平和への思い、自分史 Part2
前回記事「平和への思い、自分史」の最後のほうで「青婦部幹事時代の転機から現在までが駆け足気味だったため、機会があれば詳述させていただくかも知れません」と書き添えていました。さらに最近の記事「改憲の動きに思うこと Part2」の中で綴っていたため、北朝鮮の脅威に対しては「窮鼠猫を噛む」状態に追い込まないようにすべきであり、対話の窓は積極的に開放していくことが必要という端的な記述にとどめていました。
まして「存立危機事態」と見なした勇み足は絶対自制すべきものと痛切に感じています、このような訴えで前回記事をまとめていましたが、もう少し言葉を継ぎ足さなければならなかったものと考えています。そのため、新規記事には「Part2」を付けて前回記事を補足するような内容を書き進めてみます。まず差し迫った各論である北朝鮮問題に入る前に「自分史」としての続きを改めて綴らせていただきます。
10代の頃は「戦争は嫌だ、戦争は起こしたくない」という思いを胸に秘めながらも主体的な動きとは無縁な日常でした。青年婦人部の幹事という労働組合の役員になったことを切っかけに反戦平和について深く考えるようになっていきました。その労働組合が自治労に属していたため、いわゆる左に位置する運動を下から支える一人だったと言えます。1980年代、まだ連合ができる前、総評・社会党ブロックと称された政治勢力の中心的な役割を自治労は担っていました。
この流れは平和フォーラムに継承され、今も原水禁運動や軍事基地反対の取り組みなどが自治労各単組で方針化されているはずです。具体的な運動の進め方は、焦点化された課題が浮上した際の反対集会、毎年恒例化した反対集会やイベント、それらを周知するための駅頭宣伝や地域ビラ配布、学習会や現地視察など多種多様です。ただ当たり前なことかも知れませんが、すべて発信側の「答え」が正しく、「反対しよう」「反対しなければならない」という訴えを広めることが運動の主軸となっています。
私自身も20代から30代の頃は戦争の悲惨さや理不尽さなどを組合員を中心に広く伝えていくことが平和を築くための運動だと考えていました。確かに多くの人が戦争の悲惨さや実相を知り、絶対起こしてはならないという思いを強めていくことは重要です。しかし、日本人だけがそう思い、日本国憲法第9条を原則的に解釈し、非武装中立を唱えれば平和は維持できるのか、そのような問いかけがあることを徐々に意識するようになっていきました。
1994年、社会党の村山富市委員長が首相になって「自衛隊合憲、日米安保堅持」を表明しました。それまでの基本政策の大転換でしたが、それほど違和感は持たなかったように記憶しています。この頃から護憲という言葉の中味が個別的自衛権は認めるという幅を持って広く受け入れられ始めていたのかも知れません。このような動きがある中、自治労の基本方針も現状を認めた上、自衛隊や日米安保条約をどのように改めていくべきかという内容に変わっていきました。
それでも自治労の立場はいわゆる左であり、連合の中での存在感も最左翼というもので現在に至っています。自治労に所属している組合役員や組合員の考え方は個々人で異なるはずであり、一括りに語るべきではないのかも知れませんが、自治労という組織は前述したような立ち位置に見られています。「自分史」の話に照らした際、連合地区協議会の役員を担ってから他の産別の方々と話す機会が急増しました。同時に幅広い立場の政治家の皆さんと懇談する機会も増えていました。
自治労内の会議であれば、近しい立場の方々との交流にとどまりがちです。政治家との懇談も自治労の組織内議員に限られるため、連合という枠組みは様々な意味合いで貴重な経験や交流の機会を得られていました。書記長から委員長になった直後の年末に連合地区協の役員に就任しました。翌年の夏、このブログを始めています。したがって、実生活の場面での交流関係が広がった時期と重なりながら当ブログを通し、本当に幅広く多様な声に接することができるようになっていました。
かなり前から閲覧いただき、私自身の発信している「答え」に疑義を唱えている方からすれば「その割にまったく変わっていないじゃないか」という指摘を受けそうですが、自分なりに大きな変化があった時期だと言えます。大きな変化の一つとして、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっていました。
