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2017年9月23日 (土)

安全保障を強い言葉で語ることの是非

先週月曜、祝日の代々木公園で開かれた「さようなら原発、さようなら戦争全国集会」に参加しました。9千5百人を集めていますが、同じような6年前の全国集会では5万人を超える参加者で明治公園が埋め尽くされました。引き続き1万人近く集めているという肯定的な見方ができる一方、日本社会全体での原発をなくしたいという機運が後退していることも認めざるを得ません。

当時の全国集会のことをブログでも取り上げ、その直後の記事「運動のあり方、雑談放談」で集会を開くという運動は脱原発という目的を達成するための手段に過ぎないことを書き残していました。同じような問題意識を抱えた人たちが一堂に会し、気勢を上げるだけでは運動の広がりはあり得ず、異なる問題意識を持った人たちに「働きかけること」が重視されなければならない点などを訴えていました。

少し前の記事「一つの運動として」の中では反対集会やデモ行進が異なる立場の方々に共感を呼びづらく、そこで訴える主張が広がりを得られにくくなっている中、このようなSNSを通した情報発信や意見交換の貴重さを感じ取っていることを記していました。そのため、インターネット上で私自身の主張を発信する場合、感情的な反発を招かないような記述の仕方や言葉を選び、異なる視点や立場の方々を強く意識しながら、いつもパソコン画面に向き合っています。

もちろん基本的な立場や視点が異なる方々と分かり合うことの難しさも自覚しています。それでも最初から努力することを放棄してしまった場合、それこそ運動の広がりは限定的なものにとどまりがちです。このような問題意識を抱えているため、月曜の集会でステージ上から発言された方の多くが安倍首相を呼び捨てにしながら現政権に対する批判のボルテージを高めていることに引っかかりを覚えていました。

怒りが強い言葉につながり、怒りの矛先となる中心人物は排除すべき対象であり、打倒すべき対象になります。代々木公園に集まった参加者の大半の方々からすれば特に違和感なく、賛同できるアピールの数々だったことも確かです。あくまでもTPOに沿った発言なのかも知れませんが、安倍首相を支持されている方々が直接耳にすれば不快に感じる発言の仕方だったことも間違いないはずです。

このような反対集会では定番の発言の仕方であることを理解していますが、最近、どうも集会のあり方などに関して過敏になっているようです。一昔前であれば疑問に持たず、その場に溶け込んでいたのかも知れません。9千5百人の中では希少な受けとめ方だろうと思っていますが、さらに次のような問題意識にもつながっていました。利害関係が対立した場合、暴力で決着を付けることはもっての外です。

通常、話し合いでお互いの立場や利害関係の調整に努めます。当事者同士で歩み寄りがはかれない場合は裁判などに委ね、力ずくでシロクロを付けようとはしないはずです。いわゆる対話であり、交渉です。交渉の前に相手を罵倒し、一方的に批判しているようでは感情的な対立が際立ち、対話のテーブルに着くこともできなくなります。社会生活の営みの中では以上のような考え方が一般的であるはずです。

しかし、国対国の場面ではそのような一般常識が当てはまらくなりがちです。相手側の過ちが明らかな場合、一定の制裁や圧力も必要です。そのことで対話のテーブルに引っぱり出せることも想定できます。対話と圧力、それぞれが欠かせません。ここ数週間、北朝鮮情勢を踏まえたブログ記事を連続で投稿し、圧力一辺倒の動きを危惧してきました。たいへん残念ながら、そのような訴えとは真逆な動きがいっそう目立ち始めています。

トランプ大統領は国連総会の一般討論で演説し、北朝鮮の最高指導者である金正恩委員長を「ロケットマン」と呼び、アメリカが「自分や同盟諸国を防衛するしかない状況になれば、我々は北朝鮮を完全に破壊するしか、選択の余地はない」などと述べました。トランプ大統領が演説を続けている最中、総会の会場は大きくざわついたようです。スウェーデンの外相は「あの場所であの時に、あの聴衆を前に、あのような演説をすべきではなかった」と批判していました。

北朝鮮の金委員長はトランプ大統領の国連演説に反発し、「歴代最も暴悪な宣戦布告であり、史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に考慮する」という声明を発表しています。トランプ大統領の挑発的な言葉に対しては「アメリカの老いぼれの狂人を必ず火で罰するであろう」と応じています。お互いの罵倒合戦が始まり、通常で考えれば、ますます対話のテーブルから遠ざかっている展開だろうと危惧しています。

訪米中の安倍晋三首相は20日午後(日本時間21日未明)、国連総会で一般討論演説をした。北朝鮮の核実験や日本上空を通過した弾道ミサイル発射を踏まえ「脅威はかつてなく重大で、眼前に差し迫ったものだ」と強調。金正恩委員長を「独裁者」と批判し、国際社会で結束し北朝鮮への圧力強化を呼びかけた。首相は北朝鮮が開発している核兵器について「(爆発力の大きい)水爆になったか、なろうとしている」と分析。核兵器を搭載する弾道ミサイルは「早晩、大陸間弾道ミサイル(ICBM)になるだろう」と述べた。北朝鮮の核開発で「核不拡散体制は深刻な打撃を受けようとしている」と懸念を示した。

