かりやすいのかも知れません。ただ難しい問いかけはコメント欄ではなく、記事本文を通してお答えするというマイルールもあり、迅速な対応に至らない点についてご理解ご容赦ください。

前回記事を投稿した翌日の日曜日、北朝鮮は6回目の核実験を行ないました。その日の夕方、さっそく下っ端さんからコメントが寄せられました。前回記事の中の「強い言葉で反応することは国民からの支持や信頼を高める効果があるのかも知れません」という言葉に対し、下っ端さんから「国民から支持がどうこなど、論点にすらなりません。国の安全を担うものとして、当たり前のことを、当たり前に実行しているだけということです」という指摘がありました、合わせて核保有を認めるかどうかという問いかけもあり、私から次のようにお答えしていました。

核実験は弾道ミサイル発射と同様、安全保障上の脅威を高める暴挙であり、到底容認できません。北朝鮮には武力衝突の可能性を高める瀬戸際外交を自制し、対話に向けた姿勢を示すことを強く望みます。「国民から支持がどうこなど、論点にすらなりません」、まったくその通りです。強い言葉を発することで北朝鮮が自制し、対話の道を探り出すようであれば大歓迎です。しかし、私自身の見方は残念ながら今回の記事本文に綴ったとおりであり、必要以上に相手を刺激する強い言葉を発することよりも本当に国民の安全や安心に結び付く外交努力を願う立場です。

「日本は攻撃されないかもしれないが、友好国が核攻撃されるのを見ているだけ」という指摘がありますが、そのような論理展開での記述は一度もないはずです。友好国も含め、戦禍で犠牲になる可能性を避けるため、安心供与、広義の国防、ソフト・パワーを優先すべきという主張です。保有を認めるかどうかという問題も、核兵器の開発を成し遂げたから北朝鮮が目論んだ外交決着を果たせたという構図につなげてはなりません。横紙破りを追認することになり、それこそ核軍縮の流れに逆行する悪例を重ねることになってしまいます。国際社会が圧力を強めた結果、北朝鮮側が白旗をあげるような展開に結び付けば望ましい話です。

しかしながら対立が激化し、武力衝突に至った場合は多大な人的な被害が生じることを覚悟しなければなりません。ある程度の犠牲は仕方ないと考えられる方もいるのかも知れませんが、私自身はそのような発想は絶対控えなければならないものと思っています。今回の記事本文に綴ったとおりの趣旨のもと一触即発な事態を避けるためには制裁一辺倒ではなく、対話の窓口も常に開いておくことが欠かせないのではないでしょうか。いずれにしても容易に「正解」は見出せないのかも知れませんが、より効果的な圧力と対話の模索、たいへん難しい北朝鮮との距離感が引き続き求められているものと考えています。

記事本文はご覧になってもコメント欄まで目を通さない方もいらっしゃるようですので参考までにその時にお答えした内容をそのまま紹介させていただきました。あっしまった!さんから「日本は、休戦中である朝鮮戦争における敵国」という指摘を受け、「核の保有を認めたところで、北朝鮮の主観からすると、日本に、朝鮮戦争における敵方である国連軍指定基地が存在してることに違いはなく」というご意見をいただきました。

「朝鮮戦争は終わっていない」という現実を失念している訳ではなく、ご指摘のような関係性が続くことも理解しています。ただ同様に同盟関係にない中国やロシアも核兵器を保有しています。日本列島も射程圏内とされていますが、北朝鮮に対するような脅威が取り沙汰されていません。領土問題という大きな利害関係があり、対立の火種は常にくすぶっていると言えます。しかし、今のところ温度差はあっても対話の道が開けているため、ことさら核の脅威が強調されていない関係性だろうと思っています。

nagiさんから「我々は自然災害や災厄に対して、感度を鈍くすることなく危機に備える必要があることを学んだはずです」というご意見が寄せられていました。自然災害は人間の力でコントロールできませんが、「想定外だった」という言い訳を繰り返さないように努めていかなければなりません。しかし、安全保障の問題は国と国、人と人との関係で先を見通せるはずです。自然災害と異なり、人間の英知と判断でコントロールできるものと理解しています。と言うよりも、コントロールすべきものと考えています。

危機への備えとして、ミサイルの破片から身を守ることを中心にとらえた場合、政府の作成した対応マニュアル等がまったく役に立たないとは言い切れないのかも知れません。あらゆることを想定し、準備できることを準備していくことも大切です。それでも弾道ミサイルが直撃した事態を想定した場合、戦時中の空襲に備えたバケツリレーの訓練風景を頭に思い浮かべがちです。B29による大空襲の前にそのような訓練が役に立たなかったことは周知の事実です。

