安全保障を強い言葉で語ることの是非
先週月曜、祝日の代々木公園で開かれた「さようなら原発、さようなら戦争全国集会」に参加しました。9千5百人を集めていますが、同じような6年前の全国集会では5万人を超える参加者で明治公園が埋め尽くされました。引き続き1万人近く集めているという肯定的な見方ができる一方、日本社会全体での原発をなくしたいという機運が後退していることも認めざるを得ません。
当時の全国集会のことをブログでも取り上げ、その直後の記事「運動のあり方、雑談放談」で集会を開くという運動は脱原発という目的を達成するための手段に過ぎないことを書き残していました。同じような問題意識を抱えた人たちが一堂に会し、気勢を上げるだけでは運動の広がりはあり得ず、異なる問題意識を持った人たちに「働きかけること」が重視されなければならない点などを訴えていました。
少し前の記事「一つの運動として」の中では反対集会やデモ行進が異なる立場の方々に共感を呼びづらく、そこで訴える主張が広がりを得られにくくなっている中、このようなSNSを通した情報発信や意見交換の貴重さを感じ取っていることを記していました。そのため、インターネット上で私自身の主張を発信する場合、感情的な反発を招かないような記述の仕方や言葉を選び、異なる視点や立場の方々を強く意識しながら、いつもパソコン画面に向き合っています。
もちろん基本的な立場や視点が異なる方々と分かり合うことの難しさも自覚しています。それでも最初から努力することを放棄してしまった場合、それこそ運動の広がりは限定的なものにとどまりがちです。このような問題意識を抱えているため、月曜の集会でステージ上から発言された方の多くが安倍首相を呼び捨てにしながら現政権に対する批判のボルテージを高めていることに引っかかりを覚えていました。
怒りが強い言葉につながり、怒りの矛先となる中心人物は排除すべき対象であり、打倒すべき対象になります。代々木公園に集まった参加者の大半の方々からすれば特に違和感なく、賛同できるアピールの数々だったことも確かです。あくまでもTPOに沿った発言なのかも知れませんが、安倍首相を支持されている方々が直接耳にすれば不快に感じる発言の仕方だったことも間違いないはずです。
このような反対集会では定番の発言の仕方であることを理解していますが、最近、どうも集会のあり方などに関して過敏になっているようです。一昔前であれば疑問に持たず、その場に溶け込んでいたのかも知れません。9千5百人の中では希少な受けとめ方だろうと思っていますが、さらに次のような問題意識にもつながっていました。利害関係が対立した場合、暴力で決着を付けることはもっての外です。
通常、話し合いでお互いの立場や利害関係の調整に努めます。当事者同士で歩み寄りがはかれない場合は裁判などに委ね、力ずくでシロクロを付けようとはしないはずです。いわゆる対話であり、交渉です。交渉の前に相手を罵倒し、一方的に批判しているようでは感情的な対立が際立ち、対話のテーブルに着くこともできなくなります。社会生活の営みの中では以上のような考え方が一般的であるはずです。
しかし、国対国の場面ではそのような一般常識が当てはまらくなりがちです。相手側の過ちが明らかな場合、一定の制裁や圧力も必要です。そのことで対話のテーブルに引っぱり出せることも想定できます。対話と圧力、それぞれが欠かせません。ここ数週間、北朝鮮情勢を踏まえたブログ記事を連続で投稿し、圧力一辺倒の動きを危惧してきました。たいへん残念ながら、そのような訴えとは真逆な動きがいっそう目立ち始めています。
トランプ大統領は国連総会の一般討論で演説し、北朝鮮の最高指導者である金正恩委員長を「ロケットマン」と呼び、アメリカが「自分や同盟諸国を防衛するしかない状況になれば、我々は北朝鮮を完全に破壊するしか、選択の余地はない」などと述べました。トランプ大統領が演説を続けている最中、総会の会場は大きくざわついたようです。スウェーデンの外相は「あの場所であの時に、あの聴衆を前に、あのような演説をすべきではなかった」と批判していました。
北朝鮮の金委員長はトランプ大統領の国連演説に反発し、「歴代最も暴悪な宣戦布告であり、史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」という声明を発表しています。トランプ大統領の挑発的な言葉に対しては「アメリカの老いぼれの狂人を必ず火で罰するであろう」と応じています。お互いの罵倒合戦が始まり、通常で考えれば、ますます対話のテーブルから遠ざかっている展開だろうと危惧しています。
