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2017年8月27日 (日)

平和への思い、自分史 Part2

前回記事「平和への思い、自分史」の最後のほうで「青婦部幹事時代の転機から現在までが駆け足気味だったため、機会があれば詳述させていただくかも知れません」と書き添えていました。さらに最近の記事「改憲の動きに思うこと Part2」の中で綴っていたため、北朝鮮の脅威に対しては「窮鼠猫を噛む」状態に追い込まないようにすべきであり、対話の窓は積極的に開放していくことが必要という端的な記述にとどめていました。

まして「存立危機事態」と見なした勇み足は絶対自制すべきものと痛切に感じています、このような訴えで前回記事をまとめていましたが、もう少し言葉を継ぎ足さなければならなかったものと考えています。そのため、新規記事には「Part2」を付けて前回記事を補足するような内容を書き進めてみます。まず差し迫った各論である北朝鮮問題に入る前に「自分史」としての続きを改めて綴らせていただきます。

10代の頃は「戦争は嫌だ、戦争は起こしたくない」という思いを胸に秘めながらも主体的な動きとは無縁な日常でした。青年婦人部の幹事という労働組合の役員になったことを切っかけに反戦平和について深く考えるようになっていきました。その労働組合が自治労に属していたため、いわゆる左に位置する運動を下から支える一人だったと言えます。1980年代、まだ連合ができる前、総評・社会党ブロックと称された政治勢力の中心的な役割を自治労は担っていました。

この流れは平和フォーラムに継承され、今も原水禁運動や軍事基地反対の取り組みなどが自治労各単組で方針化されているはずです。具体的な運動の進め方は、焦点化された課題が浮上した際の反対集会、毎年恒例化した反対集会やイベント、それらを周知するための駅頭宣伝や地域ビラ配布、学習会や現地視察など多種多様です。ただ当たり前なことかも知れませんが、すべて発信側の「答え」が正しく、「反対しよう」「反対しなければならない」という訴えを広めることが運動の主軸となっています。

私自身も20代から30代の頃は戦争の悲惨さや理不尽さなどを組合員を中心に広く伝えていくことが平和を築くための運動だと考えていました。確かに多くの人が戦争の悲惨さや実相を知り、絶対起こしてはならないという思いを強めていくことは重要です。しかし、日本人だけがそう思い、日本国憲法第9条を原則的に解釈し、非武装中立を唱えれば平和は維持できるのか、そのような問いかけがあることを徐々に意識するようになっていきました。

1994年、社会党の村山富市委員長が首相になって「自衛隊合憲、日米安保堅持」を表明しました。それまでの基本政策の大転換でしたが、それほど違和感は持たなかったように記憶しています。この頃から護憲という言葉の中味が個別的自衛権は認めるという幅を持って広く受け入れられ始めていたのかも知れません。このような動きがある中、自治労の基本方針も現状を認めた上、自衛隊や日米安保条約をどのように改めていくべきかという内容に変わっていきました。

それでも自治労の立場はいわゆる左であり、連合の中での存在感も最左翼というもので現在に至っています。自治労に所属している組合役員や組合員の考え方は個々人で異なるはずであり、一括りに語るべきではないのかも知れませんが、自治労という組織は前述したような立ち位置に見られています。「自分史」の話に照らした際、連合地区協議会の役員を担ってから他の産別の方々と話す機会が急増しました。同時に幅広い立場の政治家の皆さんと懇談する機会も増えていました。

自治労内の会議であれば、近しい立場の方々との交流にとどまりがちです。政治家との懇談も自治労の組織内議員に限られるため、連合という枠組みは様々な意味合いで貴重な経験や交流の機会を得られていました。書記長から委員長になった直後の年末に連合地区協の役員に就任しました。翌年の夏、このブログを始めています。したがって、実生活の場面での交流関係が広がった時期と重なりながら当ブログを通し、本当に幅広く多様な声に接することができるようになっていました。

かなり前から閲覧いただき、私自身の発信している「答え」に疑義を唱えている方からすれば「その割にまったく変わっていないじゃないか」という指摘を受けそうですが、自分なりに大きな変化があった時期だと言えます。大きな変化の一つとして、誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっていました。

つまり安倍首相も決して戦争を肯定的にとらえている訳ではなく、どうしたら戦争を防げるのかという視点や立場から安保法制等を判断しているという見方を持てるようになっています。その上で、安倍首相らの判断が正しいのかどうかという思考に重きを置くようになっています。そして、自分自身の「答え」が正しいと確信できるのであれば、その「答え」からかけ離れた考え方や立場の方々にも届くような言葉や伝え方が重要だと認識するようになっていました。