万全を期するのであれば原子力発電所への攻撃や落下の危険性をもっと強く認識し、適切な対策を講じなければなりません。核弾頭を搭載していない通常のミサイルだったとしても原発に撃ち込まれた場合の被害の甚大さははかり知れません。風向きによって北朝鮮側にも被害を及ぼす可能性があるため、あえて原発は狙わないのかも知れません。しかしながら「窮鼠猫を噛む」状態に追い込まれた時、そのような判断は働かず、原発が標的になることも充分考えられます。

もう少し、踏み込んでもらいたいのです。対話による解決を目指した場合の、事態がより悪化した時の話です。北にとっては、核と弾道ミサイルは、ある意味体制の存続を賭けた最後の切り札ではないのでしょうか。手放しますか?話に乗ってきますか?対話が失敗した後には、戦略核を保有した無謀国家が東アジアに誕生します。その力を得たかの国は、人権を尊重しますか?拉致を解決してきますか?普通に考えれば、益々傍若無人な振る舞いをこれでもか、としてくるでしょう。つまり、対話が悪いとは言いませんし、当然として一つの解決方法ではあるでしょう。

しかし、そこには戦争回避というバラ色のストーリーだけではなく、もっと最悪な事態を生み出す元凶になる可能性もあるのです。今、強い言葉で断固たる措置を取ることは、戦争になってしまう可能性を含みます。そのリスクを取るのか、更なる無謀核国家を生み出すリスクを取るのか、どちらにも並々ならねリスクはあるのです。対話による解決を目指す以上、そのリスクは想定した上での話ということでよろしいですか?私は、そのような情勢はとても受け入れられない、日本の存亡に繋がると思うので、今、あらゆる手を使って暴走を止めることを望みます。

上記は火曜日に下っ端さんから寄せられたコメントの全文です。ほぼ毎日、コメント欄に動きがありますので、平日も必ず当ブログを閲覧しています。実生活に過度な負担をかけないためのマイルールとして、記事本文の更新やコメント欄への対応は週末に限っています。上記のコメントをいただき、マイルールにこだわらず、火曜の夜に取り急ぎレスしようかどうか少し迷いました。それほど重要な論点が内包した問いかけであるように受けとめています。

まず「対話による解決を目指す以上、そのリスクは想定した上での話ということでよろしいですか?」という問いかけにお答えします。確かに対話の先の未来図は描き切れません。戦略核を保有した無謀国家の固定化につながるリスクは否定できません。バラ色のストーリーだけを想定し、対話の窓口を常に開いておくべきと訴えている訳ではありません。あくまでも一触即発な事態を避けるためには制裁一辺倒や強い言葉よりも、安心供与、広義の国防、ソフト・パワーを優先すべきという主張です。

これまで北朝鮮に対する圧力を強めてきましたが、核兵器の開発は止められませんでした。対話の場に立たせるために効果的な圧力も必要ですが、圧力だけでは現状を大きく転換させることも難しいという認識です。利害関係があるからこそ対話や交渉が必要とされ、相手側の言い分にも耳を傾けながら折り合える点を探ることが欠かせません。万が一、北朝鮮の核保有を追認せざるを得ない場合も国連で採択された核兵器禁止条約をもとに将来的な核放棄を求めていく道筋もあります。

さらに拉致事件の抜本的な解決や北朝鮮国内の強制収容所の問題なども看過できません。安易に実戦使用できないのだろうと思われる核兵器の問題よりも、現在進行形で苦しんでいる人たちが見込まれる問題の解決のほうこそ優先したい思いがあります。しかし、やはり外圧を強めるよりも地道な対話によって変革を求めていくしか妙手はないのかも知れません。もしくは北朝鮮の国民の皆さんが内側から必要な変革を求めていくという動きが出ることを望みたいものです。

対話のための対話では意味がない」という言葉を耳にしますが、圧力だけ強めていけば戦争を誘発するリスクは高まっていきます。そのようなリスクは最優先で排除すべきものであり、ミサイルを実戦使用させないためには効果的な圧力と対話の模索が欠かせないはずです。いずれにしても不透明なリスクを危惧するよりも数多くの犠牲者が生じるかも知れないという目の前のリスクを取り除くことに全力を尽くすべきではないでしょうか。最後に、このような考え方に近い論評を掲げた『サンデー毎日』最新号の記事の一部を参考までに紹介します。

北朝鮮のミサイルによる威嚇攻撃に、日本はいかに対すべきか。安倍政権が主張するさらなる圧力は、金正恩独裁体制の硬化を加速させるだけではないか。かつて金正日氏との間で平和外交を成し遂げた小泉元首相と、独自の外交哲学を持つ元防衛官僚の柳澤協二氏に、倉重篤郎が訊く。北朝鮮ミサイル問題に日本はどう対応すべきなのか。今の安倍晋三政権からは、この答えが見えてこない。もちろん、危機管理めいたものは、やっている。