訪米中の安倍晋三首相は20日午後(日本時間21日未明)、国連総会で一般討論演説をした。北朝鮮の核実験や日本上空を通過した弾道ミサイル発射を踏まえ「脅威はかつてなく重大で、眼前に差し迫ったものだ」と強調。金正恩委員長を「独裁者」と批判し、国際社会で結束し北朝鮮への圧力強化を呼びかけた。首相は北朝鮮が開発している核兵器について「(爆発力の大きい)水爆になったか、なろうとしている」と分析。核兵器を搭載する弾道ミサイルは「早晩、大陸間弾道ミサイル(ICBM)になるだろう」と述べた。北朝鮮の核開発で「核不拡散体制は深刻な打撃を受けようとしている」と懸念を示した。
首相は国際社会が1990年代前半や2000年代、北朝鮮との対話を探り、経済支援に踏み切ったものの、核・ミサイル開発を阻止できなかったことを問題視。北朝鮮は「核・ミサイルの開発を諦めるつもりなど、まるで持ち合わせていなかった」と振り返り、国際社会との対話は「我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」と指摘した。北朝鮮の対応に関して「必要なのは対話ではない。圧力だ」と強調。「全ての核・弾道ミサイル計画を、完全、検証可能かつ不可逆的な方法で放棄させなくてはいけない」と話し、めざすのは核開発の凍結ではなく、あくまでも非核化だと訴えた。米国が軍事行動を含む全ての選択肢を検討していることを「一貫して支持する」とも語った。【日本経済新聞2017年9月21日】
「必要なのは対話ではない」と言い切ってしまう安倍首相、物凄く残念で悲しいことです。繰り返します。圧力も必要です。しかし、圧力は平和的に解決するための手段であり、対話のテーブルに着かせるための手段だと言えます。アメリカはアメリカの判断があっても仕方ありません。広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛を掲げた日本が、なぜ、アメリカの軍事行動まで含めて「一貫して支持する」と言い切れてしまうのでしょうか。
地理的な面で考えた時、軍事衝突に至った場合、日本こそ大きな被害を受ける可能性があります。アメリカに守ってもらうためには、アメリカの判断を支持するしか選択肢はないという発想なのかも知れません。今さら安倍政権ではあり得ない話ですが、軍事行動を起こしがちなアメリカを自制する役割を日本には担って欲しいものと願っています。安全保障を強い言葉で語り、あえて敵対視されていくことよりも、北朝鮮に限らず、どこの国とも対話の窓を開ける日本の姿を理想視しています。国連安保理の常任理事国にならなくても、そのような立ち位置で振る舞えれば国際社会の中で貴重な存在感を示せるはずです。
さらに無用な軍事衝突を避けられた場合、アメリカからも感謝される役回りを担えたことになります。安倍首相を批判するために綴っている訳ではありませんが、LITERAの『国連演説でも北朝鮮危機を煽りまくった、安倍首相にNYタイムズコメント欄でも批判殺到!戦争ゲームに興じる子どもみたい』という記事も参考までに紹介させていただきます。さらにBLOGOSに掲げられた『「暫定的な北朝鮮との共存がむしろ北朝鮮の崩壊を早める」姜尚中・東大名誉教授が提案する「戦争回避」の道筋』という記事も紹介します。
国際社会のルールを守れない北朝鮮が批判を受けるべき対象であることを再三強調してきています。約束を守らない北朝鮮との対話は無意味と考えられる方も多いのかも知れませんが、それでも軍事衝突を避けるためには、いずれかの段階で対話、つまり外交交渉につなげなければなりません。具体的な選択肢を前にし、人それぞれの「答え」があります。どのような「答え」が正解につながるのか分かりませんが、多くの人命が失われるような結末に至らないことだけを強く願っています。
最後に、安倍首相は臨時国会冒頭での衆院解散を検討しています。野党は8月の内閣改造後、森友学園や加計学園の問題究明のための臨時国会の開催を要求し、安倍首相は「できるだけ丁寧に説明する」と述べてきました。それにも関わらず、このままでは戦後初めて国会の本格論戦を経ない新内閣の「沈黙の解散」となる見通しです。首相の解散権のあり方も取り沙汰されていますが、衆院解散後は今回の記事で提起した「安全保障を強い言葉で語ることの是非」が論点化されていくことも期待しています。
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コメント
今まで日本、IAEA、国連等が核開発について交渉したことがない、あるいは北朝鮮に譲歩したことがないと思われているのでしょうか。
また、「北朝鮮が核開発を止める」と明言したことがあるかないか、御存知ですか?