このような点を意識し、乗り越える努力を尽くさなければ平和運動の広がりや発展は難しいように感じています。戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図ではとらえず、「いかに戦争を防ぐか」という具体策を提示しながら発信力を高めていくことが求められているはずです。さらに2項対立に関わるすべての問題に留意すべき点として、考え方や立場、生い立ちや宗教が違うからと言って他者を侮蔑したり、敵視することは避けなければなりません。

米南部部バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義と反対派が衝突した事件を受け、オバマ前米大統領がツイッターに投稿した人種間の融和を訴える内容が共感を呼び、米メディアによると、ツイッター史上最高となる「いいね」が付いている。オバマ氏は13日に、自身が黒人や白人の子供たちにほほえみかける写真とともに、人種差別と闘った南アフリカのマンデラ元大統領の言葉を引用して「誰も生まれながらに、肌の色や生い立ち、宗教によって他人を憎まない」と投稿した。

また次の投稿で、「人は憎むことを学ばなければならない。憎しみを学べるのなら、愛を教えられる」とマンデラ氏の言葉を続けた。3日後の16日時点で、最初の投稿に約370万、次の投稿に約130万の「いいね」が付いた。これまで最も支持を集めた投稿は、米歌手アリアナ・グランデさんが、英国公演で起きた自爆テロの後に「言葉が見つからない」などと記したもので、約270万人が「いいね」と押した。【産経新聞2017年8月17日

「他人を憎まない」、たいへん大事な言葉です。憎しみは争いの素であり、争いの先にテロや戦争が待ち受けています。このブログでも「いがみ合わないことの大切さ」を「Part3」にわたって投稿したことがあります。最近、エコーチェンバー現象という言葉を耳にするようになっていますが、SNSの普及が攻撃的な意見の広まる一因だと見られています。やはり他者の異質な意見にも率直に耳を傾け、共感できなくても、そのような考え方があることを認め合っていける関係性こそ、争いを避ける出発点だと思っています。

長い記事になっていますが、各論とした北朝鮮の問題にも触れていきます。あらかじめ強調しなければならない点として、国際社会から強い批判を受けている北朝鮮の振る舞いを擁護する意図はありません。「いかに戦争を防ぐか」という視点から自分なりの「答え」を提起していくつもりです。グアム島周辺に弾道ミサイルを発射するという北朝鮮の威嚇に対し、小野寺防衛相は集団的自衛権を行使できる「存立危機事態」にあたるという認識を示しました。

まずグアム島周辺22キロの領海の外に弾頭の付いていないミサイルが落下しても「攻撃」ではないため、米軍が北朝鮮に報復攻撃する理由にはならないという見方があります。それにも関わらず、極めて厳しい要件を定めたはずの集団的自衛権の行使を言葉にした小野寺防衛相の勇み足を危惧しています。そもそも日本上空で高度400キロ以上となるミサイルを現在日本に配備している「PAC3」では撃ち落とせません。イージス艦が積んでいる「SM3」も射程外になるようです。

同盟国としての姿勢をアメリカに向けてアピールしたつもりだったのかも知れませんが、北朝鮮から日本が攻撃を受けるリスクを高めた発言だったことも否めません。九州大学の斎藤文男名誉教授は「グアムの沖合にミサイルが落ちることが、日本にとって国民生活が破壊されるような存立危機にあたるかと言われれば、まったくそんなことはないでしょう。むしろ、ミサイルを撃ち落とせば、北朝鮮に対する宣戦布告と受け取られ、全面戦争に突入して、かえって国土と国民を危険にさらす事態になる可能性が高い」と語っています。

北朝鮮情勢から思うこと」の中で記したことですが、北朝鮮はミサイルを1発でも実戦使用した場合、総攻撃を受け、国が滅びる事態を認識しているはずです。つまり圧倒的な軍事力の差を知らしめるだけで北朝鮮に対しては充分抑止力が働いているものと見ています。そのため、日本を真珠湾攻撃に踏み切らせたハル・ノートのような追い詰め方は絶対避けるべきであり、対話の窓は積極的に開放していくことが必要です。最後に、利害が対立するからこそ対話が求められ、対話が続けられる限り戦争は避けられ、国民の安全や安心が担保されていくものと思っています。

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2017年8月20日 (日)

平和への思い、自分史

「昔、日本はこんなに広かったんだぞ」と世界地図を指差し、今は亡き父親が私に説明してくれた思い出があります。私が小学校の低学年の頃だったように記憶しています。幸いにも戦禍で亡くなった家族がなく、戦争中は軍国少年だった父親からすれば中国や東南アジアまで広がった日本の姿は誇らしかったのかも知れません。

