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2017年8月 5日 (土)

意見が異なっても

広島と長崎への原爆投下から日本の敗戦、平和について深く考えなければならない機会の増える季節を迎えています。木曜日には安倍改造内閣の顔ぶれが決まり、政治的な話題も尽きそうにありません。さらに「マスコミの特性と難点」という記事は「Part2」に及びましたが、私自身の伝えたいことが的確に伝え切れない悩ましさを感じています。さすがに「Part3」とはしませんが、コメント欄に寄せられた意見を受け、改めて私自身の問題意識や思うことを書き進めてみます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。最近、特に幅広い情報に触れていくことの大切さを痛感し、何が正しいのか、その判断は正しいのか、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考に努めたいものと考えています。

総論的な意味合いとして、これまで当ブログを通して訴えてきた考え方は上記のとおりです。したがって、あっしまった!さんの下記のようなご指摘は本当にそのとおりだと思っています。ここ最近、あっしまった!さんからは各記事のコメント欄で貴重なご意見を精力的に投稿いただいています。その中のごく一部となる切り取った紹介にとどまり、たいへん恐縮ですが投稿された内容をそのまま掲げさせていただきます。

結果的に「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話であった」としても、報道機関は、それを報道すべきだったと。報道を視た人が、それぞれ「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話と判断した」のであれば、それで良い。ただ、報道側が「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話」だと決めつけ、「報道する価値もない。有権者には知らせる価値のない話」だと決めつけ、「有権者が主体的に判断する機会を奪った」となると問題は多きい。

私自身も本来、マスコミは幅広い見方や評価があり得る出来事を報道する際、普段からバランス良く、どちらか一方に偏らないよう編集すべきものと考えています。より正確な情報を客観的に伝えた上で、その社の方針や記者の主張を添えるような手法が望ましいはずです。加計学園の問題で国会に参考人として呼ばれた加戸前愛媛県知事の発言の伝え方は確かにマスコミ各社によって大きく異なっていました。さすがに黙殺した新聞社はありませんでしたが、詳報欄のみで一般記事の中では取り上げなかった社もあったようです。

朝日新聞、もしくは毎日新聞しか読まれていない方は加戸前知事が発言したこと自体を把握できないまま加計学園の問題を評価していくことになりかねません。赤字で前述したとおり評価や判断を下す機会さえ与えられなかったことになります。このような関係性を決して望ましいものとは考えていません。ただ今に始まったものではなく、逆に少し前までは政権にとって不都合な情報の取り上げ方が極端に少なかったように感じていました。だからこそ、このようなマスコミの特性を踏まえた上、直近の記事を通して下記のような問題提起につなげていました。

マスコミからの情報に限らず、情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことがたいへん重要です。マスコミやSNS、それぞれの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。

各論の話となる加計学園の問題で言えば、コメント欄でベンガルさんが説明されていた見方に私自身の認識は近いものがあります。加戸前知事は「加計ありきだった」と言っているにすぎず、「国家戦略特区における獣医学部の新設という新たなステージですので、中立、公平にやるべきだったと私は思います」というご意見でした。野党の攻め方やマスコミの論調が「ムービング・ゴールポスト状態」と見られがちなのかも知れませんが、私自身は一貫して安倍首相の「李下に冠を正さず」という心構えの薄さを懸念していました。

この問題で実際に安倍首相の直接的な関与がなかったのかも知れませんが、政府内部の動き方として不自然な点があったように見られ続けています。多くの税金の投入が前提となる獣医学部の新設にあたり、公平・公正さが充分だったのかどうかが問われているものと考えています。競争試験で受験者を公募しながら初めから採用者は決まっていた、競争入札としながら初めから落札業者は決まっていた、このような構図の疑惑が容易に晴れないままの問題だろうと理解しています。

追及する側の民進党の玉木雄一郎衆院議員が日本獣医師会に近く、ご本人もそのことを隠していませんが、献金や過去の質問の絡みから疑惑や批判を受けています。このあたりについてはご自身のブログ「私が質問したのは、日本獣医師会の既得権益を守るためか?」を通して経緯や立場が説明されています。総理大臣をはじめとする政府側関係者と野党一議員の権限の差は大きな開きがあるとは言え、業界擁護質問で受託収賄罪が問われた事例もあります。