以上の2点をお聞きしましたが、OTSU氏にはともに答える意思がないようで、残念です。
このブログを斜め読みしましたが、OTSU氏は、常に質問に対して常にツボを外した長文を返し、結局何が言いたいのかわからない、という印象を持ちました。
勿論全部を精査したわけではないので、断言はできませんが。
なんか、「もういいや」という気分にさせるのがお上手な方なんだなぁ、というのが正直な感想です。
もういいや。
投稿: とるねこ | 2017年9月24日 (日) 13時11分
> 通常、話し合いでお互いの立場や利害関係の調整に努めます。
> 当事者同士で歩み寄りがはかれない場合は裁判などに委ね、力ずくでシロクロを付けようとはしないはず
そういう方向に物事が進むのは、背後に日本国政府という権威と権力を有する存在があって、実力組織による実力の行使という強制力を伴う抑止力がある。
それを、暗黙の共通認識において、事態が進んでいくからです。強く意識するかどうかは別にして。
> 国対国の場面ではそのような一般常識が当てはまらくなりがち
「なりがち」というよりは、「なるもの」なんですよ。
それは、国際社会には、日常生活における日本国政府のような「実力組織を有し、権威と権力と強制力を持って、治安を維持する存在はない」からですよ。
交渉なり調停なり裁判なり、というそういう概念の外にあるのが国際関係であって、国内の民事・刑事を前提に論じること自体が、そもそもずれてるという面があるので。
「外交」と「戦争」は二律背反ではないんですよ。
「交渉」は「外交のひとつの姿」ですけど、「戦争」も「外交のひとつの姿」なんですから。
言い換えれば、「戦争だって外交」なんですよ。「外の国と交わる」って意味においては、話し合うのも、殴り合うのも、血を流し合うのも、一つの手段であり、態様でしかない。
この二律背反として扱う思考様式は、国際政治を考える上では、一つのネックと違うかなぁと。
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戦後70年経って、「強度の平和ボケと、コアな軍事マニア(オタク)しか居なくなってしまったのが、日本で安全保障政策を語る上での不幸だ」って意見があるんですけど、ワタクシもこれは「憲法第9条」・「東大法学部系憲法学」の負の側面だと思ってるんですよ。
「戦前の日本には 戦闘 はあっても 戦争 はなかった」って戦前日本の世情を批判する見解があるんですけど、昨今の政治的指導者層の言動からは、今でもそうなんだろうなって。
投稿: あっしまった! | 2017年9月24日 (日) 16時44分
ワタクシは、今回の国連での首相の行動を「是」としています。
世界において、「極東の局所的な問題」であって、必ずしもこの問題が眼中に入ってない国際社会において、「国際社会の問題として提起し、国際社会の問題にまで格上げした」という側面を買っているからです。
憲法前文に言う所の「国際協調主義」という概念からは、国際世論を喚起し、国際問題として「武力に依らない解決を目指そうと提起する」ことは間違ってはいないだろうと。
アメリカ追随に見える一方で、国際世論を喚起することによって、アメリカの単独行動(実力行使)を牽制する効果もあると考えるので。
ただし、このまま国際社会全体で、対話のテーブルに着かせるべく「制裁&対話の呼びかけ」を続けていくと、「それらの効果はない」ということが、改めて国際社会全体に認識される結果になると思っています。
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んで、ワタクシは、この政事案件では「あらゆる犠牲を受け入れて、徹底的に叩き潰す以外に根本的な解決はない」と考えています。
ただし、「犠牲を受け入れる」ということは、事実上不可能だと思うので、根本的な解決はないと思っています。
ですから、現状でもって解決済と看做すしかなく、すなわち、
今の時点で、この勝負は「国債政治的な面からは、北朝鮮の圧勝に終る」というより「すでに、北朝鮮の 完勝 で終っている」と思っています。
北朝鮮が今の政治体制や思考様式の儘で、「核兵器を保有して、いざとなればそれを使うことに躊躇はない」ことを前提に、外交をしていくしかないだろうと思っています。
抛棄させるとか、断念させるとか、そういう試みはなんであれ、失敗すると思います。実力で叩き潰さない限りは。
それは出来ない選択なので、「抛棄させられない、断念させられない」ものとして付き合っていくしかないでしょう。
投稿: あっしまった! | 2017年9月24日 (日) 16時59分
>抛棄させるとか、断念させるとか、そういう試みはなんであれ、失敗すると思います。実力で叩き潰さない限りは。
それは出来ない選択なので、「抛棄させられない、断念させられない」ものとして付き合っていくしかないでしょう。
私もそうなってしまうと考えている一人です。
核を保有する「ならず者国家」を誕生させてしまうという事実。
後に続く独裁国家が出なければいいですけどね。北の暴走は、いいお手本になりましたから。
その事実を前にして、「交渉」などどこにも存在しない、意味を成さないことを、管理人さんもわかっているのではないですか?
