平和への思い、自分史
「昔、日本はこんなに広かったんだぞ」と世界地図を指差し、今は亡き父親が私に説明してくれた思い出があります。私が小学校の低学年の頃だったように記憶しています。幸いにも戦禍で亡くなった家族がなく、戦争中は軍国少年だった父親からすれば中国や東南アジアまで広がった日本の姿は誇らしかったのかも知れません。
父親は軍歌のレコードを好んで買い求めていました。狭い家だったため、よく私自身も軍歌を耳にすることになり、今でも歌える曲が数多くあります。さらに余談ですが、現在、自宅にカラオケセットがあります。さすがに軍歌を外で歌うことはないため、セットされた曲目の中に見かけた『海ゆかば』を初めてカラオケで歌ってみました。すると採点機能の結果は99点、めったに出ない高得点に驚いていました。
父親は決して好戦的だった訳ではなく、特に平和主義にこだわるタイプでもなかったようです。幼少期を軍国主義に染まった環境で過ごし、戦後、激変した社会の中で特段戦争に対して強い嫌悪感を持たなかっただけだろうと想像しています。両極端に位置しない、ごく普通の戦後の日本人の一人だったのではないでしょうか。本人に直接聞くことはできませんので、今、そのような思いを巡らしています。
私自身、幼少期から現在も漫画好きです。1960年代を過ごした幼い頃は『0戦はやと』や『紫電改のタカ』に触れ、戦闘シーンに胸を躍らせていました。『宇宙戦艦ヤマト』より前に戦艦大和を取り上げた漫画があり、その巨大さに憧れ、大和や武蔵のプラモデルを手にした記憶があります。一方で、漫画雑誌には戦争の悲惨さを伝える記事も時々掲載されていました。アウシュビッツ強制収容所のことも、その頃の漫画雑誌の記事で知りました。なぜ、同じ人間に対し、これほど残虐になれるのか、大きなショックを受けました。
原爆を扱った漫画では『はだしのゲン』が有名です。私自身が原爆のことを詳しく知り、意識するようになったのは『はだしのゲン』の連載が始まる数年前でした。以前投稿した「漫画が語る戦争」という記事の中でも記したことですが、『ある惑星の悲劇』という漫画に出会っていました。原爆投下後、建物の下敷きになって、生きたまま焼かれていく子どもたちに「熱かったろうな」と感情移入していたことを覚えています。その漫画との出会いが「戦争は嫌だ、戦争は起こしたくない」という思いの原点だったかも知れません。
だからと言って小学校や中学校時代、自分自身が平和のために何か行動を起こすような発想はまったくありませんでした。当たり前な見方かも知れませんが、その年代から反戦平和について頭を悩ましていた場合、早熟すぎて周囲から浮いてしまう存在だったのではないでしょうか。高校生になると政治的な行動を起こす人たちが出てくるのは今も昔も同じようです。私と同じ世代で、高校生だった知人の中にも政治的な問題意識を強めていた人はいました。それでも極めて少数であり、私自身をはじめ、大半はノンポリな高校生だったはずです。
1965年から1972年までの安保闘争とベトナム戦争の時期、大学時代を送った世代が全共闘世代と呼ばれ、この世代の15%の人たちが学生運動に関わったと言われています。そのような残滓が少しだけ見受けられる頃、就職と同時に大学に入学しました。以前の記事「公務員になったイキサツ」に綴ったとおり夜間大学に通いやすいため、公務員を志望しました。それが就職し、すぐ方針を変えて「大学は卒業するため」だけの存在になりました。
そのため、大学生活から何か影響を受けるような関係性は薄いまま過ごすことになりました。1回生の時には教科書裁判で有名な家永三郎先生の授業も受けましたが、前述したおり真面目な学生でなく、それほど大きな影響を受けないまま単位だけ取得しています。結局のところ「戦争は嫌だ、戦争は起こしたくない」という思いを胸に秘めながらも主体的な動きとは無縁のまま年数を重ねていきました。ある意味、圧倒多数の普通の人たちの感覚であり、日常の姿なのだろうと思っています。