父親は軍歌のレコードを好んで買い求めていました。狭い家だったため、よく私自身も軍歌を耳にすることになり、今でも歌える曲が数多くあります。さらに余談ですが、現在、自宅にカラオケセットがあります。さすがに軍歌を外で歌うことはないため、セットされた曲目の中に見かけた『海ゆかば』を初めてカラオケで歌ってみました。すると採点機能の結果は99点、めったに出ない高得点に驚いていました。

父親は決して好戦的だった訳ではなく、特に平和主義にこだわるタイプでもなかったようです。幼少期を軍国主義に染まった環境で過ごし、戦後、激変した社会の中で特段戦争に対して強い嫌悪感を持たなかっただけだろうと想像しています。両極端に位置しない、ごく普通の戦後の日本人の一人だったのではないでしょうか。本人に直接聞くことはできませんので、今、そのような思いを巡らしています。

私自身、幼少期から現在も漫画好きです。1960年代を過ごした幼い頃は『0戦はやと』や『紫電改のタカ』に触れ、戦闘シーンに胸を躍らせていました。『宇宙戦艦ヤマト』より前に戦艦大和を取り上げた漫画があり、その巨大さに憧れ、大和や武蔵のプラモデルを手にした記憶があります。一方で、漫画雑誌には戦争の悲惨さを伝える記事も時々掲載されていました。アウシュビッツ強制収容所のことも、その頃の漫画雑誌の記事で知りました。なぜ、同じ人間に対し、これほど残虐になれるのか、大きなショックを受けました。

原爆を扱った漫画では『はだしのゲン』が有名です。私自身が原爆のことを詳しく知り、意識するようになったのは『はだしのゲン』の連載が始まる数年前でした。以前投稿した「漫画が語る戦争」という記事の中でも記したことですが、『ある惑星の悲劇』という漫画に出会っていました。原爆投下後、建物の下敷きになって、生きたまま焼かれていく子どもたちに「熱かったろうな」と感情移入していたことを覚えています。その漫画との出会いが「戦争は嫌だ、戦争は起こしたくない」という思いの原点だったかも知れません。

だからと言って小学校や中学校時代、自分自身が平和のために何か行動を起こすような発想はまったくありませんでした。当たり前な見方かも知れませんが、その年代から反戦平和について頭を悩ましていた場合、早熟すぎて周囲から浮いてしまう存在だったのではないでしょうか。高校生になると政治的な行動を起こす人たちが出てくるのは今も昔も同じようです。私と同じ世代で、高校生だった知人の中にも政治的な問題意識を強めていた人はいました。それでも極めて少数であり、私自身をはじめ、大半はノンポリな高校生だったはずです。

1965年から1972年までの安保闘争とベトナム戦争の時期、大学時代を送った世代が全共闘世代と呼ばれ、この世代の15%の人たちが学生運動に関わったと言われています。そのような残滓が少しだけ見受けられる頃、就職と同時に大学に入学しました。以前の記事「公務員になったイキサツ」に綴ったとおり夜間大学に通いやすいため、公務員を志望しました。それが就職し、すぐ方針を変えて「大学は卒業するため」だけの存在になりました。

そのため、大学生活から何か影響を受けるような関係性は薄いまま過ごすことになりました。1回生の時には教科書裁判で有名な家永三郎先生の授業も受けましたが、前述したおり真面目な学生でなく、それほど大きな影響を受けないまま単位だけ取得しています。結局のところ「戦争は嫌だ、戦争は起こしたくない」という思いを胸に秘めながらも主体的な動きとは無縁のまま年数を重ねていきました。ある意味、圧倒多数の普通の人たちの感覚であり、日常の姿なのだろうと思っています。

組合役員になったイキサツ」という記事に綴りましたが、やはり自治労運動に関わるようになったことが平和への思いの大きな転機だったようです。あらかじめ釈明しなければなりませんが、運動の強要や押し付け、まして洗脳があった訳ではありません。イデオロギーに感化された訳でもなく、真っ新だった自分自身の意識の中に「どうしたら平和は築けるのか」という素朴な問いかけが芽生え始めた時機だったと言えます。当時のブログ記事には次のとおり書き残していました。