首相は国際社会が1990年代前半や2000年代、北朝鮮との対話を探り、経済支援に踏み切ったものの、核・ミサイル開発を阻止できなかったことを問題視。北朝鮮は「核・ミサイルの開発を諦めるつもりなど、まるで持ち合わせていなかった」と振り返り、国際社会との対話は「我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」と指摘した。北朝鮮の対応に関して「必要なのは対話ではない。圧力だ」と強調。「全ての核・弾道ミサイル計画を、完全、検証可能かつ不可逆的な方法で放棄させなくてはいけない」と話し、めざすのは核開発の凍結ではなく、あくまでも非核化だと訴えた。米国が軍事行動を含む全ての選択肢を検討していることを「一貫して支持する」とも語った。【日本経済新聞2017年9月21日

「必要なのは対話ではない」と言い切ってしまう安倍首相、物凄く残念で悲しいことです。繰り返します。圧力も必要です。しかし、圧力は平和的に解決するための手段であり、対話のテーブルに着かせるための手段だと言えます。アメリカはアメリカの判断があっても仕方ありません。広義の国防であり、究極の安心供与の安全保障である専守防衛を掲げた日本が、なぜ、アメリカの軍事行動まで含めて「一貫して支持する」と言い切れてしまうのでしょうか。

地理的な面で考えた時、軍事衝突に至った場合、日本こそ大きな被害を受ける可能性があります。アメリカに守ってもらうためには、アメリカの判断を支持するしか選択肢はないという発想なのかも知れません。今さら安倍政権ではあり得ない話ですが、軍事行動を起こしがちなアメリカを自制する役割を日本には担って欲しいものと願っています。安全保障を強い言葉で語り、あえて敵対視されていくことよりも、北朝鮮に限らず、どこの国とも対話の窓を開ける日本の姿を理想視しています。国連安保理の常任理事国にならなくても、そのような立ち位置で振る舞えれば国際社会の中で貴重な存在感を示せるはずです。

さらに無用な軍事衝突を避けられた場合、アメリカからも感謝される役回りを担えたことになります。安倍首相を批判するために綴っている訳ではありませんが、LITERAの『国連演説でも北朝鮮危機を煽りまくった、安倍首相にNYタイムズコメント欄でも批判殺到!戦争ゲームに興じる子どもみたい』という記事も参考までに紹介させていただきます。さらにBLOGOSに掲げられた『「暫定的な北朝鮮との共存がむしろ北朝鮮の崩壊を早める」姜尚中・東大名誉教授が提案する「戦争回避」の道筋』という記事も紹介します。

国際社会のルールを守れない北朝鮮が批判を受けるべき対象であることを再三強調してきています。約束を守らない北朝鮮との対話は無意味と考えられる方も多いのかも知れませんが、それでも軍事衝突を避けるためには、いずれかの段階で対話、つまり外交交渉につなげなければなりません。具体的な選択肢を前にし、人それぞれの「答え」があります。どのような「答え」が正解につながるのか分かりませんが、多くの人命が失われるような結末に至らないことだけを強く願っています。

最後に、安倍首相は臨時国会冒頭での衆院解散を検討しています。野党は8月の内閣改造後、森友学園や加計学園の問題究明のための臨時国会の開催を要求し、安倍首相は「できるだけ丁寧に説明する」と述べてきました。それにも関わらず、このままでは戦後初めて国会の本格論戦を経ない新内閣の「沈黙の解散」となる見通しです。首相の解散権のあり方も取り沙汰されていますが、衆院解散後は今回の記事で提起した「安全保障を強い言葉で語ることの是非」が論点化されていくことも期待しています。

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2017年9月16日 (土)

再び、現実の場面での選択肢として

「敵を欺くにはまず味方から」という諺があります。北朝鮮の挑発を受け、安倍首相は「異次元の制裁を」などという強い言葉で応酬しています。前回記事「再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2」の中でも記しましたが、そのような強い言葉や圧力を強化することで危機が回避できるのであれば大歓迎です。しかし、私自身は逆に危機が深まり、一触即発の事態へのリスクを高める対応だろうと懸念しています。

ただ冒頭に紹介した諺のとおり水面下では対話を模索し、いずれかのタイミングで一定の歩み寄りが公けになることも秘かに期待しています。そのようなしたたかな外交交渉を駆使するための強い言葉だったのであれば国民まで欺いていたことについて、ことさら批判しようとは思いません。最悪なのは対話の道を文字通り閉ざしていた結果、武力衝突が避けられず、勝者敗者に関わらず多大な人命を失うような結末を迎えることです。

核兵器を保有する傍若無人な国を許さないためには必要であれば武力行使を辞さず、ある程度の犠牲者が出るのもやむを得ない、このように考える方も多いのでしょうか。その犠牲者の一人に自分や家族が数えられても覚悟しなければならない、このように考える方も多いのでしょうか。しかし、できれば戦争は避けたい、当たり前な考えであり、誰もが共通する願いだろうと思っています。