「組合役員になったイキサツ」という記事に綴りましたが、やはり自治労運動に関わるようになったことが平和への思いの大きな転機だったようです。あらかじめ釈明しなければなりませんが、運動の強要や押し付け、まして洗脳があった訳ではありません。イデオロギーに感化された訳でもなく、真っ新だった自分自身の意識の中に「どうしたら平和は築けるのか」という素朴な問いかけが芽生え始めた時機だったと言えます。当時のブログ記事には次のとおり書き残していました。
ある16ミリ映画会に興味を持ち、幹事の先輩数人と出かけました。その映画の題名は「光州は告発する」でした。チョン・ドハン元韓国大統領の軍事クーデターに反対し、光州市民が大規模なデモなどを行ないました。それに対してチョン元大統領は軍隊を出動させ、自国民に銃口を向け、力ずくで鎮圧をはかりました。その虐殺の模様を記録した映画が「光州は告発する」でした。
それまでも原爆やアウシュビッツ強制収容所の話などを知ることにより、戦争への嫌悪感は人一倍持っていたと思います。ただベトナム戦争も現在進行形の世代ではなく、私の戦争に対する思いは「過去の事実」との認識でした。それが同じ瞬間、それほど距離が離れていない半島で、戦車でひき殺される人たちがいたことに大きな衝撃を受けました。
さらに今から思えば、その北の国でも非人道的な行為を繰り広げていたことになります。この映画を見たことにより、少し考え方に変化が出ました。だから何ができるか分かりませんでしたが、青婦部幹事になって一年間、何もしなかったし、何も分かろうとしないで辞めるのも何だなと思い返すようになりました。
この後、青年婦人部の幹事から部長まで担い、まったく想定していなかった組合の執行委員長まで引き受けることになりました。その結果、これまで組合役員を長く続ける中で様々な経験や交流をはかることができました。平和への思いについて青婦部時代は、まず自分自身が知ることを重視しました。沖縄にはプライベートも含めて数回行っていますが、捨て石にされた沖縄戦の実相を戦争体験者から直接聞き、集団自決のあった真っ暗なガマに入るような機会も得ていました。
そして、知り得た戦争の悲惨さを部員や組合員に伝える、このような広げ方が平和を築くための運動だと考えていました。青婦部を卒業してからも、しばらくは平和をアピールすることや軍事基地に反対することが大事な行動だろうと認識していました。もちろん多くの人が戦争の悲惨さや実相を知り、絶対起こしてはならないという思いを強めていくことは重要です。しかし、そのような思いだけでは決して戦争を抑止できないことを痛感するようになっています。
毎年8月になると、日本のテレビや新聞は、戦争の悲惨さだけに焦点を当てた自虐的な報道をたくさん流す。戦争の惨禍を繰り返してはならないが、過去を自虐的に反省してさえいれば、日本は二度と戦場にならないとでも信じているのか。悲惨な戦争をいかにして防ぐのか。具体的な方策に何も言及しない自虐報道は無責任だ。過度に厭戦気分を煽り、日本人の国防意識を低下させたのでは、利敵行為とすらいえる。
上記は最近目にしたケント・ギルバードさんの「戦争防ぐ方策に触れない自虐報道は無責任」という論評の抜粋です。「自虐報道」や「利的行為」という見方など共感できない記述もありますが、「悲惨な戦争をいかにして防ぐのか」という視点の大切さはそのとおりだと思っています。過去、私自身が是としてきた平和運動も「いかに防ぐか」という視点が不充分だったように省みています。残念ながら現在の平和運動全体にも通じる課題であり、「いかに防ぐか」という具体策の提示や発信力が問われているように受けとめています。
以前、戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図でとらえがちでした。現在は誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。とは言え、このような関係性においても戦争の実相を知った上で「戦争も辞さず」と語るのかどうかは重要であり、戦争の悲惨さを知ること、知らせていくことも欠かせない営みだろうと考えています。