ある16ミリ映画会に興味を持ち、幹事の先輩数人と出かけました。その映画の題名は「光州は告発する」でした。チョン・ドハン元韓国大統領の軍事クーデターに反対し、光州市民が大規模なデモなどを行ないました。それに対してチョン元大統領は軍隊を出動させ、自国民に銃口を向け、力ずくで鎮圧をはかりました。その虐殺の模様を記録した映画が「光州は告発する」でした。

それまでも原爆やアウシュビッツ強制収容所の話などを知ることにより、戦争への嫌悪感は人一倍持っていたと思います。ただベトナム戦争も現在進行形の世代ではなく、私の戦争に対する思いは「過去の事実」との認識でした。それが同じ瞬間、それほど距離が離れていない半島で、戦車でひき殺される人たちがいたことに大きな衝撃を受けました。

さらに今から思えば、その北の国でも非人道的な行為を繰り広げていたことになります。この映画を見たことにより、少し考え方に変化が出ました。だから何ができるか分かりませんでしたが、青婦部幹事になって一年間、何もしなかったし、何も分かろうとしないで辞めるのも何だなと思い返すようになりました。

この後、青年婦人部の幹事から部長まで担い、まったく想定していなかった組合の執行委員長まで引き受けることになりました。その結果、これまで組合役員を長く続ける中で様々な経験や交流をはかることができました。平和への思いについて青婦部時代は、まず自分自身が知ることを重視しました。沖縄にはプライベートも含めて数回行っていますが、捨て石にされた沖縄戦の実相を戦争体験者から直接聞き、集団自決のあった真っ暗なガマに入るような機会も得ていました。

そして、知り得た戦争の悲惨さを部員や組合員に伝える、このような広げ方が平和を築くための運動だと考えていました。青婦部を卒業してからも、しばらくは平和をアピールすることや軍事基地に反対することが大事な行動だろうと認識していました。もちろん多くの人が戦争の悲惨さや実相を知り、絶対起こしてはならないという思いを強めていくことは重要です。しかし、そのような思いだけでは決して戦争を抑止できないことを痛感するようになっています。

毎年8月になると、日本のテレビや新聞は、戦争の悲惨さだけに焦点を当てた自虐的な報道をたくさん流す。戦争の惨禍を繰り返してはならないが、過去を自虐的に反省してさえいれば、日本は二度と戦場にならないとでも信じているのか。悲惨な戦争をいかにして防ぐのか。具体的な方策に何も言及しない自虐報道は無責任だ。過度に厭戦気分を煽り、日本人の国防意識を低下させたのでは、利敵行為とすらいえる。

上記は最近目にしたケント・ギルバードさんの「戦争防ぐ方策に触れない自虐報道は無責任」という論評の抜粋です。「自虐報道」や「利的行為」という見方など共感できない記述もありますが、「悲惨な戦争をいかにして防ぐのか」という視点の大切さはそのとおりだと思っています。過去、私自身が是としてきた平和運動も「いかに防ぐか」という視点が不充分だったように省みています。残念ながら現在の平和運動全体にも通じる課題であり、「いかに防ぐか」という具体策の提示や発信力が問われているように受けとめています。

以前、戦争に反対する勢力、戦争を肯定する勢力、単純な2項対立の構図でとらえがちでした。現在は誰もが「戦争は起こしたくない」という思いがある中、平和を維持するために武力による抑止力や均衡がどうあるべきなのか、手法や具体策に対する評価の違いという関係性を認識するようになっています。とは言え、このような関係性においても戦争の実相を知った上で「戦争も辞さず」と語るのかどうかは重要であり、戦争の悲惨さを知ること、知らせていくことも欠かせない営みだろうと考えています。

「自分史」という初めての試みで新規記事を書き進めてきました。青婦部幹事時代の転機から現在までが駆け足気味だったため、機会があれば詳述させていただくかも知れません。最後に、差し迫った北朝鮮の脅威に対し、戦争を「いかに防ぐか」という自分なりの思いを書き添えます。最近の記事「改憲の動きに思うこと Part2」の中で綴ったとおり北朝鮮を「窮鼠猫を噛む」状態に追い込まないようにすべきであり、対話の窓は積極的に開放していくことが必要です。まして「存立危機事態」と見なした勇み足は絶対自制すべきものと痛切に感じています。

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2017年8月12日 (土)

会計年度任用職員

このブログで取り上げる題材に対し、実際の組合活動の中で占める割合が正比例していないことは機会あるごとにお伝えしています。最近では「改憲の動きに思うこと Part2」の冒頭で記していました。日常活動の中で職場課題を軽視している訳ではないことを皆さんからご理解いただいているものと思っていますが、久しぶりに今回、労働組合の本務に関わる話題を書き進めていきます。まずは先週火曜、人事院勧告が示されました。