軍事力で潰すか、苦々しく思いながらも何も出来ずに黙認するか、その「どちら」かしかないことを。
投稿: 下っ端 | 2017年9月24日 (日) 20時16分
その、軍事アレルギーが強いというか、安倍総理に反対するのが生業の人たちは、
「煽る」という言葉がお好きなように見受けられるのですが、
この「煽る」とマジックワードは、ある意味で害悪になってるんで、ちょっと考えて欲しいんですよ。
相手を「煽る」といって、寧ろ国内世論を「煽って」まっとうな安全保障議論が封殺されてきた歴史的経緯があるわけです。
「相手を煽る」と批判すぐ側こそが、寧ろ「相手を煽ると味方を脅して、味方に対して危険を煽っている」結果として、
事前に何の準備もないままに現実化してから右往左往して状況を悪化させるって状況に陥るわけで。
原発事故の時に言われた「安全神話」と同じで、ことが起きてしまうと、何の準備もしてない関係で、一挙に壊滅的な結果になるという。
信心深い人が、目の前の危機に際して、より強く祈りを捧げるってのは、まぁ否定はしませんけど、目をつぶっても危機は消えてはくれないんですよね。
「祈り」によって”だけ”では、解決できることと出来ないことが世の中にはあるんで。
「言霊」の力の及ばないモノが、現実世界にはあるんで。
投稿: あっしまった! | 2017年9月24日 (日) 21時33分
とるねこさん、あっしまった!さん、下っ端さん、コメントありがとうございました。
とるねこさんから改めて問いかけがありましたが、前回記事のコメント欄でも「誤解を受けないように国際社会のルールを守れない北朝鮮が批判を受けるべき対象であることを再三強調してきています。約束を守らない北朝鮮との対話は無意味と考えられる方も多いのかも知れませんが、それでも現状の危機をどのように認識し、どうすべきかという個人的な思いを綴ってきているつもりです」とお答えしていました。
なんか、「もういいや」という気分にさせるのがお上手な方なんだなぁ、と言われてしまうのは残念なことですが、問いかけに対して明確にお答えしたつもりです。具体的な交渉内容等は逐一記していませんが、「約束したけど守らなかった」という経緯も承知した上で様々な思いを訴えています。
このようなすれ違い一つ取っても、基本的な立場や視点が異なる方と分かり合うことの難しさを痛感しています。一方で、このような難しさを知り得る貴重な機会だと考えていますので「もういいや」というお考えが変わるようであれば、これからもお時間等が許す際にコメントをお寄せいただければと思っています。
あっしまった!さん、下っ端さんのコメントに対し、具体的なレスに至りませんが、いつものこととしてご理解ご容赦ください。いずれにしても私自身の問題意識は、いつも長くなりがちな記事本文を通して詳述せていただいています。さらに今回紹介した『「暫定的な北朝鮮との共存がむしろ北朝鮮の崩壊を早める」姜尚中・東大名誉教授が提案する「戦争回避」の道筋』に共感する点が多々あることも付け加えさせていただきます。
投稿: OTSU | 2017年9月24日 (日) 21時37分
OTSU氏が言われることは十分に理解できます。
>広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛を掲げた日本が、なぜ、アメリカの軍事行動まで含めて「一貫して支持する」と言い切れてしまうのでしょうか。
この部分が、大きく解釈が違うのだろうと確信しました。
専守防衛を「究極の安心供与の安全保障」と考える方と、
専守防衛を「手足が縛られた危険な状態」と考える方では
基本的な考えが違いすぎて、どうにもなりません。
この点の違いをどれほど述べても意味はありませんが、
第二次世界大戦が起る前に、歴史のイフでよく言われる
ナチスドイツがラインラント進駐をした時に、異なる対応
をしておけば、その後の悲劇はなかったかもしれません。
現在の状況も、その時と似ている気がしますが、後年の
歴史家が、「あの時に決断すれば」と言うことがないこと
を祈っています。
投稿: nagi | 2017年9月25日 (月) 09時29分
もう一つ、是非OTSU氏に記事にしていただきたいのですが、
>怒りが強い言葉につながり、怒りの矛先となる中心人物は排除すべき対象であり、打倒すべき対象になります。
>利害関係が対立した場合、暴力で決着を付けることはもっての外です。
今回の記事と対比して「平和運動を強い言葉で語ること
の是非」としてみてはいかがでしょうか。