つまり安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっていました。
このような点を意識し、乗り越える努力を尽くさなければ平和運動の広がりや発展は難しいように感じています。戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図ではとらえず、「いかに戦争を防ぐか」という具体策を提示しながら発信力を高めていくことが求められているはずです。さらに2項対立に関わるすべての問題に留意すべき点として、考え方や立場、生い立ちや宗教が違うからと言って他者を侮蔑したり、敵視することは避けなければなりません。
米南部部バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義と反対派が衝突した事件を受け、オバマ前米大統領がツイッターに投稿した人種間の融和を訴える内容が共感を呼び、米メディアによると、ツイッター史上最高となる「いいね」が付いている。オバマ氏は13日に、自身が黒人や白人の子供たちにほほえみかける写真とともに、人種差別と闘った南アフリカのマンデラ元大統領の言葉を引用して「誰も生まれながらに、肌の色や生い立ち、宗教によって他人を憎まない」と投稿した。
また次の投稿で、「人は憎むことを学ばなければならない。憎しみを学べるのなら、愛を教えられる」とマンデラ氏の言葉を続けた。3日後の16日時点で、最初の投稿に約370万、次の投稿に約130万の「いいね」が付いた。これまで最も支持を集めた投稿は、米歌手アリアナ・グランデさんが、英国公演で起きた自爆テロの後に「言葉が見つからない」などと記したもので、約270万人が「いいね」と押した。【産経新聞2017年8月17日】
「他人を憎まない」、たいへん大事な言葉です。憎しみは争いの素であり、争いの先にテロや戦争が待ち受けています。このブログでも「いがみ合わないことの大切さ」を「Part3」にわたって投稿したことがあります。最近、エコーチェンバー現象という言葉を耳にするようになっていますが、SNSの普及が攻撃的な意見の広まる一因だと見られています。やはり他者の異質な意見にも率直に耳を傾け、共感できなくても、そのような考え方があることを認め合っていける関係性こそ、争いを避ける出発点だと思っています。
長い記事になっていますが、各論とした北朝鮮の問題にも触れていきます。あらかじめ強調しなければならない点として、国際社会から強い批判を受けている北朝鮮の振る舞いを擁護する意図はありません。「いかに戦争を防ぐか」という視点から自分なりの「答え」を提起していくつもりです。グアム島周辺に弾道ミサイルを発射するという北朝鮮の威嚇に対し、小野寺防衛相は集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」にあたるという認識を示しました。
まずグアム島周辺22キロの領海の外に弾頭の付いていないミサイルが落下しても「攻撃」ではないため、米軍が北朝鮮に報復攻撃する理由にはならないという見方があります。それにも関わらず、極めて厳しい要件を定めたはずの集団的自衛権の行使を言葉にした小野寺防衛相の勇み足を危惧しています。そもそも日本上空で高度400キロ以上となるミサイルを現在日本に配備している「PAC3」では撃ち落とせません。イージス艦が積んでいる「SM3」も射程外になるようです。
同盟国としての姿勢をアメリカに向けてアピールしたつもりだったのかも知れませんが、北朝鮮から日本が攻撃を受けるリスクを高めた発言だったことも否めません。九州大学の斎藤文男名誉教授は「グアムの沖合にミサイルが落ちることが、日本にとって国民生活が破壊されるような存立危機にあたるかと言われれば、まったくそんなことはないでしょう。むしろ、ミサイルを撃ち落とせば、北朝鮮に対する宣戦布告と受け取られ、全面戦争に突入して、かえって国土と国民を危険にさらす事態になる可能性が高い」と語っています。