人事院は8日、2017年度の国家公務員一般職の月給を平均631円(0.15%)、ボーナス(期末・勤勉手当)を0.10カ月分それぞれ引き上げるよう国会と内閣に勧告した。月給・ボーナス双方の引き上げは4年連続。民間の賃上げの動きの鈍化を受け、月給の上げ幅は16年度の平均708円を下回る。政府は勧告を受け、給与関係閣僚会議で勧告通り引き上げるかどうかを決める。勧告は民間と国家公務員の給与水準をそろえるのが目的。勧告の基準となる「民間給与実態調査」を実施し、民間が国家公務員の水準を上回った。

月給は今年4月時点、ボーナスは16年冬と17年夏が対象だ。ボーナスの年間支給月数は4.40カ月分になる。勧告対象は国家公務員だが、人事院勧告に沿って改定される地方公務員にも影響する。財務省や総務省の試算では勧告通り引き上げた場合、国家公務員で約520億円、地方公務員で約1370億円が必要になる。このほか、非常勤職員の待遇改善に向けて、忌引や結婚などの休暇を取りやすくするよう検討することなども報告した。【日経新聞2017年8月8日】

民間賃金相場の反映である人事院勧告が引き続き上昇トレンドであり、今のところ勧告内容を凍結するような動きがないことも歓迎しています。現政権の働き方改革実現会議の中で「同一労働同一賃金など非正規雇用の処遇改善」を最も重要な目的としていることなど評価すべき点は率直に評価するように心がけています。仮に「安倍政権だから何でも反対」というスタンスだった場合、反対意見や批判内容の説得力が低下してしまうように危惧しています。

もしかすると「ご都合主義」という批判を招いてしまうのかも知れませんが、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考方法としてご容赦ください。労働組合の本務に関わる話題と前置きしながら、いつも述べているような話にそれ気味で恐縮です。さて、上記報道のとおり人事院勧告に絡む報告の中でも非常勤職員の待遇改善が課題とされています。今年3月に「非正規雇用の話、インデックスⅡ」という記事を投稿していますが、私どもの組合は多くの非常勤職員の皆さんが同じ組合員として様々な活動を進めています。

その一つとして、7月13日夜に会計年度任用職員に関する学習会を開き、70名ほどの参加を得られていました。講師は自治労中央本部の組織拡大局長にお願いしました。局長ご自身、非常勤職員として公立の図書館に勤務されていた方です。自治労での任務が非常勤職員の組織化であり、今回の法改正に際しては総務省の担当者らとの交渉窓口としてたいへん尽力されていました。今回、講師から伺ったお話や配付された資料をもとに会計年度任用職員の概要等を説明させていただきます。

教育、子育てなど増大する行政重要に対応するため、地方公務員における臨時・非常勤職員数は増加の一途をたどっています。地方公務員法3条3項3号を根拠に採用されている事務補助職員は全国で22万人に及びます。首長や委員等と同じ法的な位置付けになるため、特別職非常勤職員には一時金など手当支給に制限が加えられていました。本来、特別職とは首長や委員等の専門性の高い職であり、地方公務員法が適用されず、守秘義務や政治的行為の制限などの制約も一般職と異なっています。

このような現状を受け、総務省は地方自治体の非常勤職員の待遇を改善することを目的とし、明文規定がなかった非常勤職員の採用方法と任期などを明記する法律を準備してきました。今年5月に地方公務員法及び地方自治法の一部が改正され、今後、臨時・非常勤職員が一般職・特別職・臨時的任用の3類型に明確化されます。一般職の非常勤職員である会計年度任用職員の規定を新たに設け、手当支給等を可能とします。概要は次のとおりで施行日は2020年(平成32年)4月1日です。 

■ 地方公務員法の一部改正 【適正な任用等を確保】

  1. 特別職の任用及び臨時的任用の厳格化 ①通常の事務職員等であっても、「特別職」(臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員等)として任用され、その結果、一般職であれば課される守秘義務などの服務規律等が課されない者が存在していることから、法律上、特別職の範囲を、制度が本来想定する「専門的な知識経験等に基づき、助言、調査等を行う者」に厳格化する。②「臨時的任用」は、本来、緊急の場合等に、選考等の能力実証を行わずに職員を任用する例外的な制度であるが、こうした趣旨に沿わない運用が見られることから、その対象を、国と同様に「常勤職員に欠員を生じた場合」に厳格化する。
  2. 一般職の非常勤職員の任用等に関する制度の明確化 法律上、一般職の非常勤職員の任用等に関する制度が不明確であることから、一般職の非常勤職員である「会計年度任用職員(※)」に関する規定を設け、その採用方法や任期等を明確化する。 ※フルタイムとパートタイムがあり、前者は給料及び旅費、各種手当を支給、後者は報酬及び費用弁償、期末手当を支給する。