したがって、これだけ獣医学部のことが取り沙汰されている中では、やはり玉木議員も「李下に冠を正さず」という心構えで対処すべきだったのではないでしょうか。ここで特徴的な点は安倍政権を擁護されている方々は玉木衆院議員の振る舞いを批判し、政権批判を強めている方々は玉木議員の対応は「まったく問題ない」と判断しがちな傾向が見て取れます。私自身の立場も後者に見られがちなのでしょうが、玉木議員を批判する意見や考え方を否定しないように努めています。

最近のコメント欄に寄せられたご意見等を意識し、ここまで私なりに思っていることを書き進めてきました。実は今回の記事タイトルを「意見が異なっても」とした理由は下記に掲げた新聞報道の内容が印象深かったからです。2008年の大統領選挙の集会で、アメリカ共和党のマケイン上院議員が発した「彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」「この国の政治は相手への敬意が基本だ」という言葉などに強い共感を覚えています。

脳腫瘍と診断され闘病中の米共和党上院のマケイン軍事委員長が、大統領選候補だった2008年に選挙集会で民主党対立候補のオバマ上院議員(当時)を擁護した際の動画が話題を集めている。歴代大統領も無視できないほどの政治的影響力を持つマケイン氏の不在を惜しむ声と共に、トランプ政権下で続く深刻な党派対立への米国民の拒否反応の表れともいえそうだ。

動画は08年10月に中西部ミネソタ州でマケイン氏が開いた対話型集会の様子を映したもの。女性支持者が「オバマは信用できない。彼はアラブ人だ」と発言した。当時、支持者の中ではオバマ氏が過激派テロリストと関係しているなどの中傷が流布していた。マケイン氏は首を振りながら女性のマイクを取り上げ「違います。彼は家族を愛するまっとうなアメリカ市民です。彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」と諭した。

マケイン氏はその後も、会場の共和党支持者からブーイングを浴び続けながら「オバマ氏が大統領になっても恐れる必要はない。この国の政治は相手への敬意が基本だ」などと語った。今月19日に脳腫瘍の診断を発表したマケイン氏に対し、共和、民主両党から早期回復を願う声が寄せられている。オバマ氏はツイッターで「マケイン氏は米国の英雄で最も勇敢な闘士だ。誰と戦っているのか、がんは分かっていない。ぶっ飛ばしてやれ」とエールを送った。 【毎日新聞2017年7月23日

基本的な視点の違いから正しいと信じている「答え」が枝分かれしていきます。SNSが普及した結果、ますます「自分の好みに合う情報だけを受け取り、自らの好みをひたすら強化させるようになる」と言われています。政治学者の飯尾潤さんは社会をつなぐ力の弱まりを懸念し、マスコミの両極化を「反政権側は、政権の方針への反対を強めようと、問題を大きく扱う傾向にある。政権の評価すべきことはあまり論じることなく、それについては政権側の発表や行動を淡々と報じるにとどまる傾向がある」とし、「逆に親政権側メディアは、政権の成果は大きく報じる半面、政権にとって具合の悪いことは小さくしか扱わない」と論じています。

政治では違う意見が交わらず、それぞれ極端化する、このように飯尾さんは述べています。手前味噌な言い分で恐縮ですが、一つの運動として当ブログが違う意見の交わる場になり得れば非常に本望なことだと考えています。そのため、いろいろな「答え」を認め合った場として分かり合えなくてもいがみ合わないことの大切さを頻繁に訴え続けてきています。おかげ様でコメント欄常連の皆さんからは以上のような関係性についてご理解ご協力いただき、意見が異なっても冷静に言葉を交わし合う場となっていることに深く感謝しています。

前回の記事でも紹介したhodoさん、前述したとおり「論点から外れるか否かを判断するのは国民です。マスコミではありません」というご指摘はそのとおりだと私自身も考えています。しかしながら「ごまかしばかりで愛想がつきました」というご指摘は、ごまかしているつもりがない者からすれば非常に残念な見られ方です。さらに「OTSU氏のように自分にとって不都合な事実を黙殺することに何のためらにもない方は、大日本帝国時代における有能な憲兵になっておられたでしょうね。あなたにかける言葉はこれ以上ありません」は極端すぎる見方だと言わざるを得ません。

hodoさんに限らず、少しでも時間を割いて当ブログにコメントをお寄せくださる皆さんに対し、本心から感謝しています。耳の痛い辛辣な批判意見だったとしても、そのような意見に触れられることを貴重な機会だと考えています。ただ自分自身が正しいと信じている「答え」からかけ離れた言葉の意図は素早く理解できない傾向があります。きっとお互い同じような傾向があるため、hodoさんと私は容易に分かり合えないのだろうと受けとめています。愛想をつかされたhodoさんですが、このブログは出入り自由な場ですので、これからもお時間等が許される際はご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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コメント