「自分史」という初めての試みで新規記事を書き進めてきました。青婦部幹事時代の転機から現在までが駆け足気味だったため、機会があれば詳述させていただくかも知れません。最後に、差し迫った北朝鮮の脅威に対し、戦争を「いかに防ぐか」という自分なりの思いを書き添えます。最近の記事「改憲の動きに思うこと Part2」の中で綴ったとおり北朝鮮を「窮鼠猫を噛む」状態に追い込まないようにすべきであり、対話の窓は積極的に開放していくことが必要です。まして「存立危機事態」と見なした勇み足は絶対自制すべきものと痛切に感じています。
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コメント
とても興味深い良い記事ですね。人に歴史ありと言いますが
是非続きを知りたいと思います。
>残念ながら現在の平和運動全体にも通じる課題であり、「いかに防ぐか」という具体策の提示や発信力が問われているように受けとめています。
空想の平和ではなく、現実の平和なんでしょうね。日本を
代表する平和団体が8月15日に発表した平和の誓いの記事が
本当に残念な内容ですね。政治性が強いことはまだ見過
ごせても、記事から伝わる憎悪と言いますか、非常に何か
凝り固まった意思が読み取れます。
せめて8月15日だからこそ、さすが平和団体だなあと思う
ような言葉はなかったのでしょうか。
ただただイデオロギーで対抗する言葉と憎悪以外感じる
ことはない記事内容でした。
この団体と聖戦を唱える団体との違いがわかりません。
投稿: nagi | 2017年8月21日 (月) 09時33分
>まして「存立危機事態」と見なした勇み足は絶対自制すべきものと痛切に感じています。
この内容は、北朝鮮の発射したミサイルの迎撃に関すること
だと思うのですが、本当に迎撃してはだめなのでしょうか。
まあ、技術的に難しいとの指摘があります。そもそも迎撃
防衛が難しいことはすでによく知られたことであり、今回の
ICBMに対してはほとんど無理でしょう。
その点は無視して、はたして日本上空を通過して同盟国に
対しての攻撃あるいは威嚇を無視して良いのかという問題
があります。また、想定どおり飛行せず不慮の事故で日本に
着弾する可能性も否定できません。
私は今回、迎撃に賛成するのはそれが米朝戦争の回避に
繋がると考えるからです。米国から見ればクリントン政権
時代に攻撃を検討したものの被害の大きさに断念した。
その後経済制裁や外交努力をしたものの結局、軍事力が
高まっただけの結果です。時間の経過はよりリスクが増す
だけの状況です。もし北朝鮮がグアム近辺の公海上にミサ
イルを着弾させたら、それがアメリカ国土でなくても、
アメリカは北朝鮮から攻撃されたとの大義名分を手にする
ことができます。
もし日本が迎撃をすれば、アメリカは攻撃されたとの
大義名分は手にすることはできません。北朝鮮も発射した
ことで面子は立つ。また、それを理由に日本に攻撃もでき
ないでしょう。
そのように考えると、実は迎撃こそが一番平和的な解決に
なるのかもしれません。あくまでも個人的な妄想にすぎま
せんので。
投稿: nagi | 2017年8月22日 (火) 09時59分
こんばんは。
なんか左翼がいつも書くのと同じ文章ですね。
反戦・平和と言いながらハンガリー動乱、チェコ動乱、アフガニスタン侵略などなど
ソビエトや東欧、中国、北朝鮮など共産主義国の蛮行にはまったく触れない、
悪いのはいつもアメリカ。
若い頃から自分たちに都合悪いことは無視しているようですね。
投稿: す33 | 2017年8月25日 (金) 20時34分
nagiさん、す33さん、コメントありがとうございました。
今週末に投稿する記事は「Part2」とし、今回の記事内容を補足してみるもりです。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年8月26日 (土) 20時39分