弾道ミサイルが列島越しに太平洋に落下すれば、早朝からJアラートを発し、官房長官が会見し、米政権と電話協議し、テレビ各局が一律に「これまでにない深刻かつ重大な脅威だ」とする首相のテレビ動画を流し、その中で首相がさらなる圧力をかける意向を表明する。その繰り返しである。北朝鮮というある意味、追い詰められた国家が、実験、威嚇のために、つまり本気で戦争を仕掛ける意図がない中で、一発撃ち上げたミサイルに対し、一国の首相が最大限の脅威認識を示すべきかどうか、圧力のみが物事を解決できるのか。私には腹に落ちないものがある。

日本政治の手詰まり感のみが浮き上がり、金正恩独裁体制を勢いづかせ、さらなる挑発行動に追いやっている、との懸念を抱くのだ。そこで思い起こされるのが、二つの電撃訪朝である。1994年6月の核開発危機では、カーター元米大統領が金日成氏と会談し、同年10月、使用済み核燃料の再処理を凍結させる代償として北に軽水炉発電支援を行うことで合意、ぎりぎりのところで軍事行動を回避した。また、2002年9月には、小泉純一郎首相が金正日氏と会談、北側に拉致を認めさせ、10月、被害者5人を帰国させることに成功した。

いずれも実に見事な平和外交であった。そして、この9月は小泉訪朝から15年。かつてのカーター的役割を小泉氏に果たしてもらい、膠着状況を打開できないものか。安倍氏とその周辺が、米側当局ですら、そう考えてもおかしくない。そういう観測が広がる中、8月15日に首相経験者と安倍首相の会合があった。日本財団の笹川陽平会長が山梨県の別荘に、安倍、小泉、森喜朗、麻生太郎4氏を招き、職人を東京から呼び、美味な寿司をご馳走したのである。4氏の破顔一笑、交歓風景は笹川氏が自らのブログに流した写真をメディア各紙が転載することで、広く知られることになった。

週刊誌が報じるところでは、そこで安倍・小泉会談があり、小泉特使説が話し合われた、というのだ。 これはもう小泉氏に聞くしかない。小泉氏によると、コトの真相は以下のようだった。まずは、小泉特使説については、「全くあり得ない」と全面否定だった。理由は二つあった。北の独裁者が小泉氏が直接渡り合った金正日氏であれば、まだそういう話が出たかもしれないが、その息子の金正恩氏相手ではあり得ない、というのが1点。もう一つは、この手の外交は現職首相でなければ務まらない、現職首相であっても相手側が受け入れるかどうかはわからない、という見立てだった。

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コメント

OTSU氏の言われることはその通りだと思います。
しかし、以前の記事であったように「握手をしながら
反対の手で武器を持て」の言葉とおりだと思います。

選択肢として存在しないならば、交渉の余地が極めて
とぼしいのではないのでしょうか。

>安全保障の問題は国と国、人と人との関係で先を見通せるはずです。自然災害と異なり、人間の英知と判断でコントロールできるものと理解しています。と言うよりも、コントロールすべきものと考えています。

第二次世界大戦以降、人間の英知と判断により戦争が
開始されています。つまりコントロールの元、紛争が
発生している以上、それに備えることが当然ではないの
でしょうか。

>万全を期するのであれば原子力発電所への攻撃や落下の危険性をもっと強く認識し、適切な対策を講じなければなりません。

北朝鮮からの攻撃と反原発を絡ませるのはいかがでしょう
か?。この理屈が通るならば、たとえば人口密集地が目標
ならば、そこの住民を移住させるのでしょうか。
また、適切な対策とは何を想定されていますか? 原発が
停止あるいは稼働中でも、安全性に違いはありません。
せいぜいメルトダウンまでの時間が異なるだけです。
今から攻撃にそなえて廃炉するとしても何年かかるのか
不明です。そのようなことがらを理解して言及するので
あれば、是非適切な対策とは何か教えていただきたいです。

>万が一、北朝鮮の核保有を追認せざるを得ない場合も国連で採択された核兵器禁止条約をもとに将来的な核放棄を求めていく道筋もあります。

さらに、攻撃に対する原発の対策を言及されつつ、例え万が
一であっても北朝鮮の核保有を容認するかのようにとれる
内容はダブスタのように思えますがいかがでしょうか。

投稿: nagi | 2017年9月11日 (月) 17時25分

すみません。上記内容はOTSU氏の記事が興味深いので
いろいろと書いただけで、OTSU氏が平和を希求してること
も平和的解決を望んでることも、できる限り現実的な
方法を探してることもよく理解しています。

OSTU氏を批判するつもりは毛頭ありませんので、その点
だけは強調しておきます。

投稿: nagi | 2017年9月11日 (月) 17時29分

nagiさん、コメントありがとうございました。

今週末に投稿する新規記事も北朝鮮の問題を取り上げてみるつもりです。ぜひ、引き続きご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年9月16日 (土) 08時22分

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