「北朝鮮情勢から思うこと」の中で記したことですが、北朝鮮はミサイルを1発でも実戦使用した場合、総攻撃を受け、国が滅びる事態を認識しているはずです。つまり圧倒的な軍事力の差を知らしめるだけで北朝鮮に対しては充分抑止力が働いているものと見ています。そのため、日本を真珠湾攻撃に踏み切らせたハル・ノートのような追い詰め方は絶対避けるべきであり、対話の窓は積極的に開放していくことが必要です。最後に、利害が対立するからこそ対話が求められ、対話が続けられる限り戦争は避けられ、国民の安全や安心が担保されていくものと思っています。
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コメント
>まずグアム島周辺22キロの領海の外に弾頭の付いていないミサイルが落下しても「攻撃」ではないため、米軍が北朝鮮に報復攻撃する理由にはならないという見方があります。
世界中で、警察官に向かって武器を構えたら、それを使う
意図がなくても、また狙いが正確でなかっても、通常は
逮捕されたり、射殺されたりします。警察官ではなく一般人
に対して行えば逮捕要件になることは間違いありません。
広大な太平洋において、何千キロも離れた場所から、
わざわざグアム目前に着弾させる行為は、攻撃以外の
何物でもありません。これを攻撃ではないと言うのは
かなり無理があります。
そろそろ日本の平和主義者の方々の発言も、現実の
脅威の前には整合性がとれなくなってきてるなあとの
印象です。
投稿: nagi | 2017年8月30日 (水) 10時10分
>北朝鮮から日本が攻撃を受けるリスクを高めた発言だったことも否めません。
簡単です。北に核開発と長距離弾道ミサイルの開発を放棄させて、リスク自体が無くなるような対話方法を、是非とも教えてください。
その方法を今すぐ実施するだけで、全てが解決しますね。
あらゆる方法(対話も含めて)リスクを取り除いていかない限り、地域にも国にも真の平和は訪れないと考えますが、それは極右的な考え方ですか?
投稿: 下っ端 | 2017年8月30日 (水) 17時28分
いつもお馴染みの某平和団体の記事を紹介します。
>http://www.peace-forum.com/seimei/20170830.html
長文の声明の中で北朝鮮に対する非難はわずか1行半のみ
で、あとはいつもの内容です。まあ毎度のことなので不思議
でもないのですが、注目すべき文言がありました。
>米国や日本政府は、北朝鮮の核兵器放棄を対話開始の条件としているが、まずは対話を開始するべきだ。
この後、長々と日米の核関係の非難が列記されてるので
すが、この文言を言葉どおり解釈すると、日米は北朝鮮
の核武装をまずは容認しろと読み取れます。
えっ?日頃いろんなことがらを絡めて反原発や核廃止に
言及してる団体か、とりあえず容認しろと?
東京新聞の社会部の女記者も北朝鮮の言い分を聞けとか
言ってましたが、核や軍事力で恫喝する行為を認めること
がどのようなことか理解してるのでしょうか。
あまりにも安倍憎しで政権を攻撃することに夢中で
何を擁護してるのか、本当に理解してるのでしょうか。
もし理解した上で、言ってるのなら、それはそれで
もっと恐ろしいですがね。
投稿: nagi | 2017年9月 1日 (金) 14時32分
ついでにマスコミに対する気持ちを美しく代弁してある
記事を紹介します
>http://agora-web.jp/archives/2027230.html
>ある時は「記者は国民の代表だ」と言いながら、一方では自身への批判に耳をふさぐ。そんな情報さえ可視化されてしまう状況で、「国民の声を聞け」とはよくいったものだ。
このような記者達にはOTSU氏の爪のあかでも飲ませたい
ものです。
投稿: nagi | 2017年9月 1日 (金) 14時46分
nagiさん、下っ端さん、コメントありがとうございました。
長文の記事本文よりもコメント欄を通し、端的にお答えしていくほうが分かりやすいのかも知れません。それでも今週末に投稿する新規記事を通し、もう少し北朝鮮の問題を掘り下げていく予定です。ぜひ、引き続きご注目いただければ幸いですのでよろしくお願いします。
投稿: OTSU | 2017年9月 2日 (土) 06時56分