報道とは、何らかの利益を追求することではなく、社会正義
に基づく、批評か批判を行うための情報提供だと私は理解し
ています。しかしマスコミは自社の利益を追求することが
社会正義を上回っている。そして社会正義ではなく自社の
正義を生み出して報道ではなくワイドショーをしているよう
に私には見えます。

民主主義を支える報道の自由が、実は特定の利益を導くだけ
の手段になっているのなら、はたして社会における正義とは
何か私たちはどのように考えて、どのように事実を知れば
よいのでしょうか。

今年になってからの与党と野党に関するマスコミから流れた
情報をいろいろ見比べると本当に残念に思うことが多いですね
マスコミはその報道により有罪の人を無罪にし、無罪の人を
有罪にしてきました。しかし間違いがあっても訂正はしないし
被害の補償もしない。それほど強固に守られている巨大な
権力にだれがどのようにチェック機能を果たすのでしょうか。

特に徳島県で阿波踊りにまつわる徳島新聞と、そこに深く
関係にある市長が行っていることを見るとマスコミという
権力がどれほど恐ろしいかがよく理解できると思いますね。

投稿: nagi | 2017年8月 7日 (月) 12時26分

>「この国の政治は相手への敬意が基本だ」という言葉などに強い共感を覚えています。

良い言葉ですね。私も共感します。しかし残念ながら反政権
の方々からは政策に対する批判以上に人格を攻撃するような
発言がたびたびでてますね。報道に関与する人からもツイッ
ターなどで見受けることができます。

言論弾圧は左翼の専売特許とどこぞの雑誌にでてましたが
それを見て、批判の声と同調の声が均衡するようでは
なんとも悲しいことです。

投稿: nagi | 2017年8月 8日 (火) 12時01分

>http://www.zakzak.co.jp/soc/news/170807/soc1708070002-n1.html

この記事で出てくる沖縄2紙はいったい誰に対して忖度を
してるのでしょうか。
偏向してるとか偏向してないとかの話題の前に、この沖縄2紙
が八重山日報の販売活動を邪魔してるのは事実です。
これが報道の自由を日頃声高に言うマスコミのやり方なん
でしょうか。

投稿: nagi | 2017年8月 8日 (火) 12時23分

>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170808-00000086-mai-soci

毎日新聞の報道ですが、歴史教科書採択に関して学校に
対する抗議の内容なのですが、これ、以前に新しい歴史
教科書をつくる会教科書を採択した時とかなり異なる
報道スタンスですね。新しい歴史教科書の時はかなり
えげつない反対運動(暴力等も含む)がありましたが、
そのあたりの報道はあまりなかったですね。

それに比べると今回の報道はいかにも採択に関して
嫌がらせ行為があるとの内容です。

報道機関の意向がはっきりとした編集ですね。

投稿: nagi | 2017年8月 9日 (水) 09時32分

今回のエントリ本文を拝読して、ひとつ思うことがあったので、

以前の「報道は第0番目の権力説」に続いてですが、もうひとつワタクシが提唱していることを。

それは、「【野党は、野党という権力である】という自覚と認識を強く持とう」です。

まず、国会は、内閣総理大臣を指名する権限をもつ存在であって、「行政権という権力の主体を生み出す源泉」です。
また、国会は、唯一の立法機関であり、国権の最高機関であり、「行政と司法と統御する法律を生み出す源泉にして、国民主権を体現する存在」です。

その上で、「国会は立法権という強力な権限をもつ、権力的存在」であって、「その国会は与党だけで構成されているのではない」ということを強調したいと思います。
つまり、野党だって「立法権という強力な権力の一部」なんですよ。