■ 地方自治法の一部改正 【会計年度任用職員に対する給付を規定】 会計年度任用職員について、期末手当の支給が可能となるよう、給付に関する規定を整備する。

講師のお話を伺い、このブログに何回かコメントをお寄せくださった一生非正規さんのことが思い浮かびました。今年2月の記事「非常勤職員制度見直しの動き」の中で、一生非正規さんから「雇い止めされそうです 助けて下さい」という悲痛なコメントがあったことを紹介しました。今回の法改正によって新たな根拠で採用しなければならないため、特別職非常勤職員という法的な位置付けで採用された方々が雇い止めを強いられるような動きを警戒していました。

学習会では総務省自治行政局公務員部のまとめた「会計年度任用職員制度の導入等に向けた事務処理マニュアル(案)」に沿った報告や説明が加えられました。そのマニュアルは自治労が要望した事項の大半が反映されているとのことで、全体を通して講師からは前向きな提言や情報提供が示されていました。雇い止めの心配は講師から競争試験によらず、選考で採用できるという説明を受けました。

それまでの勤務実績等を考慮し、特別職非常勤職員として採用された方々、全員がそのまま会計年度任用職員に移行できるようになっていることを把握できました。さらに「会計年度」という名称から1年ごとの雇い止めが強まるような懸念もありました。そのことに関しても名称は変えられませんでしたが、任期1年と定められていても更新は妨げられないという説明を受けています。

フルタイムとパートタイムの線引きが明確化されていますが、パートタイムに対しても自治体独自にフルタイムと同様な手当支給の道も開けているとのことです。現在雇用されている非常勤職員の方々にとって待遇を大きく底上げできる絶好の機会だと理解できました。しかしながら一方で、実際に支給するためには各自治体での条例改正が必要とされています。確かに期待や可能性は大きく広がっていますが、画餅にならないよう2020年4月の施行に向け、各自治体や団体の組合の力量が問われているようです。

具体的にどのように変わるのか、組合としてどう対処していくのか、学習会の後、私どもの組合として次のような点を確認しました。参考までに組合員向けのニュースに掲げた内容をご紹介します。今後、労使交渉で早期に大枠の方向性を確認し、よりいっそう当該の組合員の皆さんと連携を強めながら法改正に対処していきます。最後に、お忙しい中、講師を引き受けていただいた組織拡大局長、分かりやすい説明と勇気付けられるご提起、たいへんありがとうございました。

◇ 組合加入を勧めている嘱託職員の皆さんは地方公務員法3条3項3号の規定で雇用されている特別職です。今回の法改正で今後は会計年度任用職員に位置付けられる職務の方々だと言えます。7月13日の学習会の中で、競争試験によらず、選考で採用できるという説明を受けています。そのため、嘱託組合員全員がそのまま移行できるように労使協議に臨みます。

◇ それまでの賃金水準や勤務条件が後退するような移行は論外であり、期末手当の支給をはじめ、フルタイムやパートタイムに関わらず、この機会に大幅な待遇の改善に努めます。学習会では各自治体の裁量で手当支給の幅が広げられることも確認しています。施行までに条例化が欠かせず、よりいっそうの待遇改善をめざした労使交渉に力を注いでいきます。

◇ 上記概要のとおり「臨時的任用」の対象が限られるため、産休・育休の代替や業務補助的な臨時職員のあり方も見直していかなければなりません。今後、任期付短時間職員又は新たに制度化されるパートタイムの会計年度任用職員に移行させていくことになります。この機会に臨時職員の業務内容や勤務条件全般も労使協議していきます。

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2017年8月 5日 (土)

意見が異なっても

広島と長崎への原爆投下から日本の敗戦、平和について深く考えなければならない機会の増える季節を迎えています。木曜日には安倍改造内閣の顔ぶれが決まり、政治的な話題も尽きそうにありません。さらに「マスコミの特性と難点」という記事は「Part2」に及びましたが、私自身の伝えたいことが的確に伝え切れない悩ましさを感じています。さすがに「Part3」とはしませんが、コメント欄に寄せられた意見を受け、改めて私自身の問題意識や思うことを書き進めてみます。