平和の築き方に向けた総論的な考え方は個々人で差異があります。差異があったとしても直面した選択肢に際し、何らかの「答え」を出さなければなりません。5年前に「現実の場面での選択肢として」という記事を投稿していました。民主党の野田政権の頃でした。最近、その時に投稿したブログ記事のタイトルが頭に浮かんでいました。マイルールに沿って新規記事のタイトルに「再び」を付け、自分自身の問題意識や思うことを改めて書き進めてみます。

「戦争反対!」と唱えているだけで、平和な社会が築けるとは考えていません。平和の問題に限らず、理想的な姿をどのように描くのか、そのめざすべきゴールに向かってどのような判断を地道に重ねていくのか、一つ一つ、現実の場面での選択肢として熟考していくことが欠かせません。このような心構えは政治家だけに委ねるものではなく、私たち一人ひとりにも問われているはずです。このような問題意識は5年前の記事の中で綴った内容の一部です。

当時、現実の場面での選択肢として、尖閣諸島を東京都が所有するという問題がありました。国政に戻ることを表明していた石原元知事は尖閣諸島の問題に際し、「戦争を辞さず」という姿勢を示していました。一方で、防衛庁長官を歴任したことのある自民党の加藤元幹事長は「外交上の問題は存在する」という立場を示すことの重要性を訴えていました。私自身、いがみ合った関係性の解消に向けての一歩を踏み出すためには後者の考え方を支持していますが、このような選択肢に際して個々人の「答え」は大きく分かれていくはずです。

さらに差し迫った選択肢に際し、野田政権の下した判断は尖閣諸島の国有化でした。以前の記事「外交・安全保障のリアリズム」の中でも記していますが、首相補佐官を務めていた長島昭久さんから当時の顛末を耳にしていました。売却するという話が後戻りできない局面の中、都が所有するよりも国有化のほうが中国との関係は悪化しないだろうという見通しを立てたようです。結果的に国有化は中国側から強い反発を招いた訳ですが、長島さんは石原元知事らとの折衝に力を尽くし、日本政府としては粘り強く丁寧に中国政府との話し合いも進めていたそうです。

中国から「暗黙の容認」を引き出せる手応えを直前まで得られながら、空気を一変させたのは中国側の権力闘争が絡み日本叩きにつながったという見方を長島さんは示されていました。しかし、もっと丁寧な外交交渉があり得た、国有化は最悪の選択だった、いろいろ酷評されていることも確かです。一方で都が所有し、漁船の避難港の整備などを進めていた場合、尖閣諸島を巡る情勢はどのように変化していたのでしょうか。日本の実効支配が強まったことによって、幸いにも中国側が矛を収める展開だったとすれば野田政権は余計な手出しをしたことになります。

中国や北朝鮮との対話の必要性を訴えると、日本の国益よりも相手国側の利益を優先するための「工作」活動だと揶揄される方をネット上で時々見かけます。挙句の果て洗脳されたスパイ呼ばわりされるようでは冷静で建設的な議論は成り立ちません。同時に北朝鮮を巡る情勢を受け、安倍政権「批判ありき」の論調だった場合、やはり建設的な議論から離れていきがちなのかも知れません。ブックマークし、いつも訪問しているブログ『澤藤統一郎の憲法日記』で「アベ晋三の高笑い」という記事があります。

ICBMの発射も、核実験も、ホントによいタイミングでやってもらった。しかも核は160キロトン相当の水爆だと言うじゃないか。国民の目は、森友・加計問題から、北朝鮮に完全に移った。共謀罪も、南スーダンPKOでの日報隠しも、閣僚不祥事も、アベチルドレン問題も、すべては忘却の彼方だ。しかも、この北朝鮮によるわが国への支援の恩恵は、内閣支持率アップにとどまらない。

迎撃ミサイルだの、イージスショアだの、自衛の措置が必要ではないかとの理由付けで、防衛予算の増強がとてもやりやすくなった。アメリカの軍需産業も大喜びだ。だから、北朝鮮危機の深刻さは、できるだけ大袈裟に国民に伝えなければならない。Jアラートも国民の危機意識涵養に大成功だった。国民が不安になればなるほど一体感が造成される。時の内閣支持率がアップするのが、世の習いではないか。私も、不愉快そうに深刻な顔つきで記者会見をしなければならないのだが、ついつい腹の中では笑みがこぼれる。

記事の一部を紹介させていただきましたが、安倍首相に批判的な立場の方々からは好意的な評価を得る内容だろうと思っています。ただ安倍首相の言動を支持されている方々からは感情的な反発を招きかねない極端な記述の仕方だろうと心配しています。より望ましい「答え」を見出すためには幅広い考え方や情報をもとに判断していくことが大切です。いろいろな主張の仕方があっても良いのでしょうが、私自身の責任で表現する場合は異なる視点や立場の方々にも届くような言葉を選ぶように努めています。

やはりブックマークし、定期的に訪問している『シジフォス』というブログがあります。たいへん興味深い内容の投稿が多く、共感を覚える問題意識も少なくありません。ただ北朝鮮に対し、称賛が前面に出た記述内容の多さだけは違和感を覚えがちでした。現地に赴かなければ知り得ない事実も多いのかも知れませんが、思い入れが強すぎると評価や批判すべき基準も変動してしまうような危惧を抱きがちです。ちなみに「再び、北朝鮮情勢から思うこと」の最後に「朝鮮の真意をまったく紹介しない異様なメディア」という参考記事を紹介していました。