どうも野党には、「政府・与党は権力であって、野党は権力と戦う権力の外にある存在」みたいな自己認識が強い気がします。
しかし、そんなことはないわけです。先程来申し上げるように「野党自体が権力」なんです。
だって、野党議員さんだって「われわれ一般人にはない、国会の場で討議し、議決に加わるという特別な権限」を持ってますから。
この点は、平安法制の委員会採決を巡る一連のエントリの中でも、コメント欄で強く訴えたことです。

更に、「野党第一党」は、政権交代があれば「直に政府・与党という権力そのものになる存在」です。
いかなる野党であってもそれ自体が「権力」ですが、中でも野党第一党は「政権与党になり得る、その他の野党よりも強い権力をもった存在」です。

健全な議会制民主主義のためには、政権交代が必要という前提を置くと、「政権を担うことができる力量を持つ野党第一党」が必須です。
そのためには、有権者も野党第一党も「野党ではなく、並行世界の与党であり、潜在的に与党としての権力を持っている存在」と自己認識したり、そういう目線で視ていく必要があると考えます。
政権を担ってなお・政権という権力そのものになってなお、「権力と戦う反権力運動体」って認識で居る人たちに、まともに政権を運営し政治を行うことができるはずもないです。
そのためには、自分たちは「担っている役割は異なるが、しかし権力であることは同じ」という認識と、それにふさわしい思考様式・言動を常に意識してもらう必要があるというのが私の考えです。

この間、「報道のあり方」を批判的に述べてきました。
それは「政権与党に厳しく、野党に甘いから」ではなく、「与党に厳しくは当然、しかし、野党にも同じ厳しさで対峙していないから」です。

せめて、野党第一党には、平静から「与党に対すると同じくらいの厳しさで、その動向を監視し・その現状を報じ、言動や掲げる政策案については与党のそれに対するのと同じ厳しさで、報道し・論評するべき」という認識だからです。
そうやって、「常に監視・チェック」というメディアの大好きな姿勢にさらされ続けることによって、それに応じて野党自身が自らを磨き続けることによって、「野党としての力量・政権を担いうる政党としての品質」が身についていくと考えるからです。

「まともな野党の不在」を問題視して久しいのです。10年ほど前には、政権を担うと言うことを経験すれば、そのときの失敗と現実の壁を前に「まともな野党に生まれ変わるかも」という期待もしました。が、現状では「かえって先祖返り・幼児退行」する始末ですから、もう野党第一党には「報道によって与党と同じくらい自律を促して、自己練磨を強要する」しかないんだろうと。

「総理大臣をはじめとする政府側関係者と野党一議員の権限の差は大きな開きがあるとは言え」という認識はこの際、支援者はとにかくとして、議員さんや政党という当事者本人には捨ててもらう必要があると考えます。
それはある種の逃げだからです。政権の座についてなお、そんなありようだったから、有権者から拒絶されるようなことになるんです。

政権の座に就けばそういう言い方は通用しません。政権交代が必要だと思うなら、今の与党が危険だと思うなら、今の与党では任にあらずと思うなら、野党第一党には「そういう甘えを捨てて、政権与党としてもやっていけるということを、身を以て示してもらわなければならない」と思っています。
「総理大臣と野党の一議員とでは権限は違う。でも、政権交代があれば・今政権に就いているとすれば、自らが政府与党の一員であるとすればこう振る舞うという姿勢を、野党である今、示して見せよう」という気概や立ち居振る舞いでなければダメだろうと思っています。。

その前提は、「野党の一議員であっても、有権者一般とはまるで違う、権力を持つ存在なのだ」ということですよ。だから「野党の一議員であっても、それにふさわしい権力者としてのあり方や識見」が求められてるってことだろうと。
だからこそ、「報道は、野党に対しても、与党に対するのと同じ程度の厳しさで…」って強く望むし、そうはなっていない今の報道のあり方には批判的であるわけです。

投稿: あっしまった! | 2017年8月10日 (木) 16時02分

nagiさん、あっしまった!さん、コメントありがとうございました。

コメント欄に寄せられたご意見等に対し、記事本文を通して私なりの見方や考え方を綴る機会が増えています。それでも恐縮ながら、すべて対応できていない現況です。このような関係性についてご理解いただいているものと思っていますが、改めてご容赦ください。

さらに新規記事は久しぶりに政治的な話題から少し離れる予定です。ぜひ、引き続きご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

投稿: OTSU | 2017年8月12日 (土) 06時18分

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