物事を適切に評価していくためには、より正確な情報に触れていくことが欠かせません。誤った情報にしか触れていなかった場合は適切な評価を導き出せません。また、情報そのものに触れることができなかった場合、問題があるのか、ないのか、評価や判断を下す機会さえ与えられません。最近、特に幅広い情報に触れていくことの大切さを痛感し、何が正しいのか、その判断は正しいのか、「誰が」や「どの政党が」に重きを置かない思考に努めたいものと考えています。

総論的な意味合いとして、これまで当ブログを通して訴えてきた考え方は上記のとおりです。したがって、あっしまった!さんの下記のようなご指摘は本当にそのとおりだと思っています。ここ最近、あっしまった!さんからは各記事のコメント欄で貴重なご意見を精力的に投稿いただいています。その中のごく一部となる切り取った紹介にとどまり、たいへん恐縮ですが投稿された内容をそのまま掲げさせていただきます。

結果的に「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話であった」としても、報道機関は、それを報道すべきだったと。報道を視た人が、それぞれ「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話と判断した」のであれば、それで良い。ただ、報道側が「加戸氏の発言は、問題の本質とは関係のない話」だと決めつけ、「報道する価値もない。有権者には知らせる価値のない話」だと決めつけ、「有権者が主体的に判断する機会を奪った」となると問題は多きい。

私自身も本来、マスコミは幅広い見方や評価があり得る出来事を報道する際、普段からバランス良く、どちらか一方に偏らないよう編集すべきものと考えています。より正確な情報を客観的に伝えた上で、その社の方針や記者の主張を添えるような手法が望ましいはずです。加計学園の問題で国会に参考人として呼ばれた加戸前愛媛県知事の発言の伝え方は確かにマスコミ各社によって大きく異なっていました。さすがに黙殺した新聞社はありませんでしたが、詳報欄のみで一般記事の中では取り上げなかった社もあったようです。

朝日新聞、もしくは毎日新聞しか読まれていない方は加戸前知事が発言したこと自体を把握できないまま加計学園の問題を評価していくことになりかねません。赤字で前述したとおり評価や判断を下す機会さえ与えられなかったことになります。このような関係性を決して望ましいものとは考えていません。ただ今に始まったものではなく、逆に少し前までは政権にとって不都合な情報の取り上げ方が極端に少なかったように感じていました。だからこそ、このようなマスコミの特性を踏まえた上、直近の記事を通して下記のような問題提起につなげていました。

マスコミからの情報に限らず、情報の受け手側のリテラシーを鍛えていくことがたいへん重要です。マスコミやSNS、それぞれの特性や難点を的確に理解した上、一つの経路からの情報だけを鵜呑みせず、意識的に幅広く多面的な情報に触れていくことが強く求められています。より望ましく、より正しい「答え」を見出すためには欠かせない心構えだろうと考えています。

各論の話となる加計学園の問題で言えば、コメント欄でベンガルさんが説明されていた見方に私自身の認識は近いものがあります。加戸前知事は「加計ありきだった」と言っているにすぎず、「国家戦略特区における獣医学部の新設という新たなステージですので、中立、公平にやるべきだったと私は思います」というご意見でした。野党の攻め方やマスコミの論調が「ムービング・ゴールポスト状態」と見られがちなのかも知れませんが、私自身は一貫して安倍首相の「李下に冠を正さず」という心構えの薄さを懸念していました。

この問題で実際に安倍首相の直接的な関与がなかったのかも知れませんが、政府内部の動き方として不自然な点があったように見られ続けています。多くの税金の投入が前提となる獣医学部の新設にあたり、公平・公正さが充分だったのかどうかが問われているものと考えています。競争試験で受験者を公募しながら初めから採用者は決まっていた、競争入札としながら初めから落札業者は決まっていた、このような構図の疑惑が容易に晴れないままの問題だろうと理解しています。

追及する側の民進党の玉木雄一郎衆院議員が日本獣医師会に近く、ご本人もそのことを隠していませんが、献金や過去の質問の絡みから疑惑や批判を受けています。このあたりについてはご自身のブログ「私が質問したのは、日本獣医師会の既得権益を守るためか?」を通して経緯や立場が説明されています。総理大臣をはじめとする政府側関係者と野党一議員の権限の差は大きな開きがあるとは言え、業界擁護質問で受託収賄罪が問われた事例もあります。

したがって、これだけ獣医学部のことが取り沙汰されている中では、やはり玉木議員も「李下に冠を正さず」という心構えで対処すべきだったのではないでしょうか。ここで特徴的な点は安倍政権を擁護されている方々は玉木衆院議員の振る舞いを批判し、政権批判を強めている方々は玉木議員の対応は「まったく問題ない」と判断しがちな傾向が見て取れます。私自身の立場も後者に見られがちなのでしょうが、玉木議員を批判する意見や考え方を否定しないように努めています。