朝鮮半島の非核化はわが国の国是です。しかし、イラクを見て下さい。もしイラクが核をもっていたら、米国はあのような武力行使はできなかったでしょう。わが国が自主・自立をはかるためには、核保有はやむをえません。今や米国はわが国に対し、単なる敵視政策に止まらず体制転覆を公然と表明しました。もはやわが国の対応にも限度があり、新たな戦争の勃発をおさえ、東アジアの平和を保つために、核兵器は「抑止力」となります。

明白なことは、私たちは平和を望むし、これからも望んでいくということです。しかし、日本は米国の核の傘に入り、核搭載鑑があれだけ入港しているのに、よく非核が国是といえますね。また、核拡散防止といいますが、大国だけが核を独占して、他の国にはもたせないというのは誤った理屈です。核兵器は、今やインドもパキスタンも イスラエルも持っています。なぜ、それは問題視されないのですか。

上記の内容は『シジフォス』の「朝鮮半島の非核化・核兵器廃絶は共和国の国是」という記事から引用した北朝鮮高官の主張です。改めて強調しなければなりませんが、国際社会から強く批判を受けている北朝鮮を必要以上に擁護する意図はありません。しかし、上記のような言い分があることも把握した上、現在の危機を脱し、緊張緩和に向かえるのかどうか、手がかりを探っていくべきなのではないでしょうか。最近、安倍首相は核保有国のインドを訪問しています。

理想的な姿は地球上からすべての核兵器を廃絶することです。しかしながら一足飛びに実現できない難しい現状です。めざすべきゴールに向かってどのような判断を地道に重ねていくのか、一つ一つ、現実の場面での選択肢として熟考していくことになります。絶対欠かせないことは核兵器を実戦使用させない関係性の構築です。そのような意味合いで核保有国のインドを安倍首相が脅威の対象としていないことは明らかです。広義の国防のための対話を重ね、お互い安心供与の安全保障を深めている関係性だと言えます。

言うまでもありませんが、北朝鮮の核保有を公然と認めたくありません。しかし、お互い「自衛以外で攻撃しない」という安心供与が成り立つのであれば「核保有国だから」と言って格段に脅威が高まる訳ではありません。一方で、お互い「先制攻撃されるかも知れない」という疑心暗鬼が、ますます関係性を悪化させていくことになります。疑心暗鬼の要素を取り除くためには圧力一辺倒ではなく、やはり対話の道を模索していくことも非常に重要な選択肢です。

昨夜の『ニュース23』の中で田中均元外務審議官がインタビューを受けていました。15年前の日朝首脳会談を通し、日本と北朝鮮との溝が埋まりかけました。「改憲の動きに思うこと Part2」の中では「日朝平壌宣言が履行されていれば今の核脅威はなかった」という仮説も紹介しています。日朝首脳会談のキーマンだった田中さんはインタビューの最後に「今のね、あたかも雰囲気が圧力・圧力・圧力って、圧力と対話を対比させて、北朝鮮がこうだから圧力をどんどんかけていく図式。間違っているんじゃないかと思う。対話も圧力も外交的な解決をするための手立てなんです」と語っていました。

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2017年9月 9日 (土)

再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2

前回記事「再び、北朝鮮情勢から思うこと」の冒頭で記事タイトルに「再び」や「Part2」を付けるマイルールをお伝えしました。今回、重複した付け方となりますが、「再び」と「Part2」を付けた新規記事タイトルとしました。別なタイトルにすることも少し考えました。それでも前回記事に寄せられたコメントにお答えする内容を中心にするため、「再び、北朝鮮情勢から思うこと Part2」というタイトルに決めさせていただきました。

現実的な脅威が危ぶまれる北朝鮮を巡る情勢を受け、平和のあり方について頻繁に取り上げているブログですので引き続き注視していくべき切迫した問題だと考えています。本来はお寄せいただいた問いかけに対し、すみやかにコメント欄を通して端的にお答えしていくほうが分かりやすいのかも知れません。ただ難しい問いかけはコメント欄ではなく、記事本文を通してお答えするというマイルールもあり、迅速な対応に至らない点についてご理解ご容赦ください。

前回記事を投稿した翌日の日曜日、北朝鮮は6回目の核実験を行ないました。その日の夕方、さっそく下っ端さんからコメントが寄せられました。前回記事の中の「強い言葉で反応することは国民からの支持や信頼を高める効果があるのかも知れません」という言葉に対し、下っ端さんから「国民から支持がどうこなど、論点にすらなりません。国の安全を担うものとして、当たり前のことを、当たり前に実行しているだけということです」という指摘がありました、合わせて核保有を認めるかどうかという問いかけもあり、私から次のようにお答えしていました。

核実験は弾道ミサイル発射と同様、安全保障上の脅威を高める暴挙であり、到底容認できません。北朝鮮には武力衝突の可能性を高める瀬戸際外交を自制し、対話に向けた姿勢を示すことを強く望みます。「国民から支持がどうこなど、論点にすらなりません」、まったくその通りです。強い言葉を発することで北朝鮮が自制し、対話の道を探り出すようであれば大歓迎です。しかし、私自身の見方は残念ながら今回の記事本文に綴ったとおりであり、必要以上に相手を刺激する強い言葉を発することよりも本当に国民の安全や安心に結び付く外交努力を願う立場です。