フランス、ドイツ等で右翼政党が躍進し、アメリカでは
自国優先主義が台頭してます。そしてそれに反対する人々
の運動は、同じように怒りと憎悪に満ちています。
憎悪と憎悪がぶつかればそこには暴力しか生まれません。
北朝鮮問題で対話が必要と言うように、対立する問題に
おいても対話が必要ではないのでしょうか。
きっとそのようなことをOTSU氏も危惧されてるのかなあと
思ったしだいです。
投稿: nagi | 2017年9月25日 (月) 11時41分
選挙が近いのでおもしろい記事を紹介します。
>http://agora-web.jp/archives/2028560.html
投稿: nagi | 2017年9月27日 (水) 12時25分
選挙が近いと色々と動きがでておもしろいですね。
マスコミも都議選前はさんざん小池さんを持ち上げまし
たね。安倍憎しによるものですが、都議選が終わって時間
が経過すると、ようやく小池批判を始めました。
しかし、解散風が吹いて今回の希望の党ですが、さて
マスコミはどうするのか興味深いですね。安倍憎しで
希望の党を持ち上げるのか、しかし希望の党はあきらかに
保守政党ですから。自民と希望が連立して憲法改正しました
なんておもしろすぎることになるかもしれません。
世論を誘導することばかりで、ちゃんと有権者が自分で
考えるように情報を提供しなかったツケなんでしょうか。
2大保守政党になればいいと個人的には思いますね。
投稿: nagi | 2017年9月28日 (木) 09時35分
長島さんは希望の党に入りましたね
民進党は今回の動きで実質解党に向かうと思われます
連合も希望の党に期待するようですが、民進支持の左派層は希望支持を受け入れられないでしょう
これまで基本的に55年体制を引きずってきた日本の労働運動は、今回の解散総選挙でようやく転換又は終焉の時を迎えるのかもしれません
そうであれば、与党都合の解散にしか見えなかった今回の選挙も、新たな歴史的意味を帯びることになります
投稿: qur | 2017年9月28日 (木) 12時36分
健全な左派は、日本にも必要だとはかねがね思っておりました。
影で小沢先生周辺が動いているらしく感じられたのも、うすうすは気づいていました。 また、政界再編を仕掛けるなと。
電通事件が、プロデュースされたものであっても、与党が労働問題(←ここ重要)に手を付け、社会保障制度を厚くしたいと言いだしました。
首相が、全世代対象だと言ったことに、もう、この国にイデオロギーでもって、反対意見をぶつけ合うということは、もしかすると、なくなってしまうというのではないかと。
IoTやロボットでの生産性向上は、やらなくてはいけないし、出生率向上も待ったなし、北のいいんちょさまのこともある。
これが日本式の民主主義なのかと思うと、労組側、管理者側、両方並行に経験した者としては、大変、残念です。
与党は新自由主義的なものから、修正主義へと変化しています。またもやヌエっぽいです。本来、社会主義的なことまで、守備範囲だと明確にしています。自由と競争こそが社会を変えるなんてことはあまり聞かれません。
故に左派政党は、突っこみどころは、学校法人問題にとどまり、あげくのはては、野合になるかもしれぬとのことです。しかも、中道右派〜右派になりそう。
この稿から、2〜3日で例の勢力の、大体の姿が分かります。
地方は大混乱。とくに中規模都市は、ポスターやビラの印刷が間に合わないかもしれず、玉虫色な新党と民進党、その他大勢の動きには困ったものです。タテカンでさえ、人海戦術。戦う相手がはっきりしない。
私自身は、保守左派なのですが、今回は個人的な理由で、仕事をしない候補予定者となりそうなので、あまり、周りにはオススメしていません。
かといって民進系候補予定者も推しません。
投票しないのは、過去、病院に入っていた時だけですが、今回だけは白紙になるかもしれません。
投稿: でりしゃすぱんだ | 2017年9月29日 (金) 00時10分
nagiさん、qurさん、でりしゃすぱんださん、コメントありがとうございました。
nagiさんのご指摘のとおり今回記事の「強い言葉」の問題意識の先に様々な事例も思い浮かべています。機会を見て書き進めてみるつもりです。
やはり今週末に投稿する新規記事は皆さんが関心を持たれている政治の話題を取り上げる予定です。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年9月30日 (土) 07時36分