最近のコメント欄に寄せられたご意見等を意識し、ここまで私なりに思っていることを書き進めてきました。実は今回の記事タイトルを「意見が異なっても」とした理由は下記に掲げた新聞報道の内容が印象深かったからです。2008年の大統領選挙の集会で、アメリカ共和党のマケイン上院議員が発した「彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」「この国の政治は相手への敬意が基本だ」という言葉などに強い共感を覚えています。

脳腫瘍と診断され闘病中の米共和党上院のマケイン軍事委員長が、大統領選候補だった2008年に選挙集会で民主党対立候補のオバマ上院議員(当時)を擁護した際の動画が話題を集めている。歴代大統領も無視できないほどの政治的影響力を持つマケイン氏の不在を惜しむ声と共に、トランプ政権下で続く深刻な党派対立への米国民の拒否反応の表れともいえそうだ。

動画は08年10月に中西部ミネソタ州でマケイン氏が開いた対話型集会の様子を映したもの。女性支持者が「オバマは信用できない。彼はアラブ人だ」と発言した。当時、支持者の中ではオバマ氏が過激派テロリストと関係しているなどの中傷が流布していた。マケイン氏は首を振りながら女性のマイクを取り上げ「違います。彼は家族を愛するまっとうなアメリカ市民です。彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」と諭した。

マケイン氏はその後も、会場の共和党支持者からブーイングを浴び続けながら「オバマ氏が大統領になっても恐れる必要はない。この国の政治は相手への敬意が基本だ」などと語った。今月19日に脳腫瘍の診断を発表したマケイン氏に対し、共和、民主両党から早期回復を願う声が寄せられている。オバマ氏はツイッターで「マケイン氏は米国の英雄で最も勇敢な闘士だ。誰と戦っているのか、がんは分かっていない。ぶっ飛ばしてやれ」とエールを送った。 【毎日新聞2017年7月23日

基本的な視点の違いから正しいと信じている「答え」が枝分かれしていきます。SNSが普及した結果、ますます「自分の好みに合う情報だけを受け取り、自らの好みをひたすら強化させるようになる」と言われています。政治学者の飯尾潤さんは社会をつなぐ力の弱まりを懸念し、マスコミの両極化を「反政権側は、政権の方針への反対を強めようと、問題を大きく扱う傾向にある。政権の評価すべきことはあまり論じることなく、それについては政権側の発表や行動を淡々と報じるにとどまる傾向がある」とし、「逆に親政権側メディアは、政権の成果は大きく報じる半面、政権にとって具合の悪いことは小さくしか扱わない」と論じています。

政治では違う意見が交わらず、それぞれ極端化する、このように飯尾さんは述べています。手前味噌な言い分で恐縮ですが、一つの運動として当ブログが違う意見の交わる場になり得れば非常に本望なことだと考えています。そのため、いろいろな「答え」を認め合った場として分かり合えなくてもいがみ合わないことの大切さを頻繁に訴え続けてきています。おかげ様でコメント欄常連の皆さんからは以上のような関係性についてご理解ご協力いただき、意見が異なっても冷静に言葉を交わし合う場となっていることに深く感謝しています。

前回の記事でも紹介したhodoさん、前述したとおり「論点から外れるか否かを判断するのは国民です。マスコミではありません」というご指摘はそのとおりだと私自身も考えています。しかしながら「ごまかしばかりで愛想がつきました」というご指摘は、ごまかしているつもりがない者からすれば非常に残念な見られ方です。さらに「OTSU氏のように自分にとって不都合な事実を黙殺することに何のためらにもない方は、大日本帝国時代における有能な憲兵になっておられたでしょうね。あなたにかける言葉はこれ以上ありません」は極端すぎる見方だと言わざるを得ません。

hodoさんに限らず、少しでも時間を割いて当ブログにコメントをお寄せくださる皆さんに対し、本心から感謝しています。耳の痛い辛辣な批判意見だったとしても、そのような意見に触れられることを貴重な機会だと考えています。ただ自分自身が正しいと信じている「答え」からかけ離れた言葉の意図は素早く理解できない傾向があります。きっとお互い同じような傾向があるため、hodoさんと私は容易に分かり合えないのだろうと受けとめています。愛想をつかされたhodoさんですが、このブログは出入り自由な場ですので、これからもお時間等が許される際はご訪問いただければ幸いですのでよろしくお願いします。

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