「日本は攻撃されないかもしれないが、友好国が核攻撃されるのを見ているだけ」という指摘がありますが、そのような論理展開での記述は一度もないはずです。友好国も含め、戦禍で犠牲になる可能性を避けるため、安心供与、広義の国防、ソフト・パワーを優先すべきという主張です。保有を認めるかどうかという問題も、核兵器の開発を成し遂げたから北朝鮮が目論んだ外交決着を果たせたという構図につなげてはなりません。横紙破りを追認することになり、それこそ核軍縮の流れに逆行する悪例を重ねることになってしまいます。国際社会が圧力を強めた結果、北朝鮮側が白旗をあげるような展開に結び付けば望ましい話です。

しかしながら対立が激化し、武力衝突に至った場合は多大な人的な被害が生じることを覚悟しなければなりません。ある程度の犠牲は仕方ないと考えられる方もいるのかも知れませんが、私自身はそのような発想は絶対控えなければならないものと思っています。今回の記事本文に綴ったとおりの趣旨のもと一触即発な事態を避けるためには制裁一辺倒ではなく、対話の窓口も常に開いておくことが欠かせないのではないでしょうか。いずれにしても容易に「正解」は見出せないのかも知れませんが、より効果的な圧力と対話の模索、たいへん難しい北朝鮮との距離感が引き続き求められているものと考えています。

記事本文はご覧になってもコメント欄まで目を通さない方もいらっしゃるようですので参考までにその時にお答えした内容をそのまま紹介させていただきました。あっしまった!さんから「日本は、休戦中である朝鮮戦争における敵国」という指摘を受け、「核の保有を認めたところで、北朝鮮の主観からすると、日本に、朝鮮戦争における敵方である国連軍指定基地が存在してることに違いはなく」というご意見をいただきました。

「朝鮮戦争は終わっていない」という現実を失念している訳ではなく、ご指摘のような関係性が続くことも理解しています。ただ同様に同盟関係にない中国やロシアも核兵器を保有しています。日本列島も射程圏内とされていますが、北朝鮮に対するような脅威が取り沙汰されていません。領土問題という大きな利害関係があり、対立の火種は常にくすぶっていると言えます。しかし、今のところ温度差はあっても対話の道が開けているため、ことさら核の脅威が強調されていない関係性だろうと思っています。

nagiさんから「我々は自然災害や災厄に対して、感度を鈍くすることなく危機に備える必要があることを学んだはずです」というご意見が寄せられていました。自然災害は人間の力でコントロールできませんが、「想定外だった」という言い訳を繰り返さないように努めていかなければなりません。しかし、安全保障の問題は国と国、人と人との関係で先を見通せるはずです。自然災害と異なり、人間の英知と判断でコントロールできるものと理解しています。と言うよりも、コントロールすべきものと考えています。

危機への備えとして、ミサイルの破片から身を守ることを中心にとらえた場合、政府の作成した対応マニュアル等がまったく役に立たないとは言い切れないのかも知れません。あらゆることを想定し、準備できることを準備していくことも大切です。それでも弾道ミサイルが直撃した事態を想定した場合、戦時中の空襲に備えたバケツリレーの訓練風景を頭に思い浮かべがちです。B29による大空襲の前にそのような訓練が役に立たなかったことは周知の事実です。

万全を期するのであれば原子力発電所への攻撃や落下の危険性をもっと強く認識し、適切な対策を講じなければなりません。核弾頭を搭載していない通常のミサイルだったとしても原発に撃ち込まれた場合の被害の甚大さははかり知れません。風向きによって北朝鮮側にも被害を及ぼす可能性があるため、あえて原発は狙わないのかも知れません。しかしながら「窮鼠猫を噛む」状態に追い込まれた時、そのような判断は働かず、原発が標的になることも充分考えられます。

もう少し、踏み込んでもらいたいのです。対話による解決を目指した場合の、事態がより悪化した時の話です。北にとっては、核と弾道ミサイルは、ある意味体制の存続を賭けた最後の切り札ではないのでしょうか。手放しますか?話に乗ってきますか?対話が失敗した後には、戦略核を保有した無謀国家が東アジアに誕生します。その力を得たかの国は、人権を尊重しますか?拉致を解決してきますか?普通に考えれば、益々傍若無人な振る舞いをこれでもか、としてくるでしょう。つまり、対話が悪いとは言いませんし、当然として一つの解決方法ではあるでしょう。

しかし、そこには戦争回避というバラ色のストーリーだけではなく、もっと最悪な事態を生み出す元凶になる可能性もあるのです。今、強い言葉で断固たる措置を取ることは、戦争になってしまう可能性を含みます。そのリスクを取るのか、更なる無謀核国家を生み出すリスクを取るのか、どちらにも並々ならねリスクはあるのです。対話による解決を目指す以上、そのリスクは想定した上での話ということでよろしいですか?私は、そのような情勢はとても受け入れられない、日本の存亡に繋がると思うので、今、あらゆる手を使って暴走を止めることを望みます。

上記は火曜日に下っ端さんから寄せられたコメントの全文です。ほぼ毎日、コメント欄に動きがありますので、平日も必ず当ブログを閲覧しています。実生活に過度な負担をかけないためのマイルールとして、記事本文の更新やコメント欄への対応は週末に限っています。上記のコメントをいただき、マイルールにこだわらず、火曜の夜に取り急ぎレスしようかどうか少し迷いました。それほど重要な論点が内包した問いかけであるように受けとめています。

まず「対話による解決を目指す以上、そのリスクは想定した上での話ということでよろしいですか?」という問いかけにお答えします。確かに対話の先の未来図は描き切れません。戦略核を保有した無謀国家の固定化につながるリスクは否定できません。バラ色のストーリーだけを想定し、対話の窓口を常に開いておくべきと訴えている訳ではありません。あくまでも一触即発な事態を避けるためには制裁一辺倒や強い言葉よりも、安心供与、広義の国防、ソフト・パワーを優先すべきという主張です。

これまで北朝鮮に対する圧力を強めてきましたが、核兵器の開発は止められませんでした。対話の場に立たせるために効果的な圧力も必要ですが、圧力だけでは現状を大きく転換させることも難しいという認識です。利害関係があるからこそ対話や交渉が必要とされ、相手側の言い分にも耳を傾けながら折り合える点を探ることが欠かせません。万が一、北朝鮮の核保有を追認せざるを得ない場合も国連で採択された核兵器禁止条約をもとに将来的な核放棄を求めていく道筋もあります。

さらに拉致事件の抜本的な解決や北朝鮮国内の強制収容所の問題なども看過できません。安易に実戦使用できないのだろうと思われる核兵器の問題よりも、現在進行形で苦しんでいる人たちが見込まれる問題の解決のほうこそ優先したい思いがあります。しかし、やはり外圧を強めるよりも地道な対話によって変革を求めていくしか妙手はないのかも知れません。もしくは北朝鮮の国民の皆さんが内側から必要な変革を求めていくという動きが出ることを望みたいものです。

対話のための対話では意味がない」という言葉を耳にしますが、圧力だけ強めていけば戦争を誘発するリスクは高まっていきます。そのようなリスクは最優先で排除すべきものであり、ミサイルを実戦使用させないためには効果的な圧力と対話の模索が欠かせないはずです。いずれにしても不透明なリスクを危惧するよりも数多くの犠牲者が生じるかも知れないという目の前のリスクを取り除くことに全力を尽くすべきではないでしょうか。最後に、このような考え方に近い論評を掲げた『サンデー毎日』最新号の記事の一部を参考までに紹介します。

北朝鮮のミサイルによる威嚇攻撃に、日本はいかに対すべきか。安倍政権が主張するさらなる圧力は、金正恩独裁体制の硬化を加速させるだけではないか。かつて金正日氏との間で平和外交を成し遂げた小泉元首相と、独自の外交哲学を持つ元防衛官僚の柳澤協二氏に、倉重篤郎が訊く。北朝鮮ミサイル問題に日本はどう対応すべきなのか。今の安倍晋三政権からは、この答えが見えてこない。もちろん、危機管理めいたものは、やっている。

弾道ミサイルが列島越しに太平洋に落下すれば、早朝からJアラートを発し、官房長官が会見し、米政権と電話協議し、テレビ各局が一律に「これまでにない深刻かつ重大な脅威だ」とする首相のテレビ動画を流し、その中で首相がさらなる圧力をかける意向を表明する。その繰り返しである。北朝鮮というある意味、追い詰められた国家が、実験、威嚇のために、つまり本気で戦争を仕掛ける意図がない中で、一発撃ち上げたミサイルに対し、一国の首相が最大限の脅威認識を示すべきかどうか、圧力のみが物事を解決できるのか。私には腹に落ちないものがある。

日本政治の手詰まり感のみが浮き上がり、金正恩独裁体制を勢いづかせ、さらなる挑発行動に追いやっている、との懸念を抱くのだ。そこで思い起こされるのが、二つの電撃訪朝である。1994年6月の核開発危機では、カーター元米大統領が金日成氏と会談し、同年10月、使用済み核燃料の再処理を凍結させる代償として北に軽水炉発電支援を行うことで合意、ぎりぎりのところで軍事行動を回避した。また、2002年9月には、小泉純一郎首相が金正日氏と会談、北側に拉致を認めさせ、10月、被害者5人を帰国させることに成功した。

いずれも実に見事な平和外交であった。そして、この9月は小泉訪朝から15年。かつてのカーター的役割を小泉氏に果たしてもらい、膠着状況を打開できないものか。安倍氏とその周辺が、米側当局ですら、そう考えてもおかしくない。そういう観測が広がる中、8月15日に首相経験者と安倍首相の会合があった。日本財団の笹川陽平会長が山梨県の別荘に、安倍、小泉、森喜朗、麻生太郎4氏を招き、職人を東京から呼び、美味な寿司をご馳走したのである。4氏の破顔一笑、交歓風景は笹川氏が自らのブログに流した写真をメディア各紙が転載することで、広く知られることになった。

週刊誌が報じるところでは、そこで安倍・小泉会談があり、小泉特使説が話し合われた、というのだ。 これはもう小泉氏に聞くしかない。小泉氏によると、コトの真相は以下のようだった。まずは、小泉特使説については、「全くあり得ない」と全面否定だった。理由は二つあった。北の独裁者が小泉氏が直接渡り合った金正日氏であれば、まだそういう話が出たかもしれないが、その息子の金正恩氏相手ではあり得ない、というのが1点。もう一つは、この手の外交は現職首相でなければ務まらない、現職首相であっても相手側が受け入れるかどうかはわからない、という見立てだった。

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2017年9月 2日 (土)

再び、北朝鮮情勢から思うこと

8月末、自治労の定期大会が新潟市で開かれました。私自身は一昨年の自治労都本部大会で発言したとおり介護の事情があって長い間、本部の定期大会に参加できていません。そのため、このブログの記事として取り上げた数はわずかです。鹿児島大会の時はブログを始めた直後でもあり、参加した前と後に記事を投稿していました。振り返れば2日間、日帰りで参加した千葉大会が最後になっています。特に今年は第2ブロック長の役割を負っていながら参加できず、関係者の皆さん、申し訳ありませんでした。

9月1日、民進党の新たな代表に前原元外相が選ばれました。今後の野党共闘のあり方などが注視されています。9月1日は94年前に関東大震災が発生した日です。震災直後、流言飛語によって虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式に石原元知事をはじめとした歴代の都知事が追悼文を送っていました。今年、虐殺の犠牲者数が「6千余名」とあるのは根拠が希薄などと問題視し、小池都知事は追悼文を送りませんでした。このような話題に接し、いろいろ思うことがありますが、今回の記事は火曜の朝にJアラートが鳴り響いた北朝鮮のミサイル発射問題について書き進めます。

前回記事「平和への思い、自分史 Part2」の続きにも位置付けられそうですが、今年5月に「北朝鮮情勢から思うこと」という記事を投稿していました。同様な内容の記事を連続して投稿する場合は記事タイトルに前回のように「Part2」を付けています。少し間隔が開いた場合は今回のように「再び」を付けるようにしています。ちなみに昨年1月には「北朝鮮の核実験」を投稿し、「北朝鮮の核実験 Part2」にかけて私自身の考え方を掘り下げていました。北朝鮮の挑発がエスカレートする中、今回の記事を通し、改めて自分なりの問題意識や思うことを整理してみます。

必ず強調しなければならない点として、問題視すべきは北朝鮮の振る舞いです。火曜の朝、北朝鮮の弾道ミサイルの発射に対し、菅官房長官は「わが国の安全保障にとってこれまでにない深刻かつ重大な脅威だ。またアジア太平洋地域の平和及び安全を脅かすものであると言わざるを得ない。航空機や船舶の安全確保の観点からも極めて問題のある危険な行為であるとともに、安保理決議等への明白な違反だ」と非難しました。

今回、事前通告もなかった訳ですが、仮に北朝鮮が人工衛星の打ち上げだと称し、国際海事機関(IMO)と国際電気通信連合(ITU)に通告していたとしても国連安全保障理事会決議1695、1718、1874への違反となります。北朝鮮は2006年7月にスカッド、ノドン、テポドン2、あわせて7発の弾道ミサイルを日本海に向けて発射したことによって、ミサイル技術に関する活動を制限されているからです。国際ルールを守らない北朝鮮、この点だけで強い批判の対象にしなければなりません。

弾頭を付けていないミサイルだったとしても菅官房長官が指摘しているとおり航空機や船舶に直撃すれば多大な被害が見込まれます。落下地点の周辺海域で活動していた漁業関係者の方々にとって人命の危機に及ぶ深刻な脅威だったと言えます。このあたりの認識は大半の方が共有化できているはずです。ただ安全保障全体に関わる脅威の受けとめ方や具体的な対応策のあり方を巡り、人によって温度差や賛否が分かれていくように感じています。

前回記事の最後に「北朝鮮はミサイルを1発でも実戦使用した場合、総攻撃を受け、国が滅びる事態を認識しているはずです。つまり圧倒的な軍事力の差を知らしめるだけで北朝鮮に対しては充分抑止力が働いているものと見ています」と私自身の認識を示しています。したがって、このままの関係であれば北朝鮮から破壊や殺傷を目的としたミサイルは撃ち込まれないものと見ています。物凄く恐れているのは北朝鮮を「窮鼠猫を噛む」状態に追い込むことであり、もしくはアメリカ側が先制攻撃に打って出る場面です。

その場合、戦争は早期に終結できるのかも知れません。しかし、わずかな期間でも北朝鮮の反撃によって多大な人的被害が伴うはずです。米軍横田基地の周辺に暮らす私自身が被害者の一人に数えられる可能性は非常に高く、そのような緊迫した場面に転換することのほうが現実的な脅威として鳥肌が立つ思いです。そのため、小野寺防衛相が集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」にあたるという認識を示したことに対し、「北朝鮮から日本が攻撃を受けるリスクを高めた発言だったことも否めません」と指摘しました。

>北朝鮮から日本が攻撃を受けるリスクを高めた発言だったことも否めません。 簡単です。北に核開発と長距離弾道ミサイルの開発を放棄させて、リスク自体が無くなるような対話方法を、是非とも教えてください。その方法を今すぐ実施するだけで、全てが解決しますね。あらゆる方法(対話も含めて)リスクを取り除いていかない限り、地域にも国にも真の平和は訪れないと考えますが、それは極右的な考え方ですか?

私から小野寺防衛相への指摘に対し、下っ端さんから上記のようなコメントが寄せられていました。私自身の「答え」はこれまでの記事本文を通して訴えてきたつもりですが、改めて説明させていただきます。まず簡単に導き出せるような「正解」は簡単に見出せません。「改憲の動きに思うこと Part2」の中では「日朝平壌宣言が履行されていれば」という仮説を紹介していました。もちろん仮説や「今さら」という話をしても仕方ないことですので、現状において望ましい「答え」を模索しなければなりません。

その上で直面した設問に対し、小野寺防衛相の発言は望ましくなかった、私自身はそのように判断しました。基本的な方向性に関する「答え」としては、アメリカが軍事力を行使しそうな局面では日本こそ率先して自制を促す側に立って欲しい、本当に切実な願いです。現実的な脅威に対する恐怖感は前述したとおりの認識があるからです。北朝鮮への圧力を強めることに消極的な中国やロシアは「差し迫った脅威を感じていないからだ」という見方があります。

一方で、北朝鮮サイドに立つ関係性があるからこそ北朝鮮からすれば、あえて脅威を与える対象ではないという見方も成り立つはずです。日本も北朝鮮から見て「完全な敵ではない」という関係性があった場合、これほど挑発的な行為が繰り返されることもなかったのかも知れません。もともと安全保障は「抑止」と「安心供与」の両輪によって成立していくべきものです。利害が対立しても、敵ではない、対話できる関係性であれば、いきなりミサイルが撃ち込まれることはありません。

昨年6月には「『ロンドン狂瀾』を読み終えて」という記事を投稿していました。第1次世界大戦の惨禍を教訓化し、国際的な諸問題を武力によってではなく、話し合いで解決しようという機運が高まり、1930年にロンドン海軍軍縮会議が開かれた話を綴っていました。当時の日本の枢密院においては単に兵力による狭義の国防に対し、軍備だけではなく、国交の親善や民力の充実などを含む広義の国防の必要性を説く側との論戦があったことを紹介していました。

軍国主義の時代と言われていた頃に広義の国防の必要性を説く議論があったことに驚いていました。しかし、戦争に熱狂する民意の後押しもあり、日本は戦線を拡げ続けていきました。再び、そのような時代の岐路にしないためには、ことさら他国を敵視せず、武力で解決するという選択肢がどれほどの悲劇を生み出すのか想像力を働かせる必要があります。同時に「窮鼠猫を噛む」状態まで日本を追い込みすぎた当時の国際社会の判断が正しかったのかどうか省みることも必要です。

さらに以前「外交・安全保障のリアリズム」という記事の中で、実際の国際社会は軍事力や経済力などのハード・パワーで動かされる要素と、国際条約や制度などのソフト・パワーに従って動く要素の両面から成り立っていることを綴っていました。どちらが正しいかという二者択一の問題ではなく、力の均衡という軍事的な手段を選択肢として残し、非軍事的な人間の安全保障の取り組みを強化することは充分両立し、効果的に組み合わせることでシナジー効果を生むという見方を記していました。

国際社会の中で孤立している北朝鮮のほうこそ、圧倒的な軍事力や国力の差を前にして危機感を強めているはずです。ハード・パワーの優位さが歴然としているのですから日本政府は対話というソフト・パワーを駆使することに全力を尽くして欲しいものと望んでいます。リスク自体がなくなるような対話方法に関しては、お互いのリスクを取り除くため、お互いの利害を調整するための手段として対話が必要なのではないでしょうか。そのため「対話のための対話では意味がない」という言葉にも違和感を抱きがちです。

そもそも相手の挑発に対し、過剰に反応しすぎることは相手側のペースにはまっているような印象を受けがちです。非難されるべきは北朝鮮であることは当たり前ですが、後ほど紹介する記事のような論調の批判が生じることも否めません。いずれにしても強い言葉で反応することは国民からの支持や信頼を高める効果があるのかも知れませんが、ますます敵視されながら真っ先に攻撃の対象にされるというリスクを高めていきがちです。

以上のような「答え」が下っ端さんに納得いただけるのかどうか分かりません。それぞれが正しいと信じている「答え」は本当に幅広く、個々人の基本的な視点や立場から大きく枝分かれしていきます。一方で、より望ましい「答え」に近付くためには多面的な情報に触れていくことが大切です。そのため、このブログはマイナーな情報を提供する場として、いろいろなサイトの記事内容を紹介しています。受けとめ方は人それぞれであり、必ずしも私自身が全面的に賛同している内容ではありません。あくまでも「このような見方もあるのか」という趣旨で紹介します。ぜひ、お時間等が許される方はリンク先をご参照ください。

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